自分の領域と、人の領域。自分ができる事と、他の専門家ができる事。それぞれの社会的な役割がある。絶対的に確証が持てない分野、断言できない事は、専門外の人間が安易に決めつけて、「絶対こうした方がいい!」などと口にすべきでは無いと思っている。
太極拳愛好歴20年のヒヨッコ🐥です。 ~ 太極拳、その他中国武術、東洋思想、中医学などに興味があります ~
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どんな分野でも「好き」こそが長続きの秘訣であり、指導者の課題は、指導を受ける相手にも「好き」を感じてもらえる指導ができるか。そこには、やっている事そのものの内容だけでなく、互いの相性、人間関係、人柄までが影響を及ぼす。
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自分の領域と、人の領域。自分ができる事と、他の専門家ができる事。それぞれの社会的な役割がある。絶対的に確証が持てない分野、断言できない事は、専門外の人間が安易に決めつけて、「絶対こうした方がいい!」などと口にすべきでは無いと思っている。
誤った方向へ行かないように、その場、その時、どんな視点で物事を判断すべきか。誰もが完璧な人間にはなれない。でも、大人になるにつれ、様々な経験を積む事で、少なくとも誤った方向へ行かないよう、大人としての臨機応変な対応力、処理能力を持ち合わせて いたいものだ。
耳に関して思うのは、ライブなどに頻繁に行っている人や、イヤホンで常に大音量の音を聴いている人などは、その状態を続ければ、確実に耳が悪くなるのでは?…思う。過去に私の友人は、イヤホンでロック調の曲を大音響で聞き続けて、20代の頃から難聴になってしまった。
特別ファンでは無い私から見ても、やっぱり松平健さんはスター🌟だった。普通、70過ぎている男性で、しかも体形がそこそこドッシリしている人がいれば、ただの中年太りしたオジサンだと思えるものだけど、やっぱり長年、舞台で活躍している人は、立ち姿が美しい!
思想は個人個人で違っていても良いはずなのに、他者を絶対に認めず排除してしまうのは行き過ぎだろう。他人の価値観を認めれらず、自分こそが正義と思い込み、相手を100%悪だと見なせば、僅かな考えの違いだけで、異なる思考の人同士が決して共存できなくなり、健全な社会は絶対に実現しない。
太極拳、中医学、気功、その他、日本で使う言葉として…。とにかく神という言葉は奥が深く、様々な意味を持っている。一括りにしてしまうと混乱するので、頭の整理をしながら、「この分野なら、こう解釈した方が良い」と捉えていけば良いと思う。そうしなければ、誤った意味に受け取ってしまう。
顔色や黒まなこの表情、肌の質感は、健康状態を映し出すバロメーターとして、気がけておくべきかもしれない。外面に表れる病気の兆候に普段から注意をはらう事は、日々の健康観察には重要な事だと思える。
中医学では、先天の気と、後天の気があると考えられている。気(气・氣・qi)は、気功や太極拳の分野においても上手く活用すべき重要なもの。先天の気に関して言うと、生まれたとき潤沢にあったものが、亡くなるときにはゼロになるのだと思っている。
ダリの人と成りを今風に言えば、キャラが立つとでも言おうか…。心の中にあるものを、どんなふうにでも描き出せる人だったのではないかと思う。1人の画家がこれだけ多様、多彩な作品を見せ、自分自身までを作品にしてしまうような人は、そんなに多くはないと思う。
私はこれまで、あまり映画を観てこなかった。映画に疎い自分だけど、ジェラールドパルデューのように強く印象に残っている俳優さんもいる。
今はネット上で簡単にいろいろ学べる良い時代だけど、ときに問題を孕んでいる情報もある。特定の分野の専門家が、どういうところから情報を得てきたのか、発信された内容は的を得ているのか、それらを視聴者側が見極めるのは難しいケースもある。
私が指導する側にまわるとき、心がけている事がある。それは、同じ空間で、みんなで一緒にその場の空気を肌で感じ、心の静寂までも全員で共有する事。日々の生活におけるストレス、脳疲労を緩和し、心の落ち着きを取り戻す時間を仲間と一緒に過ごす。
捨己従人は、謙虚に、他人の良い部分を認めて参考にする。そうすることが良い結果を生む。相手に合わせ、同調し、付随していく事が、結果的に自己実現や、理想の社会、理想の環境づくりになる、そんな主旨の表現。
普段、精一杯がんばっている人達の、たかぶった神経を休めたい。呼吸法、気功、太極拳動作などをやっていくうちに、神経過敏な状態が無くなるなら、時間をみんなで共有する意義は大きい。
ネットでもリアルでも、人と人とのあたたかな触れ合いは、確かに存在していて、どちらにおいても癒されたり、勇気づけられたりする事はある。ネットの普及によって、良い事も沢山あったのだ。便利な機器やネット環境の無い生活には、もう戻れない。
人の欲求はとどまる事を知らない。便利なものを開発し、ヒット商品を出すのが企業。でも商業主義が行き過ぎて、何でもかんでも、「高い機能を持った機械・機器が処理します。」となると、人が人としての能力を低下させる事に繋がる。
便利なモノを取り入れる為に、事前の交渉の段取りを経なければならないという事。それだと、かえって時間がかかるのではないか。でも最初は時間をかけてでも進めなければ、いつまでも何も変わらない。
どんな分野でも「好き」こそが長続きの秘訣であり、指導者の課題は、指導を受ける相手にも「好き」を感じてもらえる指導ができるか。そこには、やっている事そのものの内容だけでなく、互いの相性、人間関係、人柄までが影響を及ぼす。
「武術的な動きの要素を健康法として利用する」という説明が、私にはしっくりくる。稽古を続ける事で、しなやかな動きが可能となり、心肺機能が強化され、深部感覚も磨かれる。
稽古に関して、とにかく言えることは、その人ができるタイミングで稽古の場へ来て、継続できるのが一番。家族の事情でやむを得ず休会しても、また時間に余裕ができたら戻ってくればいい。
ネットでもリアルでも、人と人とのあたたかな触れ合いは、確かに存在していて、どちらにおいても癒されたり、勇気づけられたりする事はある。ネットの普及によって、良い事も沢山あったのだ。便利な機器やネット環境の無い生活には、もう戻れない。
人の欲求はとどまる事を知らない。便利なものを開発し、ヒット商品を出すのが企業。でも商業主義が行き過ぎて、何でもかんでも、「高い機能を持った機械・機器が処理します。」となると、人が人としての能力を低下させる事に繋がる。
便利なモノを取り入れる為に、事前の交渉の段取りを経なければならないという事。それだと、かえって時間がかかるのではないか。でも最初は時間をかけてでも進めなければ、いつまでも何も変わらない。
どんな分野でも「好き」こそが長続きの秘訣であり、指導者の課題は、指導を受ける相手にも「好き」を感じてもらえる指導ができるか。そこには、やっている事そのものの内容だけでなく、互いの相性、人間関係、人柄までが影響を及ぼす。
「武術的な動きの要素を健康法として利用する」という説明が、私にはしっくりくる。稽古を続ける事で、しなやかな動きが可能となり、心肺機能が強化され、深部感覚も磨かれる。
稽古に関して、とにかく言えることは、その人ができるタイミングで稽古の場へ来て、継続できるのが一番。家族の事情でやむを得ず休会しても、また時間に余裕ができたら戻ってくればいい。
1つの流派の創始者は、昔、ある時点で、熱心に拳術などの技法の習得に取り組み始め、技を弟子に伝承していく中で、1つのグループが形作られていった。