猫は、約1万ー5千年前に、猫と人が暮らし始めたと考えられています。古代ローマでは、猫は神聖で聖堂に入れる唯一の動物だったそうです。キプロス島は、先史時代から文明があり、地中海貿易の中継点として栄え、古代ギリシア、古代ローマなど、時代ごとの強大な国家の支配下に置かれ東ローマ帝国に属していましたが、1191年、十字軍に参加した、イングランドの『リチャード1世』に占領され、その後、紆余曲折があり、現在は...
海外14国を放浪し、海外の動物園、水族館で研修後、日本の動物園、水族館に約10年勤務し、イルカ、サメ、ゾウに麻酔したり、治療していました。沖縄、東北の動物病院で勤務後、大阪出身ですが、現在、秋田市で動物病院を開院。色々な情報を書いています。
日本で、初めて、【蜜蜂(ミツバチ)】のことが、書かれたのは、神代から持統天皇代までに、起こった出来事を年代順に書かれた、日本の現存最古の歴史書の【日本書紀】で、627年の項目に、「夏五月、【蝿(はえ)】有り、聚集れり、その凝り累なること十丈ばかり、虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。鳴く音雷の如し。すなわち東のかた上野国に至て散りぬ。」と、記載されています。ちなみに、当時、【蜜蜂(ミツバチ)】という言葉...
ギリシア神話によると、『アポロ』と『キューレーネー』の息子『アリスタイオス(最善の者)』は、ミツバチの巣箱を作って養蜂の技術を発明し、チーズの製法やオリーブの栽培、圧搾の技術などを、人に教えたそうです。『アリスタイオス』ちなみに、古代ギリシアの哲学者『アリストテレス』は、【動物誌】で、ミツバチが集める蜜は、花の分泌物ではなく、花の中にたまった露であると、記載しています。古代ギリシアでは、野生の蜂の...
ユダヤ人物理学者『アルベルト・アインシュタイン』は、「もしも、地球上からミツバチが消えたなら、人類は、4年で滅亡するだろう。」と、言っていたそうです。ちなみに、人類を、4年以内に滅亡させる事が出来る原爆などに関して、『アルベルト・アインシュタイン』の話がありますが、もの凄く長くなるので、後日…。実際に、人間の利用する全農作物の約75%は、ミツバチなどによる昆虫類が、農作物の花粉の授受を行っていて、...
ヘブライ大学考古学研究所『Amihai Mazar』教授が、イスラエル北部の古代都市テル・レホブの発掘で、3千年前のミツバチの巣箱を、発見しました。発見された円筒形の蜜蜂の巣箱は、3列に並んだもので、焼いていない粘土と藁で作られていて、現存する最古の蜜蜂の巣箱と考えられているそうです。多くが壊れていましたが、合計100個以上あったと考えられています。各巣箱の一方の端には、蜂の巣を取り出すことができるプラグがあ...
フランスの法律家、政治家で、ナポレオン法典の起草者の『ジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレス』は、『ナポレオン・ボナパルト』の独裁政治を、快く思っていなかったので、「ミツバチは、ナポレオン政権と同じだ。何故なら、ナポレオンを先頭とする、巨大な巣箱だから。」と、皮肉を言ったそうです。しかし、『ナポレオン・ボナパルト』は、ミツバチは、勤勉さ、秩序、警戒心と熱意を象徴していると言って、『ジャン=ジャッ...
ミイラ(5)-最古のミイラ(4)-8百万年以上前のチスリ姫-エイリアンのミイラ?
最も最古のミイラは、怪しいのもを入れれば、本当なのか、タイムマシンを使ったのか、エイリアンなのかもしれませんが、1969年に、ロシアのケメロヴォ州のTisulで発見された、女性のミイラ【チスリ姫(Princess Tisul)】が、8百万年以上前のミイラとして有名です。1969年9月、ロシアの石炭産業で、有名なケメロヴォ州のTisulで、炭鉱での石炭の露天掘りの最中に、70mの深さの所で、炭鉱夫が大理石様の棺を発見しまし...
ミイラ(4)-最古のミイラ(3)-8千前のポルトガルの人為的ミイラ、1万年前のアメリカの自然発生ミイラ
ポルトガルのサド渓谷で、チンチョーロ人のミイラと同じかそれより古いミイラが、発見されたという事です。ポルトガルのサド渓谷で、1960年、ポサス・デ・サン・ベント遺跡、1962年、アラポウコ遺跡で、ポルトガルの考古学者『Manuel Farinha dos Santos』が、約8千何前の人為的にミイラ化した、100体以上の遺体を発見したそうです。これに関しては、スウェーデンのウプサラ大学のHPに、書かれています。そして、ケン...
イギリスのパンクミュージシャンの『Steve Ludwin』は、9歳の時に訪れた、アメリカのフロリダ州マイアミで、ヘビの博物館【マイアミ・サーペンタリウム】を見学し、『Bill Haast』が、ヘビ毒を自分に注射し、毒ヘビの抗毒素をつくっている事を知り、衝撃を受け、憧れに近い感情を抱き、かなり影響をうけたそうです。ちなみに、『Bill Haast』は、パンアメリカン航空のフライトエンジニアでしたが、『Steve Ludwin』の父親は、パン...
日本の忍者が、子供の頃から微量の毒を飲み続け、毒の耐性をつけるという都市伝説を、そんなことは、絶対にあり得ないと、否定する人もいますが、アタカメニョ族が、遺伝子の変化が起きて、毒物のヒ素に平気になったり、『ミトリダテス6世』が、服毒や生物毒などによる暗殺を防ぐため実践した、少量の毒を計画的に繰り返し摂取することで、耐性を獲得するというミトリダート法など、実際には、否定できない話があります。『ミトリ...
ヒ素中毒(4)-毒の耐性(1)-ヒ素が平気な遺伝子を持つアタカメニョ族
ハンガリーでは、地下水のヒ素汚染があり、皮膚障害、肝障害、胎児性砒素中毒などが、報告されていましたが、汚染された井戸はすべて封鎖し、安全な井戸だけを使用することで、対策をとりました。2003年の調査によると、ドナウ川などで、ヒ素汚染があり、ドナウ川の流れるユーゴスラビア、ルーマニアのトランシルバニアでも、ヒ素汚染が見つかったので、農業にも、地下水を使うことはなく、すべて上水道を使うそうです。200...
1778年、スウェーデンの化学者『カール・ヴィルヘルム・シェーレ』が、黄緑色の色素【シェーレグリーン】を、合成しました。【シェーレグリーン】は、酸性亜ヒ酸銅という、ヒ素の一種で、毒性は極めて高いのですが、その毒性については、1822年まで、知られていなかったので、安価で生成が容易であったので、黄緑の染料として人気を博し、18世紀から19世紀初頭まで、壁紙、調度品、服、絵画に至るまで、幅広く使われた...
日本で起きたヒ素中毒事件のヒ素は、世界初の人為的なミイラを作製した、チンチョーロ人の死因にもなったし、多くの人々を苦しめましたが、昔は、ヒ素の毒性が知られていなかったので、死体の保存に、使われていたそうです。【プラスティネーション】は、ドイツ・ハイデルベルク大学の解剖学者で、『死の医師』の異名を持つ、『グンター・フォン・ハーゲンス』により、1978年に開発された、動物や人間を、標本にする技術ですが...
【ノミのサーカス】という言葉は、教育の分野で、「何かしようとする子供を抑圧して、心身の健全な生育を、妨げてはならない。」という意味で、使われているそうです。【ノミのサーカス】の発祥は、フランスのパリで、17世紀頃、街頭で盛んにおこなわれ、『ルイ14世』も、ヴェルサイユ宮殿で、見物したそうです。【ノミのサーカス】では、ノミの訓練の最初の段階で、背の低い透明なガラスの箱に入れて、飼育するそうです。ノミ...
愛媛県警察の『仙波敏郎』は、同期で最速で巡査部長昇任試験に合格し、1974年に、巡査部長に昇任しました。1973年と1974年に、『仙波敏郎』は、裏金作りに必要な架空の領収書作成を、上司から依頼されましたが、拒否しました。すると、突然、駐在所へ異動させられ、拳銃が、貸与されませんでした。1975年、管区校の教官から、公安警察に入るよう誘われましたが、「裏金の領収書は書かない。」と言うと、話が立ち消...
釧路方面本部長、警視長などを歴任し、1995年2月に、北海道警察を退職した、元北海道警察ナンバー3の元北海道警察警視長『原田宏二』が、北海道警察裏金の裏金問題について、記者会見を開くことになりました。すると、記者会見の前、北海道警察から指示を受けた、数人の新聞記者やジャーナリストから、「会見は中止したほうが、良い。今からでも遅くはない、やめた方が良い。」と、説得してきたそうです。しかし、元北海道警...
冤罪事件では、日本で数々の冤罪をつくり出してきた、【昭和の拷問王】の警部補『紅林麻雄』も怖いのですが、2000年から2015年までの間に、700人以上が横領の罪で起訴された、イギリスのポストオフィスの最大規模の冤罪事件が、ものすごく有名です。実は、これには、日本も関係しています。事件は、2000年に始まり、最近まで、問題視されなかったのですが、2024年1月、イギリスで、テレビドラマ【Mr Bates vs ...
