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2020/10/12

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  • 手帳は未来の自分への手紙

    社会人になってまもなく高価な手帳を手に入れました。確か東京の百貨店で、二十台の時。ファイロファックスのシステム手帳。クレジットカードで買った初めてのモノだったような気もします。身分不相応な革の手帳を買ったのは、その手帳を使うことがかっこいいと思ったのと、そんな手帳を使いこなせる人になりたいとも思ったから。雑誌で坂本龍一さんが使ってると知ったことがきっかけなんだけれど。使い始めた頃は、多くの予定がある訳ではないし大したことは書いてなかったと思う。でも手帳に書いた事を見返す習慣は、この頃に出来上がった。そんな若い頃から仕事も、手帳も変わり、30年以上経過したけれど、常に手許に置いて手帳は使い続けてます。スケジュール管理と、その時に思いついたこと、心に残ったことを、忘れたくないことをメモするくらいですが。 ある時、これは「未来の自分への手紙」じゃないかと。そう気づいたんです。今はこう考えてこう思ったけれど、未来はどう? そんな風に。そう発見した時から、書くことがとても楽しい。人に見せる気がないので、正直に書けることも気楽でいい。 いろんな手帳を使いましたね。「7つの習慣」の超信者でもあるので、そのオフィシャルな手帳を使ったこともある。普通のノートを手帳代わりにしたことも。今は、ほぼ日手帳のWEEKSと、コクヨの測量野帳、それにトラベラーズノートを併用中。ほぼ日手帳はスケジュール管理と日々の日記。測量野帳はアート鑑賞やら旅の記録。トラベラーズノートは、写真関係の雑記帳、テクニック的な記録など。その年によって使い方を微妙に変えてますが、最近はこれで落ち着いてます。 手帳といえば、博物館の展示の中に、それに関係する方が使っていた手帳やメモが展示されていることがよくあります。僕は、それにすごく興味がある。最近は、手帳もデジタルに移行してる人も多くて、そんな展示も無くなるのかと想像すると、ちょっと寂しい。その方が亡くなったら誰も見れないですもんね。 さて京都へ行ったついでに、愛用中のトラベラーズノートの京都店を覗いてきました。トラベラーズノートの公式オフィシャルブックの発売日だったので、それも見たくて。トラベラーズノートは、発売まもない頃に、とある画材屋さんで見かけて動街買い。一枚革のシンプルな手帳。好みの薄いリフィルを挟み込み、ゴムバンドで束ねるという仕様。使い込むと味が出る革の風合いが好きだったのと、カスマ

  • 荻須高徳展 私のパリ、パリの私

    美術館「えき」KYOTO 好きですこの画風。佐伯祐三(1898-1928)さんがパリで亡くなったのは30才の1928年。荻須高徳(1901-1986)は、その時27才。パリで接点があった二人。絵からもその影響を感じます。佐伯祐三さんを知る流れで荻須さんの事を知ったけれど、稲沢市荻須記念美術館へも、未だに行けてないので荻須さんの絵を、一気にこれだけの数見るのは、多分初めて。展示は、年代順に回顧する形式。1930年頃までは、筆使いが、佐伯さんそっくり。構図もよく似てます。「ポスターの壁」と題された絵は、佐伯さんが得意とした題材そのもの。ただ、佐伯さんはもっともっとダイナミックに崩すだろうなと思った。歳を重ねるにつれ、その画風は普通というかまともな線になってくる。それはそれで良いんだけれど、佐伯好きからするとちょっと複雑。荻須さんの絵は若い頃の画風が好きですね。それに初期の頃の作品は、とても光って見えるんです。絵の具の材質によるものなのか?とても綺麗。重厚感とは違う輝きが良いです。写真でこういう表現をしてみたいとずっと試行錯誤してはいるけれど、未だ実現できず。それにしても、パリの街は、画家にとって魅力的に映るんですね。佐伯さんもパリから日本に戻り描くものが見あたらず、再びパリへ戻ってましたからね。僕は、初めてパリへ行った時に、空の色が日本とは違うことに驚いて空ばかり撮ってました・・。もう一つ興味深いのは、エッフェル塔が出来たのが1889年、荻須さんも佐伯さんもエッフェル塔を主題として、描いてないんですね(多分)。写真家の植田正治さんも、パリへ行った際、エッフェル塔の写真を一枚も撮ってないと聞きました。この当たりが凡人とは違うんでしょうか。展示の最後に、パリ風景のデッサンがあったんですが、1979年に新聞に掲載された画文集47章の挿絵の一部。その画文章、47章の文、挿絵が全て、この展覧会の画集に掲載されてました。荻須さんの価値観がとてもよく解る読みごたえのある内容で、展覧会を見終わってからも楽しめてお勧めです。荻須さんは84歳まで生きて、作品を残されました。佐伯さんは30歳。佐伯さんが同じ歳まで生きていれば、どんな作品を残されたんだろう?画風は変わったんだろうか?と、そんな事を見終わったあと、考えてました。佐伯さんが亡くなった頃から、荻須さんは「OGUISS」に変えたらしいです。

  • KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

    まだまだ回れてない・・・。10月になったら残りを回るつもりです

  • MINAMATA

    小さな頃、新聞でよくみた「水俣」という文字。「水俣病」という地名が付いた病名を地元の人はどう受け入れているのか? そんな疑問を持ち、詳しいことは解らないけれど水俣は危ない場所という思い込みが、少なからずあったと思います。ユージンスミスという写真家を知ったのは、夫人であるアイリーンさんと面識をもったことがきっかけ。写真集を見て、書籍を読んで、もの凄い人なんだと知り、アイリーンさんを通して環境問題のこと、女性ということで写真家として認めてもらえない現実、そしてこの映画「MINAMATA」のことに、興味を持つようになってました。完成したものの、なかなか日本で上映が決まらなかったこの映画。映画の内容から、大人の事情が背景にあるんでしょうね。 ユージンスミスの情報はある程度解っていたので映画を見て新しい事を知った訳ではなかったけれど、映画を見終えて、純粋に上映出来たことに、ほっとしたというか、よくぞ作ってくれたと思ったのが最初の感想。ユージンスミスになりきったジョニーデップが凄すぎて、他の出演者が霞んでしまったかもしれない。冒頭から凄いアングルで始まり、ロックなサウンドとハリウッド映画だと感じるスピーディーなアメリカでのカットが続き、この調子で最後まで突っ走られると着いていけないかもと不安になり始めた頃に、ゆったりとしたシーンに変わる。日本のシーンでは演劇くさい演出が、野暮ったいと思ったりもしたけれど、まぁ許容範囲。2時間があっというまに終わってしまった印象です。 ユージンスミスが主役ではあるけれども、人災として捉えた環境汚染への問題提起ですね。時間が解決する問題は、数多くある。この水俣病の問題もそうかもしれない。けれど、風化させることなく次の世代に伝えるべき事、この問題はまだ終わっていない事を、世界に知らしめる意味でとても意義のある作品ですね。 ユージンスミスを英雄化するとか、被害者を哀れむとか、そういう極端な演出が見えてこなかったことも好印象。映画ですから、史実を誇張してしまう部分は、あるんだろうとは思いますが、水俣病の事を知るきっかけとしても日本人は必見の映画ではないかなと思います。日本人には作れない映画だと思う。でも日本人に作って欲しかった映画でもあります。

  • ぼくが世の中に学んだこと 鎌田慧著

    夢中で読んでしまった。1983年に発行された骨太の著者の経験を綴ったルポ。町工場の過酷で非人道的な低賃金の労働体験。昔はねと一括りで、語るのは、うまくないけれど、「出稼ぎ」という言葉が一般的だった頃の昭和の時代の話し。劣悪な労働環境は大企業のトヨタでもそうだったみたい。使い捨て?家畜のような待遇。使う側と使われる側というわかりやすい図式の中で生きている人達の事が、著者の実体験を通して描かれてます。活字でこれだけの描写をする著者のライターとしての技量には驚くしかないけれど、その内容も実に興味深い。僕は、この本の中にあるような過酷な仕事をした経験がない。僕は単純な作業の繰り返しが昔からダメで、ほぼ使い物にならないと思ってます。それを強要され、せざる得ない状況になったとしたらどうだろうか?と想像しながら読んでいたのでとても疲れました。ただ企業に働き精神的な苦痛で去った仲間をいっぱい知っています。精神的な苦痛のレベルは、時代や環境、それに人それぞれの感覚で、変わるんだろうと思う。そもそそ人と比べてどうかという議論すら間違っているとも思う。 この本で著者が伝えたかったことは、最後の最後に書かれてます。 「この本の読者の中から、どんな苦しい時でも、その苦しみを仲間と分かち合い、明るく生きている多くの人がいることを知り、自由におおらかに生きていく年若い人たちが、ひとりでも、ふたりでも出てくれれば、著者としての本望であると。」 心に刺さった文 (引用)・どんなところにいっても、ものごとをしっかり考えている人がいる。世の中のことをよく考え、自分を犠牲にしても人々のために働いている。・こころの底からのギリギリの言葉に対しては、高学歴や権力の言葉は役に立たない。・戦争中でも、命をかけて戦争に反対しつづけた人たちがいた・さまざまな場所で、自由に、つまり人を支配したり、人に強制したり、あるいは人から強制されたり、自分の意見を言わなかったり、あきらめてしまったり、そんな生き方でない生き方をしている人がいる。 僕は、学生の頃「太平洋ひとりぼっち」を読んで、海の上で仕事をしたいと思い航海士になった。学生の頃に、この本を読んでいたら、どうだろう?サラリーマンの道は選択肢からバッサリ外していただろうなと、想像します。若い人に是非是非読んで考えて欲しいと思います。

