江戸時代の初期、出雲大社の前の東南にあった菱根池を大工事して埋め立て、広い水田を生み出した三木与兵衛 氏の頌徳(しょうとく)碑を拝みに行きました。 ※ 頌...
戦後の出雲古代史は、出雲国がヤマト王権への糾合された狭い地域の話にされてしまった。弥生時代に国土を開拓した出雲族の栄光は本当に無かったのだろうか。
江戸時代の初期、出雲大社の前の東南にあった菱根池を大工事して埋め立て、広い水田を生み出した三木与兵衛 氏の頌徳(しょうとく)碑を拝みに行きました。 ※ 頌...
鰐淵寺と素戔嗚尊のことを調べていたら、素戔嗚尊のお墓の伝承地が鰐淵寺近くに2箇所あることがわかりました。佐田町の須佐神社ではなくて、なんで鰐淵寺なんだろう...
今まで参拝したけれど、その神社の概要がよくわからなくて、記事にしなかったものも多いです。乙見神社もその一つ。乙見神社の写真は、2015年の12月頃のもので...
今まで参拝したけれど、その神社の概要がよくわからなくて、記事にしなかったものも多いです。乙見神社もその一つ。乙見神社の写真は、2015年の12月頃のもので...
[本ページはプロモーションが含まれています。]出雲大社の本殿の西側には2つの氏社(うじのやしろ)があります。氏社のひとつ 祭神 天穂日命記紀神話に、大国主...
今年初めての出雲大社の参拝です。出雲御崎山(北山)東部の神社や素戔嗚尊の墓跡を見に行っていたら夕方になってしまいました。夕方は、参拝客がほとんど少ないので...
有名な韓竈(からかま)神社を参拝したところが、唐川町の中心集落と思っていましたが、ここではありません。唐川町の中心集落には、素戔嗚命のお墓跡もありますし、...
国道431号線のところに、「両産土社」と書いた一の鳥居があります。そこから、旅伏山の麓まで行きますと、縣神社に着きます。両側が広いのは、自動車でも上がれる...
ここの神社は、鰐淵寺の開祖 智春上人を招き入れた三翁とは関係ない神社です。ですが、韓竈神社のちょうど北方の日本海側に面したところに鎮座していまして、これま...
⇩ 11年前の記事です。これが昔の人気記事でした。今は見向きもされなくなりました。 あの頃は、頚椎症を発症したころで、ここの参道を歩く度に、じんじん手の指...
鰐淵寺の話の続きです。鰐淵寺を開山した智春上人が「信濃」の国から渡って来られた時、三人の老翁が船で出迎え、鰐淵寺の浮浪の滝へと案内しました。その後、三人の...
鰐淵寺に行きました。参道横に流れる川です。鰐がこの川を上って行ったのでしょうか。ちなみに、古代史の世界では、日本の鰐は、サメとされています。河のなかの石と...
鰐淵寺に行きました。参道横に流れる川です。鰐がこの川を上って行ったのでしょうか。ちなみに、古代史の世界では、日本の鰐は、サメとされています。河のなかの石と...
島根県神社庁の「別所 諏訪神社」の情報です。〝通称「白瀧権現」と呼び、天正十二年(1584)建立の棟札があるが、創立年代不詳。「雲陽誌」の伝承には、【富山...
田田神社は、『出雲国風土記』(733年)記載の古社です。(風土記には、「田田社」と記載)「田々」と聞けば、崇神天皇紀の三輪山祭主の「大田田根子」を思い出し...
Googleマップで、岐神社を検索したら、出雲大社の近くだったので参拝しました。日御碕に向かう道路を自動車で向かいます。日本海は、途中の道は海が絵にかいた...
梅の木天神今は梅の時期かなあと思って、菅原道真公の生誕の地である「梅の木天神」にお参りに行きました。(奈良や京都の諸説ありますが…)生誕の地の伝承について...
昨年の8月から、4ヶ月間、公共職業訓練に通いました。そのせいで、ブログが長いこと停止していました。求職手当(俗に言う失業保険)をもらいながらの勉強です。(...
阿祢神社(阿禰神社) 島根県出雲市湖陵町二部5神西湖(奈良時代は、「神門の水海」の一部)の南側に位置し、旧国道から南側にJRを渡ったところの山裾にある。...
熊対策 島根県の山の中には、熊(ツキノワグマ)が生息しています。木次(きすき)の山の中の道路でも目撃情報があります。熊が居て当たり前の地域なので、熊が出没...
