親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
現在60歳代の方が親世代の中心になった時、家族葬は葬儀の主流になり、高齢の親族が葬儀の為に長距離移動を強いられることも減少するでしょう。 問題は平均寿命が延びる反面、自立した生活を送れる健康寿命が短い事で、 今後ますます介護や医療そして葬儀に対する備えが重要になるでしょう。
家族葬を親の葬儀として選択する場合は家族葬の費用プラス家族葬の前後7日間の親の自宅での弔問対応費用を合わせて考える必要があり、プラスアルファーの 部分は葬儀会社の手を借りることが出来ない分、綿密な準部が必要であります。
私の父親の葬儀時には家族葬が世に出始めであり、父親の遺志で長男である私が喪主として家族葬を選択したのですが、 親と同年代の親族や友人は家族葬を受け入れてくれたとは言い難い状況でした。 家族葬の人数よりも父親の自宅に弔問に訪れた方の方が多いほど、父親に手を合わせたい方が大勢いた事を今でも覚えています。
家族葬で親の葬儀をする事。系列の親族にとって家族葬が初めての場合、家族葬への理解をして貰う事前連絡や、葬儀に参列できない親族や友人の為に葬儀前後での自宅対応が出来る体制作りは、最低限の義務であると思いますし、葬儀代が安価な分、葬儀前後の費用を準備し、失礼に当たらないようにすることが必須である。
私の父親の葬儀は父親の遺志もあり家族葬にて執り行いました。 父親の実家やその親族は昔から葬儀は大人数で盛大に見送るという慣習があり、 家族葬でこじんまりと行う家族葬には反発もありましたが、これからの年代では、故郷から親族が全国に散らばり 少子化で次世代の人口が減少する中で 家族葬の需要は増加していますし、 これから少人数のごく親しい親族のみの家族葬の利用は今後ますます増えていくと思われます。
世間が桜の開花で花見を楽しむ中、介護施設の入所者や職員の方は今も感染対策で、当たり前の日常を取り戻せずにいます。親の介護を最善の選択で介護施設に入所入所させたのに、親の我慢を強いる事となり親の家族も苦しんでいます。
母親が介護施設に入所した時には、既に介護施設でお喋りをしたり笑顔を見せる事が出来ない状態であり、私達家族は日々老いていく母親を見守る事しか出来なかったので、介護施設でのポジティブなイメージは何一つありません。
母親の介護施設での思い出は暗く悲しい人生の末期の闘病生活のイメージしかない。既に筋力の低下で身の回りの事が出来ずに自力での施設での生活が出来ず、寝たきりの状態に近かった。
ゼロコロナ政策に転換した私達健常者は日常生活を取り戻し、人々に会話や笑顔が戻ってきた半面、医療や介護の現場では今もコロナによる感染症の規制により 日常生活に戻れない人たちがいます。 私の義母親もその一人で、介護施設に入所以来3年以上も会話や外出の許されない我慢の日々を送っています。
介護を依頼した親とその家族は様々な環境の中で日々介護と向き合っています。 そんな多種多様な介護に対応しより良い介護を提案するのがケアマネージャーの 役目ではないか? と思います。 介護する側の要望とケアマネの考えるケアプランを互いに聞く耳を持ってより良い介護を提案していく事が大切です。
親の家族とケアマネとの介護に対するスピード感の違いは、親の家族の『1日でも早く親を楽にしてあげたい。』という気持ちが強いほど、ケアマネの行動の遅さは不信感につながると思います。 親の家族とケアマネが良好な関係を作る秘訣は、ケアマネとの最初の面談において、期間を決めた報連相の徹底をお願いする事。ケアマネにとってはたかが1週間でも、家族にとって何の進展もない1週間は途方もなく長く感じるものです。
父親の在宅介護において寡黙な父親に合ったデイケア介護施設を紹介してくれたケアマネとの関係は良好でしたが、食事が何よりも大好きな父親は、デイケアのない平日にヘルパーさんが作る濃い味の昼食が何よりの楽しみでした。
ケアマネ選びは親の介護経験者である友人からの紹介が間違いないと言いましたが、それと同時に親とケアマネの相性を家族が見極める事も重要であり、ケアマネを正式にお願いする前に、実家にて親とその家族、ケアマネージャーの3者で話をする中で、親との相性や家族の要望に寄り添ってくれるか等を判断する事が良いと思います。
親の介護をするその家族とケアマネの関係性を上手に保つためには、親の介護をする家族側にも一定のルール作りが必要です。まずはケアマネとの意見交換をする家族の代表者を1人決めて、その家族の代表者が家族間でケアマネとのやり取りを伝達しケアマネが家族への説明を何度もする事のないようにする事。
親の介護をする家族にとってケアマネージャーという存在は家族でなくてはいけない。ケアマネはそれぞれの家族の状況を考えながら、より良いケアプランの提案や家族に寄り添った介護の提供を目指すべきであり、自己犠牲の精神を持たねば務まらない職務である。
ケアマネージャーとは親の介護が続く限り付き合っていかねばならぬ存在であり、親の家族との関係を互いにガラス張りの関係構築をせねばならない。 そんなケアマネ選びは親の介護の将来を左右する大事な作業です。 親の介護経験者や介護業界で働く友人の紹介で決める事も1つの方法です。
