「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。あなたは、その者に心を留め、その声に聞き従いなさい。彼に逆らってはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、彼はあなたがたの背きを赦さない。しかし、もしあなたが確かにその声に聞き従い、わたしが告げることをみな行うなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となる。」(出エジプト23:20-22) ここで突然、「使い」について言及される。 「わたしの名がその者のうちにある」とあるとおり、神のみこころと一つになった存在だ。 わたしたちにとっては、まぎれもなく、イエスさまご自身と重なる。 こ…
「あなたがたは、わたしにとって聖なる者でなければならない。」(出エジプト22:31) 引き続き、多くの規定が与えられる。 上のみことばは、22章の最後にある。 「わたしにとって」というところが新鮮に響いた。 たんなる「聖なる者」というのではなく、「わたしにとって聖なる者」とはどういうことだろう。 他の訳を見てみる。 「あなたがたは、わたしの聖なる民でなければならない」(新改訳第三版) 「あなたがたは、わたしに対して聖なる民とならなければならない」(口語訳) 「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない」(新共同訳) 少しずつ異なっているが、いずれも、“主との関係”に基づいて語られて…
これらはあなたが彼らの前に置くべき定めである。(出エジプト21:1) 21章から、さまざまな状況に対する“法律”が与えられる。 19章に、モーセのもとに正しいさばきを求めて、民がひっきりなしにやって来る光景があった。 エジプトを脱出したイスラエルの民は、二百万人近い大集団だった。 現代に置き換えても、りっぱな大都市だ。 それだけ人がいれば、当然、日々、さまざまなもめ事が生じる。 そのさばきの指針として、このような法が与えられた。 一読してわかるように、「~しなければならない」「~してはならない」といった形式が並ぶ。 法とは本来、そのような強制と禁止を、その本質とするのだろう。 「人を打って死な…
「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」(出エジプト20:7) 20章で、いよいよ「十戒」が授けられる。 きょうは、上に挙げた第三戒に注目したい。 十戒では、第一戒から第四戒までが神に関する戒めとなっている。 第一戒は、 「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」(3) 第二戒は、 「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」(4-5) 第四戒は、 「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」(8) となっている。 ふと思ったのだが、いま挙げ…
シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。(出エジプト19:18) シナイの荒野で、イスラエルは山の前に宿営した。 モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのもので…
すると、モーセのしゅうとは言った。「あなたがしていることは良くありません。あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。」(出エジプト18:17-18) 宿営地を、モーセのしゅうとで祭司のイテロが訪ねて来た。 モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトになさったすべてのこと、道中で自分たちに降りかかったすべての困難、そして主が彼らを救い出された次第を語った。(8) モーセはしゅうとに“証し”をした。 自分ではなく、主がなさったことを語った。 イテロはイスラエルの神こそ偉大な…
民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。モーセは彼らに「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と言った。(出エジプト17:2) 旅を続けるイスラエルの民。 レフィディムという所には飲み水がなかった。 そこで上のように、民はモーセに迫った。 民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに不平を言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」(3) モーセは、彼らの態度は「主を試みる」ものだと言っている。 主は約束を与えられた。 しかし、自分たちの思いとは違い、むしろ状況は悪化した。 それに対して不平を言うのは、「主…
イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は密を入れた薄焼きパンのようであった。(出エジプト16:31) エジプトを出て、ちょうどひと月経った頃、イスラエルの民はだんだん不平不満を言い始めた。 そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言った。イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」(2-3) れんが作りの苦役のこと…
