本堂背面の彫刻は6点のうち一つが欠損していました(黄色丸部分)。右端の彫刻から見ていきます。 タイトルのすぐわかる彫刻はありがたいです。こちらはわかりやすいですね。丁蘭。 木像を針でつついて祟りにあった奥さん。 二つ並んだ両親の木像。左がお父さんで、右がお母さんっぽいですね。 「二十四孝教近道」の丁蘭。 国立国会図書館デジタルコレクションより
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
左の脇障子は王祥。 大きなお魚ゲット。 でも寒そう・・・。 親孝行も立派ですが、やはり中国の切手の王祥のように防寒対策・釣り具を準備万端の上、御身大切にしてほしいものです。 まあ、この図が社寺彫刻にエントリーされることはないでしょうけれど・・・。 ↓こちらの札の文字は、一番上に「氷」、三文字目は「臥」かな、とかろうじてわかる程度。 「 臥氷求鯉 」 (氷に臥して鯉を求む)と書かれているのかな。 ーーー 相州真鶴 貴船神社の彫刻 終 ーーー
祖霊社、右側の脇障子。階段の前に男性が一人。これはだあれ。 帽子がうさぎみたい。 神社で見ていた時は気づきませんでしたが、画像を見ていたら、脇障子の右側に木の札がありました。 うすくて分かりにくいのですが、文字が見えます。 書かれているのは「清朝二十四孝 親嘗湯薬 親(みずか)ら 湯薬を嘗(な)める」だと思われます。 ということで、「親嘗湯薬」といえば漢文帝。漢文帝と特定できました。 母親の太后や漢文帝の奥さんなどが登場しない、階段と文帝のみの絵柄は八千戈神社や三嶋大社にも見られますね。 ↑八千戈神社。ウサギみたいな帽子も一緒。 ↑三嶋大社。階段の前に文帝。
神奈川県足柄下郡真鶴町 相州真鶴 貴船神社(そうしゅうまなづる きぶねじんじゃ)
伊豆の真鶴半島に鎮座する貴船神社。右の大きな建物が現在のご本殿。 彫刻があるのは奥の祖霊社。旧ご本殿らしいです。 小ぶりの狛犬ですね。脇障子に二十四孝の彫刻がありました。 ちなみに京都の貴船神社とは関係ないようです。
最後は「唐夫人」。あちこちの彫刻でいくら見ても気持ち悪さは薄れない・・・。 説明も省略。 さて、今回の4つの彫刻に登場したのは「楊香」「丁蘭の妻」「姜詩の妻」「唐夫人」。なぜか女性ばかりです。男性は影が薄いですね。 メジャーな「楊香」「唐夫人」以外の彫刻に、「郭巨」や「孟宗」「大舜」でなく、「丁蘭」が入っているのも面白いです。しかも丁蘭本人は不在で隣人さんが暴れるシーン。たいていは丁蘭夫婦が像にお供えを捧げる場面が多いのですけどね。 ーーー 練馬区長命寺の彫刻(終) ーーー
3番目は「姜詩」。これも昨日の「丁蘭」同様、水を汲んでいるのは姜詩本人ではなく姜詩の奥さんでしょうね。 水を汲む奥さん。泉には大きな魚が二匹。 家の奥にいるのは姜詩の母親。お嫁さんにちゃんと感謝しているのかしら。
左から二番目は「丁蘭」ですね。「丁蘭」の彫刻だけど「丁蘭」は不在という。棒を持って木像を叩こうとしている男性は隣人の張叔さんで、それを止めようとしているのは丁蘭の奥さん。丁蘭はいません。 ほぼほぼ、この挿絵と同じ構図ですね。「女庭訓・8丁蘭」 お話:両親の像を祀って大事にしている丁蘭を、お隣の張叔さんは常日頃からバカにしてました。丁蘭の留守中に張叔が杖で像を打ったことを妻から聞いた丁蘭は仕返しに。暴行罪(?)で収監されそうになるも、像が悲しみの涙を流したので感動したお役人が丁蘭を解放してくれた、というような話です。 木像の二人の服装や、お供えの道具類も挿絵とよく似てます。 ↓埼玉県の調(つき)…
左から見ていきます。まずは楊香。父親を守るためにトラに立ち向かう勇気ある楊香ちゃん。 二人は薪を集めに来たんですね。お父さんは腰の紐に鎌を挟んでいます。これでトラと戦う気は全くなかったようです。
東京都練馬区高野台の長命寺。 奥のほうに御影堂があります。 御影堂の扉に4面、二十四孝の彫刻があります。 左から「楊香」「丁蘭」「姜詩」「唐夫人」です。明日からひとつずつご紹介します。
