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勝鬨美樹
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2020/12/27

  • パリ・マルシェ歩き#26/マルシェ・シャロンヌ

    https://www.youtube.com/watch?v=vL-GrZmLpvA ペール・ラシェーズ墓地の長い壁に沿ってメニルモンタン通りを歩いた。 それでマルシェ・デ・シャロンヌMarché Charonneの手前。地下鉄Alexandre Dumasがある交差点で「悪い。先に見てみたいところがあるんだ。寄り道したい」と言う、と嫁さんは「はいはい」一つ返事。交差点を右に曲がった。 「この先に、シャロンヌ村の中心にあったサンジェルマン・シャロンヌ教会Église Saint-Germain de Charonne(4 Pl. Saint-Blaise, 75020 Pari

  • パリ・マルシェ歩き#25幕間/ペール・ラシェーズ墓地

    https://www.youtube.com/watch?v=DJYLW7blG7s リュパブリック通りからメニルモンタン通りに入ると左側にペール・ラシェーズ墓地の壁がしばらく続く。 「どのへんが銃殺のあった壁の後ろなんて言わないでね」 「はい。 「それにしても大きい墓所なのね」 「1804年に設立された。命令したのはナポレオン・ボナパルトだ。ナポレオンはまだ皇帝と宣言していなかった、執政官だった。彼はこの年にパリ市内で新しい墓地を作ることを禁止したんだよ」 「あらま」 「欧州人は死者を燃やさない。土葬だったからな。墓地は疫病発生源になる。ナポレオン・ボナパルトは、パリの外辺部

  • パリ・マルシェ歩き#24幕間/ペール・ラシェーズ墓地連邦壁で起きた銃殺

    朝早く起きて、レピュブリック通りを北へ歩いた。今回借りたメゾネットのアパートの傍にBoulangerie Pâtisserie & Café Maison Le Lidec(92 Av. de la République, 75011 Paris)というパン屋がある。 https://www.facebook.com/boulangerieauxdelicesdelolo/ ここで上等なカフェオレと美味しいパンを頂いた。 「オスマン男爵はレピュブリック通りRue de la Républiqueを、レピュブリック広場Place de la Républiqueとペール・ラシェー

  • パリ・マルシェ歩き#23幕間/ナポレオン三世の夢と挫折

    11 区、レピュブリック通りは四階建ての建物が整然と並んでいる住宅街だ。ここにショートスティのアパートを見つけた。 https://www.abritel.fr/ パリは僕の趣味も有ってモンマルトルに泊ることが多い。飽いたときはマレだ。ここのアパートを探したのはベルヴィル公園Parc de Belleville近く19区と20区に挟まるエスニックなパリを歩きたいと思ったからだ。 メニルモンタンにあるアルジェリア料理の店La table de yemma(115 Bd de Ménilmontant, 75011 Paris)で食事したときに嫁さんに言った。 http://latable

  • パリ・マルシェ歩き#22/マルシェ・ビオロジック・ブランシー02

    マルシェ・ビオロジック・ブランシーが開催されるコンスタンタン・ブランクーシ広場Place Constantin Brancusiは周囲に素敵な店が多い。 ➀Awabi(33 Rue de l'Ouest, 75014 Paris) http://awabi14.fr/ ②EL BIEZO BODEGA(33 Rue de l'Ouest, 75014 Paris)総菜 https://www.facebook.com/ElBierzo75014/?locale=fr_FR ③Alchimie(33 Rue de l'Ouest, 75014 Paris)パイプ・バー http://al

  • パリ・マルシェ歩き#21/マルシェ・ビオロジック・ブランシー

    https://www.youtube.com/watch?v=2Ucm69pJE6E 天気の良い土曜日の朝、マルシェ・ビオロジック・ブランシーへ出かけた。 地下鉄G13番Gaîtéから地上に出ると目の前はメーヌ通り。いつもながら初めての街へ地下鉄で向かうと、自分が自分が何処にいるかわからなくなるんだけど、ここはG13番Gaîtéの前を走るメーヌ通りが目印。モンパルナスタワーの横下を走るメーヌ通りはこのあたりから地上に戻るので、これを目当てにするといい。その、上ってきてる道と反対を歩くと、ジャン・サイ通りRue Jean Zayとの交差点にぶつかる。左側にあるのがモンパルナス墓地

  • バイデンは誰を後継者として指定するか?

    先走り予想(結構よくあたってマス) バイデンが後継者として指名する議員 ➀Peter Paul Montgomery Buttigieg https://x.com/PeteButtigieg ➁Gretchen Esther Whitmer https://x.com/gretchenwhitmer ③Alexandria Ocasio-Cortez https://x.com/AOC 新しいヒラリーを求めて➁③を選ぶ可能性はあるしかし妥当なのは➀かな。 ピート・ブティジェッジは現在、アメリカ合衆国運輸長官を務めている。2020年の民主党大統領予備選に出馬した。予備選の後半で撤退

  • パリ・マルシェ歩き#20/マルシェ・クベール・シャペル04

    マルシェ・クベール・シャペルの横をオリーブ通りという歩行者専用道がある。僕らはその通りを挟んだ前にあるLe Commerce(11 Rue de l'Olive, 75018 Paris)にいた。外のテーブルは皆マルシェの帰りに寄った人たちばかりだた。観光客は僕らくらいなもンだった。 「この通りはマルシェ通りというんだ。パリ革命で焼失するまでは、Rue Marx DormoyとBoulevard de la Chapelleのところにサンドニ礼拝堂Chapelle Saint-Denisというのが有った。この礼拝堂からサンドニ市にあるサン=ドニ大聖堂Basilique Cathédra

  • パリ・マルシェ歩き#19/マルシェ・クベール・シャペル03

    「新しい千年紀に入るころから、世界は小氷河期に進み始めた。 なぜ天候不順が深刻な影響を起したか?灌漑技術を確立したことでヒトは穀物に頼る生活になっていたからだ。 文化も文明も、すべてが穀物の上に成り立っていたからだ。 切れることなく続く天候不順は、この構造を機能不全に落とし込んだ。 この天候不順は900年代後半からはじまり、農作物は枯れ、飢饉が連年蔓延した。そのため民は出口のない迷宮に追い込まれていたんだ」 「それで十字軍なの?」 「ん。最初の十字軍を組成したのは、今のままでは餓死する人々の集団だった。彼らは修道士ピエール・ルルミットPierre l'Ermiteの扇動に載せられて『神

  • パリ・マルシェ歩き#18/マルシェ・クベール・シャペル02

    マルシェ・クベール・シャペルMarché couvert La Chapelleの前身はとても古い。1100年代からだ」 「へぇ、レ・アルと同じくらい古いのね」 「ん。いまの中央市場になるレ・アルLes Hallesは1137年にフランス国王ルイ6世の命令で始まったものだ。そしてパリ北東部で始まったのがレンディエット市場Foire du Lendit。これが今のクベール・シャペルの前身だ。成立年はおそらく近しいと思う」 「なぜ二つもマルシェがあったの?」 「パリも当時の都市と同じように城壁に囲まれていた。パリは845年にノルマン人・ラグナル・ロズブロークRagnar Lothbrokの

  • パリ・マルシェ歩き#17/マルシェ・クベール・シャペル01

    https://www.youtube.com/watch?v=2kazuxPVZis マルシェ・クベール・シャペルMarché couvert La Chapelle(10 Rue de l'Olive, 75018 Paris:Open Tuesday and Saturday 9:00 to 20:00,Sunday 8:30~13:30)は、18区オリーブ通りにある屋根のあるマルシェだ。地下鉄は12番Marx Dormoyと2番La Chapelleが近い。地理的には、北駅と東駅に挟まれた所だ。 モンマルトルの丘の麓を走るクリシー通りをBvd. Coccinelleを東に

  • 150年ぶりに銀が債権化された

    https://www.kitco.com/news/article/2024-06-20/monetary-metals-offers-silver-bond-first-time-over-150-years Monetary Metals offers a silver bond for the first time in over 150 years The Kitco News Team brings you the latest news, videos, analy www.kitco.com 150年ぶりに銀の債権化が起きた。音頭を取っている

