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神様と仏様の藤語り https://chikaru414.blog.fc2.com/

神社仏閣・日本神話・古代史について語ります。 好きな神様は出雲系・水神様・龍神様。 仏様は定義山西方寺を崇敬。伊達家家臣の末裔です。

スサノオ様・スセリヒメ様・クシナダヒメ様推しです。 日本の神話は現実の古代史を反映している派なので、謎解き記事を書いています。 神話情報に偏りがちなので、考古学方面も勉強中です。 呪術都市仙台の話題も。

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2019/12/06

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  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その9

    実は、ヒメタタライスズヒメが女王だった、というのが卑弥呼=ヒメタタライスズヒメ説の根拠になっています。この時のヒメタタライスズヒメは、『夫がいない』。卑弥呼に夫はいないという記述から、何となく独身のおばあさんっぽいイメージがありますが、既に夫に先立たれている未亡人、という解釈も出来る訳です。この場合じゃあトヨは誰?に対する答えは、第四代懿徳天皇の皇后、天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)になります...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その8

    天皇であって天皇ではない。謎かけみたいな言い方をしてしまいましたので、説明します。その時代は大王で、天皇は天武からでしょ?とかいう話じゃなくて、神武天皇は彼単体では大王にはなれなかったんです。筑紫の日向で産まれ『15歳で立太子した』とありますが、何処の王に認められた立太子だよ。ヒコホホデミ(神武)は吾平津媛(あひらつひめ)という次代の巫女姫を娶らなければ、日向の阿多の王候補にもなれなかったということ...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その7

    仮に応神は孫だった説が当たっているとすると、それは失われた国記や帝紀に記されていて、おそらく日本書紀の編纂に口を出し放題だったはずの持統天皇は、それを知ることが出来る立場です。持統天皇は息子の草壁皇子を天皇にする事が出来ぬまま亡くしてしまい、孫の軽皇子(本来は『王』だけど持統の意向で皇子扱い)を企みます。記紀神話では、天照大御神という《女神》が皇祖神で、天孫降臨と呼ばれるように地上に降り立ったのは...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その6

    推古-聖徳時代に、神降ろしという巫女性が歴代の皇女達に受け継がれていたのかどうかわかりませんが、祟りを恐れた天皇から八咫鏡を押し付けられた倭姫が、天照大神に相応しい祭祀の場所を探し求めて流浪したように、後の世で未婚の皇女が斎宮や斎院として神社に送られたように、女性の持つ神秘性や神に仕えることの出来る特殊な力は長い間信じられており、それが令和の世でも黒田清子様に受け継がれているというのは、何とも気の...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その5

    尤も、トミヤビメには推古天皇とは決定的な違いがあって、ミカシキヤヒメ以外の異名は櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命という、『豊/トヨ』ではなく『櫛/クシ』の女王だという事です。クシの女王の代表例は櫛名田比売(奇稲田姫)でしょうか。そして、饒速日自身も、先代旧事本紀によれば、皆さん御存知の所の 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)という異名、…と...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? 10

    出雲の流れを引く皇后は第三代安寧天皇の時代も続きます。皇后は鴨王(かものおおきみ。って凄い名前だな!父は皇子かよ的な。ちなみに父は大物主or都味歯八重事代主で、異名は櫛御方命)の娘、渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)。初期天皇達の皇后については、日本書紀の一書に『綏靖天皇から孝安天皇の5代の皇妃は「磯城県主の女」となっており、『書紀』本文では、孝霊天皇の皇后も該当することが次の孝元天皇の記述から分かる...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その4

    前回挙げたうちの後者・天知迦流美豆比売(ミズヒメと読む)は、名前からして明らかに水神です。人気の瀬織津姫がニギハヤヒ嫡后で、瀬織津姫=イチキシマヒメであるのならば、水神属性の天知迦流美豆比売の可能性が一歩先んじる気もします。でも、トミヤビメ=ナガスネヒコの妹神も捨てがたい。何故なら、兄ナガスネヒコはトミビコとも言い、つまり巫女王トミヤビメと共にヒメヒコ制で国を治めていた政治王であると考えられるから...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その3

    ニギハヤヒと同一とされるのが『大年』なのですが、子が『御年/ミトシ』で孫が『若年/ワカトシ』なのです。※ ワカトシの父はミトシ神ではなく羽山戸神なのですが、重要な系譜が御年神から羽山戸神に移ったのかも知れませんつまり、全員名前は同じ『トシ』なのですが、区別する為に世代が上のトシを『大年』と呼び、子神は『トシ』と呼び捨ては憚られるので丁寧に『御/ミ』を付け、孫は『大』に対する呼称として『若』を付けたのだ...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その2

    ところで、突然ですが、宗像三女神は元々一柱の『比売神』に集約され、それが現世に出るとき一身となりスセリヒメ又は道主貴と呼ばれるという説があります。私が見付けたのは『神別系譜』という書物ですが、この『神仏系譜』は、様々な言い伝えを記録しているので、スセリヒメはスサノオ様の五世の孫(しかも五十猛から見て四世の孫)でオオナムチの伯母という衝撃の系図も載っています。※ つまりこの系図ではオオナムチはスサノ...

  • ヒメヒコ制や夫婦統治はいつまで続いたのだろうか? その1

    私はさほど邪馬台国については調べていないのですが、邪馬台国はどうやらヒメヒコ制だったようです。そして、卑弥呼は姿を見せないのに国が治まっていたのは、男弟なる人物が卑弥呼の神託を聞きつつ政治を担当していたからでしょう。そして、卑弥呼の死後男王だけで国を治めようとしたけれども国が乱れたので、卑弥呼の血筋の少女を女王に据えて(複数のクニの『協議して共に』決めたのではなく、『男王と共に』男女統治にした、と...

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