FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
日本遺産「那須野が原開拓」9.「三島農場事務所跡(那須野が原博物館)」、那須塩原市三島 Jan'2025
三島農場事務所跡(那須野が原博物館)、市史跡、栃木県那須塩原市三島。 今日の写真は、那須塩原市の日本遺産「那須野が原開拓」No.9「三島農場事務所跡(那須野が原博物館)」です。三島農場事務所跡 この地は、肇耕社(ちょうこうしゃ)並びにこれを引き継いだ
日本遺産「那須野が原開拓」8.「山田農場事務所跡(山田資料館)」、那須町寺子丙 Jan'2025
山田農場事務所跡(山田資料館)、栃木県那須町寺子丙 Jan'2025 今日の写真は、那須町の日本遺産「那須野が原開拓」No.8「山田農場事務所跡(山田資料館)」です。山田資料館 山田資料館が建っている黒田原地区は、現在那須町の中心に位置するが、明治20年代初
日本遺産「那須野が原開拓」7ー2.「矢板武旧宅」その2、矢板市本町 Jan'2025
矢板武旧宅、市史跡、栃木県矢板市本町。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.7ー2「矢板武旧宅」その2、建物内と収蔵物の写真です。 勝海舟が明治14年の晩秋に書いた正面玄関奥の「聚薼亭(しゅうじんてい)」と書かれた額。 雲照律
日本遺産「那須野が原開拓」7ー1.「矢板武旧宅」その1、矢板市本町 Jan'2025
矢板武旧宅、市史跡、栃木県矢板市本町。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.7ー1「矢板武旧宅」その1、建物と周囲の写真です。 矢板武旧宅(矢板武記念館)。 那須野が原開拓や那須疏水の開削、国道4号(陸羽街道)や東北本線の開通など、地域の産
日本遺産「那須野が原開拓」6.「乃木希典那須野旧宅」、那須塩原市石林 Jan'2025
乃木希典那須野旧宅、県史跡、栃木県那須塩原市石林。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.6「乃木希典那須野旧宅」です。 乃木希典は長州藩支藩の長府藩出身の陸軍大将・伯爵である。後に、学習院院長なども務めた。明治24年(1891)この地に約14ヘクタ
日本遺産「那須野が原開拓」5-2.「旧塩原御用邸新御座所」その2、那須塩原市塩原 Jan'2025
旧塩原御用邸新御座所、県有形、栃木県那須塩原市塩原 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.5-2「旧塩原御用邸新御座所(天皇の間記念公園)」その2で、収蔵物や建物内部です。
日本遺産「那須野が原開拓」5-1.「旧塩原御用邸新御座所」その1、那須塩原市塩原 Jan'2025
旧塩原御用邸新御座所、県有形、栃木県那須塩原市塩原 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.5-1「旧塩原御用邸新御座所(天皇の間記念公園)」その1で、建物やお庭です。 塩原御用邸は、明治17年(1884)、時の県令三島通庸(みしまみちつね)が塩
日本遺産「那須野が原開拓」4.「山縣有朋記念館」、矢板市上伊佐野 Jan'2025
山縣有朋記念館、県有形、栃木県矢板市上伊佐野 Jan'2025 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.4「山縣有朋記念館(旧・山縣有朋別邸)」です。 山縣有朋記念館は、明治42(1909)年、山縣有朋晩年の別荘として知られる小田原の古稀こき庵あん内に建てられ
日本遺産「那須野が原開拓」3.「松方別邸」、那須塩原市千本松 Jan'2025
松方別邸(萬歳閣)、栃木県那須塩原市千本松。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.3「松方別邸(萬歳閣)」です。 萬歳閣は、1903年(明治36年)に総理大臣を務めた松方正義の別邸の別称です。千本松牧場内にあるこの建物は、床面積334平方メートルの洋
日本遺産「那須野が原開拓」2.「大山別邸」那須塩原市下永田 Jan'2025
大山別邸、県有形、栃木県那須塩原市下永田。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.2「大山別邸」です。 大山別邸は、明治の元勲(げんくん)大山巌(いわお)が、自身の農場内に建てた和館と洋館からなる建物です。和館は、大山の郷里鹿児島で見られる台
日本遺産「那須野が原開拓」1ー2.「旧青木家那須別邸」その2Jan’2025
