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  • 脳梗塞後

    ブログに2時間20分続けてしまった。今後のダメージが怖い。興味あることをみつけ、活動するのはいいが、体調管理は、まったくできていない。頭重感増大。脳梗塞後

  • 日本文化

    放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」占領軍による戦後改革GHQより武道禁止令1945年歌舞伎・・・仇討ち、復讐などほぼ全面禁止1947年禁止解除。日本の伝統批判続く。武道など禁止。精神性より、合理性にエネルギーを向け、経済発展していく。戦後の武道学校での武道禁止。戦争を助長したという理由。「武道」という言葉も禁止。武道のスポーツ化。和辻哲郎人間関係の倫理学1952年日本倫理思想史『桂離宮』『歌舞伎と操浄瑠璃』鈴木大拙『禅と日本文化』禅と美術、禅と武士、禅と剣道、禅と儒教、禅と茶道、禅と俳句禅と能、禅と茶人、禅と問答、禅と空観「AはAに非ずして、Aである」即非論理無心となって、現実を否定しながら、ありのままに絶対肯定する。1960年代家に神棚、仏壇がなくなる。伝統文化の断絶深沢七郎『楢山節考』遠藤周作『沈黙...日本文化

  • 「空海の宇宙を描く 千住博」TVを見て

    空海千住博千住さん、高野山の絵「命を懸けて描いた」「画業全体をやり切った」「全部を犠牲にして描いた」「9割が苦難の画。1割が喜びの画。」悩みを持った人が、崖の画の部屋から入る。ふすまを開けると、一本の滝ドンとが見える。高野山真言宗総本山金剛峯寺奉納空海お遍路88か所を巡った後谷響きを惜しまず明星来影す空海自分の言葉が、宇宙に満ち溢れる。石、水宇宙の音に満ちている。宇宙全体の命が躍動している。高野山金剛峯寺添田総務総長感想この番組をみて、コメントするような言葉がない。その生きざまに圧倒され、言葉を失う。道場に稽古に行ったのだが、圧倒的な圧力に押され、道場に入れなかった、という感じである。修行、画(修行)に向かう覚悟。崖と滝の画圧倒されて、立ち尽くしてしまう。しばらく見ていると、その崖は、過去、現在の壁のよう。それ...「空海の宇宙を描く千住博」TVを見て

  • 「SONGS 宮本浩次」を見て

    公園を歩く。文学散歩、趣味。永井荷風、夏目漱石、森鴎外を読んだ後、散歩する。風景が、テーマパークに変わる。安藤広重、葛飾北斎が、メルヘンの世界へ連れてゆく。難聴発症。歌手として絶望す。海で波の音を聞く。何度となく。「悲しみの果て」を波とともに歌う。♪悲しみの果ては、素晴らしい日々を送っていこうぜ~♬歳を取ったけど、希望は持とう、と。ソロで再生す。感想悲しみの果てに、見えてくるもの。決して素晴らしい日々ではないのかもしれない。自然、動物、物、映画、時間、人(もうこの世にいない人も含めて)など様々なものへの見え方が変わった。それぞれへの愛しさが増した。良いと思えるもの、一つ、一つ肯定できるものを書き残していきたい。宮本浩次は、私にとってストレートすぎる。自分を覆っている膜を剥がされる。むき出しの自分がさらされる。そ...「SONGS宮本浩次」を見て

  • 俳諧

    この時世に「俳諧」など悠長なと感じるかもしれない。私もそう思う。半面、現実逃避か。冷静さを保つのか。違う世界に身を置いてみたいとも思うのである。時空を超えて、時世を見つめることができたら。天下泰平鎖国文化熟成寛永文化1624年伝統文化のリバイバル伊勢物語、徒然草の出版俵屋宗達(風神雷神図)狩野探幽朱子学小堀遠州茶の湯「綺麗さび」東山文化、王朝文化の影響俳諧犬子集武士、町人古典のパロディ井原西鶴松尾芭蕉うかりける人や初瀬の山桜深川に隠棲芭蕉野分してたらいに雨をきく夜哉風狂の句侘びロマン的「冬の日」出版※侘び・・・茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。→寂(さび)2閑寂な生活を楽しむこと。「野ざらし紀行」旅で得た句を綴った。「...俳諧

  • 「純散歩」を見て 金沢編

    日本の中世の文化に少し興味を持ち、ブログにも少し触れた。純散歩では、金沢を歩く。和服の女性が二人、こちらに向かって歩いてくる。芸子さんと思われるが、誘われたわけではないが、当然のようにお茶屋に入って行く。座敷に背もたれ座椅子が、6席程並び、奥に真っ赤な敷物が敷かれていて、舞台がある。そこに太鼓が下がっていて、芸子さんから習いながら、一緒に太鼓を叩く。徐々にリズムがついてくる。ピッタリ合ったり、ずれたり。間違って、自分のおでこを打ったり。お酒が入ったら、どんどん楽しくなるだろう。また、来たいと思うだろう。芸子さんは、三味線、歌、舞などいろいろな芸事を習得しなければならない。伝統芸能が、ここにも受け継がれている。ただ楽しむだけでも良いのだが、伝統的な芸を身近に触れることができるのは、ありがたい。伝統を続けられている...「純散歩」を見て金沢編

  • 五輪書と脳梗塞後の体調管理

    放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」『道をおこなふ法』地の巻以下、項目に沿って自分を見直してみたい。脳梗塞後、頭の重くなる症状、頻脈に対して、生かせるか検証したい。・自分の道を愛し、半端に道から利益をむさぼろうとしないこと感想興味あることを自分なりにまとめ、ブログに書いている。利益は、考えないようにしているが、頭のどこかにフォロワーが増えたらいいのにと思っているところがあるかもしれない。その割に、一般受けする内容は、まるで書けていない。・自分たちのことと世の中のことを知り、基礎的な仕事を完璧にできるようになるのが大切感想仕事はできない状態。ブログ書きが仕事と思って、リハビリと思って書いている。文章力、わかりやすい構成、デザインの工夫、内容・質の向上など、まだまだやることはたくさんある。やり過ぎて、脳にダメ...五輪書と脳梗塞後の体調管理

  • 五輪書について

    放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」TV観て『道をおこなふ法』地の巻・自分の道を愛し、半端に道から利益をむさぼろうとしないこと・自分たちのことと世の中のことを知り、基礎的な仕事を完璧にできるようになるのが大切・あらゆる手段を使い切って勝利を得に行くこと・何につけてもタイミングやチャンスが大切で、それを掴むための鍛錬が要ること・邪な考えを持たず、実際の鍛錬を大切にし、色々な職業や芸道に関心を持ち、物事の真偽を見抜いて損得をわきまえ、わずかな変化や見えない物に気づけるようにし、役に立たないことはしないことわかりやすい五輪書簡単なまとめより水の巻①心を真ん中におきて、心を静かにゆるがせる②「生きた」体=即座にどのようにも動ける体勢「頭より足の裏までひとしく心をくばる」③目付=「観の目」で状況全体を見るいずれも日...五輪書について

  • 『雪舟』

    放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」「連歌師と茶の湯ー芸道の展開」(戦国・統一期)をTVで観て雪舟1467年(応仁の乱)48歳中国にわたる67歳「山水長巻」を描く四季を巡る移り行きを中国風に描いた。77歳「慧可断臂図」(国宝)を描く大胆な線と達磨と弟子の緊迫した場面を描いた。83歳頃「天橋立図」(国宝)を描く実景を約800mの高度から俯瞰した。87歳頃没する国宝は6点。描くことも修行とのこと。同時代に狩野派2代目狩野元信「四季花鳥図」室町後期「枯山水の庭」の流行禅寺水の代わりに白砂で波紋を描く龍安寺の石庭相阿弥作南北朝期の夢窓疎石作の西芳寺の石組をモデルに室町後期に枯山水の庭が流行いけばな「専応口伝」花の名手として活躍した池坊専応はいけばな理論を確立し花伝書を相伝するようになりました。...池坊専応口伝花...『雪舟』

