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2019/08/22

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  • 甲子園、49代表決まる

    昨日、東東京(共栄学園、初)と大阪(履正社、3回目)が決まり、夏の甲子園、第105回記念大会の全国49代表が揃った。初出場は東東京の共栄学園など5校、5回目までの18校と合わせると全体の約半数の23校となり、時代が変わりつつあるのかも知れない。逆に、北海(40回)、仙台育英(30)、広陵・徳島商(24)、星稜(22)、智弁(21)などの古豪も出場を決めている。昨年、悲願の東北勢初の全国制覇を成した仙台育英は楽しみである。 いつもの江戸川の土手ではなく、逆の西に歩いて新三郷駅の跨線橋から日の出を眺める。跨線橋を渡り新三郷駅を抜けて家に戻る。甲子園、49代表決まる

  • オー!ビッグモーター

    奥方が15年乗った車を手放した。免許返納ではないが、新車を買ったばかりの息子が社用車通勤となり駐車場が溢れてしまった。廃車でもいいかなと思ったが、懇意にしている近くの修理店は廃車ではモッタイナイと言う。そこで息子が中古ディーラー数社を集めて入札した。事故歴なし、女性ワンオーナー、走行10万キロ未満ということもあり、やはり予想以上の高値がついた。オーディオHDDに私が入れた昭和歌謡300曲余りはサービスだ。入札で一番札を付けたのが何とビッグモーター。「いろいろと問題多い会社ですよ」と言って帰った中古ディラーがいた。悔し紛れの捨てセリフと思った。数ヶ月前の話である。 猛暑の中、二ヶ月に一度の大宮(さいたま市)への通院の後、秋葉原へ。38℃から36℃へだが、もちろん涼しくは感じない。用向きはデジカメの修理。直接...オー!ビッグモーター

  • 上田西、8年ぶりの夏

    昨日は全国で10校が甲子園出場を決めた。故郷長野は上田西が松商学園を逆転で下し、夏は8年ぶりの出場となった。地元埼玉では今日、浦和学園と花咲徳栄の甲子園組が激突する。この2校による決勝戦は6年前の2017年以来。この時は花咲徳栄が勝って甲子園に出ると、何と埼玉県勢初の夏の全国制覇。一方、浦和学院は2013年春の選抜で全国制覇を遂げている。7月30日の東東京と大阪を最後に全49校が決定する。そして、8月6日から暑い熱い夏の甲子園が始まる。この日、埼玉県では知事選の投票日だが、与野党相乗りの現職大野氏で決まり。 早朝散歩、日の出の後開通が近い三郷流山橋への上り道来春、近隣の小学校を吸収する改修工事市の保存木の大ケヤキ上田西、8年ぶりの夏

  • 森村誠一の原点は熊谷大空襲

    昨日訃報を書いた森村誠一は埼玉県熊谷市で生まれ育った。昭和20年8月14日(正確には15日の午前零時過ぎ)、熊谷市は大空襲を受け、森村家も燃えて命辛々荒川に避難した。「誠一、お前の街が燃えている、よく見ておけ」と父親が言った。俺はこのことを書く、12歳の森村誠一の作家の原点だった。市街地を流れる星川には遺体が折り重なっていた。森村少年が淡い恋心を抱いたという少女もその一人だった。この空襲で熊谷市街の大半が焼け、死者は300人近くに上った。熊谷は中島飛行機の部品製造の拠点で、既に群馬県太田、小泉の組立工場は爆撃されていた。部品が出来ればまた組み立てられるという「念のため」爆撃だったと言えよう。何よりも、敗戦(終戦)合意が長引き、日本に決断を迫る全国各地の敗戦直前の空襲の一環で、広島、長崎への原爆投下と共に、...森村誠一の原点は熊谷大空襲

