chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
じんべえ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/08/22

arrow_drop_down
  • ヴェールを脱いだトヨタのEV戦略

    1位米テスラ126万台、2位中国BYD86万台、3位米GM70万台・・・28位トヨタ2.4万台。昨年の電気自動車の販売実績だ。これをトヨタは2026年までに150万台、7年後の2030年には350万台と発表した。たった4年で60倍以上は可能なのか。(EVで)遅れている、目標に対する具体性がないと言われ続けていることに社内でも不満が高まっていた。ならば見せてやろうじゃないかと、この6月トヨタは内外のアナリストやメディアを裾野市の開発拠点に招いて、ほゞ一日かけて技術説明会を開いた。骨子は4種の新規開発電池と生産方式の革新。普及型の電池は他社でも採用をはじめている、レアメタルを使わないLFT(リチウム鉄系)だが、航続距離、コストとも大幅改善版。26年発売の「次世代EV」に搭載予定の電池は、航続距離従来比2倍(1...ヴェールを脱いだトヨタのEV戦略

  • 変わる?官僚の世界

    所謂キャリア官僚の登竜門である国家公務員総合職の合格者の出身大学に異変が起きている(今朝の朝日新聞から)。2012年に451人でトップだった東大はトップを維持しながらも今春は193人へ。4位(94人)だった慶応は51人と半減し9位へ。逆に、合格者が大幅に増え順位を上げたのが北大、立命館など多数だが、東大の減少分を他の大学が享受したと言える。その意味で上位で合格者が増えていない京大(120→118人)、早稲田(112→96人)なども、実質キャリア志向離れと言えるかも知れない。東大では、総合職試験を通っても「官僚として国を変えるには30年はかかりそう。ビジネスの社会で早くアイデアを形にしたい」と、民間企業に就職する学生や、総合職試験を狙って法学部に入っても工学部に鞍替えする学生もいるという。東大卒が減って、地...変わる?官僚の世界

  • 地上戦、「目には目を」の真意

    国連の「人道的休戦」決議も何のその、イスラエルは事実上の地上戦に突入しているという。昨日から読書週間。TheBOOKと言えば聖書のこと。旧約聖書はキリスト教だがユダヤ教にもヘブライ語の聖書がある。一方、ハンムラビ法典の「目には目を」は、やられたらやり返せではなく必要以上の復讐はするなの意という。イスラエル、パレスチナ双方、それぞれの経典に手を置き熟考して欲しい。 最近の散歩から地上戦、「目には目を」の真意

  • 成田山新勝寺を歩き尽くす(公園編)

    新勝寺の最北端、平和の大塔から境内東半分の成田山公園にに向かうべく石段を下る。足元はどう見ても西洋庭園。振り返る大塔はまさに天を突く。ここからは樹々を眺めながら、九十九折の石段やスロープでゆっくりと公園の谷にある池に降りていく。5日間の街道歩きとは全く違う命の洗濯とも言えるひと時である。20分ほどで池の畔に着き、満智の池と文殊の池の間の流れを飛び石で渡る。満智の池の浮御堂、文殊の池の石灯籠が好い。池越しに見る書道美術館、後で思えば覗いてみればよかった。新勝寺の境内へ戻るべく池の畔を一路西へ向かうが、小道が綾目文模様に錯綜し難儀する。先行していた若者が戻って来る。行き止まり?と訊くと頷いて「滝で行き止まりです」と返る。Uターンして何とか谷を上る石段にたどり着く。これでOKと油断したのが間違い。上り切った分岐...成田山新勝寺を歩き尽くす(公園編)

  • 成田山新勝寺を歩き尽くす(堂宇編)

    成田街道ウォークの〆は新勝寺の散策である。新勝寺の境内図で見ると、東西800m、南北700mの境内の右半分は文殊、満智の二つの池を中心にした成田山公園。今日は左側の堂宇を巡る前編。詳細な説明は下記から。境内案内「各御堂のご案内」–大本山成田山新勝寺(naritasan.or.jp)参道の左手、高さ15mある大きな総門を潜って境内に入る。半袖半ズボンの白人男性、こちらを向いてカメラを構えるのは中国人女性。外人観光客は早起きだ。仁王門への石段も、その先の大本堂への石段も蹴上げが高く息が切れる。その大本堂、昭和43年建立の鉄筋コンクリート製。縦横23m、天井高さ約10mという内陣の無柱空間を誇る。新勝寺の正式な名は、大本山成田山明王院神護新勝寺、真言宗智山派。三重塔、一切経堂、鐘楼、須らく極彩色。9時からの御護...成田山新勝寺を歩き尽くす(堂宇編)

