人生、人生相談、生きがい、生きることなどを、キリスト教信仰、聖書の立場から考えます。解決は神様、イエス様との個人的関係がカギだと信じています。コロナ禍でストレスに満ちた世の中にあって、自死や自殺を切に防止したいと願っています。
HSPの方からの質問です「神様が心を守って下さる」とはどういう意味でしょうか?
私はいわゆる敏感なタイプで、昔から「人混み」がとても苦手でした。人混みに行くと「圧迫感」を感じ気分が悪くなることもありました。特に感情的に怒ったり、悲しんでいる人の近くに行くと、「影響を受けて」しまいます。一旦影響を受けると身体まで重くなり、なかなか晴れません。 ブログを拝読していて、「創造主(神様)が心を守って下さる」「心の砦となって下さる」と知り、とても興味を持っています。もう少し詳しく教えて頂けますでしょうか。 ご質問をありがとうございました。 最近注目されているものに、HSPと言う概念があります。 HSP(ハイリーセンシティブパーソン)とは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質を持…
先回に引き続き、「クリスチャンの方の質問」の補足を記します。 先回は、思考の中での戦いでの「戦うための準備」を書きました。 今回は、「具体的な武具」の活用についてまとめます。 聖書の箇所は、エペソ6章です。 エペソ6:17「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」 武具(armor)には、「防御用と攻撃用」がありますが、 エペソ書には、記されている武具は、ほとんど「防御用」です。 今回のポイントです。 ①基本的には、外からのものを入れないこと。 ②様々な武具で身を守ること。 ③「信仰の大盾」を活用すること。 (ポイントだけ記しています。) ①基本的には、外…
昨日のクリスチャンの方の質問「頭の中に、否定的な雑念が湧き上がって困っています。」の補足です。 「戦いの武器」を聖書から明らかにしていきます。 今回は、武器を使う「前提条件」を考えていきます。 ①「自分の思い」と、外からの「邪悪な思い」をきっちりと区別をすること。 ②大きな力(権威)の「傘の下」に留まること。 ③悪に立ち向かうこと。 しばらくお付き合い下さい。(「邪悪な雑念」に困っている方の助けになれば、と願っています。) ①「自分の思い」と、外からの「邪悪な思い」をきっちりと区別をすること。 「敵」と戦うためには、しっかりと「相手を認識」しないといけません。 しかし「思考の中での戦い」の「敵…
頭の中に、否定的な雑念が湧き上がって困っています。「イエス様の力による解決」
クリスチャンからの質問です。 「頭の中に、否定的な思いが湧き上がってきます。腹が立ったり、悲しくなったり、ある特定の話題や状況になると、急に否定的でおかしな感情になります。何か『外からの悪い力』に攻撃されているかのようです。一旦その感情になってしまうと、なかなか抜け出せません。どうしたら良いでしょうか。」 ご質問をありがとうございました。 クリスチャンであっても、否定的な思いになることは普通にあります。 しかし、ご質問のように、「特定の状況」で「急におかしな感情」 になる場合、注意が必要です。 今回はクリスチャンの「悪い力との戦い方」についてまとめてみます。 聖書の中に、心の中の「要塞」という…
ワンポイント「イエス様の教え」⑥人の評価に、簡単に左右されないブレない視点!
今回は、「平和をつくる人」「義のために迫害されている人」は、創造主から「どのように見られているか」を学びます。 根拠の無い「人の評価、批判」は、移ろいやすいことも考えていきます。 「保守と革新」という言葉があります。 保守は「今までの伝統や文化」を尊重し「人として大切なもの」を守ろうとします。 革新は「古いものを壊して、新しいものを作り出そう」とします。 「信念と理念を持った」革新であって欲しいのですが、「批判だけ」の革新が目につきます。 「批判だけの革新」の方々は、変わり身が早いです。 「本当に守りたいもの」がないので、(守りたいのは、自分たちの利害、プライド等なので) 状況が変わると、コロ…
ワンポイント「イエス様の教え」⑤「心のきよい者は、神を見る」混乱の中で、本質を見る目。
今回は「心のきよい者」が得られる恵み(メリット)を、イエス様の教えから学びます。 マタイ5章、山上の説教での「イエス様の言葉」です。 「5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」 心がリラックスしている時に、「山の景色や夕焼け」を見ると、素直に感動します。その神秘的な美しさに触れ、心が動くのです。人によっては、「見えない創造主」の偉大さを感じることもあるでしょう。 聖書の中にも「自然を通じて知ることができる神様」が描かれている箇所がいくつもあります。 「明鏡止水(めいきょうしすい)」という言葉があります。邪念がなく、心の澄み切った心境のことを言います。対義語は「意馬心猿(…
現代は、「愛が冷えた時代」と言われます。 私の子供の頃は、悪いことをすると近くの大人が「叱ってくれる」ことがありました。 今は、下手に大人が話しかけると不審者と思われます。子供に「注意」をしたら、後から問題が起こることもあるのです。 人が信用できない時代です。 イエス様は、世の終わり(終末)には、「不法がはびこるので、多くの人々の愛が冷える」(マタイ24:12)と言われました。 現代が、終末に近づいているならば、これからますます「不法がはびこり」、ますます人が信用できない「愛の冷えた時代」になるでしょう。 こんな時代に「優しさ」は意味があるのでしょうか? 「相手のことを考える」ことは、大事なこ…
ワンポイント「イエス様の教え」③本当の慰めがあれば、生きていける!
