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全然歌わないシンガーソングライターです。 https://okikobo.hatenablog.com/

10代で「業界デビュー」したものの、全く馴染めずすぐに撤退。自分なりの稼ぎ方を失敗しながらも模索中。

おきこぼ
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2019/10/20

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  • 愚痴。

    明日は僕にとって、忘れることのできない日。あの日から、音楽との向き合い方を変えた。 それまでの僕は、求められるがままに音楽をやっているだけだった。生きていくための「生業」として、それなりに真剣にやっていたつもりだったが、何かが欠けていた。 自分が守ってきたつもりの「日常」が、あっさり壊されてゆく「現実」に直面し、それまでの日々に強烈な「違和感」を持った。 「大切なもの」と口にするのは簡単だが、それを「極限状態」でも言えるのか?言えないのだとしたら、自分にとって真に「大切なもの」とは何なのか? 15歳の時に「後悔したくない」という想いで音楽を始めたが、「あの日」を経てそれをもう一度考えてみた時に…

  • 弾きながら、歌う。歌いながら、弾く。〈「弾き語り」という作業について〉

    シンガーソングライターとしてのライブは、一人で「弾き語り」の形になることが多いのだが、、たまにお客さんから「良く弾きながら歌えますね」と言われることがある。自分としては、ギターでもピアノでも「弾きながら歌っている」という感覚は全く無く、「車の運転と同じですよ」と答えることが多い。 車の運転は、あらためて考えてみるとなかなか「高度」な作業を同時にこなしている。「料理」も、いくつかの作業を同時進行で進めてゆかなければならない。それに比べて「弾き語り」の方が難しいということは無い。より正確に言えば、「運転」も「料理」も「弾き語り」も、「別々の作業」という感覚では無いということだろう。 何か「一つ」の…

  • 「菜の花」の贈り物。

    僕が暮らしている街は川に挟まれているエリアのため、「土手」は身近な存在だ。小学生の時に東京から引っ越してきた際に、同級生が土手で「芝滑り」をしていたのだが、初めて体験する「スピード感」はなかなかスリルがあって楽しかった。 土手近くの「商店」で余っている段ボールをもらい、少し「工夫」を加えて滑るのだが、やはり「上手いヤツ」というのはいるもので、一緒に滑りながらその「秘密」を盗んで「上達」してゆく。基本的には「勇気があるヤツ」が速い。 このエリアで生まれ育った人間にとって、「土手」は故郷の象徴的な存在らしく、夏休みの宿題の「絵日記」にも、よく登場していたことを覚えている。山育ちの僕の絵日記は、夏休…

  • なかなか伝わらないからこそ、伝える。

    誰にでも「欲」はある。いわゆる「良い人」でも、何でも受け入れてくれるわけでは無い。むしろ、普段は自らの「欲」を隠すことができる人の方が「わかりにくい」ため、より「配慮」することが必要かもしれない。 「欲」を隠さない人との付き合いは、その「横暴さ」に辟易することはあっても、「楽」だ。嫌なら離れればいいだけで、程よい距離感を保っている限りは、「害」は無い。 「良い人」に見える人の方が、より「内面」が見えないため、こちらから「本心」を探りにゆく必要がある。本当に「裏表」が無い人など、まず「いない」と思っている。「裏表」と言うのは、決して悪い意味ばかりでは無く、たとえば自分のことを「応援」してくれてい…

  • 「鼻歌」という最強の作曲ツール。〈「責任」からの脱出〉

    僕にとって「作曲」という行為は、「鼻歌」の延長線上にある。曲を書く最初の段階では、なるべく楽器には触らないことにしているが、それは「制約」を受けたくないからであり、「鼻歌」という自由な「ツール」は、イメージを膨らませるきっかけとして最適だ。 もし楽器を使うなら、「ギター」か「ピアノ」ということになるが、どんな曲を書くのかというイメージが明確にあるなら、最初から楽器を使うこともある。僕の場合は、「ギター」ならリズム重視、「ピアノ」ならハーモニー重視という目安がある。 それ以上に、楽器が持つイメージに左右される部分もあり、「ギター」ならより「プライベート」な曲になりやすかったり、「ピアノ」ならより…

  • 「省みる」ことの難しさ。

    「他人のせい」にばかりする人がいる。もちろん、その人の「内面」までは見えないため、そう「見える」だけなのかもしれない。 自分自身を「省みる」ことでしか、得られないものがある。上辺だけ見れば「他人」に責任があるように見えても、根本的な領域まで遡って考えてみれば、自分には全く責任が無いということの方が「稀」だろう。 ここで難しいのは、「省みる」ことと「責める」ことの「差異」を区別できるかどうかであり、行き過ぎた「反省」は、自分を暗い水の底に沈めてしまう。容易とは言い切れないその「区別」をつけるための鍵は、「次のステップ」のための思考なのかどうかだと思っている。 正しい「反省」ができれば、そこから多…

  • シンガーとしての「自覚」を育てる。〈自分自身に対する「教育」〉

    「予想通り」と言えばそうなのだが、自分が「歌う」と決めてから、毎日の「やるべきこと」が明確になってきた。「音楽漬け」だった10代の頃の感覚に少し戻ったような感覚だ。 それなりに長く音楽をやってくると、毎日の「ルーチン」が決まっているのだが、それを根本的に見直すところから始めている。不器用な僕のやり方として、音楽以外の部分にも「こだわり」を持つことで、「核」となる最も大切なことに手を抜かずに済む。 ずぼらな僕にはなかなか敷居が高いのだが、丁寧に「暮らす」ことでしか、自分にとっての「芸の道」を歩むことはできそうもない。何かを雑に扱えば「大切なこと」さえ、まるで「ドミノ倒し」のように連鎖反応を起こし…

  • 原点回帰。〈やっと、歌います〉

    「全然歌わないシンガーソングライターです。」というこのブログのタイトルは、自分への「皮肉」と「自戒」を込めて付けたのだが、僕を良く知る友人たちからは概ね「不評」で、「笑えない冗談」になってしまっている。それだけ僕が「歌わない」ということは、「深刻」な事態だからだ。 「深刻」というのは、福島県出身の僕は「311」をきっかけに、それまで仕事でもプライベートでも曲を他人に「提供」してきただけだったのだが、自分の言葉で、自分の声で、自分の想いを伝えるということを始めようと決意した。そのことを知る友人たちが僕の歌わない「現状」を見て、怒るのも無理は無い。 始めの頃は、溢れる想いに身を委ねるかのように次々…

  • 需要が無いように「見える」ものをやる。〈価値の変換〉

    僕は若くは無い。そんな僕が歌うことに対して、世の中に「需要」が無いことは、ただでさえ「音楽市場」が縮小し続ける中では、まさに「現実」としか言いようが無い。「歌う」ことだけで食べていけるほど、甘くは無いことはよくわかっている。 ただ、どうしても僕の中に湧き上がる「反発」を、どう捉えればいいのか。冷静に現実を見る「目」も必要だが、湧き上がる「衝動」を抑え込んでしまうことも、違う気がしている。 稼ぐ、つまり「ビジネス」として考えた時に、「歌」でやってゆくというのは普通「メジャーデビュー」するカタチを取る必要がある。それによって、マネージメントを委ねることができ、売るための「戦略」的な部分は、その道の…

  • 「いつも通り」の危うさ。

    もう多くの方が様々な意見を書いている話題で恐縮だが、自分自身の「備忘録」として書いておきたいことがある。「コロナウイルス」による日常生活への影響の件だ。 とにかく、日用品が買えない。特にマスクとトイレットペーパーは、近隣のスーパーやホームセンターに「入荷未定」という張り紙がしてある状態だ。他にもインスタント食品や冷凍食品が「品薄」で、うかうかしていると「取り残される」ような恐怖心を感じるほどだ。 小さなお子さんや、お年寄りと同居している方は、いろいろとたいへんだろう。家庭の健康を預かる立場の人間にとって、この状況というのはまさに先が読めず「不安」でしかないはずだ。 「情報」自体は、テレビだけで…

  • 「故郷」の小さな街。

    僕が生まれ育った街は、「陶器」の窯元がいくつもあり、幼い頃から「器」というものに慣れ親しんできた。材料となる「土」を採るための山は「はげ山」になっていて、故郷に「帰ってきた」と思わせてくれる光景にもなっている。 自宅での食事に使う「食器」も、大半が知人の「作品」であったように思うが、「産地」であるだけに特別扱いされるわけでもなく、「普通に」暮らしの中に存在していた。今思えば、なかなか「贅沢」な食卓だったかもしれない。 小さな街の「メインストリート」を中心に窯元が散らばっていて、最近では古民家をリノベして工房とカフェを兼ねた店も、いくつかできているようだ。その中の一つを訪れた際に、「手びねり」で…

  • 続・「バンド」の魅力。

    自分自身の音楽活動は「シンガーソングライター」として一人で動くことが多いのだが、本来は「バンド」を組みたいと、前々から思っている。複数の人間が織りなす「グルーブ」の魅力は、やはり捨てがたいものがあり、本業が「ベーシスト」でもある僕としては、「爆音」で音楽をやる楽しさは、楽器を初めて触った頃からの基本的なカタチでもある。 仕事以外でバンドを組むことを諦めてから、もう随分経つ。僕も含めて音楽をやっている人間というのは「変わり者」が多く、一つの方向でまとめてゆくのは容易ではない。「人間関係」か「音楽性の違い」が原因による「揉め事」は、もはやバンドには「付き物」と言っていいくらいで、その解決に費やされ…

