ロックダウンが解除され、寝ぼけまなこで活動を再開したフランス・パリ。絵描きが小さな屋根裏部屋から日々の様子を綴っています。
住んでいる建物のエントランスで4階の住人とばったり会った。ぼくは物置から自転車を引っ張り出してきたところ、彼女は外から帰ってきたところだった。「ようやく見つけた!」明るい声がホールにこだまする。「コンフィヌマン明けに電話で話したきり音沙汰がないから、どうしてるかと思ってたのよ。私たちが引っ越しちゃうまえにうちに一杯飲みにくるように言ったでしょ?」「いや、ぼくのほうも誘ってもらうのを待ってたんだよ、つつしみ深いものだから…それで、引っ越しの準備はどう?」「いま新居の様子を見てきたところ。改修工事が2か月も遅れちゃったから、取り戻すのが大変よ」「もう少しここで暮らせばいいのに」「退去日がもう決まっ…
フランスのとある大手スーパーのテレビCMを素敵だなあと思って見ている。ぼくの部屋にはテレビがないので知るのが遅れてしまったのだけど、ロックダウンの解除に合わせて電波に乗ったものらしい。 Intermarché - Je désire être avec vous 流れているのはニーナ・シモンというミュージシャンの楽曲で、強いアクセントのあるフランス語で「独りでいるあなたのそばにいられたら」とひたすら繰り返している。画面が真っ白に転じたのちに黒字で現れる短いテロップは、「ようやく。」。厳格な移動制限が布かれなかった日本でも帰省を諦めた人はとても多かったそうだから、ぼくと一緒にこのCMにじ~んとし…
オーボエ奏者は行儀よく、カラオケおじさんのダンサブルな曲が終わるのを10歩離れて待っていた。曲がアウトロに差し掛かり、おじさんが次のナンバーに移るべく機材の上にしゃがみ込んだ瞬間、オーボエはここぞとばかり大股でおじさんに歩み寄る。(この記事は直近のふたつの記事の続きです。少し長くなりますが、こちらからどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信)声をかけられたおじさんは腰を上げ、オーボエと顔を突き合わせて何か言葉の応酬を始めた。ふたりのあいだの身振り手振りはまるで牡丹の開花のようにみるみる大きく広がってゆき、そしてオーボエの肩をすくめる動作をもって急速にしぼんだ。踵を返して相棒のもとへ…
市場の正面に柵が敷かれて、以前のようにふらりと勝手に立ち入れないようになっている。警備員が人数を加減しながら中に通しているらしい。ぼくの前にはすでに30人ほどの買い物客が行列を作っていた。さいわい皆マスクをしている。ロックダウンのはじめごろに散々危険と騒がれたせいか、それとも中高年の客が多いからか、ここにくるまでに見た人たちとは意識がずいぶん違うみたいだ。(この記事は前回のものの続きです。よろしければまずこちらをどうぞ→マルシェへ下る道 - 屋根裏(隔離生活)通信) その急ごしらえの入り口のそばで、白髪交じりの男がふたり楽器のチューニングをしていた。ひとりはガットギター、もうひとりはオーボエ。…
ロックダウンが解除されてから初めての日曜がやってきた。水色の朝の空を見上げながら、毛布にくるまって2時間あまりを無為に過ごしたところで、そうだ市場に行かなくちゃと思い出した。日曜朝の市場での買い出し。パリに来てから何年間も従ってきた習慣なのに、たった2か月で忘れるのだから時間というのは恐ろしい。ロックダウンのごく初めのうち、生鮮食品を売る野外市場はスーパーマーケットなどと並んで営業を続けていた。しかし衛生管理が難しいことからまもなく閉鎖され、ぼくも食糧は専らスーパーへ買いに行くようになっていた。その市場がすでに眠りから覚め、今またあの広場に立っているのだ。これはぜひとも行かなきゃならない。 空…
こんにちは。いつも当ブログを覗いてくださってありがとうございます。皆様がくださった反応のおかげで、長きに及んだ隔離生活を発狂せずに乗り切ることができました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。とはいえこのブログ、「屋根裏(隔離生活)通信」と銘打ったにも関わらず、発信するのは日常の四方山ごとばかり。これではただの屋根裏ひみつダイアリーだ、何か有用な情報のひとつも提供せねばと常々考えておりました。そこで今回は一念発起して、日本では未だいかなるメディアも取り上げていない特ダネをお届けしたいと思います。スペインのとある研究チームの専門家たちが成し遂げた新発見をベルギーの報道機関がいち早く記事にまと…
