鑑三翁は69歳で亡くなった(1930〈昭和5〉年)。心臓の疾患だった。この頃の平均寿命は男性でおよそ50歳、女性でおよそ53歳(厚労省資料)。当時は乳児死亡率が高く(出生100件に対し12.4)、感染症の罹患率も高く医療も不十分な時代でもあり、統計の手法も現在とは異なるので単純比較はできないものの、鑑三翁は当時としては長寿であったといえるだろう。しかしこれはあくまで「平均寿命」であって、乳児死亡率の高さなどが平均寿命を引き下げていたこともあり、七十歳八十歳超の老人も数多いたことも確かなことである。鑑三翁は「老人」や「高齢者」といった事柄に関する論稿は少ない。そのうちの論稿の二つを現代語訳した。「老年の歓喜」「老年の祝福」と題する論稿。《老年の歓喜》【若いことを喜び老年を厭うことは普通の人情である。しかしな...[Ⅶ298]老いの意味論(6)/鑑三翁「老い」を記す①