  • パリ・マルシェ歩き#16/マルシェ・サックス・ブルテュイユ02

    https://www.youtube.com/watch?v=MRzfN0I0BqE 「Avenue de Saxeの工事は、ナポレオン三世統治時代の最後に始まった」 「ん?マルシェを始めたのは第三共和政府だけど、サックス・ブルテュイユ通りを作ったのはナポレオン三世だったということ?」 「ん。しかし建設中に彼は失脚してしまった。後を継いだのは第三共和政府の連中だ。サックス・ブルテュイユ通りは、二つの政府の狭間域に作られたものだ。・・ところで。1871年に何があった?」 「パリコミューンでしょ。2か月続いたコミューン政府。モンマルトルの1871年3月18日から5月28日のこと、何

  • パリ・マルシェ歩き#15/マルシェ・サックス・ブルテュイユ

    Avenue du Président Wilson周辺には多くの秀逸なレストランがある。名前を挙げると ➀Monsieur Bleu(20 Avenue de New York, 75116 Paris)パレ・ド・トーキョー内にある。モダンフレンチな店。 ➁Shang Palace(10 Avenue d'Iéna, 75116 Paris)特徴: シャングリ・ラホテル内にある。チャイニーズ広東料理。ミシュラン一つ星。 ③La Table du Palais Royal(110 Galerie de Valois, 75001 Paris)パレ・ロワイヤル庭園内にある>。トラッ

  • パリ・マルシェ歩き#14/マルシェ・デ・プレジデント・ウィルソン02

    https://www.youtube.com/watch?v=vq8q8GQfVh0 マルシェ・プレジデント・ウィルソンMarché Président Wilson (Avenue du Président Wilson, between rue Debrousse and Place d’Iéna, 75016; Open Wednesday and Saturday 7:30 a.m to 2:00 p.m)は、いつも地下鉄9番イエナ駅Iénaから向かう。外へ出るとイエナ広場だ。広場の真ん中に、馬上で手に持った剣を振り上げている男の銅像が建っている。 「だれ?あの人。ナポ

  • パリ・マルシェ歩き#13/マルシェ・デ・プレジデント・ウィルソン01

    https://www.youtube.com/watch?v=gCzIvRbqizs マルシェ・プレジデント・ウィルソンMarché Président Wilson (Avenue du Président Wilson, between rue Debrousse and Place d’Iéna, 75016; Open Wednesday and Saturday 7:30 a.m to 2:00 p.m)は、パリ16区プレジデント・ウィルソン通り、イエナ広場place d'Iénaとデヴルース通りrue Debrousseの間で開かれる。開催日は水曜日が朝7時~14時

  • パリ・マルシェ歩き#10/マルシェ・ベルヴィル01

    https://www.youtube.com/watch?v=8uSqk8bWJ-4 天気の良い午後。サクレ・クール寺院Basilique du Sacré-Cœur de Montmartreの前の広場にいた。嫁さんが東の方を見つめながら、しきりに不振がってた。 「どうした?」 「ん~探してるんだけど、ベルヴィル公園Perc de Bellevilleが見つからないわ。どうしてかしら。公園からサクレ・クールはよく分かるのに」 「お前、それ、うちのベランダから富士山はよく見えるけど、富士山からうちのベランダは見えないってるのと一緒だぞ」 「大きさがちがうでしょ!あんな

  • パリ・マルシェ歩き#12/マルシェ・ベルヴィル03

    マルシェ・ベルヴィルを見て歩いてるうちに「点心がいいわ!」と言い出した。それでそのまま思い付きでベルヴィル通りにあるプレジデントに入った。 Le Président(120 Rue du Faubourg du Temple,75011 Paris)広東料理の名店。点心がいい。 https://lepresident-paris.fr/ ここは店が大きいから、満員で入れないということはない。ただ料理を載せたゴンドラがなかなか通ってこないことはままある。点心の質はパリ随一だと思う。糯米鶏や蘿蔔糕、蝦餃を突っつきながら嫁さんが言った。 「ベルヴィルとかクロンヌって、どうしてこんなに移民の人

  • パリ・マルシェ歩き#11/マルシェ・ベルヴィル02

    マルシェ・ベルヴィルはパリで一番異国間の漂うマルシェだ。火曜日と金曜日が開催日だ。 Marché Belleville (boulevard de Belleville 75011; Open Tuesday and Friday 7 a.m to 2:30 p.m) おそらくパリ市内にあるアジア/中東系のレストランは、全員此処へ仕入れに来てるのではないか?という雰囲気がするマルシェである。外国産のハーブやスパイス、手に入りにくい野菜や果物が所狭しと並んでいるのだ。 最寄りの地下鉄は2番クロンヌCouronnes。駅を出るとマルシェが開かれている幅広いベルヴィル通りBd de Bel

  • パリ・マルシェ歩き#10/マルシェ・ベルヴィル01

    https://www.youtube.com/watch?v=8uSqk8bWJ-4&t=27s 天気の良い午後。サクレ・クール寺院Basilique du Sacré-Cœur de Montmartreの前の広場にいた。嫁さんが東の方を見つめながら、しきりに不振がってた。 「どうした?」 「ん~探してるんだけど、ベルヴィル公園が見つからないわ。どうしてかしら。公園からサクレ・クールはよく分かるのに」 「お前、それ、うちのベランダから富士山はよく見えるけど、富士山からうちのベランダは見えないってるのと一緒だぞ」 「大きさがちがうでしょ!あんなに高さのある丘だから見える

  • パリ・マルシェ歩き#09/マルシェ・シュル・ロー

    https://www.youtube.com/watch?v=z2ygvulvUIQ 僕が大好きなサン・マルタン運河Canal Saint-Martinは、東駅の右側でウルク運河Canal de l'Ourcqと繋がる。すぐ上がラ・ヴィレット湖である。ここを終点として、ウルク川が北東からマルヌ川に何回も隣接しながら100kmあまり流れている。起点は、エーヌ県のファルシー=トルギーFère-en-Tardenoisあたりで、ファルシー=トルギーの東側、シャンパーニュ地方だ。 このウルク川は、パリがまだルテティアLutèceという名前で呼ばれていた頃から水利として利用されていた。い

  • パリ・マルシェ歩き#08/マルシェ・サン・トノレMarché Saint-Honoré

    パリ散歩の大きな指針はパサージュ巡りとマルシェ歩きだ。その二つが同時に堪能できるのが一区にあるパサージュ・ジャコバンPassage des Jacobinsとマルシェ・サン・トノレMarché Saint-Honoréを歩くこと(25年まで改装中)だ。僕は、土曜日のパリ散歩コースとして、午前中にマルシェ・サン・トノレを見た後に、ちかくで昼食を済ませてからパサージュ・ジャコバン歩きというのをお勧めしたい。 Marché Saint-Honoré(côté pair, Pl. du Marché Saint-Honoré, 75001 Paris:Open Wed.12:30 to 20:

  • パリ・マルシェ歩き#07/マルシェ・デ・ザンファン・ルージュMarché des Enfants Rouges02

    常設屋内型マルシェ・デ・ザンファン・ルージュMarché des Enfants Rouges (39 rue de Bretagne, 75003; Open Tuesday to Saturday 8:30 to 19:00 and Sunday 8:30 to 14:00)は、ざっとみて12の店舗に分かれている。 ➀Le Traiteur Marocain/モロッコ料理のタジン、クスクス、その他の伝統料理。 ➁Chez Alain Miam Miam/美味しいサンドイッチとガレットがいい。 ③La Végétalerie/ベジタリアンとビーガンの専門店。 ④L'Estamine

  • パリ・マルシェ歩き#06/マルシェ・デ・ザンファン・ルージュMarché des Enfants Rouges01

    https://www.youtube.com/watch?v=BXWXzMqi_HA マルシェ・デ・ザンファン・ルージュMarché des Enfants Rouges (39 rue de Bretagne, 75003; Open Tuesday to Saturday 8:30 to 19:00 and Sunday 8:30 to 14:00)は、マレ地区にある。シャルロット通りRue de Charlotとボース通りRue de Beauceに挟まれたブルターニュ通りRue de Bretagneだ。1628年、ルイ13世時代に創設された屋内型マルシェである。

  • パリ・マルシェ歩き#05/マルシェ・バスティーユMarché Bastille

    https://www.youtube.com/watch?v=qdM3RxlXJBQ パリに短期滞在したとき、必ず寄るのがマルシェ・バスティーユMarché Bastille(Boulevard Richard Lenoir, 75011; Open Thursday and Sunday 7 a.m to 2:30 p.m)だ。 https://www.paris.fr/lieux/marche-bastille-5477 パリ市内で一番大きなマルシェなので、何度通っても飽きない。日曜日、午前中乃至午後のパリ歩きは此処が経由地になることが多い。移動は地下鉄で降車駅は二か所。1

