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浦和のたぬき
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2020/05/18

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  • 川口元越氷川神社

    元郷氷川神社の主祭神は、素盞嗚尊ならびに市杵島姫命の二柱この二柱は父と娘の間柄であることから、子宝の神として信仰を集めている「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」から「しあわせの宮」と称されるらしい当山の狛犬は安産に霊験があると伝わる事で「安産狛犬」言われ頭やお腹を撫でる妊婦や家族の姿が目立つと聞くが梅雨真っ盛りのこの日にはさすがに見かけない流れ尾がきれいにカーブを描く端正な狛犬で天保13年建立石工の名はない狛犬は元来魔除けの意味合いを持つ新型コロナウイルスがそのいきおいを一向に納める気配のない中安産だけでなく疫病退散にも力を貸してもらいたいものだ川口元越氷川神社

  • 銀木犀

    秋に芳香のあるオレンジ色の花を咲かせる金木犀が強い芳香からも有名だが基本種はこちらキンモクセイはギンモクセイの変種でその世界で「木犀」というと銀木犀を指すようだ基本的には開花時期は9月ごろらしいのだが訪れた神社で狛犬撮影をしているとこちらも撮りなさいと案内されたのがこれ最前からの花の香り花にはさして^たる興味なく嗅覚も鈍い私だがさっきからのかすかな香りはこれだったのかと改めて気がつくこの時期に?とも思ったが年に数回咲くこともあるらしいからその時期だったらしい調べてみると花言葉は「あなたの気を引く」「初恋」時節柄浮かれている場合ではないが年甲斐もなくなにか浮かれた気分にうっとうしい梅雨時一時の気分転換川口元越氷川神社で昨日銀木犀

  • 錫杖寺の地蔵菩薩

    ここへ来たのは何年ぶりだろう少なくともここ10年以上前の事だ真言宗の寺院御本尊は、普門の総徳は大日如来当山の御本尊は大日如来の別徳を顕わす地蔵菩薩川口錫杖寺(しゃくじょうじ)その教えは「即身成仏」誰もが仏性をもってい、この身このままが仏というもの今、言われている三蜜もこの世界では違った意味になるらしい仏教界では・自らの身・自らの口・自らの意を三密と、言うらしいその教えを理解するのは私の古い頭ではいきなりでは困難、難しいようだ暑さの折だこの辺でやめようご本尊が地蔵菩薩である事を認識すればそれでいい・・・で、地蔵堂に詣でる無沙汰を詫びていねいにお参りをする祀られたお堂にもお参りを忘れずに懸念された雨も霧雨程度傘もささずなぜかゆったりとした気分でかえる最後に本堂を振り返る普段、目を留めない花にも。。。。錫杖寺の地蔵菩薩

  • 江戸藩邸物語を読む

    『葉隠れ』にみる「武士道とは死ぬことと見つけたり」との美意識が薄れた江戸時代戦いのない社会での武士の生き方の変化を探っているこの時代の武士は、「武士道とは長生きすることと見つけたり」と大きく変化健康第一となった武士は、例として養生に小石をひたすら拾うことが健康法と推奨され身を屈める事が健康に役立つとされたり70歳未満での隠居願いは認められなかったとの事そんな藩邸の「勤勉に仕える」作法の中で武士の意地が「勇ましく戦う」ことで巻頭に掲げられた『十四歳の自刃』の一例に見るような男の美学が厳然として生きてもいたようでもある不確実な時代と言われる現代の社会、とりわけ世のサラリーマン世界との比較でも結構読ませる私自身はその世代から足を洗って数年もたつのだが江戸藩邸物語を読む