  • 「開催延期」。〈僕にできること〉

    実行委員として関わっていた都内でのイベントが、「開催延期」になった。残念ではあるが、この時期に無理に開催することによる「デメリット」は計り知れず、賢明な判断だと思う。 イベントの準備は、規模にもよるが通常「半年」はかかり、「延期」する際に発生する各方面へのお詫びや説明も、関わる人が多いほど簡単ではない。今回の延期の理由が「コロナウイルス」なので理解は得られやすいとは思うが、精一杯の誠意を持って対応しなければ今後の信用を失ってしまうだろう。 逆に言えば、誠実に対応することで更なる「信頼」を勝ち取る「チャンス」かも知れず、しっかりとした「後始末」ができるかどうかで、イベント自体の今後の「可能性」を…

  • ラジオの魅力。

    最近ラジオを聴くようになった。と言っても実物としてのラジオは手放してしまっているため、アプリを利用している。便利なのは、聴き逃した番組でもある程度遡って視聴できることであり、学生時代にこのアプリがあったら、ずっと聴いていたかもしれない。 radiko https://apps.apple.com/jp/app/radiko/id370515585 久しぶりにラジオを聴くと、いろいろと想い出すことがある。中学生の時に初めて自分の「オーディオ」を持たせてもらい、夢中になって聴いていたが、ラジオで「洋楽」を聴くことで、世界の一端に触れるような気がしていたことを、ハッキリと思い出した。 子供の頃、父が…

  • 「俯瞰」する。〈「今」を乗り越えるための「客観視」〉

    とにかく学校が苦手だった僕は、どうすれば「普通に通えるのか」を当時必死に考え、「俯瞰する」ということを覚えた。「俯瞰」という概念さえ知らなかった小学校3年生の頃だったように記憶している。 僕の母は学校が大好きだった人のため、僕が行きたがらない理由が全く理解できなかったらしい。僕がオトナになってからその辺のことを話すと、母の感覚には無い学校の姿というものがあり、「無理に行かせて悪かった」と謝られたことがある。 子供にとっては、親の「方針」は絶対的なものになってしまうことが多々あり、反論しても「言い訳するな」や「屁理屈を言うな」という言葉で封じ込まれてしまう。僕なりの正当な「理由」があったのだが、…

  • バイオリニストの「ハーブティー」。

    東京の下町にある、友人の店を初めて訪れた。バイオリニストである彼の店の前を通ったことなら何度もあったのだが、たまたま休みだったり所用があったりして立ち寄る機会が無く、どんなことを自分の店でやっているのかずっと気になっていた。 彼との出会いは、僕がお世話になっている地元のカフェがある「シェアアトリエ」の、オープンイベントでのセッションだった。「バイオリニストが来るから何か演奏して欲しい」と言っていただき、彼を紹介された際に、何をやるのかを打ち合わせしようかと相談したら「打ち合わせナシで行きましょう」と言われ、まさに「アドリブ」で演奏することになった。 僕はギターを持ってきていたので「伴奏」に回る…

  • 優しい「味」から伝わってくるもの。

    仕事柄「イベント」に関わることが多く、特に昨年からはボランティアで「裏方」として参加することも増え、「損得勘定」ではない継続性のある繋がりも増えてきている。 イベントにはたくさんの人間が関わり、名刺もすぐに「売り切れ」になってしまう状態だが、かと言って本当に意味のある繋がりにまで「発展」することは多いとは言えない。最近は、誰とでも名刺を交換することは控えるようになってきている。 最近知り合った方は、アレルギーにも優しい米粉の「サンドイッチ」を作っていて、たまたま訪れたカフェで、試食させていただいたことがきっかけだった。食べてみると人柄が伝わってくるような優しさを感じることができ、短時間のやりと…

  • ブログの「効能」。〈120日継続してみて〉

    拙いブログを、なんとなく「100日」を目標に継続してきた。音楽を数十年継続していても、やはり新しいことに挑戦するのは「未知の世界」に踏み込む感覚があり、僕なりに「悪戦苦闘」してきた経緯を記録できたことに、一定の「意義」はあると感じている。 記事をストックしておけば、その分は「楽」になるかもしれないが、自分の思考の「アーカイブ」を作ることが一つのテーマでもあり、書いている「今」を残す「速報性」を重視しているため、書きためることはしていない。毎日7時の更新という自分に課した「ノルマ」をこなすために、今も午前4時に書いている。 継続「120日」を越えた現在、書くことのメリットとして、予想通り思考の「…

  • 「落としどころ」の模索。〈「政治的」に動けるか?〉

    理想と現実の狭間に、「落としどころ」というものがある。「妥協」と言ってもいいのかもしれないが、もう少し前向きな意味で、「できること」と「できないこと」の区別をしっかりやるというニュアンスで捉えたい。 「理想」や「志」を持たなければ、「質」の向上は望めない。「できること」だけに囚われてしまったら、「現状維持」が精一杯になってしまうだろう。そこに「不満」を感じるなら、「できないこと」にも挑戦していかなければならない。 ただ、「現状維持」も簡単ではない。同じことをもう一度やるには、もう一度同じ「エネルギー」が必要であり、それが確実にできる「保証」は無い。「満足」までは得られなくても、それなりの「及第…

  • 強い「チーム」を作る。〈「想い」の共有の難しさ〉

    来月都内で開催されるイベントに、実行委員として関わることになった。あまり開催までの時間が無いため何ができるかわからないが、昨年夏の「音楽フェス」での体験を活かしつつ、自分にもできることを考えたい。 イベントの開催には、想像以上に様々な準備が必要になる。規模が大きければ行政や地域との「連携」や「理解」を得るだけでも、「信頼関係」を構築するための膨大なエネルギーを費やす覚悟が無ければできることではない。 昨年の「音楽フェス」でも感じた「最も難しい」こととして、運営側で参加する人たちの「想い」を、どうやって「共有」してゆくのかという点がある。参加する以上は何かしらの「共感」があるはずなのだが、そこに…

  • オン・ザ・ロード。〈音楽と旅〉

    「作詞」や「作曲」のような「創作活動」は、基本的に自宅での作業になる。楽器やパソコンなど使い慣れた道具が揃っている「利便性」は、やはり自宅ならではだ。 ただ、より良い「作品」がどこで生まれやすいのかを考えると、必ずしも「自宅」とは言い切れない。生み出された作品の「数」なら圧倒的ではあるが、「質の高さ」や「ユニークさ」という「残す価値」を考えると、「旅先」で生まれたものに、より高い「価値」を感じている。 「商品」としての作品の「価値」は、依頼主やリスナーが決めるものだが、ライフワークとして「創作活動」をしている身としては、そういう「外的な評価」だけではやっていけない。自分自身が感じる「価値」を信…

  • 変わりゆく「下町」。〈「必然」か「損失」か?〉

    僕が初めて一人暮らしをした東京の下町は、「オリンピック開催」の影響もあり、かなりのスピードで「様変わり」していっている。 「東京大空襲」から奇跡的に被害を逃れたエリアに該当し、僕が暮らしていた頃は「長屋」がたくさんあった。商店街の賑わいも尋常ではなく、夕飯前には原宿の「竹下通り」と変わらないほどの活気を見せていた。残念なのは、10代だった僕にはその「価値」がわからず、「なんとなく」暮らしてしまっていたことだ。 商店街の「対面販売」の良さというものがあり、顔馴染みになるほど「オマケ」してくれたり、私生活の心配までしてくれたりする。「プライバシー」なんていうものに対する配慮は無いかもしれないが、初…

  • 僕と珈琲。

    友人に、いつも美味しい珈琲を振る舞ってくれる人がいる。若い頃から飲んできたからこその「こだわり」を持ち、豆選びから焙煎、そして抽出まで、妥協はしない。そんな「一杯」を惜しげもなく振る舞ってくれる彼が身近にいてくれることで、僕の珈琲に対するスタンスにも、変化が出てきている。 彼の自宅の玄関を開けると、まず珈琲豆を焙煎する時の豊かな「薫り」に触れる。焙煎された豆を「自分用」と、自らが経営する「カフェ用」に分けて保存用の容器に入れてあるのだが、そこに貼られた豆の種類を示す手書きのステッカーが、雑然としながらも使い古された「味わい」があって好きだ。 彼と過ごす時間は、「今日はどれにします?」と聞かれ、…

  • 「CBSドキュメント」。〈オトナへの背伸び〉

    学生の頃から、ドキュメンタリー番組が大好きだった。未だ見ぬ「世界」を垣間見ることで、ほんの少しだけ「オトナ」になれたような気がしていた。「世界」というのは、「海外」という意味だけではなく、自分の「知らないもの」というニュアンスだ。 中でも学生時代に欠かさず観ていた「CBSドキュメント」という番組は、MCのピーター・バラカンさんの「カルチャー」への捉え方が「人間愛」に満ちていて、番組を観ることで、自分の将来にとって「大切なもの」になりそうなことをたくさん教えてもらっていた。 最近聞いた話だが、友人がピーターさんに直接お会いする機会があり、その際に「CBSドキュメント」の話になった際に「スタッフの…

  • 自分の売り方。〈レーベル設立という選択肢〉

    今年は音楽活動をよりカタチにするために、「レーベル」の設立を考えている。ミュージシャンにとって、自分の曲をどんなやり方で「売る」のかの模索だ。 既存のレーベルに所属するのも一つのやり方だが、「CD」というメディアの価値が下がり続けている現状では、何か「新しい」やり方を考える必要があり、自分がやっていきたい音楽の「在り方」を追求するには、自分で立ち上げるしかないかもしれない。 レーベルを「設立」すると言っても、特別に必要になるものは無く、自分の「作品」をここから出していると「宣言」すればいいだけだ。だからこそ、出して「終わり」にしないための「戦略」こそが、一番大切なものになってくる。 「音楽人」…

