「一つの集会として、掟はあなたがたにも、寄留している者にも同一であり、代々にわたる永遠の掟である。主の前には、あなたがたも寄留者も同じである。」(民数記15:15) 15章で、主は、イスラエルの民が約束の地に入ったあとに献げるささげ物について、語られた。 「イスラエルの子らに告げよ。わたしがあなたがたに与えて住まわせる地にあなたがたが入り、食物のささげ物を主に献げるとき、・・・そのささげ物をする者は、穀物のささげ物として、油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパを、主に献げなければならない。」(2-4) これに続いて、種々のささげ物について、その分量が細かく指定された。 そして、14節から「寄…
主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。」(民数記14:11) カナンの地の住民は強く、とても勝てそうもない。 そう聞いたイスラエルの民は、悲嘆にくれた。 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。(1) 興奮が興奮を呼び、恐怖が恐怖を呼ぶ集団心理をよく表している。 このとき民は、軽率なことを口にした。 「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。」(2) 結果的に、主は、この言葉どおりに彼らに報いられた。 主の約束…
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」(民数記13:30) 13章は、族長たちによるカナンの地の偵察の記録だ。 主はモーセに告げられた。「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」(1-2) そこで、モーセは、各部族の長12名を遣わした。 四十日の終わりに、彼らはその地の偵察から戻った。・・・彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。…
モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。(民数記12:3) モーセの兄アロンと姉ミリアムの二人が、モーセに難癖をつけた。 そのとき、ミリアムとアロンは、モーセが妻としていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女を妻としていたからである。彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのか。われわれとも話されたのではないか。」主はこれを聞かれた。(1-2) 後でミリアムが皮膚の病におかされるというさばきを与えられたことから、首謀者はミリアムのようだ。 「ねえ、アロン。あなた、兄のくせにいまの立場でいいの?弟の言いなりじゃないの」 「ああ、まあそうだが、仕方ないではない…
彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。」(民数記11:4) ここでは、イスラエルの民の不信仰のようすが描かれる。 さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。(1-2) 民は、うつむきながらブツブツ言ったのではない。 「繰り返し激しく不平を言った」とある。 なんということだろう。 あれほどの救いを体験しながら、救い出してくださった主に向…
契約の箱が出発するときには、モーセはこう言った。「主よ、立ち上がってください。あなたの敵が散らされ、あなたを憎む者が、御前から逃げ去りますように。」またそれがとどまるときには、彼は言った。「主よ、お帰りください。イスラエルの幾千幾万もの民のもとに。」(民数記10:35-36) 10章には、「ラッパ」が登場する。 「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。」(2) このラッパは、 会衆や族長を招集する 宿営が出発する 侵略者との戦いに出る 喜びの日、例祭と新月の日 などに吹かれた。 吹くのは、「祭司であ…
彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。(民数記9:23) 民数記9章15~23節は、実に印象的で、美しい箇所だ。 全文を味わってみよう。 幕屋が設営された日、雲が、あかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって朝まで火のようであった。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。 いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営した。 雲が長い間、幕屋の上にとどま…
「レビ人をイスラエルの子らの中から取って、彼らをきよめよ。」(民数記8:6) 6章では、「主の奉仕」にあたるレビ人のきよめについて語られている。 「アロンはレビ人を、イスラエルの子らからの奉献物として主の前に献げる。これは彼らが主の奉仕をするためである。」(11) きよめられるために、次のことが行われた。 罪のきよめの水をかける(7) 全身にかみそりを当てる(7) 衣服を洗い、身をきよめる(7) 若い雄牛と油を混ぜた小麦粉の穀物のささげ物を献げる(8) 若い雄牛を罪のきよめのささげ物とする(8) 「この後、レビ人は会見の天幕に入って奉仕をすることができる。あなたは彼らをきよめ、彼らを奉献物とし…
「祭壇に油注ぎが行われた日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物を献げた。」(民数記7:10) 7章は、幕屋が完成したときのようすを記している。 モーセは幕屋を設営し終えた日に、これに油注ぎをして、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具にもそうした。(1) この「幕屋を設営し終えた日」とは、出エジプトから「第二年目の第一月の第一日」ということだ。 イスラエルの族長たちは、まずレビ人たちが幕屋の移動の際に使用する台車6台と雄牛12頭を献げた。 おもに幕屋の幕関連のものを運ぶゲルション族には台車2台と雄牛4頭、板や横木や柱など重量物を運ぶメラリ族には台車4台と雄牛8頭が与えられた…
