https://v-edu.hatenablog.com/日本の教育をより良いものにするためにVision&Education,Ltd.代表の教育に関する独り言です。日本の教育をより良いものにするために引き続きこちらでよろしくお願いします。木村貴志はてなブログに引っ越しました
プライベートについて書いたのですが、誤解を沢山招くと思っています。なぜなら、それは、62歳になった今の時点での私の考え方だからです。昔、子どもたちが、まだ小さかった頃には、勿論、そうはいきません。プライベートの時間が大切なものであることは言うまでもありません。何かを語るときに難しいのは、人は、自分の経験と今の立ち位置からしか物を言えないということです。そこに誤解や行き違いが生まれます。発信する側も、受信する側も、自分の枠組みでしかものを見ることが出来ないからです。歴史についても同様です。今の価値観で過去の人たちの言動を裁いてはいけないと思います。その時代には、その時代の社会状況と価値観があったからです。逆に、過去の価値観で今の人たちの言動を裁くことも難しいのだと思います。特にこの場合、過去と言っても、どこ...プライベート②
私はZ世代を否定的に捉えているわけではありません。そうではなく、世代論にあまり意味を感じない人間ではあります。結局、いつの時代も人間は24時間、365日与えられる情報によって教育されていくのだと思います。デジタルネイティブの子どもたちを見ていて思うことは、YouTubeの影響の大きさです。良い意味で、話をするお手本を見ていますから、人前でも割とすぐ自然に話せるのではないかと思います。また、マスメディアの価値観にどっぷりつけ込まれた世代ではありませんので、あまり大手メディアの言うとおりのことを盲目的に信じ込んだりせず、様々な視点から物事を見ようとするところがあると思います。これはとても良いことです。ただし、特定の考え方にどっぷり浸かってしまう危険性もあると思います。ということで、その世代の良さに目を向けて、...Z世代
Z世代の特徴として、タイパにこだわる、プライベートを重視する。というものがあげられていました。私には能力が無いので、ほとんどプライベートも仕事に費やしています。それでも足りている気がしません。もっとも「教育」が仕事ですから、全てが教育になります。だから、仕事が遊び、遊びが仕事と言えなくもないのです。日々、楽しいことが多いと思います。全力を尽くして、他人様に喜んでいただけたら、これほど幸せなことは無いと思います。また、同じ能力があれば、多くの時間を働いた方が、多くのものを生み出せると思います。そして、能力が足りなければ、時間をかけて、必死の努力で補うしか無いと思います。それだけのことです。お気楽にスマートに働いていて、本物を生み出せる仕事は、古今東西、無かったように思います。私は本物を生み出したいと思います...プライベート
バッカーズ寺子屋の19期がスタートしました。7月7日に入塾式を行いました。大きな責任を背負い、新たな挑戦を始めます。一期生から教育プログラムのフレームは変えずに実施しています。勿論、毎年新たな塾生を迎えるわけですから、少しずつ内容は違っていますし、日々、磨き抜こうと考えています。それにしてもつくづく思われることは、「学び方が変わると人生が変わる」ということです。シンプルなことですが、「アウトプットを前提としたインプットの大切さ」をはじめ、「読む・聴く・書く・話す」を如何に深く掘り下げていくかが、人間の成長には大切なことなのだと思います。それは、考える力を育みつつ、発信力を鍛えることであり、世界に通用する日本人を育てていくことでもあると思います。バッカーズ寺子屋19期生スタート
子どもが立派な大人に育つことほど、国の将来を明るいものにすることはありません。そのためには、大人がまずは立派であろうと努力しなければなりません。責任は大人にあるのですから。子どもの心身の健康に影響することは、食事、運動、睡眠、読書、交友、などですが、この一つ一つをまともなものにすることが、いかに現代の日本においては困難なことか、一度立ち止まって考えるべきだと思います。食事一つとっても「腐らないような食」が、まともな人間を育てるとは思えません。なぜなら、人間も自然の一部だからです。また、読書は精神の栄養です。古今東西の名作との出会いが、やはり人の心を育むのだと思います。本を読まずして立派な人間になれるとは思えません。こうしたことの一つ一つを健全なものにしていくことが、如何に困難かを考えたとき、子どもたちの将...より良い教育
「加害者だから推薦しないという基準はない」この言葉だけで、私はぞっとするような嫌悪感を感じるのですが、どうやらそうではない人たちが教育界には多いのだろうと思います。東京都知事選のポスターを見ても、立候補者が乱立しているところを見ても、その主張を聞いていても、この国の常識や良識というものが崩壊していることを感じます。教育現場に身を置く者としては、微々たる力しかありませんが、常識や良識を回復するための学びを確立していこうと思います。そんな悲しい時代が来るとは思いませんでしたが、できることをやるしかありません。保身に走る大人たちが作ってきた、醜い国・日本を何とかしたいと思います。醜い国・日本
2日間の企業研修を終えました。「学び方の変革」「志の教育」について全力でお伝えしてきました。子どもであれ、大人であれ、学びを共有できる時間を過ごすことができ、多くの気づきがあり、深い心の交流が生まれることは、かけがえのないものだと思います。私は、この二つのメッセージが、日本の未来にとって、とても大切になると思っています。子どもたちの未来、企業の未来、大人の未来。全てが日本の未来ですから、私の中で、線引きはありません。企業研修
教育を変えるという言説を聴くたびに、多少の違いはあれども、「システムを変えることで、環境を良くして、教育を良くするという」という同じ枠組みで考えていることを感じます。確かに先生が余裕を持って仕事が出来るようになり、子どもと関わる時間が増えることは大切です。絶対に実現していただきたいことです。しかし、もっと大切なことは、「どのような先生」が子どもと関わるかであるはずです。マスコミに取り上げられるような問題のある先生が、子どもと関わる時間が増えることが良いことだとは思いません。多くの人たちが願うのは、「優れた見識と人格をお持ちの先生」であろうかと思います。しかし、そのような先生がどれほどいるのか。そして、そのような先生になるために何が大切なのか。そこに踏み込むことはなかなかに困難なことです。なぜなら、「教育観...教育改革
日本の未来を良きものにするためには、教育の在り方を変え、人財を育成していくしかないと思います。日本の最重要課題は教育です。未来への投資です。勿論、世界の中での日本の教育は決して悪いものではないと思います。しかし、肝心の部分が欠落しているのです。それは、「何のために学ぶのか」「何を学びたいのか」「何のために働くのか」という目的意識がないままに、受身のやらされる勉強をし続けていることです。しかも、それは主として受験のための知識の勉強と言うことになります。教育基本法では「人格の完成」を目的にしていると書かれていますが、そんなことを真剣に追求している人はごく稀です。本音と建て前の使い分けが教育を駄目にしてきたのです。同じ事をやっていても、目的意識によって、その意味は大きく変わります。だから、私は「学び方の変革」「...日本の未来のために
昨日の夜は天神の勉強会に呼んでいただいて、お話しをさせていだきました。70分間全力でお伝えしましたが、どのように伝わったのかは私の知るところではありません。そのようなものだと思います。評価は相手が決めること。話し手は、日々、自分を深め、学び続け、全力でお伝えするしかありません。力が足りないから伝わらないのです。相手のせいではなく、自分のせいだと思えるようになって、どれぐらいの時間が過ぎただろうかとふと思いました。その後の懇親会もとても楽しかったです。ビールこぼしてしまってすみませんでした。講演
鹿児島に1泊2日で行ってきました。「薩摩藩英国留学生記念館」「知覧特攻平和会館」では、若き先人たちの生き方に多くの学びがありましたし、「城山ホテル鹿児島」では、楽しく豊かな時を過ごすことができました。私が塾長を務めるバッカーズ寺子屋や、このエクスプレッションアカデミーでは、『大学』や『論語』といった四書五経を学んできました。そこには、人間としての心の在り方を磨いていく何かがあると思っているからです。また、郷中教育で体を鍛えるためにある「山坂達者」は、「萩往還を歩く」研修と極めて近いものを感じます。ただし、郷中教育は、ほぼ毎日実施できていたものですが、私たちの生み出す教育は、限られた日数と時間しかありません。その中で何が出来るのかを改めて考え、より良い教育実践を生み出していきたいと思います。最後の訪問地、仙...エクスプレッションアカデミー鹿児島ツアー
深く思考し、思いを強めていく時間の大切さを思います。小手先の仕事には魂が宿りません。やっつけ仕事では、良い仕事はできないように感じます。それは、私の能力不足であろうとは思うのですが・・・。企業研修などの講座内容も、うんうんと悩み抜いて、答えが出そうにない中でも考え抜いていると、突然光が差し込んできてひらめくことが多々あります。そうなるまで逃げてはいけないし、粘り抜かなければならないと思います。色々なイベントも落ち着いて丁寧にやらなければと思っています。現実の慌ただしさとの折り合いをつけるためには、時間管理、タスク管理のレベルを上げなければなりません。今日の反省
食べ応えのあるもの、歯応えのあるものを食べるのは時間がかかります。時間がかかる分だけ、噛む力、咀嚼する力が鍛えられ、脳にも沢山の刺激が送られます。本を読むのも読み応えのあるものを読むことは大切ですし、学びにしても深く学ぶことが大切です。また、体験したことの意味をしっかり深く考える経験も大切です。タイパの良い学び方では得られるものは少ないと思います。自分の食べ方、学び方はどうか。生活の仕方はどうか。いま一度考えてみる必要がありそうです。タイパ
エクスプレッションアカデミー2024in福岡第1講座が終了しました。今年は、「教育にとって大切なもの」を考えて行く講座と致します。そして、第1講座は「志」をテーマと致しました。やはりこれが基本だと思います。志を立てるのは簡単ではありません。1.読書、2.師友、3.逆境、4.感激、の四つが不可欠です。そして、1.の読書一つが満足に出来ないのが、昨今の人間が置かれている環境です。だから、よほど意識して学ぶ必要があると私は思います。そうでなければ、主体的な人間として生きることはできません。機械の歯車のように、無機質な、部品として生涯を過ごしていくしかなくなってしまうのです。そして、自分がそうした存在になっているとも気がつかぬまま人生が終わっていくのだと思います。私は一人の人間が、生き生きと幸せな人生を生きること...エクスプレッションアカデミー2024in福岡
英語の重要性は確かにその通りですが、今、母国語の教育の重要性を痛感しています。相手を理解すること、思いやりの心を持つこと、気遣いをすること、敬意を払うこと、孝行をすること、こうした心の動きも、全て言語によって行われるものだからです。何を思い、何を行動するのかは、言葉によって自分自身に指令されるものですから、言葉の豊かさ、言葉の細やかさ、言葉の強さ、そうした国語の力が、その人の人間の力となるのだと思います。異なる意見は大切です。異なる意見の人とぶつかり合うことで、角が取れ、磨かれていくからです。しかし、そこにも人間としての敬意を払うという、最低限の考え方、つまり、言語の働きは必要です。今のネット社会では、一方的に受信し、自分に心地良い言語空間に逃げ込むことも可能です。それでは偏った視点が肥大化されるだけです...母国語の大切さ
我が子ができれば、子どもの将来を真剣に考えない人は少ないと思います。子どもの将来とは、子どもたちの将来であり、日本の将来でもあります。望んで子どもを作らなかった人も、望んだのに子どもができなかった人も、やはり、子どもがいる人といない人とでは、危機感は異なると思います。「血を分けた」という言葉があるように、子どもは自分自身でもあります。だから、未来を憂うことは、生物としての生存本能なのかも知れません。色々な理屈をつけようとも、人が少なくなれば、働き手は減り、社会インフラも、経済力も、防衛力も失われていくのは当たり前のことです。そして、国が滅びれば、個人も安らかな暮らしができるはずがありません。歴史を紐解けば、国を失った民が、どれほどの辛酸を嘗めなければならないかわかるはずです。子どもを持つ親は、もっと怒るべ...他人事