  • 消えたマジシャン。

    自分の店を持っていた頃、ステージを盛り上げてくれるパフォーマーを探していた。音楽はもちろん、ダンスでもコントでも、とにかく店の「目玉」として活躍してくれる人材を求めていた。 僕の店は工場を改装した建物で、メインフロアが64畳もあった。板張りなのでダンスにも最適で、「サルサダンス」のミニレッスンを音楽の合間に挟んだりしていた。楽屋もかなり広く、コスプレ系のイベントをやっても着替える場所には困らなかった。 近所のカフェでまったりと過ごしていたら、突然隣の席にいた若い男性に「マジック」を披露された。少し驚いたが、屈託のない笑顔で「パフォーマーになりたい」という夢を熱く語る姿がとても「爽やか」だった。…

  • 苦しければ道を「誤る」。

    自分を取り巻く状況が「苦しい」時、何かに縋りたくなる。いわゆる「思考停止」に陥ってしまい、自力での解決を放棄し、救ってくれる「ヒーロー」が登場してくれることを祈るか、「奇跡」が起きることを願う。 「ヒーロー」はいないし、「奇跡」はまず起こらない。それでも、「思考停止」してしまい凍り付いた「心」には、解決の糸口さえ見つけるチカラは無い。結局自分が動かない限り状況は「好転」するはずも無いのだが、かと言ってどうすればいいのかを考えるだけの心の「ゆとり」も無い。 「縋る」ということは、「投げ出す」ことと同じであり、「解決」に至ることは無い。そういう「過ち」を何度も犯してきた。 仕事が取れないことが続く…

  • 月見草。〈負けに不思議の負けなし〉

    僕は、「野球少年」だった。学校から帰ればランドセルを玄関に放り投げ、バットを持って空き地に向かうと、仲間たちの声が聴こえてくる。本来は18人揃わなければ試合にはならないのだが、そこにいる人数でできる適当な「ルール」を作り、「野球ごっこ」をしていた。 2人しかいなくても、キャッチボールやノック、バッティング練習はできる。とにかくボールを追いかけて走り回ることが楽しくて仕方なかった。投げるボールが速いとか、空き地の外にまでボールを投げられるとか、打球を遠くまで飛ばせるとか、どれか一つのことでもずば抜けていれば、仲間うちで「リスペクト」されるため、みんなそれなりに必死だった。 僕は仲間うちでは肩が強…

  • 「お節介」という死語。

    他人のことを、自分のことのように考えられる人がいる。他人が抱え込んでいる苦しみや痛み、そして喜びを「共有」できる人。そういう人に触れる機会が激減したのは、いつからだろう。 確かに「うざい」瞬間というものはある。「放っておいてくれ」と思うこともある。でも、本当に「放置」されてしまったら、人はいったいどうなるのだろう。 他人との「一線」を踏み越えてくれる人の存在が無ければ、洞窟にたった一人で閉じ込められているのと変わらないかもしれない。天井から滴る水の音を、数えるだけの人生になってしまうかもしれない。ギリギリの状態まで追い詰められた時、人はそれでも「孤独」でいられるだろうか。 他人の心の内は、当然…

  • 「よくわからない人」の面白さ。

    僕の周りには、「よくわからない人」がたくさんいる。別の言い方をするなら、「職業不詳」であり、どうやって稼いでいるのか「謎」な人たちだ。「所属不明」と言ってもいいだろう。 何年お付き合いさせていただいても、さらに「謎」は深まるばかり…こういう人が持つ「面白さ」というものがある。共通項としては、「世間体を気にしていない」だったり、「常識に囚われていない」ということが挙げられる。 僕自身、よく「謎」だと言われるが、「褒め言葉」として受け取るようにしている。生き方として決して「わかりやすい」ということは無い。あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、何とか生き延びてきた。ただ、自分が「面白い存在」かは不…

  • 「感性」の距離感。

    最近立ち寄る機会の多い街、神保町。そこで開かれた映画好きが集まる少し遅めの「新年会」に、参加させていただいた。 会の運営者である方との「縁」は、僕のライブに足を運んでいただいたことだった。以前からその「存在」は良く耳にしていた方だったのだが、そこで初めてゆっくりお話しさせていただく機会を得た。 「パワフルな女性」だと聞いていたそのままの印象で、とにかく行動力の塊のような方だ。第一印象だけで、おそらく末永くお付き合いさせていただく関係性になるだろうと、勝手ながら思っていた。 お会いする二度目の機会は、数日後に訪れる。馴染みのある地元のカフェに「今来ているから遊びに来ませんか?」と声を掛けていただ…

  • 人間「木下藤吉郎」。〈「陽気さ」という究極の武器〉

    自称「歴オタ」である僕が最もリスペクトする存在の一人に「木下藤吉郎」という人物がいる。後の天下人である「豊臣秀吉」だ。彼の若い頃の名前ということになる。 「歴オタ」である僕の「信条」として、当然のことながら本人に会ったことも話したこともない以上「真実」はわからない。飽くまでも僕の「印象」で語るのみだ。 僕にとって「木下藤吉郎」という名前には、常に「陽気さ」が伴う。数々の「伝説」を持つ彼だが、特に「織田家」に仕えて出世街道を歩み始める頃のエピソードには、心を惹かれるものが多い。 まさに「命懸け」の仕事を次々とこなしてゆくのだが、そこにはいつも「悲壮な覚悟」ではなく「陽気さ」があり、だからこそ配下…

  • 「教える」のか「教えない」のか?〈教える側としての葛藤〉

    「教える」ことを仕事としてから、自分でも驚くほど長い歳月が経った。学校が大嫌いだった僕が、まさか人から「先生」と呼ばれることがあるとは夢にも思わなかったが、今でも自分を「先生」だと定義したことは無い。 それなりに経験を積んでみても、他人に何かを「教える」ことの難しさに直面するばかりで、そこに僕自身の「学び」はあっても、「生徒」である相手から見て「有意義」なことができているかどうかは、未だにわからない。むしろ、どんどんわからなくなってゆく感覚さえある。 僕は「学校」が嫌い(苦手)だったし、その感覚は「先生」という存在に対しても同じだ。だからこそ、自分がその立場になってみた時の「危険性」について、…

  • 「ヒゲ」を剃る。〈日常の中の「儀式」〉

    僕は心が乱れると「ヒゲ」を剃らなくなる。正確には、剃ることにまで「気が回らない」という感じだ。自宅で作業できてしまう仕事だからこそ許されることだが。 ヒゲを剃らないということは、「鏡」も見ていない。自分を「客観視」しなくなるということなのだろう。とにかく、自分自身とまともには向き合いたくない。完全なる「逃避」だ。 こうなれば、「暮らし」そのものも「崩壊」し始める。食生活も酷い有様になるし、デスクの周りもゴミが目立つ。それでも、そこにまで「気が回らない」のだ。 外部と連絡と取ることも「憂鬱」に感じてしまい、「申し訳ない」と思いながらもどうしても連絡をすることができない。自分でも「これではダメだ」…

  • 四畳半一間の「豊かさ」。

    幼い頃、四畳半一間の木造アパートに家族3人で暮らしていた。トイレは共用、風呂は無い。母がよく、「給料日まで3日もあるのに残り10円しかない」と言っていたことを覚えている。若い父には「経済力」が皆無で、家計はいつも「火の車」だっただろう。 それでも、僕自身は「貧しい」とは思わなかった。同じアパートの住人は皆良い人ばかりで、夕飯のおかずを「シェア」したり、スーパーの安売りの情報交換をしたりして、お互いに支え合いながら暮らしていた。 お風呂が無いため銭湯を利用するのだが、「引率役」のお母さんたちは交代制で僕たち子供の面倒を見てくれた。みんなでワイワイお風呂に入る、週に3回ほどある「銭湯の日」がとても…

  • 誰と「組む」のか?〈「入り口」の重要性〉

    何か「新しい」ことを始める時に、一人ではできない領域があれば誰かと「組む」必要がある。「本気度」が高いものであるほど、その選択は慎重にならざるを得ない。 「組む」こと以上に「離れる」ことにはかなりのエネルギーを要するし、組む「相手」に足を引っ張られてしまうこともある。一人ではできないからと言って、気軽に声を掛けるわけにはいかないだろう。 実際に一緒に動いてみるまではわからないことも当然あるが、僕にとって声を掛ける際の「基準」は、組むために必要な領域の「スキル」よりも、「利他的」に動ける人かどうかだ。 他人と仕事上の関係性を作るうえで、最も手っ取り早いのは「お金」だ。報酬のやりとりが発生すること…

  • 未だ見ぬ曽祖父へ。〈空っぽの骨壺〉

    僕の父方の「本家」が長年守ってきた「墓」を、近い将来に「壊す」ことになりそうだ。「跡継ぎ」不在の状況では、仕方のないことだろう。「本家」はそれなりに立派な家だが、それも取り壊す話が出ている。 それに伴い、市役所で「戸籍謄本」を入手し、どういう血縁者が墓に入っているのか、連絡を取れそうな人はいないかを調べた。江戸末期からの「家系図」がどうなっているのかを初めて見たのだが、わずか4代ほどの先祖のことも何もわからず、知らない名前ばかりだ。 父方の家は「複雑」で、特に戦前から戦後にかけての状況の中で「養子」に出されたりすることも多く、当時としては珍しくはない「混乱」が見て取れる。 その中に、会ったこと…

  • 「強制」からの脱出。

    僕は、一度も修学旅行に行ったことが無い。旅行は大好きなのだが、「行事」というものが持つ「強制力」が、子供の頃から苦手だし、今でもその感覚は変わらない。 運動は好きでも「運動会」は苦手だし、呑むことは好きでも「呑み会」は苦手だ。とにかく「団体行動」と呼ばれるものに参加「させられる」ことが苦痛で仕方がないのだが、大人になるとそうも言っていられないこともある。 音楽は好きでも「合唱」の練習ほど辛いものは無く、まさか自分が「歌う」ことを仕事として選ぶとは思っていなかった。あの頃の自分が今の姿を見たら、驚愕するだろう。 いや、意外と驚かないかもしれない。と言うのは、僕が苦手なのは「強制」であり、「音楽」…