「主は私の力、また、ほめ歌。主は私の救いとなられた。この方こそ、私の神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」(出エジプト15:2) 主の救い、主の勝利を体験したイスラエルの民は、賛美の歌を歌った。 そのとき、モーセとイスラエルの子らは、主に向かってこの歌を歌った。彼らはこう言った。「主に向かって私は歌おう。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」(1) 人間にできる最高のわざは、まことの神に向かって賛美の歌を歌うことではないだろうか。 ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。まことに神は全地の王。ことばの限りほめ…
モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」(出エジプト14:13-14) イスラエルの民が去ったと聞いて、ファラオはまたも心を頑なにし、軍勢を率いてあとを追った。 エジプト人は彼らを追った。ファラオの戦車の馬も、騎兵も軍勢もことごとく、バアル・ツェフォンの前にあるピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。(9) 目の前は海、うしろからはエジプトの大軍。 イスラエルの民は、絶体絶命の状況…
モーセは民に言った。「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。」(出エジプト13:3) エジプトから出て来たこの日を覚えておくように、そして子どもたちにも伝えていくようにと、主は語られた。 それほど大事な日だ。 彼らが出て来たのは、どこからか。 「奴隷の家」からだ。 苦役にうめき、何の自由もなく、ただ酷使されるだけの生活だった。 できることなら、一刻も早く逃げ出したい。 もっと穏やかで、平和な暮らしがしたい。 長い間、彼らはそう切望していた。 そしてとうとう、その日がやって来たのだ。 わたしたちは、どうか。 「奴隷の…
「主はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と日本の門柱にある血を見たら、主はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。」(出エジプト12:23) いよいよ、もっとも恐ろしいさばきが始まる。 その前に、主はイスラエルの民に対し、つぎのようにせよと告げられた。 家ごとに傷のない一歳の雄の羊を用意する(3・5) 二週間見守ったあと、夕暮れにそれを屠る(6) その血を家の門柱と鴨居に塗る(7) 肉と種なしパンと苦菜を食べる(8) 帯を締め、履き物をはき、杖を持って、急いで食べる(11) 冒頭にあるように、この塗られた血を見て、主はその家をさばきに遭わせ…
モーセは言った。「主はこう言われます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。エジプトの長子は、王座に着いているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。そして、エジプト全土にわたって大きな叫びが起こる。このようなことは、かつてなく、また二度とない。』」(出エジプト11:4-6) とうとう最後の災害が始まろうとしていた。 11章は、全部で10節と、非常に短い。 黙示録でも最後のさばきの前に不気味な静けさが描かれているが、この章もそんな感じだ。 3節には、興味深いことが書いてある。 主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその…
ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで言った。「私は、おまえたちの神、主とおまえたちに対して過ちを犯した。どうか今、もう一度だけ私の罪を見逃してくれ。おまえたちの神、主に、こんな死だけは取り去ってくれるよう祈ってくれ。」(出エジプト10:16-17) どこまでも頑迷なファラオ。 続いての災害は、いなごの大群だ。 モーセがこのさばきを警告したとき、ファラオの家臣たちは王に訴えた。 家臣たちはファラオに言った。「この男は、いつまで私たちを陥れるのでしょうか。この者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだお分かりにならないのですか。」(7) 家臣たちの必死なすすめに…
そこで主はモーセに言われた。「あなたの手を天に向けて伸ばせ。そうすれば、エジプト全土にわたって、人にも家畜にも、またエジプトの地のすべての野の草の上にも、雹が降る。」(出エジプト9:22) 心を頑なにするファラオ、さらなる災害がエジプトを襲う。 ブヨとアブの災害につづいたのは、家畜の疫病だ イスラエルの家畜は一頭も死なず、エジプトの家畜だけが死んだ。(6) つぎは、ほこりによる腫れもので、ここでとうとう人間に直接害が及ぶ。 主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはファラオの前で、それを天に向けてまき散らせ。それはエジプト全土にわたって、ほこりとな…
呪法師たちも、ブヨを出そうと彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。ブヨは人や家畜に付いた。呪法師たちはファラオに「これは神の指です」と言った。しかし、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。(出エジプト8:18-19) 心を頑なにするファラオに対し、神は次々と災難をおくる。 ナイル川が血となったのに続いて、エジプト中が蛙で満ちた。(6) これはファラオの呪法師たちもできた。(7) モーセの祈りによっておさまったあとは、ブヨの災難だ。(17) 神のさばきは、少しずつ厳しさを増していく。 今度は、呪法師たちもできなかった。 彼らはようやく…