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本堂背面の彫刻は6点のうち一つが欠損していました(黄色丸部分)。右端の彫刻から見ていきます。 タイトルのすぐわかる彫刻はありがたいです。こちらはわかりやすいですね。丁蘭。 木像を針でつついて祟りにあった奥さん。 二つ並んだ両親の木像。左がお父さんで、右がお母さんっぽいですね。 「二十四孝教近道」の丁蘭。 国立国会図書館デジタルコレクションより
左から二番目(左端は欠損)の彫刻がこちら。一段高い所で脇息に凭れている女性らしき人物。手前の男性がお茶を運んでいる様子。これは漢文帝ね、と思いましたが。 でもお堂の反対側の面にも漢文帝かと思われる彫刻があったので、もしかしたらこれは漢文帝ではないのかも、という疑念が。 そう考えると、「漢文帝」にしては彫刻の左半分に不自然な空間がありますよね。 御伽草子の黄山谷。 もしかして、本来ここに尿器を持った黄山谷がいたのではないかしら? そう考えると、お茶を差し出している人物は皇帝(漢文帝)と言うよりも女性に見えてきます。うーん、男性かな。女性かな。 カーテンの隙間から覗く女性の口元はちょっと不気味。 …
これは間違えないですね。男性三人が大木の前で協議中といえば田真兄弟。 御伽草子の田真兄弟。
本堂正面右から三番目の大舜を先頭に、時計回りでご紹介しています。本堂左側の面は彫刻が一つ置きに欠損していました。残念ですね。 左面一番右の彫刻がこちら。 盗賊と正座している男性の間にカゴが二つ。蔡順ですね。 赤丸の中の二つのカゴはわかりますが、その下の切株みたいなのは何でしょう。もしかして肉??撮影する時カゴを見て「蔡順ね」と満足してしまいました。頑張ってもう少し高い位置から撮影すればよかった。 角度を変えてもう一枚。うーん、わかんない。 御伽草子の蔡順。 【追記】二十四孝教近道の蔡順。国立国会図書館デジタルコレクションより この絵を参考にしているようですね。だとしたらやっぱりカゴの下の物体は…
正面一番左の彫刻がこちら。 何か手に握っています。最初は鍬を持った男性かと思いました。 でも腕を伸ばして多少高い位置から撮影した写真を見たら・・・。 姜詩(の奥さん)ですね! 鍬かと思ったのは柄杓でした。水の桶もあります。 御伽草子の姜詩。 奥さんはこういう顔。 鯉はこの、色がちょっと変わった部分かなあ?と思うのですが。二匹いるのかよくわからないです。
本堂正面の彫刻、左側3つの蟇股彫刻です。右が昨日ご紹介した楊香。今日は中央の彫刻をご紹介します。 たなびく雲の上に乗る天女。天女を見上げて見送る二人。董永ですね。 天女らしくヒラヒラリボンのついたお召し物。ここの彫刻ももともとは彩色してあったようなので、天女はきっと華やかだったでしょうね。 人物は二人。左の人は少年でしょうかね。後ろが董永かな。 御伽草子の董永も二人でお見送り。
額の左上にある孝子は楊香。 楊香は父親と山へ行った際、虎に出くわし、父親が食べられそうになりました。父親思いの楊香は「父さんの代わりに私を虎に与えて下さい」と天に祈ったところ、虎は静かに去っていきました。 というお話が有名なのですが。楊香ちゃん、何持ってるのーーーー? 斧ですか。マサカリですか。違いがよくわかりませんが。楊香のやる気はわかります。楊香ちゃん、この虎は話せばわかる虎。 虎は早く逃げた方がいいと思うわ。 楊香は本気よ。 石を投げる楊香は見たことありますが、武器を振り回しているのは私は初見です。書籍でも見たことないような。武闘派楊香の彫刻は他にもあるんでしょうか。
本堂正面の蟇股は6点とも彫刻が残っていました。右から三番目の彫刻は二十四孝の書籍ではよくトップに紹介される大舜です。「施無畏」扁額の右上の蟇股です。ここから左へ、時計回りに毎日一つずつご紹介していきます。 大舜の彫刻は大抵とても良い場所にあるのですが、額の陰になって目立たなくなってしまいがち。建物を設計する時には額を掛けることは予想しなかったんでしょうかね。 大舜の首は欠損してるようですね。鍬を担いでいる様子ですが、鍬も先の部分が折れていますね。 象と鳥。
