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2025年7月
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不思議なことにネガティブな人のところには、ネガティブな人が集まります。そして、ネガティブな言葉が響き合い、増幅されネガティブな方向に進んでいきます。しかし、それが自分が原因だとは夢にも思いません。他人への非難も正義だと思って語り合っているからです。勿論、ネガティブだとも思っていません。見るべきは、そうした人たちが組織の目的に沿った、きちんとした結果を出しているか否かです。そして、世の中のために良き価値を生み出しているか否かです。厳しい見方かも知れませんが、結果が出ている方が正しいと私は思います。結果を出すために仕事をしているからです。不思議なこと
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」吉田松陰「幽囚録」の和歌です。「幽囚録」は、ペリーの黒船に乗り込み、海外渡航を企てたものの失敗し、下田で自首して囚人となった時に記した記録です。「こうすれば、こうなるとは分かっている。しかし、義のため、己の信念のために、己を省みず、死をも恐れない生き方を貫く」という不退転の意志と覚悟が伝わってきます。その決意と、理解されない悲しみと、それでも断固としてやる意志が伝わってきて、涙が出ます。悲しい覚悟です。損得のために生きる人たちが多い今の時代に、こんな生き方をすれば、ひとりぼっちになるに決まっています。しかし、日本の教育のためには、未来に繋がらないことを断固として排除して、やるべきことをやるしかありません。生き方を貫くしかありません。私も及ばずながら...かくすれば
今の日本のあちらこちらで起こっている凋落ぶりは、国民1人1人の問題も大きいとは思いますが、リーダーやその地位にある者たちが、現場を見ずに、いい加減な統計をとったり、具体的な改善の手立てを打てずにいることが大きいと思います。現場で起きている課題の一つ一つを潰していくこと、検証していくことが疎かになっているように思えてなりません。教育にしても観念的な改革ばかりで、多くの人たちは、1人1人の子どもの変化など見てはいません。頭でっかちで、血が通っていないのです。心が無いのです。手前味噌で恐縮ですが、バッカーズ寺子屋で起きていることの一つ一つには、この国の教育を変えていくために必要な、いくつもの手がかりが含まれていると思います。なぜなら、みんながここは自分らしくいられる場所だと言い、成績が伸び、自分の進路を真剣に考...現場を見ないリーダーたち
教員の苦しい環境が続いているようです。これは歴史を俯瞰してみると、己の労働者としての権利を主張しすぎた結果、教師が人々からの敬意と信頼とを失ったことが大きな原因ではあるまいかと思います。組合幹部は、政治家や行政と関わることで、改革が進むような錯覚を覚えてるだけです。教育が良くなるということは、教師が良くなるということでしかありません。その努力が結果として表れていないのに、予算が付いたところで、また、施設が立派になったところで形だけの物でしかありません。教師の復権を通じての教育の復権。これが国民が求めていることだと思います。勿論、国民といっても色々な見方の人たちがいますから、一概には言えないのですが、それでもやはり求められるのは、教師の人間力の向上ということにならざるを得ないと私は思います。教育者としてのそ...教育について思う
情報の授受については、メディアリテラシーの重要性ということを思います。ただ、どんな情報も発信する人間の意図があるということは厳然とした事実です。何か事件が起きたとして、そのことに対して、肯定的にとらえる思いがあって発信しているのか、否定的にとらえる思いがあって発信しているのかで、全く情報の発信の仕方は変わってきます。もっと言えば、善意の発信をしようとしているか、悪意の発信をしようとしているかの違いで、それによって、発信する情報の組み立て方は全く違う物になるということです。結局、発信する側も、受信する側も、人間としてのあり方、心の持ち方が問われているということでしかありません。人物を磨く教育だけが唯一の処方箋のような気がしています。深刻なメディア問題