  • 森村誠一の遺言

    森村誠一が享年九十歳で逝去。証明三部作などで知られるが、サスペンスドラマでも彼の原作ものは「人間」が浮き出て来る。憲法九条や表現の自由を脅かす昨今の政治には手厳しかった。「遠い昨日、近い昔」と題する自らの回想録の中で、英国の作家の言葉を引いている。「最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」(参考:今朝の「天声人語」)本人の言葉ではないが、彼の遺言と言ってもいいだろう。 今朝の日の出散歩は江戸川の上流へ。河川敷に降りて開通間近の三郷流山橋の下を潜る。はコロナ禍による資材不足などで完成が半年遅れたが、秋には開通する。橋の先、久々の常磐道とゴルフ場を眺めて折り返す   森村誠一の遺言

  • 知恵は増えて精力は衰える

    英知は、長いあいだ正しく維持された人間関係から生まれる。E.M.フォースター、随筆「老年について」老をとると、やれ不機嫌だ、哀れだ、高慢だなどと言われるが、英知とも深く結びつく。それは個人が長い時間をかけて人びとの間で培った「業績」であり、ガイドとして役立たずとも「見本」としては貴重だ。何より、「知恵は増えて精力は衰える」という格好の時期である。(今日の朝日朝刊コラム「折々のことば」鷲田清一から)そう「知識ではなく知恵は増える、気力ではなく精力が衰える」と理解すれば明日からも生きて行ける。 今朝は昨日よりも少し早目に家を出て、武蔵野線の鉄橋の南で日の出を待つ。水面ではなく河川敷に川霧が這う。知恵は増えて精力は衰える

  • 埼玉8強、長野は4強決まる

    甲子園の地方予選がたけなわだが、宮城県では昨年、東北勢初、悲願の全国制覇を成し遂げた仙台育英が順当に連続出場を決めた。地元埼玉では8強が決まり、浦和学院、花咲徳栄、昌平などの甲子園出場経験校が順当に勝ち上がった。故郷長野では4強が決まり松商学園、上田西、東京都市大塩尻の甲子園組の3校と、ウェルネス長野という聞きなれない高校がベスト4に入った。ウェルネス長野は、長野県では50年ぶりという新しい私立高校。松本から長野へ向かう篠ノ井線、長野道が通る筑北村の廃小学校跡に出来たスポーツが盛んな高校。村営の公式戦対応の立派な野球場が同校の練習場と言う恵まれた環境。そして、遊撃手の杉浦匠は粗削りながら松井秀喜、大谷翔平並みの強打者という。さて上田西との準決勝はどうなるか。 成田街道2日目の翌日から早朝は好天に恵まれ、日...埼玉8強、長野は4強決まる

  • 東京ゴミ戦争

    昨日の朝日土曜版「サザエさんを探して」から。昭和三十年代に始まった東京湾の埋め立て(夢の島)により江東区民は長くハエや悪臭に悩まされることになった。ゴミを運ぶダンプの粉塵や騒音も日常的であった。昭和41年、東京都(東都知事)が突如杉並区内にごみ処理工場の建設を通達したことから杉並区で反対運動が起こり難航した。それを杉並区民のエゴとする江東区民は昭和48年、区長を先頭に区議や区民が杉並区のゴミ搬入を阻止する実力行動に出た。当日の新聞は「杉並引くに引けぬ敵意殺気立つ反対派」、「江東臨戦態勢整った」と報じた。江東区議たちはヘルメットを被り、作業服、長靴の完全武装であった。いわゆる「東京ゴミ戦争」が始まったのである。美濃部都知事の斡旋で休戦となったが、杉並区内では街中にゴミが溢れてハエがたかり、初めて江東区民の長...東京ゴミ戦争

