掛札悠子,1992,「レズビアン」である、ということ,河出書房新社.(5.20.24)突如、彗星のごとく現れ、数年後、なんの痕跡も残さず去って行った、伝説上の人物、それが掛札悠子さんだ。自分が親密な関係を望む特定の相手が、異性ではなく同性であること、掛札さんがカミングアウトするのは、その事実だけである。結局、「レズビアンである」と言うことは、「今、自分が親密な関係をつくっている(つくろうとしている)のは女性である○○さんだ」という事実を示すひとつの方法でしかない。そして、一人一人の人が自分の現実をそうやって口にすることが簡単になりさえすれば、「レズビアン」という言葉も、「同性愛」「異性愛」という分類も意味をもたなくなる。だが、今の社会で「自分が親密な関係をつくっているのは女性である」と言うことは容易ではな...【名著】「レズビアン」である、ということ【再読】