そう言えば吉田松陰先生の言葉に「狂夫の言」と言うのがありました。内容はさて置き、自らを狂とするしかないのは、怒りか嘆きか悲しみか…。私もまた一人の狂人なのだと思います。教育に対しての細かな部分へのこだわりは、普通ではありませんから、特に身近な人からは到底理解してもらえません。そのことがどこに繋がっていくかなどわかってもらえるはずもなく、狂人扱いされるだけです。「ふつうはそこまでしない」「前はそうじゃなかった」私は日々新に教育を作り上げるだけですし、自分のことなんかとっくに捨ててかかってますから、当然、普通であるはずがありませんし、変化しないわけがありません。だから、結局は一人ぼっちで頑張り続けるしかないのだと哀しい覚悟を決めています。しかし、それで子どもたちが救われるのならいいじゃないかと思います。嬉しい...狂人
小郡寺子屋「志学舎」の入塾説明会が本日5月8日よりスタートします。第二回目は5月13日(火)18:00~、第三回目は5月24日(土)18:00~です。何をしているのか活動内容の見えにくい寺子屋ですので、まずは入塾説明会にお越しいただけたらと思います。お子様と一緒にお気軽にお越し下さい。ほとんど全員が、考える力、書く力、話す力が向上し、人間としてしっかりしていきます。日本人の苦手を克服し、大人になってからも役に立つ、一生の財産になる学びだと思います。塾生たちは、聴く力が変わることで、成績も上がっているようです。小郡市、大刀洗町、筑前町にお住まいの、原則として10歳~15歳までの小・中学生の皆さんを募集しています。入塾説明会でお目にかかれますことを楽しみにしています。小郡寺子屋「志学舎」
https://v-edu.hatenablog.com/?_gl=1*18fwvlt*_gcl_au*MTc0MDE3ODYwOC4xNzQ2MTYwODc4木村貴志徒然なるままに・・・Vision&Education,Ltd.代表の教育に関する独り言です。木村貴志徒然なるままに・・・ブログ更新しました
gooブログのサービス停止に伴い、はてなブログに引っ越しました。データの移行は、まだ、これからです。今しばらくお待ちください。まだ慣れていないので、戸惑うことが多いのですが、今後、こちらのブログで皆様にお目にかかれたらと思います。とりあえず、記事の管理-はてなブログをクリックしていただけたらと思います。ブログ引っ越し
小泉八雲の怪談に「鳥取の布団の話」というものがあったかと記憶しています。布団から「あにさん寒かろう」「おまえ寒かろう」という声が繰り返し繰り返し聞こえてくるというのです。両親を亡くし、何もかも無くした幼い兄弟が、最期にくるまっていた布団で、その布団すら因業大家から取り上げられて、ついには凍えて死んでしまったという哀しいお話しだったと思います。亡くなるまで「あにさん寒かろう」「おまえ寒かろう」とお互いを気遣い合っていた幼い兄弟のことを思うと涙が出ます。その心の美しさ故に涙が出るのだろうと思います。それに比べて、現代の人間関係のいかに寒々しいことか。そのことの方が、よほど恐ろしいことに思えます。そして、それは怪談ではなく、ホラーという恐怖と強い嫌悪感を感じるものに変質したことを思います。小泉八雲が日本人に失っ...鳥取の布団の話
「エクスプレッションアカデミーIN福岡2025」の受講生を募集いたします。対象は18歳以上の方ならどなたでも参加OKです。企業研修では私が話さないテーマだけれど、今の時代に大切だと思われるテーマについて共に学ばせていただきます。第1講座は2025年5月30日(金)19:00~20:00。全3回の講座+日帰りツアーです。詳細は、弊社Vision&Education,Ltd.のホームページをご覧下さい。エクスプレッションアカデミー2025in福岡開催 V&Eからのお知らせ,セミナー情報 【V&E】Vision&EducationOfficialWebsite福岡市中央区渡辺通の「電気ビル共創館」にて開催いたします。終了後には、会場近くで懇親会を開催いたします。皆様のご参加を心よりお待ちしています。エクスプレッションアカデミーIN福岡2025
