chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
  • 精度を上げる

    すべての仕事がそうですが、教育も一つ一つの精度を上げていかなければなりません。自分の言葉一つ、自分の振るまい一つ、生活の一つ一つ、生き方の一つ一つが、教育として滲み出てくるものである以上、自分の生活と仕事へのこだわりと、やることの一つ一つの精度を上げていくしかありません。何となくやっていないか。鈍くなっていないか。無精になってはいないか。自分にもっと厳しくあらねばと思います。なぜなら、その人間の甘さは必ず伝わるものだからです。コピーの取り方一つ、ホチキスの止め方一つ、その人の心構えがわかりますから、私も精度を上げ続けなければなりません。目に見えないからといって手を抜くようでは、生ぬるい仕事しかしていないと思われて当然です。精度を上げる

  • 必敗の闘い

    今、寺子屋でやっている教育は、6・3・3の12年間と大学受験のための学びではなく、50年近い社会人生活で活かすことの出来る学びだと自負しています。しかし、学校教育で刷り込まれてしまった固定観念との闘いは、所詮は多勢に無勢、ごまめの歯ぎしりみたいなものでしかありません。しかし、それでも私はもっと激しくやり続けます。それが大切だとわかった以上は、身を殺して仁を為す覚悟が必要だと思います。大げさに聞こえると思いますが、そうでもないかもしれません。必敗の闘い

  • 「志の教育」への回帰

    AIが発達していき、人間の代わりとなることが増えれば増えるほど、人は何のために生きるのか、人は何のために学ぶのか、人にとって何が幸せなのか、といった哲学的な問いと、「志」という社会貢献への思いを持つ目的意識が、大切になるのだろうと思います。また、「豊かに生きる」ということは、結局は人との関わりの中でしか実現しないと思います。だから、ますます人としての在り方が問われていくのだろうと思います。だから、結局、教育は、「志の教育」という、教育の原点に回帰していくことになるのではないかと私は思っています。「志の教育」への回帰

  • 謝ること

    私の中で、謝るとは、「ごめんなさい」と心から言うことだし、感謝するとは、「ありがとう」と心から言うことだと思います。「申し訳なく思っています。」という言い方は、どこか他人事のようで、責任を感じているとは思えないし、「感謝しています」という言い方も、あまり心が伝わらないと感じます。「○○と思っている」「○○している」という言い方は、「○○」の部分は色々と主語をすげ替えて使える言葉です。「私は○○と思っている」「彼女は○○と思っている」「私は○○している」「彼は○○している」一方で、「ごめんなさい」「ありがとう」は、主語を置けない言葉です。「私がごめんなさい」「私がありがとう」とは使えません。つまり、自分自身の感情であることが大前提であり、他人に思いを伝えるための、ストレートな言葉だと思います。言質を取られな...謝ること

  • 言葉が力を失った時代に

    言葉が消費され、力を失った時代に、私には何が語れるのだろうと思います。とにかく誠実に真摯に、行動を背景とした信念と共にある言葉を紡ぎ出すしかありません。それしかできないし、人生も教育も、結局は、言葉と行動の総体でしか在りません。私如きのやることは、たいしたことにならないのはわかっています。しかし、それでも一歩一歩踏み出し続けるしかないと思っています。言葉が力を失った時代に

  • 昨日

    昨日はバッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイでした。久しぶりに再会できたこと、卒塾生の皆さんが、それぞれに頑張っていることを大変嬉しく感じました。昨日は、父の命日でもありましたが、教育者であった父は、私が墓参りに行くよりも、子どもたち若者たちと共にあることを、きっと喜んでくれているだろうと勝手に思っている自分がいました。コロナで少し絆が弱くなったところも感じましたので、改めて新しいスタートをと誓ったところでした。昨日

  • 与えること

    他人のために見返りを求めることなく、嬉々として動く人がいます。一方で、他人のために自分が何かすることは、自分の時間が失われることであり、損をすることだと思う人がいます。そうした心根の違いはちょっとしたところに表れます。人としての未熟は隠しようがないのです。与える人たちは、互いに与え合いながら、感謝の心と共に楽しく生きていく人たちです。与えない人たちの多くは、与えられることも少なく、感謝を本当の意味で理解することもなく、奪われる不安におびえながら、日々、生きていくことになる人たちのようです。私は幸せな世の中になるように、少しでも何かを与えることが出来るようなそんな人になりたいと思っています。私は何も持っていませんが、誰かのために時間を使うこと、身体を使って汗を流して働くこと、ささやかですが、できることをしよ...与えること

  • 子宝

    少子化対策が色々と取り沙汰されています。人口が減少すれば、日本という国はいずれ消滅するしかありません。だから少子化対策は大切だと思います。しかし、お金だけの問題ではないように私は感じています。貧しさが原因なら、戦後、日本が焼け野原になったときに、子どもが増えることはなかったはずです。私が感じていることは、未来に希望が持てない、志がない人が多くなったこと。今の自分の豊かさを手放したくないという利己心が強くなったこと。子どもを宝と思い大切にする心が失われたこと。そうしたことのように感じるのです。万葉歌人の一人でもある山上憶良は、次のような歌を歌っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【長歌】瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲(しぬ)はゆいづくより来りしものそ目交(まなかひ)にもと...子宝

  • 愚直に、誠実に、正直に

    結局、自分を偽り、自分を飾る者は、人としての成長が出来ずに人生の時を過ごしてしまいます。出来ないことだらけでも良いし、能力が無くても良いから、愚直に、正直に、誠実に向き合っていくこと。それだけが人を伸ばしていく唯一の道であったと思います。成長できない人は、成長できない者同志で、愚痴をこぼしたり、陰で文句を言ったり、それに共感してみたり、そうした傷のなめ合いに時を過ごしていくことになります。でも、それも仕方のないことだと思います。自分と向き合わないことを前提にしていれば、そうしなければ、はけ口がなく辛いのもよくわかります。しかし、そうした人たちと、貴重な人生の時間を共に過ごしたくはないと思います。愚直に、誠実に、正直に

  • 忠義

    「忠義」と言うと、封建時代の危険な思想だと思われることが多いようである。しかし、自分の一身を擲つことで、その人が生きることが、自分が生きること以上に、世の中の未来の役に立つのであれば、それは自分も生きることになり、未来の子どもたちをも生かすことになっていく。忠義とは、社会的生物である人間がたどり着いた、極めて利己的な思想なのかもしれない。だから、忠義の何が悪かろうと思う。ただ、気をつけたいのは、他人に感謝を求めることで、感謝の本質がそこなわれていくのと同様に、他人に忠義を求めることで、忠義の本質はそこなわれていく。私も自分が忠義の人でありたいと思うが、他人にそれを求めるつもりはない。忠義

  • 評価

    評価というものは、他人がするものゆえ、自分ではどうにもならぬもののように思う人も多いようだが、とんでもない勘違いである。自分の言動が、他人の評価となって返ってきただけである。だから他人の評価は自分の責任だとも言える。しかし、人は誤解することも多いものである。真意が伝わらぬ事も多い。価値観が違えば当然のことである。だから、すぐにわかってもらおうなどと思わぬことが大切である。時が必要であり、自己の信念と、自己を磨き続けることが大切である。ひょっとしたら、自分が死んだ後に、何十年という時間が経って、真意が伝わることもあると思う。所詮はそんなものであるから、自分の言動を磨くこと、つまりは、その源である、自分の考え方を磨くことが肝要である。評価

  • WBC

    やっぱり、人間が夢中になる姿を見るのはいいなぁと思います。全力を尽くすこと、勝利への執念を燃やすことは、本当に尊いことです。人々がコロナで忘れかけていた、リアルの熱量を、強烈に呼びさましてくれたように思います。試合を見る時間も無く、終わった後で、ちょこちょこNEWSを見る程度の私で申し訳ないのですが、それでも素晴らしいなぁと心揺さぶられます。そして、自分も教育という世界で、負けないような気迫を持って頑張ろうと思います。選手の皆さんの、試合までの日々の努力の積み重ねを思う時、私も負けないだけの日々の努力を重ねていこうと思います。WBC

  • 自由な教育者

    私が良かったと思うことは、教育についての師がいないことだと思います。素人の教員崩れが、本気で教育をやろうと思うと、本気で勉強しなければなりません。その時に、大学の教授だの、学閥だの、学習指導要領だのに、一切影響されない道を歩いてきたことが、本当に幸いなことだったと思います。なぜなら、色々な固定観念や常識から、私は自由でいられたからです。そして、教育の本質を追究し続けることができたからです。また、上役の顔色をうかがったり、出る杭は打たれるから、打たれないようにしたりということが、私には一切ありませんでした。肩書きも、地位も、権威も、お金もないかわりに、私はいつも自由でいられたのです。まだまだ、道半ばというより、始まったばかりですが、ひたすらに自分の道を探求していこうと思います。自由な教育者

