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2019/08/22

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  • 御成街道ウォーク再開

    一昨日の「桜開花」を受けて御成街道ウォークを再開。御成街道沿いには桜の名所が多い。芝川や見沼代用水路沿い、岩槻城址などだが、何と言ってもゴールの幸手(サッテ)宿の権現堂がメッカ。1、2日目と同様にあちこち寄り道しながらののんびりウォークをのんびりと紹介して行こう。前回2日目のゴールの赤羽駅に降りる。御成街道はこの赤羽駅を南西から北東へと斜めに通っていた。東口の少し先から斜めに伸びる道が御成街道である。この道は間もなく宝幢(ホウドウ)院というお寺さんに突き当たり右折して荒川に向かう。左から来る道が鎌倉街道中道(板橋道)で、門前に道標が立つというので渡ろうとするが、おや横断歩道がない。信号は左右とも100㍍ほど先。ミニパトをやり過ごしてからガードレールの隙間で渡る。今日は土曜なので少ないが、平日は荒川を渡る...御成街道ウォーク再開

  • サイタサイタサクラガサイタ

    昨日、嵐のような風雨が収まって陽射しが出た午後、2日ぶりに散歩に出ると早稲田団地の並木で桜がポツポツと咲き始めた。昨年「桜が開花」と書いたのは3月15日だった。三郷駅前からの中央通りを挟んで東西2本ある桜並木を右往左往して咲き始めた花弁を探す。仁王立ちで上空にカメラを向ける私を見て、通りすがりの人々が「おっ」「あらっ」などと声を挙げる。東京・靖国の標準木と同日開花は多分初めて。このぶんでは各地で一斉に咲き出す(咲き出した)ことだろう。「桜が咲くまで」と中断していた御成街道ウォークに早速出掛けよう。サイタサイタサクラガサイタ

  • 全て好試合、選抜準々決勝

    昨日の選抜甲子園、じっくりとベストエイトの対決を堪能した。中でも雨中の第4試合、近畿勢対決の報徳学園ー大阪桐蔭戦は最後まで気の抜けない接戦となった。2点先行した報徳を追う桐蔭打線は、今朝丸投手の好投や好守備に阻まれて7回まで無得点。それでも迫力ある打線がいつ爆発するかと息詰まる試合となり、早目の晩酌をしながらの観戦となる。ようやく8回に連打で1点返したときは、さすが桐蔭と「逆転」を予感したが、どっこい今朝丸投手が踏ん張り、逆にその裏の追加点で桐蔭を突き放した。昨秋の近畿大会のリベンジだった。今日は予備日で明日準決勝。星稜ー健大高崎、中央学院ー報徳学園の組み合わせ。決勝は健大高崎ー報徳学園と予想するが、実力伯仲で星稜ー中央もあり、星稜ー報徳、健大ー中央もある。(これでは全組み合わせとなって予想にならないな)...全て好試合、選抜準々決勝

  • スーパーフード「コウゾの芽」

    午後からの天気が心配だが、今日の甲子園はベストエイトが揃う選抜準々決勝。東北1、関東3、北信越1、近畿2、四国1の8校。唯一の県立高校、徳島の阿南光と石川・星稜の第一試合が始まった。その後は東北・関東の東日本対決が2試合続き、第4試合は近畿の隣県同志、大阪桐蔭と報徳学園が闘う。テレビの前を離れられない一日となりそうだ。 とは関係なく今日も埼玉のローカル話題を地方版から。楮(コウゾ)と言えば和紙の材料だが、使うのは幹の樹皮だけで8割は廃棄される。安価な海外産に押され国内の楮の栽培は減少の一途。栽培を維持するためにも捨てる部分に価値を見出せないかと活用策を探って来たのは「細川紙」で知られる和紙の里、埼玉県小川町。着目したのは「芽」。幹を太くするために春から夏にかけて新芽を間引く。これを天プラとして食べるとい...スーパーフード「コウゾの芽」