  • 成田街道ゴールの祝い酒

    成田山新勝寺の境内紹介の予定を変更して前夜の打ち上げの様子である。成田街道のゴール、成田山新勝寺の総門から1キロの参道を戻り、京成成田駅東口のホテルにチェックイン。街道ウォークの汗を流してから夜の街に繰り出しての打ち上げ。まずは参道の往復で眼を付けておいた個室居酒屋。参道沿いに大きな蔵元直売所があった地元成田の「長命泉」にアテるのは、馬刺しなど冷製肉の盛り合わせ。佐倉七牧など下総には幕府直轄の放牧場が多かったのである。二軒目の居酒屋はカウンター席。看板にあった香取の「五人娘」が並んでいないので強面の大将にリクエストすると、相変わらずブスッとしたまま奥から持って来て「美味い酒だよ」。これにアテるのはやはり銚子港に近い成田ならではの海鮮物だ。目の前に懐かしの焼酎「魔王」を見たら飲まずにはいられない。メチャ高い...成田街道ゴールの祝い酒

  • 成田街道、新勝寺へゴール

    7月に歩き始め、猛暑の夏をやり過ごして今月から再開した成田街道ウォークもいよいよゴールの成田山新勝寺へ。伝説「酒の井」が地名になった酒々井(シスイ)町から成田市に入ったところ。今までの旧道と違い国道51号線に出ると一気に交通量が増える。成田市街に向かってまたも上り坂である。この先国道51号を離れた成田街道が右手から来た国道496号になるとダウンアップする。終盤になっても坂道が続く。この谷の底は川がある訳ではなさそうだ。上り切ると国道51号を横切り一本松通りとなる。新勝寺までは残り3キロ。道端の墓地の一画に盲目の和算家「飯島武雄」の墓。江戸で和算を学んだが不幸にして失明。口授で教えた門下生は千人を超えたという。いつの間にか午後の1時を回り昼飯時。次の大きな交差点角のファミレスで昼食とする。ゴールの新勝寺前で...成田街道、新勝寺へゴール

  • 「春夏冬二升五合」

    タイトルの「春夏冬二升五合」は一説では江戸時代からあったというクイズである(朝日土曜版「街のB級言葉図鑑より)。「あきない(春夏冬)ますます(二升)はんじょう(五合)」=商い益々繁盛が答えだが、一升桝を見たことがなく一升が十合であることを知らなければ解らないだろう。 三郷市から吉川市にかけては江戸時代「二郷半領」と呼ばれた早生種御領米の稲作地帯。大きな集落(郷)が二つ、小さな集落(半郷)が一つあったことから来ているが異説(珍説)あり。吉川市南部の定勝寺には、この一帯の地頭頭で関東郡代の伊奈忠治はその仕事ぶりから徳川家康に「一生支配せよ」と言われた。一生支配→一升四配→二合半→二郷半が地名由来との口碑がある。 さて、成田街道最終日(5日目)の続き。国道51号に出てすぐ次の信号で再び旧道となると「大坂」と呼ば...「春夏冬二升五合」

  • 成田街道、酒々井(シスイ)宿へ

    今回の出発前、酒々井アウトレット・モールをネット検索した。そして、「酒々井」は(ササイ)ではなく(シスイ)と読むことを初めて知った。やはり、旅は勉強である。「ささい」と打っても酒々井が出て来るのは苗字があるからで、岐阜の飛騨など全国でわずか90名ほどの酒々井さんがいる。また、酒々井(あるいは鈴井)をシズイと読む苗字もあるようだ。 ともあれ、国道296号から県道に左折して酒々井宿に入った。酒々井地区は本佐倉城の城下町、宿場町、江戸幕府直轄の野馬牧場である佐倉七牧の野馬会所があって栄えたところである。早速旧家が続く。最初は油屋として栄えた「荕吉五郎宅」。荕は(スジ)と読むのだろうか。江戸時代には油屋として、明治になってからは醤油醸造業で栄えたという。次は幕府野馬御用を勤めた島田家住宅。街道沿いの住家の奥、広...成田街道、酒々井(シスイ)宿へ