  • 古き教え

    人間はそう簡単に立派な存在にはなれないもののようです。紀元前の孔子やブッダやキリストの教えさえ、まだ体現することは出来ないのですから。一体、古いものは遅れているという思想はどこから生まれてくるのだろうかと思います。新しかろうが、古かろうが、人間の真実に迫る教えは、尊く、そして、変わるものではないと私は思います。古き教え

  • 至誠天に通ず

    私は特定の宗教を信じる人間ではありませんが、神道も仏教もキリスト教も大切だと思い、敬意を表しています。また、神様に守られているなぁと思うことしばしばです。(仏様かもしれませんし、天かもしれませんが…。)危険を避けてくれたり、また、そのことで、危険を知らせてくれているようにも感じます。根拠はなくとも、私にも何かしらの天命があるのだろうと思っています。だから感謝をしています。神様にも仏様にもご先祖様にも天にも。「至誠天に通ず」とは、吉田松陰の大切にした言葉であり、孟子の言葉であります。至誠を胸に抱き、日々、全力で世の中のために生きる。そうすれば、その思いは天に届き、天のご加護を受けることが出来る。慢心する余裕などどこにもありませんが、謙虚に、虚心に、真心を尽くして一日を大切に生きていこうと思います。至誠天に通ず

  • おそらく

    おそらく忠誠心についてのコメントは、色々と誤解を受けるであろうと思います。私はただ、日本人的感覚からすれば、人情酷薄と思える海外のグローバル企業と、日本に続く100年企業との対比を思っただけです。個々人の働き方や、境遇、考え方、価値観はそれぞれであろうと思います。とにかく働くことが人生の大きなウェイトを占めている中で、何が幸せと言えるのだろうかと改めて考えてみたいと思うのです。おそらく

  • 忠誠心

    会社から会社を転々とすることが、キャリアアップになるという考えが主流を占めていて、終身雇用という形態は終わったかのような印象を受けることも多々あります。しかし、いくつかの会社を渡り歩いてキャリアアップしていくことも良いとは思いますが、一つの会社に忠誠を誓って、その仕事と共に人生を生きていくことにも大きな価値があると思います。創業者の思いと共に生きるということは、そういうことだと思います。無論、変化の時代ですから、変化への対応力はなければなりません。しかし、転々とするだけで、忠誠心も義理人情もない人と、共に人生を賭けて仕事をしていこうという気持ちには、少なくとも私はならないだろうと思います。忠誠心

  • ただ粛々と

    私は幸いにして、固定観念から脱した教育を形にすることが出来るようになりました。それには多くの人たちの支えがありましたし、一方で、多くの逆境がありました。どちらに対しても、感謝しかありません。困難なこともありましたが、それでも安易な道を選ばず、自己顕示欲を満足させるような道を選ばず、偽りの発展を望まず、本物とは何のことかを考え、粛々と自分の道を歩いてきました。あとは、たくさんしていただいたことを、いかにして後の世代に手渡していくかだけです。まだ、私の歩いてきた道に価値があるなどとは思われてもいません。社会に知られることのない、ささやかな成果でしかないのです。しかし、私はこの価値の大きさを信じます。自分のやっていることの価値を自分が信じなくて誰が信じるでしょう。それを押しつけることなく、喧伝することなく、粛々...ただ粛々と

  • 誠実さ

    誠実であることと誠実を装うことは違います。冷静に、言行が一致しているのか、そうでないのかを見定めていけば、両者の違いはすぐにわかることです。嘘偽りのない人とは、共に過ごしていて居心地が良いものです。私は真っ直ぐである方を選びたいと思います。誠実さ

  • やるべきこと

    日本は危機に立っています。それは人間としての日本人の劣化という、かつて無い大きな危機です。日本という国がなくならないように、覚醒し、行動する人たちが、一人でも多く出てこなければなりません。解決が難しいのには二つの理由があります。、死に至る病に冒されている自覚がないこと、その治療薬の処方箋を書くことが、よほど深い洞察力がなければ困難であること。この二つです。私も及ばずながら、全力を尽くします。何を言うかではなく、何をするか。そのことが大切だと思います。やるべきこと

  • 本物とは

    色々な方に出会って、素晴らしい人物やその品格というものを強烈に思い知らされてきました。そして、学ばせていただいてきました。それが自分の土台となっているために、少々のことでは揺るがなくなっていることを感じます。「本物とは何のことか考えよう」という言葉は、本当に大切なメッセージです。本物とは

  • 東京にて

    バッカーズ寺子屋の保護者会を開催しました。三年ぶりの対面での開催です。やはり、人と人とが同じテーブルについて、食事をし、会話をすることで、たくさんの心の交流があり、多くの学びがあるのだと思います。私はこうした時間の一つ一つを大切にします。ここに教育の未来があり、日本の未来があると思うからです。東京にて

  • 私は幸せなことに、大きな力に支えられて、今日まで教育実践に打ち込むことが出来ました。大きな力に触れていると、自分の力の無さ、能力の無さを感じることがあります。しかし、結局、一つの言葉に行き着き、落ち着きを取り戻します。それは、自分の成果は自分の努力によって生み出すしかない。ただ、それだけの事です。他人と較べても仕方が無い。私は私。私をいかに生きていくか。24時間、365日をどのように使うか。それ以外にないのです。私

  • 今の私を

    このブログも書き始めて5800日を超えています。以前と較べて、書いている内容は、だいぶ落ち着いてきたようにも思います。些細な迷いが少なくなったのかもしれません。最初の頃のものは読み返すと恥ずかしくなると思いますが、そのままにしておこうと思っています。なぜなら、人間は変化していくものであり、ここに書き連ねた私の言葉は、その一つの変化の例だからです。私もまた、日々変化する存在であり、できれば、その変化が、「成長」という名の良きものであることを願い、日々、悪戦苦闘しながら努力を重ねている者です。以前の私と、今の私は、変わらない部分もあり、大きく変わった部分もあります。このブログを書き始めての16年ほどは、経済団体以外とは一切の関わりを持たず、ただ自分の教育理念と実践とを磨き続けてきました。世の中には、以前の私の...今の私を

  • 情熱

    人生で大切なことは、情熱を燃やし続けられるかどうかだと思います。若い頃の燃えるような情熱だけではありません。歳を重ねてからも考え抜いて情熱の炎を燃やし続けられるかどうか。そのためには、「志」が大切なのだと思います。一度の人生、いかに生きるかを考え抜いていなければ、迫力のある人生にはならないと思います。そこそこに楽しく充実した人生も良いものだとは思います。しかし、私は、多くの先人たちが私たちの世代にして下さったように、次の世代に遺せるものを一つでも生み出していきたいと思います。情熱

  • 大人の責任

    教育の問題は、子どもの問題ではなく、大人の問題だと思います。子どもたちは、大人の作った環境の中で育っていくからです。だから、教育を良くしたいのであれば、子どもたちに学びなさいという前に、大人自らが学ぶ姿を見せなければならなかったのです。また、私たち大人が、私利私欲のために生きるのではなく、人として豊かな人生を生きること、未来のために力を尽くす意志を持つことが大切だったのです。そうした環境の中で、心豊かな子どもたちが育つのだと思います。教育への深いまなざしと、哲学がないから、いつまでたっても、教育改革は目先のやりやすい対処療法に終始するしかないのだと思います。大人の責任

  • あら炊きと教育

    料理と教育は似ているなぁといつも思っています。人の喜びを我が喜びをするところ。下準備が大切なところ。こだわりが大切なところ。手を抜けば、抜いただけのものにしかならないところ。目に見えない所の仕事が、全体を決めていくこと。まぁ、教育だけではないかもしれませんが、共通点をいつも感じます。あら炊きを作っていると、血合いを丁寧に取らなければ全体が生臭くなるし、鱗を丁寧に取っていなければ、鱗1枚で食感が台無しになります。素材の費用としては比較的安価ですが、仕事の質が問われる料理だと感じます。日頃、料理をする人にとっては当たり前のことですが、丁寧に丁寧に準備をしなければなりません。いい加減さ、妥協する姿勢は、決して料理を美味しくはしないのです。教育も同じです。準備にこだわり抜いて、講座本番を迎える。下準備の丁寧さや、...あら炊きと教育

