シュールで不思議なおはなしを書いている「ねむ沙樹」のショートショートを友人「ばさまむーちょ」が編集し、どこか懐かしくユーモラスなイラストをアップします。どうぞよろしく。
独り暮らしをしていた祖母が亡くなってから、2年が過ぎた。わたしは祖母が愛用していた赤茶色の洋服ダンスの前に立っている。すずらんが彫刻された観音開きの扉を開けると、祖母の服がまばらにつるされていた。この家をいつまでも空き家にしておけないし、わたしの独り
仕事と人生に疲れたら、こんな現実逃避はいかが?
レトロ商店街で今日も営業しているあのパン屋さん。これからもずっと開いていてね。
反省文ばかり書いてる日記はもうおしまいにしよう。一日のしめくくりは楽しくなきゃね。
新月の夜は空を見上げてみて。彼らが見えるかもしれないから。
昭和懐かしい薬屋さんは、働く私のオアシスなのヨ。
親元を離れて都会で頑張るわたしを応援してくれる母さんのソックリさんがやってきた。
気楽なズボラは癖になる。そんなあなたも狙われるゾ。ズボラ菌のシルーキーに。
忽然と現れた不思議なヒュウは、孤独な私にとって誰よりも大切な存在だった。
かつて私の心を惑わせたあのマンションは、今はもうない。なくなった場所に思いをはせる客の心を、レトロな灯りが照らし出す。
思いやリを忘れて乱暴な生活を送っていたら、不気味な物に追われてしまう。
ユリノキの葉ずれの音が聞こえるひっそりとした家で、この世のものではない時を過ごした私。
仕事の後の一杯。ビールの泡にこんな魅力があったとはね!
レトロ喫茶に入ると、幼かった頃の想い出がよみがえる。そんな大人のための冷たく染みるささやかなお話。
海辺で出会ったカニ達は、わたしの夢見るように暮らしていた。
ひたすら働くだけの日々で、誰かの不幸を目にした俺が、ヘビになってねそべり主義に目覚めた話。
爽やかな水しぶきと光の交錯。一足早い夏休みをどうぞ。
夜空にそびえる電柱にはロマンがある。月灯りの下で光る電線は秘密を抱えている。
ポンコツ画家のミツルに喫茶カランでチャンスが訪れた。
大人気レトロ喫茶店カランシリーズ第11段。税理士試験を目指す腹ペコ大学生が手にした幸運のスプーンの話。
当たり前の日常は永遠じゃない。失って初めて気付く当たり前の幸福。
仕事を頑張ったご褒美メニューは、喫茶カランで召し上がれ。
水族館で出会ったクラゲとの切ない別れ。
生真面目でかたくなな男は、転職したてで気が張っていた。でも、カランに来れば誰でも笑顔になれるのだ。
純喫茶カランには、人生の岐路に立たされた人々も足を運ぶ。ここで癒しをもらって、明日への旅立ちに向けてエールを貰うのだ。
高原のさわやかな隠れ宿で飲んだソーダ水は、ラビリンズの入口だった…。
夜の工業地帯の幻想的な灯りが、ぼくは好きだ。それは、地球外生命体にとっても魅力的に見えるらしい。
遠い昔に廃線になった線路には、いまも人々の思いが詰まっていた。
忙しいばかりで満たされない日々の中。それでも、希望はどこかにあるはず。それを教えてくれた小さな友達のお話。
町の小さなブティックにひっそりとたたずむマネキンにはひそかな地位があるのだ。
昭和レトロ喫茶カランには、仕事に情熱を捧げる植木職人も訪れる。この店で、今日はどんな会話が聞けるだろう…。
昭和レトロな純喫茶カランには、殺伐とした日常から離れた懐かしさとぬくもりがある。
メタボ解消には野菜が一番! 初めて入った八百屋でド昭和の触れ合いに癒されたお話。
さえないOLが節分の夜に見た豆の奇跡。
レトロであったかな銭湯・満千乃湯の今宵のお客は?
いよいよ今年は社会人。新しい門出には不安がいっぱい。そんな時に、昔の穏やかな想い出は味方になってくれる。
ねむ沙樹のショートショート2020年をふりかえる座談会
繁忙期を乗り越えたOL二人。クリスマスに童心に還って今年の仕事疲れを癒したお話。
困難を乗り越えた先にある穏やかな味。それが、先代のためのとっておきアメリカン。
見知らぬ街で入った初めての銭湯で、ゆったりとあったまり、不思議なときを過ごしたお話。
仕事に流されるだけの毎日を送るイズミが、人生の正解を見つけるまでのお話。
お気に入りの大切なマフラーとの別れのときがきた。たくさんの想い出をありがとう…。
役目を終えたイチョウの落ち葉とジョギング中に出会ったお話。
どんな仕事も続かなかったどうしようもない男が、レトロ喫茶のマスターになったきっかけとは。
レトロ喫茶カランの壁についた傷跡には、貧乏画家の情熱が隠されている。
街の片隅にあるレトロな昭和喫茶で、今宵も小さなドラマが始まった。
秋になると落ちて私達のそばにやってくる栗の実。彼らに密かな使命があった。
地球環境の激変に耐えうる未来の人類とはいったい?