  • パリ・マルシェ歩き#04/ビオマルシェ・ラスパイユ

    https://www.youtube.com/watch?v=GXceSz-gPk8 パリは一週間を通して約70近いマルシェが開かれているという。すべて、地域密着型で住民の生活を担っているところばかりだ。市内を歩いていると生鮮野菜店/八百屋、鮮魚取扱店/魚屋が少ない。パリの人々はこれらをマルシェで求めるから専業の独立店舗が少ないのかもしれない。野菜や魚類はマルシェで買うというのがパリの人々の方法なんだろうね。生鮮食品以外でも、パリから遠く離れた地域の特産品、あるいは外国の食品/食材が多い。これらは定例的に定まったマーケットに出ているから、安定したニーズを持っているのだろう。

  • ロアール古城散歩/はじまりはパリから#03

    https://www.youtube.com/watch?v=ld8cLqcjUe8 日曜日はマルシェ歩きを所望したいとのことで、朝は早く起きた。食事はしない。そのまま地下鉄に乗った。 地下鉄は12番Rennes。駅を上がったところにビオマルシェ・ラスパイユMarché biologique Raspail(Bd Raspail, 75006 Paris)がある。 https://www.paris.fr/lieux/marche-biologique-raspail-4515 このマルシェは前述したように1920年から始まっている。 ラスパイユ通りはオスマン男爵の作品だ。 彼

  • ロアール古城散歩/はじまりはパリから#02

    https://www.youtube.com/watch?v=JABOZpoBYQE Les Papilles(30 Rue Gay-Lussac, 75005 Paris)は"retrip du marché"をキーワードにしている。6皿/8皿/10皿のプリフィクス・スタイルである。料理のキャラクターは、近在の食材を多用しているので自然にイルド・フランスが主体になる。 http://www.lespapillesparis.fr/ 「ここのオーナー、ベルトラン・ブリュBertrand Bluyらしさは、パリの市場らしさなんだ。だから彼は店内で食材の販売も扱っている。それが、此

  • ロアール古城散歩/はじまりはパリから

    パリの一番大きな魅力は、フランスの郷土料理の殆どが此処で出会えることだ。NYCがどんなに凄くてもロンドンがいかほど楽しくても、そして東京でもそんなことは望めない。 僕がパリを愛する理由はこれだ。 「マルシェ・ダリグレやマルシェ・デ・アンファン・ルージみたいなマルシェに行くでしょ?そうすると、え~そんな遠い所から来てるの?という生産者がいるじゃない?アレってホントにすごいと思う。パリには地方の食材を買う人たちがとっても居るということなのね」 僕らはゲイ・リュサック通りRue Gay-Lussacにあるル・ビストロ・レ・パピーユLes Papilles(30 Rue Gay-Lussac,

  • 夫婦で歩くサンテミリオン歴史散歩: ポムローヌ/リブリヌ/サルラカネダ/ベルジュラック/カスティヨン

    夫婦で歩くサンテミリオン歴史散歩: ポムローヌ/リブリヌ/サルラカネダ/ベルジュラック/カスティヨン

  • カスティヨン村最後の夜/サンテミリオン村歩き#60~おわり

    ホテルLa maison botaniqueに到着したのは夕方6時を大きく過ぎていた。チェックアウトが終わると、M氏は笑顔を浮かべた。そしてレセプションの女性に我々がサルラ・カネダから数日かけて西進する旅をしたことを話してくれた。レセプションの女性は驚嘆していた。 「また是非いらしたときはお声かけください。次回はワインではなく。カスティヨンの戦いの故事を追ってみましょう。ご案内いたします」とM氏は熱い約束を交わしたのち、去った。 「夕食はどちらかに予約されていますか?」とレセプションの女性が言った。Le Chaudron du Père Marches(18 All. de la R

  • カスティヨン07/サンテミリオン村歩き#59

    https://www.youtube.com/watch?v=ULBANDQOABs Château d’Aiguilheを出たのが16時過ぎになった。M氏のVTCは南進しD123へ向かった。 「時間が有れば近くにサン・フィリップ・デギュイユSaint-Philippe-d'Aiguille村がございますが、今日はあきらめましょう」M氏が言った。 「シャトー・デギュイユのデギュイユもサン・フィリップ・デギュイユという聖人の名前なのね。カスティヨンの村って聖人の名前が多いのね」嫁さんが言った 「そうです。使徒フィリポのことです。村の中央には聖フィリポ教会Église Saint-

  • カスティヨン06/サンテミリオン村歩き#58

    M氏が紹介してくれたレストランLa Fontaine de Manonでの昼食後、M氏は車でぐるりと工業団地の中を回った。 「此処は農業機器の団地なんですが、地ビール工場がございます。すこぶる出来が良いので、ビール党には評判です」M氏が建物を指しながら言った。「パブを併設してるので、団地で働く方が夕方から集まりますよ」 Le Bercail Bières(9 Rue de la Rhode, 33350 Saint-Magne-de-Castillon) https://lebercail-wub.fr/ 「あ。今夜ホテルで飲みたいので、買いたいです」と僕が言うと、M氏が哄笑した。 「

  • カスティヨン05/サンテミリオン村歩き#57

    https://www.youtube.com/watch?v=d1XzX1ZPDAY 農園を出て農道ベナ通りを西へ進むとサン=マーニュ=ド=カスティリョン村Saint-Magne-de-Castillonにぶつかる。道が村道へ繋がる角にサンマーニュ教会Église Saint-Magne(3 Rue de l'Église, 33350 Saint-Magne-de-Castillon)フランスが有った。 「サンマーニュ教会です。もともとは修道院で葡萄畑を守っていたようです」M氏が言った。 「サンマーニュ?聖人の名前ですよね?」 「はい。ローマ時代の殉教者のようです。アナーニに

  • カスティヨン04/サンテミリオン村歩き#56

    https://www.youtube.com/watch?v=beGEpBIkUwE Ḿ氏はそのままD936E3を北へ進んだ。ロンドル通りD936を越えて駅へ向かった。1kmくらい先の右側にLa maison botaniqueの建物が見つかった。 「民家なのかしら?ホテルの看板は無いわね」嫁さんが言った。 「昨日電話で今日の夕方には着くと話してあるんだ。到着直前にもう一度電話することになってる」 「ああそう・・」 カステリオン駅は、その先すぐそこに有った。M氏はここでも一度停まった。 「駅もお分かりですね。では、ここからChâteau Beynatへ向かいます」 クルマは駅前

  • カスティヨン03/サンテミリオン村歩き#55

    VTCのドライバーは連日M氏が担当。事前に散策コースをメールで渡すようにしている。 30分ほど前にロビーで彼とスケジュールの相談をした。 カスティヨン・ラ・バタイユCastillon-la-Batailleの村を一巡した後、サン=マーニュ=ド=カスティリョンSaint-Magne-de-CastillonにあるChâteau Beynatを訪ねる予定だ。そのあとはベルェス=ド=カスティヨンBelvès-de-CastillonにあるClos Puy Arnaudを訪ねたい。そのあいだに、食事をしたいという相談をしたら、M氏はLa Fontaine de Manonをお勧めしてくれた。

  • カスティヨン02/サンテミリオン村歩き#54

    https://www.youtube.com/watch?v=KUgv3ldRFbY カスティヨンの主なワイナリーは以下の通り Château Blanzac(33350 Saint Magne de Castillon) https://chateaublanzac.com/ Château d’Anvichar(33350 Saint Genès de Castillon) https://www.anvichar.com/ Château les Armes de Brandeau(33350 Les Salles-de-Castillon) https://www.ma

  • カスティヨン01/サンテミリオン村歩き#53

    ホテル・エピクリアルへ到着したのは18時を過ぎていた。 Logis Hôtel l'Epicurial(24 Av. de la Mairie, 33350 Saint-Pey-de-Castets) https://www.hotelrestaurantlepicurial.com/ 夕食をお願いしていたので、それを楽しんだ。大上段に構えない自然の美味しさで、大満足した。シェフが挨拶に出てくれたので、嫁さんが感激していた。食後のフロマージュとワインを楽しみながら嫁さんが言った。 「今日は、ずっとドルドーニュ川に沿ってボルドーへ向かって走ってきたんでしょ?」 「ん。ひたすら続く緩やか