  • 茶の湯 利休 / 松尾芭蕉

    放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」TV観て講師より茶道は、「形」を重視し過ぎているのではないか。むしろ、形ができてきたこれまでの過程を重視することの方が大事なのではないか。一期一会もっと自由なものではないのか。感想このように、型にはまった茶道を当たり前のように視るのではなく、その「本質」は何なのか、もう一度考え直す必要があるのではないかと言われている気がした。形を覚えること、型通りにすればよいというより、この瞬間は、二度と来ないということを最大限意識することが、茶道(というより、道の世界)の本質なのではないか、と思いつくまま書いてしまいました。一期一会の気持ちと茶でもてなすことができたら。松尾芭蕉生活のいたるところ「美」あり感想道、草、花、石など何気ないものを「視る」と「美」に映ることも。茶の湯利休/松尾芭蕉

  • 砂と坂道(エッセイ)

    症状脈の乱れ頭重感昔の自分でない前と今の自分の差このギャップは、日々気づかされる砂の穴から這い上がる膝を上げるが、ずるりと下がる「砂の女」に似た感じか。孤独な作業隣をみると、皆這い上がろうと必死だ。ずり落ちている。上がりきるのはまれだ。足首に力を入れて、這い上がるときれいな花が咲いていた。ずり落ちた時に、「頑張って」と冷たい飲み物を渡してもらったことがあった。思い出すと、這い上がれた時より、ずり落ちた時の方が、優しい音楽が、悲しい物語が、美しい景色、絵が胸に染み入った。ずり落ちて、絶望に近い気持ちになった時自分により添えるものが、すぐそこに。砂と坂道(エッセイ)

  • 「林家正蔵の今日も4時から飲み」を見て

    フィクション私は、体調が悪いのに今、ヨコハマにある地下のイギリスパブにいる。インテリアは、すべてイギリスからの取り寄せ。マスターは、イギリス人。まずは、ビールを注文する。適当にお任せした。真っ黒いビールが出てくる。意外に苦みがなく、飲みやすい。喉が渇いていたので、一気に飲み干してしまった。チップ&フィッシュが出てくる。透明のケチャップ。味が染みて、フィッシュがジューシー。次に薄い黄色のカクテル。少し甘酸っぱい。アルコール度は、強くない。周りには、お客さんが次々に入ってくる。席もいっぱいになりつつある。人気の店だ。最後に度数の強い45度のスコッチ。ツーフィンガーを一口一口じっくりと味わいながら、喉に流し込んでゆく。喉が、ジーンと焼ける。ポテトフライをかじりながら、また、一口。周りの賑わいを感じながら、最後の一口を...「林家正蔵の今日も4時から飲み」を見て

  • 脳梗塞後 症状からのトランスファー

    2月22日の朝に頻脈がもとに戻った。2月25日夜9時、頻脈始まる。2月26日午後2時頻脈継続中。喉が少し締め詰められる感じ。頭に血液が回っていない感じ。肩こりが、非常に強くなっている。後頭部は血液が回らず、停滞している感じ。重い。体全体が、きつい。胸に不整脈の違和感続く。コロナウイルスへの不安感も、このような嫌な感覚が身体にまとわりつく。東山文化の銀閣寺、絵画狩野正信、雪舟、能阿弥など思い浮かべる。それらには、詳しくないが、雪舟の『山水図』、『天橋立図』などを観る。現実逃避である。しかし、この一瞬。「美」に触れる瞬間の永遠。脳梗塞後症状からのトランスファー

  • 放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」 TV観て

    「連歌師と茶の湯ー芸道の展開」(戦国・統一期)をTVで観て尺八の音、百人一首の札、木刀での太刀稽古の映像で始まる。緊張感のある入りである。応仁の乱幕府の権威が落ち、下剋上が広がってゆく。中世時代は終わりを告げ、戦国の世と移っていく。浪人の北条早雲が、小田原城攻略(1495年)応仁の乱が終わり、将軍足利義政東山の山荘に銀閣寺を建立。庭園を造る。能阿弥「君台観左右帳記」(くんだいかんぞうちょうき)に、調度品などのことが記録されている。東山御物・・・義政所有の唐物(最高級の品)東山文化義政は、一芸に秀でたものを出入りさせていた。絵画・・・小栗宗堪、狩野正信能楽・・・音阿弥庭師・・・善阿弥立花・・・立阿弥、台阿弥同朋衆・・・能阿弥感想東山文化という言葉は、教科書に出てくるイメージしかもてなかった。興味もなかった。金閣寺...放送大学「文学・芸術・武道にみる日本文化」TV観て

  • 放送大学 「世界文学への招待」を見て

    第3回アメリカ文学と戦争感想アメリカ人が描く、戦争文学だけでなく、戦争相手国でも戦争文学が生まれている。その双方を鑑賞することによって、「他者」を意識化させることができる、というような解説がなされたと思われる。感想自意識の中の戦争の反省や慰めなどで終わるのではなく、「他者」の傷などをリアルに感じることで、「世界」「生」の捉え方が変わってくるのではないかと思った。放送大学「世界文学への招待」を見て

  • Eテレ 「欲望の時代の哲学」と見て

    哲学者、マルクス・ガブリエルが街頭で質問を受ける。「人生の意味は?」運命を探すこと。自分自身に近づいたとき、何者か理解できたとき。感想逆に探しながら生きている気がする。多くの人がそうではないのか。探そうとしなくなると、意味が分からなくなるのか。探そうとすると、それでも意味はわからないのだが、その中で少し何かしら、引っかかるもの、感じるものが現れるのではなかろうかと考えた。目的に向かって、懸命に取り組んだ果てに、「良かった」、時に大げさかもしれないけど「生きてて良かった」と思えることもたまにあるのではなかろうか。思い返せば、私は思い込みが強いせいか、何度かそのような体験をしたことがあった。でも、今、生きる意味を見出し、満足感を持っているかと問われるとそうだとは答えられない。しかし、このブログで、自分自身に近づくと...Eテレ「欲望の時代の哲学」と見て

  • 「背高泡立草」を読んで

    その土地、先祖について考えさせられた。この土地で、先祖はどのような営みを送っていたのか。どのような会話をし、笑い、泣き暮らしていたのか。先祖の生活を思い浮かべてみるきっかけとなった。遺影の先祖たちが、少し身近に感じられるようである。そんなご先祖に対し、恥ずかしくない生き方ができているのか、そう考えると自信はない。でも、応援してくれているのではないかと、勝手に思い、力が少し湧いた。「背高泡立草」を読んで

  • 体調

    昨日は、自分としてはブログをたくさん書いた。よって、今日はダメージが強い。松田聖子特集によって、意欲が高まったが。昨日は、書きたい欲求があり、自然に書いたつもりだが、やり過ぎてしまった。今日は、コントロールするぞ。頭が重たい。体調

  • 神保町歌謡倶楽部を見て 2

    「松田聖子特集」をみて風は秋色セーリング一千一秒物語eighteenRomance雨のリゾート白いパラソル少しずつ春潮騒ピンクのスクーターウィンターガーデン流星ナイト水色の朝黄昏はオレンジライムOnlyMyLoveあ・な・たの手紙好きな曲を選んでいたら、次から次に書かざるを得ない曲が出てくる。まだ、まだ止まらなのだ。知らないうちに松田聖子は、記憶、思い出の一部に。それだけでは、言葉足らず。浸食というと口が悪い。懐かしい気持ちが、大空に広がってゆく。青空、夕闇、星空、雨空へ。記憶の断片が、海に流れ、車と風になり、雪と溶け合い、雨に濡れ、木洩れ日に包まれて、息を吸う。甘く、少し苦いレモネードが溶けてゆく。神保町歌謡倶楽部を見て2

