「中国語」学習日記。現在、中国東北のとある都市に留学中。覚えた言葉や面白い表現を淡々とメモしていきます。
落汤鸡 [luò tāng jī]ずぶ濡れ。びしょ濡れ。濡れ鼠。スープに落ちた鶏のようということで、雨に降られたり水に落ちたりしてずぶ濡れになった様子。また、比喩的に意気沮喪している様子を指すこともあるという。日本語では「濡れ鼠」と言うが、中国語では鶏なのが面白い。 「淋」「浇」などの動詞と組み合わされることが多い。「淋了个落汤鸡」で「ずぶ濡れになる」。用例 他被雨淋得像个落汤鸡。 彼は雨に降られてびしょ濡れになった。连续两天忘记带伞,浇成落汤鸡。 二日連続で傘を忘れ、濡れ鼠になった。雨下得太大了,我成了落汤鸡。 雨が強すぎて、私はずぶ濡れになった。他们刚出车站,就下了场倾盆大雨,一个个淋得像…
冠冕堂皇 [guān miǎn táng huáng]もっともらしい。立派な。もったいぶった。体裁のいい。「冠冕」は古代の皇帝などが身につけた帽子。「堂皇」は堂々と立派な様子。 使われ方としては、日本語の「もったいぶった」や「ご立派な」と同様、主に皮肉や批判的な意味で使われている。用例 他那些冠冕堂皇的话听起来似乎很有理。 彼の堂々ともっともらしい話は理がありそうに聞こえた。不是又是一句自私自利冠冕堂皇的感谢就了事儿吧? また自分の利益のための取りつくろった感謝で終わりにするんじゃないの?在这个世界上,有些词汇听起来很冠冕堂皇,不过一般情况下,这些词都用于掩盖更加残酷,肮脏的事情。 こ…
明目张胆 [míng mù zhāng dǎn]大胆に。堂々と。忌憚なく。目を見張り肝を据えて何かを行うこと。良い意味でも悪い意味でも使われるようだ。用例 那家人在客厅里看电视,歹徒竟敢明目张胆地持枪走进来。 その家の人が客間でテレビを見ていると、なんと悪党が堂々と銃を持って入ってきた。考试时,他竟然明目张胆作弊,一点羞耻心都没有。 試験の時、彼は堂々とカンニングをし、全く周知も感じていなかった。您走后,再也没有人明目张胆偏爱我了,奶奶,我真的好想您啊。 あなたが亡くなってから、もう堂々と私を偏愛してくれる人はいなくなってしまいました。おばあちゃん、本当にあなたが恋しい。 ↑ こういう「愛する…
物以稀为贵 [wù yǐ xī wéi guì]物は稀であるから貴い。珍しいから貴重だ。希少価値がある。出典 唐の白居易の詩『小歲日喜談氏外孫女滿月』にある「物以稀為貴、情因老更慈」(物は珍しいがために貴く、慈愛の情は老いによってさらに深い)より。 この詩は白居易に孫娘が生まれ、生後一か月(満月)の祝いを迎えたことを喜ぶもの。自分が年をとってやっと女の子が生まれ、孫もなかなか見られなかったので貴重に感じるという意味で「物以稀為貴」と言われている。参照 https://m.gushiwen.org/shiwenv_071216901064.aspxまた、物は希少だから貴重だという発想自体はもちろ…
充其量 [chōng qí liàng]せいぜい。たかだか。最大に見積もっても、せいぜいのところ、といった意味。日本語の「せいぜい」と同じく、「不过〜」(〜に過ぎない)などと組み合わされることが多い。 「最多」「至多」「顶多」などの語も同じ意味で使えるが、「充其量」は知らないとちょっと戸惑う表現(私は戸惑った)。用例 今天下午我们充其量只能完成一半。 今日の午後ではせいぜい半分しか完成できない。在一些国家,英语充其量不过是第三或第四种语言。 国によっては、英語はせいぜい第三、第四の言語に過ぎない。如果婚姻是爱情的坟墓,那模范夫妻充其量,不过是"示范公墓"罢了。 もし結婚が愛情の墓場なら、模範的…