栃木県栃木市の真言宗豊山派のお寺、太山寺。onijiiさんから情報いただきました。どうもありがとうございます。 一瞬たじろぐ長い階段の先に観音堂。 本来は観音堂の周囲4面に各6点ずつ二十四孝の彫刻があったようです。残念ながら5点欠損していました。19点の彫刻を明日からご紹介させていただきます。 まだ孝子の名前を特定できないものがありますので、皆様のご意見を賜りたいと思っています。よろしくお願いいたします。
剡子。ふりがなは「せんし」になっているので「せんし」か「ぜんし」ですね。本によっては「えんし」と読んだりちょっと違う字で「たんし(郯子)」と読んだりいろいろです。鹿の格好して鹿の群れの中にいたために狩人に狙われた人です。 ARC古典籍ポータルデータベースより 剡子 伽夷国の人なり 二親に孝をつくされける也 老親思鹿乳 身掛褐毛衣若不高声語 山中帯箭皈 老親鹿乳をおもふとは。老たるおや両眼あしきゆへ鹿の乳をほしく。おもへるなり 鹿乳は。鹿の乳の事なり 身に褐毛の衣をかくるとは。ししの皮をかぶり山中にいたり。あまたの鹿の中へまきれ入て。鹿の乳をとりて親のねかひを。かなへんとおもふ孝行の心あはれ也。…
袖からミカンが転がり落ちた陸績。 ARC古典籍ポータルデータベースより 陸績 呉の国の人なり 六つの年 遠述(袁術)といふ人の本へ。ゆきけるに菓子に橘を出せり 陸績ひそかに。是をとりて袖にいれて。かへりさまにとりおとしけり 袁述是をみて。おさなき人に。にあはぬ事なりと。わらひけれは。りくせき。いふやうあまり。見事に候へは母にあたへんためなりといひけり 袁述きいて。おさな心に。かやうの事は古今まれなりと。ほめたり。それより孝行世上にかくれなき也 孝悌皆天性 人間六歳児袖中懐緑橘 遺母報含飴 孝悌とは。孝の心をいふ也 皆天性とは。かやうにおさなき人の此心あるべきや とかく。うまれつくといふ心也。天…
田真兄弟は相続の際にトラブル発生。三等分して伐って分けようとした木が枯れだしました。 ARC古典籍ポータルデータベースより 田真 田廣 田慶 此三人は兄弟なり 父死て後財宝を三つにわけてとりけり。しけい樹とて木あり。それをも。三つにわけて。とらんといふ。其夜かれたり。草木心なしといへともかかるためし。ふしぎ成事也 海底紫珊瑚 群芳総不如春風花満樹 兄弟復同居 海底紫さんごとは。しけい樹の木をほめていふ也 海底は。うみのそこと。よむ字也。紫さんごとは。むらさきの。さんごじゆ也。うみのそこにあるさんごじゆのごとく。うつくしく花さき実なる木也。 群芳すべてしかずとは。くんほうは兄弟の事を。よそへてい…
盗賊の前で、どっちが太って美味しそうか言い争う兄弟。盗賊には自分を食べさせて、もう一人は逃がそうとする麗しい兄弟愛。 親孝行部分は薄めです。張礼が山中で盗賊に殺されそうになった時、「母親にご飯食べさせてから戻ってくるので、それから殺してくれ」と盗賊に申し入れたことくらい。 ARC古典籍ポータルデータベースより 張孝張礼 兄弟なり。世間ききんの時八十あまりの母をやしなへり。家まづしくて万事とぼしき人なり 偶値緑林児 代烹云痩肥人皆有兄弟 張氏古今稀 偶緑林児にあふとは。有時張礼木の実を。ひろいにゆきけるに。盗人ともがはやしの中にて張礼に。あひたる也 緑林とは。みとりのはやし也はへしげりたる事也 …
亡き親の木像を作って毎日生きている人のように敬った丁蘭。 ARC古典籍ポータルデータベースより 丁蘭 河内の野王といふ所の人なり。十五のとし母におくれけり。かなしみて母のかたちを木像につくりて。朝夕いきたる時の。ごとくにつかへけり 或とき丁蘭か妻 火を。ともすとて木像のおもてこがしければ。かさのごとくにはれ。うみ血ながれけり。二日を過て。丁蘭が妻の頭の髪。そりおとしたるやうに。ぬけたり驚て扨は木像のとがめ成べしと。木像を大道へ出しをき妻に三年侘言をさせければ一夜風吹。雨ふりて。木像みづから内へ帰けり。それより何事も此像に。うつたへける也。 刻木為慈母 形容在日身寄言諸子姪 聞早孝其親 木を刻慈…
