chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ピューリタン革命の原因

    【テューダ】朝【エリザベス1世】は、国内の【毛織物工業】を保護・育成しました。しかし、【1588】年の【アルマダの海戦】で、【スペイン】の無敵艦隊に勝利すると、【香辛料】を扱うアジア貿易に参入するチャンスが生まれたため、【1600】年に【東インド会社】を設立し、アジア貿易への参入を図りました。一方、うまくいかなかったものの、【1584~85】年に【北米】大陸への進出も行っています。この計画は中南米をスペインに支配されている当時、北米に植民地を建設するというものです。【ウォーター=ローリー】がエリザベスが結婚をしていなかったことから、この植民地を【ヴァージニア】植民地をしています。しかし、北米大陸の植民地建設は軌道に乗らず、アジア貿易は端緒についたばかりの状態で、エリザベス1世は結婚をせずに亡くなったため、...ピューリタン革命の原因

  • ロックの思想

    ジョン・ロックは,イギリスの政治思想家【ホッブズ】の社会契約説を批判的に継承し,政治社会の成立を【自然状態】から説きおこした。ロックによれば,自然状態において人間はすべて独立・平等で,生命・自由・財産にかんする一定の権利を賦与され,労働や貨幣を通してさらなる財産の形成をするという。そこでは人々の間の紛争を解決する機関も権力も欠けているから,人々は人権を内外の侵略者から守るために,各人が自然状態で保有していた権利の一部を政治社会に譲渡して共通の政治権力を形成することになる。しかしながらこの政治権力はもっぱら生命・自由・財産にかんする権利を擁護するためのものであるから,政府が信託目的に反してこれを侵害する場合には【抵抗権】が認められ,新たな政府を創ることができるという。この抵抗権はアメリカ独立革命の独立宣言や...ロックの思想

  • 独立派 クロムウェルの軍隊と党派

    ピューリタン革命の争点は、【国王大権】を認めるか(王党派)、認めずに議会主義を政治の基本に据えるか(議会派)という点でした。したがって特権階級が王党派と議会派に分裂し内戦になったといえます。ただし、王党派と戦う人々には、国王【ジェームズ1世】や【チャールズ1世】に弾圧されていた【ピューリタン】も多くいました。彼らを【クロムウェル】が軍隊に組織して、【鉄騎隊】を創設し、王党派の軍隊に勝利していきます。鉄騎隊が強かった理由は、【実力主義】を取ったためで、家柄や身分が低くても、戦いで活躍すれば出世できる仕組みになっていたからでした。議会派の軍隊組織は鉄騎隊をもとに改編され、【ニュー・モデル軍】となりました。そこにはピューリタンだけでなく国教徒の特権階級の人々も加わっています。【1645】年【ネイズビーの戦い】で...独立派クロムウェルの軍隊と党派

  • 長老派について少し詳しく

    独立派のうち立憲君主制を志向した人々を長老派と呼びます。しかし、ピューリタン革命は党派がきれいにわかれていません。つまり特権階級でも大商人は議会派で、貴族は王党派であるといったようにはいかない。どちらかというとロンドン商人は議会派が多かったと考えられています。さて長老派は特権階級に近いもしくは特権階級に属していた人々です。彼らはジェームズ1世が新しい特権を乱発したり、関税を新しく設けたことに反発した人々です。さらに国王が無理な遠征をして財政をさらに悪化させることに腹立たしく思い、国王が勝手に政治をするという状況を改めて、議会が国王の政治を制限することを目指していました。しかし特権階級に近い長老派のおおくは国教会に属していました。政治的に反国王を標榜して国王による特権の濫発や戦争のための課税に反発していたの...長老派について少し詳しく

  • 第2次英仏百年戦争

    【ハンザ同盟】は【ロンドン】に四大商館のひとつを置いたが,当時のイギリスはヨーロッパの辺境でしかなかった。海外進出の面でもポルトガルとスペインに遅れをとったイギリスだが,16世紀初めの【ヘンリ8世】治世下に,ローマ=カトリック教会と絶縁し中央集権化がすすみ絶対主義が生まれた。この国家は国内統治を固めるかたわら,輸出産業の保護育成に力を注ぎ,植民地獲得にむけて積極的な海外進出を企てた。絶対主義国イギリスの海外進出は【エリザベス1世】の治世にひとつの頂点に達した。エリザベス1世は西インド貿易をスペインから奪取するために,【カリブ海域】で頻発した【私掠(海賊)】行為すらも援護したといわれる。またアジアとの貿易のために【1600】年には【東インド会社】を設立した。イギリスの重商主義政策は【ピューリタン革命】後も踏...第2次英仏百年戦争

