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アズ動物病院の雑学メモ http://azvet2.blog.fc2.com/

海外14国を放浪し、海外の動物園、水族館で研修後、日本の動物園、水族館に約10年勤務し、イルカ、サメ、ゾウに麻酔したり、治療していました。沖縄、東北の動物病院で勤務後、大阪出身ですが、現在、秋田市で動物病院を開院。色々な情報を書いています。

スナフキン
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高槻市
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2019/11/22

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  • 内部告発(4)-秋田書店

    内部告発と言えば、漫画雑誌【少年チャンピオン】、ブラック・ジャック、バビル2世、魔太郎がくる、ドカベン、キューティーハニー、恐怖新聞、がきデカ、エコエコアザラクなどで、超有名な漫画出版社の秋田書店の景品水増し、未発送問題も有名です。ちなみに、自分のお小遣いで、最初に買った漫画は、【バビル2世】と【荒野の少年イサム】です。ちなみに、今まで沢山漫画を買いましたが、現在、ほとんどすべてが、消息不明です。...

  • 畜産業界の闇(3)-ミートホープ(4)-キーパーソン『赤羽喜六』の苦悩(2)ー後悔

    朝日新聞以外のマスコミは、『赤羽喜六』たちが、【ミートホープ株式会社】を、マスコミに、懸命に告発していた時期は、無視していましたが、朝日新聞のスクープにより、事件が明らかになってからは、取材殺到し、『赤羽喜六』個人に関することまで、本人に確認もせず書き立てました。そして、『赤羽喜六』は、取引先から、「偽装と知っていて、売りつけたのか!」など、大批判を受けるようになり、親戚からも「親族の恥」と言われ...

  • 畜産業界の闇(3)-ミートホープ(3)-『田中稔』大臣表彰された肉の天才の正体(2)

    雪印食品の牛肉偽装事件から5年後の、2007年、『赤羽喜六』からの告発を受けた、朝日新聞社が、調査を開始し、冷凍牛肉コロッケを、DNA検査した所、豚肉や鶏肉とその他の肉が検出され、食品偽装が立証されました。問題発覚後、『田中稔』社長は、記者会見で、「故意ではありません。意図的ではなく、単なる過失で、何かの肉が混ざったのかも?」と、事実や関与をなかなか認めませんでした。4回目の会見の時も、『田中稔』社...

  • 畜産業界の闇(3)-ミートホープ-キーパーソン『赤羽喜六』の苦悩(1)

    キーパーソン『赤羽喜六』【ミートホープ株式会社】常務取締役『赤羽喜六』は、食肉偽装を知ってしまったので、『田中稔』社長に、改善を求めましたが、無視されました。同族経営の会社だったので、改善は、困難と思われたので、『赤羽喜六』は、匿名で、苫小牧保健所、農林水産省北海道農政事務所など行政機関へ、調査する様に、告発しましたが、無視され、調査は、行われませんでした。『赤羽喜六』は、『田中稔』社長の経営方針...

  • 畜産業界の闇(3)-ミートホープ(1)-『田中稔』-大臣表彰された肉の天才の正体

    北海道苫小牧市の食品加工卸売会社【ミートホープ株式会社】は、1976年、『田中稔』が創業し、100人程度の、典型的な同族経営の会社でした。当初は、丁寧な対応を心掛け、『田中稔』社長が、販売店に行ったり、残業も手伝うなど模範的な会社でした。しかし、バブル崩壊後の価格競争や、大型スーパーが、店内で肉の加工を行うようになった事により、取引が減少したので、1995年頃より、コストダウンのため、食品偽装や産...

  • 畜産業界の闇(3)-日本ハム

    日本ハムでも、偽装問題を起こしました。2002年、日本ハムで、古くなった輸入牛肉を、国産牛肉として、産地偽装を行い、補助金詐欺をしていた事が、分かりました。事件が発覚する直前は、二桁成長を続けて、トップは、雪印乳業で、2番が日本ハムでしたが、偽装発覚後、2社とも、売り上げが落ちました。ただし、4年後には、回復したそうです。そして、2006年11月、日本ハムの兵庫工場で、排出基準を超えた工場排水のデ...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(6)-名古屋のフジチク、同和食肉事業協同組合-ハンナン

    自分が、大阪に住んでいた時、同和地区が、何処にあるかを、みんなが知っていて、同和地区の人々は、日本の社会に対して不満を持ち、気が荒い人が多いので、行く時は、警戒しろと言われていました。ちなみに、自分は、喧嘩には自信があったので、気にしませんでした。大阪府同和食肉事業協同組合会長のハンナングループ(現:ハニューフーズ)総帥『浅田満』は、衆院議員『鈴木宗男』に、高級乗用車を提供するなど、関連する政治家...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(3)-朝鮮半島

    昔の朝鮮半島の身分制度では、国王、両班、中人、常人、賤民(奴隷)、そして、賤民(奴隷)の下の身分制度の最下位に、牛の屠畜、解体をしていた、被差別民【白丁(ペクチョン)(はくてい)】と、なっていました。そして、【白丁(ペクチョン)(はくてい)】は、屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工以外の職業は、禁止されていました。そして、【白丁(ペクチョン)(はくてい)】は、人が住まないような、日当たりが悪く、低...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(2)-インド

    紀元前2600年ー紀元前1800年頃、インド、アフガニスタン、パキスタンのインダス川流域に肌色の濃いドラヴィダ人による、インダス文明が、発達していました。紀元前1500世紀頃、北西の中央アジアに住んでいた、欧州と同じルーツの肌の白いアーリヤ人(ダーサ)が、南下を開始してインダス川流域に、移動して来て、先住民ドラヴィダ人を、支配していく過程で、階級制度のある【バラモン教】が、出来ました。紀元前100...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(1)-日本

    天狗が恐れていたエタ(穢多)でしたが、次第に、殺生を嫌う仏教と、血を【穢れ(気枯れ)】として嫌う神道の両方の影響から、【穢れ(気枯れ)】のある死を忌む思想が生まれたので、動物の死体を取り扱っていた人に対して、強い偏見、差別するようになっていきました。そして、江戸幕府は、士農工商、エタ(穢多)、ヒニン(非人)という身分制度をつくり、経済的に恵まれていない農民より下に、経済的に恵まれている商人を置いて...

  • 食肉(2)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(3)-仏教と神道の融合

    仏教では、輪廻転生が信じられていて、大乗仏教経典の【楞伽経】には、「一切衆生 從無始來在生死中 輪迴不息 靡不曾作父母兄弟男女眷屬乃至朋友親愛侍使易生而受鳥獸等身 云何於中取之而食(意訳:すべての命あるものは、何度も転生し、人だけでなく、動物、鳥、魚、虫なども含めた生類として、生まれ変わる事から、死んだ祖先、家族や友人が、鳥獣等に、なっているかもしれないので、鳥獣等の殺生や肉食は、しないように。)...