さくらおろち湖 前回、奥出雲町の野白の八頭(やと)地区のヤマタノオロチ伝説を書きましたが、今度は木次町の湯村・日登の伝承地へ行ってみました。地図で見ますと...
奥出雲町と雲南市大東町の道路を通るたびに、八重垣神社跡の看板が気になっていました。観光地としては、松江市の八重垣神社が有名ですので、「奥出雲町にも八重垣神...
夕べ テレビ東京のアニメ『怪獣8号』を観て、たいへん嫌な気分になりました。地球を救う働きをした怪獣8号ですが、人間でもあるので反抗もせず、「退治」の対象に...
松江藩主 松平家の菩提寺である月照寺に行きました。梅雨時は、あじさいの花が咲き美しいお寺です。しかし、6月の初旬はまだ早かった。まだ3分咲でした。2週間後...
権現山 国道9号線を自動車で走っていると、権現山と鳥居が見える。いつかは行ってみたいと思っていたが、安来市にお花見に行った帰りに寄ってみた。今は、陸続きで...
毎年4月7日に行われる美保神社の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)を見に行きました。正面は、美保神社 二の御前(祭神 事代主命)向かって右が一の御前(祭神 ...
石見の国(島根県の西部)の神社を歩くと、平野部にはすこぶる和邇(わに)氏系の神社が多いことがわかりました。出雲の国の神社はいろいろ回っても、特定の氏族との...
島根県益田市から山口県方面に向かっていくと、益田市戸田町(ますだし とだちょう)という町があります。戸田の柿本神社の標識が出ています。ここが柿本人麻呂の誕...
万葉歌人柿本人麻呂の終焉地を決める題材は、万葉集の3首の歌しかないようです。キーワードは、「鴨山」と「石川」です。よくある地名だけに候補地があれこれでてく...
島根県石見地方だけでも、柿本人麻呂の終焉説は、諸説あるようです。益田市の鴨島説江津市の都野津説邑知郡の山中の湯抱説 浜田市の亀山説 というように4つ...
江の川と橋 江津市江の川に橋が架かったのは、近代になってのことで1904年(明治37年)でした。それまでは、ずっと舟で渡っていたのでした。河岸の細い道...
角の浦の島 真島(まじま)島と言っても、現在は陸続きです。いつの時代まで島であったのでしょう。近くまで寄ってみると、土で埋まった鳥居が見えます。左側の像は...
江津市都野津(つのづ)の柿本神社 もう一つの依羅娘子の出生伝承
恵良の里とは違う伝承二宮村恵良の出生伝承では、依羅娘子(よさみのおとめ)は二宮町神主恵良(神主は地名)の豪族の娘であり、石見守・柿本人麻呂に請われて妻にな...
二宮交流館柿本人麻呂の妻である依羅娘子 (よさみの おとめ) 誕生の地とされる恵良の里に訪ねた。まずは、二宮交流館に行き「依羅娘子生誕伝承の里」と書かれた...
江津市の多鳩神社 ( たばとじんじゃ)へ行った。国道から約1.5キロ、車一台やっとこさ通れる道を、自動車で走った。古代の神社なので、自動車で便利に行けると...
『ゴジラ-1.0』を映画館に観に行きました。朝ドラの『らんまん』の主人公とヒロインが同じだったので、すぐにドラマに没入できました。なかなかゴジラ映画を作る...
高角山(たかつのやま)公園 島根県江津市島の星町「島の星山」(標高470m)の麓に、万葉歌人・柿本人麻呂にちなんだ公園が造られていた。島の星山は、万葉歌人...
万葉歌人・柿本人麻呂の伝承地が石見地方にはたくさんある。どこでその歌を詠んだのか諸説あるけれど、とりあえず伝承地とされているところを行ってみることにした。...
島根県大田市の龍厳山へ行ってきた。石見城跡なぜ龍厳山というのかというと、この岩が天に昇っていく龍に見えるということだ。割れた穴が赤くなっており、龍が口を開...
龍岩神社 島根県邑智郡邑南町八色石792ここの神社にたどりつくまでに神経をすり減らし疲れてしまった。大森銀山の城上神社から、グーグル地図のナビで自動車...
乙見神社 島根県大田市仁摩町馬路927乙見神社(おとみじんじゃ) 御由緒 祭神 大己貴命 延喜式内社 境内社 ...
鬼岩 島根県大田市大屋町鬼村何年か前に訪れたけれど、ここの鬼岩の場所がわからなかった。今は、グーグルマップのナビがあるので間違わず行けた。この鬼岩だけど、...