深夜、お墓のまわりをうろつく怪しい人物は王裒。 ARC古典籍ポータルデータベースより 王裒 晋の國。えいゐん(営陰)といふ所の人也 賢人にて官にも位にも。つかずまづしくしてもさらにたくはゆる事もなく。かうさくをし世をわたる也 有時父の王義。罪なくして帝文帝に。ころされしかば是をうらみて。かりにも文帝の。おはします方へ。むく事なし。其方をあとにして居ける也。我みかどに。つかへぬといふ心也。父の墓にゆきて柏の木に。取つき。なきけるほどに。泪木にかかりて枯たり。母は又つねに神なりを。おそれしかは死て後も。母の墓にゆき。それがし爰に。まいりたりとて。母に力をつけけると也 慈母怕聞雷 氷魂宿夜臺阿香時一…
母親の下の世話を進んで行う黄山谷。奥さんをこき使った姜詩にも見習ってほしいですね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 黄山谷 宋朝の人也 詩は東坡の弟子なり 家富貴にして人あまためしつかひしとなり 貴顕聞天下 平生孝事親 汲泉涓溺器 婢妾豈無人 貴顕天下にきこゆとは。山谷官職たかけれは。其名天下にかくれなきをいふ也 平生孝にして親につかうとはつねつね孝行にして。おやによく。つかへし人にてあるとほめたる心也。 泉を汲て。にようきをあらふとは。母のやめる時は、みつから大小便をとり。きよき水を汲て。けがれたる入物を。てづから。あらはるる也。是をもつて其意(こころ)をしるべし其外の孝行をや。 婢妾…
父親の病気平癒を星に祈る庾 黔婁。 ARC古典籍ポータルデータベースより 庾黔婁 南斉の時の人也。セン陵県といふ所の官人になりて。此所にゆきけるか。いまた十日にもならさるに。俄に。むなさはぎ。しければ父の煩給ふにやと。官をすてて帰りければ、あんのごとく。父万事かぎり也黔婁医師によしあしをとひけれは。病人の。ふんをなめて。みるに。あまくにがくはよかるへしといふ。きんろう。なめてみれば。あぢはひ。医師の。いひけるとは違てよろしからず。泪をながして。父の死せん事を。かなしみ。北斗の星にいのりて。我 身がはりに。たたんと。きせひしける程の孝行成人也 到縣未旬日 椿庭遘疾深願将身代死 北(※塑)啓憂心 …
桑の実を仕分けしていて助かった蔡順。 ARC古典籍ポータルデータベースより 蔡順 後漢の代の人也 汝南といふ所に住けり 父にはなれて母をやしなふ 其頃。王莽といふもの乱をおこし天下乱て飢饉なれは食じに。乏しけれは母のために桑の実をひろひし人なり 黒椹奉親闈 啼飢泪満衣赤眉知孝順 牛米贈君帰 黒椹しんゐにほうずとは。こくじんは。くろき桑の実也。しんゐにほうずとは母に奉るといふ心也 啼飢泪衣にみつとは。ききんにあふて母をはごくみ。かねて。かなしむなみた袖をひたすといふ心也。 赤眉かうしゆんを知りとは。せきびは。えびす国の名なり。此ものども蔡順が孝行をかんじたるといふ事なり。 牛米を君に。おくつて帰…
体温で氷をとかして魚を捕まえる王祥。 ARC古典籍ポータルデータベースより 王祥 魏の代の人なり。いとけなくして母にはなれたり。父又妻を持 名を朱子と。いひけり。継母のならひなれは。父子の中をあしく。いひなして。にくませけれども。うらみとも。おもはず。かへつて。かうかうをつくしける人也 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 継母人間にありとは。けいぼといふもの。人間の中には。あるならひなりといふ事也。 王祥天下になしとは。まへにいふごとく。継母といふものは世上に。たくさんありて。まま子を。にくむものなるが。王祥か。やうなる。まま母に孝行なる。ものは天下になしと。ほめて。作りたる也。 い…