  • 肉食(1)-ウサギ肉(2)ー秋田の【日の丸鍋】、塩とサラダ

    秋田県大仙市では、白毛に赤目の【日本白色種の秋田改良種(ジャンボうさぎ)】が、日の丸の色彩を具現化した動物という事で、ウサギの肉を、【日の丸鍋】と呼んで、大仙市内の食堂で食べれます。【ジャンボうさぎ】は、1899年、馬産家『佐々木房之助』氏が、岐阜県の大型ウサギを、秋田県内に持ち込んだのが、始まりだそうです。1984年、『佐藤喜志治』が、長年、品種改良した結果、10kg以上の個体を育てたことなどを...

  • 徳川家のウサギ汁

    『徳川綱吉』の【生類憐れみの令】などにより、江戸時代は、4本足の動物の肉を、食べてはいけないことになりました。しかし、4本足ではない鳥や魚は、食べても良いと決まりましたが、魚、鳥などが、入手困難な山村地域では、ウサギは、重要なタンパク源だったので、人々は、屁理屈を考えました。4本足の動物は、頭数を、匹や頭で、数えますが、ウサギは、「ウ」(鵜)と「サギ」(鷺)という2種類の鳥の名前が、入っているので...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(2)-天狗が恐れる必殺技【エタ(穢多)のきもきり】

    古来より、【エタ(穢多)】は、牛、馬、豚の食肉処理や皮革加工などを生業としていました。奈良時代には、【恵多】という漢字を、使っていましたが、鎌倉時代に、殺生は、「穢れ(けがれ)」が多いと言う意味から、次第に、【エタ(穢多)】という漢字に、変わったそうです。鎌倉時代、【エタ(穢多)】は、動物の殺し方を熟知し、非常に強力なおそるべき力を持つ人々と、考えられていたそうです。そのため、【エタ(穢多)】は、...

  • 畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(1)-歯木(ダンタカーシュタ)

    日本では、古代より、死は、恐怖の対象とされ、【穢れ(気枯れ)】と言われて、周囲に伝染すると考えられていました。葬儀のご参列者が、自分の体に塩をふるのは、【穢れ(気枯れ)】を、祓い清める必要が、あると思われていた名残です。そして、遣唐使の廃止により、宗教が日本独自の発展をした平安時代は、より、死の【穢れ(気枯れ)】の存在が大きくなり、死ぬところに居合わせたり、死体に触れたりすることは、より忌み嫌われ...

  • 畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(3)

    雪印の牛肉偽装が判明してから、判明したのですが、日本の畜産業界での、原産地ラベル張り替えは、日常的に、偽装していて、外国産牛肉を、国産牛肉と偽って、申請するなど、制度を悪用する食肉関連企業が続出し、大きな社会問題となりました。ちなみに、牛肉買い上げ事業では、部落解放同盟関連の同和食肉事業協同組合が、半分以上を占めていました。ちなみに、自分が住んでいた大阪では、部落差別が激しかったので、小学校、中学...

  • 畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(4)-後悔

    西宮冷蔵の『水谷洋一』社長は、「牛肉偽装をしているのは、雪印だけ。雪印で失った1割位、すぐ取り返せる。」と考えていましたが、その考えは甘く、西宮冷蔵の告発で、雪印の牛肉偽装が判明してから、分かったのですが、日本ハム、ハンナン、ミートホープ株式会社、日本食品、全農チキンフーズ、丸紅畜産、スターゼンなど、畜産業界全体が、同様の偽装を行っていたので、正義を貫く西宮冷蔵を警戒し、畜産業界との取引が、激減し...

  • 畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(2)

    雪印食品は、安いオーストラリア産牛肉を、3倍以上の値段のする高価な国産牛に偽装するため、国産牛のダンボールに詰めかえ、預けていた西宮冷蔵に、【在庫証明】を発行させ、日本政府に買い取らせたそうです。その時、西宮冷蔵の『水谷洋一』社長は、長期出張していたのですが、戻ってきてから、それを知ったので、売り上げの1割以上を占める、お得意先であった雪印食品に、事件化しないように、『水谷洋一』社長が、「バレる前...

  • 畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(1)

    雪印乳業の子会社の雪印食品は、牛肉を取り扱っていましたが、2000年の食中毒事件の影響により、雪印全体の売上が減少し経営が、悪化していたことに加え、【牛海綿状脳症(BSE)】発生に伴う、消費者の牛肉買い控えにより、外国産牛肉の大量の在庫を抱えていました。そのため、雪印乳業の子会社の雪印食品が、安価な輸入牛肉と国産牛肉の原産地ラベルを、張り替えて、申請して、2億円以上の交付金を不正に受給していました...

  • 畜産業界の闇(2)-国産食用牛の買取(2)

    【牛海綿状脳症(BSE)】に関しての、国産牛の買い取り対象は、「箱詰めの未開封の国産牛肉」と限定されたので、もっとも困っていた一般小売店の多くは、箱詰めではなく、開封された肉を取り扱っていたので、救済対象からはずされて、当然ですが、政治家に献金している食肉大手企業だけに、事実上限定されていました。日本共産党『中林よし子』議員が、この問題点について、『武部勤』農林水産大臣に、改善を求めましたが、応じ...

  • 畜産業界の闇(2)-国産食用牛の買取(1)

    1986年、イギリスで、牛の脳の組織がスポンジ状となり、2-8年の潜伏期間の後、異常行動、運動失調などの神経症状を示し、死亡する、【牛海綿状脳症(BSE)】が、発見されました。まだ、詳細は不明ですが、動物には、プリオン遺伝子を持ち、正常プリオン蛋白(糖蛋白質)を産生します。そのプリオン遺伝子が異常となり、異常プリオン蛋白が出来たり、外から異常プリオン蛋白が入ってきて、正常プリオン蛋白を、異常プリオ...

  • 乳業業界の闇(2)-雪印(1)-牛乳(2)

    雪印乳業に対する世間の不信感から、小売店から、雪印グループ商品が、次々と撤去され、ブランドイメージも急激に悪化しました。その後、雪印乳業全工場の操業停止となり、その後、安全点検が終了し、8月2日に厚生省が、安全宣言を発表したため、生産は徐々に回復していきました。しかし、その後の大阪府警察の捜査により、食中毒の真の原因が、雪印乳業の北海道にある大樹工場の脱脂粉乳という事が、判明しました。そのため、2...