  • 名誉革命でオランダの資本がイングランド経済を支えていくことになった

    名誉革命には興味深い点が考えられます。コメントにあった卒業生の大学の授業で扱っているように「経済面」について考えたいと思います。名誉革命の本質は、オランダ総督のウェレム(ウィリアム)がイングランドを征服したという点にあります。すなわち、ジェームズ2世を議会勢力が追放したというよりも、オランダから軍隊を率いて上陸したウェレムに対抗できずにジェームズ2世がフランスのルイ14世に助けを求めるためにフランスに亡命した、ということです。その結果は、オランダの商業のノウハウがイングランドに持ち込まれ、イングランドの経済発展に大きく貢献したことと、航海法以来対立を繰り返していたイギリス・オランダ間の関係が改善に向かい、イングランドが発行した国債の購入など、オランダの資本がイギリス(イングランド)の戦争遂行能力を支え続け...名誉革命でオランダの資本がイングランド経済を支えていくことになった

  • コルベール主義

    絶対王政は極端にいえば、農業からは税金を集めずに、大商人に外国と貿易をやらせて、その利益の一部を「特許料」という名目で納めさせることで、財政を運営する方法を取りました。これを、商業に重きをおいた経済政策なので、重商主義政策と言います。重商主義には大きく分けるとふた通りの方法があり、一つは、ポルトガルやスペインがやっていた重金主義、もう一つがイギリスやフランスがやっていた貿易差額主義です。重金主義は国内では毛織物生産を行わずに、中継貿易のみで利益を上げる方法です。一方、貿易差額主義は、国内で毛織物生産を行い、貿易全体を黒字にすれば良いという考え方です。毛織物生産を行うには羊毛の輸入や、穀物の輸入などが必要になるからでコルベール主義

  • 啓蒙専制君主

    【18】世紀にフランスやイギリスで啓蒙思想が盛んになった頃になって、ロシア・プロイセン・オーストリアではようやく絶対王政が成立しました。それは、イギリスでは17世紀のピューリタン革命や名誉革命で絶対王政は崩れ去っていましたし、フランスのブルボン朝では重商主義政策の失敗から国家財政が苦しくなり、絶対王政に先行きに不安が大きくなっていた頃です。【ロシア】・【プロイセン】・【オーストリア】では、そのような英仏の政治情勢を無視して絶対王政を築くことはできませんでした。新しい政治思想である【啓蒙思想】がすでにこの3国の人々にも知られていたからです。そこで、この3国の王たちは、啓蒙思想家が説くような世の中にするには、強力な指導力が必要なのだ!といいました。とくに【プロイセン】の【フリードリヒ2世】は自らを「【国家第1...啓蒙専制君主

  • アメリカ独立革命の前提として知っておきたいこと

    アメリカ独立革命は北米大陸に建設されたイギリスの13の植民地が本国議会に反旗を翻して独立を果たしたという事件です。まず前提として知っておきたいことは、13の植民地は全く別々の目的で別々の時期に建設されたということ。そして2点目は、そこに住んでいる人々は、自分たちのことを「イギリス人」だと思っていることです。したがって、彼らは本国と同じように自分たちの議会(植民地議会)をそれぞれの植民地ごとに持ちました。しかし、植民地ごとに全体をまとめるような議会は作りませんでした。この辺が中南米にできたスペインの植民地や北米にできたフランスの植民地との大きな違いです。例えばばスペイン植民地では、ペニンスラールという本国生まれの破棄人が役人などといった支配者として派遣され、現地で生まれた白人derるクリオーリョや混血のムラ...アメリカ独立革命の前提として知っておきたいこと