彼らがそれぞれ自分の杖を投げると、それは蛇になった。しかし、アロンの杖は彼らの杖を呑み込んだ。それでもファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。(出エジプト7:12-13) モーセとアロンは、神から告げられて、再びファラオの前に立った。 彼らがファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。(7) 二人とも高齢だった。 しかし、神がともにおられるという確信に満ちた彼らは、力強く見えたことだろう。 アロンが杖を投げると、それは蛇になった。 しかし、ファラオが呼んだ呪術者も同じことをした。 そして、アロンの杖が彼らの杖を呑み込んだ。 フ…
神はモーセに語り、彼に仰せられた。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という名では、彼らにわたしを知らせなかった。」(出エジプト6:2-3) 倍加したイスラエルの民の苦しみを訴えるモーセに対し、神はこのように語られた。 ここで、「わたしは主である」と言われている。 アブラハム、イサク、ヤコブには「全能の神」として現れたが、いま、「主」という名をあなたに示す、と。 「名は体を表す」というが、聖書においては特にそれが言える。 名がそのものの本質を示しているのだ。 わざわざ「主」としてご自身をお示しになったのは、なぜだろうか。 つづく節に、その答えがあ…
それでモーセは主のもとに戻り、そして言った。「主よ、なぜあなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。」(出エジプト5:22) イスラエルの民は、モーセとアロンが神からの言葉を語り、目の前でしるしを行ったのを見て、彼らを信じた。(4:30-31) そして二人は、ファラオのもとに向かった。 その後、モーセとアロンはファラオのところに生き、そして言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられます。『わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ。』」(1) これに対するファラオの答えは、主があらかじめ告げられたとおりだった。 ファラオは答…
そこでモーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せて、エジプトの地へ帰って行った。モーセは神の杖を手に取った。(出エジプト4:20) 神からの召命に、戸惑いを隠しきれないモーセ。 なんとか逃れることはできないかと、言い訳をする。 モーセは答えた。「ですが、彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょう。むしろ、『主はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」(1) この言い分はもっともだ。 神から告げられたのだと、いくら言ったところで、そうかんたんには信じてもらえない。 そこで、神は二つのしるしを見せた。 一つは、杖を地に投げると蛇になり、再び手に取ると元に戻るというもの。(2-4) …
「今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有り様を見た。今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」(出エジプト3:9-10) モーセ80歳、羊の群れを連れてホレブ山にやって来たときのことだ。 燃え尽きない不思議な炎を見た。 近寄ろうとすると、「モーセ、モーセ」と声がした。 神は仰せられた。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」(5) 「聖なる地」とは何であろうか。 教会の建物ではない。 由緒ある場所でもない。 神が臨在される地…
王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。(出エジプト2:10) 2章から、いよいよモーセが登場する。 この章では、誕生から神に召し出される前までの80年間が、一気に語られる。 エジプトの王女に拾われて、実母を乳母として育てられるいきさつは、何度読んでもおもしろい。 特に、姉ミリヤムの幼いながらの機転に感心する。 その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に父を飲ませるために。」(7) ナイル川のしげみから引き出された子は、「引き出す」という意味のモーセとい…
しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。(出エジプト1:17) きょうから『出エジプト記』に入る。 これもまた、映画になるほどの壮大な史実だ。 舞台は、創世記のヨセフの時代から約三百年後のエジプト。 イスラエルの民は、その地で栄えた。 イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。(7) これは神の祝福によることであったが、新しい王は見過ごさなかった。 やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ…