わたしの大切な相棒ネコのリンちゃんから、わたしもネコの名前をもらった。
七回焼かれても死なないナナカマド。その生命力を伝える不思議な婦人が現れた。
ハロウィンのカボチャが大相撲?大暴れのカボチャとわたしとの心温まるふれあい。
懐かしい昭和レトロな駄菓子屋のじいさんと寂しいOLのほろ苦い激辛チップスのエピソード。
忘れかけていた昔の夢がよみがえる場所。そこに行けば、光るキノコが僕を励ましてくれる。
古代から厄除けに親しまれてきた風鈴。色が見えれば疫病も払ってくれる。そんな不思議な風鈴を手に入れた彩香。
家事に仕事におじさんに…。疲れ果てたすべてのおばさんに捧げる小さなお話し。
たいせつな人と別れた夏の想い出。あなたがいなくなっても、わたしは忘れない。
カッ、カッ、カッ。今年初めてのカエルが鳴いた午後、吹く風には少し湿り気がまじっている。 わたしは畳の上に置かれたうちわを拾い、あおいでいた。まだ扇風機の風が強いと感じる。うちわの風は心地良い。じゃまにならないようにうちわを床やテーブルに置いて、手をの
わたしなんかどうせじゃまなのね。家族のためにかんばってるのに、夫も娘も汚い物でも見るような視線でわたしを見るの。太ってるからって、人をバカにしちゃってさ。学生の頃はスキーにテニス、マラソンまでしていたわ。でも今は家事や仕事に追われて、運動する時間なんて、
せっかくの休日なのに汚い部屋が嫌になる。ドリームハウスで気分を上げてから片付けしたい。そんな私の前に現れたプリンスとは。
これまでのあなたと、正反対の自分に出会えます。 雑居ビルの窓ガラスに貼紙が見えた。大通りから一筋入った、人通りがそれほど多くない道路際に、そのビルはある。初めて見たときは怪しそうに感じて、立ち入る気はなかった。 「口の中でモゴモゴ言ってないで、は
今日は朝から天気がよく、空気が乾いている。わたしはじょうろに水をくんで、ベランダに置いているプランターに水をやりにいった。プランターに咲く花の成長を見守ることが、わたしの休日の楽しみだ。 パンジーの葉のしげみに、マイマイがいる。パンジーに悪さをしそ
月末の締日を何とか乗り切ったわたし。水分を摂っている時間もないほど、忙しかった。ああ、疲れた。そうつぶやきながら、セルフサービスのカフェに入る。タピオカミルクティーのカップを手に、カフェと同じビルの屋上に上がった。ベンチに座って、ようやくひと息つけ
休みの今日、わたしは折り畳み式のコンパクトな椅子を持ち、川べりに向かった。川べりにアジサイの繁みがあり、遊歩道の端に椅子を置けるようなスペースがある。そこに座っていると、川音や、川面のきらめきや、小さな川魚が泳ぐながめを独り占めできる。いやというほど
家から歩いて10分くらいのところにある、地元民にしか知られていないビーチに、高校生のいとこに誘われて行った。わたしといとこ以外、誰もいなかった。 背泳ぎをしているわたしの横を大きな魚が通り過ぎた。びっくりした。海水浴場で大きな魚なんて見たことはな
ぼくは目の前の池に目を見張った。周りの木立が水面に写り、鏡のようなのだ。池に写る木々が今にも水面から立ちあがりそうなほどだった。 祖父が死んで以来、空き家になっている隣町の家の様子を見に来た。まわりを散策してみたら、思いもよらず、そんな池があった
工業用ロット箱を作る仕事を始めて三年め。仕事に慣れてきたところなのに、試作品の箱を落として割ってしまうミスをやらかしてしまった。 休日になっても気持ちが晴れない。閉じこもっているとますます気分が落ち込みそうだから、出かけることにした。 小学校四年
新型コロナウイルス感染拡大になり、免疫力って言葉がよく聞かれるようになりました。 免疫力は、がん患者ファミリーにとり、身近な言葉です。 我が家は、夫が初期の大腸がん、妹がステージ4の食道がんです。夫のがんは切除して経過は安定。妹のがんは、
ゆうはハイキング中に、目を見張るようなきれいな景色を見つけて、あれ? と思った。分かれ道で、本来のコースから逸れてしまったのかもしれない。引き返すには、進み過ぎてしまった。方角的に考えて、このまま進めば、本来のルートに戻れるかもしれない。勘を頼りに、進
ピピッピピッ、最初の音は小さい。それが少しずつ大きくなり、ピピピピピーとけたたましく鳴る。うるさい、もう起きるんだから静かにして。小さい時計なのに、音ばかり大きいんだから。梓は目覚まし時計のボタンを叩いて、音を消した。勢いのあまり、時計はベッドサイ
一本の外灯が、バスケットゴールを照らしている。深雪がシュートを決めたボールはゴールを外れて、地面に跳ね返った。ドリブルからやり直し、何度も外しながらもあきらめずに、シュートを狙う。 深雪が暮らすマンションの敷地に、ハーフサイズのバスケットボールの
薫はスーパーで警備員をしている。老人が主流の職場で、若いと舐められるのか、毎日怒鳴られてばかりだ。 路地裏にあるこのこのバーで我を忘れるときだけ、薫は開放感に浸れる。店の看板には、『アニバルバー』という赤い電飾の文字が、小さいながらはっきりと浮き上
休日を返上して仕事のノルマをこなし、ようやく取れた休暇の今日、子供の頃両親と一緒に来たことがある、山の上の遊園地へやって来た。ぼくの子供のころ、家族の休日といえば、デパートへ行くか、遊園地に行くかの二者択一だった。もうすぐ昭和が終わる今みたいに、たくさん
アッと思った時には、前を走っている人が転んでいた。乗るべき電車の時間がぎりぎりで、私も走っていた。下りの坂道で空き缶が転がってきたから、前の人は足を取られたのだ。彼女は立ちあがろうとしたができず、痛いと鋭い声をあげてしゃがんでしまった。 私は思わず、
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