最初はちょっと変わった曲だなあと思っていた。違和感を感じつつも、主題歌も半年も聞くと、これは名曲だと思えてきた。朝ドラを毎朝観ている。半年でも、なかなか見...
高瀬川の最上流高瀬川の水の取り口である来原岩樋である。土木遺産となっている。ここから斐伊川の水を取り入れて出雲市内へと高瀬川が伸びている。つまり高瀬川は、...
加茂町と大東町の間の山 高麻山(たかさやま)です。195mあります。『高麻山。古老の伝へていへらく、神須佐能蓑命の御子、青幡佐久佐日子命、是の山の上に麻蒔...
その山は、松江から忌部神社を横目に見ながら、奥出雲への道につながる三叉路を過ぎた道路沿いにある。船岡山改めて見渡すと、たいへん整った古墳のような形状だ。も...
島根県雲南市大東町の幡屋神社 元宮へ行ってきました。『神国島根』に載っていたご由緒によると、神代には太玉命の率いられた後裔忌部氏の一族がこの幡屋に止まって...
柳田国男氏は、「くなど」と「佐久(さく」は、同じ意味であると『石神問答』という著書で言われている。〝佐久奈度はやはり、クナドの神でございます。それならば、...
現在の姿の神社から、古代を語ってはいけないというのはもちろんである。神社とは、いくつかの時代に再編され、祭神や奉斎する宮司家が変わったりしているからである...
九死に一生を得る ことばがあるが、自分の場合もそうだったかもしれない。胸・背中・左ひじが日によっては痛くなるので、休日明けに総合病院を受診したら、急性心筋...
グーグルマップで、飯南町を検索したら、磐座(いわくら)の写真が見えてきました。行きたくなりました。松江から、高速を使って1時間15分ぐらい。10メートルぐ...
一つ一つの神社が、なかなか歴史との関連がよくわからない。国道54号線を車で動いているとよく見える神社であるが、参拝したら、どうも2度目の参拝だった様子。星...
『角鄣経 石見八重葎』(つぬさはふ いわみやえむぐら)(文化7年─1817)という本を読んでいたら、『出雲国風土記』(733年)に登場する神様の名前がたく...
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、大穴持命(おおなむちのみこと)が、八十神を討つために城を造ったと、『出雲国風土記』に書かれた、城名樋山(きな...
熊谷郷(くまたにごう)。郡家の東北二十六里の所にある。古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)が、妊娠して出産しよ...
『神社覈録』(じんじゃかくろく)(1836年~1870年完成。)という江戸時代末から式内社等の神社を考証した本がある。これを見るとたかだか100年ちょっと...
磐船神社というと、饒速日命の神社が有名ですが、島根県の岩船神社は、スサノオのミコトを祭っています。神社が巨石の下にあるというので、その神社のある大幡山に登...
奥出雲町の鯛ノ巣山へ、いてもたってもいられなくて登りました。駐車場もあり、トイレもありました。ありがたいなあ。登山口から林道を歩いていくと、細い道になりま...
この頃、奥出雲の伝承地を回っている。奥出雲の広島県との県境近辺に、イザナミノミコトの伝承地が多いことを知った。イザナミノミコトの御陵があるとの伝承地の山が...
神魂神社で行われる有名な出雲国造(いづもこくそう)の世継ぎのための神火継承神事である。大正15年の『八束郡誌』には、以下のように書かれている。"神火相続式...
速玉社跡現在、速玉社は神魂神社の境内社・稲荷神社に合祀されている。今は、神魂神社参道の左手に、速玉社跡地の立て札が見える。「速玉大明神 本社なし杉をまつる...
神魂神社社家の秋上家、その秋上家が所有する文書の中にある戦国武将 尼子経久(あまご つねひさ)の作とされる歌である。尼子経久は、出雲大社の宮司家である出雲...
通説では、神魂神社より出雲大社の創始がはるかに古いとされている。『出雲国風土記』『延喜式』にも載っていないのがその理由であり、文献では鎌倉時代までしかさか...
【 おわび 】拍手をもらった記事が、消えてしまいました。申し訳ありません。
なぜだか、同じ記事が3つも上がっていました。何かのエラーだと思います。一番下の記事を削除しましたら、今度はなぜか拍手をいただいた記事が消えてしまいました。...
■ 神在祭旧暦の10月を出雲国では、神有月と言う。それは全国から神々が集まるから神有月で、逆に出雲国以外の国々は「神無月」(かんなづき)となる。この起源が...