青木周蔵の馬車。黒磯駅と別邸間で使用。旧青木家那須別邸、栃木県那須塩原市青木。 今日の写真はNo.1「旧青木家那須別邸」その2で、室内と収蔵物です。 ワードローブ、1924年(大正13年)ルイ・ヴィトン社製。
日本遺産「那須野が原開拓」1ー1.「旧青木家那須別邸」その1Jan’2025
旧青木家那須別邸(重文)、栃木県那須塩原市青木。 昨日の記事のリストの順に、今日から1ヶ月ほど、日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の写真をアップします。 今日の写真は、日本遺産「那須野が原開拓」No.1「旧青木家那須
日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」認定証、那須野が原博物館、那須塩原市三島。 今日から1ヶ月ほど、日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の写真をアップします。 指定構成文化財全32か所のうち、今年の1
拝殿本殿、烏森神社(からすがもりじんじゃ)、栃木県那須塩原市三区町。 今日の写真は、来週から紹介の日本遺産「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」の構成文化財の一つ「烏ヶ森の丘」の上に建つ「烏森神社」です。 平安時代の延喜2年(西暦902年
澤観音(補陀落山観音寺)、矢板市沢鷲峰、栃木県 Mar’2024
本堂(山門越し)、補陀落山観音寺、栃木県矢板市沢鷲峰。 今日の写真は、矢板市沢にある真言宗智山派の補陀落山観音寺、通称「澤観音寺」です。 下野三十三観音札所のひとつで、9世紀初頭に開山されたと伝えられています。 那須与一の兄・那須満隆が築いた澤村城
牛久阿弥陀大佛、牛久浄苑(浄土真宗東本願寺派本山東本願寺)茨城県牛久市久野町。 今日の写真は、茨城県牛久市にあるある巨大なブロンズ(青銅)製大仏立像で、全高120メートル(像高100メートル、台座20メートル)あり、立像の高さは世界で6番目。ブロンズ立像とし
高崎白衣大観音(観音山慈眼院)、高崎市石原町 Mar'2019
高崎白衣大観音、観音山慈眼院、群馬県高崎市石原町。 今日の写真は、群馬県高崎市の高崎観音山の山頂、標高190mの地点(高野山真言宗慈眼院の境内)にあり、高崎観音や 高崎白衣大観音として知られる観音山慈眼院の大観音です。 有名な群馬県の群馬県の郷土かるた「
大鳥居(総鉄製)、京濱伏見稲荷神社、神奈川県川崎市中原区新丸子東。 今日の写真は、川崎市中原区の東急東横線新丸子駅近くの京濱伏見稲荷神社(けいひんふしみいなりじんじゃ)です。 1951年(昭和26年)初代宮司、冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこ
十三佛説明。 今日の写真は一昨日、昨日の圓福寺の続きで、本堂東側の丘の上の十三佛です。 本堂東の高台の薬師堂の西前から三重塔とその南の鐘楼を囲むように高台の西に5体、南に3体、東に5体と反時計回りに1~13まで並んでいました。
薬師堂、「びわかけの松」へ登る階段。 今日の写真は昨日の圓福寺の続きで、本堂東側の丘の上の薬師堂、琵琶懸の松(びわかけのまつ)などです。 薬師堂北側に生える「琵琶懸の松」の子孫。 数代目の松と伝わる。 薬師堂。中に祀られる十二神将は清瀬市文
曹洞宗大醫山圓福寺、東京都清瀬市野塩 今日の写真は、昨日までの清瀬市野塩の空堀川の東の高台に建つ、曹洞宗大醫山圓福寺です。 曹洞宗寺院の円福寺は、大醫山と号し、陽岳春和大和尚(寛永11年1634年寂)が開山となり創建、薬師堂の十二神将は清瀬市文化財に指定
左からカワセミ、コサギ、ダイサギ、空堀川、清瀬市野塩 今日の写真は昨日の続きで、空堀川の白さぎとカワセミです。
カワセミ、空堀川、清瀬市野塩 今日の写真は、先週毎朝行っていた空堀川の遊歩道の散歩の時に撮影したカワセミです。 現在(2025年)、東京の北西部の武蔵野台地にあたる東村山市、清瀬市、東久留米市にある狭山公園、北山公園の池、北川、空堀川、柳瀬川、野火止用
白梅とメジロ、東京都清瀬市野塩 昨日の午後から雪も降り、一気に気温が下がり真冬に逆戻りですね。 今夜も雪のようです。 先週の越生の梅、一昨日の狭山公園の河津桜、平七桜、やっと咲いたのに残念ですね。 さて今日の写真は、満開の白梅の花で蜜を吸うメジロ
初春の都立狭山公園と咲き始めた平七桜と万作 Mar'2025
美しい多摩湖の取水塔。都立狭山公園、東村山市多摩湖町。 右奥に西武ライオンズの本拠地球場「ベルーナドーム」の屋根が見えます。 今日の写真は、昨日の河津桜を撮影した時(2025/03/02)に撮影した公園の様子と、やはり早咲きの「平七桜(へいしちざくら)」と万