  • 眸子(ぼうし)

    吉田松陰は、人を見るにはその目を見ることが大切だと言っていますが、それは『孟子』からとった言葉です。「孟子曰く、人を存(み)るには、眸子(ボウシ)より良きは莫(な)し。」(訳)孟子が言った、人物を見分けるには、瞳に勝るものはない。「眸子は其の惡を掩(おお)う能(あた)わず。」(訳)瞳は正直なもので、その人の心のなかの悪を隠すことができないからだ。「胸中正しければ、則(すなわ)ち眸子瞭(あき)らかなり。」(訳)心の中が正しければ、瞳は明るく澄んでいる。「胸中正しからざれば、則ち眸子眊(くら)し。」(訳)心の中が正しくなければ、瞳は暗く曇っている。「其の言を聽き、其の眸子を觀(み)れば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。」(訳)だから、相手の言葉をよく聞き、その瞳をよく観察すれば、誰がいったいその心のなかを...眸子(ぼうし)

  • 熱量

    教育をしていく上で大切なのは「熱量」だと思います。伝えていくことに信念を持っているかどうか。未来に希望を持っているかどうか。子どもたちに愛情を持っているかどうか。そうしたことの一つ一つが自分自身の心の中になければ、熱は決して生まれることはありません。他人の話を聴いていて心に残っているのは、そうした熱があったかどうかだったように思います。いくら立て板に水の話でも、小手先の知識や中途半端な考えでは、人の心にメッセージは届かないと思います。熱量

  • 小郡寺子屋「志学舎」第2回スピーチコンテスト

    先日、小郡寺子屋「志学舎」での第2回目のスピーチコンテストが開催されました。テーマは「日本の未来」。2回目のコンテストまで、塾生たちはこのテーマについて、講座の中で考える機会はあまりありませんでした。限られた日数で講座を組む難しさが出て来ました。また、本番当日も、私は塾生の話す内容をいちいちチェックしたりしませんので、どうなることやらと心配でした。ただ、いつも思っていることは、塾生が上手く話せないのは全て私の責任であること。そして、日頃の学びの姿勢が身についていれば、そこそこは話せるようになっていると信じているということ。他人に対して良く見せるスピーチをする必要はないということ。あくまで思いを伝えようと努力すること。失敗もまた良し。失敗の悔しさ恥ずかしさを、私も塾生と共に共有し、必ず次の機会に活かすこと。...小郡寺子屋「志学舎」第2回スピーチコンテスト

  • 伝えることの難しさ

    自分が心底「そうだ」と思ったことしか、本当の意味で他人には伝えられないと感じています。付け焼き刃の知識や小賢しい智恵などでは、一瞬でメッキは剥がれていきます。ということは、他人に伝えるためには、自分が広く深く学び続けるしかないということです。それをせぬまま伝えたところで、大したことにはならないのです。伝えることを生業とする者は、不断の修行者でなければならない。当たり前と言えば、あまりに当たり前のことでしかありませんが、この思いを共有できる人と出会い、共に学びたいと思います。伝えることの難しさ

  • 福澤心訓

    一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。ふと、『福澤心訓』のことを思い出しました。福澤諭吉の書いたものとして出回っていますが、そうではありません。偽書だということです。しかし、内容的には素晴らしいと思います。作った人は、「福澤諭吉書」などと書かなければ良かったのに、実に残念なことです。福澤心訓

  •  「一燈照隅 万燈照国」

    「一燈照隅万燈照国」(いっとうしょうぐう・ばんとうしょうこく)。という言葉があります。あるいは、「一燈照隅萬燈遍照(いっとうしょうぐう・ばんとうへんじょう」とも言います。これは最澄の説いた言葉です。「一つの灯火だけでは隅しか照らせないが、その灯火が数多く集まると、国中を照らすことができる」という意味です。安岡正篤先生は、この言葉について、「一つの灯火を掲げて一隅を照らす。そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる」と仰っています。また、この言葉は、佐藤一斎の書いた『言志四録』の言葉を思い出させてくれます。「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。」一燈の灯りは自分の生き方であり、... 「一燈照隅万燈照国」

  • 一日一日を大切に

    今日という名の私の人生は実に楽しい1日でした。でも、今日で私の今日という名の人生の時間は終わります。二度と戻っては来ない、かけがえのない時間です。1日が一生。明日も良い一日になるよう、精一杯生きようと思います。そうしているうちに、人生最期の日が来ます。その日も楽しかったと言えたら、人生全体が楽しかったということであり、きっと幸せな人生だったと言えるのだろうと思います。一日一日を大切にしていこうと思います。一日一日を大切に

  • 学び続ける

    自分ができている些細なことを、他人ができていないから、その人格を否定するようなことが世間ではよくあります。私は、それは間違っているし、愚かだなことだと思うので、そんな考えはしたくありません。なぜなら、人はそれぞれに強みや、良い所は違うからです。瑕疵だけを見て、他にできることや、良い所が沢山あることを見ようとしないのは哀しいことです。自分が常識と思っていることも人によっては違います。この社会には、経済的にものすごく豊かな人もいれば、ものすごく貧しい人もいます。品行方正な人もいれば、反社会的な人たちもいます。そうした様々な人たちに出会う機会が無ければ、私もそのことを気づかなかったかもしれません。大人になった今が豊かでも、ひょっとしたら、貧しい暮らしをして苦労をしてきた人かもしれません。それぞれのバックボーンが...学び続ける

  • 結局は教育なのかもしれない

    博多での殺人事件が大々的に報じられています。私も最近事件が多いなぁと感じます。しかし、殺人事件は戦後減少の一途を辿っています。世界97国での殺人事件発生率の比較をしたデータでも日本は94位です。詳細なデータは、以下のサイトにもあります。日本の意図的な殺人の発生率(推移と比較グラフ) GraphToChart一方で、児童虐待、DV、サイバー犯罪、特殊詐欺などは増えています。ということは、弱い者に向けた犯罪、匿名性の高い犯罪が多くなったということです。今回の殺人事件もこの延長線上にあると思います。これは、人間が狡く卑しくなったということのように思います。また、我慢する心(忍耐力)が弱くなり、激情に駆られてやってしまうという、極めて禽獣に近い存在に堕しているということだと思います。幼いときからの教育というか、大...結局は教育なのかもしれない

  • 美しくないもの

    世の中で、美しくないのは、言葉を偽ること。本当に腹の中で思っていることと、口にしている言葉が、裏腹であるのを感じた瞬間に、私は哀しい気持ちになります。これは心を磨き人格を高めることでしか、変えることはできません。言行一致。それは厳しくも美しい、人としての道だと思います。美しくないもの

  • 17期目スタート

    今日から、弊社、Vision&Education,Ltd.の17期目がスタートしました。1月17日が創立記念日で、17年目のスタート。イイナ、イイナ、と語呂合わせしている私がいます。苦笑(創業以来)いよいよこれからが、私の会社の本番です。今までに蓄積したものを存分に活用して、日本の教育をより良いものにするために、全力を尽くします。ワクワクします!17期目スタート

  • 温暖化でサメが!

    “迷い鯨”が注目集める中…日本の海に異変?「北上する大型サメ」温暖化による歪みか1/16(月)0:00配信という記事が配信されていました。温暖化ねぇ・・・。と私は思いました。ご存じ「因幡の白うさぎ」のお話は、古事記に書かれています。このお話は、ウサギが海を渡りたいために、サメとどっちが仲間が多いか較べっこしようとサメを騙して、渡りきる直前に自ら騙したことをしゃべったために、皮を剥がれてしまったというお話です。古事記の成立は712年ですから、それ以前に、日本人の原体験として、出雲の方に、つまり、山陰の日本海にサメが沢山いたということでしょうし、ウサギも沢山いたということでもあると思います。ということは、「サメが多くなった=地球温暖化」と考えるのは、あまりにも短絡的ではないかなと思います。ちなみに、広島県の三...温暖化でサメが!