  • 成田街道の花たち

    成田街道オプションのオプション編。道端と言っても街中の花たちである。自宅のある三郷の花たちと変わりはない。成田街道の花たち

  • 埼玉知事選公示、3氏立候補だが

    8月6日投票の埼玉知事選挙が公示された。立候補は3人。現職の大野氏には自民、公明、維新、国民及び立憲の与野党が相乗りで支持を表明、投票率は多分20%台になろう。候補擁立を悩んでいた共産党は県書記長の柴岡氏が立候補、3人目の大沢氏は国際力向上などを訴える泡沫候補で、選挙活動はブログだけ、ポスターも貼らない。船橋宿の東端、船橋大神宮前にゴールした成田街道ウォークの2日目。船橋駅へ向かう途中の寺社などを巡る。まずは御成稲荷。徳川家康が鷹狩の時に止まった船橋御殿跡にある。隣の公園の口碑によれば、船橋御殿は海老川に沿って2万坪近くあったという。家康以降は佐倉や東金での鷹狩も下火になり、やがて船橋御殿も廃止された。ここから路地を辿った奥に「日本で一番小さい東照宮」があるという。ほんとにあれかいな?近づくと間違いなく東...埼玉知事選公示、3氏立候補だが

  • 成田街道、船橋宿へ

    7月11日以来、連載10回目となる成田(佐倉)街道の歩行記は2日目のゴール、船場宿である。浅間神社、龍神社と巡った先で成田街道は、総武線の跨線橋となる国道14号を離れる。江戸川を渡った市川橋以来ちょうど7キロお世話になった。ベンガラ色の山門の大覚院を過ぎると、今度は成田街道がカーブした総武線を越える。だが跨線橋にはお印のように細い細い歩行部があるが、安全を鑑み跨線橋下の地下道へ廻る。地下深く人気のない地下道は不気味だが照明だけは充分である。地上に戻ると近接する二つの跨線橋で複雑になった道路に惑わされ方向感覚を失うが、腕時計のコンパスと地図を突き合わせ何とか念仏堂に辿り着く。奥に見えていいる跨線橋は国道14号である。小さく雑然とした境内の念仏堂に寄ったのは「千葉県最古」という道標を見るため。入ってすぐの観音...成田街道、船橋宿へ

  • 成田街道、西船橋へ

    法華経寺の広い境内をじっくりと巡って成田(千葉)街道に戻ると国道14号は緩やかな上りが続く。寺や神社を覗きながら船橋へと向かう。猛暑日の前回よりは数度は低いが蒸し暑い。1キロ半で西船橋駅入口に着く。土曜日でも(だから)賑やかである。進行方向に朝乗って来た武蔵野線のガードが見えて来る。武蔵野線を潜って数百メートルで浅間神社。三十段ほどの石段の奥、社殿まではかなり遠そうだ。船橋宿も歴史的な宿場遺構は期待できず、寺社巡りが主になる、ここは寄って行こう。案の定、社殿までは二百メートルほどだが最初の石段以外、ほゞフラットなのは助かる。さして大きくはないが、唐風の向拝を持つキリッとした社殿はなかなかいい。途中の狛犬は右側だけ「子連れ」である。船橋中央病院の先、右手の小道を辿って勘良く二度の右折で龍神社に着く。このあた...成田街道、西船橋へ

  • マイナより「お薬手帳」がいい

    「質の高い医療、効率的で持続可能な医療を実現していくためには、現行の保険証を廃止し、ICチップ付きの新たな保険証に移行する必要がある」と岸田首相は繰り返して来た。だが、マイナカード登録の不祥事の他にも、マイナ保険証での医療データの閲覧には時間がかかり、結局「お薬手帳の方がいい」という「現場」の声が多い。また電子処方箋も全国で2%の医療機関しか対応できないなど、デジタル後進国である日本。とにかくマイナカードの登録と従来保険証の廃止を急ぐことは「笑止千万」と言える。 成田街道2日目、街道や宿場遺構がほとんどないこのあたり、広大な境内の「正中山法華経寺」をじっくり紹介しよう。下総中山駅入口から北へ、長い参道を進むと京成電車の踏切を過ぎ、江戸時代建立の黒門を潜る。一段と門前町の雰囲気の先に仁王門(山門)が存在感を...マイナより「お薬手帳」がいい

