10代で「業界デビュー」したものの、全く馴染めずすぐに撤退。自分なりの稼ぎ方を失敗しながらも模索中。
僕が生まれ育った街は、「陶器」の窯元がいくつもあり、幼い頃から「器」というものに慣れ親しんできた。材料となる「土」を採るための山は「はげ山」になっていて、故郷に「帰ってきた」と思わせてくれる光景にもなっている。 自宅での食事に使う「食器」も、大半が知人の「作品」であったように思うが、「産地」であるだけに特別扱いされるわけでもなく、「普通に」暮らしの中に存在していた。今思えば、なかなか「贅沢」な食卓だったかもしれない。 小さな街の「メインストリート」を中心に窯元が散らばっていて、最近では古民家をリノベして工房とカフェを兼ねた店も、いくつかできているようだ。その中の一つを訪れた際に、「手びねり」で…
自分自身の音楽活動は「シンガーソングライター」として一人で動くことが多いのだが、本来は「バンド」を組みたいと、前々から思っている。複数の人間が織りなす「グルーブ」の魅力は、やはり捨てがたいものがあり、本業が「ベーシスト」でもある僕としては、「爆音」で音楽をやる楽しさは、楽器を初めて触った頃からの基本的なカタチでもある。 仕事以外でバンドを組むことを諦めてから、もう随分経つ。僕も含めて音楽をやっている人間というのは「変わり者」が多く、一つの方向でまとめてゆくのは容易ではない。「人間関係」か「音楽性の違い」が原因による「揉め事」は、もはやバンドには「付き物」と言っていいくらいで、その解決に費やされ…
実行委員として関わっていた都内でのイベントが、「開催延期」になった。残念ではあるが、この時期に無理に開催することによる「デメリット」は計り知れず、賢明な判断だと思う。 イベントの準備は、規模にもよるが通常「半年」はかかり、「延期」する際に発生する各方面へのお詫びや説明も、関わる人が多いほど簡単ではない。今回の延期の理由が「コロナウイルス」なので理解は得られやすいとは思うが、精一杯の誠意を持って対応しなければ今後の信用を失ってしまうだろう。 逆に言えば、誠実に対応することで更なる「信頼」を勝ち取る「チャンス」かも知れず、しっかりとした「後始末」ができるかどうかで、イベント自体の今後の「可能性」を…
最近ラジオを聴くようになった。と言っても実物としてのラジオは手放してしまっているため、アプリを利用している。便利なのは、聴き逃した番組でもある程度遡って視聴できることであり、学生時代にこのアプリがあったら、ずっと聴いていたかもしれない。 radiko https://apps.apple.com/jp/app/radiko/id370515585 久しぶりにラジオを聴くと、いろいろと想い出すことがある。中学生の時に初めて自分の「オーディオ」を持たせてもらい、夢中になって聴いていたが、ラジオで「洋楽」を聴くことで、世界の一端に触れるような気がしていたことを、ハッキリと思い出した。 子供の頃、父が…
とにかく学校が苦手だった僕は、どうすれば「普通に通えるのか」を当時必死に考え、「俯瞰する」ということを覚えた。「俯瞰」という概念さえ知らなかった小学校3年生の頃だったように記憶している。 僕の母は学校が大好きだった人のため、僕が行きたがらない理由が全く理解できなかったらしい。僕がオトナになってからその辺のことを話すと、母の感覚には無い学校の姿というものがあり、「無理に行かせて悪かった」と謝られたことがある。 子供にとっては、親の「方針」は絶対的なものになってしまうことが多々あり、反論しても「言い訳するな」や「屁理屈を言うな」という言葉で封じ込まれてしまう。僕なりの正当な「理由」があったのだが、…
東京の下町にある、友人の店を初めて訪れた。バイオリニストである彼の店の前を通ったことなら何度もあったのだが、たまたま休みだったり所用があったりして立ち寄る機会が無く、どんなことを自分の店でやっているのかずっと気になっていた。 彼との出会いは、僕がお世話になっている地元のカフェがある「シェアアトリエ」の、オープンイベントでのセッションだった。「バイオリニストが来るから何か演奏して欲しい」と言っていただき、彼を紹介された際に、何をやるのかを打ち合わせしようかと相談したら「打ち合わせナシで行きましょう」と言われ、まさに「アドリブ」で演奏することになった。 僕はギターを持ってきていたので「伴奏」に回る…