「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。」(民数記6:2-3) 主に対して「特別な誓い」をして、一定期間身を聖別する者を「ナジル人」と呼んだ。 「ナジル」とは、聖別されたもの、分離されたもの、という意味だそうだ。 この期間中、ナジル人はほぼ大祭司並みの厳格さを要求された。 酒を断ち、ぶどうの木から生じるものを食べてはならない(3-4) 頭にかみそりを当てず、髪の毛を伸ばしておかなければならない(5) 肉親であっても葬儀に出てはならない(6-7) どれくらいの期間だった…
「これはねたみのためのささげ物、咎を思い出させる、覚えの分としての穀物のささげ物だからである。」(民数記5:15) この「ねたみのためのささげ物」は、解説によると、聖書中ここだけの記述ということだ。 夫婦間のトラブル、それも妻が不貞を働いたか、もしくはその疑いがある場合の扱いだ。 「もし人の妻が道を外して夫の信頼を裏切り、ほかの男が彼女と寝て交わり、そのことが夫の目から隠れていて、彼女が身を汚したことが見つからず、証人もなく、彼女が捕らえられないままであるが、妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る…
「宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。」(民数記4:15) 4章では、幕屋が移動する際に何をどのように運ぶかについて、レビ人の氏族ごとに記されている。 ケハテ族/最も聖なるもの(あかしの箱、仕切りの垂れ幕、臨在の机や燭台など)/2,750人 ゲルション族/幕屋の幕、会見の天幕、じゅごんの皮の覆い、入り口の垂れ幕、庭の欠け幕など/2,630人 メラリ族/幕屋の板、横木、柱、台座、杭…
「見よ。わたしは、イスラエルの子らのうちで最初に胎を開いたすべての長子の代わりに、イスラエルの子らの中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものとなる。」(民数記3:12) 3章では、祭司であるレビ人が数えられ登録された。 「レビ族をその一族ごと、氏族ごとに登録せよ。あなたは生後一か月以上のすべての男子を登録しなければならない。」(15) 先の人口調査とは違い、戦に出ないレビ人の場合は、「生後一か月以上」の男子から数えられている。 レビ族は、大きく三つの氏族から構成されていた。 レビ族の名は次のとおりである。ゲルション、ケハテ、メラリ。(17) ゲルション族-リブニ族、シムイ族/7,50…
イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、それぞれその氏族ごと、一族ごとに進んで行った。(民数記2:34) 人口調査につづき、宿営のしかたについて、主は示された。 中央に天幕、天幕の最も近くにレビ人、それを囲む四方に氏族ごとに宿営場所が定められた。 東側/ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族/186,400人 南側/ルベン族、シメオン族、ガド族/151,450人 西側/エフライム族、マナセ族、ベニヤミン族/108,100人 北側/ダン族、アシェル族、ナフタリ族/157,600人 興味深いのは、それぞれの四方は、ヤコブの妻やそばめなど、各部族が出たその母…
「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。」(民数記1:2) きょうから『民数記』に入る。 モーセ五書の四つ目の山だ。 そう、こうしてじっくり読んでくると、モーセ五書という山系を縦走している気分になる。 同じ山系ではあるが、それぞれの山ごとに表情は違う。 『民数記』は、二度の人口調査の記録が出てくることから、こう呼ばれるようになった。 一度目が、1章になる。 エジプトの地を出て二年目の第二の月の一日に、主は、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げられた。(1) エジプトを出て二年目、シナイの荒野にいたときのことだ。 「あなたとアロン…
「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。」(レビ記27:2-3) レビ記も、本章で最後となる。 ここに「誓願」という言葉が出てくる。 現代の日本人であるわたしには、あまりピンとこない言葉だ。 たんなる“願掛け”とは違って、記念や感謝の現れとして、主にささげ物をするということらしい。 それが人間そのものであれば、献身ということになる。 それをお金に換算し代用したのが、上の箇所だ。 銀1シェケルが当時の月給というから、50シェケルだと4年以上の年…
「もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。」(レビ記26:3-4) 26章には、二つの道について記されている。 一つは、冒頭のみことばにあるように、祝福につながる道だ。 主の掟に従って歩むなら、地は産物を出し、満ち足りるまでパンを食べ、安らかに住む。 そこには平和があり、敵を追い散らし、子孫は増える。 主も、ともにいてくださる。 「しかし、もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらすべての命令を行わないなら・・・わたしもあなたがたに次のことを行う。」(14・1…
「土地は、買戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。あなたがたの所有するどの土地においても、土地を買い戻す権利を認めなければならない。」(レビ記25:23-24) 25章には、非常におもしろい規定が出てくる。 「ヨベルの年」といわれるものだ。 「あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。」(10) そもそも、イスラエルの民がカナンの地に入ったあとから、七年ごとに土地を休ませる規定が…
「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯を。人に傷を負わせたのと同じように、自分もそうされなければならない。」(レビ記24:20) 「目には目を、歯には歯を」。 クリスチャンでなくとも知っている言葉であろう。 この有名な言葉が、ここに出てくる。 今回読んで、わたしは驚いた。 大きな読み違いをしていたことに気づいたのだ。 何かというと、この律法は、傷つけられた者ではなく、傷つけた者に向けて言われているということだ。 この言葉は、よく「同態復讐法」とか「同害報復法」であるという説明がされる。 間違ってはいないが、そう受け取ると、ともすれば、「やられた分だけやり返す」というように、被害者の立場で捉えて…
