chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

 スサノオ・大国主建国論から縄文時代に関心を持っており、全国各地のまちづくり計画の仕事をしてきたこともあり、主に宗教論・母系制社会論・産業論・建築論・言語論・航海論・日本民族起源論などから縄文社会を解明したいと考えています。 

hinafkin
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/01/06

  • 197 「縄文アート論」メモ

    ご飯が大好きで「稲の国」「米の国」と思っていた私が縄文に関心を持つことになったのは、1960年代後半と思いますが岡本太郎さんの写真の「火焔型土器」に衝撃を受けてからです。その後、各地の仕事で縄文土器をみるたびにその個性的な素晴らしさに裏切られることはなく、このデザインは何を表しているのか、ますます関心は高まりました。弥生式土器に感情がかきたてられることがないのとは大きな違いです。 次のインパクトはこれまた岡本さんの大阪万博の「太陽の塔」(元の名前は「生命の樹」)と「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージです。 翼を広げた白い鳥の背中の「黒い太陽」は原発を象徴し、内部の「生命の樹」…

  • 196 縄文・古代郷土史のすすめ

    gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で連載を始めた「スサノオ・大国主建国論2 私の古代史遍歴」(221013)で私は全国各地の郷土史の問題点について次のように書きました。(連載は7で中断) 全国各地の仕事では市町村史を必ず見てきたが、不思議だったのはどこにでも必ずある縄文・弥生遺跡の次は朝廷支配が及んできた記述となり、各地にあるスサノオ・大国主一族の神社が示す歴史についてほとんど触れていないことであった。祖先霊を祀る宗教施設であるスサノオ・大国主系の神社があり、しかもスサノオ・大国主に関わる伝説がある以上、スサノオ・大国主王朝の影響が及んだに違いないのであるが、大和中心・天皇中心…

  • 「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」の紹介

    Gooブログに「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」をアップしましたので紹介します。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 母の出身集落が兵庫県たつの市揖保川町の「浦部(町史では占部説)」であり、吉備津神社の「温羅(うら)」を祀る「御釜殿」の横で乳幼児期を過ごしていたという偶然の符合があり、さらに両親が一時入所していた海側のケアハウスの前の雛山(父の名字は雛元です)から「阿曽ピンク石」の石棺の蓋が発見され、温羅の妻が「阿曽姫」で各地の阿曽が製鉄地であったという符合から、「温羅=占」王であり製鉄王であった、ということなどをまとめました。 …

  • 195 縄文社会研究の方法論

    「縄文社会研究会」では1万数千年の縄文文化・文明(採集栽培・漁労狩猟・生活・家族・集団・技術・文化・宗教・言語)の全体像を明らかにし、たかだか2千年あまりの農耕・工業・戦争の文化文明の前に全世界に共通した文化・文明を明らかにし、持続的発展可能な平和な未来社会への参考にしようと取り組んできました。 考古学は遺跡・遺物の「物」からの帰納法により「縄文社会」を推理する着実な方法ですが、当研究会では現代人さらには古代人の様々な活動から縄文人の活動へと仮説演繹的に「縄文社会」を推理してきました。 「物」からというと科学的と思われがちですが、「発見物」からの推理という大きな限界があり、「未発見物」への推理…

  • Gooブログ 「スサノオ・大国主ノート154 『アマテラス』から『アマテル』へ」の紹介

    Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「154 『アマテラス』から『アマテル』へ」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 縄文社会論と関係がないように思われるかもしれませんが、縄文人の宗教が一神教の「太陽信仰」なのか、それとも氏族社会・部族社会の多神教の「霊(ひ:祖先霊)信仰」なのか、という判断に関係してきます。 「縄文人太陽信仰説」はイギリスのストーンヘンジを参考にして、石棒円形石組を「日時計」とし、環状列石などが冬至・夏至の太陽の昇る方向を向いているということと、天皇家の「アマテラス(天照)太陽神信仰」を根拠としているのに対し、私は…

