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2020/10/12

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  • カジュアルな感じで写真展へ行ってみる

    SNSやYouTube、僕らの時代はレコードやラジオ、ストリートライブ、そこで知った趣味の合うミュージシャンのライブへ行ってみて、生の演奏の素晴らしさに感激し、さらにアーティストや音楽が好きになる。よくあることだと思うんですが、これと同じ体験を僕は、海外の美術館で経験しています。教科書や雑誌で見かけた有名な絵。本物を見た時の衝撃ったらなかった。モネとピカソは、そんな筆頭でした。二人とも、そんなに凄いとは思ってなかったんです、本物を見るまでは。特にピカソは、変な絵を描く画家。でもバルセロナのピカソ美術館で、幼少から晩年へと並べられた数多くの作品を見て唖然。幼少の頃の絵はめちゃくちゃ巧い。それがどんどん有名な画風に変わってくる変遷を知り衝撃を受けました。美術館を出る頃には、ピカソは凄い、ピカソは巨匠だって完全に切り替わってました。あの時に味わった感動、日本中の美術館へ行きました。美術館を巡るためだけにパリには何度足を運んだことか。そんな経験もあって、絵画を見る目は少しは養われたんじゃないかなと。 僕は写真を道具として作品を発表してます。なんとなく撮っていた写真、撮りたいと思う自分の心の根っこに正直になり撮り続けていると、何を表現したいのか?が明確になってくる。撮れば撮るほど、そのテーマに近づいた写真が撮れることを体験してます。写真の展示を見て、楽しいぞって思うようになったのは、そんななぜ撮ろうとするのか?作者の心を探ることが面白いと思うようになってからですね。そういう意味では画家も写真家も根っこは同じ。巷で溢れる写真の教室や展示会は、写真の技法に走りがち。もっと自由に撮れば良いのにとか、もっと面白い写真撮れるはずなのにって思うことも多いです。僕は写真はアートだと信じてます。写真展に来ていただいて、あーだこーだ感じてほしいなぁって思います。そして、もし、気に入ったならば、それを作家にそっと伝えてほしい。ダメだと思ったら、なぜダメなのか? 正直にバシっと言い放ってほしい。それが作家の次の活力になりますから。まずは、気楽な感じで、写真展に足を運んでほしいなと思います。アートってほんと楽しいですから。

  • エンブレムが変わるということ

    サッカークラブ、ガンバ大阪のエンブレムが、今年からとってもシンプルなものに変わった。これまでのは普段着やビジネスには、流石に厳しかった。鬼滅の刃のキャラクターをネクタイに着けて商談に望む人はいないのと同じレベル。でも、今度のエンブレムは付いていても許せるレベル。グッズの売り上げにも影響するんじゃないでしょうか。すごく好感持ってます。そういう意味では企業のロゴも、変わった時に感じる違和感も、年月が経つにつれ、そういうもんだって風に見えてくる。ガンバ大阪の新しいエンブレムが、大人の雰囲気をもったモダンなクラブに変わる象徴みたいになると良いなと思ってます。

  • 琴剣のちゃんこ道場

    料理はアートです。料理本の写真を見るのが好きで、パラパラめくっては楽しんでますが、この料理本は写真は一枚もなく絵のみ・・。鍋料理本は、どれもそれほどハズレはないと思いますが、この本に掲載されている鍋はどれも簡単で群を抜いて美味しいです。お相撲さんが作るちゃんこ鍋が、美味しいのは有名な話。元力士がやられているお店に入ってハズれたことは経験上ない。あっチェーン店はダメです。超有名な若なんとかさん経営のお店は、口に合いませんでした・・。鍋ってやってみると意外と簡単です。出汁から作っても、そんな技は必要ないし、バリエーションも豊富。我が家は一年中鍋作ってます。お鍋を作りたいお父さんには、超絶お勧めします。