内部告発(8)-警察(1)-拷問王『紅林麻雄』と冤罪(3)-小島事件から続く冤罪、袴田事件へ
1950年5月10日、静岡県庵原郡小島村(現:静岡市)で、飴製造業者の妻F32歳が斧で撲殺される、小島事件と呼ばれる、強盗殺人事件が、発生しました。現場のタンスや金庫には、物色された跡があり、お金も盗まれていました。当時、妻Fの夫Gは、引越し準備のため不在でしたが、23時頃、夫妻の子供が、家から、坊主頭でカーキ色の服を着た男が、逃げてゆくのを目撃していました。被害者一家には、家業で儲けているとの噂も...
内部告発(8)-警察(1)-拷問王『紅林麻雄』と冤罪(2)-幸浦事件
1948年11月、静岡県磐田郡幸浦村(現:袋井市)で、一家4人が失踪し、その後、殺害された遺体が見つかった、後日、幸浦事件と呼ばれる、強盗殺人事件が起きました。1949年2月12日、当時23歳の男性Bと、当時19歳の男性C、当時45歳男性Dが、逮捕され、被害者宅からの盗品を買い受けた罪で、当時38歳の男性Eが逮捕され、【名刑事(昭和の拷問王)】の警部補『紅林麻雄』が、取り調べを行い、4人の手や耳に、焼...
内部告発(8)-警察(1)-拷問王『紅林麻雄』(1)-冤罪(1)-二俣事件-告発者『山崎兵八』刑事その後
自分は、大阪に住んでいた学生時代、正義のヒーローになりたくて、いじめ、カツアゲ撲滅運動をしていました。自分は、警察官は、正義のヒーローだと思っていますが、正義に味方の警察も、内部告発者には、厳しいです。1950年、1月6日、静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、一家4人が殺害されました。殺害現場には、23時2分を指した状態で、破損している柱時計があったので、当初は、犯行は23時頃に行わ...
2010年、千葉県がんセンターの手術管理部に、勤務していた『志村福子』麻酔科医が、麻酔の資格がない医師が、麻酔を担当している問題を発見し、直属の上司ではなく、センター長に、内部告発を行いました。千葉県がんセンターでは、手術は月に171-207件あり、『志村福子』麻酔科医が、内部告発前は、手術の麻酔を担当したのは、毎月12-21件でしたが、内部告発後も手術は、週50件程度は行われていたのですが、一切の...
1997年5月、全国9位の規模をもつ巨大生協の、大阪いずみ市民生協の開発部長、2人の役員室長の3人が、「大阪いずみ市民生協の『比嘉』副理事長と、『西』専務理事の2人が、生協の資金を、横領している。例えば、『比嘉』副理事長と『西』専務理事が、生協のお金で、私的にゴルフに84回行き、約1650万円使ったり、何千万も使って、豪遊している。そして、生協のお金で、大阪狭山市内に研修施設として建設した建物を、...
2007年、オリンパスに在籍していた営業部の『濱田正晴』さんは、上司が、大手鉄鋼メーカー向けの精密検査システムの機密情報を知る、取引先の社員を、引き抜こうとしている事を知り、不正競争防止法違反の可能性があると判断し、上司に、中止するように言いましたが、聞き入れられなかったため、オリンパス社内に設置されている、【コンプライアンスヘルプライン室】に、内部告発しました。そのため、オリンパスは、内部告発を...
内部告発と言えば、漫画雑誌【少年チャンピオン】、ブラック・ジャック、バビル2世、魔太郎がくる、ドカベン、キューティーハニー、恐怖新聞、がきデカ、エコエコアザラクなどで、超有名な漫画出版社の秋田書店の景品水増し、未発送問題も有名です。ちなみに、自分のお小遣いで、最初に買った漫画は、【バビル2世】と【荒野の少年イサム】です。ちなみに、今まで沢山漫画を買いましたが、現在、ほとんどすべてが、消息不明です。...
畜産業界の闇(3)-ミートホープ(4)-キーパーソン『赤羽喜六』の苦悩(2)ー後悔
朝日新聞以外のマスコミは、『赤羽喜六』たちが、【ミートホープ株式会社】を、マスコミに、懸命に告発していた時期は、無視していましたが、朝日新聞のスクープにより、事件が明らかになってからは、取材殺到し、『赤羽喜六』個人に関することまで、本人に確認もせず書き立てました。そして、『赤羽喜六』は、取引先から、「偽装と知っていて、売りつけたのか!」など、大批判を受けるようになり、親戚からも「親族の恥」と言われ...
畜産業界の闇(3)-ミートホープ(3)-『田中稔』大臣表彰された肉の天才の正体(2)
雪印食品の牛肉偽装事件から5年後の、2007年、『赤羽喜六』からの告発を受けた、朝日新聞社が、調査を開始し、冷凍牛肉コロッケを、DNA検査した所、豚肉や鶏肉とその他の肉が検出され、食品偽装が立証されました。問題発覚後、『田中稔』社長は、記者会見で、「故意ではありません。意図的ではなく、単なる過失で、何かの肉が混ざったのかも?」と、事実や関与をなかなか認めませんでした。4回目の会見の時も、『田中稔』社...
畜産業界の闇(3)-ミートホープ-キーパーソン『赤羽喜六』の苦悩(1)
キーパーソン『赤羽喜六』【ミートホープ株式会社】常務取締役『赤羽喜六』は、食肉偽装を知ってしまったので、『田中稔』社長に、改善を求めましたが、無視されました。同族経営の会社だったので、改善は、困難と思われたので、『赤羽喜六』は、匿名で、苫小牧保健所、農林水産省北海道農政事務所など行政機関へ、調査する様に、告発しましたが、無視され、調査は、行われませんでした。『赤羽喜六』は、『田中稔』社長の経営方針...
畜産業界の闇(3)-ミートホープ(1)-『田中稔』-大臣表彰された肉の天才の正体
北海道苫小牧市の食品加工卸売会社【ミートホープ株式会社】は、1976年、『田中稔』が創業し、100人程度の、典型的な同族経営の会社でした。当初は、丁寧な対応を心掛け、『田中稔』社長が、販売店に行ったり、残業も手伝うなど模範的な会社でした。しかし、バブル崩壊後の価格競争や、大型スーパーが、店内で肉の加工を行うようになった事により、取引が減少したので、1995年頃より、コストダウンのため、食品偽装や産...
日本ハムでも、偽装問題を起こしました。2002年、日本ハムで、古くなった輸入牛肉を、国産牛肉として、産地偽装を行い、補助金詐欺をしていた事が、分かりました。事件が発覚する直前は、二桁成長を続けて、トップは、雪印乳業で、2番が日本ハムでしたが、偽装発覚後、2社とも、売り上げが落ちました。ただし、4年後には、回復したそうです。そして、2006年11月、日本ハムの兵庫工場で、排出基準を超えた工場排水のデ...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(6)-名古屋のフジチク、同和食肉事業協同組合-ハンナン
自分が、大阪に住んでいた時、同和地区が、何処にあるかを、みんなが知っていて、同和地区の人々は、日本の社会に対して不満を持ち、気が荒い人が多いので、行く時は、警戒しろと言われていました。ちなみに、自分は、喧嘩には自信があったので、気にしませんでした。大阪府同和食肉事業協同組合会長のハンナングループ(現:ハニューフーズ)総帥『浅田満』は、衆院議員『鈴木宗男』に、高級乗用車を提供するなど、関連する政治家...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(3)-朝鮮半島
昔の朝鮮半島の身分制度では、国王、両班、中人、常人、賤民(奴隷)、そして、賤民(奴隷)の下の身分制度の最下位に、牛の屠畜、解体をしていた、被差別民【白丁(ペクチョン)(はくてい)】と、なっていました。そして、【白丁(ペクチョン)(はくてい)】は、屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工以外の職業は、禁止されていました。そして、【白丁(ペクチョン)(はくてい)】は、人が住まないような、日当たりが悪く、低...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(2)-インド
紀元前2600年ー紀元前1800年頃、インド、アフガニスタン、パキスタンのインダス川流域に肌色の濃いドラヴィダ人による、インダス文明が、発達していました。紀元前1500世紀頃、北西の中央アジアに住んでいた、欧州と同じルーツの肌の白いアーリヤ人(ダーサ)が、南下を開始してインダス川流域に、移動して来て、先住民ドラヴィダ人を、支配していく過程で、階級制度のある【バラモン教】が、出来ました。紀元前100...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(4)-身分制度(1)-日本
天狗が恐れていたエタ(穢多)でしたが、次第に、殺生を嫌う仏教と、血を【穢れ(気枯れ)】として嫌う神道の両方の影響から、【穢れ(気枯れ)】のある死を忌む思想が生まれたので、動物の死体を取り扱っていた人に対して、強い偏見、差別するようになっていきました。そして、江戸幕府は、士農工商、エタ(穢多)、ヒニン(非人)という身分制度をつくり、経済的に恵まれていない農民より下に、経済的に恵まれている商人を置いて...