バッカーズ寺子屋が開塾から20年経過し、卒塾生たちの姿と言葉から、教育において何が大切かということが見えてきました。私が大切にすべきことは、一言で言うと、「一切の妥協を排す」ということになります。少しでも妥協したことは大した結果を生みませんでした。しかし、信念をもって妥協せずに貫いてきたことは、子どもたちの心にしっかりと残っていました。設立当時も私のこだわりが分かる人は、ほぼいませんでした。支援して下さっている経営者の方々は、私の信念をそれでも暖かく見守ってくださいました。そのことに対しては、畏敬の念と感謝の念にたえません。今もなおわかってはもらえないと思います。いわゆる常識と私の見ている世界とは違うからです。チープな教育では20年先を見据えた人格教育などできるはずもありません。20年かけて、やっと私には...一切の妥協を排す
バッカーズ寺子屋20期生、バッカーズ九州寺子屋17期生の願書提出締め切り日は、2025年4月30日(水)となっています。それぞれの事務局に願書をご提出くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。入塾願書提出締切
いつも全力を尽くそうと思います。全力を尽くしてそれが世の人たちに受け入れられなければ仕方がありません。自分の努力の足りなさを反省して、次のステージに向かうだけです。それが出来ていないと、後悔が生まれてきます。だから、後悔しなくて良いように、全力を尽くそうと思います。全力を尽くす
「学び方が変わると人生が変わる」というのは本当だと思っています。確信を持って、そう思っています。「聴く・読む・書く・話す」という基本的な学び方は、実にシンプルですが、本当に奥の深い大切なことで、この精度を上げれば、学びの吸収力が全く違うものになると思います。私自身も基本的学び方が変わって、吸収力は確実に高まったと感じています。ただ、それを身につけるためには、「書く」「話す」を実際にやっていかなければなりません。「畳の上の水練」という言葉は死語に近いものになっていますが、実際に水に入って泳いでみなければ、泳げるようにはならないのと同様、実際に書いたり話したりしてみなければ、力が身につくはずがありません。そこから逃げ続けるのも良いと思いますが、それは思考力や人間力にも関わる大切な部分になるので、私は避けない方...学び方が変わると人生が変わる
結局、大切なのはその人の学ぶ心、素直さや向上心が大切なのだと思います。それがある人はどんな話からでも何かを学び取り成長することができます。しかし、斜めからものを見聞きする人は、結局は自分のものにはならないのだと感じます。今までのその人のままでいるしかないのだと思います。悲しいことに成長はなかなかに難しいと思います。では、その真っ直ぐな心はどこでどのように身につくのか。それはやはり、子ども時代の教育にまで遡っていくのだと思います。反抗期において反抗はして良いけれど、その心が濁らないことが大切なのだろうと思います。言い訳や屁理屈を言うのではなく、常に自分の言動の結果を直視する心と同時に、まっすぐな好奇心や向上心をいつまでもなくさないようにしたいものです。真っ直ぐに
一人でも自分の道を歩こうと思います。萩往還36㎞を歩く研修で、みんなに知ってほしいことは、仲間とともに励ましあって道を歩くことの大切さです。チームを盛り上げ、明るい空気でゴールを目指すことです。それも大切なのですが、私が自分に課していることは、一人でもこの道を歩き通すということです。自分の信ずるところを一切の妥協を排して歩き続けていくことが大切だと思っています。そして、遠くのゴールを心の中に持ち続けたいと思っています。大きな苦労をして一つ山を越えると達成感はあります。しかし、その先を見据えておくことが大切です。つまり、吉田松陰先生は、一か月以上かけて江戸まで歩いて行ったことを思うと、今日が終わったからと言って気を抜けるはずがありません。人間、ひと山越えると、心のどこかにゆるみが出てきてしまいます。それを厳...自分の道