  • 乳業業界の闇(2)-雪印集団食中毒事件(1)

    1955年、東京都内の小学校9校で、学校給食で出された、雪印乳業の脱脂粉乳で、約千5百人のブドウ状球菌中毒事件が、起こりました。この時は、脱脂粉乳の製造時に重なって発生した、製造機の故障と停電により、牛乳が粉化前に、長時間放置されたことで、菌が増殖したものと推定されますが、詳しい混入経路は、解明されませんでした。そして、雪印乳業は、製造機の故障と停電が起きない様に、注意していくので、今後は、同様の...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(7)

    1973年4月、【森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会】は、大阪地裁に、損害賠償を求める民事訴訟を提訴したのに続き、8月には岡山地裁、11月には高松地裁にも提訴しました。そして、刑事責任の方では、世論に押された形で、無罪とした徳島地裁の差戻し裁判が行われ、1973年11月28日、森永乳業の責任者の徳島工場長と製造課長に対して、無罪から、有罪の判決に代わり、労務作業のない身柄拘束刑の禁固刑となりました...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(6)

    1972年12月、【岡山県粉乳砒素中毒調査委員会】は、「当時の患者達は、特に憂慮すべき経過を、辿っているとは、考えられない。健康状態は、問題ない。」と結論づけ、厚生省に、報告しました。世間から忘れられていた、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者や親たちが、【岡山県粉乳砒素中毒調査委員会】に、ものすごく大きな期待をかけていたので、結果を聞いて、ショックを受けたそうです。そして、森永乳業は、「行政の第三者機...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(5)

    森永乳業のヒ素ミルク中毒から、14年以上が過ぎた、1969年、大阪大学医学部『丸山博』教授、岡山大学医学部『青山英康』助教授、医学部の若手研究者、養護学校の教師や保健婦たちが、森永乳業のヒ素ミルク中毒の被害児の後遺症に気づき、その実態を把握しなければならないと考え、実態調査を行いました。1969年10月30日、岡山市で開かれた日本公衆衛生学会で、大阪大学医学部『丸山博』教授が、「14年前の森永MF...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(4)

    森永ヒ素ミルク中毒事件に関して、世論は、風化しましたが、岡山県の被害者たちは、【岡山県森永ミルク中毒の子どもを守る会】を結成し、活動を続けました。そして、1957年7月、森永乳業と交渉し、裁判の結果によっては、中毒症の検診とその治療費を、支払うという、覚書をとりつけました。そして、19人が、後遺症があるという診断をもらい、世論の支持を得るための活動を、地道にしていました。しかし、1963年10月、...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(3)

    森永ヒ素ミルク中毒事件当時の日本は、高度経済成長時代の始まりだったので、賃金水準の低い若年労働力や女子労働力に対する需要が、急速に拡大していたので、大部分の若い母親たちが、家庭を離れて工場などで働くためには、どうしても、粉ミルクの助けを借りる必要が、ありました。そのため、日本政府は、産業育成政策、高度経済成長が、何よりも、最優先と考えていたので、日本政府は、森永乳業側に立っていました。そして、19...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(2)

    1953年頃から、森永乳業は、粉ミルクに、凝固を防ぎ、溶解しやすくする安定剤として、純度の高い高価な【第二燐酸ソーダ】を、添加していましたが、安価という事で、純度の低い工業用に、切り替えたそうです。ちなみに、純度の高い高価な【第二燐酸ソーダ】は、害はなく、現在でも、ハムやかまぼこなどに、結合剤として使用されているそうです。しかし、この時に使用された【第二燐酸ソーダ】は、【日本軽金属株式会社】が廃棄...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(1)

    日本で、ヒ素中毒事件として、最も有名なのは、森永乳業の森永ヒ素ミルク中毒事件です。第二次世界大戦前、森永乳業は、乳製品を世間に広げようと考え、医学界に対して、多額の寄付をし、医師、看護婦による乳児診断車を、東京、大阪で巡回させ、世間での評判を上げていたそうです。そして、第二次世界大戦後の1952年、海外からの乳製品の輸入が、減りましたが、その影響で、日本の乳業業界は、ものすごい好景気になり、牛乳の...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(3)-和歌山毒物カレー事件(2)

    『林健治』の話は、続きます。「和歌山カレー事件は、大きな事件だから、警察は、怪しい人間を、調べていくから、保険金詐欺が、ばれたら、ヤバいと考え、あわてて、保険金詐欺に使っていた【仮病薬】のヒ素を、近所の用水路や流し台に、流して処分をしたんよ。そんで、和歌山カレー事件の取材に来ていた、朝日新聞の記者と仲良くなり、食事も一緒に食べるようになったんよ。その時、朝日新聞の記者が、無職なのに、どうしてこんな...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(3)-和歌山毒物カレー事件(1)

    ヒ素は、入手が容易である一方、体内に残留し容易に検出できることから、狡猾な毒殺には、使わられない事から、ヨーロッパでは、【愚者の毒(fool's poison)】という異名があるそうです。しかし、フランスでは、ヒ素を、遺産相続のための殺人に、利用されることが多かったので、【相続の粉薬(poudre de succession)】と、言うそうです。日本で、ヒ素中毒事件として有名なのは、1998年7月25日、和歌山県和歌山市で、開催...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(2)-井戸水(地下水)

    ヒ素は、自然界の鉱物、水、堆積物、食物などに含まれ、環境中に広く分布しています。日本の水道水質基準では、ヒ素およびその化合物は、0.01mg/L以下と、定められています。しかし、井戸水(地下水)については、それより高濃度のヒ素が、含まれることがあります。2000年6月頃より、茨城県神栖市のある地域の井戸水を、飲んでいた犬が、胃腸炎やふらつき、虚脱状態になり、動物病院で、治療しましたが、原因不明で、次...

  • チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(1)-ヒジキ

    チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒ですが、ヒ素化合物の種類は、3万種以上あると言われ、ヒ素化合物は、人も含め、あらゆる生物に、微量含まれていますが、陸上生物より、海洋生物に、多く含まれているそうです。ちなみに、ヒ素は多量に摂取すると、急性中毒を起こして、死ぬこともあり、慢性中毒では、嘔吐、食欲減退、皮膚の炎症、知覚障害や運動障害を、起こすこともあります。ちなみに、海藻のヒジキは、食物繊維、カリウム...

  • ミイラ(3)-チリのチンチョーロ文化ー最古のミイラ(2)

    チンチョーロ人が、約7千年前ー約5千年前に作製したミイラは、【ブラックミイラ】と呼ばれ、遺体の頭、腕、足を、胴体から切り離し、皮膚を剥がし、胴体から、臓器を取り除き、胴体を、熱せられた灰や炭で、加熱乾燥し、腕と足の骨から、肉を取り除き、骨を洗浄し、その後、胴体に、棒で補強した腕、足をつけて、胴体、腕、足を、骨に沿って植物繊維で、縫合しました。頭は、目の高さで半分に切断し、脳を除去し、草や灰、土、動...