多くの反対者がいても、「本当に自分を理解してくれる人」がいれば、人は耐えられます。 ドラマで、失敗をした主人公が、同僚から「失敗なんて誰もがすることさ。これで終わった訳ではないんだから、次頑張ろう!」と慰められている場面を見ます。 「当たり前の言葉」であっても、落ち込んだ時にかけられると、その「優しさ」で慰められるのです。そして「立ち上がること」ができるのです。 今回は、山上の説教から、「神様からの慰め」について考えていきます。 マタイ5:3-45:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。、、、」 イエス様…
現在、コロナ禍が1年半を過ぎようとしています。 多くの人が「ストレス」を抱え、未来に対する不安、自分の命に対する不安を持っておられます。 私たちは今まで、「自分の命」に対する恐怖を感じることはありませんでした。 しかし追い詰められた状況が長く続く中で、「私たちの死生観」「人生観」が問われているのではないでしょうか。 つまり「人生にはどんな意味」があって、「何のために生きているのか」と言う「根源的な問いかけ」が、今生きているすべての人に投げかけられているのだと思われるのです。 第二回の学びは、「何のために生きるのか」を イエス様の「山上の説教」冒頭から考えていきます。 ここでは、 ①いのちは「創…
2020年9月から、ブログを始めて一年が経ちました。昨日、合計アクセスが「2万人」を越えることができました。応援して下さった皆様に感謝いたします。 これを機会に、イエス様の「山上の説教」から、「イエス様の教え」をシリーズで、深掘りしていきたいと思います。不定期の予定です。(山上の説教は、マタイによる福音書5〜7章) 初回は、「求めたら、与えられる」(マタイ7:7)です。 「求めたら、与えられる」とイエス様は、言われましたが、 「求める」ことは、意外と奥が深いものです。 1億円が必要な人が、いたとします。 その人は、私やあなたに、普通はお願いはしません。 少なくとも私にはお願いされません。(持っ…
イエス様は、こんなことを言われていた。 「強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。」 (マタイ12:29) 「悪魔」を縛りつけるには、 悪魔以上の、「権威筋」が必要だ。 何世代も人間を見てきた「悪魔」である。 人間の欲や弱さを知り尽くした「悪魔」である。 「その力」に打ち勝つには、 確実に「悪魔に勝利した」存在の助けを、受けることが重要だ。 あなたは、「その存在」を知っていますか? そして最も大事なことは、その存在との「コネクション」を持つことである。 「助け…
「悪魔の攻撃」は、 私の「弱いところ」を突いてきます。 悪魔は私の「弱さ」を知っています。 そして、数え切れないほど、私を落とし入れて、 「ほくそ笑んで」いるのです。 「今回も落としてやった」と。 「光」が必要です。 「光の中」に留まることが必要です。 「光の中」にいつもいれば、 「闇」に気がつくからです。 「闇」は「仲間」ではありません。 「闇」は「異物」です。 「闇」は「あなたそのもの」ではありません。 「闇」は「あなたとは違う、何か」なのです。 あなたも、どこかで気がつくはずです。 「これは、おかしい」 「こんな考えを、持つはずがない」と。 敏感になってください。 あなたの「心の動き」に…
騙されないでください、 「悪魔の手口」に。 気をつけてください、 囁きかける「細い声」に、、、。 悪しき存在は、あなたの頭の中に、 ゴミのような、「汚い思い」を投げ込むのです。 悪魔が喜ぶのは、言い訳、責任転嫁、破滅願望、、、 あなたが、「気分を害した時」を見計らって、 あなたの心に、投げ込むのです、、、「汚い思い」を、、、実に巧妙に。 多くの人は、投げ込まれたゴミを、 「自分の考えだ」と思い込んでしまいます。 ある人たちは、何度も投げ込まれているので、 受取ることが「習慣」になっています。 「依存性」になっています。 「〇〇だから、私は悪くない。」 「〇〇のせいでこうなった。」 「私はダメだ…
クリスチャンからの質問です。 「知人に何度も『お金を貸した欲しい』と言ってくる人がいます。 以前何回か、貸したこともあります。 その知人から、数年ぶりに連絡がありました。メールの返信をするとすぐに連絡があり、また『お金を貸して欲しい』という内容でした。 その後も何度もメールがあり、一方的に要求する内容した。今回はお断りしようと考えていますが、どのように考えたら良いでしょうか。」 お金の貸し借りのご質問ですね。 お金の問題はとてもデリケートです。あくまで一般論として書いていきますので、参考にして下さい。 基本的な考えは、「分を越えない」、 つまり、質問者さんが「関われる範囲を越えない」という点で…
街中で、星の光を見るには。(創造主に出逢う方法、、、ポエム)