  • アメリカ独立宣言の重要事項とその限界

    アメリカ独立宣言の特徴は「幸福の追求」を権利として認めている点にあります。しかし、重要事項としては、以後の様々な宣言に大きな影響を与えている点をあげる必要があります。1、基本的人権を主張している点。この権利を神から与えられた自明(当然)の権利としています。基本的人権の中に「幸福の追求」をする権利も含めている点が特徴的です。この考え方は以後の様々な憲法に影響を与えました。2、統治する権力は統治される人々の同意に基づいて行使される必要がある、として点。この考え方は「人民主権」の考え方を示しています。「人民主権」の思想は民主主義の大原則ですが、合衆国憲法にも採用されています。まさに近代民主政治の基本理念を宣言したと言えます。3、抵抗権(革命権)を認めている点。もし政府(統治する権力)が人々の同意を無視して政治を...アメリカ独立宣言の重要事項とその限界

  • ジョン=ロックの「所有権」

    ジョン=ロックは17世紀後半に活躍した哲学者です。世界史では「抵抗権」を提唱してアメリカ独立革命に大きく影響した人物として扱います。その一方で、ロックは啓蒙思想の政治哲学者として18世紀に先駆けて「所有権」を擁護し、フランス革命が解く「所有権の不可侵」という理念にも大きく影響を与えました。ロックは政府ができる以前の状態を想定し「自然状態」としました。彼は「私有財産」と「自己所有」を問題にしています。ロックは人々が選んだ政府であっても政府が介入できない権利が存在すると考えていました。この権利を政府が承認する権利よりも前から存在する権利として「自然権」といいます。その中に「財産権」も含まれるとしています。すなわち「財産を所有する権利」は政治が行われる前から「自然権」として認められているものだとしていこの権利は...ジョン=ロックの「所有権」

  • ブルボン朝 絶対王政の完成

    ブルボン朝成立(1589年):ナントの勅令(1598年)アンリ4世三部会停止(1615):ルイ13世フロンドの乱(1648-52年):ルイ14世コルベール主義(1664年):ルイ14世ナントの勅令廃止(1685年)ルイ14世※1ナントの勅令は国内にユグノーの存在を認める。一方、個人に信仰の選択権を認め、諸侯が自領を独自の権力で統治することを防止した。ガリカニスムの伝統の下これを廃止することで「宗教の一元化」が達成され、国王主権が確立した。※2身分制議会である三部会を停止し、国内で王権を制限する力が無くなり国王主権が確立した。※31664年から貿易差額主義(コルベール主義)により絶対王政の財政を支えた。フランドル地方の毛織物業者カルヴァン派のゴイセンは、ネーデルラント独立戦争中にENGや「ナントの勅令」のフ...ブルボン朝絶対王政の完成

  • 社団国家としての絶対王政

    「社団国家」とは「社団」という言葉は聞きなれないが、「団体」とか「かたまり」といったニュアンスと理解してよい。日本国語大辞典によれば、「社団とは、一定の目的のために組織された団体で、その団体自身が社会上一個の単一体として存在し活動するもの。」とある。特権階級はそれぞれ「社団」を形成しておりその「社団」の頂点に君臨している人々である。たとえばキリスト教会は教会組織という「社団」を形成しており大司教・司教がその頂点に位置している。教会という「社団」は信仰という目的のために形成されており、それに参加する末端の人々は村々にいる農民たちである。村々の農民は下部組織を経営する司祭や牧師の教会の礼拝に参加することを通じて「社団」に参加している。また、都市では都市貴族が形成した「社団」があり、その末端には都市下層民がいる...社団国家としての絶対王政

  • アメリカ独立革命はなぜ、どこが革命なのか?

    アメリカ独立革命はなぜ、どこが革命なのか?アメリカ独立革命(1)「ボストン茶会事件」1773年が重要。「茶法」1773年の制定は本国議会による議会重商主義の支配下に置くことを意味している。重商主義政策は東インド会社など一部の特権的商人が貿易による利益を享受しその特許料によって国家財政を賄っていく政策。ぞの支配下に入ることは本国議会を構成する特権階級の利益を認めることを意味する。独立戦争によってこの状況を排除し独立した政府が徴税権と通商権を確立した。特権階級の経済的支配から脱したことを示している点で「革命」といえる。(2)「代表なくして課税なし」という言葉の意味が重要。植民地から「代表」を本国議会に送っていない。当時の本国議会が特権階級によって構成されている「身分制議会」。すると、13の植民地人は特権階級に...アメリカ独立革命はなぜ、どこが革命なのか?

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、FORZAさんをフォローしませんか?

ハンドル名
FORZAさん
ブログタイトル
FORZA世界史inBLOG
フォロー
FORZA世界史inBLOG

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用