  • 「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の再加筆修正

    5月25日アップしました「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神』信仰」の最後の部分には、「起承転結」の肝心の「転」の部分が欠けており26日に加筆修正しましたが、「結」の部分も欠けていましたので再加筆修正いたします。 急いだ拙い作業で失礼しました。 <5月26日の加筆修正> 古事記によればアマテル(天照大御神:大霊留米(おおひるめ))が天岩屋戸に隠れた後の再生神事(次女王への霊継ぎ儀式)において、天香山の眞賢木(まさかき:真榊)の上枝には勾玉と五百の玉を、中枝には八尺鏡を、下枝には白丹寸手・青丹寸手(しろにきて・あおにきて:木綿と麻)をつけた依り代を用意して次女王を迎えるのですが、…

  • 「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神信仰」の修正

    「縄文ノート194 十津川村の『けずり花』と『山の神信仰」の最後の部分、男性が女神に捧げる「石棒」「イナウ」「けずり花」と、「幣帛(へいはく:大麻(おおぬさ))」「御幣(ごへい)」を同列においていましたが、次のように書き分けました。 以上、引用が多くて恐縮ですが、十津川村の「けずり花」を女神「山の神」に捧げる祭りは、単なる山や巨木の自然信仰ではなく、アフリカ起源で世界に広まった死者の霊(ひ)が山から天にのぼる神山天神信仰(神名火山(神那霊山)信仰)を示しており、その信仰を司る祭神は母系制社会の女神であり、縄文石棒やイナウ(アイヌ)、けずり花(十津川村)、金精様(全国各地)は霊(ひ)の再生を願っ…

  • 録画していた5月22日NHK・BSの新日本風土記「十津川村(とつかわむら)」(2019年1月初回放送)を見ましたが、杣師(そまし:きこり)が「けずり花」(男性のシンボル)をつくり、各家や山の大木の近くに宿る「山の神」に供える信仰や、山人(やまびと=やまと)の村の農業・食事・祭りなどたいへん興味深い番組でした。 私が注目したのは、「山の神」=女神に男が「男根」に似せた「けずり花」(なんとも奥ゆかしいネーミングです)を供えるという点です。 「縄文ノート34 霊(ひ)継ぎ宗教論(金精・山神・地母神・神使)」(150630→201227)で紹介しましたが、仕事でよく通った尾瀬のある群馬県片品村には次の…

  • 「スサノオ・大国主ノート153 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)』の修正点」の紹介

    Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「153 『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)』の修正点」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 2009年3月に『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに) ―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)を出版後、私は邪馬台国論、縄文社会論とともに、スサノオ・大国主建国論についてブログなどで書き続けてきました。 その結果、『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)』には誤りと不十分な点がでてきましたので、ここに誤りについてのみ修正し、読者のみなさまに報告いたします。 主な修正点は「邪馬臺国(邪馬台国)から…

  • 193 「やまと」は「山人」である

    海人族(天族)であるスサノオ・大国主建国論からスタートした私は、縄文人の貝やヒスイ・黒曜石などの海洋広域交易から縄文海人(あま)族から縄文社会分析を進め、さらに日本列島人起源論においても「海の道」の分析を進めてきましたが、長野県や福島県の黒曜石産地での神名火山(神那霊山)信仰や温帯ジャポニカ・芋もちソバ食などの照葉樹林帯文化から縄文山人(やまと)族の分析に進み、海人族と山人族が共同して日本列島にやってきたと考えるようになり、縄文ノート186 『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」(240301)をまとめるに至っています。 この縄文から続く海人族・山人族の文化は、天皇家のルーツである「山幸彦」と兄…

  • 192 ピラミッドは神山天神信仰の人工神山

    大学に入った1964年の「ミロのビーナス展」、翌年の「ツタンカーメン展」と異常なほどの大人気でしたが、その後、いつ頃か「ピラミッド・パワー」が流行り、さらに「世界不思議発見」でもピラミッドや古代エジプトがよく取り上げられていた印象ですが、今、なぜかテレビでは第何次かのピラミッド・ブームのようです。 全部は見ていないのですが、最近、気になり始めて録画しているものだけでも次のようなものがあり、実際にはもっとあったのではと思います。<最近の録画した主なピラミッド番組> 12月14日 TBS:ピラミッドの真実!5000年の封印を破る鍵は太陽の船と科学とツタンカーメン 12月30日 NHK:古代文明ミス…