  • またパンダと暮らそう

    2030年には、新車でガソリンエンジン車は買えなくなるかもしれない。ハイブリッド、電気自動車には、未だ乗ったことがありません。ずっとガソリン車。ディーラーの人から言われて気づいたんだけれど、かれこれ9年FIAT500に乗ってます。その前は二人乗りのオープンのスマートカブリオ。その前が初期型のPANDA45、それにPANDA sie。国産車には無い独特の個性に惹かれ。ずっと欧州の小型車に乗ってます。今でも乗りたい車は?と聞かれると、初期型のPANDA、ルノーサンク、キャトル、初代ツィンゴ、シトロエンのAX、2CV、ちょっと旧い欧州の小型車が良いなぁと思う。困ったことも多かった。風圧で曲がるドアミラー、途中で手動アシストが必要なパワーウインドウ、ワイパーがどこかへ飛んでいったり、走行中にアクセルペダルが床に張り付いたままになったりと、イタリア車の洗礼を嫌というほと受けました。でも、なぜか、みな良い思い出。一般の人とはちょっと違う故障に対する免疫が出来ちゃってると思います。9年目のFIAT500。未だに良いなあぁと思うし、飽きてないし、好きだし。普通に車検を通すこと考えてたんだけれど、2030年まで残り8年。機材や作品の運搬に、もうちょっと荷物が積みたいとか、3人乗る時に不便だとか、使い勝手の解消もあるけれど、不思議とパンダが気になったの。前にパンダに乗ってた頃は、楽しいことばかりだったから。今日、新しい限定車のパンダを見せてもらいました。 うん、いい色でした。

  • 大阪マラソンは終わったけれど

    2022年の大阪マラソンは、コロナの影響で一般参加ランナー無しで開催。中止になった一般参加ランナー向けの、その後のアナウンスはまだない。返金の額やら方法はどうなるんだろう?大会そのものは実施されているので、経費はそれなりに掛かっていると思う。その分の経費を差し引かれた返金額にならないことを願います。 さて、大阪マラソンの翌週、東京マラソンは、開催されてました。その後のクラスターの状況はどうなんだろう?すごく気になります。大丈夫だったなら、大阪マラソンを中止にしたことへのパッシングはあるだろうね。未来は誰にも解らないから、難しい判断ではあったでしょうけど・・。そういえば、大阪マラソン以降、あまり走れてない。というのも、夜や週末は、ほぼ次の個展の準備にかかりきりで、なかなか時間が取れない。そのおかげで、準備は、だいぶ捗りました。個展まで一月半、最後のひと頑張りだけど、本を読む余裕も出来てきた。

  • テレワークの本質論

    コロナで一気に身近になったテレワークですが、コロナが落ち着いて、これは仕事にならんと一気に制度を無くした企業、いやいやこれは良いぞと、積極的に活用している企業。知り合いの企業でも対応は、分かれてます。ほんと様々。IT系の企業で働いているので、僕もテレワークしてます。仕事柄、出張が多く、各地にオフィスがあってクライアントも全国。ここでしか出来ない仕事というのは、ネット社会でデータ共有が当たり前のIT系企業だと、ほぼないと断言できます。テレワークをやめてしまう企業が多い一番の理由は、生産性が下がるということ、サボるってことに対応出来ないということ、コミュニケーションが不足するという点。超私的な意見ですが、これテレワークでなくても、起こっていること。オフィスワークでは、ずっと一緒に何かをするというケースは少ない。一人一人が担当するタスクがあって、それをこなせば目的に近づける。マネジメントで、その進捗やベクトル、それに内容の質を定期的に確認出来ていれば、そんなにおかしなサボり方は出来ないと思うんです。 オフィスに居ると、なぜ、これが出来てると思うのか? 出来てると思ってるのは錯覚なんじゃないかと思ってます。それにマネジメントする側が、四六時中監視または指示せずには仕事を任せられない仕組みになっていること。テレワークで四六時中監視して指示を出す、これは大変です。数人ならまだしも数十人になると、多分無理。ならばこの課題を解決しようと双方歩み寄れば良いけれど、そういうやり方をしているところは両者の信頼関係が構築出来ていないので歩み寄って建設的な議論にはならない。だからテレワーク無理と・・。本質はマネジメントとコミュニケーションの質の問題だと思う。テレワークがうまく活用出来ないというのは、大体こんなとこじゃないかなと想像してます。ここまでは、僕の視点なんだけれど、この本では、オフィスで出来ていることを、どうやれば、テレワークでも可能になるのか? それを考え工夫することが重要だと伝えてくれてます。環境は、この先も変わる、人も変わる、災害が起こってもそう。その都度、工夫して対応出来るようになろうってこと。テレワークうんぬんだけではない、大きな視点の考えだと思いながら読んでました。僕は、性善説で考える傾向にあるようで、性悪説を前提に仕組み化されることには、とても違和感と抵抗を感じます。そのあたりのことも記述されていて、こんな考えでは