  • ミイラ(3)-チリのチンチョーロ文化ー最古のミイラ(1)-エイリアンのミイラ(1)

    ドイツの考古学者『マックス・ウーレ』は、1917年、チリのアタカマ砂漠で、頭部に、仮面とかつらを付けたり、頭部が偽物に取り替えられていたり、砕けた腕や足などの体の部分を、ワラや木で、補修された、奇妙なミイラ化した遺体を多数、発見したそうです。最初のミイラが発見されたChinchorro Beachに、ちなんで、チンチョーロ(chinchorro)文化のミイラと、名付けられたそうです。ちなみに、チリは、スペインの植民地だった...

  • ミイラ(2)-エジプト最古のミイラ

    神官『イウヤ(Yuya)』の墓にあった、ハチミツの様な液体は、調査した結果、ミイラを作る時や、墓の中の壁画を描く時の灯りの燃料として、古代エジプトで用いられていた、ナトロンだったそうです。ちなみに、ナトロンは、炭酸ナトリウム10水和物と、重曹を主成分とする、天然に産出する鉱物です。古代エジプトでは、ナトロンを、油、砂、石灰などと混ぜたりして、石鹸や洗剤、衣類の漂白剤、外傷の消毒薬、魚や肉の防腐剤、殺虫...

  • 豊穣の神と隠語(2)-『カリグラ(カリギュラ)』(2)-映画【カリギュラ効果】、【ボストンでは禁止】

    イタリア・アメリカ合作映画【カリギュラ】は、ペントハウス誌社長『ボブ・グッチョーネ』が、46億円を投じて製作し、『マルコム・マクダウェル』、『ピーター・オトゥール』、『ヘレン・ミレン』など豪華キャストが出演した、超大作映画です。当初、映画【カリギュラ】の映画監督『ティント・ブラス』は、イタリアのポルノ界の巨匠と言われていましたが、心機一転して、脚本家『ゴア・ヴィダル』と共に、「ローマ帝国皇帝カリギ...

  • 豊穣の神と隠語(2)-『カリグラ(カリギュラ)』(1)-『カッシウス・カエレア』

    ギリシア神話の、豊穣の神『プリアーポス(プリアポス)(プリアープス)』は、【ファルス(陰茎)】が、描かれています。ただし、古代ローマでは、『プリアーポス(プリアポス)(プリアープス)』は、侮辱語としても、用いられることがあったそうです。『カリグラ(カリギュラ)(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)』は、部下で、恩人の『カッシウス・カエレア』の事を、『プリアーポス』と呼んで、...

  • ミイラ(1)-豊穣の神と隠語(1)-『ミン』

    神官『イウヤ(Yuya)』は、豊穣の神『ミン』の神殿の神官で、古代エジプトの約3千3百年以上前の第18王朝の大9代ファラオ『アメンホテプ3世』の妃『ティイ』の父で、超有名な、古代エジプト第18王朝のファラオ『ツタンカーメン』の曾祖父だそうです。神官『イウヤ(Yuya)』のミイラちなみに、神官『イウヤ(Yuya)』の墓(KV46)は、墓の閉鎖直後、生鮮食品が盗掘された跡や、2度目以上、宝飾品が盗掘された跡があり、...

  • ハチミツ(4)-最古の養蜂(1)

    エジプトは、世界で最古の養蜂国と言われ、約5千年以上前に、養蜂が始められたそうです。約5千年以上前のエジプトの壁画には、粘土製の管状のミツバチの巣箱をつくり、蜂蜜を採取、保存する様子が描かれています。エジプトの壁画現在では、巣箱を同じ場所に置く【定置養蜂】が、一般的ですが、ミツバチと巣箱を一緒に、季節ごとに咲く花を追い、移動しながら、養蜂を行う【転地養蜂】も、行われていたそうです。アメリカの弁護士...

  • ハチミツ(3)-ハチミツ採取の最古の絵

    イギリスには、「The history of honey is the history of mankind. (ハチミツの歴史は、人類の歴史。) 」という、ことわざがあります。そのことわざの通り、人類は、古代よりハチミツを、生活に取り入れてきました。 スペインのアラニア洞窟にある約1万7千年前の壁画には、野生の蜂の巣から、ミツバチが飛び回る中、女性が、片手に籠状の容器を持って、縄梯子を登って天然の洞穴に近づき、燻煙を使って蜂を、不活性化しながら...

  • 蜂蜜(2)-世界最古の花とハチ

    最も古いハチの化石は、約2億2千6百万年前だそうです。ハチの仲間は、植物の葉や幹に卵を産み、幼虫は植物を食べていました。その一部から、他の昆虫の体に、産卵管を刺して、寄生するコバチ、ヒメバチなどの寄生バチが、進化しました。その後、産卵管が、獲物を仕留めたり、捕食者から身を守るための毒針に進化し、有剣類のカリバチ類が登場しました。そして、カリバチ類から、アリとミツバチ上科に進化しました。そして、ミツ...

  • 生き物たちのコミュニケーション(4)ー人と鳥-ハチミツ(1)

    秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...

  • 生き物たちのコミュニケーション(3)ー微生物

    秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...

  • 生き物たちのコミュニケーション(2)ー植物

    秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...

  • 生き物たちのコミュニケーション(1)ー魚

    秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(12)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(3)

    1961年、『リヒャルト・ゾルゲ』の日本での活躍を題材にした、映画【スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜】が、日仏合作で作成され、公開されました。ヨーロッパにおいて、大きな反響があり、モスクワ国際映画祭に出品が、決まりましたが、ユダヤ系の『ロディオン・マリノフスキー』国防大臣が、試写が終わると、「この映画は嘘だ!『リヒャルト・ゾルゲ』という人物は、わが国には存在しない。そもそも、ソビエト連邦に、スパイはいな...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(11)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(2)

    1944年11月7日、ロシア革命記念日の朝、『リヒャルト・ゾルゲ』は、背広姿、『尾崎秀実』は、紋付羽織は、はかま姿で、治安維持法、国防保安法違反により、巣鴨拘置所で、絞首刑に処されました。ちなみに、『リヒャルト・ゾルゲ』は、死刑執行の直前、日本語で、「これは私の最後の言葉です。』と言った後、「ソビエト、赤軍、世界の共産党万歳!」と、言ったそうです。『リヒャルト・ゾルゲ』の遺体は、ドイツ大使館、ソ連...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(10)-尾崎秀実と友人の涙の決断