  • ブログに思う

    人はわかりやすいこと、明るいこと、楽しいこと、心地よいこと、軽やかなことに心惹かれます。しかし、私のブログは、ほぼすべてが、その反対と言っても良いトーンです。それを変えるべきか否か。時々、迷うこともあります。しかし、このブログでは、私の思いを書き綴っていくしかないのだと思います。もうすぐ私の会社は17期目を迎えます。私に出来ることを精一杯やって、一人でも多くの方のお役に立てたらと思います。ブログに思う

  • 学び続ける

    読書をする人は、数多の先人たちの真実の言葉に触れ、自分の心の持ち方や生き方について深く反省し改善する機会をいただくことが出来ます。しかし、そうした言葉に触れぬ人たちは、何を鑑として自分を見つめ直すのだろうかと思います。親からいただいた尊い教えも勿論あります。しかし、それだけでは、古今東西の偉人たちが苦心惨憺してたどり着いた心の境地、考え方の境地には、及ぶべくもないことだってたくさんあると思います。一生が学びです。私は学び続けようと思います。学び続ける

  • 自分で考える

    やらされる人生を生きる下地を子どもの頃に作らぬようにしたいものです。そのためには自分で考える習慣を持つことが大切です。そして、それを大人たちが見守っていくこと。自分で自分の時間の過ごし方を考えていないから、勉強をやらされ、宿題をやらされ、仕事をやらされ、ということになります。やらされていると思う思考が習慣になってしまっているから、常に不平不満や愚痴、批判というものが沢山出て来ます。そこから逃れる術はただ一つ。自分で考えること。たったそれだけのことです。ただ、それが難しいのです。自分で考え、自分で意志決定し、そして、自分で行動しなければならないから、実に難しいことです。だから、それを教えることはできるだけ避けようとする。安易な道に逃げ込もうとする。しかし、私は、逃げずに、そのことをこそ教えたいと思います。自分で考える

  • バッカーズ寺子屋・第18期生募集

    バッカーズ寺子屋・第18期生募集の入塾説明会を開催致します。入塾を希望される方は、必ずいずれかの回にご参加をお願い申し上げます。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。第1回2023年2月18日(土)16:00~17:00第2回2023年3月18日(土)14:00~15:00第3回2023年4月14日(金)18:00~19:00第4回2023年4月15日(土)11:00~12:00第5回2023年4月15日(土)16:00~17:00会場:〒105-0003東京都港区西新橋3-11-1建装工業株式会社1階会議室※資料等の準備がございますので、事前にFaxまたはメールにて、事務局宛、お申込のご連絡をお願い致します。(ご希望の回の5日前までにお願い致します。)バッカーズ寺子屋・第18期生募集

  • バッカーズ九州寺子屋・保護者会

    バッカーズ九州寺子屋の保護者会を3年ぶりに開催致します。コロナ対策に十分留意をしての開催で、静かな会を心がけますが、今年の15周年記念事業に向けて準備を進めていきたいと存じます。万障お繰り合わせの上、是非、お運び下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。詳細は、バッカーズ九州寺子屋のホームページ、塾長ブログに書いています。再会を楽しみにしています!バッカーズ九州寺子屋・保護者会

  • 心を高める

    人生の目的は心を高めること。故稲盛和夫さんはそう言い切っていらっしゃいました。自分の身に起きている現象は、全て自分が原因となって生み出されているものであり、自分という人間が自分磨きをどれだけやって来たかという結果に過ぎないのだと。ただ、自分の損得という物差しで測っていれば、その因果の法則という厳然とした事実は、永遠にわからぬまま人生は終わっていきます。また、人格を磨く努力を少しぐらいやったからと言って、直ぐに結果がでるものではありません。だから、多くの人は、多少誤魔化してでも、要領よくやっていった方が賢いのだと思い始めます。しかし、因果の法則は、時間が経たなければ人の目には見えてこないものだと私は感じています。だから、愚直に、自分を磨き続けます。また、人のために、社会のためになるように考え抜き、行動します...心を高める

  • 仕事始め

    本日、1月5日より仕事始め。スタッフ全員で、恒例の小烏神社へお参りに。福岡神社参拝帳(jinja-sanpaicho.com)には、次の記述があります。御祭神建角身神(八咫烏)(別称小烏大明神)当社のご祭神、建角身神(八咫烏)は『古事記』『日本書紀』によると神産霊神(神産巣日神)のお孫神で神徳高く、国土開拓のために産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には先導を務めた。皇軍が熊野山中で荒ぶる神々に苦戦を強いられると、建角身神は八咫烏(やたがらす)に化身し、賊軍の説得に努め、土着の神々を服属させると、ついには皇軍を大和国へと導き、大和平定に多大な功績をたてられた。また『山城国風土記逸文』によると、加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、山城国の加茂に移り、古代京都を拓かれるとともに、丹波国の伊可古夜姫を娶り玉...仕事始め

  • あけましておめでとうございます!

    2023年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今年は益々志堅固に、日本の教育をより良いものにするための活動に全力を尽くします。多くの方との出会いを、そして、共に力を合わせて改革にチャレンジしていくことを、心から望んでいます。歳を取るのも良いことだと最近思います。人生の残り時間の少なさの自覚が、自分をチャレンジに駆り立ててくれるからです。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。Vision&Education,Ltd.代表取締役木村貴志あけましておめでとうございます!

  • さようなら2022年

    2022年が終わります。明日から2023年です。一度しかない一年。一度しかない一日。一度しかない人生。天に授けていただいたこの二度と無い人生を、喜びに充ちたものにしたい。そのためには、志高くあらねばと思います。それが、愚痴や批判などから自分の心を遠ざける、唯一の道だと思います。低く狭い視野では、低く狭い世界の問題にしか反応しないからです。それにしても還暦を過ぎると、一年との別れが惜しくなります。遺された時間がそう多くはないからですし、それ故に一年を丁寧に生きたからだと思います。来年も、今年以上に一日一日を、丁寧に力強く生きていこうと思います。感謝の気持ちを大切にして。さようなら2022年

  • 君子もとより窮す

    「子曰く君子もとより窮(きゅう)す。小人は窮すれば、ここに濫(みだ)る。」《論語・衛霊公篇》孔子とその門人が各地をめぐる間、孔子一行が戦乱に巻き込まれ、全く身動きがとれず、食物も尽きて七日間飲まず食わずの窮地に陥ります。弟子の子路がたまらず、「君子も窮することがあるのですか」と孔子に言葉をぶつけます。学問をして世の中のために尽くそうとしている孔子がなぜこのような目に遭わなければならないのか。立派な人間(君子)になろうと己を磨き続けても、この有様じゃないか。そう思うのもわかります。それに対して、孔子は先の言葉を述べます。「君子といえども窮することはあるのだ。しかし、君子は窮しても平静な自分を守る。小人は窮すれば心が乱れ、自暴自棄となってしまう。」こう諭します。立派な人間だから苦難に遭わないようになるわけでは...君子もとより窮す

  • 楽しく生きる

    自分で考え行動せぬ者は、あらゆることは強要されるものであり、他人は色々なことを自分に強要しようと手ぐすね引いている存在だと誤解しているかのようです。自分の志を立てることも、その実現のために自己研鑽を怠らぬ事も、決して強要されるべき事ではありません。すべては自分がどうしたいか、どうなりたいかであり、どう判断し、何をするか、どのように生きるかでしかありません。強要されない人間は、常に自由ですから、24時間、365日仕事をしたところで、やらされることはありません。だから、過重労働だ何だと他人に文句を言うこともありません。楽しくわくわくしながら仕事をするだけです。それが人々の喜びに繋がるのならなおさらです。結局は、価値観の違いであり、人生に於いて学んで来たことの違いなのだと思います。どちらが善い悪いと言うつもりは...楽しく生きる

  • 国家観なき個人

    本当に心から私を支えて下さる方々がいらっしゃいます。そうではない方々もいらっしゃいます。自分や自分の家族の得になるかどうかしか見ていない人と、そうでない人は、実によくわかるものです。何が違うのかを考えたときに、結局は、「日本の教育の未来、日本の未来を、より良きものにしたい」という願いが、あるかないかのように感じます。偉そうに言っているわけではありません。やはり地域や国の未来を考える視点が欠けていれば、私利私欲という損得の視点でしか物事を見ることは出来ないと言うことです。そうした人たちにとっては、教育に対して無私の心で向き合うなど、愚の骨頂でしか在りません。しかし、私は、私が死んだ後の、子々孫々のためにも、良き教育を遺していきたいと思います。福沢諭吉も言った、「自分たちの今日があるのは先人の辛苦の賜物であっ...国家観なき個人