官僚と大臣の言葉をはじめとして、官僚や政治家たちの言葉は、いつからこんなに実態のない虚しいものになったのだろうか。責任回避と尻尾を掴まれまいとの魂胆に満ち満ちた、スカスカで気色の悪いものになったのだろうかと、国会答弁を聞いていて思いました。血の通わない、情の通わない、言葉のやりとりは、もはや「キモい」レベルに成り果てています。そんな者にはなりたくないと私が思うのは良いのですが、子どもたちがそう思うのはいかがなものかと思います。「末は博士か大臣か」と敬意を表されていた時代は、まだマシだったのだろうと思います。教師も、父も、母も、祖父母もそうですが、本来、敬意を払われ、感謝されるべき存在が、そうでなくなった社会というのは、恐ろしくいびつで不幸な社会なのではないかと思います。しかし、それを糺すのは、一人一人の心...虚しい言葉
己と向き合うことの大切さを思います。日々、スケジュールをこなすことに追われ、騒々しく、スマホを駆使し、SNSで自己顕示をしなければ、己の存在すらかき消されてしまうような気がする時代です。しかし、だからこそ、私は一人静かに、書物を読み、自分と向き合い、虚心に反省し、自分と日本と世界の、来し方行く末を静かに考えてみたいと思います。私も背負っている組織があり、そのためにフェイスブックなどでの発信をすべきかと思いましたが、やはり、自分がこんな素晴らしい所に行ったとか、こんな美味いものを食べたとか、そうしたことを発信すること自体が品性に欠ける行為だという考えが染みついた古い人間なので、どうにも居心地が悪いのです。それは、あくまでも自分がそうすることに対して思うだけで、他人様がされていることをどうこうは思いません。私...己と向き合う
先日、かねてより行っておきたかった、安岡正篤記念館を訪ねました。行って良かったと心から思いました。安岡正篤先生の蔵書や文字や生き様に触れると、その人の精神は言葉に宿り、その人の言葉は行動に化するものなのだと思いました。そして、それは更に多くの人に影響を与え、一国の未来にも影響を与えるものなのだと感じました。そこに学問の神髄はあるのだと思いました。私も及ばずながら、じっくりと精神を鍛えるような深い学びをしていきたいと思います。学問
信念なき人間は侮られるしかありません。政治家であれ、会社員であれ、教育者であれ、同じ事です。信念ある仕事をしている人の言葉と行動は、それがどんな仕事であるのかを問わず、教育としての価値を持ちます。人の心に響き、行動に変革を促し、その人に成長の契機をもたらします。それこそが教育です。そう考えると、信念なき教育者の存在が、如何に虚しいものであるかがわかると思います。教育と信念
今日も全力で働きました。趣味や余暇を慰めとせず、仕事に充実感と喜びを感じられる人生で、本当に良かったと思います。全身全霊をかけて打ち込める事業を生業とすることができて、本当に幸せです。願わくば、未来の子どもたちのために、何か1つでも役に立つことを手渡せたらと願うばかりです。今日もお疲れ様でした。今日もお疲れ様でした
人間が仕事をする以上、そして、一人では大した仕事などできない以上、人間が磨かれるような教育が大切だと考えます。しかし、まずは、自分自身をいかに磨くかということが大切なのだと思います。そうでなければ、他者に対する影響力など生まれては来ないからです。しかし、煩雑な日々の時間の過ごし方の中で、本当にそれが可能なのか、日々、挑戦し続けるしかないのだと思います。そして、その成果は見ぬままに世を去って行く覚悟を持てるほど、自分の実践していることに信念を持たねばならないのだと思います。挑戦
仕事量が増えてきたのか、自分の能力が低下してきたのか、どちらか定かではありませんが、すっかり毎日が慌ただしくなった感じで、読書をする時間が限られてきました。ピンポイントでつかんでいく読書はかろうじて少し残っていますが、じっくりと腰を落ち着けて読む時間がなくなってきています。これでは、深い思考も、それを背景とした行動も、生まれてくるはずがありません。若い頃は、街に出る時間も、飲みに行く時間も、旅をする時間も、実にまぁ、よくあったものだと思います。きっと今以上に、たいしたことはできてなかったのだろうなと思います。汗顔の至りです。でも、それが若さだとも思います。若者よ、大いに遊びたまえ!と笑って言える自分がいます。年寄りのたわごと
今日は企業訪問。多くの方のお世話になります。人様のお時間をいただくことは実にありがたいことです。だから私も誰かのために時間を使いたいと思います。与え合わなければ良き価値創造はできないのだと思います。感謝。与える
バッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイが終わりました。先週、東京でのホームカミングデイを終えていますので、二つの寺子屋のホームカミングデイが終わりました。みんな、それぞれに成長を遂げていたことを嬉しく思いました。成長のスピードは千差万別のものです。だから、早いことを誇る必要もなければ、遅いことを嘆く必要もないのです。それぞれの時があります。タイミングとしての時もあれば、命の長さとしての時もあります。それぞれに自分らしい時を過ごしてほしいと思います。私も私らしく。また、真意はなかなか伝わらないもの。それでも、伝わらないことを嘆くのではなく、伝える力のないことを嘆きたいと思います。また、来年、お目にかかります。ホームカミングデイ
教育は人間を相手とする仕事です。しかし、人間を自分の思ったようにすることなどできません。だから、「こうあれかし」と願う心と、そうはならないという現実との狭間に苦悶することとなります。ここで、「こうあれかし」と願うのは、祈りでなくてはならないということです。決して強制すべきものではありませんし、また、強制したところで身につくものではありません。それから、その祈りは、本当に良きことなのかを常に自問自答することが求められると思います。自分と世の中への視野の深さと広さが問われているのだと思います。また、祈ることしかできないむなしさを噛みしめつつ、それでも祈り続け、実践し続ける強靱な意志が求められるのだと思います。教育とは
エクスプレッションアカデミーを大分県日田市の大山町で今年は開催しています。学びに対する、受講者の皆様の集中力と反応が素晴らしいと思いました。とにかく共に日本の教育をより良いものにしたいという思いのある方がいらっしゃるところであれば、私は全国どこにでもうかがいます。これからの展開が楽しみです。エクスプレッションアカデミーIN大山町
「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった。」このレイ・クロック(マクドナルドを世界的なチェーンに育て上げた人物)の言葉は、実に励まされる言葉です。私はビジネスの成功とは無縁の者だと思いますが、教育に置き換えて、思うところ大です。バッカーズ寺子屋は19年目、私の教育事業の会社は18年目です。まだまだ、初心を大切に、努力を重ねていこうと思います。様々な名言・格言は、自分の人生を支えていく杖となってくれます。人としての深み、人生哲学的な趣のあるのは、東洋の格言の中に多い気がします。一方で、ビジネスの支えとなるのは、西洋の言葉が多い気がします。私の読書歴による感覚的なものですから、偏りもあるでしょうし、不正確なものではありますが、そんな気がしています。日本の...言葉の力
バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋の入塾説明会を下記日程で行います。対象は10歳から15歳の子どもたち。7月に入塾して、来年6月に卒塾します。月二回の講座と年三回の合宿などを開催いたします。講座内容や身につく力など、わかりにくいことが多いので、まずは入塾説明会にご参加下さい。詳細は、それぞれそのホームページをご覧下さい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バッカーズ寺子屋(東京)入塾説明会<label>・第2回入塾説明会2024年3月16日(土)15:00~16:00</label><label>・第3回入塾説</label><label>明会2024年4月20日(土)11:00~12:00</label><label>・第4回入塾説明会2024年4月20日(土)16:00~...バッカーズ寺子屋&バッカーズ九州寺子屋入塾説明会
人生は時間です。自分の命を次の世代の若者たちに分け与えてもいいという覚悟で生きるということは、子どもたち、若者たちと、共に時間を過ごすということです。そして、その時間が子どもたち、若者たちにとって、無為なものとならぬようにするためには、自分自身が学び続け、自分という人間を磨き続けるということにならざるを得ないと思います。人生は時間
教職を離れて、教育行政や、政治家や、教職員組合など、あらゆるものと無関係になって、私はより深く教育と向き合えるようになりました。色々な組織にいれば、その立場で、関係機関に対して、様々な要望をしていくこととなります。それはそれで大切なことだと思います。しかし、自分の会社で(と言っても個人事務所のような会社で)、一人、自分の責任で教育実践を続けていくと、何も他に対して要求することはできません。己の教育力が全てなのです。誰かや何かのせいにすることができなくなりました。とても大変ですが、清々しい道です。このような人生に導いてくださった、全ての方々に深く感謝しています。教育の道
本当に読むべきと言える本は、決して多くはないと思います。ましてや繰り返し読まなければと思える本に至っては数えるほどです。四書五経は除いての話です。忙しい日々ではありますが、繰り返し読むべき本は、繰り返し読もうと思います。『修身教授録』をもう一度読み返さねばと思っています。読書
相手が変わらないことに目を向けて、教育は困難だと思う人は多い。しかし、自分が変わらないことに目を向けて、教育は困難だと思う人はあまりいない。教育の困難さ
教育に長年関わってきて思うことは、教育の成果とは、結局は、一人の人間が自立し、幸せな人生を歩むことができるかどうかだということです。グローバル化し、IT化する世界の中では、新しい知識も必要ですし、スキルも必要です。しかし、人間として自分をいかに磨いていくかが、本当は大切なことなのだと思います。ただ、そうした学びが必要だと思う人は多くはありません。人として自分はできていると思っているからです。あるいは、そのような効果測定ができないことなどに時間とお金をかけることは、正しいことではないし、無駄だと思われてしまうからです。だから、私は本当にささやかな一歩を大切に踏み出し続けるしかありません。そんな世界から離れて、世の中の流れに乗ってしまえば、もっと楽なのかもしれませんが、私は私の大切だと信ずる価値を追求していこ...教育について思うこと
若い頃には少しも気にならなかった、日本の未来や、次の世代の幸福が気になるようになりました。歳をとった証拠なのかも知れません。しかし、子々孫々のこと、日本の未来のことを、先人たちはしっかりと考えてくださっていたのだということが、学べばいくらでも見えてきます。見ようとしなかったから見えなかっただけだと、ようやくこの歳になってわかってきました。それが見えてくると自分が恥ずかしく思えてきます。ただ、私の教育は、所詮は自己満足のためです。自分が納得のいくような仕事を楽しんでいるに過ぎないのです。未来の子どもたちに後ろ指指されたくない、という思いで必死に教育実践をしてはいますが、それもまた、所詮は自己満足に過ぎないのだと、わかっていてやっています。そして、それが何か?と呟いている自分を嘲笑する私がいます。自己満足
