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  • 葵から菊へ そして「**」へ

    「鉄の造形作家武田美通」の作品保存と展示運動をされている仲内さんと昨日意見交換をしましたが、管理人のBlog「葵から菊へ」の話になりました。仲内さんは「葵から菊へ」から続く、平和の象徴があればと言われ、「オリーブ」を推奨してくれました。2012年のBlog記事を転載します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葵から菊へそして「**」へ管理人は『天皇の手術に関連した記事をブログにエントリーしました。』と知人友人にメールをしたところ、ある友人から次のようなレスポンスがあった。『「葵から菊へ」の「菊」で留まっている「ブログの銘」が気になります。「葵から菊へそして**へ」にはならないでしょうか。「**」へ民衆の「花」を先取りしてもらえませんか。民衆はとっくの昔から「菊」は「残菊」あつかいしていますが、菊を...葵から菊へそして「**」へ

  • 「鉄の造形作家武田美通」

    「第6回新宿平和のための戦争展」で、展示していた「鉄の造形作家武田美通」の作品について「保存への協力」運動をされている仲内さんと意見交換をしました。菩提寺の西光庵は、以前保育園を経営していましたので墓参したときに庵主さんに聞いてみますと約束しました。昨日、墓参した時に旧保育園二階立て建物を見ましたが、檀家会館と住宅になっていました。その結果を仲内さんに電話報告をしました。30点の作品は、「恵泉女子学園大学」の研究室に保管されていますが、同大学は数年先には廃学になりますので、保管先と可能ならば「武田美通記念館」を建設したい意向があります。「女たちの戦争のための平和資料館」は、早稲田奉仕園の二階で開館しています。「旧軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会:代表川村一之」主催の「人骨発見35周年」も早稲...「鉄の造形作家武田美通」

  • (一年前の記事)故鈴木共明氏のご遺族からメールがきました

    故鈴木共明氏のご遺族からメールがきました故鈴木共明氏のご遺族からメールがきました。おはようございます。初めまして、鈴木共明遺族の鈴木信一と申します。昨日、ご連絡(郵便)を頂きブログを拝見しました。父が亡くなり5......>続きを読む(一年前の記事)故鈴木共明氏のご遺族からメールがきました

  • 父の命日で墓参しました

    父は、昭和28(1953)年8月29日に逝去しました。命日なので西光庵で墓参しました。母は、平成25(2013)年12月29日に逝去しましたので、来年が13回忌となります。(了)父の命日で墓参しました

  • 超党派・日中友好議連が中国訪問へ。共産党穀田衆議院議員も参加

    【速報】超党派・日中友好議連が中国訪問へ二階氏ら政府間の対話を後押し8月27日から3日間日本共産党からは、国会対策委員長穀田恵二衆議院議員も参加しています。社民党は、福島みずほ参議院議員が参加しています。しんぶん赤旗編集局に、赤旗紙面には穀田議員も参加していることを掲載していない事由を質問しましたら、国会議員団から連絡がないからと回答がありました。日本共産国会議員団事務局に質問しましたら、赤旗編集局に連絡していると回答がありました。これでは「一紙で間に合う赤旗新聞」ではありません。(了)超党派・日中友好議連が中国訪問へ。共産党穀田衆議院議員も参加

  • 「国境なき医師団」からニュースレター

    「国境なき医師団」からニュースレターがきましたので、ウクライナとガザに思いを寄せて些少の振り込みをしました。(了)「国境なき医師団」からニュースレター

  • (一年前の記事)防研図書室で複写「関東軍第一方面軍の状況」参謀松本博大佐

    防研図書室で複写「関東軍第一方面軍の状況」参謀松本博大佐防衛研究所戦史部図書室(現在は、新宿区市谷本村町防衛省内に移転)で複写した「第一方面軍の状況」があります。「昭和二十五年第一方面軍参謀大佐松本博」とありますが、松本......>続きを読む(一年前の記事)防研図書室で複写「関東軍第一方面軍の状況」参謀松本博大佐

  • (一年前の記事)関東軍「北方部隊略歴」に第七三一部隊が欠番していた

    関東軍「北方部隊略歴」に第七三一部隊が欠番していた毒ガス弁護団の及川信夫弁護士以外は戦後生まれでやはり戦争を知らない弁護士ばかりである。弁護団はこれまでも毒ガス問題の第一人者吉見義明氏の意見書などで軍事史的な証書を提出してき......>続きを読む(一年前の記事)関東軍「北方部隊略歴」に第七三一部隊が欠番していた

