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毎日(朝・晩)坐禅を自宅でして、師事した西嶋先生の「中論」を紹介しています。

悠村隆道
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2021/05/22

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  • 中論・27-22頌 終末を持つものと終末を持たないものとの融合

    第二十二頌 終末を持つものと終末を持たないものとの融合西嶋先生の訳(五蘊と呼ばれる五種類の)集合体から成るさまざまの事物は、断絶のない流れであるから、それは正に光りの照射を乞い願っている。したがって終末を持たないように見える性質も、終末を持つように見える性質も、共に何かに拘束されてしまっている。中論を勉強しています五蘊と呼ばれる様々の事物から成り立っているこの世の中は絶え間ない流れの様である、その...

  • 中論・27-21頌 現実の世界以外の世界の不存在

    第二十一頌 現実の世界以外の世界の不存在西嶋先生の訳有限の性質を持ったものがこの地上世界であるとしても、おそらくこの地上世界以外の世界の存在するということがどうしてあり得よう。現に有限の性質を持たないものが、この地上世界であるとしても、この地上世界以外の世界が、どうして存在するということがあり得よう。中論を勉強しています我々が日々生活しているこの地上世界が有限の性質を持ったもので成り立っているとし...

  • 中論・27-20頌 永遠と永遠でないものとの合一

    第二十頌 永遠と永遠でないものとの合一西嶋先生の訳永遠なものが全く実在していない場合には、永遠でないものが一体どのようにして存在するということがあり得よう。永遠なものも永遠でないものも両方とも、正に隠されていて眼では見えないものである。中論を勉強していますもしもこの世の中に永遠なものが全く実在していないと言うならば、一体どうして永遠でないものがこの世の中に存在すると言う事があり得るだろうか?我々が...

  • 中論・27-19頌 現実世界の不可説性

    第十九頌 現実世界の不可説性西嶋先生の訳何かが何処からともなく到来し、また何かが何処へともなく去って行く。したがって無限の過去からの存在が正に日常生活における浮き沈みである場合には、恐らく具体的な事物が実在するということでは決してないであろう。中論を勉強しています言葉では表現できない何かが何処からともなくやって来て、その言葉では表現できない何かがまた何処へともなく去って行く。もしも無限の過去からの...

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