yyds(歪歪滴艾斯)永遠の神。同学たちのチャットを見ていたら出てきたのでメモ。ネット発の新語の一つで、「永远的神」(yǒng yuǎn de shén)の頭文字を取った略語とのこと。アルファベットを読み上げると「歪歪滴艾斯 wāi wāi dī ài sī」のような音になるのでそう書かれることもある。アイドルファンのコミュニティが使い始めたそうだが、用例を見ると物でも何でもお気に入りに対して広く使われている様子。 こういう流行語はどんどん生まれては消えていくものでこれも定着するのかは謎だけれど、とりあえず今は流行っているようです。用例 周杰伦yyds 周傑倫は永遠の神短裤莉莉歪歪滴艾斯! 半…
甩 [shuǎi]振る。投げる。放る。捨てる。「振る」「放る」などの動作が基本的な意味。腕などを勢いをつけて振る、振り回すというイメージ。面白いのは、恋愛関係を一方的に拒絶する時に日本語で「振る」というのと同じ用法がこの語にあること。検索してみると、この意味で使われている「甩」はとても多い。日本語ではまず見ない漢字だけれど、「用」に尻尾の生えたようなこの字形は見ていて面白い。この尻尾の部分が振り回されているのだと思って覚えればいいと思う。「shuǎi」という音もそう思って聞くと擬音語っぽく聞こえる。 用例 夏天,老水牛爱在水里洗澡。它在水里常常甩动它那粗长的尾巴,摇动着那两只肥大的耳朵驱逐蚊、…
拾人牙慧 [shí rén yá huì]他人の受け売り、口真似、剽窃。出典 『世説新語』文学篇の「殷中軍云、康伯未得我牙後慧」(殷中軍が言った。康伯はまだ私の口先にある知恵も身につけていない)より。『世説新語』は南朝宋の劉義慶が人物の言行、逸話などをまとめたもの。 殷中軍の「中軍」は官職名で、殷浩(303-356年)のこと。殷浩は東晋の名士で学問にすぐれ、当時流行していた「清談」と呼ばれる哲学的議論にも長けていた。その甥に韓康伯がいてこれも若くして聡明だったが、殷浩がある時その話しているのを聞くと、自分の話の口真似ばかりだった。それで上のように言い、甥の慢心を戒めたという。 (「牙後慧」には…
人云亦云 [rén yún yì yún]人の言ったことを口真似する。他人の言葉を繰り返すだけで自分の意見がないこと。類義語 鹦鹉学舌 https://anatadehanai.hatenablog.com/entry/2021/05/09/235638 拾人牙慧用例 那本书的作者似乎没有自己的观点,书里都是人云亦云的东西。 あの本の作者は自分の観点がないようだ。本に書いてあるのは他人の言葉の引き写しばかりだ。无论什么时候,有独立思考的能力,才是最重要的。千万不要变成人云亦云的乌合之众。 どんな時でも、独立した思考能力が最も大切だ。決して他人の意見に付和雷同する烏合の衆になってはいけない。如果…
鹦鹉学舌 [yīng wǔ xué shé]オウムが人の言葉を真似るように、他人の言葉をそのまま真似ること。口真似をする。他人の意見に付和雷同する。出典 宋の釈道原『景徳伝燈録』巻二十八の下記の記述より。如鸚鵡只學人言、不得人意。經傳佛意、不得佛意而但誦、是學語人、所以不許。 オウムが人の言葉は真似るが、人の意思を知ることはできないようなものだ。経典は仏の意思を伝えているが、仏の意思を知らずにただ唱えているのでは、言葉を真似る人である。だから許さないのだ。類義語 人云亦云 拾人牙慧 拾人涕唾用例 他这人毫无主见,常常是人云亦云,如鹦鹉学舌。 彼はまるで自分の意見がなく、人が言うことをオウムのよ…
图穷匕见 [tú qióng bǐ xiàn]隠されていた意図や計略や真相が最後に現れてくること。正体が現れる。「匕」は匕首(あいくち)、短刀。「见」は「xiàn」と読み、「现」と同じ意味で「現れる」。出典 『戦国策』燕策三の「軻既取圖奉之、發圖、圖窮而匕首見」(荊軻は地図を取って捧げ持ち、開いていくと、地図が尽きたところで匕首が現れた)より。この『戦国策』の他、『史記』刺客列伝にも同様の記述がある。戦国時代、刺客の荊軻が燕の太子丹に派遣されて秦に赴き、秦王を暗殺しようとした有名な場面。ここでの「圖」とは燕の領土督亢(とくごう)の地図で、地図を献上するとは領土を割譲することを意味する。この領土…