  • 縄文ノート191加筆 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の鳥(からす)

    4月27日にアップしました「「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」に「4.鳥居や棟木の『カラス止まり』の烏(からす)」を次のように追加し、「5.鳥耳、鳥鳴海、日名鳥、鳥船、烏越の名前は?」を一部修正しました。 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の烏(からす) 吉野ヶ里遺跡に行き、入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥が乗っている写真を撮り、死者の霊(ひ)を鳥が天に運ぶ霊(ひ)信仰として紹介してきましたが、なんと、吉野ヶ里遺跡では鳥の木製品は出土していないというのです。 ブログ「吉野ヶ里遺跡の木製鳥形 - クロムの備忘録的ダイアリー (goo.ne.jp)」に…

  • 縄文ノート191加筆 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の「鳥」はカラス

    4月27日にアップしました「「縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?」に「4.鳥居や棟木の『カラス止まり』の『鳥』はカラス」を次のように追加し、「5.鳥耳、鳥鳴海、日名鳥、鳥船、烏越の名前は?」を一部修正しました。 4.鳥居や棟木の「カラス止まり」の「鳥」はカラス 吉野ヶ里遺跡に行き、入口の鳥居と大型建物(主祭殿?)の棟木の上に鳥が乗っている写真を撮り、死者の霊(ひ)を鳥が天に運ぶ霊(ひ)信仰として紹介してきましたが、なんと、吉野ヶ里遺跡では鳥の木製品は出土していないというのです。 ブログ「吉野ヶ里遺跡の木製鳥形 - クロムの備忘録的ダイアリー (goo.ne.jp)…

  • 縄文ノート191 カラス信仰のルーツはメソポタミアかアフリカか?

    縄文文化・文明についてその独自性を強調する「日本列島起源説」に対し、「シベリア起源説」「中国大陸起源説」「南方起源説」「チベット~雲南照葉樹林帯起源説」などが見られますが、私は「人類アフリカ単一起源説」の延長上に「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。 今回は、4月3日のBS101のダークサイドミステリー「世界の怪鳥聖鳥伝説を追え!ヤタガラスから翼竜生存説まで」の録画をやっと見ましたので、これまで書いてきたものを紹介しながらカラス信仰のルーツを考えてみたいと思います。 1.「カラス信仰」のルーツを求めて カラス信仰については、これまでドラヴィダ族の「ポンガル」のカラス行事(古く…

  • 189 サピエンス納豆からの「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」

    DNA分析の進化により、人類の「アフリカ単一起源説」が定説となり、「多地域進化説」は成立しなくなりました。 私は同じように、人類の基本的な宗教・文化・文明などもまた西アフリカから人類大移動とともに世界に拡散したという「宗教・文化・文明アフリカ単一起源説」を考えてきました。そのきっかけは、次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェールのニジェール川流域がヒョウタン原産地で米を栽培しており、若狭の鳥浜貝塚遺跡でヒョウタンと北アフリカ原産のウリ、インド原産のリョクトウ、南・東南アジアのシソ・エゴマが発見されていることを知ってからでした。 そこから、Y染色体DNA、「主語-目的語-動詞(SOV)」…

  • 「スサノオ・大国主ノート151 鉄刀・鉄剣からみた建国史―アフリカ・インド鉄と新羅鉄・阿曽鉄、草薙大刀・草薙剣・蛇行剣」の紹介

    Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「スサノオ・大国主ノート151 鉄刀・鉄剣からみた建国史―アフリカ・インド鉄と新羅鉄・阿曽鉄、草薙大刀・草薙剣・蛇行剣」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 先日、スサノオ・イナダヒメらを祀る須我神社のある島根県雲南市大東町出身の起業家・細貝和則氏と歓談する機会があり、TBS「ワールドビジネスサテライト」のトレたま(トレンドたまご)の年間大賞を受賞したライティングシート(画鋲やテープを使用せず静電気で貼りつける持ち運び容易なホワイトボード代わりのシート)などの発明・事業展開・Uターン起業化の話を聞…