    『尾崎秀実』の裁判が始まりました。裁判長は、第一高等学校、東京帝国大学法学部を通じて、『尾崎秀実』と、同期生で友人だった『高田正』でした。『高田正』裁判長は、「『尾崎秀実』の立場も心境も、十分認めている。だが、その行為を、国法は、許すことが出来ない。命をもって、国民に詫びよ!」と、高校からの友人『尾崎秀実』に、涙を呑んで、死刑判決を、言い渡しました。その後、『高田正』裁判長は、死刑確定した『尾崎秀...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(9)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(1)

    『リヒャルト・ゾルゲ』の住む、麻布にある自宅は、2階建ての洋館で、2階の窓から、【特別高等警察】の基地の鳥居坂署が、見えました。そして、スパイ(工作員)ならば、【特別高等警察】が、外国人を、全て監視している事を、知っているので、【特別高等警察】の事を気にして、目立たない様に行動する所、『リヒャルト・ゾルゲ』は、あえて、目立つように、大型のオートバイを乗り回し、美しい女たちを、連れ歩いていたそうです...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(8)-『リヒャルト・ゾルゲ』(1)

    『リヒャルト・ゾルゲ』は、『宮城与徳』、『尾崎秀実』と、連絡が取れなくなったことに不安を抱き、次は自分の所に来ると感じて、1941年10月17日の夜、ドイツに避難しようと考え、準備していました。しかし、1941年10月18日朝、『リヒャルト・ゾルゲ』は、自宅で逮捕されました。これに対し、『リヒャルト・ゾルゲ』を、ナチス党員の記者だと信じ込んでいたドイツ大使館は、「私たちは、『リヒャルト・ゾルゲ』が...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(7)-朝日新聞『尾崎秀実』

    『宮城与徳』、『北林トモ』の捜査により、『リヒャルト・ゾルゲ』と『尾崎秀実』らが、ソビエト連邦のスパイ(工作員)と判明し、『宮城与徳』の家宅捜査で、数多くの証拠品が、見つかり、【ゾルゲ諜報団】のメンバーも、特定できました。しかし、日本陸軍は、ドイツの駐日大使『オイゲン・オット』の親友『リヒャルト・ゾルゲ』を逮捕すると、ドイツとの関係が悪くなるし、『近衛文麿』内閣総理大臣のブレーンの、元朝日新聞記者...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(6)-沖縄の画家 宮城与徳

    1941年10月10日、【特別高等警察】は、沖縄生まれの画家で、アメリカ共産党党員『宮城与徳』を、逮捕しました。【特別高等警察】は、最初に、『リヒャルト・ゾルゲ』らを逮捕すると、政界や国際関係に影響を与えるかもしれないと考え、小物の『北林トモ』や『宮城与徳』を、逮捕したと言われています。そして、『宮城与徳』は、『リヒャルト・ゾルゲ』の自宅には、日本語教師という名目で、元大阪朝日新聞記者『尾崎秀実』...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(5)-北林トモー和歌山にて

    【特別高等警察】は、外国人と関係している日本人を、警戒対象としていました。そして、【特別高等警察】は、1930年代より、日本での共産党関係者や、アメリカ共産党の日本人党員の情報を収集し、アメリカ共産党党員『宮城与徳』や『北林トモ』の身辺調査を行っていました。その過程で、【特別高等警察】は、『北林トモ』が、ものすごく怪しいと、考えました。『北林トモ』は、1886年、大阪で生まれ、欧米のファッションや...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(4)

    1940年6月27日頃より、日本の秘密警察【特別高等警察】は、怪しい無線電波が、都内から、ソビエト連邦方面に、送信されていることを察知し、本格的に、スパイ(工作員)の内偵を、進めていましたが、発信元を特定できず、また暗号も、解読できませんでした。そして、1941年の夏頃に、日本の秘密警察【特別高等警察】は、『リヒャルト・ゾルゲ』を、怪しいと考え、詳しく身辺調査しましたが、怪しい点を見つけることは、...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(3)

    【ゾルゲ諜報団】の『尾崎秀実』は、朝日新聞新聞を退社し、1938年7月から1939年1月まで第1次近衛内閣嘱託となったので、日本の軍事情報に関しては、より高度な機密情報が、得られるように、なりました。ヨーロッパで戦争が始まると、『リヒャルト・ゾルゲ』は、ドイツ大使館情報官に任命されたので、ドイツ大使館と【ゾルゲ諜報団】の両方から、日本の軍事情報などが、入手可能となりました。そして、1940年9月2...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(2)

    ソビエト連邦のスパイ(工作員)『リヒャルト・ゾルゲ』は、日本でスパイ(工作員)活動を行うため、中国を出国し、ドイツに赴いてから、駐日ドイツ大使館員への紹介状を得て、職業をジャーナリストとして、ドイツのパスポートも、入手しました。そして、1933年9月6日に、横浜港に到着し、日本での活動を開始しました。そして、日本に到着後すぐに、隠れ蓑として、ナチスに入党申請し、1934年10月に、正式なナチス党員...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(1)

    日本で起きた、20世紀最大の国際諜報事件と言われている、ゾルゲ事件を、引き起こした、『リヒャルト・ゾルゲ』は、1895年10月4日、ドイツ人鉱山技師『ヴィルヘルム・ゾルゲ』と、ロシア人『ニーナ・ゾルゲ』との間に、生れました。ちなみに、父方の大叔父『フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲ』は、『カール・マルクス』の秘書だったそうです。『リヒャルト・ゾルゲ』は、1917年に起きたロシア革命に、衝撃を受け、共産...

  • 日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(2)

    『児玉源太郎』や『山縣有朋』は、情報の重要性を、認識していたので、『明石元二郎』ら情報将校を、積極的に引き立てていたので、日露戦争後、『明石元二郎』は、順調に出世し、1914年には参謀次長に、出世しましたが、日本陸軍内には、スパイ(工作員)活動が、卑怯だと、忌み嫌う風潮があり、また、『明石元二郎』は、スパイ(工作員)出身だったので、単独行動が多く、周囲に忖度しない性格だったので、『明石元二郎』に対...

  • 日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(1)

    スパイ(工作員)活動のため、詳細は不明で、真偽のほども不明ですが、日露戦争の時、参謀本部次長『児玉源太郎』に命令され、スパイ(工作員)『明石元二郎』は、ロシア帝国で、偽名『アバズレーエフ』と名乗り、後方かく乱のため、1904年、ジュネーヴで、『ウラジーミル・レーニン(ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)』と会談し、『ウラジーミル・レーニン』が率いる社会主義運動に、4百億円以上の機密費を使い、資金援...