  • テレビに救われた夜。

    普段全くテレビを観ない僕でも、その存在に救われた「記憶」がある。 上京して音楽の仕事に就いたものの、上手くいかない時期があり一時的に実家に戻った。ジャズドラマー崩れで音楽に理解のある父ではあるが、やはり心配なのだろう。事あるごとに僕との生き方に対する考え方の違いから、「摩擦」は増えていった。 僕の将来を心配する父は、「就職」の話を持ってきた。工業地帯にある薬品関連の化学工場に、住み込みで働く仕事だ。働きながら音楽をやればいいと言うが、趣味ならともかく仕事としてやってゆくなら、休日が日曜日しかなく、平日の夜に楽器の練習ができるかもわからない環境では、事実上「諦める」ことも覚悟しなければならない。…

  • 思考を「外す」。〈囚われないためのタイミング〉

    僕は心が乱れた時、「ヒマだから余計なことに囚われてしまうんだ」と思うようにしている。そう思えばすぐに切り替えられるほど器用ではないが、少なくとも本当に大切なものは何かということからは、大きく引き離されず本来の居場所により早く立ち返ることができる。 普通、人は同時に二つのことを考えたり感じたりすることはできない。以前ある医師から聞いた話だが、病院に飾られている「絵画」には、ひとときでも「痛み」を忘れることができるようにという「願い」が込められているそうだ。 何かに「囚われて」しまっている時は、思考の集中を「外す」ことも必要で、ぼんやりテレビを観たり、なんとなく漫画を読んだりして、とにかく普段やら…

  • 「レ・ミゼラブル」〈「歌う」とは何かを教えてくれた映画〉

    そんなに頻繁には映画館に行くわけではない僕が、4回も観に行ってしまった映画がある。 映画「レ・ミゼラブル」予告編(ユニバーサル・ピクチャーズ公式)2012年公開 https://www.youtube.com/watch?v=VoCGLi82O7I 一度観て凄まじいまでの「衝撃」に襲われ、「いったいどうやって創っているんだ?」という疑問を少しでも「解決」すべく、僕にしては珍しくDVDまで購入して自宅でも何度も観た。 「特別映像」として収録されていた撮影の「秘密」にあらためて「衝撃」を受け、それ以降僕の音楽に対するスタンスが確定することになる。 映画「レ・ミゼラブル」特別映像(ユニバーサル・ピク…

  • 一緒に創る。〈「じぶんごと」にしてもらうために〉

    前回のライブに来ていただいた方から、ある素晴らしい提案をしていただいた。 「私がやっているスリランカのゲストハウスで、ライブをしませんか?」 というもので、今年の音楽活動の「メイン」になりそうなほどの申し出だ。 彼女の仕事は、「喜びを作る」こと。聞けば聞くほど「面白い」ことをやっている方だが、中でも軽トラに自分で作った「小屋」を載せて走りまわっているというのが、「凄味」を感じさせるほど面白かった。本当にパワフルな方だ。 前回のライブでは、リハーサルから来ていただき、たいへんありがたいことに準備から手伝っていただいた。僕のライブは、音響や照明に専属のスタッフがいる「ライブハウス」ではなく、カフェ…

  • コミュニケーションとしての「ライブ」。

    僕がいる「エンタメ」の世界では、客との「関係性」をダイレクトに創ることが意外と難しい。ライブで言えば、リハーサル→本番という流れの中で、終演後も含めて直接客に接することは普通無い。 規模が大きくなるほど、ステージから客との距離は遠くなり、照明で前の数列しか見えず、その背後に何万人いようがあまり関係ない。ホールの「関係者出入口」から入って出るだけで、その間に客の姿を見かけることさえ稀だ。 客との「関係性」をアーティスト自身や関係者が直接的に持つことは、トラブルになる危険もあり、「禁止」されていることも普通にある。そうなると、自分がやっていることに対する「反応」に直に触れることが難しくなり、関係者…

  • 「神保町」の面白さ。

    最近、神保町に行く機会が増えている。ある縁で昨年末に本屋さんの忘年会に誘っていただいてからなので日は浅いのだが、都内に住んでいた頃は楽器屋さんが集まる御茶ノ水とセットで良く行っていた。 とにかく圧倒的な本屋さんの「数」だ。古書店街としては「世界一」らしい。街中の本屋さんが軒並み閉店に追い込まれる中、神保町の活気はとても頼もしく思える。 忘年会の時に、壁一面の本の中で演奏させていただいたのだが、初めての体験で楽しかった。本という「メディア」は、僕にとって「知」の象徴だ。「知」と言っても、小難しい意味合いではない。「トンデモ本」や「エロ」も含めた人間の「好奇心」や「業」そのものが、本の世界には無限…

  • ピアノ物語。〈僕にとってのピアノ〉

    ピアノという楽器は、ドラムから楽器を始めた僕にとって、あまり「縁」のない楽器だった。身近に触れる機会もなく、せいぜい学校の「合唱」で弾ける子が伴奏するのをなんとなく聴いていただけで、まさか自分が弾くことになるとは、夢にも思っていなかった。 ピアノとの「本格的」な出会いは、僕が「最も影響を受けた」と断言できる、「ドイツ帰りのピアニスト」の演奏を聴いてからだ。以前このブログにも書いたが、当時16歳の彼のピアノの「響き」は、19歳のその時点でいちおう「プロ」のギタリストだった僕を、一発でKOするほど素晴らしかった。 どんな楽器でもそうだろうが、素晴らしい演奏を聴くと、その楽器自体の魅力に気づかされる…

  • 音楽を「掘る」。

    自分を「音楽人」だと定義している僕は、音楽に対して「マニア」であり「オタク」である。もし僕の音楽へのスタンスを「目撃」されたら、「驚愕される」か「呆気にとられる」くらいでないといけないだろう。 音楽が「好きか」と尋ねられれば、俄かには答えにくいものがある。もちろん「好き」ではあるだろうが、同時に「憎悪」している感覚もあり、なかなか複雑な距離感だ。何かに「本気」で取り組むということは、そういうことなのかもしれない。 音楽の「深層」のようなものに少し近づけたと思ったら、また容赦なく引き離されてゆく。その繰り返しの中で、報われたり、見放されたりしながら、それでも離れることはできない「腐れ縁」と言った…

  • 「ローカルシーンの構築」への考察。〈音楽人で在り続けるために〉

    僕はいちおう「ミュージシャン」だ。「演奏」や「作曲」などの技術を提供することで「収入」を得てきた。そして今「シンガーソングライター」としての自分の形も模索しているところだが、それは「アーティスト」という分類になるだろう。 「ミュージシャン」という仕事は、依頼主の要望に応えることで収入を得るわけだが、自分の思い通りの演奏や作品で「勝負」できるわけではない。あくまでも依頼主が「形にしたいこと」のお手伝いをすることで評価される「受け身」のスキルが求められる。普通「プロ」と呼ばれるのは、この形ということになる。「職人」というイメージだ。 「アーティスト」というのは、厳密には「仕事」ではない。自分のイメ…

  • 敗れ去らない「強者」を目指して。

    できる限り「率直」に言葉を綴ろうとしているこのブログでも、どうしても「書けない」ことがある。思い出すのも辛く、長い時間を経てもまだ僕の内部で燻り続ける「自責の念」のようなものに、なかなか「決着」はつきそうもない。 おそらく、そういう受け入れ難い「過去」との決着がつくことは無いのだろう。生きている限り、ごまかしたり逃げ回ったり、時には向き合わざるを得なくなったりしながら、ずっと付き合ってゆくしかない。 自分自身に嫌気が差したり、他人の理不尽な仕打ちに虚しくなったりしながら、日々を生きてゆく。そういう「喜怒哀楽」が、僕に音楽を奏でさせているのだろう。 それなりに長く、本気で音楽をやっていると、自分…

  • 「伴奏者」としての自分。

    シンガーを支える「伴奏」の仕事を、長年やってきた。バンド形式の場合は主にベーシストとして、デュオならギタリストやピアニストとして。 僕にとって収入の大半を占める「本業」と言えるものは、音楽を「作ること」になるのだが、ステージに上がる以上はそれぞれの楽器に対して「本業ではないから」という「言い訳」は許されない。ピアノの前に座った時点で、客席から見れば僕は「ピアニスト」なのだ。 自分自身に対しても「言い訳」を許さないためには、当然ながらそれぞれの楽器に対する「技術」を磨く必要があり、そこで手を抜いてしまえば客より先に自分が自分を「認めない」ことになってしまう。もしステージ上で「自責の念」に駆られて…

  • 「距離」を越えてゆくもの。

    僕の住む街は、川を越えたら「東京都」になる。川を渡るには「橋」を利用する必要があるが、慢性的な渋滞という問題を抱えていて、4キロほどしかない「川の向こう側」がとても「遠く」感じる。 「川の向こう側」には、大きなショッピングモールがいくつかあり、買い物にはとても「便利」なエリアなのだが、渋滞のことを考えると、僕の「暮らし」という観点から見れば便利とは言えない。 そうなると、買い物をなるべく「近所」で済ますことになるが、徒歩5分かかるのか、10分かかるのか、その「5分」の差がとても「大きく」感じている中での「選択」を日常的にしている。その「差」を埋められるものは、より安く買えるという「お得感」くら…