gooブログサービスが今年の11月で停止になるとのこと。書き始めて、今日で6594日目になりますから、愛着もあって残念ですが、また、違うところでブログは書き続けようと思います。徒然なるままの日記のようなものですから、どうでも良いと言えば、どうでも良いのかもしれませんが、私が教育の道を走り続けている限り、書き続けていようと思います。「書くことは考えること」であり、「自分自身と向き合うこと」でもあるからです。もう少し、ここで書き続けますが、どこかのタイミングで引越ししなければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。ブログサービス終了らしい。
今まで20年、バッカーズ寺子屋の教育をはじめ、企業研修など、私は様々な教育にかかわらせていただきました。独自の教育、独自の生き方を貫いてきたとも言えます。教育に対する私の考えは、実践と学びと思索の中から生まれてきたものです。主流の考えとは全く違うので、稼ぐことも大変です。しかし、共に学んで下さった子どもたちの成長は目を見張るものがありますし、企業研修でも少なからずありきたりの研修とは一線を画すものとなってきたと思います。私と私の教育を信じて共に歩んでくださった方に、心から感謝を申し上げます。会社創業から20年近くがたって、少しずつ、手ごたえと広がりとを感じています。しかし、こだわり抜けば抜くほど、人からは理解されなくなります。「普通は、・・・」という言葉や、「そこまでする必要があるのか・・・」という否定的...マイノリティであることを恐れない
私はZ世代を否定的に捉えているわけではありません。そうではなく、世代論にあまり意味を感じない人間ではあります。結局、いつの時代も人間は24時間、365日与えられる情報によって教育されていくのだと思います。デジタルネイティブの子どもたちを見ていて思うことは、YouTubeの影響の大きさです。良い意味で、話をするお手本を見ていますから、人前でも割とすぐ自然に話せるのではないかと思います。また、マスメディアの価値観にどっぷりつけ込まれた世代ではありませんので、あまり大手メディアの言うとおりのことを盲目的に信じ込んだりせず、様々な視点から物事を見ようとするところがあると思います。これはとても良いことです。ただし、特定の考え方にどっぷり浸かってしまう危険性もあると思います。ということで、その世代の良さに目を向けて、...Z世代
Z世代の特徴として、タイパにこだわる、プライベートを重視する。というものがあげられていました。私には能力が無いので、ほとんどプライベートも仕事に費やしています。それでも足りている気がしません。もっとも「教育」が仕事ですから、全てが教育になります。だから、仕事が遊び、遊びが仕事と言えなくもないのです。日々、楽しいことが多いと思います。全力を尽くして、他人様に喜んでいただけたら、これほど幸せなことは無いと思います。また、同じ能力があれば、多くの時間を働いた方が、多くのものを生み出せると思います。そして、能力が足りなければ、時間をかけて、必死の努力で補うしか無いと思います。それだけのことです。お気楽にスマートに働いていて、本物を生み出せる仕事は、古今東西、無かったように思います。私は本物を生み出したいと思います...プライベート
バッカーズ寺子屋の19期がスタートしました。7月7日に入塾式を行いました。大きな責任を背負い、新たな挑戦を始めます。一期生から教育プログラムのフレームは変えずに実施しています。勿論、毎年新たな塾生を迎えるわけですから、少しずつ内容は違っていますし、日々、磨き抜こうと考えています。それにしてもつくづく思われることは、「学び方が変わると人生が変わる」ということです。シンプルなことですが、「アウトプットを前提としたインプットの大切さ」をはじめ、「読む・聴く・書く・話す」を如何に深く掘り下げていくかが、人間の成長には大切なことなのだと思います。それは、考える力を育みつつ、発信力を鍛えることであり、世界に通用する日本人を育てていくことでもあると思います。バッカーズ寺子屋19期生スタート