  • 神保町歌謡倶楽部をみて

    「安全地帯特集」について書こうと思ったが、ヒット曲数曲しか知らない。なので、あまり書けない。YouTubeを見たら、「蒼いバラ」がとても良かった。知らなかった。渋い、キャッチーな感じかと思ったら、渋さが際立っていくような感じ。昔のヒット曲は、思い入れもあるので、好きなのだが、「蒼いバラ」に関しては、新しく、自分にとっては安全地帯の中で最も重視したい曲になった。歌謡曲倶楽部については、またの機会に触れたい。神保町歌謡倶楽部をみて

  • 夕暮れとブラックコーヒーについて

    色彩、物、光、空気などの動きを表現する。物語の消失。「意味」の消失。涙を流す物語を欲す、など。物語の先。物語と物語のコラボによる物語の創造。その先。または、その反転。無、色彩~。苦悩、意味、矛盾、混沌消失。耽美主義。無意味の有意味。スキゾ(分裂)思考、リゾーム(地下連結、ネット・・・私の個人的イメージ)物語でなく、見た場面が、次々と展開していくだけ。思いついた音楽への思い、感じ方の表出。色彩、タバコ、ジャズなど連鎖していき、差異が生まれる。意味がなく、あるのは差異だけ。これを文章で表現することができるのか。今後は、これらのことと生きること、価値などを表現していけたらと思う。とても難しいことだと思うが。果たして、できるか。夕暮れとブラックコーヒーについて

  • 夕暮れとブラックコーヒー 7

    ふと窓際のテーブル席を見ると、ひとりの髪の長い女が座っていた。窓の外をみていた。左手に白いタバコを挟み、赤い口紅から透明に限りなく近いグレイの霧のような煙が、とぎれとぎれに見えていた。その時、ペギー・リーの「ブラック・コーヒー」が流れていた。それは、この部屋なのか、私の記憶の中なのかわからなかった。ただ、白いタバコ、赤い口紅、ブラックコーヒーの色彩のコントラストによって、必然に流れ出したのだ。私は、くすんだ金色と黒いカップの中の苦い記憶をぐっと飲み込んだ。夕暮れとブラックコーヒー7

  • ウィーンフィルハーモーニー管弦楽団 指揮 ハイティンク

    ベートーベンピアノ協奏曲第4番消え入りそうにポロンとメロディのかけらが、散っていった。そのかけらにふわふわと流されていく。どこまでも。小さなさざ波が、徐々にうねり出す。高い波に揺られ始める。ささやきも、激しさも、どことなく切なく、はかない。夕闇に消え入りそうな、柔らかな輝きにあふれていた。ウィーンフィルハーモーニー管弦楽団指揮ハイティンク

  • 体調

    30分、文章を書いた。想像力を使ったため?か、わからないが、脳が非常に疲れた。一瞬、ガーンと頭を殴られた後の鈍い重さが、のしかかってきている。決して、殴られたような「痛み」ではない。しばらく、作業は休む。横になって回復を待ちたい。体調

  • 夕暮れとブラックコーヒー

    コーヒーカップは、金色がくすんだ、錆びたと言っていいようなデザイン。ところどころ黒い絵の具を塗りつぶし、カップからはみ出すような模様がくっついている。深い焦げ茶色の染まった液体を口に含ませると、ピアノのポリフォニー(多音声)が、部屋中を駆け巡り始めた。ブラッド・メルドー。静かな中に、男と女が会話するように歌い始める。そんな風に勝手に聴こえてくるのだ。優しい言葉が交わり続け、時間を止めたまま音の一つ一つが雨粒のように降り注いでくる。夕暮れとブラックコーヒー

  • 夕暮れとブラックコーヒー(改題)

    初めは、酸味の強い雰囲気がいいと思っていたが、リズムがシンプルな方が、いいと思うようになり改題した。聞いたことあるような、ありふれた題名である。夕暮れとブラックコーヒー(改題)

  • ダイヤモンド☆ユカイ

    それほど詳しいわけではないのだが、昔、自分にとってはロックスターであった。レッドウォーリアーズは、カッコいいバンドだったのである。それが、年月が経ち名前も聞かなくなったあるとき「さんま御殿」に出てた。お笑い芸人に間違えられることもあるというが、自分にとっては、ロックスターなので、少し悲しい。しかし、ミュージカルの歌を歌ったり、彼のカラーが違った形で世に出ていることは、とてもうれしいことなのである。ミュージカルでも、そのブルージーさは、健在で、根底にはレッドウォーリアーズがまだいると感じている。まだまだロック魂は、生き続けていると思っている。しかし、ウォーリアーズの前のホンキートンクロックンロールバンドに小暮武彦がいて、小暮はレベッカ移る。レベッカ脱退後に、レッドウォーリアーズを結成したことは知らなかった。そして...ダイヤモンド☆ユカイ

  • 指揮者 ハイティンク

    楽譜に細部に渡る書き込み。前に行った曲でも、新しい楽譜で初めから取り組むと言う。「音が変わる」と言われるそうだが、本人はなぜだかわからないと言う。本当は、説明できる部分もあると思うが、謙虚な方だと思った。若いころは、細かなところを徹底的に繰り返し、準備するような形のようであった。自分の考えを重視していたようだ。年季を重ねて、要所を抑え、他の演奏者のアイデアを取り入れたり、楽団員相互の理解などを重視するようになったと、変化されたようである。いろいろな演奏家がいると思うが、このように円熟されるのは、理想的だなと感じた。このような演奏家の演奏は、味わい深い気がする。丹念に楽譜を読み、オーケストラと作り上げていく。聴く方としては、これらの努力により表された音を丁寧に聴きたい。聴けることは、ぜいたくな営みである。ロイヤル...指揮者ハイティンク

  • 創作 「夕暮れと~ブラックコーヒー」について

    起承転結がない。物語、言葉の意味。哲学に詳しいわけではない。私見であるが、ウィトゲンシュタインによって意味が解体され、言葉が散らばってゆく。だけど、意味を求めてしまう。文章で何かを表現しよう、伝えたいなど大それたことは、あまり考えていない。ただ自分の感じる雰囲気、空気を書いていく。なぜだかわからない。創作「夕暮れと~ブラックコーヒー」について

  • 脳梗塞後と創作

    脳梗塞後といっても症状は様々だと思われる。職場復帰できる方、かなわない方。麻痺が残る、残らない。脳が疲労しやすい場合、絵画を眺める、音楽をじっくり鑑賞する、文章もゆっくり噛みしめて鑑賞することが、今の自分の症状に合っている。それを拙い文章で表現することが、ある種のカタルシスを促す。決してノルマを課すことなく、体調、気持ちの流れに沿うことが良いのではないかと考える。しかし、今の自分はコントロールがまだ、未熟。創作のようにスローに、音のない波を泳いでゆきたい。脳梗塞後と創作

  • 夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー 5

    コーヒーは、マンデリン。苦いが、酸味はそれほど感じない。とにかく、コクがある。それがあまり苦手な人もいますね、とマスター。気に行った人は、やめられない、とも言った。本当にそうなのかわからない。自分がいつもこれを注文するから、なのか。インドネシアで採れた豆。こんなに贅沢なことはない。マンデリンを少し含み、壁にセザンヌ。アートペッパーのが乾いたアルトサックスが、この部屋の時間を物悲しく形作る。夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー5

  • 夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー 4

    タバコの煙は、かすかな霧のように、あてもなくどこへ向かうのかわからない。その消え入りそうな煙が、壁の絵画の上をスーッと通り始めた。深い緑色の葉、朱色の花が、徐々に薄まっていく。深い紺色や少し薄い緑色の背景が、かすかに薄れてゆく。霧の向こうにかすれて見える植物。森の奥深い場所。朝もやの中の川辺。鳥の鳴き声が一つ、響く。水の音は、聞こえない。深い緑色が、小さく波うつだけ。ベースソロが終わる。夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー4

