巨大な二枚貝が、台所にいた。 子供の頃・・僕が3歳か、それ未満のときか・・ 台所は家の北に位置していて、日当たりが悪く、昼でも暗く、その暗い台所の食卓の隣の台の上に、その貝はいた。 黒くて・・形はハマグリで、上から見ればA4ノートパソコンサイズ、ぐらい。 大きな貝だな、と思っていた。貝は水の中にいなくても大丈夫なんだ、と思っていた。この貝、いつ食べるんだろ、と思っていた。 暗い昼の台所で、そのとき僕は一人で、貝を触っていた。 貝の口を触っていると、貝が口を開いて僕の右手の人差し指を挟んだ。 「痛い!」 僕は叫んだ。泣きながら叫んだ。母親がこの窮状を見て、僕を助けてくれるのを望んでいた。しかし、…
人は洗剤で、だいたいの人が洗濯をする。汚れと衣類を分離するためだ。分離された汚れは水とともに排水溝から流れていく。洗剤が剝ぎ取られた衣類はきれいだが、その「きれい」は汚れる可能性を持った「きれい」なのだ。 きれいな衣類は汚れることを求めながら、箪笥の中にしまわれている。 きれいな衣類は自ら汚れることができない。 人は自ら汚れることができる。じっとしてても汗が出て、臭いに覆われる。 もう、何年前になるのだろう・・現在、高層マンションの建設を巡って、その建設予定地に住む住民が、このマンション建設に合意して後、建設されたマンションに居住することにすべきか否か、悩んでいる、そんな悩みの地となってる東京…
昨日、テーブルの上に皿。 皿には豆を抜かれた枝豆のさやがてんこ盛り。僕が知らない間に、枝豆は完食されていた。 僕の家の道を挟んだ向かいは畑で、その畑の持ち主さんが、昨日枝豆を届けてくれたらしい。おそらく女房は、その枝豆を早速ゆでてテーブルに出し、子供たちと食べたのだろう。 大量のさやを見て、僕は子供と女房の胃のなかに収まってる豆がまだ、さやに包まれていた状態を思い浮かべた。そして、それを食べた。 畑の持ち主さんは、これまでも何度か、枝豆を届けてくれている。その、以前に届けてくれたものを食べたときと、想像のなかで食べた枝豆は、同じ味だった。 ごちそうさまでした。 昔、よく使っていた蕨駅、その駅の…
だいたい毎日、小学校からの帰宅の道は、校門を出てからしばらくすると、僕はもよおしはじめて肛門を絞るのだった。家が近づけば近づくほど、ウンチを我慢するのに結構、必死になっていた。 僕が住んでいたその実家には、僕の先祖がその場所に住むようなる前から「地先祖様」と呼ばれる石碑が立っていて、その石碑の由来は、親も知らなかった。 石碑の裏側には僕の家の苗字と同じ苗字の名前が刻まれているのだが、その名前の主が誰なのか、分からないのだった。 父はその石碑の位置を、何かの都合で移動したことがあったらしい。そうしたら、営んでいた事業、その中で、事故が続いたらしい・・で、石碑を元の場所に戻したら、続いていた事故は…
あれは、夜だった。幼稚園に入園するよりも前の、幼児な僕だった。 学年で4つ離れた弟は、まだこの世にいなかった。 その時僕は、川の字に敷かれた布団のひとつに、仰向けで寝ていた。布団に入っているのは僕だけだった。部屋の電気は消されていたが、襖で隔てられた隣の部屋の電気はついていて、その襖は少し、開いていたから、暗いけれど、一人で寝ていても安心できる程度の暗さだった。 寝ていた部屋も隣の部屋も、和室だった。 目は開いていた。 たぶん、暗くてうっすらとした天井の模様でも、じーっと眺めていたんだと思う。僕は寝床に入ると、天井を眺めるのが好きだった。天井を眺めるために、寝床に入る・・そんな感じの就寝前の日…
「ブログリーダー」を活用して、あるはんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。