中1の体育大会当日から不登校の息子としっかり者の娘。 繊細息子は小6の時に転換性障害で一時車椅子生活(涙) でも今は元気に不登校をしながらゲームプログラマーを目指して日々精進! 不登校/HSC/転換性障害/読書好き/イラスト勉強中
我が家の場合、一般論は役に立ちません。一般論は統計学。多くの人がそこに当てはまるかもしれないけど100パーセントではありません。私が欲しいのは一般論ではなくむしろレアケース。レアケースを自分の中に蓄積していけば何かの突破口になることもあります。
不登校になった当初、息子に登校圧力をかけていたのは夫。その夫が登校圧力をやめたのは教師である自分の兄からの一言。「心が限界まで疲れてるんだから休ませてやれ。」あの一言が息子も、そして私たちも救ってくれた。義兄に改めて感謝を伝えたい。
N高入試に向け、作文と面接の練習をすることになりました。先生から励ましの言葉をもらった息子に原稿用紙を手渡したのが昨日。さてさて、息子はいつ作文を書くでしょう。ゆっくりと見守りたいと思います。
卒業アルバムの写真撮影のため、不登校になって以来初の制服姿で学校に行きました。ちゃちゃっと撮影は終了し、生徒が全員帰ったことを確認して教室へ。そして先生の勧めで自席に座った息子。息子の戸惑いは私の戸惑い。回復のための2年間だった。でも学校に来ると「失われた2年間」に感じる。
卵を1日に3〜4個食べ、更にプロテインまで飲んでいた私の健康死んだ結果はどう出るか?過去にさかのぼって確認してみました。
今回は不登校の親の心配事である勉強について。やはり説明会でN高の方々も言っていました。中学の勉強は最低限必要だと。特に数学英語国語。数学英語は理解をした上で積み重ねが必要な勉強で、プログラミングをやっていくには必須。それを踏まえ私が考える息子に対して出来ることをまとめました。
最後はプログラミングクラスについて。東京代々木と大阪江坂にしかないプログラミングクラスはガッツリ週5通学のプログラミングクラス。来春には名古屋にもテックフォードアカデミーという提携スクールが出来て、そこでガッツリプログラミングが出来るそうです。
N高のオンライン説明会レポート。今回はプログラミングについて。結論、楽しかった!息子も楽しんでた!早くN高行きたい!そう思える内容でした。
夫と私はロスジェネ世代。大卒なら大企業に入れる。大企業に入れば一生安泰で幸せ、そう言われたのに就職氷河期ど真ん中。でも本当なそうなることなど計算すれば分かっていたこと。それを踏まえてあと10年語を考えると、深刻な人手不足間違いなし!学歴なんて無くても生きていくにはどうにかなる!
「連絡は僕にしてください」としっかりとした口調で先生に伝えた息子
家庭訪問で卒業アルバムの話をした息子。そのあとは進路の話。N高を希望しており作文の練習が必要なこと、作文のお題が過去に何が出たのかを知りたいことを伝えました。先生は快く引き受けてくださり、今後の連絡先について息子と私、どちらにすればいいかを確認。その時の息子の返事が・・・
ある会話の後から息子がハッキリと話すようになってくれました。しかも爽やかにさえ感じるほど。今まではずっと小声でしか話してくれなかった息子なのに・・・。でもその会話の中の何かが理由なのか、ただの偶然のなのかは分かりません。ただ今はハッキリと話してくれる息子を味わう、そんな気持ちです。
卒業アルバムの学級写真について合成が可能かどうかを担任に質問した私。それを隣で聞いていた息子。その息子が合成を拒否しました。欄外に四角とかで囲った写真のほうが良い、と。写らない選択もあるかもしれないけどどうする?という先生の質問には「写りたい」とはっきり。私には驚きの選択でした。
自分の両親が毒親であることに気付いた同僚。きっかけは妹さんが結婚して他の家族にお嫁さんとして接するようになったこと。妹さんの義父母と接することでいかに自分の両親が毒親であるかに気付いたそうです。そして妹さんは兄を救うべく行動に出ました。兄の洗脳を解き、毒親から開放するために。
息子の目標が「ゲームプログラマー」から「プログラマー」なった話
不登校になった当初、息子の居場所はゲームの中だけ。だから息子はゲームから離れて仕事することは出来ない、だからゲームプログラマーになる、そう言っていました。ですが今ではゲーム業界に絞ると仕事の幅が減る、そう言ってもっと広い範囲で活躍できるようなプログラマーになることを目指しています。
不登校になって1年以上、とことんネットでマイクラをやり続けた息子。そしてそれを応援した私たち親。でもある日、「ネット上から自分の痕跡を全て消す」宣言をした息子。でもその時期があったから気づけたことがあるし、親子関係も改善しました。とことんやること、子どもを信じることは大切。
N高の入試はグループ面接と作文。いきなり本番で作文は相当ハードルが高いはず。じゃあどうしよう。私と夫は息子になにかを教えるのは無理。ここは学校の先生にお世話になるしかない!息子の入試のため、そして息子にとって中学校の記憶が少しでも残るように、きっとそうした方が良い、そう思います。