「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20) いよいよ、創世記も今回で終わりとなる。 何度も読んできた創世記だが、このたびほど大きな感動と励ましを受けたことはなかった。 やはり、このようにブログでアウトプットすることが良いのだろう。 それなりに調べもするし、もちろん祈りもする。 読みながら、まるで主が、その場に連れて行ってくれているかのような感覚だった。 特に、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰には、ほんとうに学ばされる。 彼らが主を見上げたその眼差しをもって、…
ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は、終わりの日におまえたちに起こることを告げよう。」(創世記49:1) ヨセフの息子たちを祝福したあと、ヤコブは自分の息子たちを呼び寄せ、「おまえたちに起こること」として、一人ひとりに言葉を述べた。 これらは祝福であったり、預言であったりしている。 それぞれのキーワードやポイントは、以下のとおりだ。 ルベン/ほかの者にまさることはない。姦淫の罪を犯した。 シメオンとレビ/怒りに任せて人を殺した。イスラエルの中に散らす。 ユダ/兄弟たちがたたえる。王権、王笏が離れない。 ゼブルン/海辺に住む。 イッサカル/苦役を強いられる奴隷となる。 ダン/…
しかし、父は拒んで言った。「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」(創世記48:19) ヤコブは病を患い、死の床にあった。 ヨセフは、二人の息子、マナセとエフライムを伴って、父のもとに駆けつけた。 ヤコブに「息子さんのヨセフが、今お見えになりました」との知らせがあった。それで、イスラエルは力を振り絞って床の上に座った。(2) 生涯の集大成となる大事な務めのため、ヤコブは「力を振り絞って」居ずまいを正した。 そして、ヨセフに宣言する。 「私がエジプトのおまえの…
ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」(創世記47:9) ヨセフは、父をファラオのもとに連れて来た。 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。(7) この「祝福した」は、以前の第三版の訳では「あいさつした」となっていた。 口語訳も「祝福した」、新共同訳では「祝福の言葉を述べた」とされているから、こちらのほうがより忠実な訳なのだろう。 助けを求めてやって来た一族の長が、一国の王を祝福している。 年齢差もあっただろ…
すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(創世記46:3) ヨセフがエジプトで生きていると聞いて、ヤコブは奮い立ち、エジプトに向けて出発した。 一族70人を引き連れての大移動だ。 途中のベエル・シェバで神に礼拝を献げたとき、神からのことばがあった。 「エジプトに下ることを恐れるな」(3) ヨセフとエジプトのファラオ王が万端の準備で待っていると知っていても、ヤコブの心には不安があった。 年老いた自らの体力、幼い孫たち、この大人数で異国の地で暮らせるのかという心配。 そこに、神が「恐れるな」と語られた。 …
ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。(創世記45:3) いよいよ、ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かす。 この場面は、創世記の中で、いや旧約聖書全体の中で、もっとも感動的だ。 わたしは、1節がとても好きだ。 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆を私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。(1) わたしは小説技法などまったく知らないが、この書き方は実に心憎いと思う。 3節の決…
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。」(創世記44:33) ヨセフは兄弟たちを、もう一度試そうとする。 彼は、心の中ではすでに、兄弟たちを赦し受け入れていた。 しかし、彼らの心根が昔とほんとうに変わったのかどうかを確かめようとした。 持たせた食糧の袋に、彼らが持参した銀をまたも戻させ、自らの杯をベニヤミンの袋に入れさせた。 追っ手につかまり、袋を確認すると、それが出てきた。 彼らは自分の衣を引き裂いた。そして、それぞれろばに荷を負わせ、町に引き返した。(13) 彼らはベニヤミンを問い詰めてはいない。 それど…
ヨセフは、ベニヤミンが彼らと一緒にいるのを見るや、彼の家を管理する者に言った。「この人たちを家に連れて行き、家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と昼食をともにするから。」(創世記43:16) 激しい飢饉が続き、エジプトから運んで来た食糧も尽きた。 ヤコブは息子たちに、再びエジプトに出向いて調達してくるように言う。 しかし、問題が二つあった。 一つは、連れて来るようにと命じられているベニヤミンをどうするか。 もう一つは、知らぬ間に持ち帰ってしまった銀の包みをどう弁明するかだ。 ヤコブは「ベニヤミンは行かせない」と言い張るが、ユダが必死に説得する。 とうとう父も折れて、主に委ねて決断する。 「…
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