さて、勤行の時の読経の事から法華経で説かれた事、そして広宣流布までを考えて来たが、ここで法華経に説かれた事について少し考えてみたい。広宣流布は法華経を広く宣揚し流布する事と述べたが、ではより具体的に法華経とは何を説いていたのか、そしてそれは私達の人生に取って、どの様な意味があるのかという事を理解できなければ、幾ら言葉で広宣流布と言ってもあまり意味を成さない。ある意味、大石寺の教えを安易に受け入れて来た創価学会や顕正会の広宣流布観というのは安易なものだ。法華経の教えの事は脇に置き、何だかよく解らない法華経というお題目を唱える人達を増やす事が出来れば広宣流布は事足りると考え教えていたからだ。だから教団としては自分達の「仲間」を増やす事が、さも釈迦が’(大石寺では釈迦は迹仏なので日蓮大聖人か)述べた広宣流布だと...法華経の示す事の考察①