親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
我が家も子供を独立させ、住宅ローンを完済し、あっと言う間に夫婦2人の生活になったタイミングで定年退職を迎えた。 しかし両親の介護をし見送って来た教訓を活かし、体の為、人との関わりを保つため、第二の人生を準社員という形で再就職をする事に。 私が再就職をしたマンション管理の仕事で見た老夫婦のマンションで余生を送る選択をした高齢者が多いので紹介していく。
親のストレスをする子供が加齢によりストレスを抱えれば、親の介護は成立しなくなるので、親の家族はまずは自身の心身のケアを行う、家族間で介護を共有化する事が必要だ。
親の介護を通いでしていた私も 加齢による心身の衰えを実感する年齢となり、週末の親の介護をするにあたり、月から金の仕事で心身ともに疲弊して、いつの間にか週末の親の介護を義務感だけでこなしていた時期があります。
親の介護と言っても子が60歳近くなれば老老介護となり、親の介護以上に自身の心身の健康維持をしなければ、親の介護をする事もままならなくなるでしょう。
要介護から懸命に立ち直ろうと努力している母親に対して『無駄』 という一言で母親を否定する父親は、人を敬う気持ちのかけらもない人だ。 自分が苦境の時に支えてくれた母親を見捨てた瞬間だった。
母親の介護から社会復帰するための懸命のリハビリを、やらなくていい の一言で片付ける父親。 『俺が力になるから』と励まし、寄り添っていくならわかるが、自分の日常の邪魔になる行為を全て排除しようとする父親は許せない。
要介護に必要な歩行器が壊れてしまい、日々リハビリをする母親が 自分の通帳を出して父親に新しい歩行器の購入をお願いしたが、『俺の金だから?』という理不尽な理由で却下された。 母親の為の出費はもったいないと決して購入しない。
好きな事をする時のルーティーンは必要であり前向きに捉えることが出来ますが、親の介護など辛い日常では代り映えのしない行動は逆にストレスの元になるでしょう。毎日同じ景色を見て同じ行動をしての親の介護は憂鬱以外の何物でもありません。
親の介護は先が見えないと言いますが、別れはいつも突然やってきます。 親の死後に後悔しない様に、その日できる行動や言葉かけはその日の内に表現して、日々少しでも笑顔で終えれる日があるように介護をしていきましょう。
仕事、週末に親の在宅介護。そんあ生活の繰返しで精神が病んできた時に救われたのは周囲の方からの親の介護に対する助言や経験談でした。 一人では出来ない事でも、人の助言でこんなにも前向きになれるのかと驚いた。本当に有難い。
親の在宅介護で自分の存在を消して、黙々と親の介護をしている方は、ぜひ周囲に親の介護の事を打明けましょう。 そうする事で新しい介護のヒントが得られ、口外する事で独りではないと実感できるでしょう。
親の介護って一人でやるほど辛いものはないですね。 特に親一人子一人の 在宅介護では密室での周囲の目に触れない事が一層ストレスを増幅させ、先の見えない介護で心身ともに病んでいく要因となります。
理想の結婚と言っても、母親は高望みをしていたわけではない。 ただ言い合い、励まし合い、分かち合う そんな当たり前のささやかな幸せを望んでいただけなのに 利己的な父親の愛情のかけらもない家庭?の中で、母親は祖母の介護をきっかけに壊れていった。
父親が母親に言ったプロポーズの言葉は『貴方を守る』だったのだが、男性優位の環境で育った父親に母親に労いの言葉一つかける事無く嫌な事は全て母親に押し付けて、祖母の介護では母親の精神が壊れる事態となった。
義理の母親の介護も父親との関わりも所詮は他人との付き合い。 だからこそ普段からのコミュニケーションや感謝の気持ちの大切さが、より重要だと思います。 人は強制でやらされても決して愛情表現は出来ないのです。 互いの信頼関係、感謝の気持ちがあってこその人間関係である。
母親の心の病は祖母の介護から始まり、その後も精神的な問題を抱えたまま数十年後に要介護となった。 父親が絶対の我が家は、父親に意見する事は許されず、ひたすら父親に言われた事を黙々とやるという家族ではないような境遇だった。
どんなに強い人間でも、とりわけ私の母親も強い人間だと思っていたが、さすがに心を許せる兄弟や友人と話す機会迄奪われた、祖母の在宅介護で、心が壊れていき、その後祖母が亡くなった後も、坂を転げ落ちるように心身ともにものすごいスピードで悪化していった。