親の介護を分担して上手く出来る家族や兄弟姉妹は、両親の影響?で、昔から人の出入りや交流が多く、常に家族で情報を共有するような家族が多い。 人の為に汗を流す事が当たり前の環境で育った事で、人の為に動く事を厭わないのだ。
親が生きているのにそんな事?と思う方も多いと思いますが、親が健在だからこそ、親のもしもに備える事ができます。 親の介護のその先は親が逝くという事ですが、親が元気な内に、葬儀の方法やお墓の事、葬儀費用や相続の事を聞いておく事は親が亡くなった後の行動をスムーズに出来るのです。
介護施設に入所中の義母親名義の土地は 家族の重荷となっています。 僻地のその土地は宅地として売却する事も出来ず、雑草取りなどの維持費もかかる為、税金と含めて家族の負担となっています。 手放すことが出来れば、その分義母親の介護費用に回す事が出来るのですが・・・。
現在義母親は介護施設に入所中であるが実家に住む長男は、義母親の不要物の処分に頭を痛めている。 長男も60歳までわずかとなり老老介護になりつつあり、実家の不要物の断捨離も 計画的に行わなければ今後肉体的に無理と判断。
言葉が行きかう家族ではなく父親の一方的な命令を消化する場であった実家は、 一家団欒でリラックスできる場ではなく 逆に最もストレスの溜まる居場所であった事で、家族が子供が社会に出たタイミングで父親独りの家と化した最大の原因である。
父親に友人や知人は存在しなかったのに、父親が唯一心許せる父方の親族を 家族葬で制限する事にした意味が、私にはいまだにわかりません。 あなたが唯一心許せる親族をも分断させた、家族葬という選択は意味のないものになった。
言葉のキャッチボールが出来ない家族は 仮面家族である。 私達家族には、親に悩みを打ち明けたり 逆に親の弱みを見せたりする家族だからこそ見せられる部分をさらけ出す機会がありませんでした。 父親の実母を義理の関係である母親に押し付けた父親の命令?以後、喜怒哀楽を共有するというあるべき家族の姿は皆無であった。
父親曰く『私は仕事で稼いだ給料を家に入れている。だから、その他の事は母親の仕事だ。』という父親の歪んだ考えが 私達家族を会話のない、帰ってくる家に値しない家庭へと変えてしまったと思っています。
父親の命令に頷き、それをこなしていくだけ という母親の生活は、自己主張を拒まれ、男性、一家の主=稼ぐものが一番偉いという隔たった考えの父親に支配され、団欒の家庭ではなく、忍耐の家庭でした。
家族と言えども、立場や年齢関係なく 話す事は当たり前でなくてはならないが、我が家は父親の発言のみが絶対で、その他の家族の発言は許されない。 そんな地獄のような日々はが続く過程は 帰ってくる場所ではなく、出ていくべき場所となった。
昭和一桁生れの父親は家庭は母親の仕事、父親は仕事でお金を家に入れる事。 一貫した方針で、それが父親の母(祖母)の介護であっても、母親に労いの言葉1つ掛ける事もなく知らん顔。母親が愚痴の一つも言おうものなら、切れて 母親を罵倒する。 そんな父親が老いて要介護になったとしても、父親に対して愛情を持って介護出来ますか? いいえ、私には出来ません。
人の気持ちになるという事は、人任せの父親にとっては難しい事だったようです。高齢になり、私達子が独立し、母親に先立たれ、人に任せるという相手もいない。一人暮らしでは、何でも自分でやらなければ何も進まない。 父親も定年退職した時に少しでも母親の家庭内の仕事を少しでも覚えたいという気持ちがあれば、こんな寂しい老後にはならなかったはずです。
子供が独立して家を出て、母親に先立たれ、独り暮らしの父親が自らの認知症の進行で要介護となって初めて気付いた家族の支え。もう90歳も見えてきた年齢で 気付くのは、少し遅すぎた。せめて母親が元気な内に父親の感謝の気持ちを伝えられれば・・・。
父親の自分の事しかやらない体質は、母親をはじめ、私達家族を長年苦しめた。 仕事と自分の趣味だけを優先し、父親の実の母親の介護も母親に押し付けた父親。 父親としての責任は、ただ給与を家に入れるだけ。精神的にも言葉でも愛情を注ぐことが出来ない父親は、今考えれば哀れな存在であった。
父親がやる事は仕事と自分の趣味のみでそれ以外の事は何かと理由をつけて逃げてきた父親。その事に家族が反論すれば暴言と暴力でしか自己表現できない。 そんな元気があるのなら、家族を支えるべき行動と愛情にあふれた言葉の一つも欲しかった。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
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年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
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退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。