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アズ動物病院の雑学メモ http://azvet2.blog.fc2.com/

海外14国を放浪し、海外の動物園、水族館で研修後、日本の動物園、水族館に約10年勤務し、イルカ、サメ、ゾウに麻酔したり、治療していました。沖縄、東北の動物病院で勤務後、大阪出身ですが、現在、秋田市で動物病院を開院。色々な情報を書いています。

スナフキン
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高槻市
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2019/11/22

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  • 【天正遣欧少年使節】『中浦ジュリアン(小佐々甚吾)』と【キリシタン禁教令】(2)

    『中浦ジュリアン(小佐々甚吾)』は、マラリアなどの体調不良が続き、十分な訪問活動が、出来ませんでしたが、その都度、多くのキリスト教徒の人々の厚意に助けられたので、キリスト教徒に対して、崇敬の念を抱いて、ローマ教皇『グレゴリウス13世』を、一生の心の師と思ったそうです。そして、1590年7月21日、長崎に帰国し、1591年3月3日には、【天正遣欧少年使節】の4人は、聚楽第で、関白『豊臣秀吉』に拝謁し...

  • 【天正遣欧少年使節】『中浦ジュリアン(小佐々甚吾)』と【キリシタン禁教令】(1)-『グレゴリウス13世』(1)

    『小佐々市衛門前親』の一族の、『中浦ジュリアン(小佐々甚吾)』は、1568年に、長崎で、生まれたそうです。そして、イエズス会東インド管区の司祭『アレッサンドロ・ヴァリニャーノ』が、キリシタン大名の『大友義鎮(宗麟)』、『大村純忠』、『有馬晴信』らに、キリスト教をより深く学ぶため使節団を、ローマに送る事を提案しました。そして、『大友義鎮(宗麟)』の親戚の『伊東マンショ(本名:伊東祐益)』は、主席正使...

  • 愛犬の墓と墓碑(1)-小佐々市衛門前親と『義犬華丸』くん

    15歳だった『小佐々市右衛門前親』は、大村藩(現在の長崎)3代藩主『大村純信』が、3歳の時、守役として抜擢され、文武両道に渡って指導し、面倒を見てきたそうです。そして、『小佐々市右衛門前親』は、23歳で家老になり、『大村純信』を補佐し、藩政を支えてきたそうです。ところが、1650年6月24日(慶安3年5月26日)、大村藩3代藩主『大村純信』が、32歳の若さで急逝した時、家老『小佐々市右衛門前親』は...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(8)-最後

    しかし、『畑時能』たち16人の内、激戦の最中に5人は戦死し、9人が重傷を負っていました。『快舜』も7カ所以上の傷を受け、瀕死の状態で、その日の夜、死亡しました。『畑時能』は全身傷だらけで、肩には、1本の白羽の矢が深く刺さっていました。何とかして矢を抜こうとしましたが、矢の先端が抜けず、3日の間、痛みに苦しんだ後、敗血症により、1341年12月4日(暦応4年10月25日)に、死亡しました。その後、『...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(7)-愛馬『塩津黒』

    『畑時能』と愛馬『塩津黒』が、敵の兵士を、蹴り倒したり、踏み倒したり、また、進んだかと思えば、取って返して敵陣を蹂躙したそうです。1318年ー1368年の日本での出来事が書かれた、【太平記】には、1341年10月頃の『畑時能』の愛馬『塩津黒』との活躍が、記載されています。「畑が乗ったる馬は、項羽が騅にも劣らざる程の俊足なりしかば、鐙の鼻に当て落され、蹄の下にころぶをば、首を取っては馳せ通り、取って...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(6)

    『足利高経』は、鉄壁の包囲網と考えていたので、背後に『畑時能』が、いるとは思わず、現在は、北朝に味方している平泉寺衆徒(僧侶)だが、以前、南朝だったので、平泉寺衆徒(僧侶)が、南朝に寝返り、背後に、来たと考え、このままだと、『畑時能』と後背の平泉寺衆徒(僧侶)に挟み撃ちされ、大被害を受けるのでは?と、驚愕したそうです。そのため、『足利高経』は、兵士7千人のうち3千人を、鷲ヶ岳へと向かわせたそうです...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(5)

    『上木九郎家光』は、 疑いを晴らすためには、ゆっくりとは、していられませんでした。そのため、一族郎党の約200人を率いて、さらに城に近づいていきました。 すると、大きな声をあげながら5人の男と犬が、突如として現れたそうです。それは、『畑時能』、『快舜』、『悪八郎』他2名と、『畑時能』の愛犬『犬獅子』でした。【鷹巣城】の近くにいた『上木九郎家光』の兵士たちが、驚いて右往左往しているところ...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(4)

    北朝の足利軍に、『上木九郎家光』という武将がいました。『上木九郎家光』は、以前、敵方の南朝『新田義貞』に仕えていました。そのため、なかなか【鷹巣城】の攻城戦で成果が出てこないのは、『上木九郎家光』が、敵と内通しているのでは?と疑う者が出てきました。そして、ある時、足利軍の『足利高経』の陣に、「畑を討たんと思わば、まづ上木を切れ(意訳:畑を耕したいと思うのなら、まず畑の上に生えている木を切る事)」と...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(3)

    『畑六郎左衛門時能(畑時能)』は、徹底抗戦する事を決め、周囲にできた砦を、一つづつ攻略する事にしたそうです。そして、砦を攻略する時、犬用に作製した兜を被った愛犬『犬獅子』を、放ったそうです。当時、日本では、犬を戦いに使うという概念が、全くなかったので、『犬獅子』は、まったく警戒されていませんでした。そのため、夜の暗闇に紛れた『犬獅子』は、たやすく敵の砦に、忍び込む事が出来たそうです。そして、敵の警...

  • 日本で、 合戦で犬を用いた最初の武将『畑時能』と愛犬『犬獅子』の活躍(2)

    『畑時能(畑六郎左衛門時能)(畑六郎左衛門)』は、南朝の『新田義貞』に仕え、新田四天王の一人と言われていたそうです。『畑時能』は、筋骨隆々で武力に優れ、相撲が好きで、一度も負けた事がなかったそうです。浮世絵師『歌川国芳』が描いた『畑時能』と愛犬『犬獅子』その上、知謀にも優れ、人心を掌握すること実に巧みで、音楽が好きで、笛を吹いていたそうで、その笛も、残っています。そして、日本では、合戦で犬を用いた...

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