  • 支えるチカラ。〈ある女優さんのお話し〉

    昨年知り合った、ある「女優」さんがいる。舞台や振り付け、歌までこなすという「エンターテイナー」である彼女にとって、「初」の映画出演になる作品に、スタッフとしてほんの少しだけではあったが関わらせていただいたことが、「縁」になった。 映画の撮影には、僕がいる音楽の世界とはまた違う、様々な「準備」が必要になる。監督やカメラマン、出演者のスケジューリングや宿泊所の手配、食事の準備など、撮影を「支える」大切な仕事を、誰かがやらなければならない。多くの予算があれば、それだけをやるスタッフを雇えばいいだろうが、大規模な映画製作でも無い限り、出演者が協力し合う必要がある。 「協力」と言うだけなら簡単だが、その…

  • ちゃんと「食べる」。

    ちゃんと「食べる」ことって、なかなか難しい。 僕は長年一人暮らしをしているが、「食生活」という言葉を使うのが恥ずかしくなるほど、食事を「とりあえず」摂ってしまうことが多く、そのしわ寄せで昨年人生始めての「入院」も経験した。その時に初めて食べた「病院食」は、僕に「食生活」の重要性を教えてくれた。 以前、ある大学の学園祭を訪れた際に、「こども食堂」の運営に携わる人たちが、活動を知ってもらうためのブースを構えていた。そこでお話しさせてもらった方に誘ってもらい、一度様子を見せてもらうことになった。 「学童保育」に通う子たちが、30人ほどでみんなで「食べる」姿は、大勢で食事を摂ることが久しぶりだった僕に…

  • 「乗っかってくる人」の軽さ。

    何かに必死に取り組んでいる人が、ようやく手に入れた社会的な「業績」や「知名度」に対して、そこに「敬意」を払うわけでもなく、ただ自分の価値を「高く」見せるためだけに「利用」しようとする人が、残念ながら一定の割合でいる。 自分では成し遂げることができないことを、既に成し遂げている人に対する「憧れ」は、誰にでもあるだろう。その「憧れ」が「敬意」に繋がってゆくはずなのだが、もし何かが成し遂げられるまでの様々な「紆余曲折」のようなものに対して、自分自身も「試行錯誤」してみた経験が無ければ、その心情や葛藤を「理解」することはできず、ただ「乗っかってくる」だけの「軽い」関係性に陥ってしまう。 以前は、僕もそ…

  • クリエイティブな「オタク」の存在意義。

    このブログで何度か登場している、僕を「放浪」させてくれた「おじさん達」は、とにかく「アート」や「カルチャー」というものに対して、絶対に「届かない」と思わされるほど圧倒的に詳しかった。10代で何も知らなかった僕にとって、「憧れ」の存在でもあった。 「オタク」という言葉が適切かどうかわからないが、僕の感覚では「クリエイティブなオタク」という表現になるかと思う。「オタク」にも、いろいろあるのだ。他人の作品や、やっていることを「評論」しているだけの「オタク」は、「消費」するだけの生産性の無い存在という意味で「価値」を感じない。 「おじさん達」が「クリエイティブ」と言えるのは、一人の世界に「終始」せず、…

  • 「村長さん」の葛藤。〈「いつの間にか」失われゆくものたちへ〉

    とある村を訪れた際に、縁あって「前村長」さんとお話しさせていただく機会を得た。 過疎で苦しむ村を、どう「存続」させてゆけるのか。そのために「若い世代」の移住をどうすれば促してゆけるのか。そんな「難問」に取り組まれ、一定の成果を残し、高齢を理由に政界を引退され、今は静かに暮らしている。 いわゆる「旧家」の方で、村の人で彼の家を知らない人はいない。駅まで村役場の方に迎えに来ていただいたのだが、行き先として前村長さんの苗字を言っただけで「恐縮」されてしまうほどの、「名士」なのだ。そういう「扱い」になるには、理由がある。 前村長さんの先祖は、そのあたりを治める「豪族」だった。戦国時代には、戦国を代表す…

  • 楽器の「声」を聴く。

    楽器にも「歴史」があり、「ドラマ」がある。特に古い楽器になるほど、それが創られた「時代背景」や、創った人間の「喜怒哀楽」、それを奏でてきた人間の様々な「紆余曲折」などが「沁み込んで」いる。 もう使われなくなった楽器たちが、いったいどれだけ街の中に「眠って」いるだろうか。押入れや納戸、物置の奥で、ひっそりとまた「鳴らしてもらえる時」を待っているかもしれない。 使われていないということは、楽器にとっては「切ない」状態であり、やはり鳴らしてあげてナンボだろうし、鳴らさないことで状態はどんどん「劣化」してゆく。特に「木材」が多く使われているギターやピアノなどは、まさに「生き物」であり、気温や湿度、保管…

  • 「夜市」のチカラ。〈台湾伝聞録〉

    友人が台湾に行った際の「土産話」を聴き、「カルチャー」というものの在り方について考えさせられる部分が多かった。 残念ながら僕は台湾は「未体験」なのだが、親しい友人が日本人と台湾人の「クオーター」ということもあり、以前からいろいろと話を聞く機会はあった。 僕は明治期や大正期の「和洋折衷感」が大好きで、日本では上手くいっているとは言い難い貴重な建造物の「保存」や「活用」について、台湾は「新しいもの」と「古いもの」の「共存」を、国策レベルで上手に行っているという印象は持っていた。 歴史的に「日本統治時代」があった台湾には、日本人の設計による建造物がかなり残っている。それを「カッコいいもの」として扱い…

  • 最後に「残る」もの。〈本当の「自分自身」との邂逅〉

    ある程度の「長期間」音楽と向き合ってきた中で、随分と「やらかして」きた。多くの人に「迷惑」もかけ、自分に「嫌気」も差し、行く末を考えるほど「絶望」だけが未来に横たわっている気がして、「朝」が怖かった。今でも、その感覚は自分の中に確実にある。 こんな「クズ」な僕でも、人並みに「反省」くらいはしてきたつもりなのだが、どう足掻いても「改善」が見込めない部分を認めざるを得ず、それを想う度に心に「蓋」をしてきた。「理屈」ではわかっているつもりでも、どうしても「心」がついてこない「領域」がある。 実は、その「領域」の中にこそ、「自分自身」がいたりする。そのことに気付かされたのは、僕を本気で「心配」してくれ…

  • ある「写真家」のお話し。

    僕は「写真」が好きだ。「カメラ」ではなく、「写真」が好きだ。そして、最高の被写体は「人」だと思っている。 本屋さんのカフェスペースで開催される、最近知り合った「写真家」の方の個展に行った。もう「半世紀」も写真の世界にいる大ベテランなのだが、とても「オープン」な人柄で、何よりも屈託の無い「笑顔」が素晴らしい方だ。 初めてお会いした時に、ある世界的なミュージシャンを撮影した際の「裏話」に感動し、彼の作品をじっくり見てみたくなり、今回の個展を楽しみにしていた。 「裏話」というのは、そのミュージシャンは「グラミー賞」を何度も獲っているような「レジェンド」であるにも関わらず、撮影される時の「サービス精神…

  • 情報は「タダ」ではない。

    気になる「ニュース」が流れる度に、その「真実」には僕のような「庶民」の立場では遠く及ばないという「現実」について、いつも考えさせられる。 僕が「多少は知っている」と言えるであろう「音楽業界」の世界だけでも、「表」に出ていないことは山ほどある。巷に溢れるあらゆる情報は、僕の知らない「誰か」や「何か」の都合で、適宜コントロールされていると思っていたほうが良いだろう。 ある「事柄」について議論を深めるには、少なくともある程度の正確な情報が必要になるだろうが、いったいどれだけの「事柄」について、議論できるだけの情報を持っているだろうか。それを考える時、ある種の「虚無感」のようなものに苛まれることもある…

  • 歌と「業」。

    あまり他人に言うようなことでもないが、僕は歌う時に、自らが抱え込んでいる「業」を使っている。あえて「技術的なこと」から距離を置き、曲に込められた「ドラマ」にどれくらい寄り添うことができるか、それが僕の歌う「基準」だ。 そのためには、まず曲を「暗譜」しなければならない。歌詞カードなどを見てしまうことで、「視覚」にエネルギーを奪われてしまえば、自分の声が聴こえにくくなってしまう。「聴覚」もしくは「心」に集中するために、室内を「真っ暗」にすることもある。 暗闇の中で歌うことで、ようやく「曲」の世界に集中できるようになるのだが、「業」に寄り添い過ぎてしまえば、呼吸も苦しくなるほど気持ちが追い込まれてし…

  • お店の「人格」。〈「小さい」からこそ、できること〉

    通い慣れた「純喫茶」がある。40年間、一度も休んだことが無いというマスターの「人柄」は、サイフォンで丁寧に淹れられた珈琲をゆったりと堪能していればなんとなく伝わってくる。 僕がお店に行く理由には、いろいろある。ゆったりと珈琲を飲みたい時もあれば、あまり時間が無いが珈琲を飲みたい時もある。どのお店を選ぶのか、どんな基準で選択しているのかを考えてみたい。 僕の好きな本に、「雑誌の人格」というものがある。(能町みね子著・文芸出版局)ユニークな切り口で多くの連載を持つ漫画家、能町みね子さんが、雑誌の個性を「人格」つまり「人」として捉えてみたらどうなるのか?という内容で、たくさんある「雑誌」というメディ…

  • 「逆算力」を磨く。

    15歳で音楽を始めた僕は、「プロ」という視点で見れば致命的に「遅い」部類に入る。19歳で「不幸」にもオーディションに合格してしまい、3歳から音楽をやってきた連中との「勝負」に惨敗を喫し、そこから本当の意味での「試練」が始まる。 まず僕は「譜面」が読めない。正確には、「初見」でスラスラ弾けるほどには読むことができず、これは未だにあまり上達していない。「初見力」で3歳からやってきた「エリート」と勝負しても勝てる気が全くしないので、そこにはあまり「エネルギー」を割いてきていない。 オーディションに合格して「プロ」になってしまった以上、現場での「適応力」は当然「持っている」という扱いを受ける。決して丁…