  • ブラームス バイオリン協奏曲

    このモヤモヤした気持ち、ぐちゃぐちゃな感情と向き合ってくれるこの協奏曲。ハイフェッツ、冷静な超絶技巧派。彼の淡々とした演奏が、モヤモヤした気持ちの真ん中を無表情に突き抜けてゆく。時にぐちゃぐちゃした感情をバイオリンが表現してくれる。時に、スーッと上空を舞う鳥のような気持ちを味合わせてくれる。他に代えがたい一瞬の出来事。ブラームスバイオリン協奏曲

  • 脳梗塞後

    頭の重くなる症状が残っている。ここ数日は、ブログをよく書いた。それは、決して良いことではない。脳の、疲労が強くなるのだ。そのコントロールが難しい。書き終えた後に、ガーンと重りが頭に乗ってくる。脳梗塞後

  • 「夕暮れの酸味だけに近いブラックコーヒー」を考える

    一つの何気ない場面をどのようにとらえるのか。時間のない生活の中では、あまり考えなかったこと。その場面を描いている瞬間は、その場面の中にいるような気がしている。現実逃避かもしれない。また、一場面を切り取ったり、描く中で「色あい」「かたち」「美」「その場の雰囲気」など表現したい。それが一体何になるのか。読む人にどのような影響を与えることがあるのか。時間の無駄になるのではないか、など考えてしまう。自分の気持ちの落ち着くところを探しながら、書き進めていくのかもしれない。思いつく風景を書くことは、絵画を描いたり、楽器を弾いたり、コーヒーを飲んだり、酒を飲んだりすることと同じではないのか。小説に物語、起承転結を求めず、その場面、対象の中に同化してゆく、読みながら、思考を少し減らしたり、時間の流れ、速度を遅くしたりできないだ...「夕暮れの酸味だけに近いブラックコーヒー」を考える

  • 夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー 3

    コルトレーンのバラードを遮るように、コーヒー豆を挽く音が響く。ジャズを聴きに来たわけではない。この喫茶店すべての音が、この喫茶店の音楽と思っている。レコードは、チャーリーパーカーに代わっていた。チャーリーのたたみかけるソロにより、豆を挽く音はかき消された。ふと、斜め上に目を向けると、かすれた銅の縁取りの絵画が壁に掛けられていた。絵は、深い緑色と紺色を散りばめた葉を持った花が描かれていた。花は、真っ赤でなく、朱色。中心に花一つ。周りは、深い緑と紺色で、怖いくらいに怪しく、暗い色である。私は、何故かこの怪しい深い緑、散らばった紺色の葉、それらより少しだけ薄められた背景の壁の色に惹かれている。毎回来るたびに、少し不安になる絵なのだが、気になるのだ。落ち着かないのに、その色たちがなくなることのほうが、落ち着かなくなるの...夕暮れと酸味だけに近いブラックコーヒー3

  • 頻脈 もとに戻る

    7時目が覚めると、脈が元に戻っている。しかし、少しの頭痛、肩こり痛があり、気分はあまり良くはないが、本当にうれしい。胸や首(頸動脈?)の不整脈のリズムの乱れたズキズキが、無くなっただけで、とても過ごしやすい。幸せである。TVを付けると、不安なニュースが流れている。不安感を持ちながら、今日も医療現場など最前線で仕事をされる方々がいる。祈ることしかできない。いや、この言葉すら軽く感じ、実際言葉もでない。私は無能。頻脈もとに戻る

  • 頻脈 続く

    創作中は、胸の動悸、首、後頭部のズキズキ、違和感をあまり感じず、多少集中できた。それが終わった途端に、どっと嫌な違和感、胸の不規則な動悸を感じさせられた。もうしばらくの辛抱か。頻脈続く

  • 夕暮れと酸味に近いブラックコーヒー 2

    2.テーブル席の男女が、斜め前の視野に入ってきた。会話は無く、女は文庫本を見ながら白いコーヒーカップに指を掛けようとしている。男は、窓の方に身体を向けて頭を少し下げている。肘をテーブルに付き、タバコを人差し指と中指に挟んでいる。タバコの煙は、ゆらゆらと天井に向かってゆく。煙は、徐々に薄まり、消えゆこうとしている。煙はゆっくり広がり、ゆっくりと散ってゆく。白からグレイのグラデュエーション。限りなくうすい霧になって、次々と消えてしまう。次の瞬間、男の指に挟まれたタバコの先が燃え尽き、いっさいの音もなくテーブルの上へゆっくりとスローモーションに近い速度で落ちていった。コルトレーンのアルトは、ささやくようにそれでいて力強く部屋の空気を丁寧に表現していた。夕暮れと酸味に近いブラックコーヒー2

  • 創作について

    初めて、創作してみました。稚拙な創作です。今、少し症状できつい思いをしているので、気分転換ができないかなと思い、きつさからの現実逃避で書いてみました。書くことは、想像しないといけないので、大変さはありますが、情景に集中している間は、きつい症状から少し距離を置くことができました。創作の出来は、あまり考えません。気持ちを逸らすことが目的です。しかし、表現力を高め、物語の面白さは少しずつ、高めていけたらいいなと思っています。創作について

  • 夕暮れと酸味に近いブラックコーヒー

    1.ここは、繁華街を少し抜けた裏路地。茶色く、くすんだレンガ作りの壁。黒い小さなプレートにBrownsugarと白い筆記体で書かれてある。ドアの横の小窓から、ほんのり薄い黄色っぽい光りが、漂っている。薄暗くなった夕暮れ時。少し冷えた風が、スローモーションのように過ぎた。ドアを開ける。小さく「カラン」と乾いたカウベルに似た音がした。気持ちが軽くなる音だ。同時にジョン・コルトレーンのバラードが、優しく語りかけてきた。コルトレーンのバラードとコーヒーの香りが、溶け合いさっきまでの思考が、ふっと途切れてしまった。店名のブラウン・シュガーは、ローリングストーンズだが、ここは深く考えないでおこう。テーブル席は、2つ。奥にソファー席が2つ。その一つに、男女が座っている。年齢不詳。関係性は、不安定さが漂う。奥のカウンター席は、...夕暮れと酸味に近いブラックコーヒー

  • 頻脈 続く

    首、肩、肩甲骨、後頭部が、がっちりと掴まれたような感じである。鈍い緩い痛みが、続く。血流が悪い感じである。運動すると、呼吸が浅くなる。のどが締め付けられる感じになるのであまり動きたくない。こめかみにズキズキと鈍い痛みのリズムが刻まれている。頻脈続く

  • エリック クラプトン tears in heaven

    リラックスギターで流れてきた。なぜこんなに悲しくなるのか。胸の中を空しくさせるのか。悔しさ、空しさが一挙に襲ってくるのだ。苦しくなるので、聴けないという人もいる。クラプトンが、息子さんを亡くした時に作った曲というのが、関係しているのだろうか。当然だが、才能も。こんな音楽は、時に残酷である。知らず知らずに抑え込んでいた感情が、引きずり出されるのである。そして、それに気づかされる。感情は止まらなくなるが、流れるtearsinheavenに寄りかかると、そのメロディが包み込んでしまうのだ。エリッククラプトンtearsinheaven

  • 感想 『背高泡立草』 芥川賞

    一つの納屋の歴史をもとに展開された。現代にある「人口減少」「高齢化」「限界集落」「学校の閉校」など地域や世代に関して、関わってくる事象を草刈りという出来事を用いて語られたように思った。どちらかいうと、「減っていく」というイメージが強い事柄である。その中で、クジラと格闘したり、カヌーで海を渡るなど力強く、未来に突き進んで行けというメッセージも込められていたようにも感じられた。家族愛、家族のつながりを感じたり、土地の歴史に心を傾けることはとても大事なことだと思う。それと同時にどのように生きていけばいいのかと考えた場合、答えはないのであるが、「力強さ」「冒険」は、生への活力になるのではないかと考えた。「ちから」を考える時に、現代ではそれに執着すると、「疲労」「パワハラ」など力による弊害もあると思われる。「冒険」も事故...感想『背高泡立草』芥川賞