仕事柄「イベント」に関わることが多く、特に昨年からはボランティアで「裏方」として参加することも増え、「損得勘定」ではない継続性のある繋がりも増えてきている。 イベントにはたくさんの人間が関わり、名刺もすぐに「売り切れ」になってしまう状態だが、かと言って本当に意味のある繋がりにまで「発展」することは多いとは言えない。最近は、誰とでも名刺を交換することは控えるようになってきている。 最近知り合った方は、アレルギーにも優しい米粉の「サンドイッチ」を作っていて、たまたま訪れたカフェで、試食させていただいたことがきっかけだった。食べてみると人柄が伝わってくるような優しさを感じることができ、短時間のやりと…
拙いブログを、なんとなく「100日」を目標に継続してきた。音楽を数十年継続していても、やはり新しいことに挑戦するのは「未知の世界」に踏み込む感覚があり、僕なりに「悪戦苦闘」してきた経緯を記録できたことに、一定の「意義」はあると感じている。 記事をストックしておけば、その分は「楽」になるかもしれないが、自分の思考の「アーカイブ」を作ることが一つのテーマでもあり、書いている「今」を残す「速報性」を重視しているため、書きためることはしていない。毎日7時の更新という自分に課した「ノルマ」をこなすために、今も午前4時に書いている。 継続「120日」を越えた現在、書くことのメリットとして、予想通り思考の「…
理想と現実の狭間に、「落としどころ」というものがある。「妥協」と言ってもいいのかもしれないが、もう少し前向きな意味で、「できること」と「できないこと」の区別をしっかりやるというニュアンスで捉えたい。 「理想」や「志」を持たなければ、「質」の向上は望めない。「できること」だけに囚われてしまったら、「現状維持」が精一杯になってしまうだろう。そこに「不満」を感じるなら、「できないこと」にも挑戦していかなければならない。 ただ、「現状維持」も簡単ではない。同じことをもう一度やるには、もう一度同じ「エネルギー」が必要であり、それが確実にできる「保証」は無い。「満足」までは得られなくても、それなりの「及第…
来月都内で開催されるイベントに、実行委員として関わることになった。あまり開催までの時間が無いため何ができるかわからないが、昨年夏の「音楽フェス」での体験を活かしつつ、自分にもできることを考えたい。 イベントの開催には、想像以上に様々な準備が必要になる。規模が大きければ行政や地域との「連携」や「理解」を得るだけでも、「信頼関係」を構築するための膨大なエネルギーを費やす覚悟が無ければできることではない。 昨年の「音楽フェス」でも感じた「最も難しい」こととして、運営側で参加する人たちの「想い」を、どうやって「共有」してゆくのかという点がある。参加する以上は何かしらの「共感」があるはずなのだが、そこに…
「作詞」や「作曲」のような「創作活動」は、基本的に自宅での作業になる。楽器やパソコンなど使い慣れた道具が揃っている「利便性」は、やはり自宅ならではだ。 ただ、より良い「作品」がどこで生まれやすいのかを考えると、必ずしも「自宅」とは言い切れない。生み出された作品の「数」なら圧倒的ではあるが、「質の高さ」や「ユニークさ」という「残す価値」を考えると、「旅先」で生まれたものに、より高い「価値」を感じている。 「商品」としての作品の「価値」は、依頼主やリスナーが決めるものだが、ライフワークとして「創作活動」をしている身としては、そういう「外的な評価」だけではやっていけない。自分自身が感じる「価値」を信…
僕が初めて一人暮らしをした東京の下町は、「オリンピック開催」の影響もあり、かなりのスピードで「様変わり」していっている。 「東京大空襲」から奇跡的に被害を逃れたエリアに該当し、僕が暮らしていた頃は「長屋」がたくさんあった。商店街の賑わいも尋常ではなく、夕飯前には原宿の「竹下通り」と変わらないほどの活気を見せていた。残念なのは、10代だった僕にはその「価値」がわからず、「なんとなく」暮らしてしまっていたことだ。 商店街の「対面販売」の良さというものがあり、顔馴染みになるほど「オマケ」してくれたり、私生活の心配までしてくれたりする。「プライバシー」なんていうものに対する配慮は無いかもしれないが、初…
