chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた) https://blog.goo.ne.jp/nagusa777

ふたりの聖徳太子とは、竹田皇子と押坂彦人大兄皇子です。<br>隅田八幡神社人物画像鏡にある日十大王とは聖徳太子のこと。

名草ぼにまる
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/11/23

arrow_drop_down
  • 「親魏倭王」卑弥呼の謎

    7世紀、隋が滅び、この唐という巨大な統一国家が出現したことで、地続きにある朝鮮半島は戦乱時代になります。この戦乱が倭国にも影響することになります。卑弥呼の時代もそうです。大陸での紛争ですが、島国である倭国にも影響を及ぼしている。景初二年(238年)に、卑弥呼は魏に朝貢します。魏志倭人伝においては、何故この年に朝貢したのかの記述はされていません。主な理由と思われる、魏が建国した年なので、朝貢したわけではありません。卑弥呼が王に即位した年であるので朝貢したということでもありません。何故に卑弥呼は魏に朝貢したのかを推測するのは、魏志倭人伝の謎を解くことにおいては重要なことです。卑弥呼が朝貢した時期は、倭はどういう状況下におかれていたかを考慮しなければ、魏志倭人伝の謎を解くことはできません。この時代、朝鮮半島で勢力を誇...「親魏倭王」卑弥呼の謎

  • 秦の始皇帝と天皇家、秦氏の謎

    天皇家とは百済王家である。日本史においての最大のタブーであり問題点です。天智系天皇である桓武天皇は、秦氏、藤原氏の王である。その桓武天皇から繋がるとされる、今の天皇家は、百済王家、百済渡来人である藤原氏と秦氏の王である。平安京はこの秦氏の本拠地である。今回は、もしかしたらですが、・・・いまの天皇家は秦の始皇帝と繋がるという話です(*^▽^*)トンデモ話に思われるでしょうが、古代の文献が真実を語っているのならこうなります。それは、今の天皇家は秦王家だからです。まず、藤原氏。藤原氏の祖である藤原鎌足は百済からの渡来人であるという説は以前からあります。百済最後の王である義慈王の王子とされる豊璋ではないのかという説です。私は豊璋の弟の翹岐の方だと思うのですが?どちらでもいいですが、百済王家の人物だということです。この説...秦の始皇帝と天皇家、秦氏の謎

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、名草ぼにまるさんをフォローしませんか?

ハンドル名
名草ぼにまるさん
ブログタイトル
聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)
フォロー
聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用