  • 頻脈 不整脈 と 『背高泡立草』

    95/分不規則なリズムを刻む胸、首にズキズキと不規則に教えてくれる。多少の息苦しさを伴いながら。私の自由な心臓は、働いてくれている。文章を考えると後頭部にズキズキを違和感を作り出す。今、『背高泡立草』(芥川賞)古川真人を読んでいる。自分の体の違和感。先日は、持っていなかった、感じていなかった違和感。時間の流れの中で、過去から現在を見る。違和感の感じなかった自分が過去にいた。現在からみてみると、とても幸せのように感じる。この違和感は、決してありがたいものではない。しかし、この苦しさ、違和感がなかったら、絶対に何気なく過ごせていた、ぜいたくな時間があった、持っていたことはわからなかった。何気なく、気の向くままに過ごせることが、どんなに贅沢なことなのかと、考えている。『背高泡立草』を読みながら、そのようなことを考えた...頻脈不整脈と『背高泡立草』

  • 頻脈

    本日、午後6時脈95/分現在22時27分95/分持続中。首がズキズキしている。後頭部、こめかみも少し、ズキズキする。テレビ、読書はできるが、あまり集中できない。ズキズキが気になる。神経質でもあると思うが。頻脈

  • 「純散歩」

    水面に映る松、青の空、緑がにじんでいる。ここは、兼六園。松の枝が、交わって生き生きとした力をみなぎらせているようだ。緑が深く、歩き進んでいくごとに染められてゆく。小さな橋を渡ると、一面白い砂が、まっすぐに広がり進んでいる。和服の女性が、木洩れ日の間を歩いている昼下がりの午後。兼六園を出て、川沿い近くの通りの街並みを歩く。おでん屋に入ってみる。カウンターにお客はまだいない。メニューを見ると10種類ほどのおでんの種類が記されている。昼から飲むには、早いがつい注文してしまう。地酒を2種類口にする。おでんは、味が染みて、口の中に広がってゆく。兼六園の風景も同時に広がってゆく。街は、こんなゆっくりとした時間を味わっている時ではないようだ。その中で、どのようにこの時を味わうことができるのか。「純散歩」と今、この時を散歩した...「純散歩」

  • 「高田純次」と「リラクゼーション」

    昔、あるテレビ番組で、高田氏がある(大御所の)女優さん宅にお邪魔し、調度品などを見せていただくという企画があっていた。その流れで、女優さんのゴージャスな指輪に目が止まった高田氏が、「よく見せていただきたい」とお願いした。女優さんは、快く指輪を外し、高田氏に渡した。彼は、若いころ宝石店に務めていたようなので、宝石に明るいこともあり話が弾んだのだろう。高田氏は、「すばらしいですね。」と連呼していた瞬間、自分の口の中にポンと指輪を放り込んだ。女優さんは、びっくりし、大声で怒り出した。そして、高田氏の頭を何度も何度も叩くのであった。高田氏は、何度叩かれても、口から出そうとしなかった。以前、彼の書いた「適当論」も購入した。私は、適当に書いてあるのだろうと思い、適当に読んだのだろう。その本について、何も覚えていない。だけど...「高田純次」と「リラクゼーション」

  • 体調 ストレッチ

    昨日は、ブログ書きすぎた。反省。書きたいことが思いつく。初めはいつも2~3行だけのつもりで、書き始める。書いていくにつれ、言葉がでてくる。自分の気持ちを分かりやすく表現しようという思いが、文字数を増やすことになっている。その結果、脳へのダーメジにつながっている。今は、目の疲労、首、肩、肩甲骨の凝りがとにかくきつい。運動不足も当然ある。ストレッチを5分ほどしている。もう少し続ける。体の痛みがあると、頭の重さ、脳の疲れへの意識が薄れるが、やはりそれらの症状は、しっかり持続している。現在、20分の作業であった。体調ストレッチ

  • 木田 元 「哲学以外」

    哲学者の初めてのエッセイ「すぐれた哲学者の書いたテキストを原語ではじめから終わりまで読みとおすなかで、はじめて哲学的にものを考える考え方が身につくのである。追思考するからだろう。ギリシャ語、ラテン語を一語一語辞書を引きながら、文章を正しく捉える訓練をしなければならない。その後は、翻訳のないテキストを正しく読めるようになる必要がある。」「哲学の勉強は武術の修行のようなものだ。」感想言葉、文章を軽々しく使ってはいけないような気にさせられる。自分が今できることといえば、このように気が向いたこと、興味あるものの中から何らかを吸収し、自分のため、また欲を言えば社会に対して価値ある、意味のあると思われるものを生み出していくことができれば幸せである。それは、そんなにおおげさな、難しいものでなく、「いいなあ」とか「ためになるな...木田元「哲学以外」

  • ダメージの軽減

    ブログ50分作業後、頭重くなり、横になった。25分して、今この文章を書いている。かといって、今から何か作業を始められるかというと、そうはいかない。次のブログまで、休憩。エネルギーを蓄えることとする。ダメージの軽減

  • 脳梗塞後 体調

    ブログに50分、取り掛かることができた。興味あることには、取り組むことができるが、50分はダメージが大きい。頭は締め付けられ、横にならざるを得ない。回復にどれだけ時間がかかるか。試しに計ってみる。脳梗塞後体調

  • 松尾芭蕉を初めて読む

    以前は、小説は少しは読んだことがある程度で、松尾芭蕉なんてまるで読んだことがない。しかし、仕事ができなくなり、いろいろなことができなくなると、些細なことが気になる、というか気にせざるを得ない。気にする時間が増えたのだ。TVで、松尾芭蕉は、高級な和紙で作られたノートのようなものを持ち、それに句を書いて残したとのこと。残すということを意識し、句に命を懸けたのではないかという話を聞いた。そこで次の句を鑑賞してみたい。春雨や蓬(よもぎ)をのばす草の道※草は字が違う春雨の恵みを受けて、道端のよもぎが、青々と、背高く伸びてきた。閑居の余情。(世間を離れて、静かに暮らす気分)感想まさに今の私が、閑居の余剰ではないか。この句を見なければ、道端の草、よもぎなど考えもしなかった。芭蕉は、じっと見る。道端の草をじっと、じっと見つめる...松尾芭蕉を初めて読む

  • 訂正 バッハについて

    先ほどは、自分の中でバッハはヘヴィ・メタルなどと書いてしまった。先ほどからさらに、脳を休めたく、YouTubeでいろいろ探していた。クラシックギターに行きつき、村治佳織さんのバッハ~主よ、人の~など聴いた。しばらく数名のクラシックギターを聴いた。そして、「リラックス」と検索したら、バッハのクラシックギターが出てきた。このバッハは、やさしくそしてギターの軽く、さわやか、それでいてどこか物悲しいこの音。今の自分に合っている。脳から少し力が抜けている感じ。これでバッハをわかったわけではないが、少なくとも今の自分の脳のリラックスには、なくてはならない音楽なのだ。自分にとってやはり、バッハは偉大である。訂正バッハについて

  • ハイドン 「時計」 101番

    「時計」を聴きながら、これを書いている。私は、クラシックは素人である。ただ雰囲気で聴いているだけである。今、脳が疲れている。何を聴こうか、と考えた末、これを選んだ。リラックスミュージック~自然、宇宙~などのほうが良かったかな、とも思ったが、それは少し物足りない。少しメロディがあって、しかも音数があまり多くないもの。メロディは、歌謡曲に近いと脳が、歌い始めリラックスに至らない。メロディはあるが、脳が一緒に歌えるほどキャッチーではないメロディを求めた。モーツァルトは、起伏が激しかったり、脳がメロディを一生懸命追っかけるので、疲れる。ベートーベンもいろいろあると思われるが、私の知っている限り、メロディは、最高にロマンティック、感情的、脳を揺さぶられる。もちろん悪いわけではなく、今の私の脳の疲れ具合が、すべて基準なので...ハイドン「時計」101番

