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  • テールライトを見送って。

    (ミスト・ステーション@電鉄富山駅)道床に引かれた配管から霧状の水が撒かれている電鉄富山の駅。冬の間はこうやって積雪を防止するようだ。「水を撒く」というのは、古くから使われている積雪防止の方法ですけれども、ずーっと流しっぱなしにしていると水道の料金ってどのくらいかかるもんなんですかね。そうそう、雪国って道路にもセンターラインの穴から水が飛び出してくる消雪パイプなんかが設置されているところが多いですけれども、あれも水源が地下水なんで、消雪用の地下水のくみ上げをし過ぎて地盤沈下が起こった・・・なんて話もあったりしますが。巻き上げた雪がこびりついた60形がゆっくりとホームに入線。駅の高架化を前に、現在の仮設のホームに移転してもう2年ほどになりますか。電鉄富山駅の立体化事業は稲荷町~電鉄富山間の700mに総工費2...テールライトを見送って。

  • 冬の立山、曼荼羅の世界へ。

    (夜汽車は山へ@立山線車内)夕暮れの岩峅寺から、ほんの僅かな乗客を乗せて山へ向かう60形の立山行き。車窓に広がる岩峅野は雪に覆われて、車内の蛍光灯から漏れた灯りに跳ね返ってほの明るい。押し黙ったように佇む冬の立山山麓の家々、雪は止んだとはいえ何とはなしのもの寂しさが残る。転換クロスの背摺りをバタンと倒して自分だけのくつろぎコーナーを作って準備は万端。車両の揺れと呼吸を合わせながら、こぼさないように岩峅寺の駅の自動販売機で購入した缶コーヒーのプルタブをパキリと開ける。ぼんやりと流れて行く景色を眺めるこういう時間。列車はやはり乗ってこそ、である。横江、千垣、有峰口、本宮。本宮から先、立山までの4.8kmは、地鉄の中では一番駅間距離の長い区間になります。窓の外は漆黒の闇・・・というにはやたらと明るいのは、窓の高...冬の立山、曼荼羅の世界へ。

  • 殖産興業、扇の要の駅で。

    (立山社檀、雪積む駅に@岩峅寺駅)黒部川の作った平野から、谷を伝って宇奈月へ。常願寺川の作った平野から、谷を伝って立山へ。富山の二つの大河は、地鉄電車とは切っても切れない関係性にあります。黒部川も常願寺川も、北アルプスの山々から流れ出た土砂で大きな扇状地と平野を形成していますが、常願寺川の作った扇状地の要に当たるのがここ岩峅寺の駅。滑川から扇状地の縁を通ってやって来た立山鐵道と、富山から神通川との平野の境目をなぞるようにやって来た富山県営鉄道の路線がここで交わります。今の不二越・上滝線の始祖である富山県営鉄道は、常願寺川の電源開発による殖産興業と治山治水の重責を担って建設された「富山市ヨリ上滝ヲ経テ藤橋(立山)ニ至ル」鉄道のこと。現在でも市電・地下鉄などに市営鉄道(交通局)は残っていますけど、国鉄やJRを...殖産興業、扇の要の駅で。

  • 翁に尋ねしレールの先に。

    (雪の立山、轍を踏んで@千垣駅)横江から千垣へ、一駅歩みを進めただけで、雪は深くそして激しさを増してきた。雪の行軍、轍を踏んで・・・ではないが、さきほど薄日の差した鋳物師沢で眺めたレッドアローがイカついライトを光らせながら山を下りて来た。雪が凄いと見えて、定刻から5分程度の遅れ。ここまで雪が降ってしまうと、列車の音などは全く聞こえない。放送が入る訳でもないので、よく目を凝らしていないと気付かないうちに電車がやって来る。それにしても、雪の中で雪をずっと見ているのは案外目に来るもので、なんというかこう・・・目がシパシパしてくるね。実際、スキー場などでずっと雪の照り返しを受けていると、雪焼けもそうなんだけど目が紫外線にやられてしまうことがあるらしい。そういうのを「雪目(電気性眼炎)」というのだそうだが。そして、...翁に尋ねしレールの先に。

  • 危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

    (厳冬・地鉄の深奥へ@横江駅)岩峅寺から先、アルペンルートが閉ざされた時期の冬の立山線は、僅かながらの沿線住民の利用と、これも僅かながらの立山山麓スキー場の利用客を運ぶだけの静かな車内となります。静かに雪の降る午後の横江の駅。鋳物師沢では一瞬の晴れ間があったけれど、岩峅寺で曇り始めて、横江では小雪。だんだんと山深くなっていく立山線、一駅ごとに気象条件が変わって行くのは黒部線と同じ。何年か前に補修工事をしていたかと思うのだが、その効果はあまり続かずまた草臥れた雰囲気の色濃くなってきた横江の駅。床には枯葉が吹き込み、ベンチに土埃がそのままになっていて、待合室の中とかも荒れ気味。うーん、管理状態が悪くなっているのは気がかりですね。たまたまなら仕方ないのだけど。山行きの電車は60形のカターレ富山号。草臥れ状態の駅...危機はいつでも、音もなく忍び寄る。