薪採りの最中に胸騒ぎを感じて急いで帰宅した曽参。薪はちゃんと担いで帰ってきました。孔子の弟子ですが、子路や閔子騫のように孔門十哲のメンバーには入っていないんですね。 ARC古典籍ポータルデータベースより 曽参 山東兗州府嘉祥縣の人也 孔子の弟子曽子の事也家まづしけれど道を。まなびて道統の伝をつぎたる人也 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰未晩 骨肉至情深 母指纔方噛とは曽参が留守に。人きたりければ。いまかへれかしとおもひて母ゆびをかみたる也。わづかにかむとは そとかみたる也 児。心いたんでたへずとは。児はちごといふ字にて。そうしんが事也心はむね也 山に。たききを。とりて居けるに。俄にむねがいたみてた…
老親の前で踊る老莱子。玩具や楽器も持たず、普通の服で踊ってる感じですね。これがだんだんヒラヒラの派手な服着て太鼓やラッパ持って、近所の子供も呼ぶようになっていくんですね。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 老莱子 戯舞学嬌癡 春風動綵衣雙親開口笑 喜色滿庭闈 老萊子至孝 奉二親 行年七十 身省五色斒斕之衣 為嬰児戯於親側 養極甘脆 言不称老為親常取食上堂 詐跌而偃 作小児啼以娯親 ーーー こちらは八千代市飯綱神社の老莱子。老莱子の、これが最終進化形態?
裸で氷の上に寝そべる王祥。服は木の枝に掛けてあり、割れた氷から鯉が二匹顔を出している、「王祥」の基本形ですね。それにしても鯉が大きいです。一人では持ち帰るの大変そう。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷模 王祥魏時人 早喪母 継母朱氏不慈 数譖之 由是失愛於父母 常欲食生魚時天寒氷凍 祥剖氷求之 氷忽自解雙鯉躍出持帰供母 毎氷凍天寒有人形臥氷上 今在肇慶府 ーーー
山で薪採りの最中、胸騒ぎがして急いで帰宅した曽参。束ねた薪を脇に置いて、母親の身を案じています。曽参の不在中に客が来た、というだけのことなんですけどね。親子の心が通い合った、というところが重要なポイントです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参母指纔方齧 児心痛不禁負薪帰未晩 骨肉至情深曽子名參 字恭輿 其母一日有親客至 家貧無具 母齧其指參採薪山中 忽心痛即負薪以歸 跪母問其故 母乃云 ーーー
仲違いした両親の仲裁をする閔損。怒る父親、子供二人とともに追い出される継母、継母をかばう閔損。社寺彫刻でもよく見かける代表的な構図ですね、 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔損閔氏有賢郎 何曽怨晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔損字子騫 早喪母 父娶後妻生二子 母嫉損所生子衣以綿絮衣損以蘆花絮 冬日令損御車躰寒失靷 父察之 欲遣後母 損啓父曰母在一子寒 母去三子單 母聞之悔改 遂成慈母 ーーー
雪の積もる竹やぶで泣いている孟宗。 タケノコ3本あるようですね。孟宗は泣いていて、まだタケノコが生えてきていることに気づいていない様子です。早く収穫しないとタケノコは立派な竹になってしまいそう。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孟宗涙滴朔風寒 瀟々竹数竿須臾春笋出 天意報平安 孟宗 字恭武 母年老病篤冬月思笋食宗往竹林中泣竹而告天有頃地上出笋數莖 持歸作羹供母 食畢而病癒 ーーー
三番目は丁蘭。 木像と言われなければ、生きている両親に食事の支度をしているところに見えます。家の中にこんなリアルな等身大の像が並んでたら怖いわ。 国立国会図書館デジタルコレクションより 丁蘭刻木爲父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭父母死 思慕骨肉乃刻木為象而事之以報其本 其妻不敬 以針刺之 血出 蘭帰見之棄妻 大泣不止 令人父母倶存者 可不敬乎 ーーー