  • 皮肉や嫌み

    私がよかったなぁと思うことは、皮肉や嫌みを言うこと、心に思うことが、ほとんどないことです。思ったとしても、それは面白半分というか、相手にわかるようにというか、裏表のない気持ちでしかありません。皮肉や嫌みを言う人は、相手もそういう思いで言っていると思うから、相手の真意を理解できずに、ミスコミュニケーションが多くなります。また、この人は皮肉や嫌みを言う人なのだと思われてしまうと、次からも、あぁ、これはきっと皮肉や嫌みでまた言っているのだろうなと、相手に読まれてしまうことになりますから、その人と心から関わろうという気は失せてしまいます。かくして私は誤解の中に生きていくことになりますが、それもまた修業であろうと思っています。心は裏表無く、真っ直ぐな方が良いと思います。皮肉や嫌み

  • 「思無邪」

    「思無邪」(おもいよこしまなし)という言葉があります。これは、四書五経の一つ『詩経』の詩全体を最も良く表す言葉として、孔子が語ったものです。精選版日本語国語大辞典によれば、次のように書かれています。『「詩経‐魯頌・駉」に見え、「詩経」の詩全体の性格を最もよく表わす一句として、孔子が「論語ー為政」で言った「詩三百、一言以蔽レ之、曰、思無レ邪」から)私心なく、公平である。思うことをそのまま言い表わして偽ったり飾ったりしない。』という意味です。吉田松蔭の「至誠通天」(しせいてんにつうず)と相通ずる思いを感じる言葉でもあります。『至誠通天』とは、元は孟子の言葉で、「まごころを尽くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ、道は拓けるものだ」という意味です。現実には、誤解され、曲解されることが多いし、期待とは違った反応が...「思無邪」

  • 価値観

    私は大したことはまだできていません。しかし、あと10年で、少しは他人様のお役に立てるようなことを成し遂げていこうと思っています。元を正せば、人間は、何も持たずにこの世に生まれてきています。人生という時間をどのように使い、何を遺せるのかは、心がけ一つ、努力次第だと感じます。しかし、目標がなければ、努力の方向は定まりません。だから志が大切なのです。志を立てるかどうかは、全て自分にかかっています。日々、何をどう選択していくのか。それだけなのです。人は、どのような自分にするのかは、自分で決めるしかないのです。そして、人は自分の考えた通りの人間になっていくだけなのです。しかし、そう思わない人にとっては、生まれや、育ちや、運などによって決まるとしか思えないもののようです。私もかつてはそう思っていたのだと思います。しか...価値観

  • ICTの普及に思う

    ICTの普及が教育現場でも推進されています。基本的には歓迎すべき事だと思います。しかし、ICTとは、「InformationandCommunicationTechnology」(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー)の略で、所詮は「情報通信技術」でしかないということです。ICTは、デジタル化された情報の通信技術であり、インターネットなどを経由して人と人とをつなぐ役割を果たしています。しかし、ここで問題なのは、人間にとっての「Communication」とは何かが深く考えられていないことです。「人と人とがつながる」ことをコミュニケーションと考えるとして、未熟な人間が技術を使って繋がれば、当然、未熟なコミュニケーションの中で、誤解や諍いが起こると思います。ICTの普及だけでは、いじめ...ICTの普及に思う

  • 危機感の無さ

    危機感の無さが問題なのだろうと思います。もう日本という国の足下は崩れかけているというのに、自分が何をすべきかを、自分で情報収集し、自分の頭で考えないから、相変わらずのお気楽な批判・評論の意識です。働き方改革といっても、何をどう改革するのか、何のための改革なのかわからぬままやるから、結局、上からの指示を待つ受け身の姿勢は基本的に変わらぬままのようです。受け身の姿勢は、「やらされている」という意識と、「してやっている」という意識を生み出しますから、非生産的な批判と非難を生み出し続けます。今ほど、自分の頭で考えることが求められる時代はないと思うのですが、勉強とは、「暗記することと問題を解くこと」だと学校で習っているので、自分の頭で考えることが何かも、自分という人間を磨くということもよくわからぬまま大人になるしか...危機感の無さ

  • バッカーズ寺子屋18期生・募集開始

    バッカーズ寺子屋・第18期生の募集を開始致します。来期は久しぶりに20名の定員に戻していきたいと思っています。まずは入塾説明会にご参加下さい。お申込を心よりお待ち申し上げております。バッカーズ寺子屋18期生・募集開始

  • 視野の深さと広さは、理解の深さと広さ

    「パーパス経営」という言葉の意味の深さ、「経営理念」の重要性が全員に共有される時代が来なければ、あらゆる日本の改革は進まないだろうと思います。学校教育で、授業を真面目に聞き、先生の言うとおりきちんと宿題もやった。予習も復習もした。点数もきちんと取れた。それが努力であり、正しいことであり、評価の対象でもありました。急にそれだけではダメだと言われても、子どもたちは言われている意味がわからないかもしれません。不信感も生まれてくるでしょう。ちゃんとやってるのに・・・と。しかし、これからの世の中は、組織の目的をどれだけ深く理解し、自分で考え行動し、どれだけチームとして結果を出し、社会に貢献できたかが問われていく時代だと思います。リーダーは発信していくことが大切になります。一方、チームメンバーは、読む・聴く・書く・話...視野の深さと広さは、理解の深さと広さ

  • 常に全力を尽くす

    私の意識の中には、常に教育に全力を尽くすということしかありません。子どもたちの成長は、日本の財産であり、教育改革とは、日々、全力でより良き教育実践を生み出すこと以外にはありません。日本の未来が大変なことになりそうな時に、自分の評価などに構ってはいられないのです。自分が納得することが出来るように全力を尽くすだけです。それでも自分の努力に納得が出来る日は来そうにありません。1人でも多く、共に日本の教育改革に力を尽くせる人と出会いたいと思います。そして、人を相手にせず、天を相手にすべしと、大西郷が仰ったことを肝に銘じたいと思います。常に全力を尽くす

  • バッカーズ九州寺子屋・第15期生・募集開始のお知らせ

    本日バッカーズ九州寺子屋支援者の会の中間報告会が終わりました。いよいよ来期生募集がスタートします!10歳から15歳の小中学生が対象です。一年間かけて、「個としての確立」を目指し、人間的な成長を促します。本当に見違えるほどの成長を遂げていきます。興味のある方は、まずは入塾説明会へご参加下さい。皆様のお申込を心からお待ちしています。バッカーズ九州寺子屋・第15期生・募集開始のお知らせ

  • 今年の最終講義

    昨日は、小郡寺子屋「志学舎」の今年最後の講座でした。また、小郡寺子屋「志学舎」の保護者会も開催しました。第一期がスタートして約半年、塾生たちは本当によく頑張っています。保護者の皆様とも意見交換させていただいて、有意義な時間を過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました。貴い時間でした。この学び舎にかかわってく下さっている全ての方に、心からの感謝を申し上げます。また、今日は、バッカーズ九州寺子屋の今年最後の講座でした。14期生の皆さんの成長の手応えを感じました。叱ることもあります。成長できていないことを残念に思うこともあります。しかし、それでも私は、みんなが成長することを確信しています。そのためには、こちらが本気であり、真剣であり、必ず道が開けるという信念と、子どもたちのことを信じる力を持っていなけ...今年の最終講義

  • 信念

    信念があることの大切さを思います。そして信念を鍛えていくことの大切さを思います。私の今日があるのは、少なからず信念を揺るがせにしなかったからだと感じています。だからこそ信念のある人たちはそれを感じ取って下さり、助けていただくことができました。感謝しかありません。そして、自分の信念を鍛えていくのは自分にしかできないことです。誰のせいでもありません。全ては自分の心・意志・考え方・習慣・行動が生み出したものです。本を読み、先人たちを友として、学び続けます。信念

  • それでもひたすらに。

    日本がひどい国に成り果てていることを感じます。コロナへの対応、税金の問題、国防の問題、議員定数の問題、マスコミの在り方、etc.実にひどいものです。様々な言論人が指摘されるとおりです。ただ、私は教育を通して、社会を変革していくだけです。批判、評論だけして、行動しない人間にはなりたくありません。私は教育を通じて、より良い社会の実現を目指します。実践あるのみです。それでもひたすらに。

  • 教育に大切なこと

    結局、大切なことは、「誇りを持つこと」「負けじ魂を持つこと」。それだけなのかもしれません。それさえあれば、人間は自分の尊厳を守るために歯を食いしばって頑張ることが出来ます。しかし、それらがなければ、家畜の自由に甘んじて生きる日々を過ごすことになります。そんな姿は恥ずかしくて先人たちには見せられないと思うのか、別に、いいじゃん。平和で、ゲームでもしながら、そこそこ楽しく生きられたらと思うのか。歴史から何を学ぶかによって、どのように学ぶかによって、道は分かれます。残念ながら、頭だけの知識の教育からは、誇りも情愛も生まれません。心で学ぶことで、人間は人間としての誇りや尊厳を学ぶのだと思います。教育に大切なこと

