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毎日(朝・晩)坐禅を自宅でして、師事した西嶋先生の「中論」を紹介しています。

悠村隆道
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2021/05/22

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  • 中論・27-26頌 現実の世界と時間系列

    第二十六頌 現実の世界と時間系列西嶋先生の訳自分が現実の世界に接近することによって、一箇所に限定された現実の事態が、同じように接近して来るというような(時間系列の中における)事態はあり得ない。たった一つの場所に限定されている現実の事態が、さらに接近するというようなことがないという判断は、決して拘わった判断ではない。中論を勉強しています我々が現実を知ろうとする事によって、たった一箇所に限定された現実...

  • 中論・27-25頌 現実の世界と永遠

    第二十五頌 現実の世界と永遠西嶋先生の訳終末を持つ可能性がたった一つの(具体的な現実の)場所に限定されている場合には、(そのような現実的な見方から)逆にそのたった一つの場所が正に終末を持つ可能性のない(永遠の瞬間における)存在であると考えることも出来る。終末を持つ可能性があると考えることは、恐らく(現に)終末を持っていないという事実を示すものであろうから、この地上世界は決して拘束された世界ではあり...

  • 中論・27-24頌 現実の世界と終末

    第二十四頌 現実の世界と終末西嶋先生の訳好ましい事実が先行していない場合には、自分にとっても何かを得る機会が現れて来るとは限らない。五蘊と呼ばれる集合体がその五蘊と呼ばれる集合体自体に依存して、さまざまの事物を存在させているのであるから、そこにおいてはこの地上世界が現実に終末を持たない現在の瞬間として捉えられる可能性もある。中論を勉強していますすでに存在するものがある。もしもその事が好ましい事実で...

  • 中論・27-23頌 現実の世界と終末に似た状態

    第二十三頌 現実の世界と終末に似た状態西嶋先生の訳さまざまの好ましい事実が先行している場合でも、自分にとって何かを得るさまざまの機会が現われて来るとは限らない。五種類の集合体そのものが五種類の集合体を作り出している事態が、明々白々としたこの世の中の実体であり、そのような状況の中ではこの地上世界も、終末に似たものとして存在することが可能である。中論を勉強していますすでに存在するものがある。もしもその...

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