  • 父の背中と、大きなトラック。

    僕が生まれたことで、ジャズドラマーの道を諦めた父は、長距離トラックのドライバーになり、僕を良く仕事に同行させてくれた。僕が「音楽」はもちろんだが「地理」や「歴史」が小さい頃から好きなのは、完全に父の影響だ。部屋に貼られた大きな日本地図を飽きずに眺めているような子供だった。 仕事のついでにと、父の迷惑も顧みずに「お土産」をねだっていた僕は、たまに買って来てくれる「キーホルダー」が嬉しくてたまらなかった。日本地図上の「買ってくれた場所」にキーホルダーを飾り付けてゆき、少しずつ埋まってゆくのが楽しかったことを覚えている。 子供ながらに、「凄く大きな乗り物」であるトラック(12トン車)を自在に操る父が…

  • 下町の小さな洋食屋さん。〈「カルチャー」の在り方〉

    初めて一人暮らしをした東京の下町に、小さな洋食屋さんがある。「王貞治も食べに来た」ことが自慢の店内は、10人も入れば満席だ。マスターの口癖は「仕事したくねえなあ」だった。 僕が住んでいたマンションの隣室に、以前ジャズレーベルに勤めていた音楽にめちゃくちゃ詳しいおじさんが住んでいて、よく遊びに行っていたのだが、洋食屋さんのマスターは彼の幼馴染だった。 隣室のおじさんの友人なだけあって、マスターも音楽に相当詳しい。音楽だけではなく、店内にはいつも映画が上映されていて、いい場面になってくると注文も受け付けてくれない。 何度か通ううちに可愛がってくれるようになり、「二階に上がってみな」と言ってくれたの…

  • 「学ぶ」ためのスタンスとは?〈最も「お得」な先生との距離感〉

    歌や楽器を「上達したい」と思うなら、まず学ぶためのスタンスをしっかり取れなければ難しい。僕なりに長年レッスンをやってきて、この点に関して深く考えさせられてきた。 まず言えるのは、いわゆる「成功体験」が成長を妨害する。音楽に限らず、何かでそれなりの「形」を残してきた人ほど、謙虚になりにくいようだ。「学ぶ」というのは、極論すれば「自我を捨てる」必要があり、過去の体験に縛られてしまえば、自分が持っていないものを得ることは、困難になってしまう。 レッスンをする上で心がけてきたのは、その人の事情に「寄り添う」ことであり、教えることの宿命としての「押しつけ」を極力排除してきたつもりではあるが、教える立場か…

  • 一番「凄い」歌。

    都内、某駅の地下通路に、「彼」はいた。もう、数十年も前の話になる。 今ではターミナル駅として再開発が進んでいる駅だ。都心まで2時間ほどかけて通いながら音楽活動をしていた僕は、乗り換え時に良くその地下通路を利用していた。 冬の23時くらいだっただろうか。家路を急ぐ人波の雑踏の中から、彼の歌が聴こえてきた。凄まじい声量に、まず驚く。さぞかし「人だかり」ができているだろうと思い近づくと、誰一人足を止めてはいない。 「演歌」を歌う彼は、身なりからしておそらく「家を持たざる人」だったと思う。ボロボロの服と、わずかな手荷物を抱えながら、何を想うのか目を閉じて歌っていた。 急ぎ足の人波をかきわけて、僕は彼か…

  • 「無駄な時間」という贅沢。

    オトナになると、「無駄な時間」が減る。みんな生活がある以上、仕事や家庭のことで忙殺されるのは、当然のことだ。ただ、友人たちと「ゆっくり話す時間」を失っていくのは、「健全」とは言えないかもしれない。 最近よく友人たちと、いわゆる「純喫茶」でダラダラと過ごしている。元々珈琲が大好きだし、純喫茶のレトロ感も大好きだが、それ以上に気の合う仲間たちと過ごす「無駄な時間」を、贅沢なひとときに感じている。 先日は、数年ぶりに深夜のドライブをした。目的地もなく、ただ友人とブラブラしただけだが、夜明けまで意味の無い時間を過ごすことの楽しさを、久しぶりに味わえた。大のオトナが深夜にドライブスルーでハンバーガーを買…

  • 「小さな山」がくれたもの。

    子供の頃、よく遊んだ小さな山がある。今ではちょっとした公園として整備されているその山を見ると、故郷に「帰ってきた」という気持ちになれる場所だ。 僕にとって山で「遊ぶ」というのは、とにかくまだ行ったことの無い場所を「探索」するということだった。ろくに道も無いため、藪をかきわけて自分で道らしきものを作っていかなければならない。子供でも歩ける可愛らしい山ではあるのだが、突然崖に出くわしたりもするので、少々の危険も伴う。 「未知の場所」を発見すると、スケッチブックにマッピングしてゆく。縮尺などは当然デタラメなのだが、少しずつ山の全貌を明らかにしてゆく感じが、楽しかった。 見晴らしの良い場所に出ると、自…

  • 「根」を張る。〈僕なりの「生存戦略」〉

    新しい街での暮らしを始めてから、2年が過ぎた。「ゼロ」からのスタートを切ったこの街で、たくさんの人と出会い、たくさんの「喜怒哀楽」があった。 「自分」に長年かけてこびり付いてしまった汚れを、必死に擦って洗い流すような日々だった気がするが、以前より汚れを落とすことができているのか、確信はまだ無い。使い込んだ楽器のように、弾き込んでは磨くという作業の繰り返しの中で、僕なりの「味」が出てくれば、それでいいのかもしれない。 このブログを始めたのは昨年10月半ばだが、その頃の記事を今読み返してみると、我ながら「幼く」見える。何か「有益」な記事を書かなければという焦りが、明らかにあった。ブログのテーマに「…

  • 「ブログ」と出会って感じたこと。

    ブログという「未知の世界」に飛び込んで、今日で80日目。今年最後の記事になる。 自分の思考の痕跡を残しておく密かな「アーカイブ」になればと思い、友人たちにも内緒で記事を書き始めた。思考の整理が進むほど、自分の内側に貯め込んできた「テーマ」の様なものに気付かされ、「言語化」しておくことのメリットを感じている。 自分が普段考えていることは、わかっているようでわかっていない。ブログを始めてみたことによる最もわかりやすい「効果」として、他人との会話が少し「スムーズ」になった気がする。 思考や感情を言語化しておくことで、会話の時にその痕跡を「トレース」するだけで済んでいる部分があり、多少なりとも「理路整…

  • 料理人の「おでん」。

    仕事を終え寒い夜道を歩き、いつもお世話になっているカフェに辿り着く。店に入ると、「だし」の薫りが一瞬で寒さを忘れさせてくれた。 カフェでの忘年会に、東京の下町で老舗の食堂を営む友人が、何日も手間暇をかけて作った「おでん」を持ってきてくれていた。材料の買い出しや仕込みにかかっている膨大なエネルギーを感じながら、熱々のおでんをゆっくりといただく。 彼のお店は、魚料理をメインにした「和食」を提供しているのだが、すぐには店を継がず、南フランスで修行をし都内の高級ホテルで「洋食」のシェフとして腕を磨いた。 「自分の代になったら、新しいことをやってみたい」 和食の魅力を知りつつも、フランス料理の奥深さを学…

  • 「気付き」の機会を奪わない。

    今年、ある音楽フェスにボランティアとして参加した。全国的な知名度を持つフェスなのだが、「核」になって動けるスタッフが圧倒的に不足していると聞き、「ローカルシーンの形成」をテーマにしている僕としては、いろいろと学べる機会だと思い関わることにした。 フェスでの体験は、僕にとって貴重な経験になったことは間違いないのだが、来年も参加するかどうかは、正直躊躇している。おそらく、参加しないことになる可能性が高い。 何万人もの観客が押し寄せるフェスを運営するのは、当然ながら容易ではない。半年以上前から準備を始め、行政とのやりとりや、会場の選択、招聘アーティストとの交渉、協賛金の確保、出演者の募集と事前説明な…

  • 「やらかす人」の魅力。

    何かに「挑戦」してみた人は、必ず「失敗」もしてきている。その数が多ければ多いほど、「また立ち上がるチカラ」が強い人だろう。 成功や失敗をどんな基準で考えるのかは、当然ながら人それぞれで、「常識」で測れるような代物では無い。他人から見れば「深刻」な失敗でも、本人がそれをどう受け止めるのかは、本人の「自由」だ。 いわゆる「世間体」を自分の価値観の基準に置いてしまえば、自分がしてきたことの「偏差値」を他人が決めてくれるから、ラクだ。お手本の無い独自性の高いことをしようと思えば、他人が付けてくる「点数」などに構っていられない。 「失敗」には、それに伴う「代償」が付きまとう。普通の「オトナ」としての生活…

  • 「気にしない」という偉大なスキル。

    眠れない夜がある。きっと誰にでもある。 自分の心をコントロールすることは、本当に難しい。自らの意思とは関係の無い場所で、何処かへコロコロと転がってゆく。気分が塞ぐと身動きできなくなるくらい、僕の「全て」を司っている。 僕は「人」が好きだ。そして一番苦手なのもまた「人」だ。 僕が心を閉ざしてしまう時の理由は、「人」との関係。一番元気をもらうのも、同じだ。近づいたり離れたり、良かったり悪かったり、まるで打ち寄せる「波」のよう。 眠れない時、僕は全ての思考を「外す」ようにしている。言うほど簡単では無いが、とにかくまともに「向き合う」ことを辞めてしまうことで、その場の「波」からとりあえず逃れる。 向き…