  • ベルジュラック12/サンテミリオン村歩き#53

    https://www.youtube.com/watch?v=VlQoUj2Mg1Y ベルジュラックの長く広い丘は、右側にドルドーニュ渓谷を見据えて長く緩やかな斜面が続く。M氏が運転するVTCは面々と続く葡萄畑の間を抜ける狭い国道を走った。土曜日の遅い午後だ。 「ベルジュラックのAOCは、町を大きく囲ってペシャルマンpesharmantずあります。ここが一番大きいのです。そしてソーシニャックsaussugnacとモンバジャックmonbazllacがあります。何れもドルドーニュ川をわたった向こう側で、monbazllacは市内からだと南へ7km進んだところです。いまこれから向かう

  • ベルジュラック11/サンテミリオン村歩き#52

    La Tour des Vents(D933, Lieu dit, 24240 Monbazillac)のランチ食後、ガルソンにお願いしてフロマージュとシャトー・モンバジャクの白をお願いした。 「あら、珍しいわね。デザートワイン?いつも蛇足だとか、馬から落馬したようなもンだという癖に」 「そんなこたない。モンバジャック城をフランス革命から守ってくれたバカラン家に感謝して献杯しよう」 「パネルに有った人ね」 「ん。1777年にフランソワ・イレール・ド・バカランFrançois Hilaire de Bacalanがあそこを買った。彼は子爵だった。モンバジャックの市長にもなった。フランス革

  • ベルジュラック10/サンテミリオン村歩き#55

    シャトー・ド・モンバジヤックを回るのに2時間ほどかかった。ランチは少し離れたラ・トゥール・デ・ヴァンLa Tour des Ventsを一時から予約していたので、大慌てで城を出たのだが、村の中に観光センターTourism House and Wine Monbazillac(Mairie - Le Bourg, 24240 Monbazillac)が有ったので、ムリして寄ってみることにした。ホールに入ってみると、地元の生産者24人の作品がずらりと並んでいたので、とても興味深かった。いくつか試飲してみたが、素晴らしいものが多かった。 「白が多いのね」嫁さんが言った。 「モンバジャックは甘

  • ベルジュラック09/サンテミリオン村歩き#54

    https://www.youtube.com/watch?v=yQebJ417b7Y 早い朝食を済ませて町へ出た。昨日のベルジュラック市場Halle de Bergerac(14 Pl. Louis de la Bardonnie, 24100 Bergerac)へ、もう一度行ってみようと思ったからだ。土曜日は朝7時からやっているとのこと。ついでにその先にあるノートルダム教会Notre-Dame de Bergerac(4 Rue des Faures, 24100 Bergerac)の前で土曜日に開催されているマルシェMarché Bergerac(2 Rue des Fau

  • ベルジュラック08/サンテミリオン村歩き#53

    ベルジュラックの主たる生産者の名前を挙げよう ★はお奨めに付けた。 Clos de Noël(Noël, 24560 Faurilles) https://closdenoel.wixsite.com/closdenoel Clos le Joncal(Le Bourg, 24500 Saint-Julien-d’Eymet) http://www.closlejoncal.com/ Domaine de Bonvin(Lieu-dit Bonvin, 24240 Pomport) http://domainebonvin.fr/ ★★Domaine de Combet(24240 M

  • ベルジュラック07/サンテミリオン村歩き#52

    https://www.youtube.com/watch?v=yXaVo4euU_M レセプションで紹介してくれたRestaurant Le Vin'Quatre(14 Rue Saint-Clar, 24100 Bergerac)は、ホテルを出て教会の横のドクター・ケーラー広場Pl.du Dr Caylaを進んでアルブ通りRue d'Albretの少し先サン・クラー通りRue Saint-Clarを左折したところに有った。歩いて5分くらい。タバコ博物館のすぐあたりである。 https://www.facebook.com/levinquatre/ 若い新しい感性のフレンチだっ

  • ベルジュラック06/サンテミリオン村歩き#51

    https://www.youtube.com/watch?v=h_QKgYuSa40 タバコ博物館を出た後はアルブレ通りを歩いた。ホテルまでは5分もない。部屋に荷物を置いた後、レセプションにランチが素敵だったことを報告し、ディナーのことも相談した。彼はRestaurant Le Vin'Quatreという名前を即答した。 Restaurant Le Vin'Quatre(14 Rue Saint-Clar, 24100 Bergerac) https://www.levinquatre-restaurant.fr/ 予約は問題なくとれるとのこと、安心した。同時に近くで海外にワイ

  • ベルジュラック05/サンテミリオン村歩き#50

    https://www.youtube.com/watch?v=56Uf5jHXUFU 観光センターQuai Cyranoを出た後、川沿いのサルヴェット通りQuai Salvetteへ出ると、すぐ傍左側に公園が有った。現代作家の彫像があった。 「あら、なんか不思議な銅像ね」嫁さんが言った。 彫像の前にあるプレートを見た。 「ダニエル・ウルデという人の作品だそうだ」 「羽があるの?変な金色の仮面?神様??」 「ん。Désillusion Totaleという名前だ。完全なる幻滅?かな」 「へえ」嫁さんの興味はすぐに消えた。 「それより前のお店。小雨なのにテント出してカフェやってる

  • ベルジュラック04/サンテミリオン村歩き#49

    ランチをL'Imparfaitで済ませた後、ホテルのほうへ歩いた。すぐ目の前にフォアグラのMaison Godardの店舗があった。目敏く見つけた嫁さんがさっさと入った。 Maison Godard(29 Rue des Conférences, 24100 Bergerac) http://www.foie-gras-godard.fr/ 「すごいわね」 瓶詰されたアンズタケGirollesとガチョウの油で煮たリンゴ豆Haricots lingotsそしてアミガサ茸Morilles Séchéesに驚嘆していた。 「Maison Godardの取り扱い品が全部並んでいるわ!全部買って

  • ベルジュラック03/サンテミリオン村歩き#48

    https://www.youtube.com/watch?v=PymW7CvAow8 L'Imparfait(8 Rue des Fontaines, 24100 Bergerac)のランチが、あまりにもクオリティが高いので、思わずワインを頼んでしまった。 https://www.facebook.com/imparfaitlesfontaines お薦めはChateau VARIの白だったのでそれにした。爽やかなソーベニヨン・ブラン主体のワインだった。 「ベルジュラックって白も色々あるのね。このあたりまで来ると、サンテミリオンやポムローヌみたいに"土地のワインは赤だけ!"とい

  • ベルジュラック02/サンテミリオン村歩き#47

    ベルジュラックの駅には予約したTAXIがプレートを持って待っていてくれた。手を挙げると笑顔でクルマまで案内してくれた。 「わざわざプレートまで用意してくださったのね」嫁さんが言うとドライバーが笑った。他にも降車する方がいますからね。予約済をアピールするのが目的なんです」完全なイングリッシュスピーカーだった。 「もしよろしければ、明日、ホテルへお迎えに行くときも、コレを持ちますよ」と笑った。 予約したホテルはLe Colombier de Cyrano et Roxane(17 Rue du Grand Moulin, 24100 Bergerac)という。2kmほど先のドルドーニュ川に

  • ベルジュラック01/サンテミリオン村歩き#45

    https://www.youtube.com/watch?v=ulncL80SCuQ 翌日。朝食の後、ホテルをチェックアウトした。当初の目的ではSNCFサルラの駅まで徒歩のつもりだったが、昨夜から雨模様なので、急きょ昨日のタクシー会社へ連絡した。 サルラ駅出発を10:35分である。駅に着いたのは10分ほど前になった。 列車はTER865704。見慣れた列車で、嫁さんが喜んでいた。 「なんとなく安心するわね」 「ここから1時間の旅だ。ベルジュラックに着くのは11:35分になる」 「向こうも雨かしら?」 「ん。向こうも駅からホテルまではTAXIを予約したよ。明後日にワイナリー歩きを

  • サルラ・カネダ08/サンテミリオン村歩き#45

    https://www.youtube.com/watch?v=EK4L929O8Ag 思いの外、途中に時間をかけてしまって、レストランAuberge Lacombe(D47 Bénivet, 24200 Saint-André-d'Allas)に到着したのが14時近かった。 https://www.facebook.com/aubergelacombe/ 途中2回ほど延着の知らせをドライバーがしてくれたので、ようやくランチには有りつけたのだが、申し訳ないことをした。料理は地元の自家製食材を利用したペリゴール料理で、無暗に技に走らない素直なものだった。もちろんフォアグラは出る。こ