私の住む、市街の駅前は、ビルの輝きで星が見えない。 山の上で見える、あの「明るい光」が見えない。 市街から離れて、山に近づくと 「人工の光」が消える。 すると「星の光」が、だんだんと見えてくる。 地球から何光年も離れた、 太陽よりも大きな星。 近づけばすべてが一瞬で燃えてしまうほどの「強い光」なのに、 「人工のビル」の輝きの下では、 消えてしまいそうな「光」に見える。 街中で、 どうしたら「星の光」を見ることができるのか? それは、「まやかしの光」を消すこと。 すべての「人工の光」を一度消すこと。 確認してみよう! この光は「本物」なのか。 お金、地位、名誉、プライド、、、 この光は、「本物」…
かつて、ひとりで「自分の小舟」の船頭だった時には、、(ポエム)
かつて私は、ひとりで「小舟」の船頭だった。 行き先は定まらず、 自信も無い中で、、、 それでは寂しいので、 行き先のあるフリをし、 自信のあるフリをしていた。 毎日、目の前の「小さな行き先」を見つけ出し それが達成できたことを、「生きる力」にしていた。 「生きる自信」にしていた。 仕事が片付かなくて、沈みそうになって一日が終わると、 眠りは浅かった。 ストレスとプレッシャー、 気を張っていないと、乗り越えられない。 家に帰っても、 心は荒海を漂っていた、、、 24時間戦えますか? そんなキャッチフレーズが頭に響く。 「戦えないよ!」 「戦いに意味はあるの?」 「この戦いを乗り越えたら、何がある…
イエス様は「ポンコツな私」を見て、 「価値があるのだ」と言ってくださる、、、 私は、自分を知っている、、、 失敗も、 能力の不足も、 言い訳の浅ましさも、 絶望も、、、 しかしイエス様は、そんな「私」を見て、 「価値がある」と言ってくださる、、、 どうして? なぜ? 頭の中では「その理由」を見つけられない。 イエス様は、「私」を見て、 何度も「価値がある」と言ってくださる。 そのイエス様の声が、、、その気持ちが、 少しずつ、、、心に沁みてくる度に、、、 「ああそうなんだ」と、、、「そういうことなんだ」と。 「それで良いのだ」と思えてくる。 イエス様は「ポンコツな私」を見て、 「価値があるのだ」…
午後ののんびりとした時間、 豆しばが、クークーと寝息を立てている。 おやつを貰って、一緒に遊び、 ご主人の手をペロペロと舐めながら、 そのまま眠ってしまった。 ご主人の手は自分のもの。 ご主人の膝は、自分の場所。 固く信じているらしい。 豆しばが、クークーと寝息を立てている。 ピクリとも動かない、 深い眠り。 この安心。 この信頼。 私たちが、「創造主なる神様」に持つ感情なのだ。 触れるだけで安心。 近くにいる信頼。 この感情を持つ時に、 不安の中でも、 ぐっすりと深く眠ることができる。 豆しばが、クークーと寝息を立てている。 大丈夫。 一人じゃない。 ご主人に、心を寄せる豆しばのように、 私…
イエス様が、私の「人生の船長」になって下さったので。(ポエム)
どんな嵐の中でも、 逆風と尖った岩が見えて、難破の恐れを感じても、 私のイエス様が共にいて下さるので、 私は矢面に立つ必要がない。 痛い強風を受けても、 冷たい波の飛沫を身体に感じても、 私はぶれることはない。 確かな船長がいると分かっているので、 この安心感が、私に勇気を与えてくれる。 平和を愛するこの身だが、 必要と有らば、ファイター(戦う人)となれるのだ。 ヨハネによる福音書16:33 (世に勝たれたイエス様) 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 にほんブログ村 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂…
「十字架」を見上げると、 持っていたすべての「罪責感」が消えていく。 「十字架」を見上げると、 失敗も後悔も、すべて直視ができる、、、ようになる。 キリストの「十字架」を知る前は、 「自分で」背負っていたあらゆる「重荷」を、 疲れ果てても尚、手放せなかった数々の「重荷」を、 まるで「重い荷物」を荷物棚に、 ラッシュ時の電車で、ようやく下ろすことができた「安心感」のように、 キリストの「十字架」は、受け止めてくれる。 だから私は、「自分らしく」生きていけるのだ。 プレッシャーも、不安も、攻撃も、恐怖も、 私を怯えさせることはない。 「十字架」は、そんな力を持っている。 「十字架」を背負われた「イ…
多くの人は、気がつかないことかもしれません。 イエス様が、人に声をかけられることを。 多くの人は、聴こえないのです。 イエス様の細い声を 心臓が動くことだって、 呼吸ができることだって、 怪我をして、血が自然に止まることだって、 実は、当たり前ではないことを、 私たちは、すぐに忘れてしまうのです。 そして、胸が苦しくなった時、 呼吸ができなくなった時、 血が止まらない時、 私たちは叫ぶのです。 「助けて!」と。 誰が助けてくれるのだろうか? 不可能ではないか? もうおしまいではないか? そんな時、嵐のような雑念の向こうに、 「不思議な光」を感じるのです。 ワラをもつかみたいと探すその先に、 「…
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