命を削って、全身全霊をかけて、伝えようとしたものは、必ず伝わるし、後世に残る。・・・のであれば、いいなぁ。と思います。実際には、そうでもないか。とも思います。(笑)しかし、「愚公、山を移す」ということを信じようとする愚かな自分がいます。「愚公、山を移す」という言葉は、次のようなお話からできた言葉です。「愚公という老人が、交通の便をよくするために一族で自宅の前にある山を崩しはじめた。これを見た人が、その愚かさを笑ったのに対し、愚公は、子々孫々続ければいつかは成功すると答えた。その志に感じた天帝が一夜で山を移させたという。」「涓滴岩をも穿つ」という言葉に近いかとも思います。一滴のしずくは大したことないようだが、ぽとぽと落ち続けていると、やがて岩に穴をも空ける。というのです。つまり、努力を続ければ、困難なことで...愚公、山を移す
バッカーズ九州寺子屋16期生募集の入塾説明会を開催致します。入塾を希望される方は、必ずいずれかの回にご参加をお願い申し上げます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。第1回2024年2月18日(金)17:00~18:00第2回2024年3月10日(日)17:00~18:00第3回2023年3月20日(水)17:00~18:00第4回2023年4月13日(土)18:00~19:00会場:〒814-0001福岡市早良区百道浜2-4-27AIビル9階麻生キャリア研修センター※資料等の準備がございますので、事前にFaxまたはメールにて、事務局宛、お申込のご連絡をお願い致します。バッカーズ九州寺子屋入塾説明会
先日、2月11日、NHKで「驚異の庭園~美を追い求める庭師たちの四季~」が放送されました。2002年から、足立美術館は、アメリカの日本庭園専門誌『数寄屋リビングマガジン/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング(SukiyaLivingMagazine:TheJournalofJapaneseGardening)』に、庭園日本一に選ばれ、2022年、20年連続日本一を達成しています。バッカーズ寺子屋ができたのが2005年。一期生から、毎年、10歳から15歳の子どもたちを連れていき、コロナで休止した年も含めて20年間、日本の文化・芸術に親しむ機会を作り続けてきました。もう300人を越える子どもたちと、足立美術館を訪れたことになります。もちろん、足立美術館だけでなく、出雲や松江も訪れます。出雲に残る日本文...足立美術館とバッカーズ寺子屋
父として、母として、子育てが終われば、祖父として、祖母としての、孫育てが待っています。子どもが居なくても、おじさんとして、おばさんとして、子どもに関わっていくことはでてくると思います。だから、誰もが人として、学び続けることが大切になると思います。バッカーズ寺子屋やバッカーズ九州寺子屋や志学舎で、保護者会をやり続けているのはそうした意味があります。私が教えるのではありません。互いに学び合うのです。保護者同士、異なる仕事や子育ての価値観に触れることで、教育観・人生観を深く広やかなものにしていくことが可能になります。また、子どもの成長を共に温かく見守りながら、私たちも共に楽しく成長していけば、社会もより良いものになるのではないかと思うのです。夢
粛々と今日の一歩を大事に踏み出し続けます。私にはそれしかできることはありませんから・・・。他人への非難をしたりする必要も感じませんし、自己顕示欲を充たすようなことも私は好きではありません。ただ、今日の一歩を、力強く踏み出し続けていきたいと思います。と言いつつ、メルマガ配信は、今月は13日の予定です。少し遅めでごめんなさい。徒然なるままに
【Mr.サンデー】天才・三國シェフ物語“人生突破術”【リアルストーリー】(youtube.com)を見ました。『三流シェフ』という本に書かれていることの映像版です。こだわりを持つことの大切さ。プライドを持ち続けることの大切さ。負けん気の強さの大切さ。細やかな視点を持つことの大切さ。全ての仕事に通ずるものだと思います。そういう教育を私も目指したいと思います。目指す教育
教育はとにかく全身全霊を懸けてやるしかないものだと思います。しかしながら、直ぐに成果が出るようなことは、人間教育においてはありえないのだと思います。自分自身のことを考えてみても、直ぐに劇的な変化が起きないことはわかります。その人の生活習慣や心の習慣が変わり、その人の言葉と行動に少しずつ変化が起きて、だいぶ時が経って、ふと気がつくと大きな成長を遂げていたことが感じられた。そんなものだと思います。私は人の促成栽培には興味はありません。どっしりと根を張った人間となって、揺るぎない人生を生きて欲しいと願うばかりです。教育について思うこと
教育の成果は、その人の目の輝きによって測られるべきものだと思います。偏差値が低かろうと、点数が取れていなかろうと、時に過ち、失敗してしまおうと、二度と無い自分の人生を、目を輝かせて生きているかどうか。それが大切だと思います。なぜなら、その輝きの裏には、たくましく生き抜いていこうという意志や、与えられた生への喜びが、必ず存在しているからです。子どもたちの偏差値が低いことを嘆くより、子どもたちの目の輝きが失われていること、生きる活力が失われていることを、嘆くのが当たり前にならなくてはダメだと思います。目の輝きが失われていることに気づき、そして、それを心から嘆く大人たちが増えていくことでしか、あるいはまた、目の輝きを取り戻す教育を考えられる大人たちが増えていくことでしか、日本の教育が正気を取り戻すことはないのだ...教育の成果
家族で潮干狩りに行ったこと、父にデパートの美術品売り場によく連れて行かれたこと、初めて兄弟で煮物を七輪で炊いたこと、母がお菓子や料理を作るのを眺めていたこと、母に繕い物をしてもらったこと、父と裏山を崩して一輪車で土を運んだこと、父と畑を作って野菜を育てたこと、父と父の友人とみんなで自宅の庭造りをしたこと、父と母が喜んでくれたこと、父と母が叱ってくれたこと、…。子どもの頃の想い出として、何か物を買ってくれたことや、塾や習い事や、AI技術の進展で得られたもので、私の心に深く残っていることは、ひとつとしてありません。何かを一緒に体験したこと。そこに温かい心があったこと。それが想い出であり。教育であると私は思います。人が人を育てるとは、そうしたものだと思います。同じ経験をした時間。共に過ごした時間。その経験につい...教育的に価値のあること
弊社Vision&Education,Ltd.は、昨日、19回目の創立記念日を迎えることができました。これも多くの皆様方のご支援の賜物と心より感謝申し上げます。あっという間の18年でした。今年の一年間は、来年、20年目を迎え、再来年、20周年を迎えるための準備の一年と考えています。ささやかな会社ではありますが、日本の教育に一石を投じていく会社でありたいと思います。今だけではなく、私がいなくなった後も、会社がなくなったあとも、生み出した教育だけは、後世に遺せるような、本物に育て上げていこうと思います。19期目のスタート
先日、とある経済団体の新年会に出席していました。会の途中、1人の若いスタッフに声をかけられました。「先生の志の教育がきっかけで、自分の将来のことを本気で考えるようになりました。そして、今があります。」そう話して下さいました。授業を受けて下さったのは、もう、10年以上も前のことです。私という人間と、私の話した内容を、今日まで覚えてくださっていたことに感激しました。そして、お伝えしたことが、少しでも誰かの心に残っているのであれば、私のやって来たことも無駄ではないのかも知れないと思いました。嬉しかったこと
【Vision & Educaion,Ltd. からのお知らせ】- Vol. 72 2024年1月9日配信より(2)
◆◆先人の言葉に学ぶ◆◆――――――――――――◆「真理は感動を通してのみ授受せられる。だがそれには、教師自身の生きた真理に対する感動こそ、その根源といえよう。」(『森信三一日一語』より)教師に限らず、教える者が日々瑞々しい心を失わず、世の中の、真・善・美に対して感動する心を持っていてこそ、初めて大切なことは伝わるのだという、この言葉の重みを痛切に感じます。ということは、「教える者」は「学び続ける者」でなければならないのだと思いますし、「感性豊か」でなければならないのだと思います。マニュアル通りに教えたり、ルーティーンワークのようになされる教育が、いかに教育の本質から遠いところにあるのかを反省させられる言葉です。感動し、魂が響き合うような時間の中で、大切なものは師弟の心の中に残っていく。この教えを肝に銘じ...【Vision&Educaion,Ltd.からのお知らせ】-Vol.722024年1月9日配信より(2)
2024年1月9日配信「Vision & Educaion からのお知らせ- Vol.72」より
◆◆木村貴志からのご挨拶◆◆――――――――――――◆明けましておめでとうございます。新しい一年がスタートしました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。1月の行事としては、ご承知の通り、主な物だけでも、元旦(1月1日)、七草の日(1月7日)、鏡開き(1月11日)、成人の日(1月第2月曜日)、小正月(1月15日)、大学入学共通テスト(1月13日、14日)、大寒(1月20日)などがあります。折々の伝統行事に目を向け、その意味に触れ、先人たちの心と共に、丁寧に一年間を生きられたらと思います。自分の心一つで、過去の人たちと感謝の思いと共に生きることが出来るし、まだ見ぬ未来の人たちと共に使命感をもって生きることも出来ると思います。その結果、砂粒のような「個」として生きるのではなく、悠久の命の連続性の中で、共に生...2024年1月9日配信「Vision&Educaionからのお知らせ-Vol.72」より
18歳人口減少の記事が日経新聞に出ていました。驚くこともない当たり前のニュースです。しかし、日本の国が衰退していく一端を示す悲しいニュースの一つです。こうした情報に、深い悲しみや強い危機感がないところに問題があります。唯一の希望は、教育という、未来への投資です。そこにしか活路はありません。私は私の考え得る教育実践を生み出し、20年間、教育改革に取り組んできました。それは教育制度の改革ではありません。本当に人が人に気づきを与えていくことができるような、共に学ぶことを大切にした教育の改革です。「学び方の変革」であり「志の教育」です。高校教師も辞め、日本の未来のために全力を尽くしてきましたし、これからもそうします。今年は、昨年以上に強烈に動いていきます。しかし、ごまめの歯ぎしりに過ぎません。わかって下さる方もそ...教育
謹んで新春のお慶びを申し上げます。旧年中は格別のご高配にあずかり厚く御礼申し上げます。Vision&Education,Ltd.は、「日本の教育をより良いものにする」というミッション実現のために、今年も全力で走り続けます。本年もVision&Education,Ltd.をどうぞよろしくお願い申し上げます。2024年元旦Vision&Education,Ltd.代表取締役木村貴志謹賀新年
講座や講演や研修の回数が増えれば、向き合う人たちの数も多くなります。あまりの忙しさに、効率を求め、手を抜いたり、雑になったりすることのないように、来年は、改めて、心して、1人1人を大切に、全身全霊で向き合いたいと思います。教育をより良いものにすると言うことはそういうことでしかないのだと思います。慢心せぬよう、手抜きをせぬよう、厳しく自らを戒めていかなければと思います。改めて思うこと
足立美術館のミュージアムショップで手に取った『魯山人の真髄』という本の中に、「新渡戸稲造博士の絵画観を嗤うーその新著『偉人群像』中に見えた竹内栖鳳論についてー」というタイトルの文章がありました。北大路魯山人も新渡戸稲造も尊敬している私は、何事かと思わず本を買って読んでみました。この文章は魯山人の、「氏のしらじらしさと、軽率な物のいい方、この二つをあくまでもいやしみ、かつ、責めなければならない。」(※氏とは新渡戸稲造博士のこと)という言葉で結ばれていましたが、なかなかに厳しい物言いだと感じました。北大路魯山人も新渡戸稲造も私にとっては仰ぎ見る存在であり、素晴らしい先人たちです。この魯山人の新渡戸批判の言葉には、確かにそう感じられるところが無きにしも非ずという感じではありましたが、高圧的な物言いには多少の違和...学びたいと思った・・・。