食肉(2)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(3)-仏教と神道の融合
仏教では、輪廻転生が信じられていて、大乗仏教経典の【楞伽経】には、「一切衆生 從無始來在生死中 輪迴不息 靡不曾作父母兄弟男女眷屬乃至朋友親愛侍使易生而受鳥獸等身 云何於中取之而食(意訳:すべての命あるものは、何度も転生し、人だけでなく、動物、鳥、魚、虫なども含めた生類として、生まれ変わる事から、死んだ祖先、家族や友人が、鳥獣等に、なっているかもしれないので、鳥獣等の殺生や肉食は、しないように。)...
秋田県大仙市では、白毛に赤目の【日本白色種の秋田改良種(ジャンボうさぎ)】が、日の丸の色彩を具現化した動物という事で、ウサギの肉を、【日の丸鍋】と呼んで、大仙市内の食堂で食べれます。【ジャンボうさぎ】は、1899年、馬産家『佐々木房之助』氏が、岐阜県の大型ウサギを、秋田県内に持ち込んだのが、始まりだそうです。1984年、『佐藤喜志治』が、長年、品種改良した結果、10kg以上の個体を育てたことなどを...
『徳川綱吉』の【生類憐れみの令】などにより、江戸時代は、4本足の動物の肉を、食べてはいけないことになりました。しかし、4本足ではない鳥や魚は、食べても良いと決まりましたが、魚、鳥などが、入手困難な山村地域では、ウサギは、重要なタンパク源だったので、人々は、屁理屈を考えました。4本足の動物は、頭数を、匹や頭で、数えますが、ウサギは、「ウ」(鵜)と「サギ」(鷺)という2種類の鳥の名前が、入っているので...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(2)-天狗が恐れる必殺技【エタ(穢多)のきもきり】
古来より、【エタ(穢多)】は、牛、馬、豚の食肉処理や皮革加工などを生業としていました。奈良時代には、【恵多】という漢字を、使っていましたが、鎌倉時代に、殺生は、「穢れ(けがれ)」が多いと言う意味から、次第に、【エタ(穢多)】という漢字に、変わったそうです。鎌倉時代、【エタ(穢多)】は、動物の殺し方を熟知し、非常に強力なおそるべき力を持つ人々と、考えられていたそうです。そのため、【エタ(穢多)】は、...
畜産業界の闇(3)-同和問題-死と穢れ(気枯れ)(1)-歯木(ダンタカーシュタ)
日本では、古代より、死は、恐怖の対象とされ、【穢れ(気枯れ)】と言われて、周囲に伝染すると考えられていました。葬儀のご参列者が、自分の体に塩をふるのは、【穢れ(気枯れ)】を、祓い清める必要が、あると思われていた名残です。そして、遣唐使の廃止により、宗教が日本独自の発展をした平安時代は、より、死の【穢れ(気枯れ)】の存在が大きくなり、死ぬところに居合わせたり、死体に触れたりすることは、より忌み嫌われ...
畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(3)
雪印の牛肉偽装が判明してから、判明したのですが、日本の畜産業界での、原産地ラベル張り替えは、日常的に、偽装していて、外国産牛肉を、国産牛肉と偽って、申請するなど、制度を悪用する食肉関連企業が続出し、大きな社会問題となりました。ちなみに、牛肉買い上げ事業では、部落解放同盟関連の同和食肉事業協同組合が、半分以上を占めていました。ちなみに、自分が住んでいた大阪では、部落差別が激しかったので、小学校、中学...
畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(4)-後悔
西宮冷蔵の『水谷洋一』社長は、「牛肉偽装をしているのは、雪印だけ。雪印で失った1割位、すぐ取り返せる。」と考えていましたが、その考えは甘く、西宮冷蔵の告発で、雪印の牛肉偽装が判明してから、分かったのですが、日本ハム、ハンナン、ミートホープ株式会社、日本食品、全農チキンフーズ、丸紅畜産、スターゼンなど、畜産業界全体が、同様の偽装を行っていたので、正義を貫く西宮冷蔵を警戒し、畜産業界との取引が、激減し...
畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(2)
雪印食品は、安いオーストラリア産牛肉を、3倍以上の値段のする高価な国産牛に偽装するため、国産牛のダンボールに詰めかえ、預けていた西宮冷蔵に、【在庫証明】を発行させ、日本政府に買い取らせたそうです。その時、西宮冷蔵の『水谷洋一』社長は、長期出張していたのですが、戻ってきてから、それを知ったので、売り上げの1割以上を占める、お得意先であった雪印食品に、事件化しないように、『水谷洋一』社長が、「バレる前...
畜産業界の闇(3)-国産食用牛の買取(3)-内部告発(1)-雪印と西宮冷蔵(1)
雪印乳業の子会社の雪印食品は、牛肉を取り扱っていましたが、2000年の食中毒事件の影響により、雪印全体の売上が減少し経営が、悪化していたことに加え、【牛海綿状脳症(BSE)】発生に伴う、消費者の牛肉買い控えにより、外国産牛肉の大量の在庫を抱えていました。そのため、雪印乳業の子会社の雪印食品が、安価な輸入牛肉と国産牛肉の原産地ラベルを、張り替えて、申請して、2億円以上の交付金を不正に受給していました...
【牛海綿状脳症(BSE)】に関しての、国産牛の買い取り対象は、「箱詰めの未開封の国産牛肉」と限定されたので、もっとも困っていた一般小売店の多くは、箱詰めではなく、開封された肉を取り扱っていたので、救済対象からはずされて、当然ですが、政治家に献金している食肉大手企業だけに、事実上限定されていました。日本共産党『中林よし子』議員が、この問題点について、『武部勤』農林水産大臣に、改善を求めましたが、応じ...
1986年、イギリスで、牛の脳の組織がスポンジ状となり、2-8年の潜伏期間の後、異常行動、運動失調などの神経症状を示し、死亡する、【牛海綿状脳症(BSE)】が、発見されました。まだ、詳細は不明ですが、動物には、プリオン遺伝子を持ち、正常プリオン蛋白(糖蛋白質)を産生します。そのプリオン遺伝子が異常となり、異常プリオン蛋白が出来たり、外から異常プリオン蛋白が入ってきて、正常プリオン蛋白を、異常プリオ...
雪印乳業に対する世間の不信感から、小売店から、雪印グループ商品が、次々と撤去され、ブランドイメージも急激に悪化しました。その後、雪印乳業全工場の操業停止となり、その後、安全点検が終了し、8月2日に厚生省が、安全宣言を発表したため、生産は徐々に回復していきました。しかし、その後の大阪府警察の捜査により、食中毒の真の原因が、雪印乳業の北海道にある大樹工場の脱脂粉乳という事が、判明しました。そのため、2...