  • 日本シリーズは関西対決

    スポーツの秋、プロ野球日本シリーズは59年ぶりの関西対決が決まった。共にシリーズ戦優勝同志の阪神とオリックス。CSで下剋上がなかったのは良かった。明け方に行われていたW杯ラグビーの準決勝第2戦、南アフリカが残り5分で9点差を逆転し決勝へ進出、2連覇と最多優勝を狙う。先にアルゼンチンに勝ったニュージーランドとの決勝戦となった。満30年のサッカーJリーグも各チーム30試合目を終わり残り4節。首位の神戸、2位横浜マリノス、3位浦和、4位名古屋までが優勝の可能性。しかし、浦和、名古屋は残り全勝しかあるまい。 成田街道5日目(最終)の様子。京成佐倉駅から路線バスで前回ゴールの順天堂記念堂前に着くと7時半。真っすぐ東へ向かうと一旦右手の旧道に入ってすぐ抜ける。その角にお地蔵さんが2体並ぶ。旧道を抜けた交差点で今度は左...日本シリーズは関西対決

  • 10.21国際反戦デーに想う

    最近はあまり注目されないが今日10月21日は国際反戦デー。国際と言っても日本発の反戦デーで、昭和31年(1966)「総評」(日本労働組合総評議会)がベトナム戦争反対統一ストを実施して始まったものである。哲学者サルトルは「世界の労働組合として初の反戦スト」と評価した。翌年の10.21にはワシントンで大規模なベトナム戦争反対のデモ行進が行われた。1970年、アメリカ撤退の3年前。しかし、ウクライナ侵略、イスラエル・パレスチナ戦争が再発する今、日本の労働組合の中心である連合は与党自民党に摺り寄り、「賃上げ」をおねだりするだけである。非正規労働者の低賃金による労働収奪の結果としての税収増を資本にお裾分けしてもらう労働貴族と化した御用組合には、もはや戦争反対を本気で思う「心」はない。 日の出4題、まずはいつもの江戸...10.21国際反戦デーに想う

  • 成田街道4日目、最終回

    支持率が下がる一方で、立川の都議補選で惨敗。そして、徳島・高知、長崎の補欠選挙が間近かとあっては、所得減税検討を指示したという岸田首相の魂胆はあまりにも見え透いている。自民党内部からも、税収増還付は物価高騰対策としての給付の方が判りやすいという声が挙がるほど。信念の無い、その時任せの言動が支持率低下の要因だと誰か教えてやるべきだろう。 とは関係なく、成田街道4日目の佐倉宿である。ちょっと長くなるが一気に終わろう。家族連れで混む老舗そば屋で昼食をとった後、すぐ脇の佐倉の総鎮守である麻加多神を参拝。天保年間に五代佐倉藩主堀田正睦が再建したものという。佐倉は城下町、佐倉宿を歩く前にその南西にある武家屋敷通りに寄り道。クネクネと坂を下ると武家屋敷への「くらやみ坂」は上り。今日は一日アップダウンである。何軒か武家屋...成田街道4日目、最終回

  • 成田山新勝寺に到着

    一昨日、成田街道ウォーク最終回の5日目を歩き、午後3時、ゴールの成田山新勝寺の総門前に到着。成田駅から約1キロの参道を歩く観光(参拝)客の半分は中国人と言ってよい。信徒会館の広場から大きな総門を眺めながらゴールの感激に浸る。境内の見物(参拝)は翌日とし、一刻も早く生ビールと参道を戻り始める。総門脇の薬師堂でスマホをかざす着物を着た外人の娘さん二人、あまりに可愛いので、「とても綺麗よ、どこから来たの」(一応英語で)と訊くとインドからと言う。目的の写真もOK、ポーズもとってくれる。さて、5日目の歩行記だが、4日目の佐倉宿が未だ終わっていないのでやっつけよう。鹿島川を渡ると間もなく佐倉城址のお堀端となる。明日からの秋祭りの提灯が掛かる。歴博(国立歴史博物館)への大きなゲートの奥は、佐倉城の椎木曲輪へ向かった愛宕...成田山新勝寺に到着