子どもが立派な大人に育つことほど、国の将来を明るいものにすることはありません。そのためには、大人がまずは立派であろうと努力しなければなりません。責任は大人にあるのですから。子どもの心身の健康に影響することは、食事、運動、睡眠、読書、交友、などですが、この一つ一つをまともなものにすることが、いかに現代の日本においては困難なことか、一度立ち止まって考えるべきだと思います。食事一つとっても「腐らないような食」が、まともな人間を育てるとは思えません。なぜなら、人間も自然の一部だからです。また、読書は精神の栄養です。古今東西の名作との出会いが、やはり人の心を育むのだと思います。本を読まずして立派な人間になれるとは思えません。こうしたことの一つ一つを健全なものにしていくことが、如何に困難かを考えたとき、子どもたちの将...より良い教育
「加害者だから推薦しないという基準はない」この言葉だけで、私はぞっとするような嫌悪感を感じるのですが、どうやらそうではない人たちが教育界には多いのだろうと思います。東京都知事選のポスターを見ても、立候補者が乱立しているところを見ても、その主張を聞いていても、この国の常識や良識というものが崩壊していることを感じます。教育現場に身を置く者としては、微々たる力しかありませんが、常識や良識を回復するための学びを確立していこうと思います。そんな悲しい時代が来るとは思いませんでしたが、できることをやるしかありません。保身に走る大人たちが作ってきた、醜い国・日本を何とかしたいと思います。醜い国・日本
2日間の企業研修を終えました。「学び方の変革」「志の教育」について全力でお伝えしてきました。子どもであれ、大人であれ、学びを共有できる時間を過ごすことができ、多くの気づきがあり、深い心の交流が生まれることは、かけがえのないものだと思います。私は、この二つのメッセージが、日本の未来にとって、とても大切になると思っています。子どもたちの未来、企業の未来、大人の未来。全てが日本の未来ですから、私の中で、線引きはありません。企業研修
教育を変えるという言説を聴くたびに、多少の違いはあれども、「システムを変えることで、環境を良くして、教育を良くするという」という同じ枠組みで考えていることを感じます。確かに先生が余裕を持って仕事が出来るようになり、子どもと関わる時間が増えることは大切です。絶対に実現していただきたいことです。しかし、もっと大切なことは、「どのような先生」が子どもと関わるかであるはずです。マスコミに取り上げられるような問題のある先生が、子どもと関わる時間が増えることが良いことだとは思いません。多くの人たちが願うのは、「優れた見識と人格をお持ちの先生」であろうかと思います。しかし、そのような先生がどれほどいるのか。そして、そのような先生になるために何が大切なのか。そこに踏み込むことはなかなかに困難なことです。なぜなら、「教育観...教育改革
日本の未来を良きものにするためには、教育の在り方を変え、人財を育成していくしかないと思います。日本の最重要課題は教育です。未来への投資です。勿論、世界の中での日本の教育は決して悪いものではないと思います。しかし、肝心の部分が欠落しているのです。それは、「何のために学ぶのか」「何を学びたいのか」「何のために働くのか」という目的意識がないままに、受身のやらされる勉強をし続けていることです。しかも、それは主として受験のための知識の勉強と言うことになります。教育基本法では「人格の完成」を目的にしていると書かれていますが、そんなことを真剣に追求している人はごく稀です。本音と建て前の使い分けが教育を駄目にしてきたのです。同じ事をやっていても、目的意識によって、その意味は大きく変わります。だから、私は「学び方の変革」「...日本の未来のために