  • サルラ・カネダ07/サンテミリオン村歩き#44

    https://www.youtube.com/watch?v=07D514SjQWI D704をしばらく走ると、左へ向かうポン・ド・カンパニャック通りRte du Pont de Campagnacへ入った。そして少し走ると、さらに狭いシャトー・ド・カンパニャック通りRte du Château de Campagnacへ入った。幾つかの集落を抜けながら道はゆっくりな登り道になった。しばらく走ると、舗装はされているが林道になった。少し行くと小高い丘へ出た。 「もう少し先がシャトー・ド・カンパニャック城です」ドライバーが言った。 「あ・あそこね」嫁さんが言った。 しすし入口はロー

  • サルラ・カネダ06/サンテミリオン村歩き#43

    https://www.youtube.com/watch?v=KhY1ucwxsIM 翌日はマルシェの日だ。ホテルの朝食を早く済ませて町へ出た。フェヌロン通りを歩いた。サルラのマルシェは農作物が中心だ。買い物客も観光客より地元の人のほうが目立った。通りだけではなく教会のホールにまで店が並んでいた。嫁さんは大喜びだった。 フォアグラ、ポルチーニ、鴨の瓶詰め、そして鴨の胸肉の店が並んでいる。そしてトリュフ、クルミ、蜂蜜、ワインなどなど。「持って帰れれば全部買いたいのに~!」と目を輝かせていた。 僕は昨日帰りに寄ったManoir de Gisson(24 Pl. du Marché

  • サルラ・カネダ05/サンテミリオン村歩き#42

    https://www.youtube.com/watch?v=EsTykitaAhc 聖マリー教会の鐘楼を出ると、右前にCAFE BRASSERIE GLACIER LE PLAMON SARLAT(14 Rue des Consuls, 24200 Sarlat-la-Canéda)というカフェが有った。僕らは外のテーブルに座った。 店はコンシェル通りにテーブルを並べていた。 「この町でも、フランス革命軍は教会組織を解体し、貴族たちを追放した。でも狂乱した暴徒による悲惨な襲撃事件や破壊までには至らなかった」 「だから中世の趣きが残ったわけね」 「ん。たしかに貴族たちの屋敷など

  • サルラ・カネダ04/サンテミリオン村歩き#41

    https://www.youtube.com/watch?v=lIauIawIPAg 僕らはレビュリック通りを北へ向かって歩いた。通りは生活のための店舗と、典型的な観光客のための店舗が混然と並んでいた。少し行くとCOUTELLERIE LE SARLADAIS(18 Rue de la République, 24200 Sarlat-la-Canéda)という刃物を扱う店が有った。ラギオールが整然と並んでいる。隣が日用の衣料品だった。 僕らは観光センターで教えてもらったAscenseur Panoramique(Rue des Consuls, 24200 Sarlat-l

  • サルラ・カネダ03/サンテミリオン村歩き#40

    https://www.youtube.com/watch?v=pD0s35QgGdA 観光センターを出た後、目の前のルイ・ボネル通りを抜けてレビュリック通りRue de la Republiqueへ出た。周囲を見ながら嫁さんが言った。 「旧い建物がちゃんと守られているのね。まるでヴェニスの町を歩いているみたい。新旧が織り交ざっていないのはどうしてなの?そういう行政指令なの?新しい建物は作っちゃいけないの?」 「1962年にマルロー法というのが制定してね、サルラ・カネダはその最初の指定都市だったんだ」 「マルロー法?」 「上海へ行ったときに、フランスの作家アンドレ・マルローの話を

  • サルラ・カネダ02/サンテミリオン村歩き#39

    ホテルを出てフェヌロン通りを右へ歩いた。少し行くとリベルデ通りにぶつかる。4つ角がカフェで囲まれた通りだ。 「ここでランチできるわね」と嫁さんが言った。 「この先にVidal Foie Grasの本店がある。パリでよく見かける瓶詰めフォアグラのメーカーだ」 「あらま。寄ってみたいわ」 Vidal Foie Gras(1 Pl. de la Liberté, 24200 Sarlat-la-Canéda) https://www.vidal-foie-gras.com/ 店は思ったより大きかった。商品幅もいつも見ているモノばかりではなく各種に渡っていた。フォアグラを詰めた鴨首や脚、トリュ

  • サルラ・カネダ01/サンテミリオン村歩き#38

    https://www.youtube.com/watch?v=9GLDlKBoepQ 何回目だったか・・サンテミリオン訪問の前にペリゴール/サルラ・カネダSarlat-la-Canédaを寄ってみようという気になった。サルラ・カネダはサンテミリオンの東150kmくらい離れたドルドーニュ上流北8kmくらいの所に有る中世そのままの村だ。フォアグラで知られている。 嫁さんにそのことを話すと、不思議そうな顔をした。 「フォアグラの旅をするの?サルラ・カネダって、きいたことないわ。ボルドーなの?」 「もっと東の方だ。200kmくらい離れている。ドルドーニュ地方の最東端だ。中世そのままの村

  • フロンザック02/サンテミリオン村歩き#37

    https://www.youtube.com/watch?v=DIRpzzGvcoQ M氏の紹介でOffice de Tourisme du Fronsadais(1 Av. Charles de Gaulle, 33240 Saint-Germain-de-la-Rivière)を訪ねた。 http://www.tourisme-fronsadais.com/ 資料関係を少し買い漁った 「Fronsadaisって何なの?」ママが小さい声で聞いた。 「フロンザック町民という意味さ。フロンサダイは二つの顔を持っている。フロンサックとキャノン フロンサックだ。キャノン・フロンザック

  • フロンザック01/サンテミリオン村歩き#36

    ボルドーで、しばしば利用していたchauffeur VTCのリブリヌ支局に、ポムローヌのワイナリー歩きの運転をお願いした。Chic Chauffeur La meilleure alternative taxi Chauffeur VTC Bordeaux/Libourne(125 Av. Gallieni, 33500 Libourne)+33626566649という。ドライバーはM氏。適格な判断が出来る有能な方だった。 https://chicchauffeur.com/ なので、リブリヌ歩きも彼にお願いした。pickupは朝食後10時にお願いした。 食事が済んで一旦部屋に戻り、3

  • リブリヌ04/サンテミリオン村歩き#35

    リブリヌの町を散策しているときにMaison Politi(65 Rue Gambetta, 33500 Libourne)という食材店を見つけた。イタリア系の食材を扱っていた。店内にイートインのコーナーが有って、試しに寄ってるとこれが中々のものだった。嫁さんは気に入ったらしい。それでディナーも此処へ寄りたいという話になった。 夕方、ホテルからMaison Politiまで歩いた。ジャン・ジャック・ルソー通りを5分ほど行って右折、ガンベッタ通りがプレジタン・デュメにぶつかるところにある。昼間予約しておいたので、スムーズに席に付けた。 「ボルドーって色々な国の料理が多くて、どれも秀逸なも

  • ポムローヌ03/サンテミリオン村歩き#33

    葡萄畑の前に立つ「POMEROL GRAND VIN DE FRANCE」という看板の前で、M氏はクルマを停めた。 看板の下に小さくSAINT JACQUES de CONPOSTELLEとあった。僕は看板を指さした。 「ポムロールの前にマークが有るだろ?あれはマルタ騎士団のマークだ」 「ダヴィンチコードに出てきたアレ?」 「あれはテンプル騎士団。まあ似たようなもンだけど。テンプル騎士団/ドイツ騎士団/マルタ騎士団が有名だ。十字軍時代の護衛から始まったのが騎士団なんだが、マルタ騎士団は、エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会Supremus Ordo Mi

  • ポムローヌ02/サンテミリオン村歩き#32

    ポムローヌとリブリヌに有る主たるワイナリーを紹介したい。 Château Beauregard(73 Rue de Catusseau, 33500 Pomerol) http://www.chateau-beauregard.com/ Château Bel-Air(5 Chem. de la Cabanne, 33500 Pomerol) http://www.belair-beausejour.com/ Château Bellegrave(1 lieu-dit Drouillaud, 33500 Néac) https://www.belles-graves.com/ Chât