  • セザンヌの食卓

    セザンヌって、よく解らなかったです。モネとかルノワールは、視覚的に良いなぁって思うけれど、セザンヌは、良いなぁって思わなかった。なぜ近代絵画の父と言われるのか? ピカソが、最も影響を受けた画家と語ってるのを知り、ますます解らなくなったというのがセザンヌの絵を知った頃の感想。 この本の作者は、セザンヌの「リンゴとオレンジ」を見て強い衝撃を受けたと冒頭に書かれてます。僕とはそもそもセザンヌとの初対面の印象から違い絵画の見え方そのもが違います。さすがです。 セザンヌはリンゴや果物を数多く書いてますが、どれも美味しそうには見えない。いわゆるヘタウマの絵だと思う。セザンヌの絵の特徴は「なんだか変」だと思ってます。それはモノを正対した時に、こんな風には見えない。同じ平面のテーブルにあるお皿の角度がおかしい。これがキュビズムと言われる、ピカソが影響を受けたといわれる所以でもあるんですが。これが絵としてなりたっていること。それを作品としてバンバン描き残したことが天才と言われるんでしょう。変人と捉えられてもいいかもしれないけど・・。小学校の時に、こんなデッサン描いたら怒られると思って書けない。他人からどう見られるのか?が気になってしまい自由な発想が削がれるのは、どこの世界でも同じこと。そんなこと企業では日常茶飯事ですからね。さぁみんな思いつくまま発想してみようと言いながら、出された意見を、あーだこーだとぶっ壊す達人の多いことか。 このセザンヌが残した、このヘタウマの絵から、発想を得たピカソの作品を漁ってみたり、この本にあるセザンヌの絵を見てみると、なるほど、そういうことかと発見が出来る。今までと違う見え方を世に出したという点はまさしくアートの視点。それにキャンバス全体を見渡した時に感じる、色のバランスが、なぜか気持ちいい。セザンヌが多く描いた「ヴィクトワール山」も、そう。なんだ良いじゃんと思えてくるんです。セザンヌの絵が好きかどうかは別に、すごく興味深い絵を描いてること、今更ながら発見できます。 この書籍は、セザンヌが食べたであろうレシピが掲載されてます。写真がセザンヌっぽくないのが惜しい(笑)

  • 元吉烈:ある遊郭の記憶

    先週、写真集を見せてもらって、どんな写真展示になるのか?とても興味が湧いてギャラリーで見てきました。「ある遊郭」とは、大阪はハルカスのお膝元の飛田新地。本展は、その一角に1929年に建てられた「満すみ」という元遊郭の廃屋を記録した写真集「HOUSE OF SESIRES」を紹介するための写真展。この写真集を作るためクラウドファンディングで382万5千円を集めたとか。これからの写真集の在り方かもしれませんね。このプロジェクトは写真家の元吉烈さん、グラフィックデザイナーの門馬翔さん、それにこの「満すみ」の存在を知り写真集の発行を企画した篠原匡さんによって作られてます。偶然にも3名とも在廊されていました。写真家の元吉さん以外、誰が誰か解らず・・。話の展開から後になって、それに気づくというなんとも間抜けさに、ギャラリーを後にして苦笑してました。写真集を最初に見ている影響からか、展示された写真は、ジャーナリスト目線の写真が多いことが気になってました。なんでだろう?って考えてると、元吉さんはドキュメンタリーの映像作家であるとのこと。この当たりがヒントでしょうか?そのあたりはちゃんとお聞きすれば良かった。写真は額装することなく、プリントされた用紙をクリップで吊るすという展示手法。作家の元吉さんは「展示は額装じゃ面白くないかなと思ったので、こうなりました。お金もかかるし」と笑って話されてました。 作風からして、これはこれでアリなんだろうなと思ったんですが、これは賛否が分かれるところでしょうね。僕はありだなと。最近の写真展を見ていると額装だけが全てじゃないですからね。東京都写真美術館で展示されてる作品でもそうだし。伝われば良いんじゃないかと。それよりも写真集、すごく良いです。記録に残すという意味でも、写真のクオリティーの面でも、とても素晴らしい作品に仕上がってます。この写真集を見て、展示を見たいと思ったくらいですから!! 写真集作成の経緯など、ここに綴られてます。https://shinichiro-kaneda.com/articles/44