1955年、東京都内の小学校9校で、学校給食で出された、雪印乳業の脱脂粉乳で、約千5百人のブドウ状球菌中毒事件が、起こりました。この時は、脱脂粉乳の製造時に重なって発生した、製造機の故障と停電により、牛乳が粉化前に、長時間放置されたことで、菌が増殖したものと推定されますが、詳しい混入経路は、解明されませんでした。そして、雪印乳業は、製造機の故障と停電が起きない様に、注意していくので、今後は、同様の...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(7)
1973年4月、【森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会】は、大阪地裁に、損害賠償を求める民事訴訟を提訴したのに続き、8月には岡山地裁、11月には高松地裁にも提訴しました。そして、刑事責任の方では、世論に押された形で、無罪とした徳島地裁の差戻し裁判が行われ、1973年11月28日、森永乳業の責任者の徳島工場長と製造課長に対して、無罪から、有罪の判決に代わり、労務作業のない身柄拘束刑の禁固刑となりました...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(6)
1972年12月、【岡山県粉乳砒素中毒調査委員会】は、「当時の患者達は、特に憂慮すべき経過を、辿っているとは、考えられない。健康状態は、問題ない。」と結論づけ、厚生省に、報告しました。世間から忘れられていた、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者や親たちが、【岡山県粉乳砒素中毒調査委員会】に、ものすごく大きな期待をかけていたので、結果を聞いて、ショックを受けたそうです。そして、森永乳業は、「行政の第三者機...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(5)
森永乳業のヒ素ミルク中毒から、14年以上が過ぎた、1969年、大阪大学医学部『丸山博』教授、岡山大学医学部『青山英康』助教授、医学部の若手研究者、養護学校の教師や保健婦たちが、森永乳業のヒ素ミルク中毒の被害児の後遺症に気づき、その実態を把握しなければならないと考え、実態調査を行いました。1969年10月30日、岡山市で開かれた日本公衆衛生学会で、大阪大学医学部『丸山博』教授が、「14年前の森永MF...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(4)
森永ヒ素ミルク中毒事件に関して、世論は、風化しましたが、岡山県の被害者たちは、【岡山県森永ミルク中毒の子どもを守る会】を結成し、活動を続けました。そして、1957年7月、森永乳業と交渉し、裁判の結果によっては、中毒症の検診とその治療費を、支払うという、覚書をとりつけました。そして、19人が、後遺症があるという診断をもらい、世論の支持を得るための活動を、地道にしていました。しかし、1963年10月、...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(3)
森永ヒ素ミルク中毒事件当時の日本は、高度経済成長時代の始まりだったので、賃金水準の低い若年労働力や女子労働力に対する需要が、急速に拡大していたので、大部分の若い母親たちが、家庭を離れて工場などで働くためには、どうしても、粉ミルクの助けを借りる必要が、ありました。そのため、日本政府は、産業育成政策、高度経済成長が、何よりも、最優先と考えていたので、日本政府は、森永乳業側に立っていました。そして、19...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(2)
1953年頃から、森永乳業は、粉ミルクに、凝固を防ぎ、溶解しやすくする安定剤として、純度の高い高価な【第二燐酸ソーダ】を、添加していましたが、安価という事で、純度の低い工業用に、切り替えたそうです。ちなみに、純度の高い高価な【第二燐酸ソーダ】は、害はなく、現在でも、ハムやかまぼこなどに、結合剤として使用されているそうです。しかし、この時に使用された【第二燐酸ソーダ】は、【日本軽金属株式会社】が廃棄...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(4)-森永ヒ素ミルク中毒事件(1)
日本で、ヒ素中毒事件として、最も有名なのは、森永乳業の森永ヒ素ミルク中毒事件です。第二次世界大戦前、森永乳業は、乳製品を世間に広げようと考え、医学界に対して、多額の寄付をし、医師、看護婦による乳児診断車を、東京、大阪で巡回させ、世間での評判を上げていたそうです。そして、第二次世界大戦後の1952年、海外からの乳製品の輸入が、減りましたが、その影響で、日本の乳業業界は、ものすごい好景気になり、牛乳の...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(3)-和歌山毒物カレー事件(2)
『林健治』の話は、続きます。「和歌山カレー事件は、大きな事件だから、警察は、怪しい人間を、調べていくから、保険金詐欺が、ばれたら、ヤバいと考え、あわてて、保険金詐欺に使っていた【仮病薬】のヒ素を、近所の用水路や流し台に、流して処分をしたんよ。そんで、和歌山カレー事件の取材に来ていた、朝日新聞の記者と仲良くなり、食事も一緒に食べるようになったんよ。その時、朝日新聞の記者が、無職なのに、どうしてこんな...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(3)-和歌山毒物カレー事件(1)
ヒ素は、入手が容易である一方、体内に残留し容易に検出できることから、狡猾な毒殺には、使わられない事から、ヨーロッパでは、【愚者の毒(fool's poison)】という異名があるそうです。しかし、フランスでは、ヒ素を、遺産相続のための殺人に、利用されることが多かったので、【相続の粉薬(poudre de succession)】と、言うそうです。日本で、ヒ素中毒事件として有名なのは、1998年7月25日、和歌山県和歌山市で、開催...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒-日本(2)-井戸水(地下水)
ヒ素は、自然界の鉱物、水、堆積物、食物などに含まれ、環境中に広く分布しています。日本の水道水質基準では、ヒ素およびその化合物は、0.01mg/L以下と、定められています。しかし、井戸水(地下水)については、それより高濃度のヒ素が、含まれることがあります。2000年6月頃より、茨城県神栖市のある地域の井戸水を、飲んでいた犬が、胃腸炎やふらつき、虚脱状態になり、動物病院で、治療しましたが、原因不明で、次...
チンチョーロ人も、苦しんだヒ素中毒ですが、ヒ素化合物の種類は、3万種以上あると言われ、ヒ素化合物は、人も含め、あらゆる生物に、微量含まれていますが、陸上生物より、海洋生物に、多く含まれているそうです。ちなみに、ヒ素は多量に摂取すると、急性中毒を起こして、死ぬこともあり、慢性中毒では、嘔吐、食欲減退、皮膚の炎症、知覚障害や運動障害を、起こすこともあります。ちなみに、海藻のヒジキは、食物繊維、カリウム...
チンチョーロ人が、約7千年前ー約5千年前に作製したミイラは、【ブラックミイラ】と呼ばれ、遺体の頭、腕、足を、胴体から切り離し、皮膚を剥がし、胴体から、臓器を取り除き、胴体を、熱せられた灰や炭で、加熱乾燥し、腕と足の骨から、肉を取り除き、骨を洗浄し、その後、胴体に、棒で補強した腕、足をつけて、胴体、腕、足を、骨に沿って植物繊維で、縫合しました。頭は、目の高さで半分に切断し、脳を除去し、草や灰、土、動...
ミイラ(3)-チリのチンチョーロ文化ー最古のミイラ(1)-エイリアンのミイラ(1)
ドイツの考古学者『マックス・ウーレ』は、1917年、チリのアタカマ砂漠で、頭部に、仮面とかつらを付けたり、頭部が偽物に取り替えられていたり、砕けた腕や足などの体の部分を、ワラや木で、補修された、奇妙なミイラ化した遺体を多数、発見したそうです。最初のミイラが発見されたChinchorro Beachに、ちなんで、チンチョーロ(chinchorro)文化のミイラと、名付けられたそうです。ちなみに、チリは、スペインの植民地だった...
神官『イウヤ(Yuya)』の墓にあった、ハチミツの様な液体は、調査した結果、ミイラを作る時や、墓の中の壁画を描く時の灯りの燃料として、古代エジプトで用いられていた、ナトロンだったそうです。ちなみに、ナトロンは、炭酸ナトリウム10水和物と、重曹を主成分とする、天然に産出する鉱物です。古代エジプトでは、ナトロンを、油、砂、石灰などと混ぜたりして、石鹸や洗剤、衣類の漂白剤、外傷の消毒薬、魚や肉の防腐剤、殺虫...
豊穣の神と隠語(2)-『カリグラ(カリギュラ)』(2)-映画【カリギュラ効果】、【ボストンでは禁止】
イタリア・アメリカ合作映画【カリギュラ】は、ペントハウス誌社長『ボブ・グッチョーネ』が、46億円を投じて製作し、『マルコム・マクダウェル』、『ピーター・オトゥール』、『ヘレン・ミレン』など豪華キャストが出演した、超大作映画です。当初、映画【カリギュラ】の映画監督『ティント・ブラス』は、イタリアのポルノ界の巨匠と言われていましたが、心機一転して、脚本家『ゴア・ヴィダル』と共に、「ローマ帝国皇帝カリギ...
豊穣の神と隠語(2)-『カリグラ(カリギュラ)』(1)-『カッシウス・カエレア』
ギリシア神話の、豊穣の神『プリアーポス(プリアポス)(プリアープス)』は、【ファルス(陰茎)】が、描かれています。ただし、古代ローマでは、『プリアーポス(プリアポス)(プリアープス)』は、侮辱語としても、用いられることがあったそうです。『カリグラ(カリギュラ)(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)』は、部下で、恩人の『カッシウス・カエレア』の事を、『プリアーポス』と呼んで、...
神官『イウヤ(Yuya)』は、豊穣の神『ミン』の神殿の神官で、古代エジプトの約3千3百年以上前の第18王朝の大9代ファラオ『アメンホテプ3世』の妃『ティイ』の父で、超有名な、古代エジプト第18王朝のファラオ『ツタンカーメン』の曾祖父だそうです。神官『イウヤ(Yuya)』のミイラちなみに、神官『イウヤ(Yuya)』の墓(KV46)は、墓の閉鎖直後、生鮮食品が盗掘された跡や、2度目以上、宝飾品が盗掘された跡があり、...
エジプトは、世界で最古の養蜂国と言われ、約5千年以上前に、養蜂が始められたそうです。約5千年以上前のエジプトの壁画には、粘土製の管状のミツバチの巣箱をつくり、蜂蜜を採取、保存する様子が描かれています。エジプトの壁画現在では、巣箱を同じ場所に置く【定置養蜂】が、一般的ですが、ミツバチと巣箱を一緒に、季節ごとに咲く花を追い、移動しながら、養蜂を行う【転地養蜂】も、行われていたそうです。アメリカの弁護士...
イギリスには、「The history of honey is the history of mankind. (ハチミツの歴史は、人類の歴史。) 」という、ことわざがあります。そのことわざの通り、人類は、古代よりハチミツを、生活に取り入れてきました。 スペインのアラニア洞窟にある約1万7千年前の壁画には、野生の蜂の巣から、ミツバチが飛び回る中、女性が、片手に籠状の容器を持って、縄梯子を登って天然の洞穴に近づき、燻煙を使って蜂を、不活性化しながら...
最も古いハチの化石は、約2億2千6百万年前だそうです。ハチの仲間は、植物の葉や幹に卵を産み、幼虫は植物を食べていました。その一部から、他の昆虫の体に、産卵管を刺して、寄生するコバチ、ヒメバチなどの寄生バチが、進化しました。その後、産卵管が、獲物を仕留めたり、捕食者から身を守るための毒針に進化し、有剣類のカリバチ類が登場しました。そして、カリバチ類から、アリとミツバチ上科に進化しました。そして、ミツ...
生き物たちのコミュニケーション(4)ー人と鳥-ハチミツ(1)
秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...
秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...
秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...