  • 富山の沃野、雪に眠る。

    (束の間の青空@釜ヶ淵~沢中山間)大雪の黒部平野から大きく場面転換して、常願寺川が作り出す富山平野へ。この日の午後は立山線を狙いに行きました。お馴染みの鋳物師沢の陸橋。このポイント、陸橋の下にクルマを置けるスペースがあるのだが、そこには農家さんの農機具が置かれていた。冬の間、陸橋の下は農機具を雪から守るための車庫代わりになっているらしい。駐車スペースまで入る細道が除雪されてなかったらどうしようかなと思ったのだが、何とか道は通じていて一安心。もう何度となく立った陸橋のお立ち台は、遠く富山湾を見晴るかす眺望が売り。春の田植えと早苗の頃、夏の青々とした田園風景、初秋の黄金の稔りと季節ごとの顔がありますけども、この時期は一面の雪野原で、またひときわ美しいですねえ・・・。この雪が表土を守り、土壌を潤し、低温下で雑菌...富山の沃野、雪に眠る。

  • 「雪に強い」が強みのはずで。

    (新幹線の隣りの駅@舌山駅)新黒部の駅からおよそ東に400m、舌山の駅。どこか北海道を思わせる風貌の、アイスグリーンに塗られた古風な駅舎。舌山駅には、駅の隣りに農協と農業倉庫があって、その倉庫への荷捌きや荷下ろしのために大きな広場があるんですが、その広場もすっかりが雪に埋もれている。かつては黒部平野で収穫されたコメや農産物をここに集めて、貨車で運び出していたのでしょう。地鉄の貨物取り扱いが終了したのは1983年(昭和56年)のこと。国鉄によるヤード系集結輸送の廃止とほぼ同時だったんですね。この翌年に、国鉄は1両1両の貨車を方々から操車場に集めて貨物列車に仕立てるようなまだるっこしい貨物輸送の方式を全廃し、現在のコンテナ方式による拠点間一括輸送に舵を切りました。日本の鉄道貨物輸送にとって「1983~84年の...「雪に強い」が強みのはずで。

  • 吹雪の中で捕まえて。

    (雪の雷鳥、羽搏く@浦山~栃屋間)鉛の空はその色を増し、海の方からは大きな雷鳴が鳴り響く黒部平野。大粒の雪の礫が容赦なく体に叩き付けて、雪濡れしないようにカメラを守るのが精いっぱい。1月の津軽は雪はあったけど結構暖かかったことを思うと、津軽の仇を黒部で討たれているような思い。正直、この視界でもあるし、接近音は雪に吸われてしまうし、ということで安全のため踏切の近くに陣取った。線路際に除雪で出来た雪山に雪踏みをして足場を付けて、何とか撮影を試みようとカメラを構える。通過時刻を過ぎてもやって来ぬ列車、コートの中に隠したカメラは割と外気との気温差でレンズが曇ってしまうことが多いので、暴風雪の中でもしっかりとレンズを拭いて待ち構える。雪にAFが引っ張られるのが嫌なので、ここは丁寧に置きピンをしてAFを切った。手持ち...吹雪の中で捕まえて。

  • 雪国暮らしも楽じゃなし。

    (白き大地に降り立てば@下立駅)この日は、寒気の入り込みによって大雪の予報が出ていた北陸地方。朝方はさほどでもなかった雪は、時間が経つごとにかなり激しさを増して降り続き、辺りを白く染めて行きます。あまり撮影したことのなかった下立の駅。山裾に片面一本のホームが設置された小駅ですが、駅から徒歩圏内に道の駅があったり(道の駅宇奈月)、かつては中学校があったりと、宇奈月町の主要施設の最寄り駅でもありました。まあ、それにしても雪が激しい。容赦なく降る雪をすっぽりとコートのフードをかぶってやり過ごしながら待つこと暫し、やって来た電車は元東急の17480。東横線の急行として渋谷と桜木町の間を闊歩している時に、こんな第二の人生があることを、果たして想像していたのだろうか。「寒い。渋谷に帰りたい。」雪国暮らしも楽じゃなし。...雪国暮らしも楽じゃなし。