  • 大阪の小学校教員一人を靖国神社・遊就館を案内

    8月18日に下記のメールが届きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はじめまして。私は○○と申します。大阪で小学校の教員をしております。突然のご連絡をお許しください。実は、戦争や歴史について深く学びたいと思っており、お力をお借りできればと考えております。東京についても、まだ知らないことが多く、もしご都合がよろしければ、東京のご案内をお願いできないかと考えております。21日(水)の午後より巡りたいと思っております。ご多忙のところ恐縮ですが、ご検討いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。お返事を心よりお待ちしております。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日中友好協会東京都連の「第3回!東アジア文化フェスタ虹をかけよう東アジアの空に」を観覧する予定がありましたが、大阪の...大阪の小学校教員一人を靖国神社・遊就館を案内

  • 「葵から菊へ」江戸城、譜代大名、旗本邸を東京鎮台と明治政府の施設に

    「葵から菊へ」江戸城、譜代大名、旗本邸を東京鎮台と明治政府の施設に平凡社刊「地図に見る東京の今昔」明治16(1833)年“丸の内”“霞ヶ関”“大手町”“北の丸”から作図しました。寺田近雄著・立風書房刊「日本軍隊用語集」より鎮台(ちんだい)維新戦争が官軍の大勝利で終わったあと、その主力となった薩長土肥の藩兵部隊は、さっさとそれぞれの国もとに婦ってしまった。新政府がまずやらなけれぱならなかったのが、その治安の空白を埋める軍事力の創設であった。それまでの官軍はいわぱ野戦軍であったから要所に一大根拠地を築き、そこに徴兵された国軍部隊を結集して目を光らせなけれぱならなかった。その恨拠地となったのが新たに創設された鎮台であり、その司令部は維新後もとり壊さずに残した各地の城の中に置いた。まず、会津戦争後なお残存する東北...「葵から菊へ」江戸城、譜代大名、旗本邸を東京鎮台と明治政府の施設に

  • 「近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうか vol(Ⅱ)」にメールが

    近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうかvol(Ⅱ)友人から>「天皇の『祭祀』部分を情報公開請求不可の範疇に入れた」という合理的な理由が見つかりません。<とメールが来ました。管理人のメールここが重要なことだと考えています。「国事行為」はオープンになっていますが、非公開の「祭祀」部分が事実上の「天皇制」です。上皇と美智子上皇妃は、被災地で跪いて見舞いをしたり、南方戦線跡と沖縄で謝罪の旅をすることによって、国民は政治を見る目が曇らされています。徳仁天皇も同じです。「国事行為」だけだからと言い訳をしている、日本共産党の「天皇の制度」政策は、賛同できません。日本共産党は、賀詞決議には国会だけではなく、地方議会でも賛同しています。呆れています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(了)「近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうかvol(Ⅱ)」にメールが

  • 「地図に関するBlog記事」全集

    地図に関するBlog記事を投稿してきました。終了したので全ての記事を紹介します。「企画展戦後復興を支えた地図と測量」「地図展2018地図に映る明治の日本」旧関東州大連市の地図は「地図と地名」の宝庫「中国人毒ガス被害者国家損害賠償訴訟」の法廷で使用した「満州國地圖」「東洋文庫」で複写した「大上海新地圖」明治30年刊「東京一目新図」赤坂三業地の手製地図人文社刊「江戸東京めぐり『江戸電車路線圖』」東京都23特別区の経緯木下栄三作「江戸城新三十六御門重ね絵図」と「皇居と江戸城重ね絵図」仙川地図研究所発刊の「せんがわ地図」と「ちとから地図」「ヒロシマ連続講座」竹内良男氏作成の平和まっぷ靖国神社の境内図防衛省が発刊している「市ヶ谷台ガイドマップ」東京23区の平和マップ(完)「地図に関するBlog記事」全集

  • 近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうか vol(Ⅰ)