  • 189 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』を批判する(加筆・修正版)

    「188 ハラリ氏の嘘話『サピエンス全史』批判」は口頭での報告用なので、以下、読者向けに加筆・修正しました。 アメリカに敗戦するまで他民族に征服・支配されることのなかったわが国は、新旧石器時代(日本では旧石器・縄文時代)の文化・文明が現代まで色濃く継承されており、しかも世界に類のない緻密な縄文時代研究と博物館、復元施設、市民体験活動などがあり、一神教以前の全世界の歴史解明を先導する役割を担うべきと考えます。 ユダヤ・キリスト・イスラム教などの終末思想・優生思想・選民思想に基づく一神教をハラリ氏は「嘘話」とした点を私は高く評価し、宗教戦争をなくすことに繋がることを期待したのでしたが、読んでみると…

  • 188 ハラリ氏の新たな嘘話『サピエンス全史』批判

    3月13日、縄文社会研究会・東京の顧問・尾島俊雄早大名誉教授の研究室でユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』などの翻訳者柴田裕之氏を招いての学習会があり、私は縄文ノート130~139の「『サピエンス全史』批判」1~5(220331~0523)の要点をまとめたレジュメと、182「人類進化を支えた食べもの」、186「『海人族縄文文明』の世界遺産登録へ」(231204)を報告しました。 他民族に征服されることのなかったわが国は、新旧石器時代(日本では旧石器・縄文時代)の文化・文明が現代まで継承されており、しかも世界に類のない緻密な縄文時代研究と博物館・復元施設、市民体験活動などがあり、一神教以…

  • 187 「まさひろドーイ」からの焼畑・縄文語・天皇家考

    今回は気分転換の息抜きに、イオンモールで瓶踊りの「まさひろドーイ」の載った面白い泡盛を見つけたので紹介し、焼畑農耕と琉球弁・本土弁、天皇家のルーツについて付言します。 私の名前は「昌弘」なので、沖縄に行った時には比嘉酒造(現まさひろ酒造:3代目の名前から)の写真の大きな壺入りの古酒「まさひろ」(2000年仕込み)を買い、子どもたちも土産には「まさひろ」を買ってきてくれていましたが、他にも名前に引かれて「海人(うみんちゅ)」や「島唄(しまうた)」もよく買っています。 まさか埼玉で「まさひろ」に出会えるとは思わなかったのですが、沖縄紹介の旅番組などで気になっていた瓶踊りのイラストが気に入り直ちに購…

  • 186 「海人族縄文文明」の世界遺産登録へ

    5000~4000年前のイギリス・アイルランドの「西のストーンサークル文明」に対し「東のウッドサークル文明」を示す6000~2000年前頃の真脇遺跡のある能登町は、能登半島地震で大きな被害を受けました。 過疎・高齢化が進み、老朽化した多くの家屋が倒壊し、道路・水道・電気などインフラが破壊された今こそ、4000年続いた縄文海人族の歴史を世界遺産として登録をめざし、海人族である日本人の長い歴史ある定住地の1つのシンボルとして、そして全世界から人類史に関心のある人々を引き付ける観光地として復興を進めて欲しいと願っています。 世界最古の2.3万年前頃の沖縄県南城市のサキタリ洞窟遺跡の貝製の釣り針や全国…

  • 縄文ノート185 「184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」補足

    「縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成」(240124)では、2004年に書いた「動物進化を追体験する子どもの遊び」をさらに発展させ、0歳児の孫に教えられて「人類進化を追体験している乳幼児の成長」論をまとめました。 「二足歩行→手機能向上(狩猟具作成・獲物運搬)・言葉誕生(狩猟の共同作業)→頭脳肥大(肉食)」というまことしやかな「オス主導の二足歩行進化説」「狩猟・肉食進化説」が欧米だけでなく日本でもまかり通ってきていますが、乳幼児の発達を見ていると順序は違います。 「知能発達条件の確保(おっぱいの糖質・DHA増大)→知能発達(観察・理解・記憶)→真似による手機能向上(道具使用…