  • 岸田劉生と森村・松形コレクション

    京都国立近代美術館岸田劉生の絵は怖い。娘を描いた「麗子像」のイメージが鮮烈すぎてそう思ってます。怖いこけしみたいな容姿に朱色の着物。こんな風に描かれた娘さん、どんな気持ちだったんだろう?という疑問も・・。ざっと見て印象に残ったのは、「壺」ですね。大きな作品ではないんだけれど、凄い圧倒される美しさがあるんです。一人の青年が、何度も何度も舞い戻っては、この作品の前で唸ってました。美大生かな? その気持ち痛いほどわかります。僕もそうでしたから。岸田劉生は、38歳で亡くなってるんですね。人間関係で苦労したことがテキストでも読み取れました。どんな人だったのか?気になりました。展示全体を見て、唸る絵はたくさんあったし「壺」は、何度も見たいと思ったけれど。僕は多分、この画家が好きではないです。うまく言えないけれど・・。そうそう僕は、ルノワールの絵も、ちょっと違うぞって思うんです。惹かれる絵もたくさんあるけれど、これ違うよなぁとか、これ手抜き?って思う絵も相当ある。それと似た感覚を岸田劉生の絵に感じたのかもしれません。 別の階の展示は、美術館のコレクション展。ここは、写真の展示も多くて、ユージンスミスやらウェストンとか馴染みの作家の写真もあって、小ぶりですが楽しめました。写真の見方が、以前よりもシビアになってる気がして、これが自分の写真に還元出来ればいいんですが・・。

  • 軍人と民間人の区別はいるのか?

    ロシアがウクライナへ侵攻してしまった。外出中街で新聞の号外で知った時には、まさかでした。このところのニュースは、この話題で持ち切り。この時代に、戦争が起こることにびっくりしているし、これが許されるならば台湾が危ないぞとゾッとした。民間人も犠牲になってます、というニュースは、軍人ならば犠牲になってもしょうがないと、取れてしまう。そもそも民間人と軍人の区別はなんなんだろう?軍人として登録した時点で、攻撃される対象になることを認めたということなんだろうか?武装している人間は、攻撃対象にしてもよいという理屈だと、火炎瓶を作っている民間人は攻撃対象になるんだろうか?思想的な面も考慮する必要もあるかもしれない。恐らく、ほとんどのウクライナ人はロシアに敵意を抱いていると想像する。敵意を武装だとすると、これも攻撃の対象になるんだろうか?戦争そのものを正当化したり、戦争することが前提の理由付けは、常識に当てはめて考えることが難しいし。ほとんどの戦争は、権力者のメンツを保つために始まっていることは、歴史が教えてくれている。だから、どこかで辻褄があわなくなる。 今回のこと、歴史の中でどう扱われるのか?すでに答えは出ている気がするけれど・・。戦争反対人殺しは悪民間人も軍人も、人間だぞ。

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