  • 街角の子育て地蔵

    釈迦如来が入滅して、未来仏とされる弥勒菩薩が悟りを開き、如来となり人々を救済するまでの56億7千万年とてつもなく長い長い年月『無仏の時代』この間に輪廻を繰り返し苦しむ人々を救ってくれるのが地蔵菩薩と言われる地蔵菩薩のはたらきのうち新生児を守り、子どもを守り育てたいとの願いから生みだされたのが『子育て地蔵』街角の子育て地蔵に思わず合掌する前掛けの『赤』は人の煩悩を表しているとの説がある人はみずからの煩悩を赤い前掛けにたとえ、地蔵に託すことにより雑念からの救済を図るというもの。赤い前掛けにはよく知られる別の意味ももう一方の意味は勿論『赤ちゃん』の赤無事育ちますようとの思いを託すもの街なかで小さなお子さんを見るとみとれ、丈夫に育ってくれと心中祈る私なのだ街角の子育て地蔵

  • 二宮神社の狛犬

    この狛犬がなぜか気にいってコロナ禍の最中だというのに二度めの訪問特に何処がということはない明治15年建立これと言って特徴はない石工の名さえ彫られていないそんな際立った特徴のなさが凡庸な私自身と相通じるからだろうか彼らの前で水分補給と持参の握り飯を頬張るこんなひと時にはコロナの憂さもつい、忘れさせてくれるのだ川口市西立野の二宮神社その創建年代は不詳だが、古くより氷川社と称し、江戸時代には立野村の鎮守社だったという明治42年に長蔵新田村の鎮守社稲荷社を合祀、二宮神社と改称したという氷川様と稲荷の二宮からそう呼んだらしいが現在はもう一つの宮が御岳神社が末社にあるだからと言って三の宮に再改称はしないらしいこんな勝手でのどかな考えにふけることができる静けさのある神社である狛犬に再会を約して早めの帰宅とする二宮神社の狛犬

  • 羽盡神社の 立達磨

    羽曾呂社或は羽盡(はぞろ)と書し波曾呂比と訓すと、由緒書きにはあるらしい創建は古く社宝の建武2年銘の秋草双雀鏡に地名や羽盡が記載されている事から鎌倉時代より以前に創建していたと伝わるが、それはそれとしてもちろんそれも大事ではあるが境内に安置された達磨さんが気になる由緒には何の記載もないまるで禅宗のお寺の如く達磨さんがまして立像だ達磨大師は中国、少林寺でまる九年座禅をくんだ偉大な僧ではないかよく見るのは座禅姿で立像はあまり見かけない「関東」の意味も不明だここと達磨大師との縁は不明のままであるがこれ以外にも見どころの多い神社ではあったが今少し由来を説明してもらいたいものとの思いを残し退出羽盡神社の立達磨

  • 川口 氷室神社

    遠い昔仁徳天皇の頃さる皇子が狩りをして氷室を見つけ、氷を天皇に献じた事から春分が過ぎに氷を分けることが行われるようになり氷室を神として祀った奈良の氷室神社の起源はそんな処のようだがなぜ遠く東国の地に氷室の神が祀られたのかはそれなりに経路があるらしいがよくわからないらしいそれはそれで良いとして参拝しようかと訪れるも・・。徳川将軍家へ献上の氷をためていたのかも知れないな…とも考えつつ歩くまず、ここでつまずいた喧?寒適季ってなんだ日本語か??これも解らないままパス。左に曲がると長い石段が延々と昇り詰めると本殿がよく見る風景いつものように参拝し、由緒書を読む創建は遠く建武の頃700年も前撮影に失敗したので他所から拝借境内末社「十度目神社」近くの文蔵村から洪水により流れ着いたと伝えらるまたまたわからないのに出会った「じゅ...川口氷室神社

  • 川口戸塚 三仏寺

    三仏寺で思い浮かぶのは鳥取の三徳山三仏寺断崖絶壁にどうやって建立したかまるで見当がつかない「投入堂」おそるおそる友人と三人で参拝した高所恐怖所の私は高度に心が震えたのが未だに恐怖の思いとともに浮かぶ今日,訪ねた三仏寺は見渡せどそんな絶壁はない境内で目立ったのがこれ!興味をひかれたこの石像三神立像で中央が天神、右が稲荷、左に弁財天が並ぶ右面に文政十一年の紀年銘、左面に「當寺十七世現譽建立」と中興の上人の名がある三仏ならぬ三神を配したのはそれなりに意図があると思うのだが不明もっと見たかったが墓所に用事のない者の立ち入りは不可のような(文面忘れた)ことが書いてあったので早々に引き上げる既にこの世にいない友をせめてこの地で一人、偲ぶつもりだったが難しいようだ慌ただしくあの世に行ってしまった友を懐かしがるのはもう少し後に...川口戸塚三仏寺