秋田市立大森山動物園は、2023年の今年、50周年だそうです。秋田市立大森山動物園では、情報誌【コミュニケーション】を、定期的に発刊しています。ちなみに、情報誌【コミュニケーション】は、自分が大森山動物園に勤務していた時に、企画し、名前を考えました。そのため、先日、読売新聞社から、秋田市立大森山動物園50周年に関連して、情報誌【コミュニケーション】の記事を、書きたいという事で、取材を受けました。そ...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(12)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(3)
1961年、『リヒャルト・ゾルゲ』の日本での活躍を題材にした、映画【スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜】が、日仏合作で作成され、公開されました。ヨーロッパにおいて、大きな反響があり、モスクワ国際映画祭に出品が、決まりましたが、ユダヤ系の『ロディオン・マリノフスキー』国防大臣が、試写が終わると、「この映画は嘘だ!『リヒャルト・ゾルゲ』という人物は、わが国には存在しない。そもそも、ソビエト連邦に、スパイはいな...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(11)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(2)
1944年11月7日、ロシア革命記念日の朝、『リヒャルト・ゾルゲ』は、背広姿、『尾崎秀実』は、紋付羽織は、はかま姿で、治安維持法、国防保安法違反により、巣鴨拘置所で、絞首刑に処されました。ちなみに、『リヒャルト・ゾルゲ』は、死刑執行の直前、日本語で、「これは私の最後の言葉です。』と言った後、「ソビエト、赤軍、世界の共産党万歳!」と、言ったそうです。『リヒャルト・ゾルゲ』の遺体は、ドイツ大使館、ソ連...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(10)-尾崎秀実と友人の涙の決断
『尾崎秀実』の裁判が始まりました。裁判長は、第一高等学校、東京帝国大学法学部を通じて、『尾崎秀実』と、同期生で友人だった『高田正』でした。『高田正』裁判長は、「『尾崎秀実』の立場も心境も、十分認めている。だが、その行為を、国法は、許すことが出来ない。命をもって、国民に詫びよ!」と、高校からの友人『尾崎秀実』に、涙を呑んで、死刑判決を、言い渡しました。その後、『高田正』裁判長は、死刑確定した『尾崎秀...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(9)-リヒャルト・ゾルゲと石井花子(1)
『リヒャルト・ゾルゲ』の住む、麻布にある自宅は、2階建ての洋館で、2階の窓から、【特別高等警察】の基地の鳥居坂署が、見えました。そして、スパイ(工作員)ならば、【特別高等警察】が、外国人を、全て監視している事を、知っているので、【特別高等警察】の事を気にして、目立たない様に行動する所、『リヒャルト・ゾルゲ』は、あえて、目立つように、大型のオートバイを乗り回し、美しい女たちを、連れ歩いていたそうです...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(8)-『リヒャルト・ゾルゲ』(1)
『リヒャルト・ゾルゲ』は、『宮城与徳』、『尾崎秀実』と、連絡が取れなくなったことに不安を抱き、次は自分の所に来ると感じて、1941年10月17日の夜、ドイツに避難しようと考え、準備していました。しかし、1941年10月18日朝、『リヒャルト・ゾルゲ』は、自宅で逮捕されました。これに対し、『リヒャルト・ゾルゲ』を、ナチス党員の記者だと信じ込んでいたドイツ大使館は、「私たちは、『リヒャルト・ゾルゲ』が...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(7)-朝日新聞『尾崎秀実』
『宮城与徳』、『北林トモ』の捜査により、『リヒャルト・ゾルゲ』と『尾崎秀実』らが、ソビエト連邦のスパイ(工作員)と判明し、『宮城与徳』の家宅捜査で、数多くの証拠品が、見つかり、【ゾルゲ諜報団】のメンバーも、特定できました。しかし、日本陸軍は、ドイツの駐日大使『オイゲン・オット』の親友『リヒャルト・ゾルゲ』を逮捕すると、ドイツとの関係が悪くなるし、『近衛文麿』内閣総理大臣のブレーンの、元朝日新聞記者...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(6)-沖縄の画家 宮城与徳
1941年10月10日、【特別高等警察】は、沖縄生まれの画家で、アメリカ共産党党員『宮城与徳』を、逮捕しました。【特別高等警察】は、最初に、『リヒャルト・ゾルゲ』らを逮捕すると、政界や国際関係に影響を与えるかもしれないと考え、小物の『北林トモ』や『宮城与徳』を、逮捕したと言われています。そして、『宮城与徳』は、『リヒャルト・ゾルゲ』の自宅には、日本語教師という名目で、元大阪朝日新聞記者『尾崎秀実』...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(5)-北林トモー和歌山にて
【特別高等警察】は、外国人と関係している日本人を、警戒対象としていました。そして、【特別高等警察】は、1930年代より、日本での共産党関係者や、アメリカ共産党の日本人党員の情報を収集し、アメリカ共産党党員『宮城与徳』や『北林トモ』の身辺調査を行っていました。その過程で、【特別高等警察】は、『北林トモ』が、ものすごく怪しいと、考えました。『北林トモ』は、1886年、大阪で生まれ、欧米のファッションや...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(4)
1940年6月27日頃より、日本の秘密警察【特別高等警察】は、怪しい無線電波が、都内から、ソビエト連邦方面に、送信されていることを察知し、本格的に、スパイ(工作員)の内偵を、進めていましたが、発信元を特定できず、また暗号も、解読できませんでした。そして、1941年の夏頃に、日本の秘密警察【特別高等警察】は、『リヒャルト・ゾルゲ』を、怪しいと考え、詳しく身辺調査しましたが、怪しい点を見つけることは、...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(3)
【ゾルゲ諜報団】の『尾崎秀実』は、朝日新聞新聞を退社し、1938年7月から1939年1月まで第1次近衛内閣嘱託となったので、日本の軍事情報に関しては、より高度な機密情報が、得られるように、なりました。ヨーロッパで戦争が始まると、『リヒャルト・ゾルゲ』は、ドイツ大使館情報官に任命されたので、ドイツ大使館と【ゾルゲ諜報団】の両方から、日本の軍事情報などが、入手可能となりました。そして、1940年9月2...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(2)
ソビエト連邦のスパイ(工作員)『リヒャルト・ゾルゲ』は、日本でスパイ(工作員)活動を行うため、中国を出国し、ドイツに赴いてから、駐日ドイツ大使館員への紹介状を得て、職業をジャーナリストとして、ドイツのパスポートも、入手しました。そして、1933年9月6日に、横浜港に到着し、日本での活動を開始しました。そして、日本に到着後すぐに、隠れ蓑として、ナチスに入党申請し、1934年10月に、正式なナチス党員...
日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(1)
日本で起きた、20世紀最大の国際諜報事件と言われている、ゾルゲ事件を、引き起こした、『リヒャルト・ゾルゲ』は、1895年10月4日、ドイツ人鉱山技師『ヴィルヘルム・ゾルゲ』と、ロシア人『ニーナ・ゾルゲ』との間に、生れました。ちなみに、父方の大叔父『フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲ』は、『カール・マルクス』の秘書だったそうです。『リヒャルト・ゾルゲ』は、1917年に起きたロシア革命に、衝撃を受け、共産...
日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(2)
『児玉源太郎』や『山縣有朋』は、情報の重要性を、認識していたので、『明石元二郎』ら情報将校を、積極的に引き立てていたので、日露戦争後、『明石元二郎』は、順調に出世し、1914年には参謀次長に、出世しましたが、日本陸軍内には、スパイ(工作員)活動が、卑怯だと、忌み嫌う風潮があり、また、『明石元二郎』は、スパイ(工作員)出身だったので、単独行動が多く、周囲に忖度しない性格だったので、『明石元二郎』に対...
日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(1)
スパイ(工作員)活動のため、詳細は不明で、真偽のほども不明ですが、日露戦争の時、参謀本部次長『児玉源太郎』に命令され、スパイ(工作員)『明石元二郎』は、ロシア帝国で、偽名『アバズレーエフ』と名乗り、後方かく乱のため、1904年、ジュネーヴで、『ウラジーミル・レーニン(ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)』と会談し、『ウラジーミル・レーニン』が率いる社会主義運動に、4百億円以上の機密費を使い、資金援...
日本の外交手腕(4)-北朝鮮は、地上の楽園(8)-脱北者への対応
2002年5月8日、北朝鮮からの亡命者5人が、中国の日本国総領事館に駆け込んできましたが、日本国総領事館の敷地内で、中国人民武装警察部隊に、取り押さえられました。その日の夕方から夜にかけて、日本国総領事館は、瀋陽市公安局・遼寧省公安や、中華人民共和国外交部領事司副司長に対し、無断での侵入への抗議を行い、亡命者5人の引き渡しを求めました。事件後、日本国総領事館は、報道機関に対して、「拘束された5人を...
社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)
『カール・マルクス』は、反貴族主義者で、「貴族階級を排除し、労働者主体で、社会をつくるべき!」と、言っていました。しかし、『カール・マルクス』は、「自分の妻『イェニー・マルクス(Jenny Marx)』が、貴族階級出身である事は、非常に誇りだ。」と、自慢して、『マダム・イェニー・マルクス旧姓バロネッセ(男爵令嬢)・フォン・ヴェストファーレン』という名刺を作成し、知人、友人、商人や他の人に、見せびらかしていた...
社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)
社会主義・共産主義の基礎をつくり、多大なる影響を与えた『カール・マルクス』は、実生活では、お金に関しては、とんでもないルーズで、ものすごい浪費家で、収入より、支出が多く、借金しまくっていたそうです。ちなみに、『カール・マルクス』は、「生産物は労働者の物にはならず、労働をしない資本家によって、私有・独占されるため、労働者は、自己実現できず、疎外されている。人間にとって、最大の幸福は、自分を生かせる仕...
