ついに「1998.5 → 2021まで封印」と書かれたグレーの社用封筒を開封する日がやってきた。この封筒の中には、27歳の私が50歳の私に宛てた手紙が入っている。 封筒から便せんを取り出す。 うわー!質素な便せん。 縦書き、且つ鉛筆書き。 思った通りだ。ダサすぎる。 気を取り直して、3つ折りの便せんを開いた。 50歳を過ぎた私がこれを読むとき、どんな気持ちなのだろう。23年間この手紙の存在を忘れることなくいられるだろうか?読み返すことなく、内容をスラスラと言うことができるのだろうか?それとも意外と引越しや何かで、あっさりと無くしてしまっているかな? できることなら、これを読むシチュエーションと…
「1998.5 → 2021まで封印」と書かれた「27歳の私が50歳の私に宛てた手紙」の封筒は、当時私が勤めていた会社の社用封筒だった。 グレーの長3封筒に鉛筆書き。 ありえない……。貴重な手紙を書くときは、おしゃれなレターセットに高級万年筆(持ってないけど)で書くものでしょう、普通は…… なに?どういうこと?思いつき? そもそも、なんで書こうと思った? 書いた記憶が全くない。 何を書いたんだろう。 結構分厚い。長文のようだ。 両手で封筒を持ちながらひとしきり考えを巡らせた後、笑いが止まらなくなった。 なんだかすべてが私らしい。 23年後の自分に手紙を書こうという発想や、友だちと一緒にノリで書…
2021年2月、私は50歳の誕生日を迎えた。 年を重ねるにつれ、誕生日を手放しで喜べなくなるのが人の常だ。60歳以上になると還暦、喜寿、傘寿など長生きのお祝いムードになるが、50歳は「初老」とか「戦国時代の寿命」などと皮肉を言われがちだし、自虐する人も多い。 しかし、私は50歳の誕生日を2年前から待ちわびていた。 2年前、ミツキが高校に入学し、リオは小6、実父は亡くなり、私は暇を持て余していた。 そこで、家中の物の棚卸しを始めた。 今の家に住み始めたのは、ミツキが生まれる3か月前。身重の体での引っ越し作業は、お腹の張りとのタタカイだったことを懐かしく思い出す。 使用頻度の高い物は棚の一等地に。…
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