金剛般若経 九d
おはようございます。九・d師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《尊敬さるべき人》が<わたしは尊敬さるべき人になった>とういうような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。尊敬さるべき人が、<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、師よ、実に、尊敬さるべき人といわれるようなものははなにもないからです。それだからこそ、《尊敬さるべき人》と言われるのです。師よ、もしも、尊敬そるべき人が<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこしたとすると、かれには、かの自我に対する執着があることになるし、生きているものに対する執着、個体に対する執着、個人に対する執着があるということになりましょう。」(中村元紀野一義訳岩波...金剛般若経九d
2020/07/31 05:44