河津桜 in 都立狭山公園、東村山市多摩湖町 Mar'2025
河津桜、都立狭山公園、東村山市多摩湖町 今日の写真は、咲き始めたばかりの都立狭山公園の河津桜です。 今年は、本籍地の河津町でも2月の寒波の影響で開花が遅れたと聞きましたが、ここ狭山公園でも例年の2月下旬から遅れて、やっとここ2、3日で咲き始めました。
「緋の司(ひのつかさ)」、越生梅林、埼玉県越生町 今日の写真は、大寒波の後の2025年2月26日に訪れた、越生梅林の梅の花です。 今年も、2月15日から「梅まつり」が開かれていましたが、この日はまだ3分咲き程度で、特にこの梅林で7割を占める有名な白梅の「白加賀
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FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
FH000027 posted by (C)ピーミィ ローズガーデンのタイボクシングショー、サンプラン、ナコンパトム県 今日の写真は、1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国の写真です。1.Nakhon Phatom,ナコンパトム県FH040020 posted by (C)ピーミィ ナコンパトム
FH010010 posted by (C)ピーミィ ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、タイ王宮、ラッタナコーシン島、バンコク 今日の写真は、1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡です。1.Royal Palace,ラッタナコーシン島、バンコクFH010004 posted by (C)ピーミィ
FH020007 posted by (C)ピーミィ 戦場にかける橋、クワイ川、カンチャナブリ、タイ 今日の写真は、一昨日の続きで1990年代のタイその6ー2、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写②です。8.Khao Kho National Park,ペチャブーン県FH000010 posted by (C)ピーミィ カ
FH010034 posted by (C)ピーミィ Wat Phra Putthabat(仏足石寺),サラブリ県 、タイ 今日の写真は、1990年代のタイその6ー1、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写真①です。1.Sing Buri,シンブリ県FH030016 posted by (C)ピーミィ 黄金大仏、Wat Phikunthong, Tha
19910525-18 posted by (C)ピーミィ プラサート・ヒン・ピーマイ, Nakhon Ratchasima 今日の写真は、1990年代のタイその5、タイ東北地方のクメール遺蹟です。1.Prasat Hin Phimai, Nakhon Ratchasima19910525-42 posted by (C)ピーミィ アルバム「Prasat Hin Ph
FH020034 posted by (C)ピーミィ ワット・マハタート ナコンパノム、ナコンパノム 今日の写真は、1990年代のタイでクメール遺蹟以外の遺跡、名所などです。1.Ubon Ratchathani(khaong Chiam, Mae Nam Song Si, Chongmek)FH000014 posted by (C)ピーミィ アルバム
19920620-82 posted by (C)ピーミィ 1992年のゴールデントライアングル(タイ、ビルマ、ラオスの3国国境) 今日の写真は、1990年代のタイその3 Chiang Rai件です。1.Wat Phra Keo, Chiang RaiFH010010 posted by (C)ピーミィ 1434年、チエンライのとある寺の仏塔
FH000011 ワット プラタート ドイ ステープ、チェンマイ 今日の写真は、1990年代のタイのその2、「チェンマイ県とランパン県」です。 1991年にチェンマイ県から生の冷凍イチゴを300トン輸入した時のイチゴ畑と冷凍工場の写真も残っていました。 もう35年前で
FH020003 posted by (C)ピーミィ バーンパイン宮殿、アユタヤ県 今日から2週間ほどは、1990年にタイ王国バンコクに初めて海外駐在をした当時撮影していたフィルム写真のネガフィルムから起こしたデジタルスキャンデータです。 10年ほど前に放っておいたネガフィルムを