  • 尾を引く学術会議任命問題

    菅前首相が日本学術会議が推薦した会員のうちの6名を任命拒否してから初めての改選(半数)に当たり、学術会議は拒否された6名を入れずに105名を承認、推薦した。この間、政府側から「次回改選で問題の解決を探ってもよい」との打診があったが、学術会議側はあくまでも「前回の改選枠」内の6名としての承認を求め、今回の改選者には含めなかった。岸田政権は6名の拒否は「前政権が下した判断を尊重」とし、6名拒否の再問題化を避けるべく、学術会議のあり方論へと誘導する方針を維持するだろう。  成田街道2日目、入ったら出られない竹藪「知らずや八幡の森」の斜め前は市川市役所。上がマンションの大きなビル。数百メートルで右手に市川消防署、すぐ先で真間川にかかる境橋に出る。船橋市との境はまだ先だから何の境だろう。歩いている側の袂の小公園にフ...尾を引く学術会議任命問題

  • 博多山笠で残念な事故

    京都赴任時代、部下が福岡勤務時代に始めた博多祇園山笠の「千代流(ナガレ)」のメンバーだったので、祭りのフィナーレ、7月15日の「追い山」の櫛田入りを観たことがある。明け方に櫛田神社の広場を一周し街中へ走り出す。重さ1トンを超える「舁き山」を担いでほゞ時速10キロで30分も走り続けるので、当然「舁き手」(担ぎ手、26人)は頻繁に交代する。その時に倒れたのだろうか、昨日の追い山で千代流の舁き手の一人が舁き山にひかれて胸を強打し死亡するという痛ましい事故が起きた。関係者は「過去には記憶がない」という。担いで走ると書いたが、実際には舁き山の後の足は頻繁に道路に当たり、路面にその筋がつくほどである。引き摺りながら走る、と言った方がいいかも知れない。7月上旬の「お汐井(オシオイ)取り」で身を清めた舁き手は、祭が終わ...博多山笠で残念な事故

  • サイゼリヤ1号店

    宿場遺構のほとんどない成田街道八幡宿だが、葛飾八幡宮と本八幡駅の中間あたりに是非寄りたかった「遺構」がある。「サイゼリヤ」の1号店(発祥の地)で、今は教育施設として存在する。東京理科大卒の正垣会長が始めた洋食店だが、見せには閑古鳥が鳴き、2階の店に上がる狭い階段には下の八百屋の段ボールが積まれていたという。とにかく安くと「半額」にしたら客が入るようになった。理系の正垣会長に安くする知恵は無尽蔵だった。コロナで見学は中止中と言うが、ちょうどテレビ番組で写された店内を添付しよう。ここを見て本八幡駅に向かい、今回のゴールである。サイゼリヤ1号店

  • マイナ、やはり過大カウント

    やっぱりな、と言う感じ。死亡などで廃棄、無効となった500万枚を引けば、マイナカード交付率は69%台が65%ほどになる。この間に「66.66%」があることが大事なところ。つまり、「2/3」のラインである。「首相、累積枚数で発表すれば国民の2/3を超えますが」「おー、それでいこう!でも累積とは言うなよ」「もちろんです!」というやり取りがあったのかどうか。 猛暑の日の成田街道ウォーク、江戸川沿いの市川関所跡から八幡宿へ向かう。ここまでの歩行距離はほゞ10キロ。八幡宿があった本八幡駅はまだ2キロ半先。9時を過ぎ陽は高く昇り、国道14号のビル街に日陰はない。足も疲れ暑さに気も萎えて、今日はすぐ先の市川駅で終わるか、と思い始める。JR市川駅の駅ビル入り、遅い朝飯でも食べながらこの先を考えるか。しかし飲食店はどこもま...マイナ、やはり過大カウント

