正覚者の言葉の書き写しをメインに、仏教の話題、折々の出来事、日々の雑感など。<br>自他法界同利益 倶生極楽成仏道
正覚寺住職 千葉県東葛地区在住 ハンドルネームは「クリームコロッケ」又は「えびちゃん」 ※正しく覚った先人方の言葉の書き写しをメインテーマに、日々の小さな出来事や写真、雑記等のご紹介をして行きたいと考えています。自他共に、このブログが覚りの機縁となり、正覚に至ることを祈念いたします。
おはようございます。九・d師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《尊敬さるべき人》が<わたしは尊敬さるべき人になった>とういうような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。尊敬さるべき人が、<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、師よ、実に、尊敬さるべき人といわれるようなものははなにもないからです。それだからこそ、《尊敬さるべき人》と言われるのです。師よ、もしも、尊敬そるべき人が<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこしたとすると、かれには、かの自我に対する執着があることになるし、生きているものに対する執着、個体に対する執着、個人に対する執着があるということになりましょう。」(中村元紀野一義訳岩波...金剛般若経九d
おはようございます。まだまだ梅雨は続きます。九・c師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《もう決して生まれ変わって来ないもの》が、<わたしは、もう決して生まれ変わって来ないものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。もう決して生まれ変わって来ないものが、<わたしは、もう決して生まれ変わって来ないものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、師よ、実に、もう決して生まれ変わって来ないものになったといっても、なにもそういうものがあるわけではないからです。それだからこそ、《もう決して生まれ変わって来ないもの》と言われるのです。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※もう決して生まれ変わって来ない...金剛般若経九c
おはようございます。九・b師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《もう一度だけ生まれ変わって覚るもの》が、<わたしは、もう一度だけ生まれ変わって覚るものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。もう一度だけ生まれ変わって覚るものが、<わたしは、もう一度だけ生まれ変わって覚るものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、もう一度だけ生まれ変わって覚るものになったといつても、なにもそういうものがあるわけではないからです。それだからこそ、《もう一度だけ生まれ変わって覚るもの》と言われるのです。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※もう一度だけ生まれ変わって覚るものー斯陀含(しだごん)、一来、サカ...金剛般若経九b
おはようございます。九・a(世尊が言われた―)「スブーティよ、どう思うか。《永遠の平安の流れに乗ったもの》が、<わたしは、永遠の流れに乗ったものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか」。スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。永遠の平安の流れに乗ったものが、<わたしは、永遠の流れに乗ったものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずはありません。それはなぜかというと、師よ、実に、彼はなにものも得ているわけではないからです。それだからこそ、《永遠の流れに乗ったもの》と言われるのです。彼は、かたちを得たのでもなく、声や、香りや、味や、触れられるものや、心の対象、を得たわけでもありません。それだからこそ、《永遠の流れに乗ったもの》と言われるのです。師よ、もしも、永遠の...金剛般若経九a
おはようございます。八師は問われた―「スブーティよどう思うか。立派な若者や、あるいは立派な娘が。この《果てしなく広い宇宙》を七つの宝で満たして、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人々に施ししたとすると、その立派な若者や立派な娘は、そのことによって、多くの功徳を積んだことになるであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、幸ある人よ、その立派な若者や立派な娘は、そのことによって、多くの、多くの功徳を積んだことになるのです。それはなぜかというと、師よ<如来によって説かれた、功徳を積むということは、功徳を積まないということだ>と如来が説かれるからです。それだから、如来は、<功徳を積む、功徳を積む>と説かれるのです。」師は言われた―「そこで、また、スブーティよ立派に若者や立派な娘があって、このはてしなく広い宇宙を七つの宝...金剛般若経八
