10代で「業界デビュー」したものの、全く馴染めずすぐに撤退。自分なりの稼ぎ方を失敗しながらも模索中。
2020年3月
明日は僕にとって、忘れることのできない日。あの日から、音楽との向き合い方を変えた。 それまでの僕は、求められるがままに音楽をやっているだけだった。生きていくための「生業」として、それなりに真剣にやっていたつもりだったが、何かが欠けていた。 自分が守ってきたつもりの「日常」が、あっさり壊されてゆく「現実」に直面し、それまでの日々に強烈な「違和感」を持った。 「大切なもの」と口にするのは簡単だが、それを「極限状態」でも言えるのか?言えないのだとしたら、自分にとって真に「大切なもの」とは何なのか? 15歳の時に「後悔したくない」という想いで音楽を始めたが、「あの日」を経てそれをもう一度考えてみた時に…
弾きながら、歌う。歌いながら、弾く。〈「弾き語り」という作業について〉
シンガーソングライターとしてのライブは、一人で「弾き語り」の形になることが多いのだが、、たまにお客さんから「良く弾きながら歌えますね」と言われることがある。自分としては、ギターでもピアノでも「弾きながら歌っている」という感覚は全く無く、「車の運転と同じですよ」と答えることが多い。 車の運転は、あらためて考えてみるとなかなか「高度」な作業を同時にこなしている。「料理」も、いくつかの作業を同時進行で進めてゆかなければならない。それに比べて「弾き語り」の方が難しいということは無い。より正確に言えば、「運転」も「料理」も「弾き語り」も、「別々の作業」という感覚では無いということだろう。 何か「一つ」の…
僕が暮らしている街は川に挟まれているエリアのため、「土手」は身近な存在だ。小学生の時に東京から引っ越してきた際に、同級生が土手で「芝滑り」をしていたのだが、初めて体験する「スピード感」はなかなかスリルがあって楽しかった。 土手近くの「商店」で余っている段ボールをもらい、少し「工夫」を加えて滑るのだが、やはり「上手いヤツ」というのはいるもので、一緒に滑りながらその「秘密」を盗んで「上達」してゆく。基本的には「勇気があるヤツ」が速い。 このエリアで生まれ育った人間にとって、「土手」は故郷の象徴的な存在らしく、夏休みの宿題の「絵日記」にも、よく登場していたことを覚えている。山育ちの僕の絵日記は、夏休…
誰にでも「欲」はある。いわゆる「良い人」でも、何でも受け入れてくれるわけでは無い。むしろ、普段は自らの「欲」を隠すことができる人の方が「わかりにくい」ため、より「配慮」することが必要かもしれない。 「欲」を隠さない人との付き合いは、その「横暴さ」に辟易することはあっても、「楽」だ。嫌なら離れればいいだけで、程よい距離感を保っている限りは、「害」は無い。 「良い人」に見える人の方が、より「内面」が見えないため、こちらから「本心」を探りにゆく必要がある。本当に「裏表」が無い人など、まず「いない」と思っている。「裏表」と言うのは、決して悪い意味ばかりでは無く、たとえば自分のことを「応援」してくれてい…
僕にとって「作曲」という行為は、「鼻歌」の延長線上にある。曲を書く最初の段階では、なるべく楽器には触らないことにしているが、それは「制約」を受けたくないからであり、「鼻歌」という自由な「ツール」は、イメージを膨らませるきっかけとして最適だ。 もし楽器を使うなら、「ギター」か「ピアノ」ということになるが、どんな曲を書くのかというイメージが明確にあるなら、最初から楽器を使うこともある。僕の場合は、「ギター」ならリズム重視、「ピアノ」ならハーモニー重視という目安がある。 それ以上に、楽器が持つイメージに左右される部分もあり、「ギター」ならより「プライベート」な曲になりやすかったり、「ピアノ」ならより…
「他人のせい」にばかりする人がいる。もちろん、その人の「内面」までは見えないため、そう「見える」だけなのかもしれない。 自分自身を「省みる」ことでしか、得られないものがある。上辺だけ見れば「他人」に責任があるように見えても、根本的な領域まで遡って考えてみれば、自分には全く責任が無いということの方が「稀」だろう。 ここで難しいのは、「省みる」ことと「責める」ことの「差異」を区別できるかどうかであり、行き過ぎた「反省」は、自分を暗い水の底に沈めてしまう。容易とは言い切れないその「区別」をつけるための鍵は、「次のステップ」のための思考なのかどうかだと思っている。 正しい「反省」ができれば、そこから多…
シンガーとしての「自覚」を育てる。〈自分自身に対する「教育」〉
「予想通り」と言えばそうなのだが、自分が「歌う」と決めてから、毎日の「やるべきこと」が明確になってきた。「音楽漬け」だった10代の頃の感覚に少し戻ったような感覚だ。 それなりに長く音楽をやってくると、毎日の「ルーチン」が決まっているのだが、それを根本的に見直すところから始めている。不器用な僕のやり方として、音楽以外の部分にも「こだわり」を持つことで、「核」となる最も大切なことに手を抜かずに済む。 ずぼらな僕にはなかなか敷居が高いのだが、丁寧に「暮らす」ことでしか、自分にとっての「芸の道」を歩むことはできそうもない。何かを雑に扱えば「大切なこと」さえ、まるで「ドミノ倒し」のように連鎖反応を起こし…
「全然歌わないシンガーソングライターです。」というこのブログのタイトルは、自分への「皮肉」と「自戒」を込めて付けたのだが、僕を良く知る友人たちからは概ね「不評」で、「笑えない冗談」になってしまっている。それだけ僕が「歌わない」ということは、「深刻」な事態だからだ。 「深刻」というのは、福島県出身の僕は「311」をきっかけに、それまで仕事でもプライベートでも曲を他人に「提供」してきただけだったのだが、自分の言葉で、自分の声で、自分の想いを伝えるということを始めようと決意した。そのことを知る友人たちが僕の歌わない「現状」を見て、怒るのも無理は無い。 始めの頃は、溢れる想いに身を委ねるかのように次々…
僕は若くは無い。そんな僕が歌うことに対して、世の中に「需要」が無いことは、ただでさえ「音楽市場」が縮小し続ける中では、まさに「現実」としか言いようが無い。「歌う」ことだけで食べていけるほど、甘くは無いことはよくわかっている。 ただ、どうしても僕の中に湧き上がる「反発」を、どう捉えればいいのか。冷静に現実を見る「目」も必要だが、湧き上がる「衝動」を抑え込んでしまうことも、違う気がしている。 稼ぐ、つまり「ビジネス」として考えた時に、「歌」でやってゆくというのは普通「メジャーデビュー」するカタチを取る必要がある。それによって、マネージメントを委ねることができ、売るための「戦略」的な部分は、その道の…
もう多くの方が様々な意見を書いている話題で恐縮だが、自分自身の「備忘録」として書いておきたいことがある。「コロナウイルス」による日常生活への影響の件だ。 とにかく、日用品が買えない。特にマスクとトイレットペーパーは、近隣のスーパーやホームセンターに「入荷未定」という張り紙がしてある状態だ。他にもインスタント食品や冷凍食品が「品薄」で、うかうかしていると「取り残される」ような恐怖心を感じるほどだ。 小さなお子さんや、お年寄りと同居している方は、いろいろとたいへんだろう。家庭の健康を預かる立場の人間にとって、この状況というのはまさに先が読めず「不安」でしかないはずだ。 「情報」自体は、テレビだけで…
2020年3月
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