  • 成田街道ウォーク、最終へ

    今日は好天、この後成田街道の5日目へ出発。佐倉からゴールの成田山新勝寺までの約12キロ。途中の酒々井はササイではなくシスイと読むことを最近知った。さて、4日目の続き、八幡神社の高い石段前である。ここまでアップダウンが続きバテ気味だが、眺望に期待して上ることに。蹴上(一段の高さ)が高く、三十段目で一息ついて残り二十五段を上り切ると、期待通りの眺望である。まずは南方向。そして東方向。佐倉城址(国立歴史博物館)の長い森の向こう側に佐倉の中心街、佐倉宿がある。坂を下り鹿島川を鹿島橋で渡ると佐倉の市街地へと入る。上流には京成本線の鉄橋。2,3分待ってみるが電車は来ない。そろそろ5日目の出発の時間、今日は成田駅前に泊まり明日じっくりと新勝寺を「廻る」予定なので明日のブログはお休みとなる。 成田街道ウォーク、最終へ

  • 成田街道、臼井宿から佐倉へ

    成田街道4日目の続きは、臼井宿から佐倉宿へ向かうところ。昔の宿場の雰囲気が全くない臼井宿の出口あたり、この三叉路にあるという道標が見当たらない。交通量が多く道を渡ってまで探すのも億劫でパス。成田街道は京成本線脇を進むが数百メートルで次第に離れる。歩道はなく、外側線を歩く。久々の信号の先、1キロほど上り坂(八丁坂)となる。今日はアップダウンの連続である。坂を上りきる直前の石段の上、台座に法界と刻まれた石塔は江原刑場跡に立つ。佐倉藩医によって死刑者の解剖が行われたそうだ。鬱蒼とした広場を一回りする。坂を上り切った角のコンビニで、冷たい飲み物を取りながらゆっくりと一服休憩し坂上りの疲れを取る。時に10時、今日の8キロ地点。佐倉市街まで3キロの表示。ここから1キロ以上まっすぐな緩い上りが続く。道路脇の花で気分転換...成田街道、臼井宿から佐倉へ

  • 成田街道、臼井宿へ

    ユーカリが丘駅前からカーブしながら北に向かう成田街道は、葛飾の新宿(ニイジュク)をスタートして以来初めて畑地脇となる。その後1キロほどで再び東向きになると緩やかな下りとなる。「下った先には川がある」の通り、手繰(テグリ)川を渡る。地図を見ると奥に見えるのは臼井西中学校で地名も臼井台。橋を渡ると国道(296号)から分岐して細い道となる。川を渡った先は?そう、住宅街の中の上り坂が始まる。それもかなり急な坂道である。「川を渡り坂を上ると宿場となる」、は水戸街道に多かった。最後は胸突き八丁、上り切って住宅街を少し進むと三叉路に突き当たる。突き当りに立つ道標はどうみても「右成田ミち」。江戸時代、カタカナ、ひらがな混在はよくあったと聞く。行き過ぎてから古くはない石柱に気付く。ひょっとしたらお寺さんか。口碑には雷電...成田街道、臼井宿へ

  • 成田街道4日目、まずはユーカリが丘

    前回は武蔵野線の3番電車で出発したので三郷駅のホームでちょうど日の出を迎えたが今回は1番電車。日の出までは二十数分前。乗り換えの西船橋に着いてももまだ2,3分前。初めての東葉高速鉄道の終点、東葉勝田台は地下駅。2番の出口で地上に出るとそこは、成田街道(国道296号)である。突き当りが前回ゴールの京成本線勝田台駅。この交差点を一歩踏み出すと佐倉市に入る。低い朝日を真向から浴びるので今日は朝からサングラスをかけて歩く。1キロで常夜灯の前に三つの道標が並ぶ。説明は脇の口碑で。ここを左に200メートル入った八幡神社の脇に口碑に書かれる「加賀清水」がある。まだ脚は元気なので寄り道。これも説明は口碑に委ねよう。志津駅を過ぎ次の「ユーカリが丘」駅前でちょうど3キロ。近代的な駅前、北側には高層マンションが並ぶ賑やかな街は...成田街道4日目、まずはユーカリが丘