  • 百人一首 小野小町

    花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに小野小町現代語訳桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。小倉山荘百人一首講座より参考にさせていただきました。感想「美」のはかなさの表現は、言うまでもない。自分は、今目の前にあるもの、風景、音楽などのはかない、そしてその「美」を感じることができるのか。せわしなく過ぎてゆく時間の中で、そんなこと気にせず過ぎてゆく。そして、より刺激の強い方向へ向かう。そして、目の前にある、または思い出の中にある「美」のはかなさに無神経になってゆく。梅の木ひとつ左に向かっている記憶に残る「美」移ろいゆく梅の花を想像して、書き残してみました。道端に転がる小さな石ころのよ...百人一首小野小町

  • 尾崎放哉 自由律俳句

    淋しい寝る本がない月夜風ある一人咳して一つ二つ蛍見てたづねる家あらしがすつかり青空にしてしまつた感想ページをめくるとついついいくつも読んでしまう。その孤独にひかれてしまう。これは、ブログのようである。私は、自分の症状をただ下手な作文のようにしか書けない。放哉は、孤独、淋しさを自由律句で表現しているように思う。そこには、ただ感傷的に流されず、思いのたけをただぶつけるというのでもないと思われる。そのものをよく、また鋭く観察し、瞬間を捉え、風景を切り取る。強いインパクトとして、私の胸、脳に飛び込んでくる。放哉は他人、世間とうまく関われなくて、孤独に過ごした時間も多かったようであるが、私にはこれらの句によってその悲しみ、切なさが愛しく感じられてしまうのである。尾崎放哉自由律俳句

  • 脳梗塞後

    頭の重い症状が続く。午前4時から5時まで、1時間ブログを書くことができた。もちろん休み休みであるが。うれしい。でも、きつくなった。頭が重く、横にならざるを得ない。この繰り返しだ。脳梗塞後

  • 頻脈

    頻脈と言っても、100/分くらい。臨床的には、あまり問題にされない。しかし、自覚症状といえば、のど、首(動脈と思われるが)などが、不規則(不整脈)にズキンズキンと嫌なリズムを打つ。胸もズキズキと変な感じがする。違和感が続く。気持ちが暗くなる。また、階段で首をぎゅっと絞められる感じになるのか。外を歩けば、きゅーっとのどを締められる、息苦しい感じになるのか、と暗い感じになる。ダメだ、暗くい気持ちに負けてはだめだと思う気持ちも起き上がる。一瞬一瞬を大事にしなければならない。でも、何もできない、などと気持ちの葛藤が続く。この葛藤は、有益なのか。自分は何をしているのだろう。他の人は仕事をし、また趣味に時間を生かしているのだろう。「階段」「歩く」「仕事」「趣味」「有益」「一瞬」「他の人」を振り返ってみる。普段、階段を何気な...頻脈

  • 症状 不整脈(頻脈)

    午前4時目が覚める。瞬間的に「もしかして戻った?」と思い、脈を取る。正確にリズムをとっている。うれしい。感謝したいと思います。症状不整脈(頻脈)

  • 不整脈(頻脈)

    先週2月15日に安定した脈に戻っていたが、今日16時ころ外出先で、90代/分になった。21時現在もそれが持続中。きつい感じはないが、不整脈で胸に違和感がある。この状態で、歩行を続けたり、階段を上ると、首、のどがゆっくり締め付けられる感じになる。呼吸も浅くなる。(酸素が肺にあまり入ってこない感じになる。)これがまた4~5日続くのか。たまたま、1日くらいで戻るのか。運である。薬で頻脈を抑えると息苦しくなるのだ。この状態で何をするのが良いのか。気持ちを落ち着け、できるだけ気持ちが楽になることに意識を向けることが大事だと思う。テレビ(バラエティなど、気楽に観れるもの)、音楽(リラックスできるゆっくり目の曲)、瞑想、絵画(海など)、漢詩、和歌、俳句など文学(大昔の人が、歌った風景など)今自分が考えらえるリラックス法である...不整脈(頻脈)

  • 脳梗塞から数年

    本日も頭が重い。脳が炎症を起こしているようだ。今日は、ブログのネタを考えるのもおっくうである。脳梗塞から数年

  • 脳梗塞後 脳の炎症?

    脳が極端に疲れやすい。脳が少し、炎症を起こしているような感じである。座禅を組み(必ずではなく、イメージ)、瞑想をするとすーっと頭の中に涼しい風が、ほんの少し吹いてくるようだ。そんな時、「ローカル路線バスの旅」の蛭子さんをみていると、気持ちがやすらぎます。私にとってバスの旅の蛭子さんは、安らぎである。このように、リハビリというと蛭子さんに失礼ですが、癒しの雰囲気をお持ちで、私のような症状を持っている者は、彼のような存在は、恵比寿様なのです。脳梗塞後脳の炎症?

  • バイオリン ハイフェッツ

    バッハシェコンヌ先日からこの1曲を聴いて、感想を書かせていただいている。名人に対して私がコメントする立場でないが、一素人、そして脳梗塞後の疲れやすい脳でなんとか生きている人間の立場で、感想を述べさせていただきたいと思います。「冷たい演奏」などと言われた。それは、あまりにも技術が完璧すぎて隙を与えないという意味が込められてのことだと思われる。本日、拝聴するにあたっては、私の疲れた脳に多少心地よさを覚えた。これは、なぜだろうと考えた。私にとって情緒的、感情的、感傷的な音楽は、聴きやすく、心を動かされやすい。そのため、逆に「動かされ」疲れるのではないか、と考えた。冷静な、冷たくとも技術的に優れた演奏は、心は動揺しないが、メロディがスムーズに脳に到達する。一つひとつの音に気持ちが揺らされず、小さな波のメロディが遠くの静...バイオリンハイフェッツ

  • 体調

    短いブログを15分ほどで、書いているが、脳は疲労感が強い。しかし、やめられないのは、性格、性分か。これがいけない。疲労度現在9/10体調

  • ギリシャ哲学入門 岩田靖夫

    「啓蒙とは」について簡単に言うと「暗い精神を明るくする」とのこと。(私個人の解釈)「デモクラシー(民主主義)の政治形態をとっている国は、まだわずかしかない。」という文をみて、びっくり。つくづく良い国に生まれたんだなと思う。古代ギリシャからデモクラシーと独裁が繰り返されていたとのこと。古代から人間はあまり変わっていないのか。私は啓蒙とは、洗脳に近いものだと思っていた。「教え」「命令」があっても、それにただ従っているだけではだめだとカント先生はおっしゃっている。自分の理性で、自分の責任で引き受けなければならない、と岩田先生が説明されている。自分の頭で納得しなければならない、と。仕事を辞めて、時間ができた。本を読んでも以前より、読んだあとに自分なりに考える時間が少し増えた。それもこのブログのおかげだ。ブログを書くこと...ギリシャ哲学入門岩田靖夫

  • 脳に優しい 景色 古今和歌集から

    月夜にはそれとも見えず梅の花香を尋ねてぞ知るべかりける凡河内躬恒【意味】月夜には白い光にまぎれて、梅の花はそれと見分けがつかない。香りを探し求めていって、その在り処を知ることが出来るのだ。何気なくたどり着いた歌。和歌など詳しくもないが、疲れている脳を癒すには、どんなものが良いのか自分なりに見つけたいと思い、結果この歌を選んだ。この歌をゆっくりと何度か繰り返し、情景を思い浮かべると、少しだけゆったりとした気分になる。そして、力の入った脳から緩やかに力が抜けていく感じになる。自分にとってそのような歌である。脳に優しい景色古今和歌集から

  • 体調

    AM7時起床頭ぼーっとしている。(7/10)TVニュースを30分みることができた。少しきつい。今日は、診察の予定であるが、病院に行くことの不安がある。基礎疾患患者は、コロナウイルスが重症化する率が高いようなので受診について、病院に相談してみようと思う。(待合室にいる時間が長かったり、発熱外来が設置されていなかったりしているとリスクがあると思う。)体調