  • 黒部谷、一駅ごとの雪深き。

    (雪深き黒部谷に佇む@内山駅)遥か北アルプスの山々から流れた土砂によって堆積し形成された黒部平野。そんな沃野を走って来た地鉄本線は、愛本から黒部谷に続く隘路を登って行きます。内山地域は、宇奈月に続く道の途中にある小さな集落で、地鉄の駅は県道を降りて消雪パイプの取り付けられた道を行った集落の一番奥にある。駅前広場とは言えない程度の小さな車寄せから十数段の階段を上がれば、少し大きめの待合室を持つトタンの駅舎が。平成初期は一日500人程度の利用があった駅ですが、現在は150人程度。黒部鉄道が通じて宇奈月に集落が形成されるまでは、この内山の集落が黒部谷の最後の集落であったそうで。現在は黒部市の一部分に取り込まれてはいますが、ここはかつての宇奈月町内山。黒部川沿いの街は、現在小学校・中学校があるのが浦山。以前は愛本...黒部谷、一駅ごとの雪深き。

  • ふたたび、みたび、ゆきのなか。

    (雪の中へ@白馬五竜交差点)今年は雪の当たり年。年末に南会津、そして1月に津軽でガッツリと雪遊びをして、そうなると2月はどこへ行く・・・ということで、無難に(?)三連休で富山に行ってきました。自分のクルマのスタッドレスも、そろそろこのシーズンでおしまいかなあ、という気もしてましたのでね。今回は宿泊なしの0泊3日、深夜に家を出て下って行く中央道。月明かりに冴える八ヶ岳を眺めながら最後までルートの選定は思案投げ首だったのですが、高低差のある安房峠経由は避けて安曇野ICから白馬回りで行ってみることに。雪道で、平湯から先の下り勾配が嫌だったってのもあったんだよな。北陸方面は大雪が予想された白馬回りは、大町市に入る手前の松川辺りから小雪が舞い始め、大町から北は完全なる降雪。佐野坂あたりから先はモリモリ道路脇の雪が高...ふたたび、みたび、ゆきのなか。

  • 冬は津軽、冬こそ津軽。

    (春節の賑わい@中央弘前駅)学生たちの帰宅電車で中央弘前に到着した私を待っていたのは、春節なのか日本旅行においでなすった中華系の団体客。いわゆるインバウンドというヤツが、こんな雪の弘前にまでやって来るとは驚きだが、どうもあちらの中華系の方々は「雪」を見ることが少ないのだとか。流暢な日本語を話すガイドが弘南の駅員さんと喋っていたのだが、どうやら次の電車は後方の1両がこのお客さんたちの貸し切りになるらしい。正直、この返しの電車で大鰐まで静かに一往復してこの旅の最後にするつもりだったのだが、なんだかアテが外れてしまった。いや、勿論インバウンドだろうと何だろうと大鰐線に客が乗って収入になることは何よりのことであるが、そこはそれ、マニアというのは基本、自分勝手なものだから。先にインバウンド客を後方の車両に誘導してか...冬は津軽、冬こそ津軽。

  • 指折り数え行く日々を。

    (シュプール描いて@鯖石~石川プール前間)バックに大鰐温泉スキー場がばっちりと入る、石川プール前のストレート。5年前の冬に訪れた際に、ラッセル列車を撮影した思い出の場所。大鰐線沿線に限らず、冬の雪国は「除雪している道とそうでない道」ははっきり分かれていて、当たり前ながら生活に関わらない畑の細道や行き止まりの道は除雪対象から外されて春までそのままなのだ。石川プール前のストレートは、清掃工場の道に続いていて、ちょうど撮影する場所までが除雪されているのは前と同じだった。山の上に大きな宿泊施設か、ロッジが見える大鰐温泉スキー場は国内屈指の学生スキーのメッカですが、スキー需要も縮小傾向かつ施設整備に費用がかさむこともあり、一部コースは営業を休止中。高度経済成長期に日本中で行われたスキー場開発とゴルフ場開発、ともにレ...指折り数え行く日々を。

  • 津軽を喰らう、これが弘前の台所。

    (弘前の台所@虹のマート)岩木山神社へのお参りを終えて、弘前市街に戻って来ました。これから大鰐線の午後の撮影に向かう前に、少々腹ごしらえ。弘前バスターミナルの前にある「虹のマート」。食料品を中心に色々な店が入る市場のようなマルシェ形式のような、そんな地元密着のマーケットです。方々へ出かけて行くにつれ、最近俄然興味が出て来たのが「その地域に根差した地元のスーパー巡り」。駅の物産館やサービスエリアの「お使い物」のお土産じゃなくて、地元資本のスーパーで地元の人の中で流通するような「普段使いのアイテム」を拾うのは楽しいもの。最近は素泊まりの旅館に宿泊して、風呂に入ってのんびり地元スーパーで調達したツマミで一献傾けるのが好きなスタイルになって来た。もちろん1泊2食の上げ膳据え膳もいいんだけど、どうしてもカメラを抱え...津軽を喰らう、これが弘前の台所。

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