  • 浦和 円蔵寺

    圓蔵寺は、今から500年以上前に開かれた日蓮宗寺院山号「長久山」元々は千葉県現・勝浦市に、その後、明治30年現在の浦和の地へと移りその法燈が今に受け継がれているとの古刹だ今日雨中に訪問、参拝難しい教義はわからないその荒行の凄さを知識として知るばかり荒行は修法規程にのっとった僧侶のみが対象で修法について口伝を相承し、祈祷法の伝授を受けるため、厳しい苦・修練行を行うとか修業は厳冬期に寒水に身を清める「水行」と、「読経」「木剣相承」相伝書の「書写」で朝夕二回、梅干し一個の白粥の食事の生活を100日間続けるらしいがそこに命の保証は一切なく、「命を捧げての修行」という覚悟をもって望むも無事に出て来られる保証はなく死者が出ることもあると聞くこの修行を三回経験し初めて秘法が伝授されるらしい宗教とはなんとも厳しくも恐ろしいこと...浦和円蔵寺

  • 浦和宿本陣表門を見る

    浦和宿本陣は代々星野家が務めた明治元年の明治天皇氷川神社行幸に際しては行在所にあてられ宿泊されたと、言うことだが、その後本陣・星野家は明治になって衰退し、やがて家は絶えた表門のみは緑区大間木の大熊家に移築され、現在に至る今に残る表門を観る現存する薬医門は総欅造り、桟瓦葺棟の鬼瓦に星野家の紋である細川九曜門が丸に違い鷹の羽らしき紋については残念ながら調べきれていない現在表門は市、指定有形文化財となっている但し、現に入居中であり外部からみの参観で門外漢の悲しさは内部については伺い知れないのは残念浦和宿本陣表門を見る

  • 鹿手袋 日月社

    さいたま市鹿手袋にある日月社へにちげつしゃと、読むらしい訪問はだいぶ以前だがこの所お日様もお月さまもまともに見ていないので早く顔を拝ませて貰いたいとの願いを込めて古い写真を引っ張り出してみた創建時期不詳だが、江戸期には元禄4年の御神体があったとされるが、現在は天保8年の銘のある日光月光の菩薩を描いた御影額が残されているという鳥居や狛犬はなく、社の扁額があるべき部分には絵文字でお馴染のの太陽と月が御祭神は大日?貴命天照大神の別名らしいそれに月夜見(ツクヨミ)命ぽつんと何もない所にようやく探し当てたが拍子抜けするほどの簡素さ一生懸命拝んだがコロナは未だ退去せず今のところ梅雨明けもまだまだ。。。神様!頼りにしてます早いご利益を期待しています鹿手袋日月社

  • 駒形権現神社

    この地に住み着いて数十年、その間ここを通り過ぎるのは数百回で、あるのにこの石碑の存在に気が付かなかった郷土史に多少なり興味あったはずなのに市、施設、プラザイーストその道路わきに小さくなぜか遠慮がちに。。。。この石碑は古代に創建されたと考えられる古社「駒形権現神社」鎮座地の跡を示すもので、この地が悠久の歴史を持つ地でありこの地の歴史文化を伝える記念碑と、言えるとの説明書きがあるで、その権現社今いずこにと、訪ねてみるありましたプラザイースト前から幾たびかの変遷を経て今、吉祥寺・参道に車道を挟んで斜め前辺りに移転『駒形権現神社須賀神社本殿』が鎮座形式から室町時代の建物と考えられ現存する建物で市内最古に属する建造物とあるなぜ、かくも控えめなんだろう「知る人ぞ知る」で、良いそんな奥ゆかしさをもどかしく感じられるのは歴史好...駒形権現神社

