アルフレッド・アドラーやスタンレー・ミルグラムなどの色々な心理学者の名著の紹介と共にその本が書かれた背景やその人の生涯を徹底深掘り
アルフレッド・アドラー著作「なぜ心は病むのか」を読んで①アドラーとはどういう人物だったのか 豆知識編 後編
前回のあらすじ アドラーは兄と仲が悪かった。 アドラーは母が弟の亡くなった時に笑ったという記憶を持っていた為、母と仲が悪かったが、仲直りした。 父はとても民主的な人だった為、アドラーはそのような人格に育った。 アドラーと結婚したライザは小柄で色白であり、一目ぼれだったため、一年もの間情熱的な恋文を送り続け、遂に結婚した。 アドラーは63歳の時に大病にかかったがライザと娘の看病の成果もあり、瀕死の状態から回復した。 アドラーが北米に渡米した時、ライザはついてこなかった為15年前もの間別居状態であった。 豆知識 後編 カウンセリングを無料でする漢 アドラー アドラーはお金に関しては必要以上に求めな…
アルフレッド・アドラー著作「なぜ心は病むのか」を読んで①アドラーとはどういう人物だったのか 豆知識編 前編
前回までのあらすじ アドラーは1916年(46歳)に大戦で軍医として従軍する。 その中でアドラーは、共同体感覚こそがなにより重要であると考え、後に共同体感覚を個人心理学の基礎とする。 終戦直後にアドラーは労働者委員となり、1922年(52歳)に世界で初めて、児童相談所を設立する。 児童相談所を作った功績が認められアメリカで講演会を開く。以後アドラーは欧州と北米を半年ごとに行き来する生活を送る。 1924年(54歳)の時にウィーン教育研究所治療教育部門の教授に就任する。 1930年(60歳)に今回紹介する名著「なぜ心は病むのか」を出版する。 1935年(65歳)の時にオーストリアのクーデターが起…
アルフレッド・アドラー著作「なぜ心は病むのか」を読んで①アドラーとはそういう人物だったのか後編
前回までのあらすじ 1902年(32歳)フロイトに誘われてウィーン精神分析協会に入る 1910年(40歳)にウィーン精神研究会の議長に就任する。 この頃からウィーン精神研究会が拡大し、色々な派閥ができ、対立が激しくなる。 1911年(41歳)にウィーン精神研究会を、同じく研究会に所属していた9名と共に退会する。 同じく退会した9名と共に自由精神分析協会(後に個人心理学学会に改名) 自作の語呂合わせ 1902 いこーにゅうかいウィーン精神分析協会 1911 いくいいとこに退会した9人と共に自由精神分析協会を設立。 本編 大戦~ある晴れた日の朝 アドラーは個人心理学会を設立してから1912年(42…
アルフレッド・アドラー著作「なぜ心は病むのか]を読んで①アドラーとはどういう人物だったのか中編
前回までのあらすじ アルフレッド・アドラーは1870年にオーストリアハンガリー帝国(現在のウィーン)で生まれた。 六人兄弟の次男で体が弱かったのと、弟が一歳の時に亡くなったのが起因して医者の道を志した。 オーストリアのウィーン大学に入学 卒業後はウィーンで眼科、後に内科の診療所を始めた 診療所の近くに遊園地があったのでそこの曲芸師や大道芸人などが多くきたため、ある傾向がみられ、それが後に「器官劣等性」のアイディアとなった。 1897年にロシア系ユダヤ人と結婚する。 1898年に初めての著作「仕立て業のための健康手帳」を刊行 ジークムント・フロイトが書いた「夢判断」を読み、精神医学に関心を持つよ…
アルフレッド・アドラー著作 「なぜ心は病むのか」を読んで①アドラーとはどういう人物だったのか前編
アルフレッド・アドラーの名著 「人はなぜ病むのか」についてご紹介したいなと思い、前提としてアドラーの時代背景を語ろうと思いました。心理学というよりも歴史の要素が強いです。
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