先日、実家に行き母と世間話をしていたときのこと。そのときのことはこちら↓久しぶりの実家。75歳の母は驚くほど元気だったどんな流れでそんな話になったのかは忘れちゃいましたが、私が、「そういえばこの間、動物園に行ったよ」と言うと。「え?二人で行ったの?変なの」とちょっと小馬鹿にされたように笑われました。50を過ぎた夫婦がふたりで動物園に行くのって変なのかな?アレルギー持ちなのでペットは飼っていませんが、私は子どもの頃から動物が好きです。母は、犬や猫を飼いたいと何度も言っていた子供の頃の私を忘れてしま
子宮筋腫の検診のため、2か月ぶりに婦人科を受診しました。筋腫の大きさの経過をみるためです。この歳になっても婦人科の内診(エコー)は嫌なものだけど、悲しいかなさすがに慣れます。エコーを見ると筋腫は少し小さくなっていましたー。よかったー。初診のときに、薬を飲みたくなくて経過観察を希望していて、そのままコロナで自粛生活。家でいつも以上にゴロゴロしてたのがいけなかったのか、その2ヶ月後の診察のときは筋腫が3センチ以上も大きくなっていました。薬は飲みたくなかったけど、できれば手術は避けたいです。仕方なく薬
今朝、突然飛び込んできた竹内結子さんの訃報にショックで何も手につきません。昨年、再婚して今年の1月に第二子の男の子を出産したされたばかり。誰もが羨む美貌を持ち、幸せな日々を送っているだろうと思われていた女性が、自ら死を選ぶなんて、、、。竹内結子さんは、産後うつだったのでは無いかと憶測が飛び交っています。本当の理由は亡くなったご本人にしかわかりません。でも、自殺をする多くの方がうつ病を患っている場合が多いといいます。周りの人達が気付いてあげられたら良いけれど、竹内さんのようにいつも明るいイメージの
私が過去の母のことを書いてみようと思ったのは、先日のこの記事を読んだからです。過去のつらい出来事を書くだけで血圧低下「感情日記」のすごい効果とは「感情日記」を書くだけで変われるの?それにブログを2年半書いてきて(このブログではないです)最近、作業に飽きたというか疲れていました。リンクなんとなく同世代の他の方のブログを読み始めると、離婚とか貧乏とか毒親とか割とネガティブな日記を書かれているブログが多いということに驚きました。匿名とはいえ、結構みんな赤裸々に綴っているんだなあなんて。(ブログに書くな
新型コロナウイルスの影響で、もともとあまり行かない実家に行かず数か月も経ってしまいました。母に言われて傷ついた言葉は多いけれど、いまは距離を置いているので害はないし。母は元気だけが取り柄だ。そこはホントに感謝している。母と話すときはだいたい無になっているので、うんうんと聞いているだけで心から話してはいない。普段、こちらから電話をする事もほとんどないのだけど、母ももう、75歳。いいかげん放置してばかりではいつ何があるかわからない年齢だ。久しぶりに電話で声を聞くと、なんだか珍しく元気がないように感じ
台風の影響で雨が降るということで、昨日と今日はウォーキングをサボっています。思いのほか雨はほとんど降っていませんが、低気圧のせいか朝から頭がふらふらしています。8月から約ひと月続けていたウォーキングを2日も休んでしまい、このまま歩かなくなってしまいそうでコワイです。明日はクリニックに行く予定です。なので5000歩以上は歩けるはず。また明日から気を取り直して歩いていこうと思います。*****今日放送の3分クッキング”なすとかぼちゃの肉みそチーズ焼き”を作ってみました!たまたま、なすをたくさんもらっ
転校先の小学校は、少しだけ都会に感じた。私はひとり田舎から出てきたおのぼりさんのような気持ちで新しい教室に入り、担任教師に紹介されて挨拶をすると軽いどよめきが起こった。その理由は、このクラスに私と同じ名字の子がすでに4人くらいいたからだ。「あっ!また〇〇(私の名字)だー」ザワザワ(笑)みたいな。そんな事情を知らない私は、なに?なんか自分が変なの?とオドオドしてしまう。その理由が名字のことだとわかって、そのあとすぐに友だちはできたけれど。教科書の内容や微妙に違う学校のルールになかなか馴染めない。一
母はいったいいつから別居と離婚準備をしていたのだろう?逃げてきた新しい町は車で小一時間の隣り町だった。そこで母は、小さな工場を営む家の家政婦の仕事を始めたのだ。古いアパートは、住み込み扱いで借りてくれたので家賃は賃金から引かれていたらしい。アパートのご近所には犬やうさぎを飼っている家があって、動物好きの私は嬉しかった。母からはちゃんとした説明はなかったと思う。母だってそれどころではなかっただろうし。家具も家電も何もない6畳一間の風呂なしアパート。布団とかはいったいいつ用意したのか?父の目を盗んで
母が29歳のとき、私たち姉妹を連れて家を出た。私は三姉妹の長女で、小学二年、妹たちはまだ3歳か4歳の頃。父はガテン系で怠け者。現場に行きお金が少し入ると働かないを繰り返していた。そして今でこそDVという言葉が一般的だけれど、まさにそれ。父は気に触ることがあるとすぐに怒鳴り、モノを投げる。直接母を殴ったりすることはなかったような気がする。当時の記憶はおぼろげだけど。些細なことでいつもキレては怒鳴り散らし、モノが飛んで来るのは日常茶飯事だった。父と母が別れてから、少し大人になった私に母は、「パパはち
私の母は、多分少し毒親だったのではないか。当時は毒親などという言葉は無く、子どもの頃から母との関係でかなり悩んだ時期もあったけれど、そのもやもやがなんなのかわからなかった。だって母という存在は子どもにとって絶対だっだのだから。母親の結婚年齢に影響されて母が結婚して私を産んだのが22歳のときだと、子どもの頃から聞かされていた。だから私も、、、大人になって22歳くらいになったら結婚するのかなと漠然と思っていた。そう、母の影響恐るべし。これだけじゃないけれど、子どもの頃から刷り込まれていたと思う。大人
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