鐘楼門、金法山浄智寺(じょうちじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する禅宗の「金法山浄智寺(じょうちじ)」と紫陽花の花です。 浄智寺は、鎌倉五山第四位に位置付けられています。 境内は「浄智
総門、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山、「巨福山建長興国禅寺」通称「建長寺」です。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の
階段参道、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、昨日の続きで明月院の紫陽花の花です。 この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に物資や人手が不足し、参道を整備する杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」と
総門、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、あじさい寺として知られる神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院、福源山明月院の境内です。 有名な紫陽花の花は、明日紹介します。 平安時代後期、山内俊通の供
御霊神社(ごりょうじんじゃ)、神奈川県鎌倉市坂ノ下。 今日の写真は、まさしく長谷寺のある山から海側(南側)に下る坂の下にある「御霊神社」、通称「鎌倉権五郎神社」です。 と云っても巻頭の写真に見られるように、神域の境内での撮影が禁止でしたので、神社
山門、行時山光則寺、神奈川県鎌倉市長谷 今日は、鎌倉有数の花の寺として知られる、日蓮宗の行時山光則寺の紫陽花を中心とした写真です。 日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、日蓮の高弟日朗も捕らえ、寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に監禁しました。
海光山慈照院長谷寺、鎌倉市長谷。 今日の写真は、紫陽花を中心とした長谷寺の花の写真です。 あじさい路、境内図、長谷寺。
山門。 和み地蔵。 放生池。 地蔵堂。 千体地蔵、地蔵堂の後背。 阿弥陀堂。 本堂(観音堂)。 観音ミュージアム。
鷲子山上神社のふくろう達、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日、一昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きで、境内に120体以上配置されていたふくろう像達の一
境内社の本宮神社の鳥居と大フクロウ、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きです。 本宮神社。 鷲子山上神社の本殿があっ
駒込の池、黒羽(現大田原市大輪字長谷田) 今日の写真は、那須与一の愛馬「鵜黒の駒」の生まれ故郷の地、「駒込の池」です。 鵜黒の駒誕生の伝説は「歴史的風土のなかの黒羽の民話(黒羽町編1993/12)」の要約によると、『長谷田の溜池に、毛は鳥の羽根のようで
稲積稲荷神社(福原)、玄性寺 今日の写真は、玄性寺境内の那須与一の墓の南隣に鎮座する那須一族の守護神稲積稲荷です。 お寺の中にある神社です。那須与一が屋島合戦で扇に向かって矢を放つ際に稲荷明神が白狐と化して守護したという霊験ある稲荷です。主催神は倉
玄性寺、大田原市福原 今日の写真は、那須与一公の墓所がある福原玄性寺です。 那須氏の菩提寺で、伝承によれば、3代那須資之が、京都東山の即成院に埋葬された弟の那須与一(宗隆、のち資隆)の分骨を受けて福原(現大田原市福原)に建立した功照院が始まりといわれ
楼門(重文)、那須神社(大田原市南金丸)。 国指定名勝「おくのほそ道の風景地」 今日の写真は、金丸八幡宮として仁徳天皇の時代に建立されたと伝えられ、中世、近世を通じて那須氏、大関氏(江戸期黒羽城主)の氏神として信仰された「那須神社」です。 一
九尾稲荷神社、那須温泉神社内 今日の写真は、昨日少し説明した本殿の東側に鎮座する「九尾稲荷神社」とその北東奥にある「殺生石」です。 「九尾の狐」(玉藻前)の平安時代の退治については近いうちに、源頼朝の那須の篠原での巻狩り(1193年)か松尾芭蕉の所縁の