社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(1)
「歴史とは、現在と過去との、絶え間ない対話である。」という言葉で有名な、イギリスの歴史学者、政治学者『エドワード・ハレット・カー』は、「『カール・マルクス』は、破壊の天才だが、建設の天才ではなかった。何を取り去るべきかの認識においては、極めて見通しがきいたが、取り除いた後、その代わりに、何を据えるべきかに関する構想は、漠然としていて、不確実だった。」と、的を得た事を、言っています。すなわち、『カー...
日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(8)-社会主義・共産主義の実情(1)
社会主義・共産主義は、矛盾する事を、言う事があります。でも、それには、理由があります。北朝鮮が、日本人を拉致したと騒がれていた当初、日本共産党は、「北朝鮮が、日本人を拉致したという、証拠もないのに、マスコミなどは、北朝鮮が、日本人を拉致したと、嘘を言っている。」と、主張していました。しかし、日本共産党『兵本達吉』は、日本共産党員でしたが、党とは違う考え方を持ち、調査した結果、北朝鮮による、日本人拉...
日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(7)-38度線の北
「北朝鮮は、他に見た事もないような、とても素晴らしい社会主義・共産主義の理想国家だ。まさに、北朝鮮は、地上の楽園だ!」と、北朝鮮を、ものすごく礼賛し、在日韓国・朝鮮人が、北朝鮮に移住するのに、大きな影響を与えた本、【38度線の北】の著者の日本共産党『寺尾五郎』は、1960年、朝鮮解放15周年慶祝日朝協会使節団の秘書長として、北朝鮮を、訪れたそうです。そして、日本共産党『寺尾五郎』が、急行列車に乗っ...
日本の外交手腕(3)-北朝鮮は、地上の楽園(6)-超極秘事項『金正恩』の母
北朝鮮の弱点は、「核心階層」でありさえすれば、能力がなくても厚遇され、権力の座に就くことが出来る事です。ちなみに、在日韓国・朝鮮人でも、日本共産党の党籍を持ってたり、ものすごく多額の献金を行った場合、上層部の「核心階層」となる事も、わずかながら存在するそうです。ちなみに、北朝鮮の現在の最高指導者『金正恩』の母『高容姫(あゆみ)』は、韓国人の父『高京澤』と、日本人の母『高田姫(李孟仁)』との、国際結...
「北朝鮮は、地上の楽園!」という宣伝を信じて、日本から、北朝鮮に渡った在日韓国・朝鮮人たちや、日本人たちは、最初に、招待所と呼ばれる施設に一時的に滞在し、歓迎行事の後に、経歴書や希望配置を北朝鮮当局に提出し、社会見学をした後、身分制度を決める面接を、受けるそうです。日本から、北朝鮮に渡った在日韓国・朝鮮人たちや、日本人たちは、北朝鮮の身分制度で、少数が、中間層の「動揺階層」、大多数が、最下層の「敵...
現在の北朝鮮における身分制度は、1958年から1960年にかけて、『金日成』に対する忠誠度に基づき、新しく出来たものです。その時、全国民を、家系を3代前まで遡って調査し、金一族への忠誠度の順に、上から、「核心階層」、「動揺階層」、「敵対階層」の3つに大きく分類し、そこから、さらに、51個に細分化されているそうです。その時に、反抗した一般国民、約7万人が、炭鉱や鉱山、農村に強制移住を命じられ、約6千...
1959年、12月16日、第1回目の移民が行われ、日本から在日韓国・朝鮮人たちが、北朝鮮に到着した時、『呉基完』は、北朝鮮で、日本から来た在日韓国・朝鮮人たちを、歓迎するために動員された2千人以上の住民と共に、出迎えました。北朝鮮政府が、「日本の在日韓国・朝鮮人たちは、貧困で、ひどい生活をしているので、耐えきれなくて、北朝鮮に来た。」と、言っていたので、日本のマスコミや知識人に、買収工作を行ってい...
当時の日本の文化人やマスコミでも、【在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)】の、「北朝鮮は、地上の楽園!」という宣伝を信じ、大々的に、キャンペーをして、後押しをしていました。1959年に発売された、歴史学者で、日本共産党『寺尾五郎』の著書【38度線の北】は、「北朝鮮が、他に見た事もないような、とても素晴らしい理想国家だ。まさに、北朝鮮は、地上の楽園だ!」と、ものすごく礼賛していたので、 在日韓国・朝鮮人...
現在は、活気あふれる韓国に、憧れている日本人が、ものすごく多いのですが、1950年から1960年頃は、朝鮮半島は、朝鮮戦争などで、国が荒れ果てて、韓国は、日本の支援で、経済が発展するまでは、世界で、最も最貧国と言われていて、当時の日本では、韓国に憧れている人は、ゼロで、反対に、韓国や北朝鮮、そして、在日韓国・朝鮮人に対する、差別や人権侵害が、横行し、日本で暮らしていた在日韓国・朝鮮人は、貧困家庭が...
日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(18)-北朝鮮の拉致問題(5)-日本とレバノンの外交姿勢の違い
国民を守る姿勢は、レバノンの外務省は、日本の外務省とは、大きく違います。1978年、レバノンの首都ベイルートのYMCA(キリスト教女子青年会)秘書学院に、日本の日立製作所の関係者であると名乗る、2人の東洋人が、「容姿端麗で、アラビア語とフランス語ができる、独身の女性を秘書として募集している。」と、言って、訪れました。しかし、実はその2人の東洋人は、北朝鮮の工作員でした。そして、レバノン人の女性4人が、...
日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(17)-北朝鮮の拉致問題(4)-7月19日は、女性大臣の日
『中山マサ』は、ロシアに、抑留されていた、沢山の日本人捕虜の引揚げ問題の功績などから、1960年、第1次『池田勇人』内閣で、日本初の女性閣僚、厚生大臣となったそうです。そして、『中山マサ』は、厚生大臣時代に、「子供や婦人問題に重点を置きます。」と言って、母子家庭への児童扶助手当支給の実現化や、小児マヒ(ポリオ)対策などの法制化などに尽力した、立派な人だったそうです。ちなみに、『池田勇人』に、入閣を...
日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(15)-日本とレバノンの外交姿勢の違い(2)
以前は、「拉致被害者が戻ってくるまで、北朝鮮に頑固とした態度で、交渉し、一緒に頑張りましょう!」と言っていたのが、北朝鮮に行ってから、態度が、180度変わった、タカ派の自民党『中山正暉』は、2003年、拉致被害者の『有本恵子』さんの両親に電話して、「【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】の会長『佐藤勝巳』らが、拉致問題解決を妨害している。」と、事実無根の誹謗した後、続けて...
日本の外交手腕(2)-外務省の仕事は大変なんだ!私腹を肥やして何が悪い!(2)-外務省『小林祐武』の告白(15)-日本とレバノンの外交姿勢の違い(2)
北朝鮮による拉致被害者の救出と、被害者家族同士の連絡などの活動のため、拉致被害者の家族と、朝鮮半島関連の研究者らは、1997年3月、【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】を、結成しました。そして、1997年4月、北朝鮮の拉致被害者を助けるためなら、武力行為を辞さないと言って、タカ派で有名な自民党『中山正暉』と保守党『青木宏之』が、中心となり、【拉致疑惑日本人救援議員連盟】...
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猫は、約1万ー5千年前に、猫と人が暮らし始めたと考えられています。古代ローマでは、猫は神聖で聖堂に入れる唯一の動物だったそうです。キプロス島は、先史時代から文明があり、地中海貿易の中継点として栄え、古代ギリシア、古代ローマなど、時代ごとの強大な国家の支配下に置かれ東ローマ帝国に属していましたが、1191年、十字軍に参加した、イングランドの『リチャード1世』に占領され、その後、紆余曲折があり、現在は...
『一休宗純(一休)』が、大阪の淀川で、舟に乗りました。ちなみに、大阪の淀川と淀川水系の安威川は、自分が、大阪に住んでいた頃、コイ、オイカワ、ギンブナなどを、釣りをしていた思い出深い場所ですが、舟に乗った事はありません。舟にいた地元の山伏が、「御僧は、何宗なん?」と、聞いてきたそうです。『一休』は、「禅宗です。」と答えたそうです。すると、山伏は、「禅宗には、わしらのような法力や奇徳は、ないやろ?」と...
1793年生まれの大阪の浮世絵師、戯作者『暁鐘成(木村明啓)(通称:弥四郎)』は、愛犬家だったので、得意の挿絵入りで、【犬狗養畜伝】を書いたそうです。江戸時代、小動物の飼育、園芸植物の栽培に関しての本は、多数出版されていますが、犬飼育に書かれている本は、現在、確認されている中では、【犬狗養畜伝】だけだそうです。そのため、【犬狗養畜伝】は、当時、大ベストセラーだったそうです。【犬狗養畜伝】には、【ノ...