  • 次回個展のお知らせ

    タイトルは仮です

  • INTUITION Works On Paper

    直感 紙の作品・宝塚市立文化芸術センター宝塚市立文化芸術センターは、宝塚ファミリーランドの跡地に建設されてます。敷地内でバザーが行われていたり、平日でも家族連れが、遊びにくるような、アートを生活の延長線上に感じられるカジュアルなでも本格的な日本では珍しいアートセンター。宝塚歌劇を生み出したおしゃれな関西圏のベッドタウン。館長である加藤義夫さんは、「街のリビングにしたい」と言われてました。この場所が日本のアートのお手本になるといいなと思います。 オランダを中心に活動する美術家集団「The Act of Painteing」は、抽象絵画を推し進め人の潜在意識と直感による内面を視覚化することを検証しているそうです。この展覧会は、そんな海外のアーティストの作品と二人の日本人画家、またワークショップで作成された子供達の作品を加え展示されていました。日本人画家の中村眞弥子さん、柴田千佳子さん、それにセンター長の加藤義夫さんを加えたギャラリートークに参加してきました。普段は写真以外の美術系のトークを聞く事が少ないので、とても興味深い内容でした。・言葉に表せないモノを視覚化するものが抽象画・抽象画は、言葉に表すことが非常に難しい・評論家はそんな矛盾するような難しい仕事・「直感」は、何も考えていないようで、これまで人生の経験をベースに選択し無意識に判断している・抽象画は何もないところから生まれる。数十枚は描けるが、それ以上描くことが難しい・子供は天才 自我が生まれた段階から描けなくなる・アーティストは、自我から解放されるている・抽象画は自由で作品を観ることで精神の浄化作用がある・医者にコレクターが多いのは、この浄化の影響・抽象画は、積み重ねた経験値から人生を物語っているとも言える・作品を観るというより感じる感覚・見えないモノを視覚的に表現する・絵画はメッセージではなく、存在を共有するものなどなど。 「直感」というタイトルは、トークを聞いてとても納得。中村眞弥子さんそれに柴田千佳子さんの作品は、写真で見るよりも迫力もあり存在感がありました。これだけ大きな作品なのに、色と形のバランスの良さはなんだろう? ずっと見ていて飽きない作品。この日で撤収されてしまう事が、とても惜しい。こんな作品を写真を通して発表したいですね。

  • あわだつからだ 前川志織

    風アートプランニング代表の泉井さんと、ご縁があってギャラリーへ伺ってみました。早く行かねばと思いながらも、なかなかタイミングが掴めず今回が初。 個展は前川志織さんの「あわだつからだ」。体の風景を描くというサブテーマ。部屋に入り、全体を見渡す。黒い・・。やばい作品? 死? 宗教画? ギュスターブモローの黒い版? 作品の説明に「パネルに綿布、墨汁、エッグテンペラ」とあります。墨汁で全体を塗り、そこから下地を削り出し人や背景を浮かび上がらせるという手法。水彩画しか描いた事がないので、どれほど大変かは解らないけれど難しそう。作品をじっくり見るとベースになる墨汁の風合いが、どの作品も一様ではなくて、背景として成り立ってる。全体が黒いので解りづらいけれど、微妙なグラデーションがすごくいい。戦場での苦しい心の叫びを全面に出し、見ているとこちらも苦しくなる画家の香月泰男さんの「シベリアシリーズ」を連想しましたが、前川さんの作品は、じっと見ていると光が灯される感覚になる、不思議な感覚になったことが印象に残ってます。 前川さんは、とても静かな佇まい。作品のタイトルも、「ここではないどこか」「自分と指切り」「泥を結ぶ」「半身」等、暗い印象はない。最初に感じたネガティブな印象は、作品全体を見渡した後には、すっかりなくなりました。体の風景を描くと作者が示したように、体が泡立つように湧き上がる人の情景を表現するには、この前川さんの作風があってるのかもしれない。そう思うと噛めば噛むほど味が出てくる作品です。いいもの見させていただきました。次の作品も見てみたい!!