那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、本殿、(那須町湯本) 今日の記事は、「平家物語」の中で那須与一が源平合戦屋島の戦い(1185年)で扇を射る際に「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明、日光権現宇都宮、那須の温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ
高館城址、大田原市大輪、川田 今日の記事は、那須与一の生い立ちと高館城址の写真です。 那須余一の出生から成人するまでに関しては、今なお不明な点が多く、むしろ謎に包まれてます。 私が源義経、那須与一、松尾芭蕉の下野での足跡を調べるのに最も信頼して利
大田原市余瀬の白旗山南東端にあたる、旧東山道沿いの「余瀬の道標」近くの「白旗城跡の説明看板」 今日の写真と記事は、東山道の関東最北の黒川駅家(うまや)の次の駅家である粟野駅家があった、現大田原市余瀬の白旗山です。 余瀬は元は旧東山道(関街道)粟野駅
弁慶下駄掛石、那須町睦家。 今日の写真は、那須町睦家にある「弁慶下駄掛石」です。 弁慶下駄掛石の伝説は、治承4年(1180年)、義経一行が旧東山道黒川駅家(現伊王野付近と推定される)から、かつて祖先源頼義が軍兵を募った粟野駅家(現大田原市余瀬)に向かう
伊王野城山公園。伊王野山城(霞ヶ城、伊王野城)跡。 今日の写真は、伊王野山城跡を公園にした「伊王野城山公園」です。 伊王野城は室町時代の長享元年(1487)に当時の領主である伊王野資清によって築かれた城郭で、これまで居城として利用した伊王野氏居館
伊王野氏居館跡(手間広場)と伊王野氏山城跡、那須町伊王野 今日の写真は、昨日の馬頭観音堂があった、伊王野氏の山城跡その1とそれ以前に約300年間平城として使われた伊王野氏の居館跡です。 1180年に義経一行が鎌倉へ向かう途中で、弁慶が昨日の馬頭観音堂で
馬頭観音堂、那須町伊王野伊王野氏山城址 今日の写真は、那須町伊王野の「馬頭観音堂」とその境内に湧き出る「判官清水」です。 馬頭観音堂は、那須町伊王野の伊王野山城跡に上る途中にありました。 那須町の義経伝説には、「東山道伊王野を義経一行が進んでいる
沓石。那須町大畑沓石地区 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、大畑地区の「沓石」と「大畑」、伊王野地区の「御幣石(おんべし)」です。 まずは、「沓石」(那須町大畑沓石地区)です。 旧東山道(義経街道)をさらに伊王野方面に向かうと、街道
「月夜見山」伝説地(那須町簑沢) 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、簑沢地区の 「月夜見山」、「具足岩・五両沢」、「矢の根石」です。 まずは「月夜見山」。 「陸奥と下野の国境の追分明神に着いたころは、もう夕もやが境内の杉木立に深くたち
追分の明神(住吉玉津島神社)、那須町簑沢追分地区。 今日の写真は、那須町の義経伝説No.1「追分明神」です。 治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際に古代の街道である東山道を通ったといわれ、
キクザキイチゲ、白河神社(白河市旗宿)Apr’2017 今日の写真は、白河の関跡、白河神社の巨木と山草の花です。 今から50年以上前に初めて訪れた時、子供だったこともあり私の白河の関の思い出に残ったのは、大木に絡みついたり、絡みついた大木を枯らして地面から
白河神社拝殿、拝殿、白河市白河市旗宿関の森 今日の写真は、白河神社です。 昨日は、源義経に関わる事跡と白河の関跡の関の森砦跡などの写真を紹介しましたが、今日はそれらを除いた写真です。 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創
「白河関跡」の石柱と白河神社一の鳥居。白河市旗宿関ノ森 源義経が兄頼朝の平家討伐の挙兵を聞いて奥州平泉を出発。古代の旧街道東山道を急ぎ鎌倉を目指しました。この時通った道は「義経街道」とも呼ばれ、道沿いには義経にまつわる地名や史跡やエピソードが今に伝わ
西行桜、法輪寺(大田原市佐良土) 今日の写真は昨日の記事の続きで、光丸山法輪寺と西行桜です。 昨日の記事の通り、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山され、本尊は釈迦三尊です。 法輪寺山門(勅額門)。 逆門建造の茅葺屋根で立額は後嵯峨天皇の
光丸山大日堂、大田原市佐良土(旧湯津上村)。 今日の写真は、「光丸山」です。 昨日の記事でも言及した光丸山法輪寺ですが、正式には「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」です。 大日如来を本尊とする光丸山と釈迦三尊を本尊とする正覚山実相院法輪寺からな