  • 体調

    今、本を読んで感想を書いた。30分ほど作業をすることができた。しかし、頭は少しクラクラ、ふわふわする。今日は、これ以上作業をしてはいけない。横になります。体調

  • 西部 邁 「保守思想のための39章」を読んで

    西部氏の言う「保守主義」とは、私の頭で理解することは、無理だとわかっているのであるが、興味があるのである。西部氏が、おそらく命を懸けて訴えてこられた思想、それをほんの少しでも触れることができたらと少しずつ読んでみようと思っている。読みたい本が多すぎて、自分をコントロールできない。1章地球の危機帝国主義が蔓延する本文より「世界がアメリカ帝国主義によって席捲される理由も、保守思想の系譜にかんする現代人の無理解という点に求められよう。」近代主義VS保守思想保守思想を知り、帝国主義・近代主義の新たな見方ができたら幸いである。考え方を新たな角度でみることができたらと思う。西部邁「保守思想のための39章」を読んで

  • 墨東奇譚 永井荷風 を読んで

    これは、感想文ではない。この本を読んだことはあるが、詳しく覚えていない。本文よりわたしは古本屋の名は知らないが、店に積んである品物は大抵知っている。創刊当時の『文芸倶楽部』か古い『やまと新聞』の講談附録でもあれば、意外の掘出物だと思わなければならない。しかしわたしがわざわざ廻り道までして、この店をたずねるのは古本のためではなく、古本を鬻ぐ亭主の人柄と、廓外の裏町という情味とのためである。以上私は、上記のにおいに惹かれるのである。本屋の名をは知らないが、品物の本は大抵知ってる。「積んである」というところもいい。本のたたずまい、風景が味わい深い気がする。大抵の本は、わかるのに掘り出し物より、「裏町」「亭主の人柄」に重きを置いているところが、とても面白い。この「裏町」「亭主の人柄」の『重き』が、この小説の根底に流れて...墨東奇譚永井荷風を読んで

  • 現代の国際政治 (放送大学 TV)を見て

    「第3回メディアと指導者たち」をみて、考えたこと。●「メディアを制する者は、権力を制する」昔から、絵画、写真、ラジオ、新聞、テレビ、インターネット、ツイッターなどと時代に沿って、メディアをうまく使った指導者が、権力を握ってきたという一面が、歴史にはあるとのこと。ユーチューブ、ネットニュース等の情報はどこまで真実か正確には突き止められない。毎日、そのようなニュースを浴び続けるとそれが主軸のような考え方になっている自分がいるように思う。自分の軸をずらしてみる、考えることができるのか。強い権力者からの情報を客観視したり、軸をずらしたりして考えることができるのか。多面性を意識して、情報を得ていきたい。現代の国際政治(放送大学TV)を見て

  • アートペッパー ジャズ アルトサックス

    脳が疲れている。こんな時、どうして過ごそうかと考えた。アートペッパーが浮かんできた。レコードに針を落とす。静かに風がそよぎだす。木の葉が、ふんわり揺れ始めた。遠くに広がる緑が、小さく波打つ。アートペッパージャズアルトサックス

  • 体調

    依然として、頭の中が、サウナでぼーっとした感じは続いている。脳を使った後に生じてくるのだろう。1日に9つのブログは、やり過ぎた。調子が良いとこのようになってしまう。体調

  • 体調

    まだ、頭の中ののぼせのような症状が、続く。ブログを書くために頭をフル回転させたためなのかもしれない。こうやって、反省しながら調整していくしかない。ついやり過ぎてしまう性格傾向にある。体調

  • Over the Rainbow

    キースジャレットこれまで、たくさん彼のアルバムを聴いてきたわけではないけれど、こんなにはっきりとメロディを弾くこともあるのか、ととても意外であった。私は、ジャズに対して、そのアドリブはできるだけ音数を多くすることが、当たり前のことと思っている。そして、それをどことなく望んでいる気がする。個人的に思うに、キースジャレットはできるだけ音数を少なくしている。音と音の間を歌い、音と音の間に思いをつぶやく。感情を浮かべる。虹の向こうへ、優しく語りかけている。OvertheRainbow

  • 荷風俳句

    桜にはまだ程もあり雨三日感想俳句は、詳しくない。荷風先生の生き方がかっこいいと思い、彼の作品を少しずつ味わってみたいと思う。今ころに合う句かなと思った。桜に雨が降っているわけではないが、降っている雨の向こうに幻想的に桜が映りだされていて、実際の桜を見て詠うより、桜が美しく現れてくるようだ。荷風俳句

  • 脳梗塞後 症状

    頭の中が、サウナでのぼせているような状態。これで何かに取り組むと徐々に頭が締め付けられていく。疲労感、倦怠感が頭の中に充満する。現在がそれである。脳梗塞後症状

  • 体調

    ブログの記事を書きすぎたと思われる。また、頭が重くなった。10分くらいの作業なのに。しばらく、休憩。このようにコントロールしなければ。まだまだ、体調を知ることは難しい。体調

  • 尾崎放哉 鑑賞

    自由律俳人である。作品●渚白い足出し感想この短い言葉に、目の前に白い渚が一面に広がる。足から砂の渚という角度。白い砂。その先に波が押し寄せる。その上に青い空。「足」による臨場感。夏のさわやかな風景が、飛び込んでくる。尾崎放哉鑑賞

  • ハイフェッツ シェコンヌ

    本日は、ハイフェッツ。2回目のシェコンヌ。素人の私が、2回目の感想を書いたところで。やはり今日も「冷たいバイオリニスト」が立ちはだかった。超絶技法。庄司さんより、速く弾かれている。それが、感情、感傷に浸らせない条件の一つなのだろうか。昨日より少し、自分の気持ちに変化がみられたのは、やはり、技術の安定感、安心感を感じた。(当然といえば当然なのだが)速く、冷たさの感じる演奏なのに、少し安心感を感じた。根底には、音楽、人生、世界、宇宙の深みが。そこまで聴きとれるには、音楽、その他の人生の教養を深めないといけないのであろう。ハイフェッツシェコンヌ

  • 背番号19

    田中将大選手。楽天時代の監督が、野村監督。ヤンキースでの19番は、空いていたということもあるし、もちろん監督を意識されたとのこと。ソフトバンク捕手甲斐拓也選手育成選手から日本代表になった。背番号130→62→19野村克也監督を慕って、いつか付けたと頑張ってこられた。ようやく19番をつけることとなった時に、監督は他界された。野村監督は、テスト生で南海ホークスに入団。背番号60→19同じ境遇で育った甲斐拓也選手が、日本代表のキャッチャーとなり、19番を背負ってくれたことは、嬉しかったのではないかと、勝手に思ってしまった。背番号19

  • 暗夜行路 文章練習

    謙作と登喜子本文から~軍師券という遊びの時~「ちょいと、これでしたわネ」と登喜子は謙作の顔を覗き込むようにして、同じ指を握り返した。そんな時、他の人の場合では、感じない鋭敏さを以って、その握方の強さを彼は計った。そして此方(こちら)から彼方(むこう)を握る場合にも、同じ鋭敏さで握方が、それ以上、何の意味をも現わさないように注意した。彼は登喜子が多少でも意味のある握方をする事を恐れた。望みながら恐れた。これは矛盾だった。然し、それが彼の神経で、又行為の上の趣味でもあった。その癖彼はやはり何かで登喜子の好意の証が見たかった。以上。好きか嫌いか尋ねて、答えを聞けばそれまでなのだが、それでは物語にならないし。恋愛の駆け引きや相手との距離を近づけていく段階を感じたり、ハラハラしたりするやり取りが楽しかったりすると思われる...暗夜行路文章練習