  • 花は咲けども

    花は咲けども春をよろこぶひとはなし毒を吐き出す土の上うらめしくやしと花は散るこの「花は咲けども」は、復興支援ソングとして定着している「花は咲く」のアンチテーゼ曲。原発事故で故郷を追われた被災者の怒りや嘆きを表そうという山形のフォークグループ「影法師」の歌。その「影法師」が呼ばれて歌う場所は川越市の自動車板金工場跡の「JUNホール」。オーナーは小林順吉さん(77)。JUNは順吉の順。10年前、「みんなに利用してもらおう」と義兄の工場を改装。その「みんな」の中に福島から自主避難して来た人々もいた。順吉さんは避難者同士の交流会を開く場所がないと聞き、自由に使ってもらうことにした。避難者向けの冊子を編集する部屋もある。順吉さんの妻、ますみさんが事務局を務めるNPO「PEACEやまぶき」は「一年に一度だけでも福島の...花は咲けども

  • 救急車寄贈社長のジョーク

    社会人になって最初の任地は朝霞市。その朝霞市の倉庫会社が県南西部消防局に高規格消防車を寄贈したと地方版に載る。コロナ禍に伴って全国で創設された「日勤救急隊」。朝霞、志木、新座、和光の各市に出動する県南西部消防局にも日勤救急隊が1隊組織されたが、救急車が足りず活動が制限されている。これを知った倉庫会社の社長が車両、装備代で4千万円にもなる高機能救急車を寄贈したもの。贈呈式で「地域の安全・安心を少しでもお手伝い出来たら嬉しい」と挨拶した倉庫会社の社長が続けて、「タクシー代わりに救急車を呼ぶ人もいると聞きます。そんな方に費用を請求できるよう料金メーターを装備しておきました」。もちろんジョークである。実に愉快な丸沼倉庫の須崎勝茂社長は昨年もトイレトレーラーを寄贈しており、今、珠洲市に派遣されているという。丸沼倉庫...救急車寄贈社長のジョーク

  • 香取海から利根川へ

    縄文海進で現在の霞ケ浦や利根川一帯が「香取海」と呼ばれる海だったことを昨日書いたが、下図左側、江戸川、中川、荒川も一体になって東京湾の入江だった。その入江の東縁(ヘリ)、流山の〇の左側が我が三郷市あたりだから完全に入江の中であったことになる。長い時を経て大地の隆起や砂の堆積で少しずつ海部が後退し、江戸時代の「利根川東遷」でほゞ現代の状態になった。利根川の水運を生かした物資輸送で江戸との行き来が増えると共に利根川を使った観光も盛んになった。JR東日本の広報誌から、利根川を下り成田山新勝寺へ大絵馬を奉納する歌舞伎役者の一行の「御礼参り贔屓絵船之図」をお借りする。成田街道を歩いた時に「木下(キオロシ)街道」の道標があったが、利根川の要衝「木下」から出る観光船は「木下茶船」と呼ばれて、新勝寺や東国三社(香取神宮、...香取海から利根川へ

  • 「香取海」について

    モスクワの劇場の銃撃テロ、大谷選手の通訳の賭博送金疑惑など「世間を揺るがす」事件が続くが、ノー天気に「香取海」について。下図は縄文時代の関東平野内部の「海」だったところである。いわゆる「縄文海進」で、海面が上昇し関東平野の多くが入り組んだ海になっていた。赤丸を付けた大宮と久喜の中間あたりの蓮田市に通っていた頃、事務所の近くを散歩すると「黒浜貝塚跡」という小公園があった。「え!何でこんな内陸に?」と思ったが、こうして見ると確かに海辺だったのである。小さな黒点は貝塚跡を示す。現在の霞ケ浦、北浦、印旛沼、利根川などが一体になったあたりは、7世紀頃にはやや海面が縮小したものの「香取海」と呼ばれた。香取海では舟を使って人や物資が行き交い、外部との交流が多く、大和朝廷が掌握し切れなかった王国を築いていた。龍角寺古墳群...「香取海」について