  • 「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」の紹介

    Seesaaブログに「邪馬台国ノート54 『神武東征』は『若御毛沼(わかみけぬ)東進』」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/ 笠沙天皇家3代の始祖ニニギの「天下り」なるものは、筑紫日向(ちくしのひな:旧甘木市の蜷城(ひなしろ))の高台・高天原の卑弥呼(霊御子=大霊留女=アマテル)の死後の後継者争いで女王派(壹与派)に敗れた男王派のニニギが女王派の国々を避け、険しい九州山地を薩摩半島南西端までの逃避行であることはすでに明らかにしました。 続く笠沙天皇家4代目の若御毛沼(ワカミケヌ)3兄弟の皇国史観のいうところの「神武東征」…

  • 「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」の紹介

    Seesaaブログに「邪馬台国ノート53 『7里程』『2日程』条件から邪馬台国論争に決着を!」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/ 魏書東夷伝倭人条には、「自郡至女王国万二千余里」「東南陸行五百里到伊都国」「東南至奴国百里」「東行至不彌国百里」「参問倭地・・・周旋可五千余里」「女王国東渡海千余里 復有国」「侏儒国在其南・・・去女王四千余里」の7つの「陸行里程」と「南至投馬国水行二十日」「南至邪馬壹国 女王之所都 水行十日陸行一月」の2つの「水行日程」があります。その全てを合理的に見たす場所が邪馬壹国の位置になります。 末…

  • 「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」の紹介

    Seesaaブログに「邪馬台国ノート52 『旧百余国』から『邪馬台論』は始めるべき」をアップしましたので紹介します。http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/ 邪馬台国論争は未だに「所在地論争」として決着がついておらず、卑弥呼の王都も墓も未発見ですが、いずれ九州説・畿内説の論争に関わっている歴史学者・考古学者の一方は頑迷な「古代史偽造者」の烙印を押されることになることを免れません。 それ以上の大きな問題は、魏書東夷伝倭人条が冒頭で「倭人在帶方東南大海之中・・・舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(倭人は帯方東南、大海の中に在り・・・旧百余国・・・今、使訳通ずる所…

  • 縄文ノート184 乳児からみた人類進化と子育て家族形成

    サルからヒトへの進化について、私は子どもの誕生から成長の過程を辿って推定するという方法論を考えています。 現役時代に木登り遊びのボランティア活動をやっていたとき、なぜ子どもが木登りが好きなのか、穴掘りが好きなのかなどについて、私は「動物進化を追体験する子どもの遊び」という仮説から考察したことがあったのですが、人類進化についても同じ方法で考察してみました。 1 子どもの遊びからみた人類進化 「縄文ノート87 人類進化図の5つの間違い」210723→0801」)で私は次のように書きました。 2004年には「動物進化を追体験する子どもの遊び」(日本子ども学会チャイルド・サイエンス 懸賞エッセイの奨励…

  • 182 八ヶ岳高原の女神・石棒・巨木拝殿・黒曜石・土器鍋食・散村文明

    2015年に群馬県片品村で「日本中央縄文遺跡群の世界遺産登録」を提案して以来、私は世界へ「縄文文化」「縄文文明」をアピールすることを提案してきましたが、さらに踏み込んで考えたいと思います。 1 「縄文文明を世界遺産へ」の提案 これまで「縄文芸術」「縄文宗教」「縄文食」「縄文建築」「縄文交易」「縄文社会」「縄文文明」「世界遺産登録」について考察を進め、次のような小論を書いてきました。なお、「(縄文〇〇)」は本ブログ番号です。 1-1 縄文芸術論 181215→201223(縄文14・31) 大阪万博のシンボル「太陽」「お祭り広場」と縄文 210205(縄文52) 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字…