    今朝のしんぶん赤旗「主張」は、15日現職防衛大臣が靖国神社に参拝したことに関連して「〝新たな戦死〟を想定する行為」と掲載しました。「近い将来・・・戦死する自衛官が・・・・国家施設としての靖国神社に祭ることを求めており、見過ごされません。」と述べています。(「祭る」と書いてありますが、赤旗編集局は新聞用語では「祭る」となっているので使ったと言っていました。靖国神社では「祀る」を使います。)陸上自衛隊がサマーワに派遣されたときも、戦死した自衛官を靖国神社に合祀することが話題になりました。靖国神社は、宗教法人ですからこれまでの「合祀基準」を変更して戦死した自衛官を合祀することは可能でしょう。しかし、宗教法人法で文化庁に届けた「規則」や「社憲」等の変更が必要です。元海将大塚氏を宮司にしたのはその布石でしょう。勅裁...近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうかvol(Ⅰ)

  • 近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうか vol(Ⅱ)

    友人からメールを受信しました。長谷川順一さまブログ記事を読ませていただきました。靖国神社の「合祀基準」を変更しなければ、戦死自衛官を合祀することはできないので、元海将大塚氏を宮司にしたのはそのための布石、とのご指摘、もっともだと思いました。天皇は躊躇なく裁可するのでしょうか。管理人の回答例大祭日は「裁可」でしたが、いまも「裁可」となるかわかりません。と言うのは、天皇の仕事には色々あります。天皇の「祭祀」部分は、情報公開請求不可の範疇なので不明な部分です。大塚海夫宮司は、形式的には「崇敬者総代」から辞令の交付を受けています。しかし、宮司の権限は絶大ですので「自衛隊合祀」を進めるでしょう。もう少し研究します。『天皇陛下の全仕事(講談社現代新書) 山本雅人』から執務室「菊の間」で、書類決裁する方法には、大きく分...近い将来戦死する自衛官が靖国神社に祀ることが可能だろうかvol(Ⅱ)

  • Blog「呆け天残日録」で「大日本帝国中央停車場・東京駅」が評価されました

    Blog「呆け天残日録」で「大日本帝国中央停車場・東京駅」が評価されました。世田谷区民展にも出展したことがありますが、8月という平和と戦争を考える時期に出展したことが良かったと思っています。調布「憲法ひろば」の鈴木彰さんからは『「意義深い出品に感謝します(鈴木彰)2024-08-1821:29:28「天皇の玄関」としてつくられた大日本帝国中央停車場「東京駅」という、長谷川順一さんの作品を出品いただいて、調布九条の会「憲法ひろば」の美術展は、深い意義をいただきました。戦争の時代が当り前のように画策されている今、大日本帝国が繰りひろげた侵略戦争をしっかり振り返ることがとても重要だと感じました。ありがとうございました。』と、コメントを頂いています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ひときわ異彩を放って...Blog「呆け天残日録」で「大日本帝国中央停車場・東京駅」が評価されました

  • 「地図展2018 地図に映る明治の日本」

    「明治150年記念第51回地図展」の「地図展2018地図に映る明治の日本」を投稿します。これを見ると旧江戸城天守台の近くに「内務省地理局測量部」の建物がありました。その後は、三宅坂の陸軍省・参謀本部内に陸軍省測量部となりました。現在は国土地理院となっています。「水準原点」は、陸軍省測量部時代に設置されたと考えています。(了)「地図展2018地図に映る明治の日本」

  • 「中国人毒ガス被害者国家損害賠償訴訟」の法廷で使用した「満州國地圖」

    「中国人毒ガス被害者国家損害賠償訴訟」の東京地裁法廷、東京高裁法廷で弁護団が「満州國與地圖」4枚使用しました。毒ガス弁護団から返却された1枚が手元にありましたので投稿します。神田の古書店で購入し、ラミネート加工をしました。(了)「中国人毒ガス被害者国家損害賠償訴訟」の法廷で使用した「満州國地圖」

  • 「調布美術のひろば」に出展した「大日本帝国中央停車場・東京駅」を撤収しました

    「調布美術のひろば」は、18日が最終日です。入口の受付とお休み処ライトに照らされていましたので作品が映えていました。調布憲法ひろば鈴木彰様さんの作品書をしているご本人がモデルとなった、奥様が描いた水彩画森本実行委員長が閉会の挨拶。右は事務局長の石川康子さん鈴木彰さんの締めの挨拶(了)「調布美術のひろば」に出展した「大日本帝国中央停車場・東京駅」を撤収しました