自転車を降りて転がしながら河岸へと下る階段に近付く。久方ぶりに間近で目にする大聖堂はやはり傷跡が痛ましかった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の足場といい、あちこちでむき出しになっていて、聖堂のくすんだ石の色から変に浮いている生木の補強材といい。けれどもこの日、屋根のなくなった屋上部分には作業員たちの姿があって、よく見れば傍らにそびえ立つクレーンもゆっくり動いているようだった。ロックダウンの解除と同時に工事も再始動したらしい。 川上から吹き上げる風に誘われて、マロニエ並木の白い綿毛が枝を離れて宙に舞い上がる。幾千の小さな妖精たちがじゃれ合いながら工事の再開を祝っているみたいだ。新緑に囲まれた…
前回の日記では書ききれなかった良い報告がふたつある。ひとつめは老齢のモデル、ロディオンの無事が確認されたこと。夜になってから折り返し電話がかかかってきて、ぼくが気をもんでいたことに大層驚いたようだった。呑気な声で彼が言うには、「どうしてそんな心配をするんだね。わたしは東洋由来の健康法をやっていると言ったじゃないか。いいかい、断食、瞑想、それから良い水を適量飲むこと。これだけで人は病気なんかには…」彼は本当に仙人の域に片足を突っ込んでいるのかもしれない。 ふたつめは、夜8時の窓からの拍手がその日もかすかに聞かれたこと。現場で戦う医療従事者に敬意を表して始まったこの習慣は、5月に入ったころにはほと…
かくしてぼくらはコーヒーを求めて混沌の街をさまよい始めた。 とはいえ、おいしい一杯にありつける確率はそんなに高いほうともいえない。飲食店はまだテイクアウトでの営業しか許されていないため、カフェはみなシャッターを下ろしたままなのだ。営業許可が出ている商店も、初日における開店率は30パーセント程度に見えた。多くの店は真っ暗なままか、それでなければ営業再開にむけて突貫工事の最中だ。 園芸用品店とパン屋。 多くのお店が出入り口の真ん中に仕切りを設け、入退店の動線を作ろうと努力している。パン屋の床には入り口からレジまで等間隔のマーキングが施されていて、ちょっと等身大の双六みたいだ。床屋が意外にも繁盛して…
「元の世界にはもう戻れない」と覚悟を求める者がいる一方で、「日常への回帰」の旗をせわしげに振る者もいる。路地に降り立ったぼくが見たのは両者の主張のせめぎ合いのような街の光景だった。 昨日までとは比較にならない数の歩行者が大通りを行き交っている。前から後ろから絶えずやってきて、地べたにしゃがみこんで写真を撮る隙がなかなか見つからないほどだ。ああそうだった、この道はブランドショップが立ち並ぶパリの目抜き通りで、本来ならば買い物客や観光客で昼夜を問わず賑わっているはずなのだ。「外出制限が長引くにつれ、街に人の姿が増えた」とぼくは繰り返しここで書いたが、あの程度の人出を多いと感じられたのは、ぼくが元の…
「フランス語のいかなる辞書にもdéconfinement(デコンフィヌマン)なんて言葉はない。『コンフィヌマンの終わり』のことを言いたいのなら、無闇に新語を作らずそのままfin du confinement(ファン・デュ・コンフィヌマン)と言うべきではないか」――ロックダウンのただ中で生じたこの優先度の低い議論は、この国がもつ偏屈者の学者のような一面をよく象徴している。 (コンフィヌマンについてはこちらをどうぞ→やがて愉しきコンフィヌマン - 屋根裏(隔離生活)通信) この問題に対するある言語学者の見解はこうだ。「どちらの言い方も間違いではありませんが、ニュアンスに若干の違いが生まれます。後者…
きのうの夜、パリを嵐が通り過ぎた。雷をともなう激しいもので、ニュースの伝えるところでは3週間ぶんの降水量にあたる雨が数時間のうちに降ったという。郊外のいくつかの地域では家屋のなかに至るほどの浸水が起きた。 屋根を乱打する大粒の雨音をぼくはベッドに寝そべって聴いていた。天窓のガラスのむこうでは稲光が絶え間なく閃き、真っ暗な部屋の壁を青白く点滅させた。 そして嵐がおとずれた。 pic.twitter.com/Ps1OdaWmaw — 屋根裏(隔離生活)通信 (@yaneura_tsushin) May 11, 2020 「不吉だなあ」という独り言が思わず漏れた。それはデコンフィヌマン(ロックダウン…
自宅療養期間を終えて2週間ぶりに外出をしたら、世間の空気がすっかり変わっていたという話を前回の日記で書いた。 この現象はパリに限ったものではなく、ちょうど河川敷のつくしのように4月初めの週末から全国で一斉に顔を覗かせたものらしい。メディアはこれを「フランス人の気の緩み」として批判的に取り上げ、専門家が第二波の到来に警鐘を鳴らしたり、医師や看護師の怒りの声が紹介されたりしたものの、けっきょく社会にかつての緊張感を取り戻させるには至らなかった。その後も野外に人の姿はみるみる増えてゆき、がらんどうだったスーパーマーケットも今では客足上々だ。窓から見える大通りにも徐々に車の往来が戻り、ぼくの屋根裏部屋…
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