  • 日本の外交手腕(4)-北朝鮮は、地上の楽園(8)-脱北者への対応

    2002年5月8日、北朝鮮からの亡命者5人が、中国の日本国総領事館に駆け込んできましたが、日本国総領事館の敷地内で、中国人民武装警察部隊に、取り押さえられました。その日の夕方から夜にかけて、日本国総領事館は、瀋陽市公安局・遼寧省公安や、中華人民共和国外交部領事司副司長に対し、無断での侵入への抗議を行い、亡命者5人の引き渡しを求めました。事件後、日本国総領事館は、報道機関に対して、「拘束された5人を...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)

    『カール・マルクス』は、反貴族主義者で、「貴族階級を排除し、労働者主体で、社会をつくるべき!」と、言っていました。しかし、『カール・マルクス』は、「自分の妻『イェニー・マルクス(Jenny Marx)』が、貴族階級出身である事は、非常に誇りだ。」と、自慢して、『マダム・イェニー・マルクス旧姓バロネッセ(男爵令嬢)・フォン・ヴェストファーレン』という名刺を作成し、知人、友人、商人や他の人に、見せびらかしていた...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)

    社会主義・共産主義の基礎をつくり、多大なる影響を与えた『カール・マルクス』は、実生活では、お金に関しては、とんでもないルーズで、ものすごい浪費家で、収入より、支出が多く、借金しまくっていたそうです。ちなみに、『カール・マルクス』は、「生産物は労働者の物にはならず、労働をしない資本家によって、私有・独占されるため、労働者は、自己実現できず、疎外されている。人間にとって、最大の幸福は、自分を生かせる仕...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(1)

    「歴史とは、現在と過去との、絶え間ない対話である。」という言葉で有名な、イギリスの歴史学者、政治学者『エドワード・ハレット・カー』は、「『カール・マルクス』は、破壊の天才だが、建設の天才ではなかった。何を取り去るべきかの認識においては、極めて見通しがきいたが、取り除いた後、その代わりに、何を据えるべきかに関する構想は、漠然としていて、不確実だった。」と、的を得た事を、言っています。すなわち、『カー...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(8)-社会主義・共産主義の実情(1)

    社会主義・共産主義は、矛盾する事を、言う事があります。でも、それには、理由があります。北朝鮮が、日本人を拉致したと騒がれていた当初、日本共産党は、「北朝鮮が、日本人を拉致したという、証拠もないのに、マスコミなどは、北朝鮮が、日本人を拉致したと、嘘を言っている。」と、主張していました。しかし、日本共産党『兵本達吉』は、日本共産党員でしたが、党とは違う考え方を持ち、調査した結果、北朝鮮による、日本人拉...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(7)-38度線の北

    「北朝鮮は、他に見た事もないような、とても素晴らしい社会主義・共産主義の理想国家だ。まさに、北朝鮮は、地上の楽園だ!」と、北朝鮮を、ものすごく礼賛し、在日韓国・朝鮮人が、北朝鮮に移住するのに、大きな影響を与えた本、【38度線の北】の著者の日本共産党『寺尾五郎』は、1960年、朝鮮解放15周年慶祝日朝協会使節団の秘書長として、北朝鮮を、訪れたそうです。そして、日本共産党『寺尾五郎』が、急行列車に乗っ...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(6)-超極秘事項『金正恩』の母

    北朝鮮の弱点は、「核心階層」でありさえすれば、能力がなくても厚遇され、権力の座に就くことが出来る事です。ちなみに、在日韓国・朝鮮人でも、日本共産党の党籍を持ってたり、ものすごく多額の献金を行った場合、上層部の「核心階層」となる事も、わずかながら存在するそうです。ちなみに、北朝鮮の現在の最高指導者『金正恩』の母『高容姫(あゆみ)』は、韓国人の父『高京澤』と、日本人の母『高田姫(李孟仁)』との、国際結...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(5)-万景峰号

    「北朝鮮は、地上の楽園!」という宣伝を信じて、日本から、北朝鮮に渡った在日韓国・朝鮮人たちや、日本人たちは、最初に、招待所と呼ばれる施設に一時的に滞在し、歓迎行事の後に、経歴書や希望配置を北朝鮮当局に提出し、社会見学をした後、身分制度を決める面接を、受けるそうです。日本から、北朝鮮に渡った在日韓国・朝鮮人たちや、日本人たちは、北朝鮮の身分制度で、少数が、中間層の「動揺階層」、大多数が、最下層の「敵...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(4)

    現在の北朝鮮における身分制度は、1958年から1960年にかけて、『金日成』に対する忠誠度に基づき、新しく出来たものです。その時、全国民を、家系を3代前まで遡って調査し、金一族への忠誠度の順に、上から、「核心階層」、「動揺階層」、「敵対階層」の3つに大きく分類し、そこから、さらに、51個に細分化されているそうです。その時に、反抗した一般国民、約7万人が、炭鉱や鉱山、農村に強制移住を命じられ、約6千...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(3)

    1959年、12月16日、第1回目の移民が行われ、日本から在日韓国・朝鮮人たちが、北朝鮮に到着した時、『呉基完』は、北朝鮮で、日本から来た在日韓国・朝鮮人たちを、歓迎するために動員された2千人以上の住民と共に、出迎えました。北朝鮮政府が、「日本の在日韓国・朝鮮人たちは、貧困で、ひどい生活をしているので、耐えきれなくて、北朝鮮に来た。」と、言っていたので、日本のマスコミや知識人に、買収工作を行ってい...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(2)

    当時の日本の文化人やマスコミでも、【在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)】の、「北朝鮮は、地上の楽園!」という宣伝を信じ、大々的に、キャンペーをして、後押しをしていました。1959年に発売された、歴史学者で、日本共産党『寺尾五郎』の著書【38度線の北】は、「北朝鮮が、他に見た事もないような、とても素晴らしい理想国家だ。まさに、北朝鮮は、地上の楽園だ!」と、ものすごく礼賛していたので、 在日韓国・朝鮮人...

  • 日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(1)

    現在は、活気あふれる韓国に、憧れている日本人が、ものすごく多いのですが、1950年から1960年頃は、朝鮮半島は、朝鮮戦争などで、国が荒れ果てて、韓国は、日本の支援で、経済が発展するまでは、世界で、最も最貧国と言われていて、当時の日本では、韓国に憧れている人は、ゼロで、反対に、韓国や北朝鮮、そして、在日韓国・朝鮮人に対する、差別や人権侵害が、横行し、日本で暮らしていた在日韓国・朝鮮人は、貧困家庭が...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(18)-北朝鮮の拉致問題(5)-日本とレバノンの外交姿勢の違い

    国民を守る姿勢は、レバノンの外務省は、日本の外務省とは、大きく違います。1978年、レバノンの首都ベイルートのYMCA(キリスト教女子青年会)秘書学院に、日本の日立製作所の関係者であると名乗る、2人の東洋人が、「容姿端麗で、アラビア語とフランス語ができる、独身の女性を秘書として募集している。」と、言って、訪れました。しかし、実はその2人の東洋人は、北朝鮮の工作員でした。そして、レバノン人の女性4人が、...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(17)-北朝鮮の拉致問題(4)-7月19日は、女性大臣の日