友人に、いつも美味しい珈琲を振る舞ってくれる人がいる。若い頃から飲んできたからこその「こだわり」を持ち、豆選びから焙煎、そして抽出まで、妥協はしない。そんな「一杯」を惜しげもなく振る舞ってくれる彼が身近にいてくれることで、僕の珈琲に対するスタンスにも、変化が出てきている。 彼の自宅の玄関を開けると、まず珈琲豆を焙煎する時の豊かな「薫り」に触れる。焙煎された豆を「自分用」と、自らが経営する「カフェ用」に分けて保存用の容器に入れてあるのだが、そこに貼られた豆の種類を示す手書きのステッカーが、雑然としながらも使い古された「味わい」があって好きだ。 彼と過ごす時間は、「今日はどれにします?」と聞かれ、…
学生の頃から、ドキュメンタリー番組が大好きだった。未だ見ぬ「世界」を垣間見ることで、ほんの少しだけ「オトナ」になれたような気がしていた。「世界」というのは、「海外」という意味だけではなく、自分の「知らないもの」というニュアンスだ。 中でも学生時代に欠かさず観ていた「CBSドキュメント」という番組は、MCのピーター・バラカンさんの「カルチャー」への捉え方が「人間愛」に満ちていて、番組を観ることで、自分の将来にとって「大切なもの」になりそうなことをたくさん教えてもらっていた。 最近聞いた話だが、友人がピーターさんに直接お会いする機会があり、その際に「CBSドキュメント」の話になった際に「スタッフの…
今年は音楽活動をよりカタチにするために、「レーベル」の設立を考えている。ミュージシャンにとって、自分の曲をどんなやり方で「売る」のかの模索だ。 既存のレーベルに所属するのも一つのやり方だが、「CD」というメディアの価値が下がり続けている現状では、何か「新しい」やり方を考える必要があり、自分がやっていきたい音楽の「在り方」を追求するには、自分で立ち上げるしかないかもしれない。 レーベルを「設立」すると言っても、特別に必要になるものは無く、自分の「作品」をここから出していると「宣言」すればいいだけだ。だからこそ、出して「終わり」にしないための「戦略」こそが、一番大切なものになってくる。 「音楽人」…
自分の店を持っていた頃、ステージを盛り上げてくれるパフォーマーを探していた。音楽はもちろん、ダンスでもコントでも、とにかく店の「目玉」として活躍してくれる人材を求めていた。 僕の店は工場を改装した建物で、メインフロアが64畳もあった。板張りなのでダンスにも最適で、「サルサダンス」のミニレッスンを音楽の合間に挟んだりしていた。楽屋もかなり広く、コスプレ系のイベントをやっても着替える場所には困らなかった。 近所のカフェでまったりと過ごしていたら、突然隣の席にいた若い男性に「マジック」を披露された。少し驚いたが、屈託のない笑顔で「パフォーマーになりたい」という夢を熱く語る姿がとても「爽やか」だった。…
自分を取り巻く状況が「苦しい」時、何かに縋りたくなる。いわゆる「思考停止」に陥ってしまい、自力での解決を放棄し、救ってくれる「ヒーロー」が登場してくれることを祈るか、「奇跡」が起きることを願う。 「ヒーロー」はいないし、「奇跡」はまず起こらない。それでも、「思考停止」してしまい凍り付いた「心」には、解決の糸口さえ見つけるチカラは無い。結局自分が動かない限り状況は「好転」するはずも無いのだが、かと言ってどうすればいいのかを考えるだけの心の「ゆとり」も無い。 「縋る」ということは、「投げ出す」ことと同じであり、「解決」に至ることは無い。そういう「過ち」を何度も犯してきた。 仕事が取れないことが続く…
僕は、「野球少年」だった。学校から帰ればランドセルを玄関に放り投げ、バットを持って空き地に向かうと、仲間たちの声が聴こえてくる。本来は18人揃わなければ試合にはならないのだが、そこにいる人数でできる適当な「ルール」を作り、「野球ごっこ」をしていた。 2人しかいなくても、キャッチボールやノック、バッティング練習はできる。とにかくボールを追いかけて走り回ることが楽しくて仕方なかった。投げるボールが速いとか、空き地の外にまでボールを投げられるとか、打球を遠くまで飛ばせるとか、どれか一つのことでもずば抜けていれば、仲間うちで「リスペクト」されるため、みんなそれなりに必死だった。 僕は仲間うちでは肩が強…