  • 飽くなき向上心

    私のような能力の無い者に、良い教育などできるはずがありません。だから必死で、良い教育をするための努力をしています。決して、妥協することなく、一つ一つを積み上げていくだけです。。もうこれぐらいで良いやと思うのは、傲慢さや、小狡さの証でしかありません。その程度の努力で、お前は満足なのか?人を大切にすると言うが、お前の大切にするというレベルはその程度のものなのか?いつからお前はそんなに偉くなったのか?常にその問いから逃げないようにと思います。「日々新た」でなければと思います。そのこだわりは、どうやら私だけのもののようですから、色々な思いは自分の胸の内にしまって、燃えるように熱く駆け抜けていこうと思います。飽くなき向上心

  • 予感

    先週の土曜日、熊本でプロジェクターを使っていて、ふと思いました。「もう何年一緒にやってくれてるかなぁ。お疲れ様。全国に連れて行って酷使しているから衝撃もあるだろうなぁ。光源の耐用年数は何千時間だったっけ。」と。翌、日曜日、東京で使って、福岡に戻り、今日は、鹿児島で、さぁ使おうという時に、全く起動しません。電気が来ていることを示すランプはついているのですが、ウンともスンとも言いません。ついにご臨終の時を迎えたようです。それにしても、初めて、ふっと、このプロジェクター大丈夫かなぁと思った、次の使用のタイミングで死んでしまうとは・・・。何となく予感がしたのでしょう。機械とも心通じることがあるんだと思いました。本当にお疲れ様でした。本当に一緒によく頑張ってくれました。誰よりも私の側で、私と共に頑張ってくれました。...予感

  • 準備

    講座の準備は、いくらやってもこれで十分とは思えません。従って、本番直前のギリギリまで、精一杯の準備をすることとなります。当然、身体に大きな負荷はかかります。しかし、能力の無い馬鹿だから、努力と根性で補うしかありません。寝る時間など無くて仕方ありません。一人で粛々とやるしかありません。でも、結果は大したことがありません。笑だから、明日こそはと思い、歯を食いしばって努力を続ける日々です。準備

  • MRI

    三日前から、右手の人差し指に違和感が出て来ました。知人が、「右手の指がしびれると思っていたら、脳梗塞だった。」と仰っていたことを思い出し、今日、病院に行ってみました。お医者さんはさすがで、「全然大丈夫!だと思うけど、念のため検査をしておきますか?」と聴かれたので、「是非!」と、MRI検査をやってみました。検査の結果は、次の通りでした。Dr.「まず、脳ですが・・・、ううん、完璧にきれいですねぇ!」Dr.「次に、脳を走る4本の血管の映像ですが・・・、ううん、全てきれいですねぇ!」Dr.「何の問題もありません。きれいです!指の違和感とは、まったく関係ありません。(キッパリ)」ですと。してみると人差し指は、20㎏を超えるキャリーバックと10㎏の布袋の荷物を、福岡から東京に持って行って、ガラガラ引きずり回していたせ...MRI

  • 天を相手に

    人の心はコントロールできませんので私の知るところではありません。ただ、同じ志を持ち、共に価値観を共有しながら、良き仕事を生み出し、多くの人たちと共に楽しく過ごして行けたら幸せだろうとは思っています。しかし、私が良いと思うことを、人も良いと思うかどうかはわかりません。それは私の知るところではありません。私は私が正しいとは思っていませんから、そんなとき、私は淡々と自分のやるべき事をやりぬくだけです。人も自分が正しいと思うことをやっていけば良いのだと思います。価値観が違うこともありますから、それはそれで仕方の無いこと。何が正しいかは、時と共に天が証明して下さると私は思っています。天を相手に

  • 最後は自分

    コミュニケーションが不足すれば、それぞれが勝手な思い込みに陥ります。コミュニケーションが不足する原因は、家族のことであったり、仕事のことであったり、健康のことであったり、お金のことであったり、人それぞれ、様々なことに意識を引っ張って行かれることによります。私も長期的ビジョンを考えたり、講座内容や研修内容を考え抜いていると、自然と会話は減っていきます。また、人の表情を見ていて、色々心配しながら、当面は、できるだけそっとしておこうと思うこともあります。その時に、自分が自分に対してネガティブな評価をする人であれば、他人が、ネガティブに自分を見ていると思い込むことになるでしょうし、自分が自分に対してポジティブな評価であれば、あまり気にもならないか、気になれば気軽に質問でもしてみようということになるだろうと思います...最後は自分

  • 活力

    何をするにしても大切なのは「活力」だと思います。飲み会が減ったことを歓迎する人もいると思いますが、やはり、人と語らい、心の壁を取り去って話し合ってこそ、新たなもの、新たな発想が生み出されると思います。コロナ禍で一番恐いことは、社会全体から活力が失われていくことだと思います。高齢化も同じです。活力があれば新しい道は拓けます。自分で飲み会を主催する人は、リーダーシップを発揮する人でもあり、裏方の苦労や準備の大切さを知る人でもあります。チームワークを作るための、沢山の心遣いができる人でもあります。自分ひとりのことしか考えない人も、それはそれで良いのですが、人を束ねたり、束ねる苦労を知ったり、色々な気遣いができるということは難しいだろうと思います。私も今年亡くなられた稲盛和夫氏の、「稲盛流コンパ」に大いに賛同する...活力

  • 学び続ける

    何が正しいのか、私も懸命に学んでいるつもりですが、まだまだわからないことだらけです。学ぶほどに、他人との齟齬も生まれてきます。私自身、色々なことに気づくまでに、多くの時間を要してきました。ということは、善い悪いの問題ではなく、わかり合えるということは、永遠にないのかもしれません。しかし、それでも共鳴してくれる人を求め続けていきます。そして、より一層、深く学び続けていきます。学び続ける

  • 頑張る力

    サッカーワールドカップの日本の活躍には感慨深いものがあります。Jリーグが発足したのは、平成5年(1993)のことです。J2ができて二部リーグになったのが、平成11年(1999)。J3ができて3部になったのが、平成26年(2014)Jリーグが出来て、ようやく30年になろうとしているところです。選手、ファンの努力はもとより、経済的に支援して下さったスポンサー企業のご苦労を思うと本当に頭が下がります。また、長期的にビジョンを思い描き、実現してきたリーダーたちにも大いなる敬意を表したいと思います。財界人たちの苦労はもっと称えられても良いと思います。この30年間、経営が良い時も悪い時もあったと思います。選手たちが結果を出せなかったり、選手やサポーターの不祥事が起きたり、色々あったと思います。それでも支援し続けていら...頑張る力

  • 成熟した大人の顔つき

    色々な写真を見ていて、特に、教育界に、子どものような顔をした60歳前後の大人が増えたように思いました。おそらくは、知識とスキルはあるのでしょうが、人としての成熟を感じない、精神の重みを感じない、子どもじみた顔つきです。哲学的苦難を経ることなどなかったのであろう、つるんとした顔つきです。字も成熟した大人の字を書いている人は少なくなったように感じます。私が歳を取ったからそう思うのであり、杞憂に過ぎないと信じたいと思います。いずれにせよ、私は、人間が成熟することの意味と方法とを、問い続けていこうと思います。成熟した大人の顔つき

  • 人事を尽くして天命を待つ

    私は私に出来る最善を尽くすしかありません。後のことは、憂えても仕方が無いのだと思います。私の作ってきたものを惜しいと世間様が思うのであれば、あるいは天がそう思われるのであれば、誰かが引き継いでくださるのでしょうし、そうでなければ、それだけのものでしかなかったと言うことです。自分の作ってきたものに対しての自負はありますが、それは自分が思っていることに過ぎません。全ては天が決めて下さることと思えば、後は気楽なものです。ただ、人事は尽くそうと思います。人事を尽くして天命を待つ

  • 不退転の決意

    まだ、人生を振り返るには早いのですが、色々なところで教育という名の種蒔きはできていたのではないかと、ふっと思うことがあります。それは自負心が強すぎるぞと思われるのは当然ですが、それでも、人の発した色々な言葉の端々に、私が語ってきた言葉の欠片を感じる時に、ふと、そんな気がするのです。勿論、私の言葉とて、多くの人たちからいただいてきたものですから、「私が語ってきた」というのもおこがましいのですが、それでも自分の発した言葉の欠片を微妙に感じることがあります。久しぶりに、偶然、ばったりと昔の自分と再会したような、そんな不思議な感覚です。教育というのはそんなものなのかもしれません。誰が語ったのかも、もうとっくに忘れ去っているけれど、確かに心の奥底に宿っている言葉がある。それは、誰かが遠い昔に与えてくれた言葉。その人...不退転の決意