  • 成田街道4日目、初めてが二つ

    昨日の成田街道ウォーク4日目で「初めて」の経験が二つ。一つは初めて乗った東葉高速鉄道。地下鉄東西線の延伸区間で、西船橋から勝田台(京成)までの第三セクター線で武蔵野線から西船橋で一回乗り換えるだけである。京成本線の混雑緩和を目的に、東京メトロ、京成電鉄、新京成電鉄、東武鉄道、千葉県、船橋市、八千代市及び金融機関が出資している。地下鉄南北線の延伸、埼玉高速鉄道と似ている。西船橋から総武線で船橋、京成船橋から勝田台のルートより15分早いが、つくばエクスプレスや埼玉高速鉄道同様に運賃が高いのが難点。今回は目的地が勝田台だったから乗ったが、もう2度と乗ることはないだろう。もう一つは「般若そば」。ゴールの佐倉の街で入った蕎麦屋房州屋のメニューに見つけた。「般若湯」は隠語で日本酒。まさかと思いながら店員に訊くと、やは...成田街道4日目、初めてが二つ

  • 成田街道ウォーク、4日目へ

    成田街道ウォークの3日目の歩行記を終わって今日4日目へ。中9日も開いたのは、捻挫の養生のため。3日目のお寺さんの参道で左足首を捻ってしまった。わずか3,4センチの段差だが、捻挫癖のついてしまった左の足首はガラスの足首である。今日は勝田台から佐倉までの12キロ、例によってのんびりと歩こう。 昨日の朝のスナップ日の出は地平の雲の上成田街道ウォーク、4日目へ

  • 埼玉自民、子育て無知を露呈

    「幼い子供を置いて外出は虐待」、確かに置いて行かないのが理想だが、共稼ぎやシングルママ・パパには難しい話。「自民議員には若い人も多く、子育てに無知というのは当たらない」と条例案提出撤回を弁明するが、裕福な世襲議員も多く、子育て環境に苦労することはない集団だろう。結局は格差社会における「子育て現実」への無知を露呈したということになる。 成田街道ウォーク3日目(その4)。さわだ茶屋で喉を潤してから大和田宿を歩き出したところ。まずは成田街道を挟んで向かい合う長妙寺と園光院。長妙寺は整備された境内、樹木の手入れも行き届く。園光院は対照的にオープンな境内で何となく親しみやすい。学校が引ければ子供たちで賑わいそうである。園光院の観音様見逃したが長妙寺の本堂脇に八百屋お七の墓があったらしい。待てよ、お七の墓は中山道に近...埼玉自民、子育て無知を露呈

  • ふわりふわりと成田街道

    成田街道ウォーク3日目(その3)はいよいよ大和田宿へ。自衛隊習志野演習所の東端、新木戸交差点で八千代市に入る。その角のガソリンスタンドの隅の道標は「血流地蔵道」。戦国時代、北条氏に滅ぼされたこのあたりの城主、高木氏の家臣が血流地蔵を祀った貞福寺への道標と口碑の書かれる。道標は江戸深川の大工さんなどが建てたこと、二つに折れて、道の下に埋まっていた下部を見つけて修復したことなどが口碑に書かれる。八幡神社を過ぎ、京成八千代緑が丘駅周辺の高層マンションを望むところ、道脇にたくさんの石塔・石碑が並ぶ。脇の明神社の鳥居前の日陰で休憩、スタートから9キロ地点。工業団地入口の交差点の道標「おたきさん」は女性の名ではなく御滝不動尊のこと。大和田新田のバス停の先、再びの石塔群は女人講や子安講の文字が見える。通って来た八幡神社...ふわりふわりと成田街道