いじめはおそらくは、簡単にはなくならないと思います。なぜなら、712年に成立した『古事記』にも書かれているように、大国主命も兄弟たちのいじめによって2回も命を落としているからです。そして母神の力によって復活します。神代の時代からあり、神々もまた行っていたいじめが、簡単なことでなくなろうはずがありません。私は薄っぺらな道徳教育には懐疑的です。ただ、正義が行われるように、仁の徳が行き渡るように、人間が修養を積むことに対しては大賛成です。私たちは孔子が紀元前に説いた人の道すら身に付けられないというのが現実です。紀元前の人間が考え語った教えさえ、十分には身に付けることができないほど、人間は変わらない生き物なのです。しかし、それでも、学び続け、修養を続けていくところに、かすかに光明が見えてくるのだろうと思います。そ...いじめに思う
卒塾生との対談です。毎週金曜日に、卒塾生、保護者との対談をアップしています。バッカーズ寺子屋のことについて少しでもお伝えできたらと思っています。バッカーズ寺子屋
安芸高田市の市長が投じている一石は、一市を超えた大きなものであると思います。日本人の言語力の低さ、志操の低さ、論理性の低さというものが、如実にあぶり出されているからです。政界での言語空間が、いかに低レベルであるのかが、白日の下に曝け出されました。マスコミも同様でした。問題の本質は、日本人の言語力の低さ、志操の低さ、論理性の低さだったのです。であるならば、私は、子どもたちの教育改革に向かいたいと思います。そうした力は子どもの頃に養われるものだからです。教員のなり手がなくなっていることを耳にします。教員という仕事に魅力が無いとか、待遇が悪いとか、様々に理由は語られています。私が思うのは、使命感の欠如と言うことです。これは、教育に使命感を持ちましょうなどと言う話ではありません。能力あるリーダーたちが、本気で子ど...覚悟
バッカーズ寺子屋・卒塾生との対談
バッカーズ寺子屋を知っていただくためのYouTubeがスタートしました。shortを60本、毎日配信します。卒塾生や保護者との対談もありますので、バッカーズ寺子屋で検索して下さい。よろしくお願い致します。バッカーズ寺子屋YouTube開始
国というものは、本当に様々な力が合わさって成り立っているものだと思います。農業も林業も漁業も大事ですし、商業も工業も軍事も教育も大事です。ここにはとうてい拾い上げられないだけの、様々な仕事があり、人々の努力があり、それが国の礎になっているのだと思います。また、国というものは、今生きている人たちだけが作っているのではありません。歴史や文化や芸術といったものは、様々な先人たちの人生があって育まれてきたものです。それを粗末にしていては、先人たちへの感謝など生まれるはずがありません。感謝があってこそ、自分の人生への使命感や責任感が生まれるのだと思います。大切なことは、国にとって、人々にとって良きことを願っているかどうかだと思います。残念なことに、「善かれかし」と願う人ばかりではないことも事実です。悪意のない人たち...徒然なるままに
昨年、子どもの権利のために活動した子どもに贈られる「国際子ども平和賞」の授賞式がオランダで開かれ、日本人として初めて大阪出身の川崎レナさん(17)が選ばれていました。あまり知られることもなく、私もその1人でしたが、次の言葉に引きつけられました。「私がこの活動を始めたきっかけは悔しさでした。変わりそうにない日本、自分の生まれた国、日本に誇りを持てないことについて、とてつもない悔しさを感じました。」私も、変わらない教育に、教師の姿に、悔しさを感じていた1人ですから、心に響きました。そして、スピーチでは、次のような言葉が続きます。「39歳の市長が居眠りする議員に向かい『恥を知れ』と叫んだ時、日本はまだ変われる。私はそう思うことができました。政治家として議会で寝ないのは普通のことのはずです。政党や思想関係なく、そ...自分からやる
明日(12/15)からバッカーズ寺子屋を知っていただくためのYouTubeshortの配信が始まります。60本収録していますから、毎日の配信で、二ヶ月は続きます。shortの方は何せ一分間ですから、畳みかけるように話しています(笑)。YouTubeの方も卒塾生・保護者との対談が配信されます。こちらは、10~15分ぐらいで、落ち着いて話しています(笑)。こちらは金曜日毎に少しずつ配信される予定です。自分の声を聞くのに馴れない私は、多分、全部見ないと思います(笑)。多くの人に見ていただき、バッカーズ寺子屋の教育を知っていただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。また、今の私が教育に対して何を思い、どう考え、何をしているのかが発信されていきます。社員教育に関心のある方にもご覧いただけたらと思います...明日、12月15日からの予定。
『西郷南洲翁遺訓』を読んでいると、今の世相において、大切だと感じるメッセージが沢山あります。例えば、税金に関して、以下のような言葉があります。第13章租税の心得「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損して下を虐げぬもの也。能く古今の事事迹を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦しむ時は、必ず曲知小慧の俗吏を用い巧みに聚斂して一時の缼乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げたるゆえ、人民は苦悩に堪え兼ね、聚斂を逃れんと、自然橘詐狡猾に趣き、上下互いに欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離析に至るにあらずや。」【訳】「税金を軽くして国民を豊かにするのは国力を要請する基であるそれによって、初めて国力が養...西郷南洲の慧眼
「虫よ虫よ五節草の根を絶つな絶たば己も共に枯れなん」「虫」とは、藩庁の税を納める役人のこと。「五節草」とは、稲のことであり農民のことです。税金を重くすれば、一時しのぎは出来ても、結果的には農民を苦しめ、藩の力を弱めることになると警告した歌です。迫田太次右衛門という情け深い武士が、貧しい農家に泊まってその窮乏ぶりを知ったときに詠んだ歌ですが、西郷隆盛はこの教えをずっと大事にし続けます。こうした仁の心が失われぬ世の中が実現するようにと思います。同時に、敬の気持ちや、孝の気持ちが失われぬようにと思います。願い
素直であること、謙虚であること、意欲があること、笑顔があること。こうしたことが実は本人とチームの成長に大きな影響を与えているのだと感じます。素直で、謙虚で、意欲的で、笑顔がある人のもとには、沢山の情報や、善意や、支援が集まってきます。沢山声をかけてもらえますし、色々なことに誘ってももらえます。気軽に声をかけよう、色々と言ってみよう、アドバイスもしてみようという気にもなります。それらがなければ、それなりに、最小限のものしか集まっては来ません。そんなものはいらない、面倒なだけと思う人もいるかも知れませんが、人生で何を手にできるかについての大きな差がついてくると思います。なぜなら、人は1人では生きていかない存在だからです。すべては自分の心の持ち方1つだということです。そのことに気づけるか、気づけないかが人生を分...人間に大切なこと
とある会社の、営業所長になる方々の研修2日間を終えてオフィスに戻りました。10月にも、2日間一緒に学ばせていただいていましたから、私が担当したのは、合計4日間の研修ということになります。皆様、色々なことに気づき、将来へ向けての抱負を語ってくださいました。みなさんの口から出て来た言葉は、社員とその家族の幸せを願う熱い思いでした。素晴らしい会社だと思います。皆さんお一人お一人の、5分間を超えるスピーチも素晴らしかったと思います。祭りの後の寂しさのようなものを感じながら、明日からの、バッカーズ九州寺子屋の鹿児島研修に備えます。祭りの後
若者の将来への危機感が、若者たちを投資に向かわせているというニュースを見ました。将来、自分が歳を取ってから、暮らしていけるかどうか、資金が足りるかどうかを心配しているということでした。それも大切なのかも知れませんが、私は、日本の社会への危機感をバネに仕事をしようと思います。個人の懐具合ばかり心配しても、国が衰退していけば、国民全員がどうにもならなくなるわけですから。その意味で、私の危機意識は、個人ではなく、公に向かいます。国家無き個人は、幸せに生きられるのだろうかと疑問に思うからです。国際人とは、個人主義の根無し草ではないはずです。私は愚か者だと言われても、大したことはできなくても、日本の未来のためにできることを、この一度の人生で形にしていきたいと思います。二度と無い人生だから
【Vision&Educaion,Ltd.からのお知らせ】-Vol.712023年12月5日◆◆木│村│貴│志│からのご挨拶◆◆師走の候皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。今年も大変お世話になり、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。色々なご縁をいただいて走ってきた一年間でした。そのご縁がまた、新たなご縁を招き、様々な人の繋がりや、仕事の繋がりや、新しい価値創造に繋がっていくことを感じています。まさに、「縁尋機妙(えんじんきみょう)、多逢聖因(たほうしょういん)」です。これから10年間は、私はバッカーズ寺子屋をはじめとする教育の質を高め、拡大し、日本に少しでも良き教育の形をのこせるように全力を尽くします。また、企業教育においても力を注いでいきます。人生100年時代の教育改革...V&Eメールマガジン2023年12月5日号より
バッカーズ九州寺子屋の卒塾生から、嬉しいメールが届きました。第一志望とする企業のインターンシップが決まったという報告でした。私は、彼が自分と向き合えるように色々と話をしたことと、エントリーシートなどに、どのように思いを込めるかというアドバイスにもならないような四方山話をしただけでした。偉いのは、そのことに対して、おかげさまでと感謝のメールを送ってきて下さったことです。合格は本人の実力でしかないのに、人に対して心から感謝できるような人間だからこそ、合格するのだなぁと思いました。共に学んだ卒塾生たちは、自分でしっかりと考えて、進路選択をしている人が多いと思います。「どこでも良いのではなく、ここが良い。なぜなら、・・・・。」という具合に、しっかりと自分の意志と考えを持っている若者たちが育っていると思います。本人...年寄りの役割②
志学舎の卒塾生(第1期生)から嬉しいメールが届きました。経済産業省主催のJ-StarXフィンランドコース第1期生に選ばれ、多くを学んで帰国したことの報告でした。J-StarXフィンランドコースの目的は、1.起業に向けて必要なマインドの理解・獲得、2.フィンランドの起業文化における歴史背景、マインドセットの理解、3.自身の起業に向けた課題理解、ネクストアクションの整理、の3つです。日本の未来を切り拓く若者たちの可能性と課題を率直に報告してくれました。自分で考えて行動できる若者に成長し、しかも、誇りと人を大切に出来る姿勢をしっかり持っていることに、とても嬉しく思いました。少しでも子どもたち若者たちの成長のお役に立てることは、私にとって大きな喜びであり、日本にとっての宝物となることだと思います。歳を取ったものの...年寄りの役割
バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋、小郡寺子屋志学舎の教育を通して、何が子どもたちの人間的成長にとって大切なのかということが少しずつ見えてきました。わずか20~30日の教育であっても、大きな人間的成長をもたらす教育です。10歳から15歳という多感な時期は、実に大切な時期だとも思います。受験の知識を頭だけで学ぶ教育ではなく、日本人として国際人として大切なことを心で学ぶ教育の在り方です。そして、その成果は、20年近くやり続けて、子どもたち(卒塾生たち)が社会人になって、ようやくわかってきたことです。短期的視点の教育では絶対にわからなかった教育の在り方だと思いますし、卒塾後も繋がり続けて下さっている卒塾生たちがたくさんいて、初めて見えてきたことです。この教育を、私の代で終わらせてしまうのは、何とももったいな...教育について思うこと