  • 昭和38年の「山中(温泉)会談」

    久しぶりに朝日土曜版「歴史のダイヤグラム」(原武史)から。昭和38年6月、自民党幹部(組織調査会長)の三木武夫は夫人と共に夜行急行で金沢に着いた。前夜に上野駅を出て11時間もの旅であった。金沢市内を観光した後。車で山中温泉に向かった。一方、この日、当時は名古屋空港経由のため2時間半かかった空路で小松空港に特別機で着いたのは、吉田茂、佐藤栄作などの自民党のお歴々。直行の特別機なので1時間のフライトだった。彼らが小松空港から向かったのも山中温泉。参院の自民党議員会長、林屋亀次郎(石川県選出)の喜寿を祝う会のためだった。片や11時間の列車旅、片や1時間の空路。この差は当時の権力構造の現れだった。しかし、喜寿祝いの陰で行われたのは、当時の首相、池田勇人の後継首相を佐藤栄作とする密議、所謂「山中(温泉)会談」と言わ...昭和38年の「山中(温泉)会談」

  • 反動校長の「お詫びと訂正」

    韓国でのMLB開幕戦、打者大谷翔平はまずまずのスタートだが、投手山本由伸は手痛い洗礼を浴びた。投手と打者の違いはあるが、かの長嶋も国鉄の金田投手に4打席4三振のスタートだったから由伸よ、ドンマイだ。 さて、自宅隣の三郷市立丹後小学校は今日卒業式。そんな予定が書かれる「丹後小だより」3月号にあるお詫びと訂正が載っている。では、「正しくない記事」(1月号)にはどう書かれていたのか。何と「陸海空軍の皆さんが来られました」という校長の挨拶が載っていたのである。写真付きでこの校長の挨拶が載った「学校だより」を見た父兄からの抗議で「止む無く」お詫びと訂正を約束したようだ。小学校に自衛隊を呼んだ主旨は判らないが、敢えて「軍」と呼んで迎え、そのまゝ記事でも訂正しない。これはもう校長の意図的、恣意的な「間違い」と言っていい...反動校長の「お詫びと訂正」

  • 新宿騒乱(1968)と武蔵野線

    我が三郷市の市政施行と武蔵野線の開業がほゞ同じ半世紀前のことという広報誌の特集から主に旅客列車として三郷市との関連について2回書いたが、貨物線としての特徴を少し補填する。昭和42年、新宿駅で山手貨物線から中央線に入ろうとした下りタンク列車と上り貨物列車が衝突。タンク列車は米軍立川基地へジェット燃料を積んでおり爆発炎上した。翌年の国際反戦デー(10/21)にはベトナム反戦、「米タン阻止」を叫んで「新宿騒乱(闘争)」が起きた。この「米タン」が米軍向けのジェット燃料を積んだタンク列車のことである。武蔵野線はまさにこういった都心(山手貨物線)での事故、騒乱やテロ防止のため全線立体交差(あるいは地下)となっている。武蔵野線の西の終点は旅客列車としては「府中本町」だが、貨物線としては鶴見までの「武蔵野南線」がある。東...新宿騒乱(1968)と武蔵野線

  • 武蔵野線と三郷市(2)

    三郷市の広報誌3月号の特集から「武蔵野線と三郷市」の続きを。元々は都内を通る山手貨物線の代替線として計画された武蔵野貨物線だったが沿線の要望で旅客列車も運行することになった。都内に行くには数少ない路線バスで常磐線の松戸か金町に出るしかなかった三郷市は「陸の孤島」と呼ばれていたが、昭和48年に待望の「鉄路」が出来、「街は大騒ぎ」いや、盛大な祝賀式が行われた。武蔵野線は開業当初から当時は珍しかった自動改札、自動精算機など置かれたが、車両は中央線のお下がりの101系(オレンジ色)。その後増両、増便が相次ぎ首都圏各線のお下がりが入り混じった。三郷ー吉川(5キロ)間には国内最大級の広大な操車場があったが、後にこの間に新三郷駅が出来ると、上下線のホームが300メートルも離れたためギネス記録となった。今この操車場跡は大...武蔵野線と三郷市(2)