  • 川口市芝樋ノ爪・御嶽神社

    歩き始めからここを目指したわけではない通りがかりに立ち寄っただけだそれも初めに目に付いたのは青面金剛のそれも三猿だった見ざる言わざる聞かざるの姿が真に迫っていて面白く。。。見とれているうちにここが御岳神社だったと知る何でここに?との思いちいさな社にそれでも狼が一対こんな予想外の出会いがうれしい帰宅後調べると当地在住の人物が、熱心な武蔵御嶽神社(奥多摩)の信者だったため私費を投じてこの地に勧請し創建したと伝えられています。なるほどそうゆうことか一生懸命探しても見つからないこともあればこうして偶然、予定してなかったのに遭遇することも気まぐれ散歩はだから楽しい川口市芝樋ノ爪・御嶽神社

  • 『孤独のすすめ』を読む

    老いにさしかかり「孤独」を恐れる体が思うように動かず、何もすることがなく、外出もままならない。訪ねてくる人もおらず、世の中から何となく取り残されてしまったようで寂しく不安な日々これが「年寄」一般の傾向でありその姿だと序文で述べるそして人生の『玄冬期』のこの時期こそ後ろを振り返り、静かに孤独を楽しみ回想にふけることにより孤独だからこその豊かさが味わえると、作者・五木寛之氏は説く作者の説に頭では理解し得たつもりでも心からの賛同までは至らずにいる玄冬期に足を踏みいれたとはいえ、私は作者の年齢までにはまだまだ達していないせいでもあろうがお互い勇気づけられたり肩たたきあって喜びあえる友たちが身近にいる恵まれた環境下に暮らしているおかげかあと10年先に孤独で右往左往した時にもう一度これを取り出し参考資料にしようか『孤独のすすめ』を読む

  • 正受院 赤ちゃん寺

    正受院には水子や赤ちゃんを供養する納骨堂があることから「赤ちゃん寺」とも呼ばれている石神井川の川筋から幾分入った所にあるにしては参拝者が絶えないようなのはそのせいかこの日若いカップルが熱心に拝んでいるのに出会った遠目から眺めただけだが出産前か或いは・・・・水子供養であったら悲しい私自身は幸いなことに子供達は仕事柄不在がちな父親にも拘わらず健全に育ちこのような供養は不要であったがこれも亡妻の一方ならぬ努力・子育てのお陰かといまさらながらに感謝と謝罪の念からの祈りをささげた次第だ正受院赤ちゃん寺

  • 正受院 近藤重蔵のこと

    甲冑姿の石像あまり見かけないものだがもと石神井川の洞窟にあったもので江戸時代後期の北地探検家の通称重蔵・近藤守重の像重蔵は正受院の東隣に文庫滝野川文庫を建て、自らもここに住んでいたがその時、これを作ったとされている下絵は当時、江戸派の画家として著名だった谷文晁に依頼したという少年期から秀才と言われ父の跡を継いで町与力を務め,関東郡代付出役火つけ盗賊改めなどを歴任。その後、蝦夷地御用を命じられ,千島列島から北海道までの蝦夷地を探検エトロフ島に「大日本恵登呂府」の標識を建立,日本の領土であることを明らかにした~~らしい。申し訳ないがそこいら辺の知識は全くない改めて知らされる一転して。。思う逢坂剛の作品に『重蔵シリーズ』がありそのうちの一冊『重蔵始末』をかつて読んだはずだがこの「重蔵」と北方探検家「近藤重蔵」とが私の...正受院近藤重蔵のこと

  • 雨の日

    梅雨時だからということはわかってはいるのだがそれにしてもしつこい雨だそんなことでこの2冊『雨』が付くのを引っ張り出し読みふける平岩弓枝御宿かわせみ17『雨月』全八話の短編集の中の一編「この秋江戸は長雨だった。」で、はじまり「この二、三日、燗酒がうまくなってきている雨のせいか、部屋の中が急に暗くなってきた」いつもの物語がいつものように展開安心して読めるのが嬉しい山本周五郎武家物の小編10話『雨の山吹』静かな結末。。。雨の日の午後のひと時にふさわしいその余韻にひたるみじめな境遇に落ちながらも小さな幸福にすがって生きる・・・久しぶりの周五郎の世界の甘さに酔う懐かしさも格別そういえば藤沢周平にも『時雨のあと』という人情味あふれる短編集があったはずだがわが、書棚には見当たらないあたりまえだ我が家は図書館でも、書店でもない...雨の日