  • 腕利きの「ギター職人」。

    僕が暮らす街に、とても腕のいい「ギター職人」さんがいる。彼の存在を知ったのは、1年ほど前になる。 車でよく通る道に、以前から「気になるお店」があった。花屋さんなのだが、遠目に見る限りどうも「ギターらしきもの」がディスプレイされていて、「ギター好きの店員さんがいるのかな?」と、印象に残っていたのだが、駐車場も無くなかなか寄る機会が無かった。 実際に行ってみると、店内のスペースの半分が花屋さん、もう半分がギターショップになっていて、普通の楽器屋さんに通い慣れている僕は、まずその目新しさに驚いた。 展示販売されているギターは、中古のエレキギターを中心に20本ほどで、オーナーさんが直接メンテナンスした…

  • 「クリスマスの約束2019」のこと。〈今夜放送〉

    今夜、小田和正さんが様々なゲストと一夜限りのセッションをする音楽番組「クリスマスの約束2019」が放送される。 クリスマスの約束2019 番組公式ページ https://www.tbs.co.jp/xmas-yakusoku/ 「音楽番組」はいろいろあるが、こんなに良心的に創っているものはなかなか無いと言い切れるので、ぜひ観て欲しいと思う。 何が「良心的」なのかと言えば、制作期間が今どき異様に長い。時間をかけて、ゲストやスタッフと入念な準備をしている。番組を創る以上そんなことは「当然」だと思われるかもしれないが、残念ながらそうでは無い。 「合理化」の名のもとに、失われてしまったものがたくさんあ…

  • 「流し」というエンターテイナー。

    「流し」という職業がある。主に居酒屋さんなどにギター1本を持って行き、客のリクエストに応えることで謝礼をもらうという仕事だ。以前は歓楽街などに当然のように存在していたのだが、「呑むスタイル」の変化や、そもそも若い世代を中心に呑む機会が激減していることもあり、聞いた話だが今では全盛期の10パーセントほどの人数しかいないらしい。 僕の生徒さんに以前「流し」をやっていた方がいたが、バブルの頃は客の気前も良く、チップを貯めてベンツを購入したという話を、古き良き想い出として話してくれたことを覚えている。 当時「流し」として登録するには、3000曲のレパートリーが必要だったと聞き、本当に驚いた。僕もリクエ…

  • マウンティング・ブルース。〈哀しき「上から目線」〉

    「武勇伝」はイラナイ 初対面で、「自分語り」ばかりする人が苦手だ。僕にとって、その人の「実績」や「知名度」、「輝かしい人脈」なんて、全く興味が無い。それらは、あくまでも「人柄」に対する「オマケ」でしか無い。 本人にとっては自慢話のつもりかもしれないが、その手の「武勇伝」を聞かされるほど、その人の「軽さ」ばかりが印象に残り、せいぜい愛想笑い(半笑い)でもしてあげるしか無くなってしまう。僕が知りたいのは、その人の「今」でしかないし、「何を大切にしているのか」ということだけだ。 自分が努力して手に入れてきたものは、「財産」であることには違いないが、それが他人にとっても価値のあるものであるかは相手が決…

  • 本屋さんのチカラ。

    先日、ある本屋さんの忘年会に参加させていただいた。様々な人たちの交流の場になっているということもあり、多種多様な生き方をしている人たちとお話しさせていただき、あっという間に時間が過ぎていった。 僕は「本屋さん」が好きだ。もしかすると、本より本屋さんが好きなのかもしれない。ずらっと並んでいる本を眺めているだけでも、知的好奇心を強く刺激されてわくわくしてくる。立ち読みしている人たちも、きっと何かが知りたくて来ているだろうし、店員さんもきっと本好きに違いない。そんなイメージが本屋さんにはある。 小学校低学年の時に転校した僕は、知らない場所で友人もいない「孤独」を味わい、記憶してはいないのだがある期間…

  • 繋げて、繋がる。

    僕のようなフリーランスで仕事をしている人間にとって、「人脈」はとても大切だ。人が集まる場所には積極的に出かけてゆき、「顔を売る」必要がある。このブログのテーマである「ローカルシーンの形成」にとっても、街で暮らす様々な人たちと誠実な関係性を創っていくことは、大きな課題になる。 より多くの人脈を持つことが大切なのは間違いないが、「量」よりも「質」について考えていかないと、知人は多いが仕事や未来には繋がらないことになりかねない。自分が何をしたいのかということを把握するために、動きながらも自分を掘り下げてみることが必要になる。 人も街も常に変化している以上、アタマの中だけでいろいろこねくり回しているだ…

  • 気付いた時が「最速」。〈僕の好きな言葉〉

    誰の言葉だったか、もしかしたら僕のオリジナル?まあでも、似たようなことを言っている人はいると思う。「気付いた時が最速」。この言葉は、「超」がつくほどの楽天家である僕との相性が抜群に良い。 中学生の時、弱小野球部に所属していた僕は、最後の夏の大会で早々に一回戦負けを喫し、夏休みの間に進路について考えていた。進学?就職?本当は、中学卒業のタイミングで、アメリカに留学したかったのだが、両親に猛反対され、仕方なく近所にできた新設の高校に通うことになった。 その時の僕は、15歳。19歳で音楽業界に入り、すぐに挫折を経験することになる。 挫折してからの僕は、持ち前の「楽天家」が身を潜めてしまい、業界の激し…

  • 受信力。〈受け取るチカラ〉

    音楽講師を長年やっているが、時折僕の「先生」としての評価を耳にする。ありがたいことに概ね好意的な評価みたいだが、そもそも「良い先生」とはどんな存在だろう? 仕事で教えさせてもらっている以上、少しでも「良い先生」であろうとはしてきたつもりだが、いざレッスンが始まると夢中になってやってしまっているだけのような気がする。これでは「プロ失格」なのかもしれないが、ビジネスとしての戦略性には欠けていても、自分のペースや信条を守ってきたからこそ、長年やってこれたのだと思う。 音楽のレッスン講師という仕事も、当然ながら世の中の競争に晒されている。ビジネスとして成功させる、もしくは失敗しないためには、競合相手と…

  • 「人」を歌う。〈ドキュメンタリーソングのカタチ〉

    シンガーソングライターとしての僕の日常として、曲を書く作業がある。毎日書けるわけではないし、特にここ数年はなかなか書けなかったのだが、ある映画のロケに同行させていただいたことをきっかけに、モノを作り上げる楽しさを想い出し、久しぶりに書き始めている。 曲を書く手法はいろいろあるが、単なる「音遊び」にはしたくないので、「何を伝えたいのか?」を先に考えておくのだが、僕の場合は「人」をテーマにすることが多い。印象的な出会いや、心に残しておきたい話など、ドキュメンタリー番組を創るような感覚でイメージを膨らませてみる。 曲の題材だからと言って、特別な「ドラマ性」が必要なわけでもなく、むしろ日常の中にあるさ…

  • 季節を感じる「贅沢」。

    僕が住んでいるエリアには、新しい街のせいか大きなマンションが立ち並ぶ。そして、山育ちの僕の感覚的には驚くほど山が遠く、海も近いとは言えない。でも数年暮らしていると、この街の良さも見えてくる。 日常の何気ない瞬間の中でも、自分の「感度」さえ上げておけば、意外なほど豊かな「季節感」を味わうことができる。 ウチには猫が4人いるのだが、一番若い子は好奇心旺盛で窓から外を眺めるのが好きだ。特別見晴らしが良いわけでは無いのだが、一日中飽きずに何かを見ている。この時期には色づく樹々が見えるので、もしかしたら季節の移り変わりを堪能しているのかもしれない。猫の目には、どんな風に映っているのかな? 僕が契約してい…

  • 僕とカメラ。〈「人」という最高の被写体〉

    写真が好きで、いつもカメラを持ち歩いている。以前は主に風景を撮っていたのだが、一番良く撮っていた頃は夜明け前に現地に到着するために、真夜中に出発していた。その頃に撮りためていた写真は、このブログでも使っている。 最近は、コンパクトカメラをバッグには入れてあるものの、よほど心が動かない限り撮らなくなっている。撮影のために遠出することも無くなった。仕事絡みで遠出する際には、空き時間があれば少し撮るくらいだ。 写真に対する情熱が冷めてしまったわけではない。猛烈に「人」が撮りたくなってしまったのだ。 肖像権などの問題で、気軽に人が撮れなくなって久しいが、街歩きをしながら行き過ぎる人の表情を撮るなんて、…

  • ムキになる。

    僕は、やると決めたことなら夢中になってやれる。逆に言えば、興味のないことには残酷なほどに素っ気ない。 残念ながら最近行けてないが、バッティングセンターにハマっていた時は、一日中バットを振っていた。部屋にもミニバットが置いてあり、フォームの確認に使っている。 中学生の頃、弱小野球部にいたのだが、ルールもろくに知らないまま3年間やってしまった。野球が大好きだった祖父に少しでも恩返しできたらと入部したのだが、ハードな練習についてゆくのが精一杯で、野球のことを知る余裕も無かった。 大人になって一人暮らしを始めた時に、隣室のおじさんが草野球をやっていたのでチームに参加させてもらったのだが、強豪校出身の人…

  • カセットテープの良さ。〈非効率って楽しい〉

    高校生の時に、バイトして買った4チャンネルのマルチトラックレコーダーがある。カセットテープを使うのだが、今聴いても音質はなかなか良い。久しぶりに動かしてみたら、流石に不具合が出てきているので、オークションで同じものを探したのたが見つからず、同じメーカーの違うものを落札して使ってみた。 驚くほど安く落札できたのだが、動作は良好。さっそくレコーディングしてみると、高校生の頃の記憶が鮮明に蘇る。カセットテープの再生や停止する時の「ガチャコン」という音が好きだ。 音楽制作の仕事では、利便性からパソコンを使うことがほとんどだが、自分のための曲はカセットテープのレコーダーを使いたくなる。確かに面倒な部分は…