  • 「飛ばないバット」で選抜始まる

    春の甲子園、選抜大会が始まった。開幕日の3試合中2試合が延長タイブレークという好試合続き。第一試合は二度追いついた八戸光星がタイブレークの十一回に3点を挙げて逆転勝ち。第三試合の近江ー熊本国府戦も1点を争う好勝負。2年前の選抜準優勝の近江のエース西山が14三振を奪うもタイブレークの十回裏、ワイルドピッチで甲子園初出場の熊本国府にサヨナラ負け。今大会から採用された「飛ばない」低反発バット。確かに外野手の頭の上を超す長打が少なく、いずれも1点を争う投手戦となった。単打とバントの懐かしい高校野球の復活となるか。 散歩から花たち「飛ばないバット」で選抜始まる

  • 武蔵野線と三郷市

    今日のタイトル「武蔵野線と三郷市」は三郷市の広報誌3月号の特集タイトルで、副題は「市と共に走り続けた半世紀の歴史を振り返る」。市制施行が昭和47年、武蔵野線開業が昭和48年であった。開業時の運賃表を見ると、初乗り(南流山など)が30円、一番遠い府中本町までは240円。現在は950円だから約4倍となっている。昭和48年に社会に出た私の給料が確か数万円だった。現在の初任給がおよそ20万円くらいだから、これも約4倍である。開業時の三郷駅の乗降者数は約3千人、現在は2万5千人というからこれは8倍である。また、当時の時刻表を見ると朝夕の通勤通学時間帯で1時間4本、昼間は1本ないし2本。このダイヤは、私が昭和54年に三郷市に転居し武蔵野線で通い始めた頃もほとんど同じであった。帰りの北朝霞発の終電は10時20分。当時、...武蔵野線と三郷市

  • やはり遅い日本のSAF対応

    SAF(SustainableAviationFuel)、持続可能な航空燃料のこと。聞きなれない言葉だが、航空機のCO2削減の切り札で、EUでは2050年に航空業界に70%の使用を義務づけている。SAFには、バイオ燃料、藻類や古紙、廃プラ、ゴミなどから取り出した油分、二酸化炭素と水素の合成などがあるが、コスト的には廃食油から再生されるものが「今は」一番である。それでも普通の航空燃料に比べれば割高で、これで飛ぶ航空機の運賃は割高になる。飛行機を利用することは脱炭素に反するとして「飛び恥」と言われている欧州では、食廃油混合比率による3段階のオプション料金のチケットが売られる。例によって世界に遅れる日本でも、このSAFが供給できなければ日本に飛来する航空機がなくなるとの危機感で「そろり」と国産のSAF開発が始ま...やはり遅い日本のSAF対応

  • 今日、北陸新幹線延伸だが

    金沢までだった北陸新幹線が今日、敦賀まで延伸する(した)。テレビニュースでは福井駅を出発する上り列車を見送る祝賀風景が実況中継された。思えば金沢までも乗ったことがなく、唯一叔父の葬儀で富山まで乗ったことがあるだけ。それでも大宮を出ると長野に停まるだけで富山まで2時間弱。ずいぶんと便利さを感じたものだ。そして今回の延伸で、曹洞宗の大本山、永平寺のある福井までは大宮から2時間半となった。年末の結婚五十年(金婚式)を祝って福井、金沢などへの旅行もアリか。やはり能登にも寄りたいが・・・。さて、北陸新幹線の仕上げは新大阪までの延伸であるが、湖東(琵琶湖の東)経由の敦賀ー米原の延伸で十分と思う。北陸住民の新大阪直行要望が強いとしたら、米原駅で乗り換えなしに東海道新幹線へ乗り入れるようにすればよい。しかしながら、湖西の...今日、北陸新幹線延伸だが

  • ブギウギに学ぶ昭和の歴史

    もうじき終盤を迎えるNHKの朝ドラ「ブギウギ」は、ブギの女王、笠置シズ子の生涯を描いたドラマ。主役の趣里が水谷豊と伊藤蘭の娘、淡谷のり子役が「ハリウッド女優」菊池凛子などキャストの話題性もあるが、昭和歌謡ファンにとっては「歴史」を学ぶドラマでもある。BSテレ東の特番「服部良一と笠置シズ子」は更に勉強となった。関東大震災によってジャズメンが東京から大阪に移ったことにより音楽少年服部良一に火を点け、これが後に笠置シズ子のブギシリーズや淡谷のり子のブルースシリーズの元となった。また昭和12年、日中戦争の勃発で上海租界に出入りするようになった服部良一がチャイナソングの渡辺はま子を産んだ。中国各地で慰問興行を続けていた渡辺はま子は現地で終戦を迎えしばらく捕虜となる。昭和12、13、14年と立て続けに淡谷のり子のブル...ブギウギに学ぶ昭和の歴史