  • 「東洋文庫」で複写した「大上海新地圖」

    「大山中尉殺害事件」を研究するために「東洋文庫」で複写した「大上海新地圖」です。左端の緑部が大山中尉殺害事件の現場「虹橋飛行場」です。参考Blog記事>「早稲田九条の会世話人代表」武藤徹氏が逝去されました<中華民国念七年は1938年です。(念は廿を意味しているようです。)「日本の古本屋」では88,000円もしていました。(了)「東洋文庫」で複写した「大上海新地圖」

  • 本土決戦準備と連合国の本土上陸作戦

    昨日は、鈴木貫太郎首相の終戦秘録を投稿しました。>「怒濤の中の太陽」詔勅とそれに纏わる鈴木貫太郎首相の秘録<軍部は、天皇家、宮中三殿、学習院を松代に移動するため大本営の工事をしていました。一方、アメリカ軍やイギリス軍を主力とする連合国軍による日本本土上陸計画「ダンフォール作戦」を考えていました。中央大学吉見義明教授は、日本軍が国際法違反の毒ガス兵器を使用しているので同作戦には毒ガスを使用する予定だったと言われています。「日本軍と毒ガス戦」11月1日に九州南部への上陸作戦「オリンピック作戦」、46年1月に関東地方上陸作戦「コロネット作戦」を予定していました。日本軍も国民に竹槍戦術と本土決戦準備を進めていました。オリンピック作戦コロネット作戦(日本軍の防衛態勢と米軍の上陸作戦計画)保阪正康著・毎日新聞刊「本土...本土決戦準備と連合国の本土上陸作戦

  • 「怒濤の中の太陽」詔勅とそれに纏わる鈴木貫太郎首相の秘録

    敗戦(終戦)79周年記念日です。過日、「人骨の会」(軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会:代表川村一之)の学習会が、靖国神社・偕行文庫で閲覧した際「重複本」を数冊頂いてきました。その中に鈴木武編・著鈴木貫太郎首相秘録編纂委員会刊「怒濤の中の太陽」がありましたが、「終戦の詔勅」とそれに纏わる鈴木貫太郎首相の秘話がありますので投稿します。参考Blog記事>ポツダム宣言受諾の条件は「天皇の国家統治の大権」しかしトルーマンは「天皇制を存続させてもよい」を削除した<内閣書記官長迫水久常「終戦と鈴木首相」「怒濤の中の太陽」詔勅とそれに纏わる鈴木貫太郎首相の秘録

  • 「大日本帝国中央停車場・東京駅」を「調布美術のひろば」に出展しました

    「調布美術のひろば」が本日から18日まで開催されています。「大日本帝国中央停車場・東京駅」は、世田谷区民展にも出展しましたが、創作の意図からも8月に開かれる同展が相応しいと思いましたので出展しました。実行委員会の「調布九条の会」「憲法ひろば」は>調布「憲法ひろば」講演会「ウクライナ戦争時代に考える『靖国神社』と『市ヶ谷記念館』<以来、靖国神社ツアーなどでお付き合いをしています。<創作の意図>会場の調布市文化会館たづくりエスカレーターで上った左側が南ギャラリー漫画家水木しげるさんは、調布市内にお住まいだったので、水木しげるコーナーがありました。(了)「大日本帝国中央停車場・東京駅」を「調布美術のひろば」に出展しました

  • 「日録20世紀」1985 昭和60年「日航ジャンボ“御巣鷹の悲劇”」

    Facebook友達である加藤正衛さんから頂いた書籍の中に「日録20世紀」があります。その中に1985昭和60年「日航ジャンボ“御巣鷹の悲劇”」がありますので投稿します。(スキャナーがA4版なので少し切れています。)(了)「日録20世紀」1985昭和60年「日航ジャンボ“御巣鷹の悲劇”」

  • 明治30年刊「東京一目新図」

    明治30年刊「東京一目新図」です。(了)明治30年刊「東京一目新図」

  • 人文社刊「江戸東京めぐり『江戸電車路線圖』」

    江戸切り絵図と鉄道線路を重ねた人文社刊「江戸東京めぐり『江戸電車路線圖』」です。ラミネート加工をしてガイドの時に活用しています。(了)人文社刊「江戸東京めぐり『江戸電車路線圖』」