  • FB邪馬台国探究会「20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?」の紹介

    「石器―土器(土器鍋)―鉄器(鉄先鋤)」時代区分説の私は、縄文社会解明にはスサノオ・大国主建国から遡るべきと考え、海人族の交易・交流・文化、糖質・DHA食(イモ・マメ・穀類・魚介食)、縄文農耕の延長としての鉄先鋤による水利水田稲作、巨木建築、八百万神の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)宗教、神名火山(神那霊山)・神籬(霊洩木)信仰、妻問夫招婚の母系制社会など、縄文社会の解明を続けてきました。 私はスサノオ・大国主フェイスブックの邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」を昨日アップしました…

  • 「スサノオ・大国主ノート149 NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える」の紹介

    Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「スサノオ・大国主ノート149 NHK『出雲大社 八雲たつ神々の里』から古出雲大社復元と世界遺産登録を考える」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 11月20日のNHKBSプレミアム『出雲大社 八雲たつ神々の里』を見たことをきっかけに、これまで書いてきたものを「出雲大社本殿は『直階段』か、心御柱(神籬=霊洩木)を中心とした『廻り階段』か?」「古出雲大社本殿は現在地にあったか?」「出雲大社本殿は『高床式建物』の延長か、『縄文巨木建築』の伝統か?」「縄文からの巨木建築は『雪の重み対策』か、『神名火山(…

  • 縄文ノート182 人類進化を支えた食べもの

    「関係論文を全て読む→新仮説を立てる→検証する(調査・実験など)」という一般的な科学者の方法に対し、工学部では「現実の問題→問題解決の仮説→検証(実験・調査)」という方法をとることも多いように思います。いくつかの条件を組み合わせた仮説実験をやって最適解を求めるという方法です。 私は現役時代、プランナー(計画家)として限られた1年という期間で分析・予測を行い、市町村・都府県の総合計画や各分野(産業・都市・環境・福祉・教育文化・行財政・住民活動)の「10年・5年計画」を立ててきましたが、どちらかというと後者の方法であったと思います。 まずはいくつかの資料から大まかな仮説を立て、そこから関係資料読み…

  • 「邪馬台国ノート49 フェイスブック『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台」の紹介

    縄文論を一休みして、邪馬台国論の修正を行っています。 Seesaaブログ「ヒナフキンの邪馬台国ノート」において、『邪馬台国ノート49 「卑弥呼王都=高天原」は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論』を2023年4月3日にアップしましたが、友人との議論のために加筆・修正し、フェイスブックのグループ「邪馬台国探究会」において雛元昌弘名で11月20日より毎日、1節ずつアップしています。 「陸行水行呼子起点説」「正使陸行・副使水行説」、「奴国=野芥、不彌国=須久岡本遺跡説」、「消えた南陸行至邪馬壹国六百里説」、「卑弥呼(霊御子)の王都(高天原)甘木高台説」、「海の一大国(いのおおくに)に対す…

  • 181 縄文石棒と世界の性器信仰

    縄文文化・文明を論じる際、世界の中で「日本独自の縄文文化文明」という特殊性を強調する視点でみるか、それとも「アフリカ・アジア文化・文明を継承した縄文文化文明」という普遍的な視点でみるか、どちらの仮説で検証していくのかで分析結果は大きく異なってくると考えます。 私は若狭の鳥浜貝塚(12000~5000年前)でみつかったヒョウタンの原産地が次女が青年海外協力隊員として赴任していたニジェール川流域であったという偶然から「縄文人・縄文文化アフリカ起源説」を考えるようになりました。 そして建築学科の先輩の映画『ブワナトシの歌』の主人公片寄俊彦さんから聞いたことや、山岳部・探検部のメンバーたちからアフリカ…