  • 英郵便局冤罪事件、救済法成立へ

    以前ここでも取り挙げた英郵便局の大量冤罪事件は、ほゞ完全な救済を目指した法案が発表された(朝刊記事から)。富士通の英子会社「ホライゾン」が作った郵便局会計システムの不具合で実際の現金とシステムの計算が合わず、700人を超える個人経営などの郵便局長が不正をしたとして有罪となった。これを取り挙げたドラマがきっかけとなって詳細な調査が行われ、システムの不具合が立証された。これを受けた英政府は被害回復を決定し、有罪判決の取り消し、救済金支払いの法案を発表した。1.ホライゾンを使用していたこと2.対象期間が1996~2018年であること3.罪名が窃盗、詐欺、不正会計であることを満たせば全員が無罪となり、約1億1千万円が補償されるというもの。また差額を自分で穴埋めして有罪とはならなかった場合も、1千4百万円が支払われ...英郵便局冤罪事件、救済法成立へ

  • 越谷市は国保発祥の地

    世界に類を見ない日本の国民皆保険制度、その開始は困難を極めた。昭和9年に要綱案は出来たものの減収を危惧した医師会や売薬業者が大反対し、政府内でもうまく機能するかの懸念が大きかった。これを救ったのが埼玉県越谷市(当時越ケ谷町)の「順正会」。元々は納税組合から発展した共済組織で、その資金の使い道として当時町財政の重荷になっていた伝染病対策として医療費の共助を計画。しかし治安警察法に抵触するとして頓挫しかけた。この情報が内務省保険部長の川西実三の耳に入ったことが順正会と国の双方に幸運となった。内務官僚として最初の赴任が埼玉県庁だった川西は「異常なる熱意」を持って越ケ谷町と順正会にテコ入れした。要綱案が出来たものの誰も法案化する自信と勇気がなかった国民健康保険制度の後押しとなればと、川西は頓挫しかけた越ケ谷町の順...越谷市は国保発祥の地

  • 3.11、失敗を伝承する

    今朝の気温は真冬並みの0℃。あの日も雪が舞い寒かったろう。13年前の3月11日。その寒さの中で9日間も祖母と津波で崩壊した家屋の中で過ごし救出された石巻の高校生(当時)の「失敗談」が今朝の社会面に載る。救助隊に担架で運ばれる時、警察官の後ろに多くの記者が見えた。大津波警報にも大丈夫だろうと避難しなかった「マヌケな高校生」と書かれるだろうと思った。ところが「祖母を救った高校生」など英雄扱いの記事に戸惑った。英雄なんかじゃない、避難の失敗者なんだとの思いが長く続いた。大学を出て地元石巻の街づくり会社に就職。「あの時の安部君?」とすぐバレた。やがて誘われるまま語り部として当時のことを話せるようになった。毎日毎日遺体を収容していた救助隊が9日ぶりに生きた人間を発見し「奇跡」と語った警察幹部の講演も聴いた。昨年、地...3.11、失敗を伝承する

  • 今日は東京大空襲79年目

    久しぶりにブログを休もうと思ったら天声人語の東京大空襲の記事を見て思い直した。今年は戦後79年、昭和では99年である。もう十数年前になるが江東区北砂の「東京大空襲資料センター」を訪れた。民間の施設である。国も東京都も東京大空襲についてはまともに調べていないから貴重な施設である。当時は幼女だった語り部さんに聞く東京大空襲の悲惨さ壮絶さは息をのむほど。木造の日本家屋用に開発した焼夷弾、当日の時間と進入コースも最大限の殺戮を狙った米軍の周到な計画だったと、怒りに震えながら語り部さんは話す。多くの貴重な資料が展示されるが、幼女だった語り部さんがあちこちの公園でみたというこの風景で十分かも知れない。明日は東日本大震災13年目、能登半島地震から2ヵ月と10日。今日は東京大空襲79年目