    『中山マサ』は、ロシアに、抑留されていた、沢山の日本人捕虜の引揚げ問題の功績などから、1960年、第1次『池田勇人』内閣で、日本初の女性閣僚、厚生大臣となったそうです。そして、『中山マサ』は、厚生大臣時代に、「子供や婦人問題に重点を置きます。」と言って、母子家庭への児童扶助手当支給の実現化や、小児マヒ(ポリオ)対策などの法制化などに尽力した、立派な人だったそうです。ちなみに、『池田勇人』に、入閣を...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(15)-日本とレバノンの外交姿勢の違い(2)

    以前は、「拉致被害者が戻ってくるまで、北朝鮮に頑固とした態度で、交渉し、一緒に頑張りましょう!」と言っていたのが、北朝鮮に行ってから、態度が、180度変わった、タカ派の自民党『中山正暉』は、2003年、拉致被害者の『有本恵子』さんの両親に電話して、「【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】の会長『佐藤勝巳』らが、拉致問題解決を妨害している。」と、事実無根の誹謗した後、続けて...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(15)-日本とレバノンの外交姿勢の違い(2)

    北朝鮮による拉致被害者の救出と、被害者家族同士の連絡などの活動のため、拉致被害者の家族と、朝鮮半島関連の研究者らは、1997年3月、【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】を、結成しました。そして、1997年4月、北朝鮮の拉致被害者を助けるためなら、武力行為を辞さないと言って、タカ派で有名な自民党『中山正暉』と保守党『青木宏之』が、中心となり、【拉致疑惑日本人救援議員連盟】...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(14)-日本とレバノンの外交姿勢の違い(1)

    1988年、北朝鮮による拉致被害者『有本恵子』さんの両親が、外務省に、「娘が、ヨーロッパで、北朝鮮に拉致された。」と、陳情に行きました。すると、外務省アジア局北東アジア課の事務官が、対応しましたが、「日朝交渉のじゃまになるから、騒がないで欲しい。」と、言ったそうです。1997年、『横田めぐみ』さんの拉致事件が明るみに出た後も、外務省の姿勢は、変わらなかったそうです。そして、1997年5月、日本の政...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(13)-政府開発援助(ODA)

    政府開発援助(ODA)は、世界の平和構築や、世界の基本的人権の推進、人道支援等を含む開発途上国の「開発」のため、開発途上国や国際機関に対し、日本の税金を、贈与したり貸付したり、技術提供を行って、世界で、親日国を増やすと言う事で、日本の外務省が、率先して行っています。とても良い事だと思いますが、2018年、日本の政府開発援助(ODA)の実績は、1兆5646億円です。この金額は、世界第4位で、日本は、かなり...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(12)-周囲に注意

    元外務省の『小林祐武』によると外務省のエリートコースの総合職キャリアは、国立大学出身者、特に、東京大学法学部出身者が多く、他の省庁に比べ、エリート意識が強く、横柄と言われているそうです。ちなみに、外務省総合職キャリアは、待遇が良いので、家族や親戚に、勧めるから、外務省職員は、血縁関係者が、多いそうです。そのため、外務省で、他人の悪口を、言う時は、気をつけないと、周囲に血縁関係者がいる事が多く、細心...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(11)-現在も続く

    オーストラリア日本国大使館に勤務している、外務省員が、2百万円以上を、横領しました。外務省が、処分しようとすると、その外務省職員は、「もし、自分を処罰すると、日本の外務省の機密費の不正使用などをバラす。」と、脅かしたので、外務省は、不祥事が続いているので、問題がバレる前に、急いで、他の国へ、人事異動させました。そして、その赴任先でも、横領し、大使館用と言って、不正に購入した酒を、大使館の倉庫に保管...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(10)-キューバ大使

    1987年、ある外務省職員が、59歳の時、キューバ大使に着任しました。この外交官は、退職年齢が近づいているので、退職後、キューバで、レストラン経営することを計画し、首都ハバナ市内に、レストラン用邸宅を、購入しました。そして、家具類や冷蔵庫などの電化製品を欧州の業者などを、購入しました。しかし、すべて、キューバ日本国大使館用として、会計処理を、したそうです。しかし、外務省は、大使の公金流用疑惑を19...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(9)-デンバー領事館『水谷周』総領事

    元外務省『小林祐武』によると、在外の大使館では、改装、備品などの費用を、実際より高く見積もり、浮いたお金を、プール金にすると言う事は、日常茶飯事だそうです。元サウジアラビア大使館職員や、元オーストリアなどの大使館職員の体験談として、「会計に圧力をかけて多額の個人的支出を、公費で落として、流用できる。」、「大使館員が、領収書を偽造して、公金着服した話があり、同僚がそれを問題にしようとしたが、抑え込ま...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(8)-駐英国日本大使館コレクション盗難事件

    1997年に、元外務省職員『林貞行』が、駐英国日本大使に就任しました。そして、2000年、駐英国日本大使館コレクション盗難事件が、起きました。イギリスの外交官『サー・アーサー・ヘンリー・ヒュー・コータッツィ』は、1980年から1984年まで、駐日本国英国大使を務めた事もあり、親日家だったので、イギリスの日本研究者らで組織され、『林貞行』駐英国日本大使が、名誉総裁を務める、「日本協会」に、貴重な古書...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(7)

    外務省が、フランスの日本大使館に、サミットの時に使うので、フランスワインを、日本に送るように、依頼しました。すると、フランスの日本大使館は、見返りに、全自動の麻雀卓を、要求してきたそうです。そのため、『小林祐武』は、プール金を使い、全自動の麻雀卓を、購入したそうです。そして、送られてきたワインは、全ては使わなかったので、外務省の板倉公館の地下倉庫に保管されました。ワインは、外国からの貴賓のために、...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(6)-マル新

    外務省の幹部には、機密費以外に、【マル新】と呼ばれる、新聞記者との懇談用の食事代が、あります。『小林祐武』は、外務省の幹部たちが、レストランの請求書に、新聞記者のリストから、適当に選んで、勝手に書いているのも、何度も目撃したそうです。他にも、機密費の枠を、何度も超えている課長がいたので、『小林祐武』が、注意すると、その課長は、「それならば、【マル新】を流用する。」と言って、【マル新】を、有効利用し...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(5)-『浅川明男』逮捕されるのは不公平