若い頃は色々な立場を、若いながらに背負うことが多々ありましたから、多少は強めの発言をすることもありました。その当時の教育界の歪さを考えれば、やむにやまれぬことであったと思いますし、その時代に私を支えて下さった人たちには、感謝しかありません。今、自分の会社を作り20年近くの時が過ぎ、自分が本当に考えている教育ができていることをとても嬉しく感じています。以前の私の考えで足りなかったことを、少しは補えているのではないかと思います。そして、何よりも、色々な勢力に左右されることなく、自分の信ずる道を真っ直ぐに歩いて行けることに感謝しています。うつ人もうたるる人も心せよ同じ御国の御民ならずや蓮月尼の歌が少しずつわかるような年齢になってきて、良かったと思います。広い心
こんな時代だからこそ、私は謙虚でありたいと思います。また、仁の心を持ち、他者を敬う心を持ち続けていたいと思います。色々なトラブルの多くは、その3つの心の欠落が原因になっていると感じています。全ての知識を極めることはできませんし、どの世界だって、上には上がいるものです。だから謙虚であることが大切だと思います。そして、言行一致することが大切なのだと思います。結局、自分自身の心の問題でしかないことを自覚し、自分自身の成長を志すしかないのだと思います。簡単なことではありません。だから、一歩一歩、倦まず弛まず踏み出し続けます。謙・仁・敬
LINE、Yahoo!から個人情報が大量に流出したというニュースが流れてきました。そうなることは容易に予想できたことですから、私はLINEは一度たりとも使ったことはありません。韓国、中国に情報が流れても良いと思うから使えるのだとしか思えません。だったら、個人情報保護などということを言わぬことです。自分が言っていることの意味を深く考えなければ、適当な情報や運動に振りまわれることを、自覚しておく必要があるのだと思います。個人情報
大切なのは「想像力」かもしれません。偉大な人たちが、どれほどの広さと深さで、日々の仕事に向き合っているかを、想像する力がなければ、自分の限界を突破して高みに行くことはできないからです。また、大きな夢や志を抱くことも、未来への想像力でしょうし、現実の中で危機を予測し、対応策を考えることもまた想像する力だと思うのです。「想像力」を枯渇させるような教育や、日常の過ごし方には、気をつけなければならない時代なのだと思います。想像力
2006年に設立した、弊社Vision&Education,Ltd.は、来年の一月で設立19年目を迎えます。設立時の思いを、四年後に言語化して、「Vision&Education,Ltd.の歩むべき道」というものを作りました。ここには私の教育への思いが込められています。制定以来、毎年、改定を試みますが、変更の必要性を感じていません。それを感じたら直ちに改めたいと思っていますが、今のところは変わらぬ思いを大切に走り続けようと思います。○社是Vision&Education,Ltd.は、日本の教育をより良いものにするために存在します。そして、そのミッション実現のために、私たちは「志の教育」を実践し続けます。○社訓1.「教育をより良いものにする」というミッションを掲げる私たちVision&Education,L... Vision&Education,Ltd.の進むべき道
とにかく私はより良い教育を作り続けていきます。社会全体に何が残せるのかを考えて行動します。自分の子どもだけ良ければ良い、自分の会社だけ良ければ良い、そうした考え方では、結局、社会に何も良き価値を遺せないのだと思います。私のやっていることなど、ささやかな大河の一滴に過ぎませんが、心を込めて全力でやっていきます。共に学んで下さる方がいらっしゃれば、望外の喜びです。どなたでも歓迎します。それだけです。私のスタンス
著作に関する権利を主張するのは大切なことだと思います。しかし、私の教育について言えば、既に先人たちが語り尽くしたもばかりで、私が私の著作権を主張するようなものは何もありません。私ごときであれば、教育における大発見、大発明をしたと思っても、それは既に先人たちが語り尽くしたところのものであって、何も新しくはないのです。紀元前の孔子の時代から言われているようなことばかりです。そもそも、先人たちの教えを抜きに、教育など語れるはずがありません。文化は先人たちの歩みと、その叡智が集積されたものであり、教育は先人から受け継がれてきた経験則と人類の叡智の積み重ねそのものだからです。それを活かさないということは、0から100年の人生を生きることを、未来永劫、ただ繰り返すことであって、賽の河原の石積みのようなものです。「賽の...賽の河原の石積み
私が尊敬する森信三先生の言葉に、「道徳とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」というものがあります。その通りだと思います。私が世の道徳教育に対して懐疑的な理由はここにあります。平たく言えば、「言ってることは合ってるけど、お前が言うな!」という道徳教育では、何も伝わらないと思うのです。そして、この言葉は「道徳」を色々な言葉に置き換えてみても、しっくりくるように思います。「志の教育とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」「教育とは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」「マナーとは、自分が行うべきもので、人に対して、説教すべきものではない。」いつから教育は説教にすり替わったのだろうかと思います。「教授は能はざるも、君等と共に講究せん。」...説教の価値
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」孔子の言葉です。様々な解釈ができますが、井上靖は、「朝、自分の理想とする、道徳が行き渡る国になることが実現したとわかったならば、夕方には死んでも構わない。」というような訳を講演の中で語っていらっしゃったと記憶しています。それが実現したら死んだって構わないというほどの理想を掲げ、志ある人生を生きることは素晴らしいことだと思います。志の滅び行く時代に、志の教育の一灯を灯す人生を生きようと思います。志の教育
今年、4回目の萩往還(涙松遺址~瑠璃光寺五重塔)を歩きました。もう30年ほど、この道を歩き続けています。共に歩いた人たちは800人ほどにもなるでしょうか。歩いてくださった人たちの中には、今も私と共に人生を歩み続けて下さっている人たちもいれば、今は別の道を歩いている人たちもいます。袂を分かった人たちもいます。それが人生だと思います。私は私の道を歩み続けるだけです。そして、そこには多くの方々の支えがあります。深い感謝と共に歩み続けるだけです。思無邪。そして、至誠。それさえあれば、私は心安らに、自分の道を歩き続けていくことができます。萩往還
V&Eの代表として、私が毎月27日前後に発行しているメールマガジンですが、来月より上旬5日前後の発行に変更致します。(曜日の関係もありますので、厳密には発行日を決めないでおきます。)以前から、何となく月初の方が良いなと感じていたのですが、(よし、今月も行くぞ!という感じで)いよいよ本気で思うようになったので、早速、今月末は送信せずに、来月、初旬に送信致します。といった次第ですので、いつも読んで下さっている皆様、申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。今後ともよろしくお願い申し上げます。V&Eメルマガに関するお知らせ
一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。これは福澤心訓として世に出回っているものですが、福澤諭吉が書いたものではありません。しかし、書かれた内容は良いものですから、時々、思い起こします。みじめさや、みにくさに気づかない人も世の中にはいます。尊さや、美しさや、悲しさに気がつかない人もいます。どうすればそれを変えていけるのかは、私にもわかりません。...心訓
教育の成果というのは、人が成長したかどうかでしかないと思います。人間の成長不在の教育実践や、教育論が幅をきかせている今日、結局、自分の研究成果や、名誉や地位やお金のための教育しか存在しなくなったということでしょうか。私は私の道を歩く。それだけです。私たちが伝えたことが、どのように心の中で生き続けているか、10年も20年も30年も見続けていくことを大切にしたいと思います。人間の成長不在の教育
東京でのバッカーズ寺子屋の講座とYouTube動画の収録を終えて、今、福岡のオフィスに戻りました。23:00です。明日の夜は、大分県日田市大山町で講演です。土曜日には専門学校での講座があり、日曜日はバッカーズ九州寺子屋の講座、翌日、月曜日からは萩往還を歩くことを含めた3日間の企業研修です。目に見えるスケジュールとして様々な講座がありますが、良きものを作り上げるためには、その準備にも相当の時間とエネルギーが必要です。(まぁ、私の能力が低いだけかも知れませんが…。)私の後継者を探してはいますが、時間とお金のことを考えると、なかなか「やってくれ」とは言いにくい仕事です。私は24時間、365日働く覚悟と思いがありますが、それを他人に要求するつもりはありません。日本の教育の未来に命がけで取り組む覚悟と志があれば、是...ただ粛々と
企業研修、小郡寺子屋「志学舎」と、4日連続で鳥栖インター近くに居ました(笑)。志学舎・第2期生の第1回スピーチコンテストは、結構、緊張して、思いを伝えられずに悔しい思いをした塾生たちもいました。私は厳しいので、まだまだダメだなぁと感じていましたが、お越し頂いた皆様からは、塾生たちに沢山のお褒めの言葉をいただき、嬉しく思いました。志学舎でも、原稿を見ずに話すスピーチを徹底しています。そのためには、私自身がそうした力がなければいけなかったのです。その当たり前のことがここ数年でとてもよくわかるようになりました。子どもたちはいくらでも伸びていけるのです。力の無い大人たちが、勝手に子どもの限界を決めていただけだったのです。思考力を育むこと、伝える力を育てることは、非常に大切なことだと思います。企業研修での大きなテー...志学舎・第1回スピーチコンテスト
日々、私を激励してくれるのは、幾多の歴史上の偉人たちの言葉であり生き方です。私が心の中に、そうした先人たちを持たなければ、生きることは苦しかったろうし、道に迷っただろうし、志をあきらめただろうと思います。私を支えてくださった多くの先人たちに心から感謝しています。歴史上の偉人たち
バッカーズ九州寺子屋・第12期生は、新型コロナのために卒塾前の合宿「萩往還を歩く」研修を実施できていませんでした。さすがにこの研修だけは、卒塾生の共通体験として持っていて欲しいと、先日の三連休で、四年越しに開催を致しました。本当にやって良かった!というのが私の感想でした。みんなの四年間の成長が素晴らしかった!それが言葉と行動の端々から伝わってきました。本当に私にとっても学び多き時間でした。また、四年ぶりであっても、つい昨日会っていたかのように、仲良く1つになれるのが、バッカーズ寺子屋の良い所だと思いました。「萩往還を歩く」をはじめ、バッカーズ寺子屋の合宿期間中は、私は他のことは、本当に何も出来ません。全力で3日間を作り上げていくからです。そして、終わった後は、約30㎞の道程を歩き、疲れていますが、次の仕事...四年越しの・・・。
仕事をする目的は、やはり多くの人が幸せに生きることができるよう、貢献するということだと思います。そして、私の仕事は「教育」ですから、その本質を極め、子どもも大人も、共に学んでくださった皆様が、本当に良かった、成長できたと実感してくださるよう努力すること以外に大事なことはないのです。教育を通じた社会貢献。それだけが私の仕事です。関わってくださった全ての人たちが、成長できるよう、そして、満足してくださるようにと、全力を尽くします。仕事