  • 菜の花満開の江戸川の畔

    これらの歌はいずれも古い歌、懐かしい昭和の歌という「くくり」である。今月末、近くの三郷市文化会館で行われる「昭和歌謡コンサート」の共催者の一つに「認知症予防財団」があると言えばお判りだろう。壇上の歌声カルテット(ヴォーカル、ピアノ、バイオリン)と一緒に客席で歌うコンサートの曲目である。一つだけよく知らない「広い河の岸辺」はスコットランド民謡、あの朝ドラ「マッサン」の挿入歌でもあったと言われて何となく・・・。皆さんはご存じだろうか。それ以外の33曲は歌えそうである。と言っても歌いに行く訳ではない。 一昨日の江戸川散歩から、北風は冷たいが陽射しは春である。土手下の旧家跡、一反(300坪)に7軒の分譲住宅が建つ土手の菜の花の密度が増している筑波山の上、船団のような雲が好い大きく手を振って颯爽と歩く若い女性、老若...菜の花満開の江戸川の畔

  • 今日は国際女性デー

    今日は国際女性デー。朝刊の一面は天声人語を含め、女性関連4本の記事で埋まる。1.単身高齢女性の4割が貧困、男性と14ポイント差2.20代から全産業で男女賃金差、年代進むと拡大3.元国連女性機関事務局長「日本は女性進出で変わる」4.映画草創期の女性監督アリス・ギイもシカトされた 予報通り関東南部の平地でも夜半から明け方に雪が降った。横着して玄関先とベランダから撮る。今日は国際女性デー

  • 三郷市の小学校事情

    下は三郷市の全19の小学校の生徒数を並べたグラフである。最下位がこの春、近くの前間(ゼンマ)小学校(左から4番目)に統合される後谷(ウシロヤ)小学校。統合後の前間小学校の生徒数は右から6番目になる。右端に突出した2校(新和、幸房)はつくばエクスプレス(TX)の「三郷中央駅」の近くの小学校である。三郷市の若い世代の人口重心が、東京都に隣接した南部(戸ヶ崎など)やJR武蔵野線三郷駅周辺の北部から、まさに市の「中央」にシフトしていることがよくわかる。2,3日前にこの後谷小学校の近くを散歩すると、校舎の前に河津桜が満開であった。「勇太郎君の樹」の由来はわからない三郷市の小学校事情

  • 公明党の武器輸出承認の理由

    殺傷能力のある武器(戦闘機)の輸出について「躊躇」して来た公明党が一転して承認の意向を示した。日英伊で共同開発中の戦闘機について、生産数を増やしてコストを削減するため、開発国以外の第三国へも販売することになったという昨日の岸田首相の答弁は「丁寧な説明」だったという理由である。参院予算委員会での質問者は公明党議員、衆院解散、選挙へ向けた「貸し」作りの匂いがプンプンである。4月に訪米して米議会での演説、公式晩さん会を花道に解散、辞任という噂は否定した岸田首相だが・・・。散歩から公明党の武器輸出承認の理由

  • 3月4日は一里塚の日

    一日遅れだが、昨日の3月4日の「何の日?」。よく知られている?のは、ミシンの日、雑誌の日、更科蕎麦の日など3と4の語呂合わせだが、その他にも三姉妹、差入れ、サッシ、三線(サンシン)、作法、酸蝕(菌)の日などもある。元々はご婦人たちが教会のミサの時に被る布を忘れないように首に巻いた三角や四角の布、スカーフの日もある。街道ウォーカーとしては記念日として、江戸幕府が東海道、東山道などに一里塚を築いた日(1604年の旧暦2月4日)を挙げたい。当時の旅人にとって一里塚は何とも有難い道しるべだったのである。 くたびれたやつが見つける一里塚(江戸時代の川柳) 徳川嫌いの薩長明治政府は、明治9年(1876)に全国の一里塚廃毀令を出した。地元の保護などで生き残った一里塚も幹線である街道の拡幅工事でほとんどがなくなってしまっ...3月4日は一里塚の日