人の人生って苦難半分、楽園半分が丁度良いバランスですね。 どちらか一歩に隔たると悪い意味で人生変わっちゃう。 苦しみ合っての達成感、楽しみあって旧坂を上る。その繰り返しが人を成長させ生きる糧となる。
父親の実母(祖母)の在宅介護を押しつけられた母親から笑顔が消えて、ヒステリックに感情の起伏が激しくなりました。 楽しみ一つない状況で1日中祖母の介護を強いられ母親は日々精神が病んでいきました。
父親が人に感謝する事、人の痛みを分かち合えて協力できる人であれば、母親のその後の心身の病、要介護はなかったのではないかと 思っています。 母親のストレス発散の場であった趣味や友人との会話も犠牲にして、母親にとっての義理の母親の在宅介護は母親の精神を蝕んでいった。
父親が実母である祖母を引取り母親に介護を押しつけてから、私達家族は母親、長男、長女 対 父親の確執がその後40年以上続き、 父親は反省して家族に寄り添う所か、益々意固地になり、私達家族との距離が開いていった。
自分の母親を介護の為に家に呼び寄せる事自体は良いこと?だと思うのですが、実の母親の介護を血縁のない母親に任せきりにする行為はいかがなものか?と思う。 私達家族は父親の身勝手な祖母の介護の母親への丸投げによって崩壊したと思います。
父親は田舎町の旧家に生まれ戦時中に過ごした事で、世は男性優位で戦争や仕事は男がやるものだから、その他の事は母親がすべてやって当たり前という考え方。 父親の実母である祖母の介護も母親に押し付け母親を疲弊させた。
言葉や行動で人を動かす事は出来ますが、父親の母親に対する押付けは祖母の介護であれ日常であれ家族としての役割をはたしていないと幼心に思っていた。 共に苦しみともに笑い苦楽を共にし乗り越えてこその真の家族である。
私は幼い頃から父方の祖母を在宅介護する母親の姿と介護を母親に押し付けて知らん顔の父親を見て 育ってきたせいか、苦労している母親に対して家族として夫として手を差し伸べない父親が大嫌いでした。
父親というのは母親と比べて愛情表現が下手というか、言葉に出して感謝するという事が少ない分、 介護になった時も母親に比べ、父親の介護って熱がないというか、地味ですよね。
子供を養い社会人として独立させていざ退職してみたら、年金だけでは生活できないと愕然とする人も多いそうです。 定年後も年金以外の収入を得ながら将来のもしもに備える事。 働く、積み立てをする、健康維持に努める事が要介護を防止し 自立した生活を維持できる。
60歳を過ぎても固定費の見直しで出来た余剰金を使いインデックスファンドで老後や要介護に備えることが出来ます。 高齢化社会を生き抜くのに年金だけでは不安だと思う方は60歳からでもまだ平均寿命には20年ありますので、老後資金はあるに越した事はありません。
サラリーマンを退職して年金中心の暮しをするという事は、生活レベルを見直し、バージョンダウンを心掛ける事。 それでは楽しめないという人は 退職後も一定の収入レベルを維持する為、働き続ける事。
親の要介護で家族が負担した苦労を自分の子にさせない為には、なるべく長い期間、資産運用を積立で続ける事です。 自身が要介護になれば少なからず家族や子供に負担はかかりますが介護費用だけでも自ら積み上げられれば家族の負担軽減に繋がります。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
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退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
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年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
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親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
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