昨日の夜は天神の勉強会に呼んでいただいて、お話しをさせていだきました。70分間全力でお伝えしましたが、どのように伝わったのかは私の知るところではありません。そのようなものだと思います。評価は相手が決めること。話し手は、日々、自分を深め、学び続け、全力でお伝えするしかありません。力が足りないから伝わらないのです。相手のせいではなく、自分のせいだと思えるようになって、どれぐらいの時間が過ぎただろうかとふと思いました。その後の懇親会もとても楽しかったです。ビールこぼしてしまってすみませんでした。講演
鹿児島に1泊2日で行ってきました。「薩摩藩英国留学生記念館」「知覧特攻平和会館」では、若き先人たちの生き方に多くの学びがありましたし、「城山ホテル鹿児島」では、楽しく豊かな時を過ごすことができました。私が塾長を務めるバッカーズ寺子屋や、このエクスプレッションアカデミーでは、『大学』や『論語』といった四書五経を学んできました。そこには、人間としての心の在り方を磨いていく何かがあると思っているからです。また、郷中教育で体を鍛えるためにある「山坂達者」は、「萩往還を歩く」研修と極めて近いものを感じます。ただし、郷中教育は、ほぼ毎日実施できていたものですが、私たちの生み出す教育は、限られた日数と時間しかありません。その中で何が出来るのかを改めて考え、より良い教育実践を生み出していきたいと思います。最後の訪問地、仙...エクスプレッションアカデミー鹿児島ツアー
深く思考し、思いを強めていく時間の大切さを思います。小手先の仕事には魂が宿りません。やっつけ仕事では、良い仕事はできないように感じます。それは、私の能力不足であろうとは思うのですが・・・。企業研修などの講座内容も、うんうんと悩み抜いて、答えが出そうにない中でも考え抜いていると、突然光が差し込んできてひらめくことが多々あります。そうなるまで逃げてはいけないし、粘り抜かなければならないと思います。色々なイベントも落ち着いて丁寧にやらなければと思っています。現実の慌ただしさとの折り合いをつけるためには、時間管理、タスク管理のレベルを上げなければなりません。今日の反省
食べ応えのあるもの、歯応えのあるものを食べるのは時間がかかります。時間がかかる分だけ、噛む力、咀嚼する力が鍛えられ、脳にも沢山の刺激が送られます。本を読むのも読み応えのあるものを読むことは大切ですし、学びにしても深く学ぶことが大切です。また、体験したことの意味をしっかり深く考える経験も大切です。タイパの良い学び方では得られるものは少ないと思います。自分の食べ方、学び方はどうか。生活の仕方はどうか。いま一度考えてみる必要がありそうです。タイパ
エクスプレッションアカデミー2024in福岡第1講座が終了しました。今年は、「教育にとって大切なもの」を考えて行く講座と致します。そして、第1講座は「志」をテーマと致しました。やはりこれが基本だと思います。志を立てるのは簡単ではありません。1.読書、2.師友、3.逆境、4.感激、の四つが不可欠です。そして、1.の読書一つが満足に出来ないのが、昨今の人間が置かれている環境です。だから、よほど意識して学ぶ必要があると私は思います。そうでなければ、主体的な人間として生きることはできません。機械の歯車のように、無機質な、部品として生涯を過ごしていくしかなくなってしまうのです。そして、自分がそうした存在になっているとも気がつかぬまま人生が終わっていくのだと思います。私は一人の人間が、生き生きと幸せな人生を生きること...エクスプレッションアカデミー2024in福岡
英語の重要性は確かにその通りですが、今、母国語の教育の重要性を痛感しています。相手を理解すること、思いやりの心を持つこと、気遣いをすること、敬意を払うこと、孝行をすること、こうした心の動きも、全て言語によって行われるものだからです。何を思い、何を行動するのかは、言葉によって自分自身に指令されるものですから、言葉の豊かさ、言葉の細やかさ、言葉の強さ、そうした国語の力が、その人の人間の力となるのだと思います。異なる意見は大切です。異なる意見の人とぶつかり合うことで、角が取れ、磨かれていくからです。しかし、そこにも人間としての敬意を払うという、最低限の考え方、つまり、言語の働きは必要です。今のネット社会では、一方的に受信し、自分に心地良い言語空間に逃げ込むことも可能です。それでは偏った視点が肥大化されるだけです...母国語の大切さ