  • エクスプレッションアカデミーin熊本

    熊本でのエクスプレッションアカデミー第4講座が終了しました。色々な方のお力添えで、やり抜くことが出来ました。本当に感謝致します。受講してくださった、バッカーズ九州の卒塾生たちにも感謝を致します。若者たちにとっても必要な教育だと改めて感じさせられました。何の基盤もない熊本の地で、手探りのスタートでした。でも、福岡のアカデミーも10年前は同じでした。少しずつ、少しずつ、共に学んでくださる方の輪が広がってきました。時間はかかりましたが、不羈独立の精神でやり抜いてきたが故に、色々な影響を受けることは全くありませんでした。教育には、それが大切なのだと思います。足して二で割るようなことは絶対にしてはならないと思います。ただ、そうして歩んでいくには時間がかかりますし、信念が問われます。それでも本道を歩くことが大切なのだ...エクスプレッションアカデミーin熊本

  • 易きに流れない

    人は易きに流れるものです。去年まではこうだったから。「ふつう」はこうだから。理想を掲げ、常に改善を志向する人間にとっては、戯言にしか聞こえません。しかし、それも仕方の無いこと。多くの人は、易きに流れたくて仕方が無いのです。そして、あっという間に、人生は終わっていきます。他人のことはさておき、自分だけでも易きに流れないと決めてかかるしかありません。方法は、新しく考え出していくだけです。ひとりぼっちでやるのもありです。教育の道は、事ほど左様に理解されにくく、孤独なものだと思います。しかし、それを笑って楽しんでいる自分がいるのもまた事実です。易きに流れない

  • 知行合一

    本来あるべき姿、美しき姿を知らないから、人は気づけないのかもしれないと思いました。本当の意味で知らなければ、改善への意志も行動も生まれません。改善への意志や行動が生まれないということは、気づけていないということですし、気づけていないということは、あるべき姿を知らないと言うことです。知行合一という言葉の奥深さに、改めて、はっとさせられます。知行合一

  • 私心を去る

    結局、人生を豊かに生きる鍵は、私心を去る努力を続けられるか否かにあるのだと思います。見返りを求める心、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、驕慢(きょうまん)、etc.人間関係を悪くするのは、この私心ゆえだと思います。しかし、私心を去ることは本当に難しいことです。こころの真っ直ぐさが問われるところです。純粋さを失わない心の強さが必要です。「こんなことを何であんな人にしてあげなければならないのか」そう思うのも私心ゆえのことだと思います。誰に対しても大切にする心を持てば良いと思います。自分がしてもらったら嬉しいことを人に対してしたら良いと思います。一瞬のためらいもなく。勿論、限界はあります。それは、お金と時間が有限であるからです。でも、心の在り方は無限の広がりを持つものだと思います。また、人によっては、好むこと好ま...私心を去る

  • 思うこと色々

    人間がヤワになってしまったのにつける薬はないのかもしれません。自由や権利の要求が声高にできる人は多くなりました。いつの間にか、自分の損得でしか物事の判断ができなくなってきた人も多いと感じます。戦後の焼け野原から立ち上がった人たちの苦労を知ろうとする人はなくなり、幕末の苦難を乗り越えようと果敢に生きた人たちの生き様を学ぼうとする人たちも少なくなりました。私の子どもの頃(昭和40年代)は、もっともっと貧しかったけれど、家族で苦労を分かち合い、頑張ってきた日本人の姿がありました。電気も停電が多く、カラーテレビがやっと出始め、瞬間湯沸かし器で台所にお湯が使えるようになり、炊飯器や洗濯機が少しずつ自動化されてきた時代のことです。かつての日本は食事とて、もっともっと貧しかったのです。今は、本当に素晴らしい商品がたくさ...思うこと色々

  • 不羈独立

    私は、残された人生の時間を、ただひたすらに教育に打ち込もうと思います。日本の未来にとって、素晴らしい人財が育っていくことは、非常に大切なことだと思います。私に出来ることは、ほんとに小さな事でしかありませんが、誠意を込めて全力を尽くしたいと思います。私は、私の教育を追い求め続けていくだけです。それ以外のことに興味はありません。不羈独立の精神こそがこれからの若者たちに大切だと思えば、まずは自分自身が、不羈独立の精神を重んじた生き方をしなければならないのは、当然のことです。不羈独立

  • 1年前の9月に書いたこと

    私がなりたいのは、「始末に困る人」です。自分のことはどうでも良いといつも思うこと。そして、教育の事だけは、微塵もどうでも良いとは思わぬ事。そうなれるように心を磨きたいものです。命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。西郷隆盛1年前の9月に書いた言葉が、今また、私の心に響いています。1年前の9月に書いたこと

  • 正しい教育とは

    「正しい考えを持っている我々が、誤っている勉強不足の君たちを教育してやろう。」こんな尊大な考え方では、決して良い教育など出来ないと思います。共に時代の来し方行く末を見つめ、共に学び、共に悩み、共に笑い合ってこその教育だと私は思います。正しい教育とは

  • 人間学

    私の教育は不易を追いたいと思っています。時代のトレンドを追うことも勿論大切なことです。語学やプログラミングや起業家精神について教える教育も大切です。しかし、それも全ては人間がやることです。人間性という土台作りなくして上手くいくとは私には思えないのです。古いと言われるだろうけれども、私は人間学を探究し続けたいと思いますし、人としての在り方を子どもたちと共に学びたいと思います。人間学

  • 命がけでやること

    学校教育の世界からに離れて随分時間が過ぎました。今、三つの寺子屋と、企業研修で、子どもたちにも大人たちにも、本当に人材育成の手応えを感じています。学校教育の世界で一生懸命教育をしていたら、今の私の「気づき」は、確実になかったと思います。学校という世界を外から見ていると、いかに考える力を育むことの出来ないシステムになっているか、いかに自己重要感が下がる仕組みになっているか、色々なことがよくわかるようになりました。先生方は誠実に懸命に仕事をして下さっています。しかし、そうであればあるほど、浮世離れした教育にならざるを得ないのです。おそらく、そう言ってみても私の言葉は響かないと思います。企業勤務をし、団体の専従をし、起業をしたから、学校という仕組みから逃れられて、私もようやくわかったのです。そうした視点を伝えた...命がけでやること

  • 関係のない世界

    「こどもがまんなか」などという言葉が語られているのを耳にしました。当たり前のように聞こえる言葉ですが、ことさら言葉として出してみると、実に寒々しい言葉だと思います。教育は、大人自身の在り方、生き方の問題であり、自己変革という厳しさを持たなければ、教育がより良いものになるなどということはないと思います。自分にも、子どもにも、教育の責任を持たなければならないと私は思います。いったい「まんなか」とは何か。そこにどれほどの意味と価値があるのか、私にはよくわからないのです。様々な人との繋がりが断絶された中でも、真ん中に位置すると言うことは出来ます。しかし、それが心のこもった教育なのか?ひょっとしたら、大切だというニュアンスを真ん中と言い表しているのかもしれません。お父さんがいて、子どもがいて、お母さんがいて、両親か...関係のない世界

  • 誇りと尊厳

    「額に汗した報酬以外は受けとらない」「報酬以上の価値を生み出す」この覚悟を私は大切にしています。「棚からぼた餅」「漁夫の利」「濡れ手に粟」、色々と美味しそうに思える言葉はありますが、それでは誇りと尊厳を投げ捨てるようなものだと思います。卑しい後ろ姿を子どもたちに見せないことが、良き未来につながるのだろうと私は思います。誇りと尊厳

  • 病膏肓に

    某タレント議員の発言が問題になっているようですが、一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルでしかありません。また、議員のレベルは、それを選んだ有権者のレベルでしかありません。議員だけを責めたり、党の新人議員教育の不備を責めるだけでは、何も変わらないように思います。グローバル化の中、英語教育も勿論大切ですが、こうしたことが起きると、やはり国語を大切にした、情報収集能力、思考力、判断力、そして、教養や常識の教育に力を入れることも大切なのかもしれないと思います。件の議員さんも、芸能界では立派な実績のある方ですから、これは単なるうっかりミス発言なのかもしれません。ただ、それが、許容範囲内の不規則発言の一例に過ぎないのか、それとも、教育の劣化がもたらした深刻な問題なのか、私にはよくわかりません。ただ、公私を峻別す...病膏肓に