他人のことを、自分のことのように考えられる人がいる。他人が抱え込んでいる苦しみや痛み、そして喜びを「共有」できる人。そういう人に触れる機会が激減したのは、いつからだろう。 確かに「うざい」瞬間というものはある。「放っておいてくれ」と思うこともある。でも、本当に「放置」されてしまったら、人はいったいどうなるのだろう。 他人との「一線」を踏み越えてくれる人の存在が無ければ、洞窟にたった一人で閉じ込められているのと変わらないかもしれない。天井から滴る水の音を、数えるだけの人生になってしまうかもしれない。ギリギリの状態まで追い詰められた時、人はそれでも「孤独」でいられるだろうか。 他人の心の内は、当然…
僕の周りには、「よくわからない人」がたくさんいる。別の言い方をするなら、「職業不詳」であり、どうやって稼いでいるのか「謎」な人たちだ。「所属不明」と言ってもいいだろう。 何年お付き合いさせていただいても、さらに「謎」は深まるばかり…こういう人が持つ「面白さ」というものがある。共通項としては、「世間体を気にしていない」だったり、「常識に囚われていない」ということが挙げられる。 僕自身、よく「謎」だと言われるが、「褒め言葉」として受け取るようにしている。生き方として決して「わかりやすい」ということは無い。あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、何とか生き延びてきた。ただ、自分が「面白い存在」かは不…
最近立ち寄る機会の多い街、神保町。そこで開かれた映画好きが集まる少し遅めの「新年会」に、参加させていただいた。 会の運営者である方との「縁」は、僕のライブに足を運んでいただいたことだった。以前からその「存在」は良く耳にしていた方だったのだが、そこで初めてゆっくりお話しさせていただく機会を得た。 「パワフルな女性」だと聞いていたそのままの印象で、とにかく行動力の塊のような方だ。第一印象だけで、おそらく末永くお付き合いさせていただく関係性になるだろうと、勝手ながら思っていた。 お会いする二度目の機会は、数日後に訪れる。馴染みのある地元のカフェに「今来ているから遊びに来ませんか?」と声を掛けていただ…
自称「歴オタ」である僕が最もリスペクトする存在の一人に「木下藤吉郎」という人物がいる。後の天下人である「豊臣秀吉」だ。彼の若い頃の名前ということになる。 「歴オタ」である僕の「信条」として、当然のことながら本人に会ったことも話したこともない以上「真実」はわからない。飽くまでも僕の「印象」で語るのみだ。 僕にとって「木下藤吉郎」という名前には、常に「陽気さ」が伴う。数々の「伝説」を持つ彼だが、特に「織田家」に仕えて出世街道を歩み始める頃のエピソードには、心を惹かれるものが多い。 まさに「命懸け」の仕事を次々とこなしてゆくのだが、そこにはいつも「悲壮な覚悟」ではなく「陽気さ」があり、だからこそ配下…
「教える」ことを仕事としてから、自分でも驚くほど長い歳月が経った。学校が大嫌いだった僕が、まさか人から「先生」と呼ばれることがあるとは夢にも思わなかったが、今でも自分を「先生」だと定義したことは無い。 それなりに経験を積んでみても、他人に何かを「教える」ことの難しさに直面するばかりで、そこに僕自身の「学び」はあっても、「生徒」である相手から見て「有意義」なことができているかどうかは、未だにわからない。むしろ、どんどんわからなくなってゆく感覚さえある。 僕は「学校」が嫌い(苦手)だったし、その感覚は「先生」という存在に対しても同じだ。だからこそ、自分がその立場になってみた時の「危険性」について、…