  • 180 阿久遺跡の調査の動き

    一昨日だったかのフェイスブック「八ヶ岳jomon楽会」で中村耕作さんの下記のような講演会が報告されており、「『はてなブログ:ヒナフキンの縄文ノート50・104・105・106・154・160・166』で書いていますが、縄文巨木文明と神山天神信仰を示す蓼科山を向いた巨木神殿群の復元と阿久遺跡の国営公園化(立石・石列の復元)、日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録を是非、進めていただきたいと思います。 縄文社会研究会・東京代表 雛元昌弘」というエールを送りました。 9月に縄文社会研究会・東京と地元の団体・学芸員の皆さんと「日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録」について交流会を計画していましたが、私が別件…

  • 179 「ギガファイル便」での2つの資料公開

    9月16日の「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」から、別件で忙しくなり、おまけに10月7日からのパレスチナ紛争にブログを書き、1カ月半も休んでしまいました。 「仮説検証型」でいろいろ考えてきたことを確かめるため、この間、世界の女神信仰や縄文食について和食関係の本、イネのルーツなど植物遺伝学の佐藤洋一郎氏の著作、霊長類・人類学の伊谷純一郎らの著作を読んできましたが、いずれ「西アフリカ熱帯雨林人類誕生説」「半身浴直立歩行・手機能発達説」「糖質・DHA食(いも魚介食)・母子おしゃべり頭脳発達説」「米・雑穀食文化・もち食文化西アフリカ起源説」「粉食文化東アフ…

  • 90 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を

    この1カ月近く、ウクライナ情勢を毎日ネットで確認していましたがこのブログを書く時間はなく、西アフリカでの人類誕生から日本列島にやってくるまでのY染色体D型人の歴史について「はてなブログ:ヒナフキンの縄文ノート」に「178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」としてまとめていました。 ただ、A4で47ページ、42824字で「はてなブログ」では容量オーバーで掲載できませんでしたので、gooブログブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に4つに分割してアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 「縄文ノート177 約5000年前のスペ…

  • 「縄文ノート178 『西アフリカ文明』の地からやってきたY染色体D型日本列島人」のお知らせ

    A4で47ページ、42824字、図50、表11。写真多数があり、この「はてなブログ」では容量オーバーで掲載できませんでしたので、GOOブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に4つに分割してアップしましたのでご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 世界の女神信仰をまとめようと関係本を読み漁っていたのですが、1カ月かかって先に縄文人の誕生地についてまとめることにしました。 「縄文ノート177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説」を書き、その延長で縄文ヒョウタンの原産地のニジェール川流域に4000~3000年前の世界文化遺産の…

  • 177 約5000年前のスペイン女王が示すアフリカ・西欧西岸人類拡散説

    7月10日、ナショナルジオグラフィックから「約5000年前の権力者は女性だった、定説覆す発見、スペイン―考古学の革命的手法『プロテオミクス』で判明、他の研究でも活躍」という大変興味深いメールがナショジオから送られてきました。また、研究会メンバーの下平さんからも、YAHOO!ニュースでも同様の記事が掲載されているとの連絡をいただきました。 ―https://news.yahoo.co.jp/articles/6bbd09cf671e6da17c3b00405fea46ba28facb62?page=3 「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル)」(210415)の表1にお…

  • 縄文ノート176 世界の母系社会

    講演資料「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」では、方法論として垂直軸(歴史軸)と水平軸(世界の民俗軸:女神信仰と母系制)の両方から縄文母系制社会を明らかしようとしましたが、後者の「世界の母系制社会」「世界の女神信仰」の資料づくりは間に合いませんでした。 母系制が今も世界に残っていると初めて私が知ったのは、学生時代に探検部の友人たちから「ブータンには夜這い・妻問婚が残っている」と性的興味をひく話や顔がよく似ており、服装が左前の和服と同じで、数字が日本語とそっくりなどと聞き、何かのきっかけで中尾佐助氏(植物学者、照葉樹林文化論の提唱者)の本を読んでからでした。…