  • おかえりモネが面白い

    連ドラは、一気に見る派です。テレビの前にかじりついて見てた昔はなんだったんだろう?録画したドラマを見たい時に見る。録画と言えばVHSやらβやらとビデオテープの規格があったことなんて、今時の若者は知ってるのかなぁ? そういえばリモコンのボタン「巻き戻し」ではなく「早戻し」になってるんですね。で、NHKの朝ドラ、「おかえりモネ」が面白いという話。いつものことながら、当初は全く見てませんでした。ある程度、撮りたまったところでちょこちょこ見だしていると、いつのまにか追いついてしまい。今では次の回が待ち遠しくなるほど。おかえりモネの「おかえり」の意味が、なんとなく解りはじめた終盤。 何が面白いのか? それは主人公の永浦百音(モネ)を演じる、清原果耶(きよはらかや)さんの、表情に引き込まれ始めたんです。これが演技ってやつですね、すごいなぁと。彼女は表情だけで演技が出来てしまう。そんな方はいっぱいいるんでしょうけど、引きこまれてます。なんなんだ、凄いぞと。ストーリーの展開やセットには、都会的な香りは全く感じなくて、むしろ、野暮ったい。そこはNHKの朝ドラ。このドラマを見て気象予報士になりたいと思う人がどれだけいるのか?それよりも清原果耶さんみたいな女優になりたいと思う人が増えるといいなと思ってます。先日、気仙沼で「おかえりモネ展」やってました。登場人物の大きな大きなポートレート。フォトグラファーの腕にひとしきり感心!! 上手い!!

  • 未来に生きる 「モアイ」

    イースター島にある有名な石像の「モアイ」。名前の由来は「未来に生きる」。へぇ〜知らんかったです。先日、三陸を訪れた際、さんさん商店街という道の駅にモアイ像が。なんで、こんなところに?と横目で見ながら、大雨の中、車に飛び乗ったので、謎は解明されず。そんなことを突然思い出して、気になって調べてみたら、経緯はこんなとこ。・1960年 チリ地震津波で三陸は被害を受ける・1990年 チリからチリ地震津波を後世に伝えるた国鳥コンドルの碑が贈られる・1991年 それを機に、チリ人彫刻家製作のモアイ像を志津川の松原公園に設置・2011年 東日本大震災により松原公園からモアイが流される 流されたモアイが発見され、志津川高校の敷地に移設・2013年 チリより新しく製作されたモアイが三陸に贈られ さんさん商店街に設置される目のあるモアイは世界に二体だけだそうです。そのうちの一体が、この三陸のものなんですね。なんだか、すごい。それにモアイの意味が、とっても良い!!このテーマで写真撮ってみたくなりました。「未来に生きる」なんかいいね。

  • しゃにむに写真家 吉田亮人著

    面白かったです。一気に読んでしまいました。小学校の教師から写真家へなった吉田さん。「この家には教師二人も要らん。教師辞めて欲しい。写真家になったら・・」なんて同僚で教師の奥さんから言われて、その通り教師をやめた吉田さん。同じ境遇になった時、僕ならどうしただろう?なんて思いながら読んでました。写真業界のことを少なからず知ってる僕ですら、この決断は凄い。それに写真家になるための苦労話もあっけらかんと書かれています。写真家としてもがき苦しむ様は、DeNAを創業された南場知子さん著の「不恰好経営」を思い出してました。起業って成功法があるわけではなく、さまざまな失敗を繰り返しながらあゆみを進めていく。どの起業家も同じで想像以上に泥臭い。そんな体験されている方の言葉は重いし面白い。結局、独立してお金を稼ぐんだから、同じといえば同じなんだけれど、その苦労をしてでも写真をやり続けたいと思う意志や意義が重要なんだろうなと改めて思ってました。 発表された作品の作成意図や心の変化も丁寧に描かれていて、写真家としての葛藤は、とても解りやすく共感できるものでした。それにしても、要所要所で出てくる、吉田さんの奥さん。すんごい良いエッセンスを与えてます。できれば奥さん語録だけの本があっても面白いかもと余計なことも考えてました。吉田さんの写真、失礼ながら見たことがありませんでした。今度写真集取り寄せてみようかなと思ってます。写真家に興味がある人は、必須の図書だと思います。是非是非。

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