おはようございます。昨日は豪雨で雨水路が溢れ、道路が冠水していました。知っている土地でしたので低い場所を避けて帰ってきました。知らない土地の場合は、焦らずに水が引くのを待って動くのが良いと思いました。皆様のところは大丈夫でしょうか。今日も注意が必要です。さて、はじめましよう。七さらに、また、師はスブーティに向かってこのように問われた―「スブーティよ、どう思うか。如来が、このうえない正しい覚りであるとして現に覚っている法がなにかあるだろうか。また、如来によって示された法がなにかあるのだろうか。」こう問われたときに、スブーティ長老は師に向かってこのように答えた―「師よ、私が師の説かれたところの意味を理解したところによると、如来が、このうえない正しい覚りであるとして現に覚っておられる法というものはなにもありません。ま...金剛般若経七
おはようございます。六このように答えられたとき、スブーティ長老は師に向かって次のように訊ねた―「師よ、これから先、のちの時世になって第二の五百年代に正しい教えが亡びるころには、このような経典の言葉が説かれても、それが真実だと思う人が誰かいるでしょうか。」師は答えられた―「スブーティよ、あなたはそういう風に言ってはならない。これから先、のちの時世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、このような経典の言葉が説かれるとき、それが真実だと思う人が誰かいるに違いない。スブーティよ、また、これから先、のちの時世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、徳高く、戒律を守り、知恵深い求道者・すぐれた人々は、このような経典の言葉が説かれるとき、それは真実だと思うに違いない。スブーティよ、また、かれら求道者。す...金剛般若経六
おはようございます。五「スブーティよ、どう思うか、如来は特徴をそなえたものとして見るべきだあろうか。」スブーティは答えた。「師よ、そう見るべきではありません。如来は特徴を備えたものとして見てはならないのです。されはなぜかというと、師よ<特徴をそなえているということは、特徴を備えていないということだ>と如来が仰せられたからです。」このように答えられた時、師は、スブーティに向かって次のように言われた。「スブーティよ、特徴をそなえているといえば、それはいつわりであり、特徴をそなえていないといえば、それはいつわりではない。だから、特徴があるということと、特徴がないということとその両方から如来を見なければならないのだ。」(中村元紀野一義訳岩波文庫〜)頌6(供養・布施の対象である如来を、その徳が原因となって)因果的な作られ...金剛般若経五
おはようございます。四ところでまたスブーティよ、求道者はものにとらわれて施しをしてはならない。何かにとらわれて施しをしてはならない。形にとらわれて施しをしてはならない。声や、香りや、味や、触れられるものや、心の対象にとらわれて施しをしてはならない。このように、スブーティよ、求道者・すぐれた人々は、跡を残したいという思いにとらわれないようにして施しをしなければならない。それはなぜかというと、スブーティよ、もしも求道者がとらわれることなく施しをすれば、その功徳が積み重なって、たやすくは計り知れないほどになるからだ。スブーティよ、どう思うか、東の方の虚空の量は容易にはかり知られるだろうか。」スブーティは答えた。「師よ計り知られません。」師は問われた。「これと同じように、南や西や北や下や上の方角など、あまねく十方の虚空...金剛般若経四
おはようございます。三師はこのように話し出された「スブーティよ、ここに、求道者の道に向かう者は、次のような心をおこさなければならない。すなわち、スブーティよ『およそ生きもののなかまに含められるかぎりの生きとし生けるもの、卵から生まれたもの、母胎から生まれたもの、湿気から生まれたもの、他から生まれず自から生まれ出たもの、形のあるもの、形のないもの、表象作用のあるもの、表象作用のないもの、表象作用があるのでもなく無いのでもないもの、その他生きもののなかまとして考えられるかぎり考えられた生きとし生けるものども、それらのありとあらゆるものを、わたしは、《悩みのない永遠の平安》という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実は誰ひとりとして永遠の平安に導き入...金剛般若経三
おはようございます。今日まで梅雨の一休み。明日からはまた長雨です。今朝は外回りの粗大ゴミを整理しました。スッキリしました。二ちょうどそのとき、スブーティ長老もまた、その同じ集まりに来合わせて坐っていた。さて、スブーティ長老は座から起ちあがって、上衣を一方の肩にかけ、右の膝を地につけ、師の居られる方に合掌して次のように言った。「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人によって、求道者・すぐれた人々が《最上の恵み》につつまれているということは。師よ、すばらしいことです。如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人によって、求道者・すぐれた人々が《最上の委嘱》をあたえられているということは。ところで、師よ、求道者の道に向かう(菩薩の乗り物で進んで行く)立派な若...金剛般若経二
おはようございます。まだまだ梅雨は明けませんが、今日の午前中は晴れ。お洗濯日和です。今回からは再度、金剛般若経を掲載します。前回は無著の頌を途中から入れたので、今回は未掲載のものを補完してアップしていきます。金剛般若経(金剛般若波羅蜜経)邦訳尊ぶべき、神聖な、智慧の完成に帰命したてまつる一わたくしが聞いたところによると、あるとき師は、千二百五十人もの多くの修行僧たちと、多くの求道者・すぐれた人々とともに、シュラーヴァスティー市のジェータ林、孤独な人々に食を給する長者の園に滞在しておられた。さて師は、朝の中に、下衣をつけ、鉢と上衣とをとって、シュラーヴァスティー大市街を食物を乞うて歩かれた。師はシュラーヴァスティー大市街を食物を乞うために歩かれ、食事を終えられた。食事が終ると、行乞から帰られ、鉢と上衣とをかたづけ...金剛般若経一