僕は心が乱れると「ヒゲ」を剃らなくなる。正確には、剃ることにまで「気が回らない」という感じだ。自宅で作業できてしまう仕事だからこそ許されることだが。 ヒゲを剃らないということは、「鏡」も見ていない。自分を「客観視」しなくなるということなのだろう。とにかく、自分自身とまともには向き合いたくない。完全なる「逃避」だ。 こうなれば、「暮らし」そのものも「崩壊」し始める。食生活も酷い有様になるし、デスクの周りもゴミが目立つ。それでも、そこにまで「気が回らない」のだ。 外部と連絡と取ることも「憂鬱」に感じてしまい、「申し訳ない」と思いながらもどうしても連絡をすることができない。自分でも「これではダメだ」…
幼い頃、四畳半一間の木造アパートに家族3人で暮らしていた。トイレは共用、風呂は無い。母がよく、「給料日まで3日もあるのに残り10円しかない」と言っていたことを覚えている。若い父には「経済力」が皆無で、家計はいつも「火の車」だっただろう。 それでも、僕自身は「貧しい」とは思わなかった。同じアパートの住人は皆良い人ばかりで、夕飯のおかずを「シェア」したり、スーパーの安売りの情報交換をしたりして、お互いに支え合いながら暮らしていた。 お風呂が無いため銭湯を利用するのだが、「引率役」のお母さんたちは交代制で僕たち子供の面倒を見てくれた。みんなでワイワイお風呂に入る、週に3回ほどある「銭湯の日」がとても…
何か「新しい」ことを始める時に、一人ではできない領域があれば誰かと「組む」必要がある。「本気度」が高いものであるほど、その選択は慎重にならざるを得ない。 「組む」こと以上に「離れる」ことにはかなりのエネルギーを要するし、組む「相手」に足を引っ張られてしまうこともある。一人ではできないからと言って、気軽に声を掛けるわけにはいかないだろう。 実際に一緒に動いてみるまではわからないことも当然あるが、僕にとって声を掛ける際の「基準」は、組むために必要な領域の「スキル」よりも、「利他的」に動ける人かどうかだ。 他人と仕事上の関係性を作るうえで、最も手っ取り早いのは「お金」だ。報酬のやりとりが発生すること…
僕の父方の「本家」が長年守ってきた「墓」を、近い将来に「壊す」ことになりそうだ。「跡継ぎ」不在の状況では、仕方のないことだろう。「本家」はそれなりに立派な家だが、それも取り壊す話が出ている。 それに伴い、市役所で「戸籍謄本」を入手し、どういう血縁者が墓に入っているのか、連絡を取れそうな人はいないかを調べた。江戸末期からの「家系図」がどうなっているのかを初めて見たのだが、わずか4代ほどの先祖のことも何もわからず、知らない名前ばかりだ。 父方の家は「複雑」で、特に戦前から戦後にかけての状況の中で「養子」に出されたりすることも多く、当時としては珍しくはない「混乱」が見て取れる。 その中に、会ったこと…
僕は、一度も修学旅行に行ったことが無い。旅行は大好きなのだが、「行事」というものが持つ「強制力」が、子供の頃から苦手だし、今でもその感覚は変わらない。 運動は好きでも「運動会」は苦手だし、呑むことは好きでも「呑み会」は苦手だ。とにかく「団体行動」と呼ばれるものに参加「させられる」ことが苦痛で仕方がないのだが、大人になるとそうも言っていられないこともある。 音楽は好きでも「合唱」の練習ほど辛いものは無く、まさか自分が「歌う」ことを仕事として選ぶとは思っていなかった。あの頃の自分が今の姿を見たら、驚愕するだろう。 いや、意外と驚かないかもしれない。と言うのは、僕が苦手なのは「強制」であり、「音楽」…
普段全くテレビを観ない僕でも、その存在に救われた「記憶」がある。 上京して音楽の仕事に就いたものの、上手くいかない時期があり一時的に実家に戻った。ジャズドラマー崩れで音楽に理解のある父ではあるが、やはり心配なのだろう。事あるごとに僕との生き方に対する考え方の違いから、「摩擦」は増えていった。 僕の将来を心配する父は、「就職」の話を持ってきた。工業地帯にある薬品関連の化学工場に、住み込みで働く仕事だ。働きながら音楽をやればいいと言うが、趣味ならともかく仕事としてやってゆくなら、休日が日曜日しかなく、平日の夜に楽器の練習ができるかもわからない環境では、事実上「諦める」ことも覚悟しなければならない。…
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