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毎日(朝・晩)坐禅を自宅でして、師事した西嶋先生の「中論」を紹介しています。

悠村隆道
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2021/05/22

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  • 中論・2-1頌 行くことに関する追憶、想像、認識と行くという現実の行い

    第一頌 行くことに関する追憶、想像、認識と行くという現実の行い西嶋先生の訳「行った」(という追憶)が実際に行くことはないし、それと同じように「まだ行っていない」(という想像)が実際に行くということも決してない。「行った」(という追憶)とか「まだ行っていない」(という想像)とは別の「行きつつある」(という認識)も実際に行くということがない。中論を勉強しています「行った」という記憶は現実の行いの「行く...

  • 中論・第二章「行った」、「まだ行っていない」に関する検証

    第二章 「行った」、「まだ行っていない」に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です。 第二章では、仏教哲学の一つの基準である二種類の異なった哲学が、「行く」という極めて単純な現実の行いを例にとって、説明されている。 二種類の異なった哲学とは漢訳の言葉で表現するならば、真諦と俗諦との二つである。一般的にいうと俗諦の哲学は欧米の哲学の中では非常に発達し、われわれ人類はその恩恵を言葉では表現できない程大量...

  • 中論・1-14頌 結果と確かな事実(2)

    第十四頌 結果と確かな事実(2)西嶋先生の訳したがって結果は確かな事実を破壊する力もなければ、確かな事実以外のものを破壊する力もない。結果は存在するものではないという考え方を否定した場合、確かな事実と不確かな事実とが混然一体となった現実の世界を、一体何処に発見することが出来るであろう。中論を勉強していますしたがって結果と云うものは実在しないので、結果によって確かな事実は否定されないし不確かな事実さ...

  • 中論・1-13頌 結果と確かな事実(1)

    第十三頌 結果と確かな事実(1)西嶋先生の訳結果は確かな事実に障害を与えるけれども、さまざまの確かな事実は、さまざまの惨めな事物を破壊して行く。結果はさまざまの惨めな状態の中に包まれているものであるけれども、それが確かな事実を破壊するということが、どうしてあり得よう。中論を勉強しています結果が実在すると錯覚してしまうと確かな事実さえもゆがめてしまう、しかしたとえ結果によってゆがめられた様に見える様...

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