おはようございます。生存を構成する五つの要素(五蘊)をすっかり知り終えて、その根は絶たれたままである。わたしは苦しみの消滅に到達し、汚れの消滅を体得した。イシダッタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句120
おはようございます。樹木の根本の茂みの中に進み入って、心のうちに安らぎを落ち着けて、瞑想せよ。ゴータマよ。怠ることなかれ。がやがやおしゃべりすることが、そなたに何の用があろうか。ヴァッジプッタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句119
おはようございます。老齢は、命ぜられているかのごとくに迫ってくる。形は同じであるにもかかわらず、異なっているかのごとくになる。わたしは同一であって立ち去ることはないのに、他のものであるかのごとくに自己を想い起こす。キンビラ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句119
おはようございます。今日も昨日も一昨日も、明日も明後日も、よく降ります。草木の色は濃くなります。よく化粧し、美しい衣服をまとい、あらゆる装飾具で飾られた(世俗の人であったが)、わたしは三つの明知を体得した。仏の教えは、なしとげた。ヤサ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句117
(頭上、木の枝に孔雀がとまっておりました。梅雨の候、雨引観音にて。)おはようございます。六つの接触の場(五つの感官と意)を捨てて、感官の門を譲り、よく自らを制し、罪悪の根本を抜き去って、わたしは汚れの消滅に達した。パーラーパリヤ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句116
おはようございます。藪と樹木の多い山岳、木や草に覆われている名高いネーダーサカ山によって、そなたは見下されているのである。マハーナーマ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句115
おはようございます。命は消耗していくのに、体はでっぷりと肥って重く、体の快楽のみ貪る修行者に(道の人たる)善き特性がどうしてありえようか。アディムッタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句114
おはようございます。清く澄んだ水あり、ひろぴろとした岩盤があり、黒面の猿と鹿がいて、水と苔で覆われている岩山は、わたしを楽しませる。ヴァナヴァッチャ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句113
おはようございます。わたしは三つの明知をそなえている。偉大な瞑想者であり、心の静まりを究めている。わたしは真の目的を達成した。ブッダの教えを成し遂げた。ヴァッチャゴッダ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句112
おはようございます。出家することは難しい。種々の家にあって生活することも忍び難い。教えは深遠である。財産は取得し難い。機縁に応じて得られたものだけで生活するのも難渋する。それ故に無常のことわりを思念するのがふさわしい。ジェーンタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句111
おはようございます。山々の頂にある樹木は、むらむらと起こる新しい雨雲に水を灌がれて、よく繁茂している。人々から遠ざかり離れようと欲し、森を想うているウサバには、ますます良いことが起こる。ウサバ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句110
おはようございます。今日はこれから大雨。今はシトシト降っています。夏草が元気そうです。いまやこの人は、ひとり隠れた処にいて、最高の意義あることのため人々を憫み給う方(ブッダ)の教えを顧みない。森の中にいる野獣のように、本能のままに暮らしている。サンガラッキタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句109
おはようございます。百二十歳でわたしは家を出て、出家した。三つの明知を体得した。ブッダの教えを成し遂げた。ダンマサヴァの父である長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句108
おはようございます。慎重に熟慮してみて、わたしは在家の生活から出て、家なきものとなった。三つの明知を体得した。ブッダの教えをなしとげた。ダンマサヴァ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句107
おはようございます。ある目標となるものが百の特相あり、百の特徴を持っている時に、ただ一つの部分(特相ないし特徴)のみを見る人は愚者であり、百を見る人は賢者である。スヘーマンタ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句106
おはようございます。もしも満足しないのであるとしても、とどまって住んではならない。もしも楽しんでいるのであるにしても、立ち去らねばならない。明眼の人は(自己完成の)ためにならない住居に住んではならない。マリタヴァンバ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句105
おはようございます。わたしの身体は、崇高な喜びと楽しみに触れ、軽やかです。わたしの身体は、風に吹かれた綿のように、浮かんで跳びます。キタカ長老(中村元訳)長老偈経一つの詩句104
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