我が子ができれば、子どもの将来を真剣に考えない人は少ないと思います。子どもの将来とは、子どもたちの将来であり、日本の将来でもあります。望んで子どもを作らなかった人も、望んだのに子どもができなかった人も、やはり、子どもがいる人といない人とでは、危機感は異なると思います。「血を分けた」という言葉があるように、子どもは自分自身でもあります。だから、未来を憂うことは、生物としての生存本能なのかも知れません。色々な理屈をつけようとも、人が少なくなれば、働き手は減り、社会インフラも、経済力も、防衛力も失われていくのは当たり前のことです。そして、国が滅びれば、個人も安らかな暮らしができるはずがありません。歴史を紐解けば、国を失った民が、どれほどの辛酸を嘗めなければならないかわかるはずです。子どもを持つ親は、もっと怒るべ...他人事
官僚と大臣の言葉をはじめとして、官僚や政治家たちの言葉は、いつからこんなに実態のない虚しいものになったのだろうか。責任回避と尻尾を掴まれまいとの魂胆に満ち満ちた、スカスカで気色の悪いものになったのだろうかと、国会答弁を聞いていて思いました。血の通わない、情の通わない、言葉のやりとりは、もはや「キモい」レベルに成り果てています。そんな者にはなりたくないと私が思うのは良いのですが、子どもたちがそう思うのはいかがなものかと思います。「末は博士か大臣か」と敬意を表されていた時代は、まだマシだったのだろうと思います。教師も、父も、母も、祖父母もそうですが、本来、敬意を払われ、感謝されるべき存在が、そうでなくなった社会というのは、恐ろしくいびつで不幸な社会なのではないかと思います。しかし、それを糺すのは、一人一人の心...虚しい言葉
己と向き合うことの大切さを思います。日々、スケジュールをこなすことに追われ、騒々しく、スマホを駆使し、SNSで自己顕示をしなければ、己の存在すらかき消されてしまうような気がする時代です。しかし、だからこそ、私は一人静かに、書物を読み、自分と向き合い、虚心に反省し、自分と日本と世界の、来し方行く末を静かに考えてみたいと思います。私も背負っている組織があり、そのためにフェイスブックなどでの発信をすべきかと思いましたが、やはり、自分がこんな素晴らしい所に行ったとか、こんな美味いものを食べたとか、そうしたことを発信すること自体が品性に欠ける行為だという考えが染みついた古い人間なので、どうにも居心地が悪いのです。それは、あくまでも自分がそうすることに対して思うだけで、他人様がされていることをどうこうは思いません。私...己と向き合う
先日、かねてより行っておきたかった、安岡正篤記念館を訪ねました。行って良かったと心から思いました。安岡正篤先生の蔵書や文字や生き様に触れると、その人の精神は言葉に宿り、その人の言葉は行動に化するものなのだと思いました。そして、それは更に多くの人に影響を与え、一国の未来にも影響を与えるものなのだと感じました。そこに学問の神髄はあるのだと思いました。私も及ばずながら、じっくりと精神を鍛えるような深い学びをしていきたいと思います。学問
信念なき人間は侮られるしかありません。政治家であれ、会社員であれ、教育者であれ、同じ事です。信念ある仕事をしている人の言葉と行動は、それがどんな仕事であるのかを問わず、教育としての価値を持ちます。人の心に響き、行動に変革を促し、その人に成長の契機をもたらします。それこそが教育です。そう考えると、信念なき教育者の存在が、如何に虚しいものであるかがわかると思います。教育と信念
今日も全力で働きました。趣味や余暇を慰めとせず、仕事に充実感と喜びを感じられる人生で、本当に良かったと思います。全身全霊をかけて打ち込める事業を生業とすることができて、本当に幸せです。願わくば、未来の子どもたちのために、何か1つでも役に立つことを手渡せたらと願うばかりです。今日もお疲れ様でした。今日もお疲れ様でした