  • 偉人に学ぶ②

    偉人に学ぶことは、その優れた生き方や、考え方を学ぶためだと思います。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言う言葉があります。経験に学ぶことは勿論大切なのですが、たかだか自分の経験よりも、偉大な足跡を残した歴史上の偉人たちの経験をこそ学びたいと私は思います。自分の改善のためにです。また、偉人に学ぶことは、その言葉を自分のものとし、自分を鼓舞するためだとも思います。人それぞれに、自分を鼓舞してくれる言葉は違うと思いますが、多くを学べば学ぶほど、自分を鼓舞してくれる言葉は増えていきます。そして、様々な場面で、逆境に直面しても、それを乗り越える力となってくれるものだと私は感じています。その意味でも、私は偉人に学び続けていきたいと思います。偉人に学ぶ②

  • 偉人に学ぶ

    偉人の生き方に学ぶのは、常に手の届かぬ仰ぎ見るような存在を忘れぬようにするためだと思います。そんな人間を心の中に持たぬ人は、やはりどこか謙虚さに欠け、人間としての深みに欠けているように感じます。そして、さらに大切なことは、「彼(彼女)も人なり、我も人なり」と思うことです。そう思わなければ、人は、「無理!」の一言に逃げ込んで、自分への厳しさを持とうとはしないように感じます。ただ、それは簡単なことではないのです。だから、私は、何度も何度も本を読み、偉人の生き方に触れ、自分の未熟を省み、戒め、次の一歩を踏み出し続けなければならないのだと思っています。それは私にとっては、恐ろしく困難で厳しいことでもあります。だから、私のような未熟な者は、学び続けるしかないのです。それだけのことです。偉人に学ぶ

  • 強く生きる

    真っ直ぐ正直に生きることが強さの証であるとわかるのは、随分と歳をとってからなのかもしれません。しかし、若い頃に誤魔化すことが楽だという感覚が身についてしまったら、歳をとってからも、そのことに気づくことすらできないと思います。誤魔化すことを覚えてしまえば、本当に大切なもの、価値あるものは、何一つ手に入らないのです。要領よく生きることは、本物になる道ではなく、「本物の偽物」になることを目指す道でしかありません。人生は常に戦いだと思います。そして、それは他者との戦いではなく、常に弱い自分との戦いなのです。もっと強く生きていきたいと思います。強く生きる

  • 萩往還を歩く②

    それにして、今年の萩往還は、素晴らしいコンディションに恵まれました。木漏れ日も美しく、空気が澄んでいて、素晴らしかったです。おかげで順調に皆様と歩くことが出来ました。次の日、修了式が終わり、東京に入り、今日は新江ノ島水族館(えのすい)に企業訪問にお邪魔しました。本当に学び多き素晴らしい時間でした。ありがとうございました。私に休日などありませんが、毎日が休日のように楽しく仕事をしています。春には、連続2回の萩往還研修が待っています。でも、研修としては、中一日あっての、三日間の研修を2回ですから、歩くことだけに関して言えば、正味、中三日あります。回復には十分な日程です。(たぶん笑)かつて、中一日で30㎞を2回、歩いてみたら歩けたので、その時、「ふ~ん。歩けるんだ。」と思いました。江戸まで、東北まで、毎日、歩い...萩往還を歩く②

  • 萩往還を歩く

    新入社員のフォローアップ研修が終わりました。萩往還30㎞を歩くのが、この研修の締めくくりです。お伝えしたいことは、一貫して、「志の大切さ」と「学び方を変える事の大切さ」です。これは、なかなか伝わりにくいことです。しかし、これほど本質的で大切なことはありません。私はこれからも懸命にこの二つのことを伝え続けますし、その大切さを、自分の人生を通して証明していきたいと思っています。共に学んでくださった皆さん。いつでも私はここにいます。人生に迷ったら声をかけてください。萩往還を共に歩いた記憶はずっと残っていきます。ありがとうございました。感謝。萩往還を歩く

  • 美しくないということ

    私は、「美しいかどうか」を一つの判断基準にしています。では、「美しくない」とはどういうことか。それを考えたときに、ふと、「浅ましい」という言葉が思い浮かびました。浅ましいとは、1品性が卑しい。さもしい。下劣だ。「―・い了見」「―・い根性」2見苦しく情けない。嘆かわしい。「―・い世の中」といった意味があります。実に幅広く深い言葉ですが、「美しくない」ということと、概ね合致しているように感じます。私が「美しくない」と感じることは、そういうことだったのかと改めて思いました。そして、それは、小さな私利私欲が透けて見えるときに、そう感じるのだろうとも思いました。美しくないということ

  • 皆既月食に思う

    皆既月食を見ていて、思ったのは、ただその不思議さと美しさに心奪われた人もいれば、その仕組みを論理的に解き明かしたいと思った人もいるのだろうということです。どちらが正しいということも、どちらが価値があるということもありません。どちらも素晴らしいと思います。前者は、後世に詩を残し、後者は、後世に科学的真実を残したのだろうと思います。どちらも価値のあることです。皆既月食に思う

  • どうでもいいけど

    自分たちの祖先のことを知ろうともしない若者たちのあふれる国に明るい未来があるとは思えません。なぜなら感謝心や敬意など、人としての温かい心も、ふるさとや国という共同体を愛する心も育たないからです。過去への感謝は未来への責任感を生み出します。しかし、そんな過去を知るよりも、ゲームをしていた方が快適で楽しいことなのです。戦闘ゲームで自分が無傷で相手を殺す快楽は知っていても、痛み傷つく苦しみを伴う生身の戦いについては知りたくもない。かつては、色々な家に、軍服姿の凜々しい若者たちの遺影が飾られていました。そうした1枚の写真でも、色々な想像をかき立てられるものです。しかし、コンピュータグラフィックスの表現に、様々な人生の背景や陰影はありません。なんだか、もう、取り返しの付かないところまで、来てしまったような気もします...どうでもいいけど

  • 仏作って魂入れず

    教育は、イベントではないし、仕組みづくりでもありません。「仏作って魂入れず」という言葉は、言い古された言葉ですが、仏像の如くに、有り難そうな、様々な教育のかちたと仕組みを作ってはいるけれども、そこに本当に魂を込めようするのは、中途半端なことでやれるものではないと感じています。私は大した人間ではなく、大したこともやれてはいないので、偉そうなことは何一つ言えないのですが、それでも今、感じていることは、大局を見据えていない具体的教育実践も、大局しか見ずに眼前の子どもたちの心の動きを見ない教育も、どこか虚ろだということです。人が人を育てるというのは、魂を込めて、血の通った交流を生み出すところからしか始まらないのだと私は思います。人間が人間をデータとしてしか見られなくなった時代に、血の通った人間教育を目指せば、自ず...仏作って魂入れず

  • ブログ開設5700日

    今日でブログを開設して5700日が経ちました。15年以上が経過したと思うと感慨深いものがあります。過去は振り返っていないので、よくわからないのですが、きっと色々と可笑しな事も書いていたと思います(笑)。私の独り言のようなブログにお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。どうもFacebookやTwitterよりも、ひっそりと落ち着いて書けるブログが、私には向いているのかもしれません。でも、反応いただけたら嬉しいですね。これからもよろしくお願い致します。ブログ開設5700日

  • 聴く姿勢

    90分間×2コマを集中して聴いて下さった学生の皆さんの姿を見ていて、ふと思い出したことがあります。18年前に、バッカーズ寺子屋を始めたとき、高校の先生仲間から、今時の子どもたちは15分しか集中力は持たない。9:00~16:00までも、一体、何をやるつもりだ。お前の考えは甘い。30分のテレビ番組も15分でCMを入れているじゃないかと言われました。実際やってみて、10歳から15歳の子どもたちは、90分でも120分でも付いてきています。世の中の常識などあてにならないものです。まとまった思考力を育てるには、まとまった時間が必要です。細切れの授業で、自分の考えを確立し、志を立てるなど、出来るはずがないと思います。そして、これからの時代の若者たちに必要なのは、自分の考えを確立し、志を立てることだと私は確信しています。...聴く姿勢

ブログリーダー」を活用して、Vision&Educationさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Vision&Educationさん
ブログタイトル
Vision&Education
フォロー
Vision&Education

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用