  • まさに体力勝負、サクラ散る

    「全力を尽くした、だが相手が上だった、それがラグビー」(リーチ・マイケル)。その通りだった。サクラ・ジャパン、胸を張って帰って来い。さて、成田街道ウォークの3日(回目)の(その2)である。休憩した地蔵堂から週百メートルで成田街道は直角に左折する。真っすぐ進むのは東金御成街道。角に輪宝を冠した道標が立つ。左折して間もなく朝日を浴びて青面金剛像が並び、その右端は「右なりた」の道標。右カーブして総武本線を跨ぐとしばらくは真っすぐ東へと進む。新京成線の踏切を渡ったあたり、急に対向する自衛隊の車両が増える。解体業者が海外に転売したと話題になった高機動車には「空挺団」と書かれる。そうだ、少し先が習志野駐屯地である。8時を回りそろそろ何処かでおにぎりの朝飯をと思うころ、御嶽神社の鳥居の奥に参道が伸びる。2百メートルあま...まさに体力勝負、サクラ散る

  • 三郷花火、Youngに復活

    「MISATOHANABIgaNIGHT」(三郷(に)花火がないと)。4年ぶりに復活した三郷花火のキャッチ・フレーズである。都内から見に来た娘家族に有料席を奮発したが、案内だけのつもりの自分も何故か入場ゲートを通過出来てしまう僥倖。企画、準備、進行を三郷市商工会青年部が精力的に実施した今年の三郷花火はヤング・バージョンに変わった。縦から横へ、音楽に乗ったテーマ(ストーリー)花火である。 青年部の若い男女の提案で、花火師へのエールをスマホのペンライト点灯で行う発想は今までにない。同夜開催の対岸、流山の観客もペンライト点灯で呼応した。宴の翌朝、青年部は日の出前から片付け・清掃も頑張る。観覧席の土手や打ち上げの河川敷のゴミ拾いに散って行く。成田街道3日目はまたも延期、明日こそ。 三郷花火、Youngに復活

  • 三郷流山橋開通は11/26、記念花火は今日

    一昨日、江戸川中流に架かる新しい橋、三郷流山橋が11月26日に開通すると、埼玉県道路公社、千葉県双方のHPで表明された。今春の予定がコロナによる資材、人手不足などで半年遅れた。実は、一時10月7日(土)開通と言われ、毎年夏に開催される三郷花火をこの日に延期し「三郷流山橋開通記念花火」と銘打ち開通を祝う花火大会になる予定だった。しかし開通は更に一か月半遅れ、三郷花火大会だけが予定通り今夕行われる。混雑緩和、安全ためと言う理由で今回から有料席が設けられる。 今朝の散歩からその有料席の入口有料席のすぐ外側の陣取りシート、さすが賢い今朝の茜雲、火山の噴火のようパノラマ撮影で、ちょっと斜めったそして日の出昨日の散歩、新しい橋の袂から料金所までの道路はまだ未舗装成田街道ウォーク3日目(その2)は明日に延期。三郷流山橋開通は11/26、記念花火は今日

  • 秋立ちて成田街道を歩く

    猛暑をやり過ごし2か月半ぶりに成田街道ウォークを再開。3日(回)目は12キロ(四里)と成田街道で一番宿間が長い船橋宿から大和田宿。例によってのんびりと紹介していこう。武蔵野線の三番電車に乗るべく三郷駅のホームに上がると、ちょうど江戸川越しに日が昇る。今日は晴れの予報。船橋から京成本線で一駅、大神宮下から100メートルで船橋大神宮の一之鳥居である。正式名は「意富比(オウヒ)神社」で、日本武尊が東征の折、東国平定の成就を祈願したのが始まり。長い境内を進むと「日本一小さい大神宮」の社殿に着く。戊辰戦争で木更津に陣取った幕府軍撒兵(サッペイ)隊の一部の本営となったため戦火で焼失、明治に再建された。社殿脇から境内の北端に出ると、前回(2日目)のゴール、神宮下交差点が眼下である。石段を下り回れ右して「宮坂」を上り始...秋立ちて成田街道を歩く

  • 仙台大観音からの眺望

    今朝の天声人語は、江戸時代に奥州南部藩で公文書が八千枚も盗まれた話。藩邸の掃除係が九年に渡って盗んだ目的は、機密情報を得るためではなく「古紙」として売るためだった。紙が貴重な時代、ロウソク屋や表具師に売られていたという。南部藩は公文書が盗まれるという恥ずかしい事実をきちっと記録に残したが、重要な国の公文書が公務員によって盗まれるのではなく、破棄されてしまう国が今ある。恥ずかしい限り。 大宮ー長野ー仙台と久々の同窓会を巡る旅、仙台編(その2)。「呑み鉄旅」と名付けたが、1時間前後で着いてしまう新幹線内では、ここまでそれぞれ缶ビールを1本だけ。仙台の同窓会は「寮友会」である。キャンパスには行っても教室にはあまり行かなかった私には「学友」はいない。寝食を共にして熱く青春を語り合った学生寮仲間である。宴の前に仙台...仙台大観音からの眺望