  • 弱さの中でこそ感じとれるもの。〈「曲を書ける自分」の厄介さ〉

    久しぶりに曲を書きあげてから、数日が経過した。曲を書く時のクリエイティブなモードのまま日常生活を送っているが、これがなかなか難しい。 普段からそういうモードにいられれば、ギャップに苦しむこともないのかもしれないが、数年ぶりに書き上げただけに、普段おおざっぱな僕が繊細な状態にいることに違和感があったりする。 考えてみれば、このブログを始めた2ヵ月前、集中して文章を書くという不慣れな作業に挑戦するということもあって、普段とは異なるモードに入ろうとはしていたのだろう。継続してみると、少しずつではあるが習慣化してきている。 曲を書くという作業は僕の本業でありながら、長期間書けずにいた。正確に言えば、「…

  • 音の記憶。

    僕が住んでいるマンションからは、貨物列車の「ガタンゴトン」という音がよく聴こえる。窓を閉め切っていてもかなりの音量で聴こえてくるが、そんなに嫌な音ではない。電話していても、相手から「なんの音?」と質問されるくらいには聴こえているようで、友人たちにとってもこの部屋と貨物列車の音はセットで記憶されてゆくのだろう。 自称「引っ越しマニア」の僕は、今までに数十回の転居をしてきたが、それぞれの部屋に想い出がある。特に、部屋にいて聴こえてきた「音」は、印象深い記憶になっている。 都内の潰れたパチンコ屋の1フロアーを借り切って、音楽三昧の生活をしていた時は、すぐそばにあった踏切の音を覚えている。レコーディン…

  • 湖畔にて。〈僕に曲を書かせてくれたもの〉

    放浪していた時に、長期間滞在していた湖がある。観光地としても著名な場所だが、僕が惹かれたのは湖のほとりに静かに佇む「龍神様」だった。 信仰心などとは無縁な僕でも、自然に対する「畏敬の念」くらいは持っている。子供の頃に一人で遊んだ小さな山で、遠くから聴こえて来る雷鳴に恐怖を感じたり、よく遊んでいた小川で溺れかけたりするうちに、いつのまにか心に刻み込まれた感覚だと思っている。 観光客で賑わうエリアから、少し離れた場所に「龍神様」へ続く道がある。森の中を歩いてゆくと、湖のほとりに降りるための梯子がかかっているのだが、一瞬躊躇するほどの絶壁を降りて行かなければならない。 高い所が得意とは言えない僕だが…

  • 「クズ」のチカラ。

    知り合いに、凄い人がいる。ある震災の時に避難所のリーダーとして大活躍し、「明るい避難所」として有名になり、一部の被災者からは「居心地が良いから自宅に帰りたくない」という声まであったらしい。 彼がやったことを無理やり要約すれば、「責任はオレが持つ」から、被災者が必要としていることを個別にヒアリングしスピーディーに処理していくことと、優先順位の最上位に「人間の本能的な欲求」を置き、眠れる環境作りやトイレの整備などを、行政には頼らずに仲間でどんどんこなしていったそうだ。 避難所で「レジェンド」となった彼の決断力と行動力は、どこから来ているのだろうか? 彼に避難所での体験談を聞かせてもらった時、その話…

  • 心地よい「等価交換」。

    ボランティアで、街の自治会館で演奏した。以前にも同じ市内にある別の自治会館で演奏する機会があり、そのご縁で紹介していただいた。セットリストは「お任せします」とのことだったので、年配の方が多いことを考慮しいわゆる「昭和歌謡」中心にした。 最初のご縁は、僕が以前関わっていた本屋さんで、僕の伴奏で無料で歌っていただける場を企画していたのだが、そこに近所の自治会でボランティアスタッフをされている方が遊びに来てくれたことだった。 自治会は多くの方のボランティアで成り立っているが、僕が演奏で参加させていただくことを「大切に」扱ってくれることが、皆さんの人柄からヒシヒシと伝わってきたのでお受けした。と言うの…

  • 父とのセッション。〈僕の「音楽観」を育んだもの〉

    ギターを弾き始めたのは、15歳の時。田舎育ちの僕は、近所に楽器屋も音楽スタジオも無く、弦が切れたら自転車で2時間かけて買いに行くしか無かった。 そんな田舎でも音楽好きの仲間には恵まれ、バンドを組むには苦労しなかった。友人の家のプレハブ小屋に楽器を持ち寄り、爆音で練習しても苦情が来なかったのは、田舎ならではの良さだった。 そして、10代のうちにまがりなりにもプロになれたわけだが、一番大きかったのは父とのセッションだろう。ジャズドラマー崩れの父の部屋からは、日曜日になると爆音でいつも音楽が流れていた。狭い我が家では、家中に聴こえてくる。僕にとって、父は僕専用の「DJ」でもあった。 高校生の時、毎週…

  • 京都の奥深さ。

    京都に行くと、いつもその「奥深さ」に感動してしまう。僕にとって、なにげない路地をなんとなく歩いているだけでも、感性を強く刺激してくる街だ。 前回訪れた時の話。路線バスに乗ったら、隣に着物の着こなしが素晴らしい女性が座った。思わず「とてもよくお似合いですね」と声を掛けてしまったのだが、いろいろお話しさせていただくと、あらためて京都という町が持つ魅力の一面を知った。 京都出身の彼女は、ご主人がオーストラリアの方で、結婚と同時に移住。今回は、毎年あるお寺で開催されている「着物バザー」で掘り出し物を見つけるために帰国。 バザーでは驚くような低価格で古い着物が購入できるそうで、 「今来ている私の着物、い…

  • 音楽スタジオって面白い。〈音楽好きの「たまり場」として〉

    僕にとって「仕事場」でもある音楽用のレンタルスタジオに、楽器を弾いている友人たちと行ってみた。楽器を持って駅前を仲間と歩くなんて、かなり久しぶりで新鮮だった。 スタジオに初めて行く友人は、多少緊張していたらしい。慣れない場所に行くのは、誰でも最初は構えてしまうものだ。その姿を見ていると、楽器を始めた頃の感覚を思い出す。スタジオには、「上手い人」しか来てはいけないというイメージを持っていたらしく、実際に体験してもらうことで、人と演奏する楽しさを少しでも伝えられればと思う。 割と最近できたスタジオでもあり、綺麗な店内、まだ新しい機材、楽器のレンタルも豊富に用意されていて、手ぶらで行っても楽しめる。…

  • 「バンド」の面白さ。

    音楽=バンドだった 僕が音楽を始めたきっかけは、「バンド」だった。同級生とコピーバンドを組んで、学校の文化祭でライブをやる。その目標のために、楽器を買い、スタジオで練習して、ファミレスあたりで反省会もどきをやる日々は、純粋に楽しかった。 僕は「凝り性」なので、やる以上は徹底的にやらないと気が済まず、同級生バンドでは物足りなくなり、レベルが高いと評判のバンドに加入し、他校の文化祭に「お忍び」で出たりしていた。 そういう行動は、同級生からすれば「裏切り行為」であり、口をきいてくれなくなったりもしたが、時間が経つにつれて和解できた。元々僕は、ギターを買う前からプロを目指して音楽を始めていたこともあっ…

  • 歌うための「作詞」。〈ブランクを経て思うこと〉

    数年ぶりに、歌詞を書く作業と真剣に向き合っている。ブランクがあると、どうやって書いていたのか我ながら忘れている部分も多い。 もちろん書き方に決まりがあるわけではないが、「自分なりのやり方」はある。久しぶりの作業の中で感じていることを、記録しておく。 自分が歌うのか、他人が歌うのか 自分で歌う場合と、他人に提供する場合の差は、「キャラクター」をどう設定するかだ。自分の曲なら、自然体で書いてしまえることもあるが、他人に渡すとなるとそうはいかない。 そのシンガーが「言いそうなこと」や「考えそうなこと」を想像しながら書いてゆく。今回は他人に提供するものを書いているのだが、事前の打ち合わせでシンガーの人…

  • 「無料」のデメリット。〈コンセプト不足による僕の失敗体験〉

    「無料」の難しさ 僕は一時期、誰でも参加できるように無料で歌える場を提供していたことがある。基本的に僕が伴奏をして、歌いたい人に歌ってもらうのだが、僕の中では「失敗体験」になっている。 思ったよりも多くの人に参加してもらい、「閑古鳥」にはならずに済んでいたのだが、参加者の中には「無料」だからこそ参加している人が少なからずいて、場の雰囲気を壊されてしまうことが何度かあった。 これは、僕の「無料」というフィルターに対するコンセプトが不足していたことによる失敗だった。「無料だから気軽に来て下さい」をやってしまった結果、他の参加者の気分を害する言動や、場に対する配慮に欠ける行いが目についても、コンセプ…

  • 僕の「基準」を創った敏腕ピアニスト。

    僕の中の「基準」を創った人がいる。 その彼は、ドイツで数年間ピアニストとしての修業をし、日本に帰国してきたばかりだった。当時僕が19歳、彼は16歳。 僕はバックバンドのギタリストとしてオーディションに合格したものの、早々に辞めてしまい、そのまま一年ほどの放浪の旅を終えたタイミングで彼に出会った。 関連記事 僕が放浪した(できた)理由。 https://okikobo.hatenablog.com/entry/2019/11/10/070000 彼に初めて会った時の「衝撃」は、今でも鮮明に覚えている。 「彼」のエピソード 日本人離れした顔つき、ガリガリに痩せ細った体形、くるぶしまで伸びた髪。 一…

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