48歳にして明確になった夫の小麦アレルギー。元々アレルギー体質だった夫は小麦の多量摂取が続き、ついにアレルギーを発症したのかもしれません。でもそれに気がつけたのは藤川理論による食事療法のお陰。いつか夫が大好きな小麦を食べることができるよう、藤川理論で内臓の正常化をがんばります。
女の子は、父親よりも母親に厳しい目を向ける・・・当たってる。
娘と母親は同性同士。思春期になった娘は大人の女性として母親を厳しくチェックする。だから母親には厳しい。母親に厳しく当たるのは成長のワンステップです。暴言は脳の誤作動です。娘の言葉や態度に振り回されず、客観的に自分と娘を観察して娘の思春期を乗り越えましょう。
目を開けても数秒間見えないことがある。まぶたは開けているのに閉じているときと同じ視界が数秒間だけ続く。息子から先日初めて聞きました。以前はしょっちゅうだったと。それがまた最近起こったのだと。きっとそれは目の転換性障害。何かの負荷がかかっているかもれません。
心に余裕がなければ、当たり前のことが当たり前には出来ない。心がパンクした息子を見続けて「衛生面や身なりに気を配ること」が実はとても大変だということを知った。不登校になっている子たちの中には、きっと存在するだけで心が消耗する子がいると思う。
思春期は誰にでも来るし、順調な成長でもあります。でも思春期は苦しい。そして思春期ばかりが集まった学校生活も苦しい。些細はことで腹が立ち、勘ぐり、勘違いし、傷つけ、傷つけられる。でもその時期が過ぎてしまえば「なんやったん?あれ」くらいになる。その時期をどうやり過ごすか、私は今でも答えを持っていない。
保護者にだって余暇は大切。ストレス解消も大切。じゃないとパンクしちゃいますよ。私のストレス解消は漫画を読むこと。そして漫画を読むために家事を最小化すること。自分だけの時間を長く持つことが私にとってのストレス解消です。
「高校生になる」という言葉に照れ笑いをした息子。でも中学生を飛び越えているというところでは無表情。不登校という現状に後ろめたさや罪悪感があるのかな。やっぱり触れられたくないのかな。もしかしたら、自分性の中でいつかはその問題に向き合わないといけなくなるかもしれないけど、今は明るい未来だけを見つめていたい。
息子の食生活がイマイチ整わないけど「ま、いっか」と思っている話
以前の私は0百思考。成果を最大限発揮できなければ意味がない、そう思っていました。やるならとことんしっかり。その思考が自分自身をも苦しめていました。でも不登校の息子に対応しているうちに0百思考ではハードをが高くなるばかりで飛べなくなることに気が付きました。
小学1年生で足し算引き算を必死に覚えた息子。小学2年生の九九を覚えた時に引き算を忘れました・・・orz。すぐさまそろばん塾へ入塾。3級まで取ったのに息子は相変わらず計算は苦手。それでもプログラマー志望で毎日プログラミング。計算できなくても大丈夫。未来は明るいよ。
エアコンの電気代について。暑い日のエアコンはただ部屋を冷やしてくれるのではなく、それによって私達の行動力を上げてくれるものでもあります。そこで行動が出来れば、そのエアコンに使われたお金は部屋を冷やすだけではなく、その他の付加価値も生み出す。それが活きたお金。
不登校の子のために別日で個人撮影の日が設定されました。息子はそれには行くそうです。そこで私が思ってしまったことは「最後に制服姿を見たい!」ということ。学校に未練はないし行かなくていいと思っているのになんでそんなことを思うのか。とりあえずその日は半休を申請しました。絶対に付き添うぞ〜。
実社会に比べて遅れに遅れまくっている義務教育の内容やツール。この解離こそが不登校児の数の多さだと私は思っています。選択を奪うことは全ての子どもたちに同一であることを押し付ける行為。そしてそれが同調圧力を生み出しているんだと思います。これが続く限り、不登校児の数の増えこそすれ、減りはしない、そう思います。
ガチガチの義務教育システムが特性のある子をより苦しめ、自立を妨げていると思う
発達障害とは社会との壁の高さが高いか低いか。高ければ障害となり、低ければ障害とはならない。でも今の学校システムでは「社会との壁」がどんどん高くなるばかり。だからもう学校なんていなくていい。息子の選んだ未来を信じて私は息子のサポートをする。息子だけの人生を気楽に歩めるように。
息子のiphone7の画面が割れた!ならば自分で直せ!〜まとめ〜
iPhone画面修理の総集編。精密機器の修理は慎重に慎重を期す必要がありました。結局ホームボタンを完全に修復することは不可能とわかり、仮想ホームボタンを設定することで乗り切りました。仮想ホームボタンがあってよかった!
ようやく画面修理完了!紆余曲折有りました。でも最終的には息子が自分で修理しました。私の口出し手出しは無用。でも本当に困ったときには聴いてきてくれて、その時の私の言葉はしっかり息子に届きました。あれをやりたい!そう思うことが一番本人にとって必要なこと、それを再確認した出来事でした。
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