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アズ動物病院の雑学メモ http://azvet2.blog.fc2.com/

海外14国を放浪し、海外の動物園、水族館で研修後、日本の動物園、水族館に約10年勤務し、イルカ、サメ、ゾウに麻酔したり、治療していました。沖縄、東北の動物病院で勤務後、大阪出身ですが、現在、秋田市で動物病院を開院。色々な情報を書いています。

スナフキン
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秋田市
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高槻市
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2019/11/22

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  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(2)

    ソビエト連邦のスパイ(工作員)『リヒャルト・ゾルゲ』は、日本でスパイ(工作員)活動を行うため、中国を出国し、ドイツに赴いてから、駐日ドイツ大使館員への紹介状を得て、職業をジャーナリストとして、ドイツのパスポートも、入手しました。そして、1933年9月6日に、横浜港に到着し、日本での活動を開始しました。そして、日本に到着後すぐに、隠れ蓑として、ナチスに入党申請し、1934年10月に、正式なナチス党員...

  • 日本の外交手腕(5)-20世紀最大の国際諜報事件-ゾルゲ事件(1)

    日本で起きた、20世紀最大の国際諜報事件と言われている、ゾルゲ事件を、引き起こした、『リヒャルト・ゾルゲ』は、1895年10月4日、ドイツ人鉱山技師『ヴィルヘルム・ゾルゲ』と、ロシア人『ニーナ・ゾルゲ』との間に、生れました。ちなみに、父方の大叔父『フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲ』は、『カール・マルクス』の秘書だったそうです。『リヒャルト・ゾルゲ』は、1917年に起きたロシア革命に、衝撃を受け、共産...

  • 日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(2)

    『児玉源太郎』や『山縣有朋』は、情報の重要性を、認識していたので、『明石元二郎』ら情報将校を、積極的に引き立てていたので、日露戦争後、『明石元二郎』は、順調に出世し、1914年には参謀次長に、出世しましたが、日本陸軍内には、スパイ(工作員)活動が、卑怯だと、忌み嫌う風潮があり、また、『明石元二郎』は、スパイ(工作員)出身だったので、単独行動が多く、周囲に忖度しない性格だったので、『明石元二郎』に対...

  • 日本の外交手腕(4)-凄腕のスパイ(工作員)『明石元二郎』(1)

    スパイ(工作員)活動のため、詳細は不明で、真偽のほども不明ですが、日露戦争の時、参謀本部次長『児玉源太郎』に命令され、スパイ(工作員)『明石元二郎』は、ロシア帝国で、偽名『アバズレーエフ』と名乗り、後方かく乱のため、1904年、ジュネーヴで、『ウラジーミル・レーニン(ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)』と会談し、『ウラジーミル・レーニン』が率いる社会主義運動に、4百億円以上の機密費を使い、資金援...

  • 日本の外交手腕(4)-北朝鮮は、地上の楽園(8)-脱北者への対応

    2002年5月8日、北朝鮮からの亡命者5人が、中国の日本国総領事館に駆け込んできましたが、日本国総領事館の敷地内で、中国人民武装警察部隊に、取り押さえられました。その日の夕方から夜にかけて、日本国総領事館は、瀋陽市公安局・遼寧省公安や、中華人民共和国外交部領事司副司長に対し、無断での侵入への抗議を行い、亡命者5人の引き渡しを求めました。事件後、日本国総領事館は、報道機関に対して、「拘束された5人を...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)

    『カール・マルクス』は、反貴族主義者で、「貴族階級を排除し、労働者主体で、社会をつくるべき!」と、言っていました。しかし、『カール・マルクス』は、「自分の妻『イェニー・マルクス(Jenny Marx)』が、貴族階級出身である事は、非常に誇りだ。」と、自慢して、『マダム・イェニー・マルクス旧姓バロネッセ(男爵令嬢)・フォン・ヴェストファーレン』という名刺を作成し、知人、友人、商人や他の人に、見せびらかしていた...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(2)

    社会主義・共産主義の基礎をつくり、多大なる影響を与えた『カール・マルクス』は、実生活では、お金に関しては、とんでもないルーズで、ものすごい浪費家で、収入より、支出が多く、借金しまくっていたそうです。ちなみに、『カール・マルクス』は、「生産物は労働者の物にはならず、労働をしない資本家によって、私有・独占されるため、労働者は、自己実現できず、疎外されている。人間にとって、最大の幸福は、自分を生かせる仕...

  • 社会主義・共産主義の実情(2)-カール・マルクスの矛盾(1)

    「歴史とは、現在と過去との、絶え間ない対話である。」という言葉で有名な、イギリスの歴史学者、政治学者『エドワード・ハレット・カー』は、「『カール・マルクス』は、破壊の天才だが、建設の天才ではなかった。何を取り去るべきかの認識においては、極めて見通しがきいたが、取り除いた後、その代わりに、何を据えるべきかに関する構想は、漠然としていて、不確実だった。」と、的を得た事を、言っています。すなわち、『カー...

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