■ 神在祭旧暦の10月を出雲国では、神有月と言う。それは全国から神々が集まるから神有月で、逆に出雲国以外の国々は「神無月」(かんなづき)となる。この起源が...
【賣豆紀神社(めつきじんじゃ)】 古代、松江市街の大半は、宍道湖の一部だった。
松江市街地 向こうに見える山は左手の嵩山(だけさん)と和久羅山(わくらやま)涅槃仏に例えられたりするが、自分はキューピーちゃんに見える。松江市街地が、ほと...
この古墳群は、松江市の佐太神社から日本海沿岸に向かう途中、佐陀川が西に大きく曲がるちょうど角のところの丘の上にある。あまり有名ではないが、島根県最古かもし...
よく運転しながら、この古墳を横目で見るけれど、きちんとどんな形かを確認したことも無かった。なぜ「乃木二子塚古墳」というか? すぐ隣の西側にもうひとつ「二子...
『抹殺された古代出雲王朝』(藤原としえ著 三一書房 発行) という本がある。図書館に置いてあり、何度か借りるものの、なかなか書いてあるところが、頭に入らな...
この頃は、Google マップ のナビで迷うことなく、神社に着ける。布自奈大穴持神社は、玉造温泉の玉の原材料が取れる花仙山に連なる、布志名宮山の中にある。...
現在の玉造温泉の中心に流れる川の東側と、その山を越えた東忌部町・西忌部町にまたがって、「忌部神戸」(いんべかんべ)があったと考えられている。〝忌部神戸(い...
昨年の新型コロナの自粛が始まって、私のブログの読み手が一気にダウン。アクセス数は、500回ぐらいから100回ぐらいに減った。おそらく出雲というのは、やっぱ...
佐太神社の参拝の後、思い出したかのように御津(みつ)神社の参拝に行った。字は「三津」で違うけれど、この御津の地名は、出雲市にもある。全国に御津の地名や御津...
朝起きてすぐ佐太神社(さだじんじゃ)へお参りに行った。かんなび山である朝日山かんなびやまの麓に鎮座する佐太神社。厳密に言うと、小さな山が間にいくつかある。...
『出雲国風土記』(733年)に登場する秋鹿日女命(あいかひめのみこと)を調べているうちに、大国主命の蘇生神話─手間の山本で、赤く焼けた猪のような石を抱きか...
妄想仮説なので、そこまで自分も正しいと思っているわけではない。古代史というものは、なかなか確かな証拠がないものだが、偉い先生が仮説を立てるといつしか、それ...
この頃、テレビせとうちで「探偵 左文字進シリーズ」をやっている。水谷豊さんの変装がなくとも結構面白い。犯人はだれか。調べに調べ、事件の謎を解く。その謎解き...
昨年の春に、別に 古代出雲への道 というサイトを作った。似たような記事があると、グーグル検索で、コピペの疑いがもたれよろしくないので、どうしたもんかと思っ...
素鵞社 素鵞社(そがのやしろ)出雲大社の本殿の裏の素鵞社(そがのやしろ)である。なんとなく大国主命の親神として背後でささえているようにも見える。式内社・出...
「国譲り神話」をどう解釈するか、通説には2説あるように思う。一つは、井上光貞説で、古墳時代後期の時代、東部の意宇勢力(出雲臣)がヤマト王権の力を借りて西部...
物ごころついた頃から、出雲大社へ参拝している。昔から「いづもたいしゃ」と読んでいるが、大分前にやっていたロンブーの敦さんの神社参拝のテレビ番組によれば、「...
出雲大社の前は現在陸地であるが、神門の水海という大きな湖だった。その南に現在の神西湖という湖があり、古代は神門水海の一部であった。神西湖その神西湖の西側は...
出雲大社から、稲佐の浜へ行く道の途中に奉納山という小山がある。展望台があり、きれいな弓形の「薗の長浜」の写真が撮れる。この奉納山には、歌舞伎の祖と言われる...
出雲国出雲郡に伊努郷があった。(元の字は伊農)なぜ伊努(いぬ)というのか、『出雲国風土記』には2通り説明してあった。ひとつは、国引きをした意美豆努(おみず...
この前、テレビで『猫の恩返し』をやっていました。別段 ジブリのファンではないけれど、猫好きというだけで観ました。『猫の恩返し』の映画の後で、『竜とそばかす...
宗像姉妹に由来する多伎郷の神社奈良時代には、柳楽姓の発生地「久村」とその西隣の村「田岐村」そのまた西隣の「田儀村」は、多伎郷(たきごう)であったといわれて...
