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ブログタイトル
うちの子は不登校
ブログURL
https://mamamogannbaru.hatenablog.com/
ブログ紹介文
高校一年の次女が不登校です。不登校を理解したい。寄り添える親になりたい。でもおかんの心も折れそうです。
更新頻度(1年)

3回 / 2日(平均10.5回/週)

ブログ村参加:2021/07/22

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ハンドル名
bibiさん
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うちの子は不登校
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うちの子は不登校

bibiさんの新着記事

1件〜30件

  • 親だから

    不登校が始まった次女の中学一年生9月当時、私はフルで働いていた。 次女は三人兄妹の末っ子ということもあり、私が働いている間、兄妹の誰かと留守番することが多かった。 兄妹と留守番と言っても、少し年の離れた兄や姉とずっと一緒にいるわけではなく、ほとんど次女は自宅で一人で少していたのだと思う。 その時の職場は残業続きで毎晩8時過ぎに帰ることが多かった私は、帰りが遅いことでほったらかしになる子供たちのことが気になりつつも、「大丈夫!」と笑ってくれる次女の”大丈夫”にかなり甘えていたように思う。 中学一年生といえども、人によってはまだまだ寂しさを我慢している子供もたくさんいるのだ。 フルで働いていたこと…

  • 向き合う第一歩

    高校生になって登校拒否が始まってしばらくしたとき、リビングに置いてあるタブレット(ほとんど次女が絵を描くのに使っている)の検索履歴に”発達障害”というワードがあることに気が付いた。 血の気が引くような感覚に襲われた。 私は、なにも次女のことをわかっていなかったのだ。 彼女は悩んでいたのだ。 私は、理由のない不登校は、本当は怠けているのだと、ただのわがままじゃないのかと 心のどこかで思っていた。 違った。 次女は次女なり”自分でもわからないこと”に悩んでいたのだ。 私は次女に発達障害があるなんてことは考えたことがなかった。 でもその可能性を次女はさぐっていたのだろう。 私は登校拒否を真剣に考えて…

  • 応援する覚悟

    中学時代の不登校は最長一か月で済んだ。 当時の担任の先生、保健の先生、そしてスクールカウンセラーの先生とも連携を取りながら、復帰できた。 そのあとは休んだり、行ったり、保健室登校だったり。 先生がたに支えられながら、受験も乗り切ることができ中学を卒業できた。 次女は高校に行ったら変わるんじゃないかとどこかで期待していた。 入学当初は次女本人も心が躍ったようでよく笑顔も見れたのに。 2週間経った時、高校で最初の「休みたい」が出た。 それからちょこちょこ早退する日、お休みする日が増えてきた。 不登校は6月中旬から頻繁になっていった。 担任の先生に毎朝電話を入れる。 そんな日が続いた6月下旬、担任の…

  • 夏休みが始まる。

    今日は一学期の最終日、次女の高校の終業式だった。 昨晩は 「いかなあかん」 と、意気込んでいた次女。 担任の先生に頼まれていたものを渡すためだった。 今朝、とりあえず次女の部屋に彼女を起こしに行った。 あくまでも期待はしないようにして。 やんわりと「今日はどうする?」と聞いた。 次女は眠い目をこすりながら 「ごめん、いかへん。」 と言って泣きそうな顔で私を見た。 私は「はいよ。」と軽く返事をしてキッチンに戻り、旦那と自分の朝食の準備をした。 今日は返事をするのが精いっぱいで明るく笑ってあげられなかった。 もう私も限界が来ていたから。 そう、うちの子は不登校。 それは中学時代から始まった。 そん…

  • 始まりは始業式。

    次女の不登校は中学一年の夏休み明けから始まった。 9月1日、二学期の始業式の日だ。 いつも通り次女を起こし、朝食を済ませた。 次女が家を出る時間までいつもだいたい30分の余裕はある。 でもその30分がいつもと違ったのだ。 朝、起こした時は少し元気がないかな?久しぶりの早起きだからかな? くらいの気持ちだった。 ちゃんと朝食も完食した。 いったん部屋に戻り、制服に着替えて降りてきたものの視線が合わない。 次女はずっと下を見ていた。 体調が悪いのかと思っていたとき、次女が突然ポロポロ涙を流しながら 「休んでいい?」 と口を開いた。 私は驚いて しんどいん? 何かあった? 誰かにいじめられてる? い…

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