  • リブリヌ07/サンテミリオン村歩き#31

    町からポムローヌへ向かう国道はD244/モンタニュー通りという。D1089を越えたあたりから町の外になる。周囲は全て葡萄畑になった。 「ポムロームも葡萄畑を開墾したのはローマの退役軍人だった。開墾は紀元後すぐには始まっている。しかしそれも、西ローマ帝国の崩壊に重なって西ゴート人がこの地を占領したため次第に凋落し、荒廃していったんだ。再興したのはアキテーヌの時代になってからだ。聖ヨハネ修道院が、此処に治療院を興してからだ」 「治療院?」 「サンチャゴ巡礼パリルートを利用する人々のための治療院だ。本体はエルサレムにある。 その治療院によって、大きくポムローヌが花開いたのはアンジュー帝国時代

  • リブリヌ06/サンテミリオン村歩き#30

    町を離れてポムローヌ辺りまで出かけるのでVTCを予約した。ボルドーにあるchauffeur VTCのリブリヌ支局である。Chic Chauffeur La meilleure alternative taxi Chauffeur VTC Bordeaux/Libourne(125 Av. Gallieni, 33500 Libourne)+33626566649という。 https://chicchauffeur.com/ ボルドーでも何回か利用している会社の支局なので、netからそのまま予約を入れた。 ホテルで朝食を済ませた後、ロビーへ出るとドライバーが待機していた。M氏と呼ぼう。

  • リブリヌ05/サンテミリオン村歩き#29

    ホテルで朝食を終えた後、町へ出た。ジャン・ジャック・ルソー通りからエティエンヌ・サヴァティニ通りRue Etienne Sabatiéを通って聖ヨハネ教会Église Saint-Jean-Baptiste de Libourneを訪ねた。 「ここはリブリヌでも最古の教会でね、5世紀ころにはもう有ったと言われてる。史料としてSaint-Jehan de Fozeraという名前が出てくるのは1134年だ。サンテミリオンに有った教会の分院だったようだ。まだ英国がリブリヌを交易港として構築なかった前の話だったから、リブリヌはまだまだ鄙びた村だったに違いない」 僕らは教会入口から入った。中央身

  • リブリヌ04/サンテミリオン村歩き#28

    夕食はホテルの近くにあるRestaurant Cosy Tourny(12 Cr Tourny, 33500 Libourne)に入った。 https://www.facebook.com/cosytournylibourne/?locale=tl_PH ワインは白でアントル・ド・メールEntre-Deux-Mersにした。 「Entre-Deux-Mersというのは、ふたつの潮の間という意味だ。二つの潮というのはガロンヌ川とドルドーニュ川に挟まれた楔形の部分な」 「Mersだから、海じゃないの?」 「いやmaréeだ。merではない。ゲシャ渓谷がゲイシャになったように、いつのまにかM

  • リブリヌ03/サンテミリオン村歩き#27

    アベル=シュルシャン広場に面したLa Mie Câline(25 Pl. Abel Surchamp, 33500 Libourne)というファストフードの横を抜けてクレマン・トマ通りRue Clément Thomasへ出た。 「この道を真っ直ぐ進むとイエル川にぶつかる」 「内陸部から持ち出されるのに利用された川ね」 「ん。ペリグーPérigueuxまで繋がるロジスティックルートだ。リブリヌが貿易港として大きく育ったのは、このイエール川がドルドーニュ川とぶつかるところだったからだよ」 「ペリグーって、ペリグーソースsauce Périgueuxのペリグー?」 「ん。ドルドーニュ県の首

  • リブリヌ02/サンテミリオン村歩き#26

    リブリヌのホテルはLa Maison Mulatô(42 Cr Tourny, 33500 Libourne)にした。 http://www.lamaisonmulato.com/ リブリヌ駅Gare de Libouneはボルドー駅から約40分程度、サンテミリオン駅の一つ手前だ。駅は大きい。ホテルまでは約600mくらい。D670まで出て、あとは直進だから迷わずに辿り着ける。La Maison Mulatôは19世紀に建てられた邸宅を改装し所で、いくつかの部屋を提供している。僕らはGalant de nuitという明るい部屋を予約した。 荷物を置くと、一階レセプションでオーナーのご夫

  • リブリヌ01/サンテミリオン村歩き#25

    https://www.youtube.com/watch?v=uG4fsyy71SE サンテミリオン村郊外西側のワイナリーを歩くのにChâteau Hôtel Grand Barrail(ROUTE DE LIBOURNE, D243, 33330 Saint-Émilion)を起点にしたとき、もう一歩先のポムローヌまでを散策地として考えたが、徒歩で歩くにはシンどいので流石に諦めた。 http://www.grand-barrail.com/ ポムロールは、ペトリウスやル・パンなど素晴らしいワイナリーが有るが何れも一般公開はしていない。出かけても農園とワイナリーで写真を撮ってハ

  • 聖地サンチャゴ/サンテミリオン村歩き#24

    「サン=ジャン=ピエ=ド=ポーSaint-Jean-Pied-de-Portって、バイヨンヌへ行ったときに列車で訪ねた村よね」 「ん。あそこがサンチャゴ巡礼パリルート・フランス側のフランス最後の宿場だ。あそこからピレーネ山脈を越える」 「韓国人の巡礼者がいっぱいたわよね」 「ん。険しい道だから若い人じゃないと難しい」 「なるほどね、列車から見えた川に沿って細い山道が有ったわよね。巡礼者の姿が幾つも見えたわ。村の中にも途中の道にもホタテ貝を象ったプレートが色々なところにあったわよね」 「ん。ホタテ貝はサンチャゴのシンボルだからな。Coquille Saint-Jacquesというんだが、

  • 城壁の外を散策する03/サンテミリオン村歩き#23

    Av. de Verdunを行くと円形の五差路にぶつかる。D122とD243が通っている交差点だ。北側に33-Gironde 304lineのバス停Bourgが有る。 「ここのバス停で一度だけ降りたこと有るわね」 「ん。いつものボルドーバス乗り場からだ。リブリヌの抜けて1時間20分くらいかかった」 「普通の市バスだったから、村の間を抜けて葡萄畑を抜けて。楽しかったわ」 「そうだな。サンテミリオン行のバスは駅前と此処と二つある。村を抜けていくバス小旅行は良いもんだ」 「でも、一度だけよね。デジョンからボーヌのほうは何回も乗ったのに」 「ん。33-Gironde 304lineは不定期なん

  • 城壁の外を散策する02/サンテミリオン村歩き#22

    急坂の小道を1945年5月通りへ抜けた。 「ここがサンテミリオン村の外周を走る道だ。左へ行くよ。ペジュ通りを歩く、戻る感じになるんだがな、ウルスリン修道院跡Couvent des Ursulines(Unnamed Road, 33330, 33330 Saint-Émilion)へ寄りたい。ウルスリン修道院もサンテミリオン村を囲む城壁の西側にあったんだ。今は崩れかけた廃墟しかない」 「今日は中世の廃墟歩きね。教会も修道院も、アキテーヌの人たちは大事にしなかったの?」 「サンテミリオンは戦火の前線だったしな。それに宗教戦争を挟んで、今度はフランス革命だ。大半が破壊されたのは何とも仕方な

  • 営業マンを接待する首相(@0@);

    あまり政治経済の話は書かない。 岸田文雄首相、米ブラックロックCEOと面会 - 日本経済新聞 岸田文雄首相は21日、首相官邸で米資産運用大手ブラックロックのラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)と面会した。政府が進 www.nikkei.com しかし。。あまりにも唖然とするので書こう。 世界のどこに己の国を簒奪するためにやって来たハゲタカをお迎えする指導者がいるのか?金塗れのゼレンスキーでさえ、もし野村證券の社長が行っても、わざわざお迎えには出ないだろう。 それほどまでに国がらみ民がらみで、アメリカのファンドを買わなければならないほど、日本に未来はない・

  • 城壁の外を散策する/サンテミリオン村歩き#21

    https://www.youtube.com/watch?v=ipokFxqQbg4 アントル・ドゥー・ヴェールAntre Deux Verres(Rue de la Prte Sainte-Marie, 33330 Saint-Émilion)を出た後に王の塔La Tour du Royを左に見ながら歩いた。 「なるほどねぇ、王の塔ではなかったのね」 「ん、城壁に取り付けられた監視塔というのが事実だったようだ」 僕らはLa Tour du Royの横にある幾つも曲がった細い階段を登った。雨で滑る。注意しながら進むと、 クーバン通りRue du Couventに出る。 此処は村