神社の言い伝えや、市町村誌に書かれている伝承について、書かれていることの意味がほどほど中身がわかって、記事にしようとしているが、実際、中身がわかるというこ...
物部神社 島根県大田市川合町川合1545出雲市多伎町からの仙山峠を越え、大田市の町に入り、三瓶山に向かう途中に、石見国一之宮である物部神社に到達する。石見...
本居宣長の『玉勝間』に記載されている「志津の岩屋」である。志津の岩屋とは、万葉集に載っている生石村主真人の歌。〝大汝、少彦名の、いましけむ、志都乃岩室は幾...
石見の国 広島県との県境である邑南町にある賀茂神社(阿須那)に参拝に行った。なぜ? 『粟鹿大明神元記』 岡山県との県境の近くにある鳥取県の大石見神社(大国...
三瓶山の概観男三瓶山 三瓶山の中でも最も高い山 大田市側の北側から写す三瓶山は、鳥取県の大山と並び称される島根県の山である。出雲市の方から見える三瓶山(...
『出雲国風土記』(733年)に載っている神社の中では、加茂岩倉遺跡にもっとも近い神社らしい。赤秦神社と書いて、あかはたじんじゃと言う。江戸時代末期の、『出...
稲荷神社は、たいがいの神社にあり、珍しいものではない。神社の境内から、少し離れたところにあり、多くは近世に作られたもののように思われ、古くはないだろう。し...
この間 岡山真庭郡新庄村へ行った。主なる目的は、宮座山(みやぐらやま)の磐座(いわくら)に参拝するためだった。宮座山の参拝の記事は、別サイトでまとめた。→...
現在 鳥取県と島根県の境界付近の大国主命の伝承地を調べている。直接現地を訪問することと、疑問がでてきたら県立図書館や米子市立図書館へ行っては調べるという繰...
現在 鳥取県と島根県の境界付近の大国主命の伝承地を調べている。直接現地を訪問することと、疑問がでてきたら県立図書館や米子市立図書館へ行っては調べるという繰...
この前、書店で「大元出版」で検索すると、新刊が出ていた。『仁徳や若タケル大君 伝承の日本史』(税込み3,080円)という本。すぐ書店で注文した。すぐ買わな...
■ スサノオ降臨の山 鳥髪山(船通山)鳥上の里から見た鳥上山(現在の山の名前は船通山)島根県奥出雲町、平成の大合併の前は横田町、鳥上の里から見えるこの山...
■ 七ツ塚古墳群の中に広島県三次盆地の七ツ塚古墳群の頂上付近に祠を発見した。なんの神様が祭ってあるのだろう。たいへんうれしい気がした。やっぱり、サイノカミ...
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江戸時代の初期、出雲大社の前の東南にあった菱根池を大工事して埋め立て、広い水田を生み出した三木与兵衛 氏の頌徳(しょうとく)碑を拝みに行きました。 ※ 頌...
鰐淵寺と素戔嗚尊のことを調べていたら、素戔嗚尊のお墓の伝承地が鰐淵寺近くに2箇所あることがわかりました。佐田町の須佐神社ではなくて、なんで鰐淵寺なんだろう...
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鰐淵寺に行きました。参道横に流れる川です。鰐がこの川を上って行ったのでしょうか。ちなみに、古代史の世界では、日本の鰐は、サメとされています。河のなかの石と...
鰐淵寺に行きました。参道横に流れる川です。鰐がこの川を上って行ったのでしょうか。ちなみに、古代史の世界では、日本の鰐は、サメとされています。河のなかの石と...
島根県神社庁の「別所 諏訪神社」の情報です。〝通称「白瀧権現」と呼び、天正十二年(1584)建立の棟札があるが、創立年代不詳。「雲陽誌」の伝承には、【富山...
田田神社は、『出雲国風土記』(733年)記載の古社です。(風土記には、「田田社」と記載)「田々」と聞けば、崇神天皇紀の三輪山祭主の「大田田根子」を思い出し...
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阿祢神社(阿禰神社) 島根県出雲市湖陵町二部5神西湖(奈良時代は、「神門の水海」の一部)の南側に位置し、旧国道から南側にJRを渡ったところの山裾にある。...
熊対策 島根県の山の中には、熊(ツキノワグマ)が生息しています。木次(きすき)の山の中の道路でも目撃情報があります。熊が居て当たり前の地域なので、熊が出没...
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権現山 国道9号線を自動車で走っていると、権現山と鳥居が見える。いつかは行ってみたいと思っていたが、安来市にお花見に行った帰りに寄ってみた。今は、陸続きで...
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