現在、日本で飼育されている、ほとんどの犬は、フィラリア予防をしています。ちなみに、昔の沖縄や沖永良部島では、風土病として、人のフィラリアが、流行していたそうです。ちなみに、人のフィラリアと動物のフィラリアは、違う種類です。人では、フィラリアに感染した部分が、大きくなるそうですが、沖縄に住んでいた時、沖縄県立博物館で、フィラリアに罹患し、足が肥大している男性の写真を、見た事があります。片足が肥大して...
中国では、古代から【姓(氏)】と【諱(忌み名)】の他に、成人した時から名乗る、公用の名前【字(あざな)】を、使っていて、日本など中国の漢字文化の影響を受けた国々では、中国と同じような風習を受け継いでいたそうです。【妖(あやかし、妖怪)】の本名(【諱(忌み名))が、記された手帳により、【妖(あやかし、妖怪)】を服従させるという、漫画【夏目友人帳】の様に、平安時代など、昔の日本では、【諱(忌み名)】は...
明治維新で、抜群の活躍をした、薩摩の『西郷隆盛(吉之助)』、『大久保利通』、長州の『木戸孝允』を、『維新の三傑』と呼ぶそうです。ちなみに、『西郷隆盛(吉之助)』の本名は、実は『西郷隆永』で、『西郷隆盛』というのは、父『西郷隆盛(吉兵衛)』の名前だそうです。1828年12月7日、『西郷隆永(吉之助)』は、薩摩国薩摩藩の下級藩士『西郷隆盛(吉兵衛)』の長男として生まれました。そして、1869年、『西郷...
薩摩(現在の鹿児島県)で、薩州家と東郷家が隣りあった地域を治めていました。1547年、薩摩家の『薩州義虎』家臣の『湯田兵庫』は、犬を飼っていましたが、姿形が珍しいと評判でした。犬好きだった、東郷家の『東郷重治』の家臣(名前は不詳)が、うらやましく思い、譲ってもらえるように、多額の金額を提示し、交渉しましたが、決裂したので、『湯田兵庫』の犬を盗みました。それを知った『湯田兵庫』は、東郷家に向かい、盗...
『ヴェンセスラウ・デ・モラエス』は、ポルトガルの軍人、外交官、文筆家で、1854年、ポルトガルで生まれ、ポルトガル領だったマカオの港務局副司令となり、現地女性の『亜珍』と結婚し、2人の子をもうけ、外交官となり、1889年に初来日したそうです。1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると、在神戸副領事として赴任し、後に総領事となり、1913年まで勤めたそうです。日本の政治外交から文芸まで細...
イギリス、スコットランドで、清教徒革命という内乱が起き、1642ー1649年に、千人以上のキリスト教徒プロテスタントが、【グレーフライアーズ・カークヤード(Greyfriars Kirkyard)】の敷地内にある監獄に、投獄されたそうです。その時、上級官吏『Sir George Mackenzie(ジョージ・マッケンジー)』弁護士が、キリスト教徒プロテスタントを、拷問にかけたり、食事を与えずに餓死させたり、耳を切り落として、アメリカに...
1858年2月15日、スコットランドの首都エディンバラ市警『John Gray』が、結核で、死亡しました。そのため、『John Gray』は、グレーフライヤーズ教会の墓地【グレーフライアーズ・カークヤード】に、埋葬されました。すると、『John Gray』の愛犬『Greyfriars bobby』は、『John Gray』の墓の傍で、1日の大半を、過ごすようになったそうです。『Greyfriars bobby』食事の時間には、墓地の裏手にあるレストランを訪れて、...
ロシアの砂金や金鉱などが多い、インディギルカ川近郊の永久凍土の中から、約1万8千年の生後2カ月未満の、保存状態が、非常に良好な、イヌ科動物のオスの遺体が、発見されました。ヨーロッパで最大級の「犬のDNAバンク」を有している、スウェーデン古遺伝学センター(CPG)では、「DNA鑑定すれば、通常ならば、犬かオオカミかは、すぐにわかります。しかし、今回、この個体のDNA鑑定を検査した結果、犬かオオカミかは、特定でき...
約8400年前に人と犬が一緒に埋葬されたのが、スウェーデンで、発見されました。墓は、新石器時代の集落の真ん中にあったそうで、副葬品も見つかったそうです。調査の結果、該当する犬種は、いませんでしたが、スウェーディッシュ・エルクハウンド、グレイハウンドに似ているそうです。ブレーキンゲ博物館の解剖学者『Ola Magnell』は、「犬は保存状態が良く、石器時代の集落の真ん中に、埋葬されているという事実は、興味深い...
ニューヨーク市ブルックリンにあるグリーンウッド墓地は、1838年にできた公園墓地で、著名な指揮者『レナード・バーンスタイン』ら、57万人以上の人の墓があるそうです。そんなグリーンウッド墓地の一角に、犬の彫像が、あります。犬の名前は、『Rex』で、1884年に死亡した、果物商『John E. Stow』の飼い犬だそうです。『Rex』は、木の棒で遊ぶのが、大好きだったので、『Rex』の墓には、現在も多くの人が訪れています...
2005年、アルゼンチンに住んでいた『Miguel Guzman』さんは、息子『Damián Guzman』さんの13歳の誕生日に、シェパードを、プレゼントしたそうです。そのシェパードに、息子『Damián Guzman』さんは、『Capitan』と名付けたそうです。しかし、『Miguel Guzman』さんは、息子の『Damián Guzman』さんより、『Capitan』を、家族の中で一番可愛がり、いつも一緒にいたそうです。しかし、『Miguel Guzman』さんは、病気になり、入...
古代ギリシャや古代ローマ人は、とても犬を可愛がっていて、愛犬の死を悼んで、墓碑を建てることがあったそうです。古代ギリシャ、古代ローマ時代の墓標を読むと、犬との関係が、現在と同じという事が、分かります。【愛犬で、猟犬『リカス』よ…。私は、『リカス』が、世界一勇敢で、一番誇り高い犬だった事を忘れない。】、【 ここにあるは、今は亡き『ステファノス』なる犬のものなり。私は、涙を流し、人のごとく埋葬し、『ステ...
トルコのイスタンブール大学と、アタチュルク大学(Atatürk University)らの研究チームにより、トルコのEfeler(元古代都市Tralleis)で、古代ローマ時代のトルコ遺跡から、約2千年前の成人と短頭種のイヌが、頭が東を向くように、一緒に、埋葬された墓を、発見したそうです。ちなみに、飼い主と一緒に埋葬するために、可愛がっていた犬は、殺された可能性が、あるそうです。調査した結果、イヌは、現代のペキニーズくらいの大き...
古代ローマ人は、家庭犬の事を、里子と呼ぶ事があり、当時も、家族の一員と考えられていたようです。ちなみに、犬は、番犬にもなります。79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流で、地中に埋もれていたポンペイの遺跡には、床に、「cave canem(犬に注意)」と、書かれたものがあります。ちなみに、番犬と言えば、アズ動物病院には、フラットコーテッドレトリバーの警備隊長『チョリソウ』がいます。(続く)...
古代ローマ人は、家庭犬の事を、里子と呼ぶ事があり、当時も、家族の一員と考えられていたようです。ちなみに、犬は、番犬にもなります。79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流で、地中に埋もれていたポンペイの遺跡には、床に、「cave canem(犬に注意)」と、書かれたものがあります。大昔から一緒に暮らしてきた犬とは、いい関係が続いているようです。ちなみに、番犬と言えば、アズ動物病院には、フラットコ...
2008年、ドイツのテュービンゲン大学の考古学者『Nicholas J. Conard』らにより、オーリニャック文化時代の、ドイツの【Hohle Fels】洞窟遺跡で、シロエリハゲワシの骨で作製されたフルートが、発見されました。ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のヨーロッパへの到着を、放射性炭素年代測定により、年代測定した業績で有名な、オックスフォード大学の『Thomas F. G. Higham』教授は、「発見されたフルートを、放射性炭素年...
日本管区の管区長代理ポルトガル人の『クリストヴァン・フェレイラ』は、『中浦ジュリアン(小佐々甚吾)』司祭と一緒に、【穴吊るしの刑】にされました。キリスト教徒が、棄教することを、【転ぶ】と言うそうですが、1633年10月18日、イエズス会の日本管区の管区長代理『クリストヴァン・フェレイラ』は、【穴吊るしの刑】に耐えられず、約5時間で、キリスト教を棄教し、日本初の【転びバテレン(転伴天連)】となったそ...
日本で、初めて、【蜜蜂(ミツバチ)】のことが、書かれたのは、神代から持統天皇代までに、起こった出来事を年代順に書かれた、日本の現存最古の歴史書の【日本書紀】で、627年の項目に、「夏五月、【蝿(はえ)】有り、聚集れり、その凝り累なること十丈ばかり、虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。鳴く音雷の如し。すなわち東のかた上野国に至て散りぬ。」と、記載されています。ちなみに、当時、【蜜蜂(ミツバチ)】という言葉...
ギリシア神話によると、『アポロ』と『キューレーネー』の息子『アリスタイオス(最善の者)』は、ミツバチの巣箱を作って養蜂の技術を発明し、チーズの製法やオリーブの栽培、圧搾の技術などを、人に教えたそうです。『アリスタイオス』ちなみに、古代ギリシアの哲学者『アリストテレス』は、【動物誌】で、ミツバチが集める蜜は、花の分泌物ではなく、花の中にたまった露であると、記載しています。古代ギリシアでは、野生の蜂の...