    元外務省の『小林祐武』によると、『松尾克俊』が、沢山の愛人を抱えていたように、外務省では、「愛人が、1人以上いる事が、一人前。」という風潮が、あったそうです。ちなみに、愛人は、外務省のアルバイトから、物色する事が多く、履歴書も、学歴や経歴、文字のきれいさではなく、顔で判断することが、多かったそうです。そして、外務省では、女性関係で、機密費を使った、という話が、多いそうです。ある時、『小林祐武』の所...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(4)

    多額のプール金などの裏金を作れるのが、庶務係の腕の見せ所で、外務省での評価に、つながったそうです。そして、外務省庶務係の『小林祐武』は、外務省は深夜の業務が沢山あるのに、タクシー代が役所から出ないので、職員のために、タクシー券を、外務省職員に、沢山配ろうと考え、ハイヤーの配車実績は、50万円の所、ハイヤーの会社に頼んで、100万円分の水増し請求してもらい、その差額を、タクシー券で、発行してもらうと...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(3)

    2000年7月21日ー23日まで、沖縄県名護市で開催された、主要国首脳会議の九州・沖縄サミットは、外務省にとっては、ご褒美満載で、『松尾克俊』や『小林祐武』ら、複数の外務省職員の涙ぐましい努力の甲斐があり、色々な方法で、1億6千万円以上のプール金を、ためる事が出来ました。九州・沖縄サミットの時、『小林祐武』は、『松尾克俊』から、通訳として、ある住職が、紹介されました。住職は、「京都環境サミットや長...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(2)

    『小林祐武』の著者【私とキャリが外務省を腐らせました】によると、外務省の庶務係の『小林祐武』が、処理した請求書には、色々なものがあったそうです。外務省の機密費は、課長は、30万円、局長は、50万円使えるのですが、期限内に使い切らない時は、お店に、架空の領収書を出してもらい、外務省の各課や各室で、プール金にしていたそうです。しかし、プール金の仕組みを考えたのは、『小林祐武』ではなく、外務省では、昔か...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(1)

    現在、機密の事項に使うため、領収書が不要で、チェックもなく、制約なく支出可能な経費の報償費(機密費)があるのは、官邸と外務省だそうです。その官邸の機密費から、多額のお金が、選挙のたびに、与党議員に、国会対策で、野党議員に、渡される事を、『塩川正十郎』が、財務大臣の時、うっかり口を滑って言っていまい、問題となりましたが、後で、「忘れた。正確な記憶が無い。」と、訂正して、結果、うやむやになりましたが、...

  • 日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(5)

    2011年11月1日、『田中眞紀子』外務大臣は、イランの外相との会談に行くため、外務省の廊下を歩いていた時、お気に入りの指輪が、無い事に、気が付きました。『田中眞紀子』外務大臣は、『上月豊久』外務大臣秘書官に向かって、「私の指輪知らない?」と聞きました。『上月豊久』外務大臣秘書官が、「知りません。」と答えると、『田中眞紀子』外務大臣は、「いやだ。本当に知らないの? ポケットに入れてた指輪がないのよ...

  • 日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(4)

    2001年7月、自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、群馬県で参議院選挙に立候補した、自由民主党公認『吉川真由美』を、応援するため、午後3時、群馬県庁前に、到着しました。しかし、約束していた応援演説の予定時間が、午後4時だったので、応援すべき候補者の『吉川真由美』は、別の場所で、演説していました。すると、自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、「まだ来ていないの?時間が無いのよ!」と、不機嫌になり、...

  • 日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(3)

    2001年5月1日、北朝鮮の『金正男』とその一行が、ドミニカ共和国の偽造パスポートで、入国しようとして、東京入国管理局に、拘束されました。『田中眞紀子』外務大臣は、すぐにパニックになる傾向にあったので、その時も、パニックになり、外務官僚が、落ち浮いて対処してくださいなど、説明を試みましたが、まったく聞かず、机をバンバンと叩きながら、「大変なことになる。すぐに帰しなさい!パスポートがなければ、作って...

  • 日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(2)

    『田中眞紀子』外務大臣の公設第1秘書『穂苅英嗣』は、『田中眞紀子』外務大臣について、記者から聞かれた時、「日頃から、全く連絡が取れない人でした。携帯電話に連絡しても、まず出ない。急ぎの用件の時は、本当に困りました。アメリカで、同時多発テロが起きた時、日本時間の22時でしたが、急いで、電話をしても携帯は繋がらず、自宅の電話にも出ない。ようやく連絡が、取れたのは、次の日でした。」と、言っています。ちな...

  • 日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(1)

    2001年、自民党総裁選挙で、最大派閥の『橋本龍太郎』の勝利が、有力視され、自民党『小泉純一郎』は、劣勢だったのが、「既存の自民党を、ぶっ壊して、新しい自民党に、作り直す!」、「私の政策を批判する者は、すべて抵抗勢力。」と、熱弁を振るい、また、大衆に人気のあった『田中眞紀子』の応援のおかげで、街頭演説では、数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に、変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、勝利し、2...

  • 日本の外交手腕(2)-外務省機密費流用事件

    1997年に、週刊ポストに、「外務省に機密費を流用している官僚がいる」と、報じられましたが、何事も起きませんでした。そして、外務省に出入りする業者から、過去3回開かれた東京でのサミットの予算額が、最大15億だったのに対し、2000年に開催された、九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の予算が、815億円以上だという、ささやかな内部告発が、ありました。そして、2000年頃から、捜査が開始され、『中才宗義...

  • 日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(5)-現在の日本の外交手腕

    1940年、10月8日、アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、海軍大将『ジェームズ・リチャードソン』に、「遅かれ早かれ、日本は過ちを犯し、そして、我々と戦争に突入することになる。とにかく、日本に、先に、1発目を撃たせろ!」と言ったそうです。外交に疎く、何も知らない日本は、戦争を避けて、アメリカと平和的に解決しようと、必死に交渉し、ハワイでの日米首脳会談をしたいと、駐米大使『野村吉三郎』を...

  • 日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(4)

    1934年2月20日、『松方乙彦』は、日米関係の改善のため、ハーバード大学時代の友人として、非公式で、個人的に、アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』と、約1時間話し合ったそうです。その後、アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、国務長官『コーデル・ハル』と国務省『スタンリー・クール・ホーンベック』に、『松方乙彦』の話について、意見を求めました。その結果、非公式ルート外交の悪しき先例...

  • 日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(3)

    1940年10月、キリスト教の牧師の子供だった、アメリカ海軍情報部極東課『アーサー・マッカラム』少佐は、「現在、アメリカの世論が、第二次世界大戦の参戦を、嫌がっているが、日本が、アメリカに対して、先制攻撃すると、世論が、参戦の賛成に変わる。日本に、先制攻撃させる方法として、追い詰める事が、必要。日本を、追い詰めるには、日本と敵対する国、例えば、中国政府に、可能な限りの援助を行う、アメリカにある日本...

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