  • ホームから時刻表が消えた

    久しぶりに北陸新幹線や東北新幹線に乗った。緑の窓口で冊子になった時刻表を探すが見つからない。案内所で訊くと、皆さんスマホで見られるので廃止したという。そう言えばいつのまにか駅のホームの時刻表も見当たらない。その上、時計すら消えつつある。いつも乗る線でも次は何時?といちいちスマホで探すのは面倒である。確かにスマホのアプリで電車にも新幹線にも乗れる時代ではあるが、年寄りには面倒な時代となった。 コロナで中断していた同窓会続き、長野から仙台へと向かう旅の続き、仙台編(その1)である。大宮で「かがやき」と「はやぶさ」の乗継ぎがうまく行けば長野ー仙台は2時間ちょっとである。夕方の寮友との懇親会の時間まで国宝の大崎神社を訪れることにする。大崎神社は仙台市街の北東にあり、昔あった市電の終点だったと思う。この神社の前は何...ホームから時刻表が消えた

  • 祝・大谷翔平ホームラン王

    シーズン終盤の十数試合を欠場しても獲得した、日本人初、大谷翔平のメジャー・ホームラン王を祝おう。もし、故障しなかったら何本まで行ったのか、なんてどうでもいいか。今日は30℃未満、晴れというので成田街道ウォーク3日目へ。長野市散策(その3)を簡単に済ませて出発しよう。高校同窓会会場のホテルの2階ロビー二次会へ向かう途中、夜の長野駅翌朝、ホテルの屋上露天風呂から、生憎の小雨で山々は見えず次回から仙台編となる。祝・大谷翔平ホームラン王

  • エリカ対決は英莉花が勝つ

    昨日の午後はNHKテレビでゴルフ日本女子オープンの4日目を堪能。ベテラン菊池絵里香(35)と原英莉花(24)の一騎打ちは実に見応え充分だった。身長173センチでスタイル抜群の原英莉花は5月に椎間板ヘルニアを手術したばかりだが、5番ホールのイーグルでなどで菊池を引き離し2度目の優勝を飾った。解説の樋口久子が言うように、優勝してもおかしくはないほどベストを尽くした菊池絵里香だったが、ショットもパターもほゞ完璧だったもう一人(原英莉花)がいた、というだけのこと。15歳のアマチュア時代に日本女子オープンに初出場、以降プロになって16回連続出場の菊池絵里香だが、何故か優勝に縁がなく、今回も3度目の2位に終わった。35歳で「今年こそ」の意気込みだった菊池絵里香がもし勝っていれば、20年前の服部道子以来の三十代優勝とな...エリカ対決は英莉花が勝つ

  • 懐かしの長野市散策(その1)

    10月は企業や学校の年度で言えば下期、後期の始まりである。9月が誕生日の私は、年金の開始など10月から9月が会計年度である。そして今日朔日は、法の日、国際コーヒーの日という。先月のウォーキング結果は、8月に続き一日平均で一万歩近くなり距離換算は190キロ。二十年ほど前の伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周の第4ステージは九州に入った。第4ステージ・ゴールの指宿まで約800キロ。あと5ヶ月ほどであろうか。伊能ウォーク隊はオプションの船旅で五島列島や屋久島を訪れて島民たちとウォーキング大会を開催した。ブログをお休みした先月27日から29日までの「呑み鉄旅」、信州長野市から仙台までの様子。まずは長野市編(その1)。27日夕方からの高校の同窓会。2年前の卒業五十五周年記念はコロナで延期。中途半端な五十七周...懐かしの長野市散策(その1)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、じんべえさんをフォローしませんか?

ハンドル名
じんべえさん
ブログタイトル
じんべえ時悠帖Ⅱ
フォロー
じんべえ時悠帖Ⅱ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用