纷至沓来 [fēn zhì tà lái]次々とやってくる。続々と押し寄せてくる。「纷」はたくさんのものが入り乱れていること。「沓」は「复沓」「重沓」などの熟語があり、重なる、混み合う、といった意味。「纷至沓来」はあえて訓読するなら「紛(まぎ)れ至り沓(かさ)なり来る」になるだろうか。「紛」と「沓」、「至」と「来」は類義で、ほぼ同じ意味の表現を二つ並べたタイプの成語。類義語 接踵而至 络绎不绝 https://anatadehanai.hatenablog.com/entry/2021/05/03/002844 车水马龙 https://anatadehanai.hatenablog.com/…
尔虞我诈 [ěr yú wǒ zhà]互いに騙しあう。「尔(爾)」は訓読すれば「なんじ」で、あなた、おまえ。「虞」「诈」はどちらも騙す、欺くという意味。直訳すれば、「あなたが騙しわたしが欺く」、互いに相手を騙し陥れようとすること。出典 『春秋左氏伝』宣公十五年の「宋及楚平、華元為質、盟曰、我無爾詐、爾無我虞」(宋と楚は講和し、華元を人質として、盟約して言った。「わたしはあなたを騙さず、あなたはわたしを欺かない」)より。春秋時代、宋と楚の戦争が続いた後、宋の大夫華元の仲介によって講和することになった時の盟約の言葉が出典。ただしここでは「互いに欺かない」という誓いの言葉だったが、成語では否定が脱落…
八竿子打不着 [bā gān zi dǎ bù zháo]全く関係がない。縁もゆかりもない。赤の他人だ。これも非常によく使われている民間の言い回し。「八竿子」は「八杆子」とも書く。 ただしこの「八竿子」の「八」については、竿で八回(厳密に八回ではなく、たくさん、何度もということ)叩くという説、竿を八本継ぎ足すという説、もとはbaという音の動詞だったのが「八」になったという説などいろいろあるようだ。 とにかく重要なのは、竿を何度伸ばしても、あるいは竿を八本継いで伸ばしても叩けないほど遠い、関係が薄いということ。人間どうしの血縁関係などについて使われることが多いが、抽象的な物事について、単に「全く…
络绎不绝 [luò yì bù jué]人や車馬などが連綿と絶えないこと。「络绎」は連綿と続く様子。日本語でも「絡繹(らくえき)」という音読みで熟語として使われる。出典 『後漢書』南匈奴伝の「逢侯部眾飢窮、又為鮮卑所擊、無所歸、竄逃入塞者駱驛不絕」(逢侯の部下の衆は飢えて困窮し、また鮮卑に攻撃されて帰る所を失い、城塞の中に逃げ込んで来る者が連綿と後を絶たなかった)より。逢侯(ほうこう)は後漢時代の南匈奴の単于(ぜんう)の一人。ここでは「駱驛」の文字が使われているが、もともとオノマトペ的な語で文字表記は揺れていたのだろう。現在では糸偏が正式な表記のようだ。用例 今天是假日,到博物馆参观的人络绎不…
车水马龙 [chē shuǐ mǎ lóng]車や人の行き来が盛んで非常に賑わっている様子。車が流れる水のよう、馬が泳ぐ龍のよう、ということで、絶え間なく車や人が流れている様子を指す。出典 『後漢書』馬后紀の次の記述より。前過濯龍門上,見外家問起居者,車如流水,馬如遊龍。 先日、濯龍門の前を通り、実家に挨拶に来る者が多く、車は水のよう、馬は龍のように流れているのを見ました。馬后は後漢の光武帝の皇后。「賢夫人」として評価が高く、質素倹約に努め、自分の実家(外戚)の朝廷に対する影響力を牽制したことで知られる。この部分も、馬皇が実家の濯龍門の前を通った時、実家に挨拶に来る者が多く繁栄しているのを見て…
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