  • 成田街道、江戸から下総へ

    成田(佐倉)街道の朝方ウォークの続き。葛飾区の柴又から江戸川区小岩に入り、江戸川の土手下に出たところ。「上小岩親水緑道」は趣が好いが江戸川からはどんどん離れる道。右手の道が成田街道、いかにもそれらしい。途中天祖神社の木陰で休憩、京成本線江戸川駅の高架下でも体を冷やす。国道14号に突き当たり土手の石段で市川橋に上がる。下流をJR総武線、上流を京成本線が渡る。東京都江戸川区から千葉県市川市へと入る。対岸の京成本線鉄橋の袂は国府台(コウノダイ)駅周辺。地名の通り下総国府が置かれたところ、今は和洋女子大、千葉商科大、その付属中高など学生の街である。渡り切って右岸の土手道を少し上流側に歩くと「市川関所跡」。小岩・市川関所とも呼ばれ金町、松戸と共に下総から江戸に入る三大関所であった。実際には関所は対岸、小岩側の河川...成田街道、江戸から下総へ

  • 奥尻島地震(津波)三十年

    出張先の岩沼のホテルだった。朝食に集まった同僚とテレビニュースに釘付けになった。一夜明けた奥尻島の惨状には声も出ない。あれから三十年と言う、阪神淡路の2年前だ。そして、今朝のテレビニュースでは子供たちを前に、地震と津波の恐ろしさ、高台への迅速な避難を、まさに全身を使って、いや奮わせて説く奥尻島被災者の姿が映る。その熱弁に引き込まれ、釘付けになって聞き入る子供たちの表情も真剣そのものである。 そして今朝の朝日「折々のことば」も、もしもきみの愛が愛として相手の愛を呼び覚まさなかったとすれば・・・君の愛は無力であり、一つの不幸である。カール・マルクスもし他人に影響を与えたいなら、きみが他人に対し「現実に魅力的で、かれにひしひしとせまるものをもつ」人物でなければならない、と鷲田清一は解説する。ここ十数年、日本国民...奥尻島地震(津波)三十年

  • 猛暑の成田街道を歩く

    昨秋、全国百観音巡りを成就し、この春は一息ついていた。秋口からはどこを歩こうかと思案するうち、手近な成田街道を思いつく。ほとんどが千葉あるいは成田街道と呼ばれる国道で風景的には期待薄だが、八宿、十三里半と短めで自宅からのアクセスも良く、一番遠い成田までの電車賃も千円以内である。地図をアウトプットしたり、ネット上の先達の歩行記を検索するうち、たまたまタレント3人組が2日で成田街道を歩くというテレビ番組に遭遇。尤も一日一回の路線バス、一日30分の自転車を利用できるという条件だから、実質的に歩くのは半分くらいだろう。これに刺激され、梅雨明け間近、ほとんど夏と言っても良い気温の毎日だが、一番電車で行って早朝だけ歩くなら今でも可能かなと思い、新宿(ニイジュク)からの一回目を歩いて来た。結果的には大月で38.7℃、...猛暑の成田街道を歩く

  • 「安倍的」なものは生きている

    3月初旬に映画「日曜はダメよ」に因んで、日曜日のブログ休みを宣言して4ヶ月。思えば「毎日が日曜日」の我が身にとって、日曜日といっても特別な日ではない。曜日に依らず休みたいときに休むでいい。ということで、今日は「復活の日曜版」である。昨日は安倍元首相が銃弾に斃れて一年目の日。「政界に漂う『幻影』」などの見出しでいろいろ報道されている。自民党石破茂議員の「安部さんがいなくなっても『安倍的』なものは生きていて、一種の英雄化が進んでいる」という表現が一番的を得ているのではないか。次の安倍派会長を急いで決めず、当面は集団体制で引っ張って行くのもいいというある幹部の意見も、石破氏の「英雄化」という表現を裏付けているのかも知れない。 七夕の明け方の川霧の続き、下流へ行くほど晴れて来る 「安倍的」なものは生きている