  • 関神社

    王子神社ただ一つの末社は全国でも珍しい髪とかつらの神社である『関神社』祭神は百人一首「~~しるもしらぬもおうさかのせき」で、馴染みの蝉丸公姉・逆髪姫の為我が国最初の鬘を作ったという伝説から髢、鬘や床山の方々の厚い信仰を集めている神社蝉丸公は「音曲諸芸能の神」とし知られ、関係業界からの崇敬を集めているらしく境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されているもっかのところかつらの世話になることはないようだがいつ、何時世話にならぬとも限らないそういえばどうも最近頭髪の薄さが気になりだした拝んでおくに越したことはない丁寧に頭をひくくして関神社

  • 足立百不動尊②

    行動を起こすには若干ためらう天候家で過ごすことに足立不動尊巡りは江戸時代から百数十年往時の形態を維持できず今や地元の方の篤い信仰にすがり小さいながら火をともし続けお堂を守り通したりあるいは町村の集会所に姿を変えたり様々。それでも檀家の努力か、大寺として今も昔と変わらぬ地域の守り本尊としての尊厳を保っている寺院が多数あることは心強い限りそんな中、興味本位とまで言わぬもの一編の経を唱える訳でもない観覧者の立場で私はいくつかの寺院を巡り歩いたし、これからも巡ることだろう不動明王への信仰うすきに多少の自責の念を抱きつつも・・・・。巡拝というほどではないが足跡のいくつかを以下に並べてみる実際にはそれとは知らずいた不動巡りは20数ケ寺これからも歩き続けるに違いない気ままな〈無信仰者〉の立場で117番文珠寺19番清泰寺83番...足立百不動尊②

  • 足立百不動尊

    武州足立百不動尊霊場巡りは、現さいたま市・川口市を中心とする旧足立郡にある100不動尊を巡拝する霊場巡りで、不動明王を守護仏を巡拝するものであるこれを一番から訪ねようかと思った既に廃寺となっているものもあるがせめて廃寺跡を探りたいものと訪ね歩いたこれが中々の難事業現況はほぼ《断念》かとの状況なのだが散歩の途上これを見つけた信成院は現、安楽寺どうやら一寺を見つけた一番から順次廻ることを端から諦めこうした出会いをつも重ねればいいと気づく一心講社よく判らないが例によって調査は割愛この先はいつか偶々の出会いでそれと知らず既にいくつかを参拝しているようだ調べるのは後日に足立百不動尊

  • 王子のきつね

    誰が始めたんでしょ稲荷やお地蔵にマスクをさせるのって初めの内はまぁ珍しいからそれで見られたけどどこに行ってもマスクじゃねそれがご時世ってものなのかしら素顔を見たいって人もいるだろうに見てくださいよ私、たれ目と口元が可愛いって言ってくれる人もいたんだけどどうかしらマスクしてないほうが可愛くない?アップしてみるよはやくマスクをとって王子稲荷の「たれ目のきつね」に戻りたいここには狛犬のすごいのもいるんだそれに今日は日曜日幼稚園側からも入れるから普段見られないのも見られるしもっともっと一生懸命拝んでマスクのいらない日常に戻そうよね!王子のきつね

  • 王子のきつね

    誰が始めたんでしょ稲荷やお地蔵にマスクをさせるのって初めの内はまぁ珍しいからそれで見られたけどどこに行ってもマスクじゃねそれがご時世ってものなのかしら素顔を見たいって人もいるだろうに見てくださいよ私、たれ目と口元が可愛いって言ってくれる人もいたんだけどどうかしらマスクしてないほうが可愛くない?アップしてみるよはやくマスクをとって王子稲荷の「たれ目の稲荷」に戻りたいここには狛犬のすごいのもいるんだそれに今日は日曜日幼稚園側からも入れるから普段見られないのも見られるしもっともっと一生懸命拝んでマスクのいらない日常に戻そうよね!王子のきつね

