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2020/05/19

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  • 「大東亜戦争開戦の日、三島由紀夫はかく語りき」村田春樹氏が講演

    日本国民党(鈴木信行代表)は7日、東京都中央区で「日本国民の集い」を開催し、約100名が詰めかけた。記念講演には今さら聞けない皇室研究会顧問の村田春樹氏が「大東亜戦争開戦の日、三島由紀夫はかく語りき」と題し、三島由紀夫氏・森田必勝氏・蓮田善明氏の3名について語った。「日本国民の集い」は日本国民党の党員総会を兼ねた集会。第一部で党員総会、第二部で記念講演や表彰などを実施している。

  • 「日本人の子供たちの笑顔、帰ってきて何より」勧進橋児童公園奪還15周年 川東大了氏特別インタビュー

    「早いな」 率直な感想を尋ねると、ただ一言を返した。「成功かどうかは歴史が答えを出すと思う」と短く話す。 行動の経緯については「当時京都支部長だった西村齋さんの方が詳しい」と前置きをしつつ「近隣住民からの苦情がメールの管理をしていた西村さんのところに届いた。近所に公園があると引っ越したら朝鮮学校がグラウンドとして使用しており、日本人の子供が邪魔扱いされている……というものだった」と語る。奪還行動における役割はスピーカーの撤去作業であったという。紙に公園の当時の状況を書き出す。グランドには朝礼台やサッカーゴールもあった。「警察が来たら間違いなく撤去をさせてくれない。真っ先に撤去するのが役割だった」当時の勧進橋児童公園は阪神高速が公園の上を通過するようになり、グラウンドのような平地として使用できる面積が大幅に減少していた。「朝鮮学校側は国会議員を通じて京都市と交渉し、別の公園をグラウンドとして使用することや、補償金の交渉をしていたと聞く。抗議行動で一連の補償問題はすべて消し飛んだ」当時京都市が進めていた補償問題について説明したのち、笑みをこぼしながら言葉を続ける。「税金を使わずに日本人の子

  • 「もう一度同じことが起きたら朝鮮学校に直接話に行く」勧進橋児童公園奪還15周年 荒巻靖彦氏特別インタビュー

    「7~8年前、当時学校があったところにあるホテルの一階に集まったとき、子供たちが公園で遊んでいて間違っていることはしていないと実感した」「事件後に3回公園に行ったが、三回目は子供であふれていたのがとても印象に残っている」懐かしむように回想し、そうしみじみと語った。事件の発端について、当時の状況を詳細に振り返った。「近くのマンションに引っ越してきたおばあさんが、孫を公園に遊びに連れて行ったら公園がグラウンドとして使用されていた。きっとマンションの広告によくある『公園まで〇分~』を信じて買ったものだと思う。行政に言ってもダメだったので、京都支部長であった西村齋さんのところにメールが届いた」メールを受けて西村氏と下見に行くも、鴨川の向かいにある勧進橋東公園に間違って足を運んだ。「草がボーボーでこれはガセネタをつかまされたと……。近くの高校生に聞くと実は別の公園だった。日章旗や旭日旗を貼った車で正しい勧進橋公園に行くと、学校の職員らしき男が写真を取りに来た」「学校の校門から公園に向かって、勝手に横断歩道のマークが書かれていた。サッカーゴールの後ろでは工事をしていて溶接機など危ない機材を扱ってい

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