ユダヤ人物理学者『アルベルト・アインシュタイン』は、「もしも、地球上からミツバチが消えたなら、人類は、4年で滅亡するだろう。」と、言っていたそうです。ちなみに、人類を、4年以内に滅亡させる事が出来る原爆などに関して、『アルベルト・アインシュタイン』の話がありますが、もの凄く長くなるので、後日…。実際に、人間の利用する全農作物の約75%は、ミツバチなどによる昆虫類が、農作物の花粉の授受を行っていて、...
ヘブライ大学考古学研究所『Amihai Mazar』教授が、イスラエル北部の古代都市テル・レホブの発掘で、3千年前のミツバチの巣箱を、発見しました。発見された円筒形の蜜蜂の巣箱は、3列に並んだもので、焼いていない粘土と藁で作られていて、現存する最古の蜜蜂の巣箱と考えられているそうです。多くが壊れていましたが、合計100個以上あったと考えられています。各巣箱の一方の端には、蜂の巣を取り出すことができるプラグがあ...
フランスの法律家、政治家で、ナポレオン法典の起草者の『ジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレス』は、『ナポレオン・ボナパルト』の独裁政治を、快く思っていなかったので、「ミツバチは、ナポレオン政権と同じだ。何故なら、ナポレオンを先頭とする、巨大な巣箱だから。」と、皮肉を言ったそうです。しかし、『ナポレオン・ボナパルト』は、ミツバチは、勤勉さ、秩序、警戒心と熱意を象徴していると言って、『ジャン=ジャッ...
最も最古のミイラは、怪しいのもを入れれば、本当なのか、タイムマシンを使ったのか、エイリアンなのかもしれませんが、1969年に、ロシアのケメロヴォ州のTisulで発見された、女性のミイラ【チスリ姫(Princess Tisul)】が、8百万年以上前のミイラとして有名です。1969年9月、ロシアの石炭産業で、有名なケメロヴォ州のTisulで、炭鉱での石炭の露天掘りの最中に、70mの深さの所で、炭鉱夫が大理石様の棺を発見しまし...
ポルトガルのサド渓谷で、チンチョーロ人のミイラと同じかそれより古いミイラが、発見されたという事です。ポルトガルのサド渓谷で、1960年、ポサス・デ・サン・ベント遺跡、1962年、アラポウコ遺跡で、ポルトガルの考古学者『Manuel Farinha dos Santos』が、約8千何前の人為的にミイラ化した、100体以上の遺体を発見したそうです。これに関しては、スウェーデンのウプサラ大学のHPに、書かれています。そして、ケン...
イギリスのパンクミュージシャンの『Steve Ludwin』は、9歳の時に訪れた、アメリカのフロリダ州マイアミで、ヘビの博物館【マイアミ・サーペンタリウム】を見学し、『Bill Haast』が、ヘビ毒を自分に注射し、毒ヘビの抗毒素をつくっている事を知り、衝撃を受け、憧れに近い感情を抱き、かなり影響をうけたそうです。ちなみに、『Bill Haast』は、パンアメリカン航空のフライトエンジニアでしたが、『Steve Ludwin』の父親は、パン...
日本の忍者が、子供の頃から微量の毒を飲み続け、毒の耐性をつけるという都市伝説を、そんなことは、絶対にあり得ないと、否定する人もいますが、アタカメニョ族が、遺伝子の変化が起きて、毒物のヒ素に平気になったり、『ミトリダテス6世』が、服毒や生物毒などによる暗殺を防ぐため実践した、少量の毒を計画的に繰り返し摂取することで、耐性を獲得するというミトリダート法など、実際には、否定できない話があります。『ミトリ...
ハンガリーでは、地下水のヒ素汚染があり、皮膚障害、肝障害、胎児性砒素中毒などが、報告されていましたが、汚染された井戸はすべて封鎖し、安全な井戸だけを使用することで、対策をとりました。2003年の調査によると、ドナウ川などで、ヒ素汚染があり、ドナウ川の流れるユーゴスラビア、ルーマニアのトランシルバニアでも、ヒ素汚染が見つかったので、農業にも、地下水を使うことはなく、すべて上水道を使うそうです。200...
1778年、スウェーデンの化学者『カール・ヴィルヘルム・シェーレ』が、黄緑色の色素【シェーレグリーン】を、合成しました。【シェーレグリーン】は、酸性亜ヒ酸銅という、ヒ素の一種で、毒性は極めて高いのですが、その毒性については、1822年まで、知られていなかったので、安価で生成が容易であったので、黄緑の染料として人気を博し、18世紀から19世紀初頭まで、壁紙、調度品、服、絵画に至るまで、幅広く使われた...
日本で起きたヒ素中毒事件のヒ素は、世界初の人為的なミイラを作製した、チンチョーロ人の死因にもなったし、多くの人々を苦しめましたが、昔は、ヒ素の毒性が知られていなかったので、死体の保存に、使われていたそうです。【プラスティネーション】は、ドイツ・ハイデルベルク大学の解剖学者で、『死の医師』の異名を持つ、『グンター・フォン・ハーゲンス』により、1978年に開発された、動物や人間を、標本にする技術ですが...
【ノミのサーカス】という言葉は、教育の分野で、「何かしようとする子供を抑圧して、心身の健全な生育を、妨げてはならない。」という意味で、使われているそうです。【ノミのサーカス】の発祥は、フランスのパリで、17世紀頃、街頭で盛んにおこなわれ、『ルイ14世』も、ヴェルサイユ宮殿で、見物したそうです。【ノミのサーカス】では、ノミの訓練の最初の段階で、背の低い透明なガラスの箱に入れて、飼育するそうです。ノミ...
愛媛県警察の『仙波敏郎』は、同期で最速で巡査部長昇任試験に合格し、1974年に、巡査部長に昇任しました。1973年と1974年に、『仙波敏郎』は、裏金作りに必要な架空の領収書作成を、上司から依頼されましたが、拒否しました。すると、突然、駐在所へ異動させられ、拳銃が、貸与されませんでした。1975年、管区校の教官から、公安警察に入るよう誘われましたが、「裏金の領収書は書かない。」と言うと、話が立ち消...
釧路方面本部長、警視長などを歴任し、1995年2月に、北海道警察を退職した、元北海道警察ナンバー3の元北海道警察警視長『原田宏二』が、北海道警察裏金の裏金問題について、記者会見を開くことになりました。すると、記者会見の前、北海道警察から指示を受けた、数人の新聞記者やジャーナリストから、「会見は中止したほうが、良い。今からでも遅くはない、やめた方が良い。」と、説得してきたそうです。しかし、元北海道警...
冤罪事件では、日本で数々の冤罪をつくり出してきた、【昭和の拷問王】の警部補『紅林麻雄』も怖いのですが、2000年から2015年までの間に、700人以上が横領の罪で起訴された、イギリスのポストオフィスの最大規模の冤罪事件が、ものすごく有名です。実は、これには、日本も関係しています。事件は、2000年に始まり、最近まで、問題視されなかったのですが、2024年1月、イギリスで、テレビドラマ【Mr Bates vs ...
1950年5月10日、静岡県庵原郡小島村(現:静岡市)で、飴製造業者の妻F32歳が斧で撲殺される、小島事件と呼ばれる、強盗殺人事件が、発生しました。現場のタンスや金庫には、物色された跡があり、お金も盗まれていました。当時、妻Fの夫Gは、引越し準備のため不在でしたが、23時頃、夫妻の子供が、家から、坊主頭でカーキ色の服を着た男が、逃げてゆくのを目撃していました。被害者一家には、家業で儲けているとの噂も...
1948年11月、静岡県磐田郡幸浦村(現:袋井市)で、一家4人が失踪し、その後、殺害された遺体が見つかった、後日、幸浦事件と呼ばれる、強盗殺人事件が起きました。1949年2月12日、当時23歳の男性Bと、当時19歳の男性C、当時45歳男性Dが、逮捕され、被害者宅からの盗品を買い受けた罪で、当時38歳の男性Eが逮捕され、【名刑事(昭和の拷問王)】の警部補『紅林麻雄』が、取り調べを行い、4人の手や耳に、焼...
自分は、大阪に住んでいた学生時代、正義のヒーローになりたくて、いじめ、カツアゲ撲滅運動をしていました。自分は、警察官は、正義のヒーローだと思っていますが、正義に味方の警察も、内部告発者には、厳しいです。1950年、1月6日、静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、一家4人が殺害されました。殺害現場には、23時2分を指した状態で、破損している柱時計があったので、当初は、犯行は23時頃に行わ...
2010年、千葉県がんセンターの手術管理部に、勤務していた『志村福子』麻酔科医が、麻酔の資格がない医師が、麻酔を担当している問題を発見し、直属の上司ではなく、センター長に、内部告発を行いました。千葉県がんセンターでは、手術は月に171-207件あり、『志村福子』麻酔科医が、内部告発前は、手術の麻酔を担当したのは、毎月12-21件でしたが、内部告発後も手術は、週50件程度は行われていたのですが、一切の...