恭しく母親に飲み物を運ぶ漢文帝。 国立国会図書館デジタルコレクションより 漢文帝仁孝臨天下 巍々冠百王 漢廷事賢母 湯藥必親甞 前漢文帝 高祖之子 母薄太后 帝奉養無怠 湯藥必親嘗而後進母 乃爲仁孝之賢君也 ーーー
トップは大舜。挿絵に「帝国図書館蔵」のハンコがドーンと押されています。もうちょっと描き込みの少ない部分に押してほしかったです。わざわざ大舜の顔に押さなくても。 国立国会図書館デジタルコレクションより 象の背中と、上から垂れている木の枝との間に、鳥が二羽飛んでいるようです。 新刊全相二十四孝詩選 延平尤溪郭居敬撰 大舜隊々耕春象 紛々耘草禽 嗣堯登寶位 孝感動天心 大舜至孝 父頑母嚚 弟象傲 舜耕於歷山 有象為之耕 鳥為之耘 其孝感如此 堯聞之 妻之二女 譲以天下 ーーー
明日からは「二十四孝詩選(全国書房) 禿氏祐祥 編 1946年」を見ていきます。国立国会図書館デジタルコレクションの中にあります。 禿氏祐祥(とくし ゆうしょう)さんは仏教学者であり、また龍谷大学の名誉教授でもあった方だそうです。 「龍谷大学蔵 甲本」と呼ばれるものです。「乙本」には挿絵がないそうです。 ↓一枚目の画像。黒の無地の表紙に見えます。 ↓二枚目の画像。左側に題字が書かれているのがわかります。 上の二枚は明るさを変えた、同じ表紙のようです。右上の管理シール(311ー106)が一緒ですね。 こちらが表紙の次のページです。 ハンコが押されてますね。拡大してみます。 「写字臺(台)の蔵書」…
ラストは陸績。果実は「三枚」と文章に書かれているので三個転がってるところです。この袁術がいる場所はお屋敷ではなく野外の陣営みたいですね。何も戦の最中に袁術を訪ねていかなくても・・・。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 陸績孝悌皆天性 人間六歳兒袖中懷緑橘 遺母報含飴 陸績字公(紀?) 年六歳 於九江見袁術 術出橘 績懷三枚去拜墮地 術曰 陸郎作賓見懷橘乎績跪答曰 欲帰遺母 術大奇之 ーーー 上の絵の袁術の雰囲気は鳥居清経の「陸績」の袁術と似てますね。 ーーー 全相二十四孝詩選 終 ーーー
残り二人になりました。まずは楊香。 虎と戦う楊香。虎はカメラ目線? 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより楊香 深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身饞口中 楊香其父爲虎曳去 香搏虎遂免於害 (饞七咸石???) ーーー
22番目は田真・田廣・田慶の三兄弟です。 親の遺した木を伐る相談を兄弟三人でしていたら、一晩で枯れてしまったというお話。伐るのやめたら木は再び元気になりました。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 田真海底紫珊瑚 群芳總不如春風花滿樹 兄弟復同居 田真田廣田慶兄弟 欲分財産堂前紫荊一株 花葉茂盛 夜議斫分爲三 暁即憔悴 真乃嘆曰樹本同株 聞分斫尚如此 人何不如也兄弟由是 不復分焉 其花再發 ーーー
21番目は張孝兄弟。お兄さんが張孝、弟が張礼ですね。弟の張礼が母親の食料確保のため出掛けたところ、賊に襲われて張礼は食べられそうになりました。 張礼は母親に食事を与える時間をくれるよう賊に乞い、急ぎ帰宅して母の食事の世話をして、再び賊のもとへ。 お兄さんの張孝が追いかけてきて、「僕のほうが太ってるから僕を食べて。弟は助けて」と賊に嘆願。賊は兄弟愛に感動して二人を解放しました。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 張孝張禮偶値緑林兒 代烹云瘦肥人皆有兄弟 張氏古今稀 張孝張礼家貧 兄弟二人 礼養母拾菜於路遇賊將烹食之 礼云 乞回家 供母早食 却来就死 孝聞自詣賊曰 礼瘦不如孝…