  • 韓国政府は「北朝鮮が地上の楽園」は偽りと公式認定

    ネットで下記のニュースを読みました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「北朝鮮が地上の楽園」は偽りと公式認定韓国の真実和解委員会日本や赤十字も「人権侵害を容認、傍観した」(msn.com)【ソウル=木下大資】韓国政府の調査機関「真実・和解のための過去事整理委員会」は7日、1959~84年に約9万3440人の在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った「帰還事業」に関する調査結果を発表した。「北朝鮮が差別のない地上の楽園」とする偽りの宣伝が組織的に行われ、だまされた大勢の帰還者やその子孫が人権を侵害されたと公式に認定。北朝鮮の政権と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に「一次的な責任がある」と非難した。真実・和解のための過去事整理委員会韓国政府が設置した独立機関。革新系の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権期の2005年、真実...韓国政府は「北朝鮮が地上の楽園」は偽りと公式認定

  • 【再掲】1945年8月9日長崎の原爆が投下よりも、ソ連参戦によってポツダム宣言受諾が決まった「1945年2月のヤルタ会談からミズリー号降伏文書調印までのドキュメント」

    1945年ヤルタ会談からミズリー号降伏文書調印までのドキュメント【参考文献】「角川世界史辞典」。ボリス・スラヴィンスキー著「日ソ戦争への道」。半藤一利著「昭和史」。東芝音楽工業(株)発売「天皇陛下の御聖断」並び白川一郎画「終戦御前会議」1945年2月4日~11日ヤルタ会談。ヤルタ秘密協定にルーズベルト、チャーチル、スターリンが署名した。日本が本土に400万人の陸軍を有していたので、ドイツの降伏後2、3ヶ月を経てソ連が日本に参戦することを規定していた。4月5日モロトフ外相が駐ソ佐藤尚武大使に「日ソ中立条約」の廃棄通告をした。5月スターリンは米ハリマン外相との会談で、ソ連が完全に極東戦役の準備を終える日付として8月8日をあげた。7月12日天皇は、近衛文麿にロシア側と戦争終結交渉を行うべくモスクワに赴くよう要請...【再掲】1945年8月9日長崎の原爆が投下よりも、ソ連参戦によってポツダム宣言受諾が決まった「1945年2月のヤルタ会談からミズリー号降伏文書調印までのドキュメント」

  • 「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見に参加しました

    昨日、私学会館(アルカディア市ヶ谷)で開催された「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見に参加しました。司会をするあけび書房岡林信一社長鈴木元氏会場7階から見た大日本印刷ビルと中央大学キャンパス(以前は公団住宅市ヶ谷アパートがあり、1970~1972年まで住んでいました。1971年新宿区議会議員選挙で初当選しました。)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新刊「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見2024年8月8日東京私学会館・鈴木元はじめに開会に当たって猛暑にもかかわらず多忙な中、おいでいただいてありがとうございます。共産党にとって私の「志位和夫委員長への手紙」「さようなら志位和夫殿」の発行は予想外のことで、「過去の人である鈴木が何をいまさら」ということであったでしょ...「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見に参加しました

  • 東京都特別区23区の経緯

    戦前の区の数は35区だったが、1947年(昭和22年)3月に35区のうち24区を11区に再編して22区となり、同年8月に板橋区から練馬区を分区して特別区23区となった。牛込区、四谷区、淀橋区が合併して新宿区となりました。(新宿区地図集より)牛込區詳細圖昭和16年(1941年)四谷區詳細圖昭和16年(1941年)淀橋區詳細圖昭和16年(1941年)新宿区昭和22年(1947年)(了)東京都特別区23区の経緯

  • 「日本語学校は新宿に集中」「なぜ中国人は高田馬場を目指すのか」

    8月4日の「新潮フォーサイト」に>なぜ中国人は高田馬場を目指すのか――「ガチ中華の街」になった高田馬場と歌舞伎町の二都物語<との記事がありました。地域新聞「新宿新聞」8月1日付5面にも「日本語学校は新宿に集中都内72校の三分の一強占める」という記事がありました。(了)「日本語学校は新宿に集中」「なぜ中国人は高田馬場を目指すのか」

  • (一年前の記事)靖国神社は「国民義勇隊の隊員で業務に従事中の原爆死亡者」は英霊として合祀している

    靖国神社は「国民義勇隊の隊員で業務に従事中の原爆死亡者」は英霊として合祀している1945年8月6日、広島市に投下された原子爆弾によって死没者の総数は33万9240人の方々が亡くなりました。政府は、国民義勇隊の隊員で業務に従事中に亡くなった人(広島原爆......>続きを読む(一年前の記事)靖国神社は「国民義勇隊の隊員で業務に従事中の原爆死亡者」は英霊として合祀している