メルマガ、バースデーカード、色々なことをきっちりかっちりできるようになりました。他人から見て、お金儲けにもならなければ、意味の無いことにも思えるだろうと思います。しかし、それでも私はやり続けていきます。倦まず弛まずきっちりとやって来た先に、道は開けてきたからです。きっちりと
人が人生に悩み迷う時に、救いとなるのは、親、子ども、祖父母、友人、先生、音楽、文学、絵画、映画、宗教、自然、アウトドア、様々であろうかと思います。しかし、やはり自分を恃む心が強くなければ、そして、誇り高く生きる意志をもたなければ、本当の意味では救われないのだろうと思います。自分と向き合い、孤独と向き合って、自分の心を強くして初めて、悩み惑うところから抜け出せるのではないかと思います。私は、会社員でも教員でもないので、仕事仲間としての同僚や先輩後輩といった存在はいません。上司もいません。ただし、多くの塾生、卒塾生、保護者の皆様、支援者の皆様、研修を通じて出会った皆様と、素晴らしく人には恵まれています。また、本を読むことで出会った何人もの偉大な教育者たちに私淑しています。しかし、同じ仕事をしていて、悩みを相談...孤独と虚無感に心を蝕ませないために
あちこちで、人材が劣化しているという話を聞きます。若者よりも年配の人の話が多いと感じます。受験勉強に特化された教育を何十年とやって来たツケが回ってくる頃だし、家庭教育が力を失ったことのツケが回ってくる頃でもあるのだろうと思います。北大路魯山人の言うように、「立派な人間は立派な仕事をする。くだらない人間はくだらない仕事をする。」というのは確定的ですから、私たちが力を注ぐべきは人間教育であったのです。今はもうかなり悲惨なことになっていると思います。話が通じる大人が絶滅しつつあると感じるからです。しかし、希望もあります。素晴らしい人たちを私は何人も知っています。結局、私に出来ることは、自分を磨き抜いて、1人1人の人格を磨く教育を実践していくと言うだけなのだと思います。人格を磨く
安芸高田市の市長と反対派議員たちのやりとりは、【安芸高田】2年連続で決算不認定「足を引っ張る以上の動機が見当たらない」-YouTubeこれからの日本各地で起こらなければならない改革の姿を示しているのだと思います。急進的にせよ緩やかにせよ、間違いなくそうなっていかなければ、自治体も国も滅びていくような危機感を私も覚えています。議論をするためには、一定以上の言語能力が必須です。ましてや市民の代表なのですから。「我々も立場がない」と語っていた市議の言葉が、全てを物語っていると感じます。つまり、やるべきは、市民のため、市のためであって、「一身の立場の安泰」ではないのです。そんなものは捨ててかからなければ、日本の未来はないのです。市も県も国も教育も、そして、個々人も、歯を食いしばって、自己変革を遂げていかなければ、...改革を
今宵の中秋の名月は美しかったです。写真に撮ってみたくて、色々とやってみましたが、うまくいきませんでした。科学技術は確かに進展していますが、人間の「月を美しく見る」という心には、遠く及ばないのではないかと思いました。また、「美しいなぁ」と思う記憶が心に残ることに、価値があるのではないかとも思いました。ま、カメラの安さと、腕の無さの問題に過ぎませんが。笑。中秋の名月
【Vision&Educaion,Ltd.からのお知らせ】2023年9月27日◇◆◆木│村│貴│志│からのご挨拶◆◆―――◆ようやく朝夕が少し秋めいて参りました。皆様、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。いつも本メールマガジンをお読みいただきありがとうございます。間もなく長月(9月)が終わり、神無月(10月)に入ります。10月は、日本の神々が、出雲の地で、縁結びの話し合いをする時期です。だから出雲地方では、10月を神在月と言い慣わしています。出雲大社の東西には、十九社というお社が建てられています。神在月に集まった神々がお泊まりになる宿としてのお社です。祭神は八百万の神(やおよろずのかみ)と書かれています。こうしたことの一つ一つに、日本人の精神が象徴されているように思います。出雲・松江・安来のある島根県は...V&EメールマガジンVol.69より(一部掲載)
話をする機会をいただくことができています。有り難いことです。私に何が伝えられるかはわかりませんが、全力を尽くすだけです。話をする瞬間だけではなく、その準備もありますし、日々の生活そのものがその人間性となりますから、手を抜くことはできません。懸命に働き、学び、遊び、楽しみ、充実した日々にするだけです。何が伝えられるかは、私の知るところではありません。全身全霊をかけて力を尽くすことだけが私にできることです。講演研修に思う
昨日、カッターシャツの腕まくりをして、デスクワークをしていたら、何か落ちた音がしました。何を落としたのか気になったので、少し探してみましたが、何も見当たりませんでした。夜、カッターシャツを脱いでいると、片方のカフスがないことに気づきました。どこに落としたのだろうとその時は思っていました。今朝、昨日付けていたカフスがないので、カフスを入れているケースを見ていると、私がかつて気に入っていたカフスを見つけました。ただ、これは、片方を無くしていたので、以来、ずっと付けることはありませんでした。ところが、よく見ると、両方あるではありませんか!喜んで、昔よく付けていた、そのカフスを付けました。オフィスに行くと、椅子の下に、昨日無くしたカフスがありました。なんと言うこともないたわいのない話でした。しかし、一つを失ったよ...たわいのない話
先人たちの言葉に触れていると、深く考えさせられることが多々あります。吉田松陰先生の言葉。森信三先生の言葉。下村湖人先生の言葉。それぞれに深い真理に気づかせてくれる言葉です。そして、30代に出会った言葉を、40代、50代、60代と読み返すことが大切で、少しずつその魂に触れられるように思えてくることが、大切な学びなのだと思います。一度読んだら終わりという本も多いものです。しかし、不朽の志、不朽の精神をもって二度と無い人生を生きた人たちの言葉は、読み返すほどに深い味わいのあるものだと思います。私はそうした学び方の大切さを知ることができて幸運でした。先人の言葉
人間は、自分のレベルでしか、物事を見、理解することができないと言うことは確からしい気がします。しかし、それならば教育には意味がないことになります。自分のレベルを上げるものとは何かを知り、それを伝えていくことが教育なのだろうと思います。しかし、それもまた自分のレベルでしか理解することができないという現実を如何に突破するか。それはもう、論理を超えた、情熱、熱意、思い、といったものしかないのではないかと思います。最後に行き着くのは、自分の中に、祈りがあるかどうかでしかないのだと思います。祈り
もっと教育の精度と力を高めたいと思います。そのためには、自分自身が学ぶ時間を確保することが大切です。また、お金も必要です。本を買ったり、映像を見たり、現地に赴いたり、様々な体験をしたり、あらゆることに時間とお金は必要です。まずは自分の力をつけることが先で、その先に仕事は付いてくると信じています。本物であることを目指し続けたいと思います。そして、その成果をひけらかしたりすることは、できるだけしたくないと思っています。古い人間の戯言であり矜持です。戯言
志の教育の大切さは、数多の先人たちが語り尽くしています。しかし、私たち後の世代の者が、それらの書物を読まなければ、それは無いも同じです。先人たちとほぼ断絶した現在にあって、少しでも過去と未来をつなぐことのできる、そんな教育が出来たらと思います。断絶
教育についての真実を見極めようと試行錯誤してきました。私は幸いに頭が良くありませんでしたから、愚直に一つ一つを積み上げてきました。偉い学者の言うことも、文科省の言うことも、常に自分の実際の経験と較べなから考えてきました。どうすれば子どもは成長するのか。親御さんとも、経営者の方とも、共に過ごし、総合的に考え抜いてきました。市井の一教師の実践など、取るに足らぬ事にしか思われないことはわかっています。しかし、それが、本当に子どもの成長に繋がり、未来の日本への大きな財産になるとわかった以上、私はこの細い一筋の道の歩き方を何とか次の世代に手渡して死にたいと思います。細い一筋の道
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https://v-edu.hatenablog.com/日本の教育をより良いものにするためにVision&Education,Ltd.代表の教育に関する独り言です。日本の教育をより良いものにするために引き続きこちらでよろしくお願いします。木村貴志はてなブログに引っ越しました
新しく「はてなブログ」に移行しました。是非、そちらにお越し下さい。https://blog.hatena.ne.jp/v-edu/v-edu.hatenablog.com/edit?entry=6802418398501406077ブログ引っ越し
不思議なことにネガティブな人のところには、ネガティブな人が集まります。そして、ネガティブな言葉が響き合い、増幅されネガティブな方向に進んでいきます。しかし、それが自分が原因だとは夢にも思いません。他人への非難も正義だと思って語り合っているからです。勿論、ネガティブだとも思っていません。見るべきは、そうした人たちが組織の目的に沿った、きちんとした結果を出しているか否かです。そして、世の中のために良き価値を生み出しているか否かです。厳しい見方かも知れませんが、結果が出ている方が正しいと私は思います。結果を出すために仕事をしているからです。不思議なこと
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」吉田松陰「幽囚録」の和歌です。「幽囚録」は、ペリーの黒船に乗り込み、海外渡航を企てたものの失敗し、下田で自首して囚人となった時に記した記録です。「こうすれば、こうなるとは分かっている。しかし、義のため、己の信念のために、己を省みず、死をも恐れない生き方を貫く」という不退転の意志と覚悟が伝わってきます。その決意と、理解されない悲しみと、それでも断固としてやる意志が伝わってきて、涙が出ます。悲しい覚悟です。損得のために生きる人たちが多い今の時代に、こんな生き方をすれば、ひとりぼっちになるに決まっています。しかし、日本の教育のためには、未来に繋がらないことを断固として排除して、やるべきことをやるしかありません。生き方を貫くしかありません。私も及ばずながら...かくすれば
今の日本のあちらこちらで起こっている凋落ぶりは、国民1人1人の問題も大きいとは思いますが、リーダーやその地位にある者たちが、現場を見ずに、いい加減な統計をとったり、具体的な改善の手立てを打てずにいることが大きいと思います。現場で起きている課題の一つ一つを潰していくこと、検証していくことが疎かになっているように思えてなりません。教育にしても観念的な改革ばかりで、多くの人たちは、1人1人の子どもの変化など見てはいません。頭でっかちで、血が通っていないのです。心が無いのです。手前味噌で恐縮ですが、バッカーズ寺子屋で起きていることの一つ一つには、この国の教育を変えていくために必要な、いくつもの手がかりが含まれていると思います。なぜなら、みんながここは自分らしくいられる場所だと言い、成績が伸び、自分の進路を真剣に考...現場を見ないリーダーたち
教員の苦しい環境が続いているようです。これは歴史を俯瞰してみると、己の労働者としての権利を主張しすぎた結果、教師が人々からの敬意と信頼とを失ったことが大きな原因ではあるまいかと思います。組合幹部は、政治家や行政と関わることで、改革が進むような錯覚を覚えてるだけです。教育が良くなるということは、教師が良くなるということでしかありません。その努力が結果として表れていないのに、予算が付いたところで、また、施設が立派になったところで形だけの物でしかありません。教師の復権を通じての教育の復権。これが国民が求めていることだと思います。勿論、国民といっても色々な見方の人たちがいますから、一概には言えないのですが、それでもやはり求められるのは、教師の人間力の向上ということにならざるを得ないと私は思います。教育者としてのそ...教育について思う