  • 保科 正之

    保科正之徳川秀忠の四男母は諸説あるが一説には大工の娘だとも一方秀忠の正室は浅井長政の娘・お江ごう嫉妬深い正室を恐れ不遇な幼年時代を送る成人して異腹の兄家光に見いだされ、信頼を得て幕府経営にあたり数々の善政を行うこの正之幼名・幸松を養育したのが~~と、大急ぎで語りここで見性院にたどり着く実は雨上がりの午後この見性院の墓所をさいたま清泰寺に訪ねたここは我が菩提寺でもあり亡妻が眠っているところでもある地元では(私も地域住民の一人だが)保科正之をNHK大河ドラマにとの運動があるらしいいつもの癖で正之の人とな成りを知りたくて関連本を観る「保科正之」~徳川将軍家を支えた会津藩主~中村彰彦著中公新書この作者の歴史小説が好きでよく読むのだが硬質な文章でが気に入っている・・・がどうやら明日も雨模様明日じっくり読もうかとの気分保科正之

  • と、ある新興宗教 と と、ある地蔵堂

    以前、早朝のラジオ番組で流していてこちらは炉端の地蔵堂聞く限り(YouTubeで今、聞いてみた)ここで水分補給をするさわやかで救いを求めたくなるようなもちろんここは出入り自由穏便な宗教活動と思ったが無宗教の俺をも拒みはしない教義では世の立て直しをうたう一方教義があるのやらないのやら共産主義の脅威、愛国心の滋養を訴えその曖昧さがうれしい宗教右派の性格を鮮明にして居る不動明王だって悪くない信徒以外の入門はお断りのような通りがかりに寄ったのだが記載があったので引き返したが3時間後、帰りに覗いてみたら特定宗教との関りは持ちたくないをどなたかの忘れ物がそのまま信条としているので深くかかわる前にお堂の前に残されていた退散できたのは良かったようだこの国の『平和』に感嘆折伏されたら往生する所だったこちらの方が安らげるようだと、ある新興宗教とと、ある地蔵堂

  • 美女神社(あさか)

    神社80000社あるうち厚かましくも『美女』を名乗るのはここだけという御祭神は九州宗像神社や広島厳島神社と同じ宗像三女神の一人市杵島姫命近くに「美女木」との地名があるが神社名の由来はそれからではなさそうで「いちきしま」が「いつくしま」となり「うつくしさま」に転化したようだこの名で親しまれ子供の病気を治したり、健康を守る神として信仰されてきたよう決してお参りすれば美女と遭遇できるとのご利益が期待できるわけではなさそうだが。。。。。おとこごころは欲張りだ我が周辺にも美女があの人・かの女性・そして~~幸いなことに皆様美しい何もここまで来て新たなめぐり逢いを求めなくても良さそうにも思うが念のため懇切丁寧にお願いしておこうもしかしたら・・・。美女神社(あさか)

  • 紋次郎 中山道を往く

    破れ合羽に破れ傘錆朱色の長脇差さして、五寸の長楊枝、孤影をひいて一人旅往く・・・左の頬に知さな刀傷無宿人渡世、ご存知木枯し紋次郎あっしには何の関わり合いねえこってござんす先を急いでおりやすんでと、去っていく「今朝、中山道・小田井宿をたって追分、沓掛、軽井沢と四里ほど歩いて・・・・」笹沢左保の木枯し紋次郎街道シリーズは中山道の宿場でも拒絶したいとの思いとの自らの思いとは裏腹にいつか事件に巻き込まれていく世間に背を向けたはずが。。。かつてテレビドラマで見た名作を読んでみる「古街道を歩く」は現時点での街道紋次郎の歩いたあたりを拾い読みする中山道は板橋を初宿に高崎から古東山道を通って碓氷峠を超えた碓井口坂本宿がわずかに宿場の面影を残し、宿外れの薄遺関がかすかに往時を偲ばせるこの道に江戸時代の情緒を探せば小田井、望月、茂...紋次郎中山道を往く

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