  • 縄文ノート175 女偏が示す中国母系制社会

    7月19日の縄文社会研究会・東京の公開講座の講演資料「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」では、「漢字が示す母系制社会」として、「姓、地、女・男、卑・卑弥呼、魏・鬼・倭」字を紹介しました。 「縄文ノート90 エジプト・メソポタミア・インダス・中国文明の母系制」(210822)では次のように書きましたので、具体的な説明は省きます。「縄文ノート148 『』字からの中国母系社会論」(220827)でも詳しく分析していますので、参考いただければと思います。 鬼神(祖先霊)信仰の中国人が大事にする「姓」は「女+生」であり、周王朝が姫氏であり、周の諸侯であった「魏」は「…

  • 縄文ノート174 縄文社会研究会・東京:公開講座『縄文は母系制社会であった』報告

    はてなブログの「縄文ノート174 縄文社会研究会・東京:公開講座『縄文は母系制社会であった』報告」を転載します。https://hinafkin.hatenablog.com/ 7月19日、縄文社会研究会・東京の公開講座(神田:サロンド冨山房Folio)では、尾島俊雄早大名誉教授(都市環境工学)の「八ヶ岳山麓の縄文社会」の講演に続き、私は「縄文は母系制社会だった~『日本中央部縄文遺跡群』の世界遺産登録を考える」の講演を行いました。 ウクライナ戦争を契機として、「縄文ノート172 女と男の『共同体・食・家族・民主主義・自由・平和・宗教』」(7月8日)において、私は「民主主義・平和・宗教」には男の…

  • 縄文ノート173 「原始、女は太陽」か、「原始、女は霊(ひ)を産む神」か

    平塚らいてうは女性文芸誌『青鞜』の創刊号で「原始、女は太陽だった」と女性の権利獲得・解放を象徴するインパクトのある提案を行い、共に女性史研究・女性運動を進めた高群逸枝もまた太陽神・天照大御神(本居宣長:あまてらすおおみかみ、筆者:あまてるおおみかみ)を始祖神として認めています。 皇国史観の絶対主義天皇制の支配のもとで、女性の権利を主張するためにアマテル信仰を逆手にとった苦し紛れの選択ともいえますが、結果として「世界を照らすアマテル太陽神」信仰の皇国史観に同調し、女性たちを「聖戦」の侵略戦争に駆り立てる役割を果たしたのです。しかしながら、高群逸枝の「母系制」「婚姻史」研究の成果は「神話時代」以降…

  • 172 女と男の『共同体・食・家族・民主主義・自由・平和・宗教』

    「戦争なき縄文1万5千年」の歴史とウクライナ戦争から、「縄文ノート164 生活者の女と戦士の男の『民主主義・平和・宗教』」(230413)を書きましたが、母系制社会論をまとめていくうちに、さらに拡張して「共同体・食・家族・自由」について付け加え、下のような表にまとめました。 普段、なにげなく使ってる「共同体・食・家族・民主主義・自由・平和・宗教」などの言葉も、紀元前13世紀頃にカナンの地を征服したイスラエル人により紀元前5~4世紀頃に成立したヘブライ語聖書(旧約聖書)の影響を受ける前と後では、母系制社会から父系制社会への転換にともない、その意味するところは大きく異なるのではないか、と私は考えて…

  • 171 公開講座「縄文は母系制社会であった」のお知らせ

    6月14日には上田市に先輩を訪ねたあと茅野市駅前のビジネスホテルに泊まり、15日はレンタカーを借りて井戸尻遺跡の現地を見たあと、富士見町、茅野市、原村の友人や博物館などを訪ね、学芸員などと意見交換を行ってきました。 その後、下記の公開講座の準備と母系制社会論の整理、日本中央部縄文遺跡群の世界遺産登録へ向けての課題の整理、高群逸枝氏の著書・関係本読み、アマゾンキンドル本の『奥の奥読み奥の細道』の修正などに追われ、1か月近くブログを中断していましたが、7月19日の縄文社会研究会・東京の公開講座「縄文は母系制社会であった」をお知らせしたいと思います。先着30人の小さな会ですが、参加ご希望の方はメール…

ブログリーダー」を活用して、hinafkinさんをフォローしませんか?

ハンドル名
hinafkinさん
ブログタイトル
ヒナフキンの縄文ノート
フォロー
ヒナフキンの縄文ノート

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用