「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」(レビ記23:2) 23章は、「主の例祭」についてのことばだ。 例祭は、全部で七つある。 ざっと見てみよう。 過越の祭り(5)/第一の月の十四日/夕暮れに過越のいけにえを献げる 種なしパンの祭り(6)/第一の月の十五日/七日間種なしパンを食べる 初穂の祭り(10)/収穫を刈り入れたあとの安息日の翌日/初穂の束・雄の子羊・穀物のささげ物・注ぎのささげ物 七週の祭り(15)/3.から五十日後/パン種を入れて焼いたパン二つ・雄の子羊・雄牛一頭・雄羊二匹・食物のささげ物・注ぎのささげ物な…
「これに触れた者は夕方まで汚れる。その人は、からだに水を浴びずに聖なるものを食べてはならない。」(レビ記22:6) 祭司は、民がささげ物として持って来たものを神に献げたあと、その残りを自分たちの食物とした。 22章は、そのような祭司の食物に関する規定である。 前章まで「性」に関する戒めが続いたが、ここでは「食」だ。 人間の本能的な「欲」に焦点が当てられているようにもみえる。 「アロンとその子らに告げよ。イスラエルの子らの聖なるものは慎重に扱え。わたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために聖別したものである。わたしは主である。彼らに言え。代々にわたり、あなたがたの子孫のだれかが…
「彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の名を汚してはならない。彼らは、主への食物のささげ物、すなわち彼らの神のパンを献げるからである。彼らは聖でなければならない。」(レビ記21:6) こうして『レビ記』を読んでくると、単に規定が記されているのではなく、徹底して「聖」が重んじられていることに気づく。 21章は、祭司及び大祭司に関する言葉だ。 1~9節は、「アロンの子である祭司たち」がその対象だ。 「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。親族のうちの死人によって自分の身を汚してはならない。ただし近親の者、すなわち、母や父、息子や娘、兄弟の場合は例外である。また近親の、結婚…
「あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている異邦の民の掟に従って歩んではならない。彼らがこれらすべてのことを行ったので、わたしは彼らを甚だしく嫌った。」(レビ記20:23) ここでは、18章以降で語られた禁止事項がくり返され、それに対する処罰が述べられる。 やはり中心的に語られるのは、姦淫の罪だ。 肉親との淫行から獣姦に至るまで、性的倒錯について記されている。 「必ず殺されなければならない」「民の間から断ち切られる」「子のいない者となる」など、ケースごとに対処は異なるが、いずれにせよ、たいへん厳しく処せられる。 「人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したな…
「あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。」(レビ記19:9) 19章は、十戒をよりわかりやすく紐解いたような箇所だ。 上のみことばは、印象的だ。 なぜ落ち穂を拾い集めてはいけないのか。 カラスにやるためではない。 「また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(10) それらは、「貧しい人と寄留者のために残して」おくためのものだ。 ルツ記には、ルツがボアズ…
「あなたがたは、これらの何によっても身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている異邦の民は、これらのすべてのことによって汚れていて、その地も汚れている。それで、わたしはその地をその咎のゆえに罰し、その地はそこに住む者を吐き出す。」(レビ記18:24-25) 18章では、はじめに次のような主のことばがある。 「あなたがたは、自分たちが住んでいたエジプトの地の風習をまねてはならない。また、わたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地の風習をまねてはならない。彼らの掟に従って歩んではならない。」(3) 特にこの章で扱われているのは、「性的な乱れ」に関する事柄だ。 エジ…
「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。」(レビ記17:11) キリスト教とかクリスチャンなどというと、多くの人はどこかきれいで清らかな、ステンドグラスが輝く教会のようなイメージを持つかもしれない。 しかし、実際は逆ではないかと思う。 なぜなら、その象徴は、十字架上で血に染まった神のひとり子なのだから。 私の師は、罪の裁きのメッセージを聞いた人からこう言われたという。 「キリスト教というのは、たいそう厳格なものですね」 これに対し師は、こう答えたそうだ。 「当たり前です。神の…
「次のことは、あなたがたにとって永遠の掟となる。第七の月の十日には、あなたがたは自らを戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中に寄留している者も、いかなる仕事もしてはならない。この日は、あなたがたをきよめようと、あなたがたのために宥めが行われるからである。あなたがたは主の前ですべての罪からきよくなる。」(レビ記16:29-30) 16章は、「贖罪の日」の規定だ。 年に一度、「第七の月の十日」に、大祭司が至聖所に入り、民のための宥めを行う。 その際は、雄やぎ二匹、雄羊一匹が用いられ、大祭司はそれらの血と、「香り高い香」を持って垂れ幕を通り、至聖所に入る。 決められた細かな手順ど…
「あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」(レビ記15:31) よく読むと、怖いみことばである。 汚れた者が幕屋に入ると「死ぬ」のだ。 もし日本で、汚れたままで鳥居をくぐったら途端に死んでしまう神社があったら、だれも近づこうとはしないだろう。 当時のイスラエルの民の緊張感、主を恐れつつ敬うこと、幕屋の神聖さ、いろいろ思わされる。 この「汚れ」は、霊的なものだけでなく、肉体的なものも含まれた。 15章では、特に、性器からの漏出について記されている。 以上が、漏出のある者、精を漏…
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