情報の授受については、メディアリテラシーの重要性ということを思います。ただ、どんな情報も発信する人間の意図があるということは厳然とした事実です。何か事件が起きたとして、そのことに対して、肯定的にとらえる思いがあって発信しているのか、否定的にとらえる思いがあって発信しているのかで、全く情報の発信の仕方は変わってきます。もっと言えば、善意の発信をしようとしているか、悪意の発信をしようとしているかの違いで、それによって、発信する情報の組み立て方は全く違う物になるということです。結局、発信する側も、受信する側も、人間としてのあり方、心の持ち方が問われているということでしかありません。人物を磨く教育だけが唯一の処方箋のような気がしています。深刻なメディア問題
そう言えば吉田松陰先生の言葉に「狂夫の言」と言うのがありました。内容はさて置き、自らを狂とするしかないのは、怒りか嘆きか悲しみか…。私もまた一人の狂人なのだと思います。教育に対しての細かな部分へのこだわりは、普通ではありませんから、特に身近な人からは到底理解してもらえません。そのことがどこに繋がっていくかなどわかってもらえるはずもなく、狂人扱いされるだけです。「ふつうはそこまでしない」「前はそうじゃなかった」私は日々新に教育を作り上げるだけですし、自分のことなんかとっくに捨ててかかってますから、当然、普通であるはずがありませんし、変化しないわけがありません。だから、結局は一人ぼっちで頑張り続けるしかないのだと哀しい覚悟を決めています。しかし、それで子どもたちが救われるのならいいじゃないかと思います。嬉しい...狂人
小郡寺子屋「志学舎」の入塾説明会が本日5月8日よりスタートします。第二回目は5月13日(火)18:00~、第三回目は5月24日(土)18:00~です。何をしているのか活動内容の見えにくい寺子屋ですので、まずは入塾説明会にお越しいただけたらと思います。お子様と一緒にお気軽にお越し下さい。ほとんど全員が、考える力、書く力、話す力が向上し、人間としてしっかりしていきます。日本人の苦手を克服し、大人になってからも役に立つ、一生の財産になる学びだと思います。塾生たちは、聴く力が変わることで、成績も上がっているようです。小郡市、大刀洗町、筑前町にお住まいの、原則として10歳~15歳までの小・中学生の皆さんを募集しています。入塾説明会でお目にかかれますことを楽しみにしています。小郡寺子屋「志学舎」
https://v-edu.hatenablog.com/?_gl=1*18fwvlt*_gcl_au*MTc0MDE3ODYwOC4xNzQ2MTYwODc4木村貴志徒然なるままに・・・Vision&Education,Ltd.代表の教育に関する独り言です。木村貴志徒然なるままに・・・ブログ更新しました
gooブログのサービス停止に伴い、はてなブログに引っ越しました。データの移行は、まだ、これからです。今しばらくお待ちください。まだ慣れていないので、戸惑うことが多いのですが、今後、こちらのブログで皆様にお目にかかれたらと思います。とりあえず、記事の管理-はてなブログをクリックしていただけたらと思います。ブログ引っ越し
小泉八雲の怪談に「鳥取の布団の話」というものがあったかと記憶しています。布団から「あにさん寒かろう」「おまえ寒かろう」という声が繰り返し繰り返し聞こえてくるというのです。両親を亡くし、何もかも無くした幼い兄弟が、最期にくるまっていた布団で、その布団すら因業大家から取り上げられて、ついには凍えて死んでしまったという哀しいお話しだったと思います。亡くなるまで「あにさん寒かろう」「おまえ寒かろう」とお互いを気遣い合っていた幼い兄弟のことを思うと涙が出ます。その心の美しさ故に涙が出るのだろうと思います。それに比べて、現代の人間関係のいかに寒々しいことか。そのことの方が、よほど恐ろしいことに思えます。そして、それは怪談ではなく、ホラーという恐怖と強い嫌悪感を感じるものに変質したことを思います。小泉八雲が日本人に失っ...鳥取の布団の話
「エクスプレッションアカデミーIN福岡2025」の受講生を募集いたします。対象は18歳以上の方ならどなたでも参加OKです。企業研修では私が話さないテーマだけれど、今の時代に大切だと思われるテーマについて共に学ばせていただきます。第1講座は2025年5月30日(金)19:00~20:00。全3回の講座+日帰りツアーです。詳細は、弊社Vision&Education,Ltd.のホームページをご覧下さい。エクスプレッションアカデミー2025in福岡開催 V&Eからのお知らせ,セミナー情報 【V&E】Vision&EducationOfficialWebsite福岡市中央区渡辺通の「電気ビル共創館」にて開催いたします。終了後には、会場近くで懇親会を開催いたします。皆様のご参加を心よりお待ちしています。エクスプレッションアカデミーIN福岡2025
バッカーズ寺子屋が開塾から20年経過し、卒塾生たちの姿と言葉から、教育において何が大切かということが見えてきました。私が大切にすべきことは、一言で言うと、「一切の妥協を排す」ということになります。少しでも妥協したことは大した結果を生みませんでした。しかし、信念をもって妥協せずに貫いてきたことは、子どもたちの心にしっかりと残っていました。設立当時も私のこだわりが分かる人は、ほぼいませんでした。支援して下さっている経営者の方々は、私の信念をそれでも暖かく見守ってくださいました。そのことに対しては、畏敬の念と感謝の念にたえません。今もなおわかってはもらえないと思います。いわゆる常識と私の見ている世界とは違うからです。チープな教育では20年先を見据えた人格教育などできるはずもありません。20年かけて、やっと私には...一切の妥協を排す
バッカーズ寺子屋20期生、バッカーズ九州寺子屋17期生の願書提出締め切り日は、2025年4月30日(水)となっています。それぞれの事務局に願書をご提出くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。入塾願書提出締切
いつも全力を尽くそうと思います。全力を尽くしてそれが世の人たちに受け入れられなければ仕方がありません。自分の努力の足りなさを反省して、次のステージに向かうだけです。それが出来ていないと、後悔が生まれてきます。だから、後悔しなくて良いように、全力を尽くそうと思います。全力を尽くす
「学び方が変わると人生が変わる」というのは本当だと思っています。確信を持って、そう思っています。「聴く・読む・書く・話す」という基本的な学び方は、実にシンプルですが、本当に奥の深い大切なことで、この精度を上げれば、学びの吸収力が全く違うものになると思います。私自身も基本的学び方が変わって、吸収力は確実に高まったと感じています。ただ、それを身につけるためには、「書く」「話す」を実際にやっていかなければなりません。「畳の上の水練」という言葉は死語に近いものになっていますが、実際に水に入って泳いでみなければ、泳げるようにはならないのと同様、実際に書いたり話したりしてみなければ、力が身につくはずがありません。そこから逃げ続けるのも良いと思いますが、それは思考力や人間力にも関わる大切な部分になるので、私は避けない方...学び方が変わると人生が変わる
結局、大切なのはその人の学ぶ心、素直さや向上心が大切なのだと思います。それがある人はどんな話からでも何かを学び取り成長することができます。しかし、斜めからものを見聞きする人は、結局は自分のものにはならないのだと感じます。今までのその人のままでいるしかないのだと思います。悲しいことに成長はなかなかに難しいと思います。では、その真っ直ぐな心はどこでどのように身につくのか。それはやはり、子ども時代の教育にまで遡っていくのだと思います。反抗期において反抗はして良いけれど、その心が濁らないことが大切なのだろうと思います。言い訳や屁理屈を言うのではなく、常に自分の言動の結果を直視する心と同時に、まっすぐな好奇心や向上心をいつまでもなくさないようにしたいものです。真っ直ぐに
一人でも自分の道を歩こうと思います。萩往還36㎞を歩く研修で、みんなに知ってほしいことは、仲間とともに励ましあって道を歩くことの大切さです。チームを盛り上げ、明るい空気でゴールを目指すことです。それも大切なのですが、私が自分に課していることは、一人でもこの道を歩き通すということです。自分の信ずるところを一切の妥協を排して歩き続けていくことが大切だと思っています。そして、遠くのゴールを心の中に持ち続けたいと思っています。大きな苦労をして一つ山を越えると達成感はあります。しかし、その先を見据えておくことが大切です。つまり、吉田松陰先生は、一か月以上かけて江戸まで歩いて行ったことを思うと、今日が終わったからと言って気を抜けるはずがありません。人間、ひと山越えると、心のどこかにゆるみが出てきてしまいます。それを厳...自分の道
gooブログサービスが今年の11月で停止になるとのこと。書き始めて、今日で6594日目になりますから、愛着もあって残念ですが、また、違うところでブログは書き続けようと思います。徒然なるままの日記のようなものですから、どうでも良いと言えば、どうでも良いのかもしれませんが、私が教育の道を走り続けている限り、書き続けていようと思います。「書くことは考えること」であり、「自分自身と向き合うこと」でもあるからです。もう少し、ここで書き続けますが、どこかのタイミングで引越ししなければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。ブログサービス終了らしい。
プライベートについて書いたのですが、誤解を沢山招くと思っています。なぜなら、それは、62歳になった今の時点での私の考え方だからです。昔、子どもたちが、まだ小さかった頃には、勿論、そうはいきません。プライベートの時間が大切なものであることは言うまでもありません。何かを語るときに難しいのは、人は、自分の経験と今の立ち位置からしか物を言えないということです。そこに誤解や行き違いが生まれます。発信する側も、受信する側も、自分の枠組みでしかものを見ることが出来ないからです。歴史についても同様です。今の価値観で過去の人たちの言動を裁いてはいけないと思います。その時代には、その時代の社会状況と価値観があったからです。逆に、過去の価値観で今の人たちの言動を裁くことも難しいのだと思います。特にこの場合、過去と言っても、どこ...プライベート②
私はZ世代を否定的に捉えているわけではありません。そうではなく、世代論にあまり意味を感じない人間ではあります。結局、いつの時代も人間は24時間、365日与えられる情報によって教育されていくのだと思います。デジタルネイティブの子どもたちを見ていて思うことは、YouTubeの影響の大きさです。良い意味で、話をするお手本を見ていますから、人前でも割とすぐ自然に話せるのではないかと思います。また、マスメディアの価値観にどっぷりつけ込まれた世代ではありませんので、あまり大手メディアの言うとおりのことを盲目的に信じ込んだりせず、様々な視点から物事を見ようとするところがあると思います。これはとても良いことです。ただし、特定の考え方にどっぷり浸かってしまう危険性もあると思います。ということで、その世代の良さに目を向けて、...Z世代
Z世代の特徴として、タイパにこだわる、プライベートを重視する。というものがあげられていました。私には能力が無いので、ほとんどプライベートも仕事に費やしています。それでも足りている気がしません。もっとも「教育」が仕事ですから、全てが教育になります。だから、仕事が遊び、遊びが仕事と言えなくもないのです。日々、楽しいことが多いと思います。全力を尽くして、他人様に喜んでいただけたら、これほど幸せなことは無いと思います。また、同じ能力があれば、多くの時間を働いた方が、多くのものを生み出せると思います。そして、能力が足りなければ、時間をかけて、必死の努力で補うしか無いと思います。それだけのことです。お気楽にスマートに働いていて、本物を生み出せる仕事は、古今東西、無かったように思います。私は本物を生み出したいと思います...プライベート