右側のページは剡子とゆ黔婁。左のページは張孝張礼と田真兄弟。いろんな文献を調べたところ、どうもこの間に本来あったページが失われているようです。2ページ分の、4人の孝子が見られません。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 17~20番までの4人は郭巨・朱壽昌・王裒・黄山谷のようです。見られなくて残念です。
ゆ黔婁が16人目。自分が身代わりになるので病気の父を救ってください、と星に祈っています。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 庾 黔婁到縣未旬日 椿庭遘疾深願將身代死 北望啓憂心 庾黔婁南斉時人也 爲孱陵令人到縣未旬日 忽心驚流汗 即棄官歸父疾已二日 醫云 欲知瘥劇 但嘗糞苦則爲佳黔婁嘗之甜滑 心愈憂苦 至夕 稽顙北辰 求以身代 ーーー
さて15人目は鹿の毛皮をまとった剡子です。 剡子の絵や彫刻では猟人が放った矢を剡子が手で掴んでいる構図を時々みかけます。この絵もそうじゃないかなー。馬を引っ張っているように見えますが。剡子と馬の間にあるのは鹿のミルクを入れる容器でしょうね。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 剡子老親思鹿乳 身掛褐毛衣若不髙声語 山中帶箭歸 剡子父母年老 倶患双目 思食鹿乳 剡子衣鹿皮 入鹿群之中 以取鹿乳獵者見欲射之 告(斬) 乃免 ーーー 香取市府馬愛宕神社の剡子。
14番目の孝子は呉猛くん。服・・・着てるよね?? ↓ この文章を見ると、確かに「服を脱いだ」とは書いてない・・・。「蚊を追い払わなかった」とは書いてあるけれど。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 呉猛夏夜無帷帳 蚊多不敢揮恣渠膏血飽 免使入親闈 夏の夜 帷帳なく 蚊多けれども 敢て 揮はず渠(かれ)をほしいままに 膏血に飽かしむ親闈(しんい)に 入らしむることを 免れしむ 呉猛年八歳 有孝行 家貧無帷帳夏不驅蚊 恐去己而(噬?)其親也 ーーー こちらは鍥便蒙二十四孝日記故事の呉猛(右側)。挿絵では上半身脱いでますが、こちらも文章には裸になったとは書いてないですね。でも服を…
13人目は唐夫人。 中国のサイトで唐夫人の銅像について説明しているのを翻訳してみたら、「姑に乳をあげるという彫刻は、二十四孝のひとつで、昔の先祖が代々受け継いできたもので、今の若い人には理解できないかもしれませんね」と書いてありました。 昔の若い人でも理解しにくかったのでは。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 唐夫人孝敬崔家婦 乳姑晨盥梳此恩無以報 願得子孫如 崔南山家之盛 室比山南曾祖王母長孫夫人 年髙無齒祖母唐夫人 事姑至孝 毎旦櫛縰拜於階下即升堂乳其姑 長孫夫人不粒食 數年而康寧一旦疾病 長幼咸集 宣言 無以報新婦恩願新婦有子有孫皆如新婦愛敬 則崔之門安得不昌大乎 …
12番目の孝子は蔡順。カゴは二つ。一つに見えるけれど二つ。積み重ねてるのかしら。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 蔡順黑椹奉親闈 啼飢涙滿衣赤眉知孝順 告米贈君歸蔡順汝南人 王莽未 天下大荒 順拾桑椹赤黒異器盛之 赤眉賊見而問之曰 黒者奉母赤者自食 賊知其孝乃遺米三斗 牛蹄一隻而去 ーーー
11人目の孝子は姜詩。さあ三人のうち、どれが姜詩でしょう。 右側の女性は姜詩の奥さんですね。魚が二匹水面から顔を出しています。多分左の人物が姜詩の母親で、中心にいるのが姜詩だと思います。中心の姜詩が左の母親に飲み物を手渡しているところかな?鯉はまだ捕まえてないから魚料理ではないですよねっ。 中国国家図書館•中国国家デジタル図書館ウェブサイトより 姜詩 舎側甘泉出 一朝雙鯉魚子能知事母 婦更孝於姑 姜詩事母至孝 妻奉順尤謹母好飲江水 妻出六七里沂流而汲姑嗜魚鱠 夫婦常力作供鱠呼憐母共之 舎側忽有湧泉 味如江水毎旦輙出双鯉魚 以供二母之膳 ーーー