  • 木下栄三作「江戸城新三十六御門重ね絵図」と「皇居と江戸城重ね絵図」

    木下栄三氏の重ね絵図二枚を千代田区立日比谷図書館売店で購入しました。ラミネート加工がしてありますのでガイドの時は大変使いやすく利便しています。「江戸城新三十六御門重ね絵図」平川門付近「皇居と江戸城重ね絵図」(戻る)(続く)木下栄三作「江戸城新三十六御門重ね絵図」と「皇居と江戸城重ね絵図」

  • 美空ひばり「八月五日の夜だった」

    美空ひばりが「広島平和祭典」で唄った「一本の鉛筆」は有名ですが、「八月五日の夜だった」も素晴らしい曲です。靖国神社・遊就館で購入した、美空ひばりの軍歌アルバム「祈り」に挿入されていた「一本の鉛筆」と「八月五日の夜だった」を投稿します。「八月五日の夜だった」「一本の鉛筆」(了)美空ひばり「八月五日の夜だった」

  • 第6回新宿平和のための戦争展

    「第6回新宿平和のための戦争展」が、3日~4日まで牛込箪笥区民ホールで開かれていました。昨日、元外務省国際情報局長孫崎享氏の講演があるので参加しました。主催者の話では、区立新宿文化センター多目的ホールで開催していたときよりも、「はだしのゲン」や人形劇団プークがあったので家族連れが多かったそうです。川柳作家鶴彬の川柳が展示されていました。鶴彬は治安維持法で野方警察署で収監されていましたが、獄中で赤痢に罹り淀橋区柏木町(現・新宿区北新宿4丁目)にあった豊多摩病院に移され死去しました。享年29歳。鶴彬顕彰碑が各地にありますので、終焉の地豊多摩病院があった北新宿4丁目に建立しようと国賠同盟新宿支部が中心となって運動が始まりました。自民党の新宿区議会新井康文議員は、豊多摩病院は隔離病院だったので地元では賛同しないと...第6回新宿平和のための戦争展

  • 仙川地図研究所発刊の「せんがわ地図」と「ちとから地図」

    仙川地図研究所発刊の「せんがわ地図」と「ちとから地図」をご紹介します。「せんがわ地図」で、高射砲陣地跡を探して見学したことがあります。高射砲第112連隊第1大隊第3中隊下仙川陣地だったと思われます。(戻る)仙川地図研究所発刊の「せんがわ地図」と「ちとから地図」

  • 蝉の亡きがら

    今朝ベランダに蝉の亡きがらが二羽いました。酷暑なのに、秋がもうすぐやってくる気配ですね。(了)蝉の亡きがら

  • 「ヒロシマ連続講座」竹内良男氏作成の平和まっぷ

    「ヒロシマ連続講座」竹内良男氏が作成した「似島めぐりまっぷ」、「立川と戦争をめぐるまっぷ」、「八王子平和・原爆資料館」、「都内にある『満蒙開拓団』慰霊碑」をご紹介します。「似島めぐりまっぷ」「立川と戦争をめぐるまっぷ」「八王子平和・原爆資料館」「都内にある『満蒙開拓団』慰霊碑」(戻る)(進む)「ヒロシマ連続講座」竹内良男氏作成の平和まっぷ

  • 靖国神社の境内図

    靖国神社境内図をご紹介します。「参拝のしおり」より陸軍省作図付属地(現在の昭和館、九段坂テラス、九段坂病院等がある)管理人が作図「清朝の狛犬」が図示された地図清朝の狛犬のイラストが見える現在の境内図からは、清朝の狛犬が削除されてしまった。(戻る)(進む)靖国神社の境内図

  • 防衛省が発刊している「市ヶ谷台ガイドマップ」

    防衛省大臣官房広報課が発行している「市ヶ谷台ガイドマップ」と「市ヶ谷記念館市ヶ谷台の歩み」をご紹介します。市ヶ谷台ガイドマップ現在の防衛省市ヶ谷記念館市ヶ谷台の歩み市ヶ谷記念館については「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」サイトをご参照下さい。(戻る)(続く)防衛省が発刊している「市ヶ谷台ガイドマップ」

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