バッカーズ寺子屋の19期がスタートしました。7月7日に入塾式を行いました。大きな責任を背負い、新たな挑戦を始めます。一期生から教育プログラムのフレームは変えずに実施しています。勿論、毎年新たな塾生を迎えるわけですから、少しずつ内容は違っていますし、日々、磨き抜こうと考えています。それにしてもつくづく思われることは、「学び方が変わると人生が変わる」ということです。シンプルなことですが、「アウトプットを前提としたインプットの大切さ」をはじめ、「読む・聴く・書く・話す」を如何に深く掘り下げていくかが、人間の成長には大切なことなのだと思います。それは、考える力を育みつつ、発信力を鍛えることであり、世界に通用する日本人を育てていくことでもあると思います。バッカーズ寺子屋19期生スタート
子どもが立派な大人に育つことほど、国の将来を明るいものにすることはありません。そのためには、大人がまずは立派であろうと努力しなければなりません。責任は大人にあるのですから。子どもの心身の健康に影響することは、食事、運動、睡眠、読書、交友、などですが、この一つ一つをまともなものにすることが、いかに現代の日本においては困難なことか、一度立ち止まって考えるべきだと思います。食事一つとっても「腐らないような食」が、まともな人間を育てるとは思えません。なぜなら、人間も自然の一部だからです。また、読書は精神の栄養です。古今東西の名作との出会いが、やはり人の心を育むのだと思います。本を読まずして立派な人間になれるとは思えません。こうしたことの一つ一つを健全なものにしていくことが、如何に困難かを考えたとき、子どもたちの将...より良い教育
「加害者だから推薦しないという基準はない」この言葉だけで、私はぞっとするような嫌悪感を感じるのですが、どうやらそうではない人たちが教育界には多いのだろうと思います。東京都知事選のポスターを見ても、立候補者が乱立しているところを見ても、その主張を聞いていても、この国の常識や良識というものが崩壊していることを感じます。教育現場に身を置く者としては、微々たる力しかありませんが、常識や良識を回復するための学びを確立していこうと思います。そんな悲しい時代が来るとは思いませんでしたが、できることをやるしかありません。保身に走る大人たちが作ってきた、醜い国・日本を何とかしたいと思います。醜い国・日本
2日間の企業研修を終えました。「学び方の変革」「志の教育」について全力でお伝えしてきました。子どもであれ、大人であれ、学びを共有できる時間を過ごすことができ、多くの気づきがあり、深い心の交流が生まれることは、かけがえのないものだと思います。私は、この二つのメッセージが、日本の未来にとって、とても大切になると思っています。子どもたちの未来、企業の未来、大人の未来。全てが日本の未来ですから、私の中で、線引きはありません。企業研修
教育を変えるという言説を聴くたびに、多少の違いはあれども、「システムを変えることで、環境を良くして、教育を良くするという」という同じ枠組みで考えていることを感じます。確かに先生が余裕を持って仕事が出来るようになり、子どもと関わる時間が増えることは大切です。絶対に実現していただきたいことです。しかし、もっと大切なことは、「どのような先生」が子どもと関わるかであるはずです。マスコミに取り上げられるような問題のある先生が、子どもと関わる時間が増えることが良いことだとは思いません。多くの人たちが願うのは、「優れた見識と人格をお持ちの先生」であろうかと思います。しかし、そのような先生がどれほどいるのか。そして、そのような先生になるために何が大切なのか。そこに踏み込むことはなかなかに困難なことです。なぜなら、「教育観...教育改革
日本の未来を良きものにするためには、教育の在り方を変え、人財を育成していくしかないと思います。日本の最重要課題は教育です。未来への投資です。勿論、世界の中での日本の教育は決して悪いものではないと思います。しかし、肝心の部分が欠落しているのです。それは、「何のために学ぶのか」「何を学びたいのか」「何のために働くのか」という目的意識がないままに、受身のやらされる勉強をし続けていることです。しかも、それは主として受験のための知識の勉強と言うことになります。教育基本法では「人格の完成」を目的にしていると書かれていますが、そんなことを真剣に追求している人はごく稀です。本音と建て前の使い分けが教育を駄目にしてきたのです。同じ事をやっていても、目的意識によって、その意味は大きく変わります。だから、私は「学び方の変革」「...日本の未来のために
昨日の夜は天神の勉強会に呼んでいただいて、お話しをさせていだきました。70分間全力でお伝えしましたが、どのように伝わったのかは私の知るところではありません。そのようなものだと思います。評価は相手が決めること。話し手は、日々、自分を深め、学び続け、全力でお伝えするしかありません。力が足りないから伝わらないのです。相手のせいではなく、自分のせいだと思えるようになって、どれぐらいの時間が過ぎただろうかとふと思いました。その後の懇親会もとても楽しかったです。ビールこぼしてしまってすみませんでした。講演
鹿児島に1泊2日で行ってきました。「薩摩藩英国留学生記念館」「知覧特攻平和会館」では、若き先人たちの生き方に多くの学びがありましたし、「城山ホテル鹿児島」では、楽しく豊かな時を過ごすことができました。私が塾長を務めるバッカーズ寺子屋や、このエクスプレッションアカデミーでは、『大学』や『論語』といった四書五経を学んできました。そこには、人間としての心の在り方を磨いていく何かがあると思っているからです。また、郷中教育で体を鍛えるためにある「山坂達者」は、「萩往還を歩く」研修と極めて近いものを感じます。ただし、郷中教育は、ほぼ毎日実施できていたものですが、私たちの生み出す教育は、限られた日数と時間しかありません。その中で何が出来るのかを改めて考え、より良い教育実践を生み出していきたいと思います。最後の訪問地、仙...エクスプレッションアカデミー鹿児島ツアー
深く思考し、思いを強めていく時間の大切さを思います。小手先の仕事には魂が宿りません。やっつけ仕事では、良い仕事はできないように感じます。それは、私の能力不足であろうとは思うのですが・・・。企業研修などの講座内容も、うんうんと悩み抜いて、答えが出そうにない中でも考え抜いていると、突然光が差し込んできてひらめくことが多々あります。そうなるまで逃げてはいけないし、粘り抜かなければならないと思います。色々なイベントも落ち着いて丁寧にやらなければと思っています。現実の慌ただしさとの折り合いをつけるためには、時間管理、タスク管理のレベルを上げなければなりません。今日の反省
食べ応えのあるもの、歯応えのあるものを食べるのは時間がかかります。時間がかかる分だけ、噛む力、咀嚼する力が鍛えられ、脳にも沢山の刺激が送られます。本を読むのも読み応えのあるものを読むことは大切ですし、学びにしても深く学ぶことが大切です。また、体験したことの意味をしっかり深く考える経験も大切です。タイパの良い学び方では得られるものは少ないと思います。自分の食べ方、学び方はどうか。生活の仕方はどうか。いま一度考えてみる必要がありそうです。タイパ
エクスプレッションアカデミー2024in福岡第1講座が終了しました。今年は、「教育にとって大切なもの」を考えて行く講座と致します。そして、第1講座は「志」をテーマと致しました。やはりこれが基本だと思います。志を立てるのは簡単ではありません。1.読書、2.師友、3.逆境、4.感激、の四つが不可欠です。そして、1.の読書一つが満足に出来ないのが、昨今の人間が置かれている環境です。だから、よほど意識して学ぶ必要があると私は思います。そうでなければ、主体的な人間として生きることはできません。機械の歯車のように、無機質な、部品として生涯を過ごしていくしかなくなってしまうのです。そして、自分がそうした存在になっているとも気がつかぬまま人生が終わっていくのだと思います。私は一人の人間が、生き生きと幸せな人生を生きること...エクスプレッションアカデミー2024in福岡
英語の重要性は確かにその通りですが、今、母国語の教育の重要性を痛感しています。相手を理解すること、思いやりの心を持つこと、気遣いをすること、敬意を払うこと、孝行をすること、こうした心の動きも、全て言語によって行われるものだからです。何を思い、何を行動するのかは、言葉によって自分自身に指令されるものですから、言葉の豊かさ、言葉の細やかさ、言葉の強さ、そうした国語の力が、その人の人間の力となるのだと思います。異なる意見は大切です。異なる意見の人とぶつかり合うことで、角が取れ、磨かれていくからです。しかし、そこにも人間としての敬意を払うという、最低限の考え方、つまり、言語の働きは必要です。今のネット社会では、一方的に受信し、自分に心地良い言語空間に逃げ込むことも可能です。それでは偏った視点が肥大化されるだけです...母国語の大切さ
我が子ができれば、子どもの将来を真剣に考えない人は少ないと思います。子どもの将来とは、子どもたちの将来であり、日本の将来でもあります。望んで子どもを作らなかった人も、望んだのに子どもができなかった人も、やはり、子どもがいる人といない人とでは、危機感は異なると思います。「血を分けた」という言葉があるように、子どもは自分自身でもあります。だから、未来を憂うことは、生物としての生存本能なのかも知れません。色々な理屈をつけようとも、人が少なくなれば、働き手は減り、社会インフラも、経済力も、防衛力も失われていくのは当たり前のことです。そして、国が滅びれば、個人も安らかな暮らしができるはずがありません。歴史を紐解けば、国を失った民が、どれほどの辛酸を嘗めなければならないかわかるはずです。子どもを持つ親は、もっと怒るべ...他人事
官僚と大臣の言葉をはじめとして、官僚や政治家たちの言葉は、いつからこんなに実態のない虚しいものになったのだろうか。責任回避と尻尾を掴まれまいとの魂胆に満ち満ちた、スカスカで気色の悪いものになったのだろうかと、国会答弁を聞いていて思いました。血の通わない、情の通わない、言葉のやりとりは、もはや「キモい」レベルに成り果てています。そんな者にはなりたくないと私が思うのは良いのですが、子どもたちがそう思うのはいかがなものかと思います。「末は博士か大臣か」と敬意を表されていた時代は、まだマシだったのだろうと思います。教師も、父も、母も、祖父母もそうですが、本来、敬意を払われ、感謝されるべき存在が、そうでなくなった社会というのは、恐ろしくいびつで不幸な社会なのではないかと思います。しかし、それを糺すのは、一人一人の心...虚しい言葉
己と向き合うことの大切さを思います。日々、スケジュールをこなすことに追われ、騒々しく、スマホを駆使し、SNSで自己顕示をしなければ、己の存在すらかき消されてしまうような気がする時代です。しかし、だからこそ、私は一人静かに、書物を読み、自分と向き合い、虚心に反省し、自分と日本と世界の、来し方行く末を静かに考えてみたいと思います。私も背負っている組織があり、そのためにフェイスブックなどでの発信をすべきかと思いましたが、やはり、自分がこんな素晴らしい所に行ったとか、こんな美味いものを食べたとか、そうしたことを発信すること自体が品性に欠ける行為だという考えが染みついた古い人間なので、どうにも居心地が悪いのです。それは、あくまでも自分がそうすることに対して思うだけで、他人様がされていることをどうこうは思いません。私...己と向き合う
先日、かねてより行っておきたかった、安岡正篤記念館を訪ねました。行って良かったと心から思いました。安岡正篤先生の蔵書や文字や生き様に触れると、その人の精神は言葉に宿り、その人の言葉は行動に化するものなのだと思いました。そして、それは更に多くの人に影響を与え、一国の未来にも影響を与えるものなのだと感じました。そこに学問の神髄はあるのだと思いました。私も及ばずながら、じっくりと精神を鍛えるような深い学びをしていきたいと思います。学問
信念なき人間は侮られるしかありません。政治家であれ、会社員であれ、教育者であれ、同じ事です。信念ある仕事をしている人の言葉と行動は、それがどんな仕事であるのかを問わず、教育としての価値を持ちます。人の心に響き、行動に変革を促し、その人に成長の契機をもたらします。それこそが教育です。そう考えると、信念なき教育者の存在が、如何に虚しいものであるかがわかると思います。教育と信念