  • 勇気ある国際的な日本女性

    「セクシャルハラスメントと説明責任を国民的議論に押し上げ、伝統的な日本社会でタブー視されて来た問題に光を当てた。性被害を受けた無数のサバイバーたちが、沈黙の中でこれ以上苦しむことがないよう自らの体験を名乗り出ることを後押しした」この文はアメリカ国務省がジェンダー平等や女性の地位向上に貢献した女性に贈る今年の「勇気ある国際的な女性賞」の受賞理由。これを授与されるある日本人女性と言えば・・・。そう陸上自衛隊で性被害を受けたことを実名で訴えた元自衛官の五ノ井里奈氏である。 五ノ井氏が「勇気をもって」訴えた、陸上自衛隊のある部隊でのセクハラの実態は、それはそれはヒドイものである。自衛隊内部で訴えても揉み消され「勇気をもって」社会に訴えた。セクハラだけではないがアメリカ軍の中での腐敗を描いた映画に「将軍の娘エリザベ...勇気ある国際的な日本女性

  • 地方だけ「がんばれ」はおかしい

    社会工学博士の真田純子氏(東工大教授)は、徳島大学助教時代に段々畑の石積みを経験した。美しい棚田を残そうと言うのは簡単だが、残す方は大変である。いわゆる「空石積み」は文化財(お城など)修復では認められても農地(段々畑)では違う。万一崩れた時の責任を問われることを恐れ業者は尻込みする。自分たちで積むしかないのである。段々畑を上るだけで息切れしたが「師匠」について石積みを習う。全ての作業になるべく「労力をかけない」工夫がされていた。手を抜くわけではなく、環境にどう自分の身体を合わせていくかの知恵。無駄なく最短でやること、それが持続可能ということと学ぶ。この真田氏、今では一般社団法人「石積み学校」の代表理事で石積みの先生である。「一ぐり、二石、三に積み」という師匠の極意を伝えている。裏に詰めるぐり石が表の石を固...地方だけ「がんばれ」はおかしい

  • もう一つの被爆国

    昨日3月1日は、ちょうど70年前にマーシャル諸島ビキニ環礁で「ブラボー」と名付けられた水爆実験により、住民と近くで操業していた第五福竜丸の乗員が被爆した日である。ビキニ環礁での核実験は敗戦の翌年、1946年7月1日から始まった。昨日の「天声人語」によれば、この4日後にパリでに行われた水着コンテストで肌の露出が多い水着が「ビキニ」と名付けられた。核実験のニュースに心ときめかした水着デザイナーも無神経極まりないが、ビキニ環礁の住民が小さな水着を着ていたからビキニという名になったのだろうとずっと思って来た私も無神経というか、極めてノーテンキであった。 マーシャル諸島共和国の被爆者は、被爆のトラウマや差別を経験し口を閉ざす人が多い。8歳で被爆し甲状腺異常や乳がんを患い7回もの流産をした母を持つ、核問題委員会の教育...もう一つの被爆国

  • 「光る君へ」題字が好い

    今年の大河ドラマ「光る君へ」の人気は今のところイマイチのようだが、その題字は実に好い。今月の県の広報誌「彩の国」によれば、この題字の揮毫、かつ「光る君へ」出演者に書道指導をしているのが「書道学」の博士根本知(サトル)氏(40)。埼玉県は越谷市の出身である。中学の時の家庭教師が仮名文字の作家だった。小筆で絵のように仮名を描くのに憧れ、小学校で止めていた書道の道に戻るきっかけとなったという。「手書きの文字は言葉以上の思いを載せることが出来りんです」という根本博士。近著に「平安かな書道入門古筆の見方と学び方」がある。先月のウォーキングは一日平均で6千歩にも届かず、換算距離は約100キロに留まった。上旬の雪、その後の寒さ、下旬の天候不良、言い訳はたくさんある。伊能ウォーク本隊(1999-2001)の足跡を辿る、バ...「光る君へ」題字が好い

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