  • 体調

    頻脈が収まって、ようやく落ち着いて、安心して生活できるなと思っていた。夜中、目が覚めると息苦しくて、不安になった。指先が少し冷たい。いつもはそんなこと感じることはないのに。夜中、とても不安だ。以前、主治医に話したら、仕方ないと言われた。我慢するしかない。それから10時間くらい経つが、あまり変わらない。最近は、心不全も運動を勧める傾向になる。良いか悪いかは、個人によると思うし、主治医の判断であるが。少し体を動かすと、血行が良くなるせいか、呼吸が少しだけ楽になる気がする。このようにして付き合っていくのだ。体調

  • ブラッド・メルドー

    私は、「ジャズ」に関してもクラシック同様、素人である。その立場で、感想を述べさせていただきたい。ブラッド・メルドーは、私にとって、「複雑」である。でもそれは、ただわかりにくいというのではない。バッハと同じようにメロディが、2重に流れているのである。他のジャズピアノもそうだという方もおられるかもしれない。しかし、他のミュージシャンとは何か違う気がする。右手と左手でメロディを弾いている感じがするのである。後半、曲が盛り上がる時は、F1レースのように駆け抜けて終わることもある。一つのメロディを少しずつ崩してゆくその過程が、抽象画の四角、三角、ギザギザなど変形し、離れ、壊れてゆく。そして、徐々に近づき、くっついて静かに終わる。ブラッド・メルドー

  • 庄司紗矢香 シェッコンヌ

    今日も聴いてしまった。日課である。私にとってバッハは、難しい。しかし、わかりたい。少しでの良いので。その音楽の良さを味わいたい。今日は、2回続けて聴いた。昨日は、柔らかい、日本的ななんてことを書いたのだが、今日は、きびきびしていて、メリハリがある感じがした。(素人の感想)今日は、演奏より、曲に意識がいった。バッハは、ポリフォニー(多声的)と言われていたが、あまり意識したことがなかった。今日は、曲を聴いていたら、メロディが2重に絡みあっていることを聴くことができた。会話をしていた。掛け合うところは、なんとなくわかりやすいのだけれど、絡み合うところの演奏力とは、想像を絶する。こんな複雑な音の絡みをよく演奏されるなあ、と思った。弾くだけではなく、生き生きとまた優しく会話したり、激しく言い合ったりという情景を表現される...庄司紗矢香シェッコンヌ

  • 文章 学ぶ

    「暗夜行路」今日も、志賀直哉を学ぶ。書き写すだけだけど。雨はひっきりなしの本降りになって了った。もう人通りも前程ではなかった。一台の自動車が雨の糸をその強い光りで銀色に照らしながら通り過ぎた。以上。「雨の糸」、「銀色に照らし」は、応用できたらいいと思う。「ひっきりなしの本降り」「人通りも前程では」は、一見しゃれた風でもなく、そのままを描いている感じである。「そのまま」を描くことが、できるようでできないと文豪方はおっしゃっておられるのだろうか。文章学ぶ

  • 体調

    頭が重い。きつい。8/10体調

  • 体調

    昨日、ブログを書きすぎたせいか、本日は頭がのぼせている。ぼーっとしていて、考えごとをすると頭が締め付けられるようになる。反省。いつもこれできつい思いをしている。いつになっても、このパターンを学習できていない。反省。体調

  • 「純散歩」

    高田純次さんの番組。脳が疲れているときに取りだめている録画をつい見てしまう。適当な感じで、楽しそうに街をぶらぶらしてる。あこがれの仕事だ。でも、ああいう風に番組を進められる人は実際にはあまりいないのではないだろうか。観るのとやるのとでは大きく違うのだろう。自分がする可能性は全くないので、そこまで考える必要はないのだが。タクシー会社で、アニメの女の子のキャラクターを描いたタクシーが登場した。全国からファンが乗りに来ている。また、そのタクシー会社に若者の就職希望者が増えたとのこと。いい試みなだなと思った。ちなみにこの時は、タクシー会社に入って「どうもテレビ朝日の純散歩で来た、くれおんしんちゃんと申します。」と挨拶されていた。錦糸町のパルコに入った時は、「どうも林家パルコです」だった。「純散歩」

  • 体調

    昨夜、不眠気味、曇りの天気、心不全などの影響か、頭が重く、ふらつき感あり。座ってこの文章を書くことはできる。歩行はできるが、ふらつき感があるため移動はおっくうである。ここ数年、このふらつき感はあっても実際、倒れるようなことはなかったのでこういう症状と付き合うしかない。脳梗塞後の検査も特に異常ないということであった。精神的、神経的なものが大きいようである。文章が書けるだけ、感謝しなければならない。「良い文章」ではないが。体調

  • 頻脈解消

    午前2時10分脈が60/分に戻る。(ペースメーカー)後頭部、首、肩、背中あたりに血液が滞っている感じで、鈍い痛みが持続していた。2月8日(土)から6日間くらい苦しい日々が続いていた。本日1時ころに痛み止めを服用した。痛み止めを飲んでいるので、後頭部や肩の痛みはあまり感じないが、いつもは脈が戻ると徐々に痛みが引いていく。今徐々に引いていっているのではないか。脈に違和感のない、ズキズキとした気持ち悪さ、痛みがないことに本当に幸せを感じる。生きていて良かった。家族やその他の人々、世界のすべてに感謝したい。今は夜中で、脳梗塞の後遺症で頭の重さや少しの揺れのようなものがあるが、とりあえず頻脈の苦しみから解放されたことに感謝したい。このブログで症状のことを書いているが、これを読んでいただくことがその方に何のお役に立てること...頻脈解消

  • 文章の勉強

    ご承知の方も多いとおもわれるが、志賀直哉は、夏目漱石、和辻哲郎、芥川龍之介などから「文章」を高く評価されていたそうである。先日から「暗夜行路」を少しずつ読んでいる。小説の初めのところを書き出して、文章を味わってみたい。原文私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月程経って、不意に祖父が私の前に現れて来た、その時であった。私の六歳の時であった。或る夕方、私は一人、門の前で遊んでいると、見知らぬ老人が其処へ来て立った。眼の落ち窪んだ、猫背の何となく見すぼらしい老人だった。私は何という事なくそれに反感を持った。以上場面をはっきり思い浮かべて書いているようである。リアルを重視しているというか、「伝える」ということを意識されているのか。私には、上記の文章が他の作家と比べてどうという違いがわか...文章の勉強

  • 田島貴男 オリジナルラヴ

    「ラヴァーマン」「TheRover」この人の曲は、好きな曲ばかり。というか、自分のキャパシティーを超えたところの曲ばかりでいつも新しい世界をみせてくれる。田島さんの才能があったら、人生楽しいだろうなと勝手に思う。でもこのような曲を作るというのは才能だけでなく、想像絶する努力をされているからというのは想像できるのだが。いつも新しい空気を発し、時代に切れ込んで、先の先を行く光のよう。宇宙の外で弾けている。田島貴男オリジナルラヴ

  • ハイフェッツ 庄司紗矢香

    今日も昨日に引き続き、バッハのシェッコンヌを聴く。なぜ2日続けて聴くかというと、バッハは1~2回聴いてわかるものではないであろう。そして、バッハ、演奏家を少しでも自分なりに理解したい、より音楽を楽しみたいという欲求がらである。基本的に私にとってバッハは難しい退屈なものなのだ。しかし、その芸術を少しでも味わってみたいと思うのである。バッハをよく聴くと(そんなに聴いているわけではないが)ワンフレーズを少しずつ変形させているように思われる。ジャズのアドリブにもよく出てくるメロディのような気がする。ハイフェッツは、その繰り返しに似た、フレーズの変形をこれでもかという感じで力ずよく、突き進んでゆく。まるでロックのギターソロがだんだんスピードを上げて、皆を上空に連れてゆくかのように。庄司さんも今日も聴いた。一音一音丁寧に、...ハイフェッツ庄司紗矢香

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白い雨粒、透明な霧雪
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