  • 古名アスカンバス/サンテミリオン村歩き#20

    「西暦300年ころからローマでキリスト教が国教化すると、当時属州最大級になっていたボルドーへ、キリスト教徒たちは精力的に布教活動を行った。幾つもの教会/修道院がこの時期に出来上がっている」 「ああそういえばボルドー博物館にたくさん当時のものが飾られていたわね。でも教会はシャンパニュー地方みたいに多くなかったような気がするけど」 「ローマは西ゴート王国にボルドーを奪われているからな。その時代に壊されたものが多い。それもあるが、当時建立された教会/修道院はジロンド川左岸に多かった。それはボルドーがあまりにも泥の町だったからだ」 「そんなに酷かったの」 「ん。ジロンド川右岸は、川を流れてきた

  • 王の天守閣/サンテミリオン村歩き#19

    https://www.youtube.com/watch?v=tiPM_ZO8nFs 「聖エミリオが暮らした洞窟を、大幅に改装改築拡張したのがオーブテール子爵ピエール・ド・カスティヨンPierre de Castillonだ」 「ふうん。・・でも、なぜカスティヨンはサンテミリオンをサンチャゴへの中継点にしたいと思ったの」 「自領の中に聖地を持つというのは、とても大きなステータスだったんだよ。聖エミリオが死んで300年、既に地元では聖地として取り扱われていたが、彼はこれをグローバルにしたいと考えたんだろうな。彼はカッパドキアを訪問していてね、同じようなものを領地の中に起こしたかっ

  • 聖エミリオの奇跡/サンテミリオン村歩き#18

    https://www.youtube.com/watch?v=h15uFdZmTZo&t=34s ブルネ門から村へ向かってポルトブルネ通りを歩いた。雨は続いたまま。人通りはない。大きな雨粒がブルネ門の石壁を叩いていた。 「車の通行も、ほとんどないのね」嫁さんが言った。 「よほどのことがない限り、車は村の外環道を使うんだろうな」 ポルト門の向うは五差路なっていて、村の交通手段として機能している・・という感じだった。 僕らは撮影をした後、そのままランチをしたMaison de la Cadèneのほうへ戻った。そしてレストランの手前、二股になっているリベルテ通りを左に入った

  • ポルトブルネ/サンテミリオン村歩き#17

    https://www.youtube.com/watch?v=w8S7-HADGUs Logis des Cordeliersでランチが終わってからポルトブルネ通りへ出た。雨は止まっていなかった。人通りはない。 「この先のブルネ門へ寄りたい」僕が言うと 「近いの」と嫁さんが言った。 「100mくらい先だ」 ポルトブルネ通りを東の村はずれに向かうと、五差路の手前にブルネ門Porte brunet porte médiévale 1200(Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion)はあった。 「あら、ここはBed & Breakf

  • 村の小さなミシュランひとつ星/サンテミリオン村歩き#1

    SAINT‑EMILION PORTES OUVERTES 2024 - Les vins de Saint-Emilion Le week-end du 4 et 5 mai 2024, les châteaux de Saint-Emilion vins-saint-emilion.com 雨のサンテミリオン歩きは趣がある。コルデリエのマルシェで買い物をした後、そのまま通りの前にあるホテルAuberge de la Commanderieに戻った。そして荷物を置いた後、レセプションで傘を借りてもう一度村へ出た。 「ランチは近くで取るの?」嫁さんが時計を見ながら言

  • コルドリエ修道院02/サンテミリオン村歩き#15

    「コンドリエ修道院は400年かけて少しずつ巨大になった。教会/中庭/ワイナリー/ワイン貯蔵室/地下室/庭園そして6っ有った修道院の僧侶のための寮が有った。そして1789年だ」 「フランス革命ね」 「ん。コンドリエ修道院は閉鎖され、会派は解散。建物はすべて国有化された。そしてすぐさま競売にかけられた」 「だれが買ったの?} 「だれも買わなかった。国有化はされたが、引き取りてがないまま放置されたんだ。そのうち革命政府は崩壊。ナポレオンの時代になるが、相変わらず放置されたままだったんだよ」 Maurice Graterrole は、彼のUne ville curieuseで、その廃墟となった

  • コルドリエ修道院01/サンテミリオン村歩き#14

    ガアデ通りを坂下に向かって行くと、東の村外れへ向かうポルトブルネ通りの道との二股にぶつかる。ポルトブルネ通りは、ゆっくりな登り道だ。少し行ったところ右側にオーベルジュ・コマンドリーAuberge de la Commanderie(2 Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion)というホテルがある。 http://www.aubergedelacommanderie.com/ ここは僕のお気に入りで、わりとよく利用する。二階の部屋の窓がサンテミリオン村に向いており、村が一望できるからだ。朝起きた時に、窓から見た景色が何とも宜しい。窓を開けると聞

  • ワインショップ巡り/サンテミリオン村歩き#13

    https://www.youtube.com/watch?v=4sSSeJC3RcQ サンテミリオン村は、ボルドーの北ドルドーニュ川に面した丘にある。村そのものは3ヘクタールほど。所謂サン=テミリオン地域Juridiction de Saint-Émilionを含めても7.5ヘクタールしかない。人口は1200人前後だそうだ。標高は、一番低いところで20m前後。高いところは100m前後ある。全体にゆっくりな上り坂だが、モノリス教会あたりから急こう配になって観光センターが有る台地へ向かうのが特徴だ。 この急こう配の坂がサンテミリオンの町並みを替えている。坂の上は官公庁や企業が集まり

  • 村郊外北西側ワイナリー/サンテミリオン村歩き#12

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 今回は❸村北西側にあるワイナリーにあるワイナリーを紹介したい。 ただ、村内のホテルに泊まって郊外のシャトーへ出かけるとなると、徒歩で出来る訪問数は限られてしまう。なので僕はサンテミリオン郊外にあるホテルを拠点とすることをお勧めしたい。 実は、サンテミリオン村の傍には秀逸な宿泊設備が幾つかある。逆に村巡りのための宿泊先とするには距離的に不便なので、こうしたときに利用するほうがいいだろうと僕は思う。 ❸村北西

  • 村郊外南東側ワイナリー/サンテミリオン村歩き#11

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 今回は❷村東南側にあるワイナリーを紹介したい。 ただ、村内のホテルに泊まって郊外のシャトーへ出かけるとなると、徒歩で出来る訪問数は限られてしまう。なので僕はサンテミリオン郊外にあるホテルを拠点とすることをお勧めしたい。 実は、サンテミリオン村の傍には秀逸な宿泊設備が幾つかある。逆に村巡りのための宿泊先とするには距離的に不便なので、こうしたときに利用するほうがいいだろうと僕は思う。 村東南側のホテルで、僕の

  • 村内・ワイナリーとワインショップ/サンテミリオン村歩き#10

    サンテミリオン村での一番の楽しみはワイナリー巡りだ。しかしお話ししてる通り、ほぼ150あまりの生産者が存在する。これを全て走破するのは至難だ。それで幾つかのグループにまとめてみた。 ❶村中心にあるワイナリー 村歩きをしながら見て歩くにはD122ガデ通りにあるワイナリー歩きがとても便利だ。何れも立派な地下ケーブを持っていて、見学すると良い。予約なしでも入れるところがあるので気軽に寄ってみよう。 ➀Château Guadet(4 Rue Guadet, 33330 Saint-Émilion) https://www.chateauguadet.fr/ 通りの名前となったGuadetは、

  • レストラン13軒/サンテミリオン村歩き#10

    我が家の場合、サンテミリオン村を訪ねる時は最低でも一週間程度は時間を取る。多いのは土曜日に東京を出てパリに入り、そのままTGVでボルドーへ。そしてSNCFでサンテミリオン村へというコースである。パリへ午前中に着く便だと、5時間後にはサンテミリオンのホテルへ辿り着くコースだ。 帰路は同じルートで、日曜日にサンテミリオンを午前中に出で帰国とする。つまり土曜東京発・翌週日曜日東京着という献立である。9日間を利用する。 それと多いのは、帰路一泊だけパリに泊るという選択肢だ。そんなときは大抵、嫁さんの買い物目当てでパリ市内のマルシェ歩きが挟まったりするが、まあ、その方が時間が自由に使えるのでラク

  • ワイナリー一覧#01-2/サンテミリオン村歩き#08

    Château Monlot(292 route du Lavoir, 33330 Saint-Hippolyte) http://www.chateaumonlot.com/ Château Montlabert(1 Monlabert, 33330 Saint-Émilion) http://www.chateau-montlabert.com/ Château Moulin de Lagnet(Les Vignobles Chatenet-Goujon 1, Larguet, 33330 Saint-Christophe-des-Bardes) https://www.mouli

  • ワイナリー一覧#01-1/サンテミリオン村歩き#08

    フィロキセラが南仏ガール地区で発生したのは1862年だった。なぜ正確に発生時が判っているかと言うと、それはジョセフ=アントワーヌ・ボルティJoseph-Antoine Bortiという南仏の農家が、その年に米東海岸からランブルスカを持ち込んだことが判っているからだ。彼が持ち込んだ葡萄は見事、南仏に馴染んだが、その葡萄に付着したフィロキセラが周辺の葡萄を枯らし始めた。南仏の葡萄全域が感染するに5年は罹っていない。フランス全土に拡大するには10年ほど・・世界中へ広がるには30年ほどだった。 ボルドーは、地域的に南仏が近かったこともあって、かなり早い時期からフィロキセラ禍に襲われていた。サン

  • ホテル選び/サンテミリオン村歩き#07

    サンテミリオンは観光地化しているので宿泊設備が割とある。 ホテルとB&Bそしてレンタルのアパートがある。代表的なものを列挙しよう。お勧めを★での数で示してみた。 ホテル形式は➀➁③④⑤そして少し離れた㉞だが、B&BのChambre d'hôtesが僕は好きだ。村には秀逸なレストランが多いので、長期滞在を考えるなら朝食だけが付いたホテルの方が使いやすいと思う。 ①★★★Auberge de la Commanderie(2 Rue de la Prte Brunet, 33330 Saint-Émilion) http://www.aubergedelacommande

  • ボルドーからサンテミリオン駅まで/サンテミリオン村歩き#06

    https://www.youtube.com/watch?v=FmNqYNq3RPY&t=391s ボルドーからサンテミリオンへ向かうには、選択肢が三つある。TAXI/列車SNCF/バスの三つだ。 パリからボルドーへは選択肢が二つ。飛行機/列車TGVになる。空港はボルドーの西12kmのメリニャックにあるボルドー・メリニャック空港Aéroport de Bordeaux-Mérignacで、パリからならCDGかオルリー空港出発となる。所要時間は1時間程度。例えば成田からボルドー直行を試みるならCDGからの便を利用する。この場合は、たいていエアフランスになる。パリへワンスト

  • サンテミリオンの自律性/サンテミリオン村歩き#05

    https://www.youtube.com/watch?v=dtU3XpOzc_o 第二次世界大戦中、ボルドーがナチスドイツの手に墜ちたとき、ナチはこの地に彼らの海軍基地・潜水艦基地を作った。ガロンヌ川沿いには、いまでもその時の潜水艦基地が残されている。 ボルドーを訪ねたら是非とも行くべき負の遺跡だ。・・ボルドーで出会うのがワインだけというのは、あまりにも心貧しい。この地の、時代の変転を通して、ぜひとも西欧史に触れることを僕は強くお勧めしたい。 https://www.youtube.com/watch?v=92pjm2jnhos さて、サンテミリオンだが。此処

  • 聖エミリオンの教会/サンテミリオン村歩き#04

    サンテミリオン村は、ボルドーから北東へ40kmくらい離れた小高い丘の上にある村だ。人口は2000人ほど。主産業は葡萄農家である。ワインの生産地としても村としても旧い。AD200年ころから在った。スペインと戦ったローマ軍の退役軍人が興した村だ。 キリスト教時代になると、いつしかここがサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路のひとつになった。 もともとはアスカンバスと呼ばれていたが、サンテミリオンと呼ばれるようになったのはAD700年からで、ブルターニュの修道士エミリオンが、この丘の崖に隠棲したからである。 ブルターニュの修道士エミリオンはヴァンヌVannes出身で、ヴァンヌ伯爵のパン職人

  • 駅から村まで/サンテミリオン村歩き#03

    https://www.youtube.com/watch?v=q4JllgEuhJ8 今でもブケール通りは、鉄道でサンテミリオンを訪ねる人々のメインストリームとして生きている。 SNCFサンテミリオン駅を降りると、すぐ傍にムーランドビゲMOULIN DU BIGUEY通り/国道D122がある。村はこの道を北へ/右へ歩くと辿り着く。ブケール通りまでは距離にして2.5kmあまり、かなり長い徒歩行になる。右側だけに歩道があり、左側はクルマが止められるようになっている。景色はずっと葡萄畑だ。Château La Gaffelière(La Gaffelière-Ouest, 33330

  • 先細ってしまった村への道・ブケール通りに泊る02/サンテミリオン村歩き#02

    https://www.youtube.com/watch?v=Ir3C23EE-ow いまでも、村のすぐ南にフォンガバン川L'oiseau de Fongaban Rivièreが運河となって流れているが、以前はこの川に繋がってドルドーニュ川へ向かうグランド フォンテーヌ川というのがあった。サンテミリオンの丘から始まる細い川だ。この川は幾つかの支流をもっていて、隣接しているプチフォンテーヌ通りにも流れており、物流の手段として利用されていたようだ。このグランド フォンテーヌ川は、いまのポルト・ブゲール広場に小さな池を持っていた。今は残滓もない。 ここにブゲール門(ポルト)Prte

  • 先細ってしまった村への道・ブケール通りに泊る/サンテミリオン村歩き#01

    https://www.youtube.com/watch?v=CmwPxdnz0p0 サンテミリオン村の中心部へ向かうポルトブゲール通りPrte Bouqueyreは、王の塔からほど近い細い路地である。中世の趣を未だに湛えている通りだ。 ここにロジスデロイChambres d'hôtes Les Logis du Roy(7, rue Porte Bouqueyre - 33330 SAINT-ÉMILION)というホテルがある。僕のサンテミリオン歩きは、最近ここが定宿になってる。 でも嫁さんはお気に召していない。もう少しホテルらしいところが良いらしい。どうもこのChambre

  • ワインと地中海/kindle版

    ワインと地中海: 6000年の旅を見つめながら歴史紀行 www.amazon.co.jp 300円 (2024年02月17日 11:48時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 母の化粧机の横に色々な化粧品と共に、淡青色の歪な球形のガラス玉が有った。 親指爪くらいの大きさで不透明だった。置かれている木台は、葡萄の幹を加工したものだったと思う。ガラス玉は表面に幾つもの同心円の黄色い模様が描かれていて、その中心がすべて穿ってあった。見つめていると一つ一つが眼球のように思えて、不思議な違和感のある置物だった。

  • ワインと地中海#63/シラクサ散歩11

    https://www.youtube.com/watch?v=PHCaQZzuL0A オルテージャの南端にあるCortile Spirito Santo(Via Salomone, 21, 96100 Siracusa)までは充分徒歩圏内だが、タクシーを頼んだ。ドレスコードはないが、女性はハイヒールという天敵が有るからね。石畳みの道はきつい。 http://www.cortilespiritosanto.com/ 旧い邸宅を利用したレストランだった。現代的なシシリー料理だった。ワインのチョイスはソムリエに任せた。 「ここはね、ワインのコレクションで有名な店なんだ。シシリーは地元

  • ワインと地中海#62/シラクサ散歩10

    オルテガ市場Mercato di Ortigiaへ戻ったのは午後二時を過ぎてからになった。待ち合わせのカフェには嫁さんが先に入っていた。 「悪い悪い、思ったより時間がかかった。どうだった?料理教室は?」 「面白かったわよ。わりと知ってるはずのメニューなのに、作り方がとてもユニークでびっくりしたわ。すっごく刺激になったわ。・・あなたは?」 「ん。ガイドを頼んだ人が中々面白かったよ」 「ホテルが紹介してくれた人でしょ?」 「ん。ウニクサーノ大学で教師をしてる人だった。彼の案内も面白かったけど、彼の祖父の話が面白かった」 「おじいさまの話になったの?」 「ん。シチリアン・レジスタンスだったそ

  • ワインと地中海#61/シラクサ散歩09

    https://www.youtube.com/watch?v=ppI9hEQKYDw 博物館を出てアウグスト通りをクルマは直進した。すぐに道は公園にぶつかった。 「ここがアルケオロージコ・ネアポリス公園Archeologico Neapolisとして設備されたのは、戦後でした。1952年です。考古学的な発掘は1800年代には既に始まっていたのですが、シチリアそのものがイタリアの政治構造に巻き込まれて、長い間、政情不安だったため、調査は何回も分断されて100年以上放置されたままでいました。それが戦後になって外資からの資金援助を受けて再開したのです。いまの形に整ったのは30年ほど前

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