  • 桑原亮子という歌人

    昨日に続いて、NHK朝ドラ「舞いあがれ!」の脚本を書いた桑原亮子の歌集から。昨日の朝日「折々のことば」で鷲田清一が取り上げた歌である。 縫いしものに針の残りてをらぬこと確かむるごとメールを見返す桑原亮子 会社時代、ある工場の設備のテーマが大幅に遅延するというトラブルが発生した。調べると、工場の担当者と我が社のエンジニアの間の感情的なシコリが原因だった。要望や回答など、何と「全て」メールのやりとりだったという。要望の真意、それに応える難しさなど直接顔を合わせて遣り取りすれば妥協点があったかも知れない。メールだけの遣り取りは、一字一句で両者の齟齬をどんどんと深めてしまった。しかし、解決策は簡単。二、三度顔を合わせて打ち合わせさせると妥協点が見つかり丸く納まった。 縫い上がった布に残った針を探すようにメールの文...桑原亮子という歌人

  • 千億の星、今日は七夕

    君が行く新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた梅津貴司今の「らんまん」の前のNHK朝ドラ「舞いあがれ!」で、主人公・舞の夫になった歌人、梅津貴司が劇中で作る短歌の一つである。主人公の舞は子供の頃からの夢であるパイロットの資格を取り、ある航空会社への就職も内定したがコロナで採用延期。その待機中に実家の町工場を経営していた父が急死。思案の末、町工場を継いだ母の片腕となるためパイロットの道を諦めた舞に、互いに想いを打ち明ける前に貴司が贈ったのが冒頭の歌である。実際の詠み人は「舞いあがれ!」の脚本を書いた桑原亮子氏。朝ドラ終了後「是非貴司君の歌集を」という要望に応え、劇中には出て来ない短歌も含めた詩歌集「トビウオが飛ぶとき」が出版された。七夕の夜が晴れの確率は23%で4年に一度。さて、今夜は晴れの予報だが・・...千億の星、今日は七夕

  • 思うようには行かない人生

    思いどおりにならんことほど、おもしろいんです。上岡龍太郎(社長など)すべて思いどおりになる人が、バンカー、池越えなど、わざわざ難儀なものと戯れる。(一方)現役の会社員はゴルフなんぞに行かずとも会社でそれを堪能できる。(朝日朝刊「折々のことば」鷲田清一) 経験を積んで(歳を取って)それらを何度か乗り越えた後で、やっと「思い通りに行かないからおもしろい」と言える。直面している時は必死で、皆が敵に思える。そこで思い出すのが、社会人になって十年目くらいに参加した実践型研修。箱根の山中でわずかな「コマ地図」を頼りに彷徨う歩行ラリーで自己中心的な思考回路を思い知らされる。 仕事は自分の都合のよいようには出来ていない。(組織革新研究会代表、藤田英夫) 散歩の花たち   思うようには行かない人生

  • 熊本豪雨3年、熱海土石流2年

    思いやる子恋の森の雫にはよそなる人の袖もぬれけり清原元輔(キヨハラノモトスケ)伊豆山神社と共に、源頼朝と若き北条政子が逢瀬を重ねたのが「子恋(コゴイ)の森」と言われる。2年前、その「子恋の森」の更に上の造成地から流れ出した土石流が28名の命を奪った。(今朝の「天声人語」)だいぶ前になるが、犬と泊まれる宿を探して熱海のこの斜面に立つ旅館に泊まったことがある。土石流が起きた沢筋とは離れていたと思うが、その急傾斜には眺望の良さよりも不安感があったのを覚えている。球磨(クマ)川の氾濫などで67名が亡くなり、2名が行方不明の熊本豪雨から3年。今日も九州など西日本は雨が続く。 雨上がりの明け方の散歩から熊本豪雨3年、熱海土石流2年

  • マイナシステム、富士通でよかったのか

    いくつかの会社がマイナカードのシステムに携わっているが、何故、富士通が手掛けたシステムに不具合が多いのか。富士通のシステムのトラブルは種々発生しているが、申請が集中してシステムに負荷がかかったことが理由とした不具合について専門家は、「たとえ負荷がかかったとしても、別人の書類が発行されるようなことはない。システムが技術的に稚拙で、ちょっとしたことでバグ(不具合の虫)を生むのではないか」と厳しい。つい最近、富士通は総務省から行政指導を受けた。法人向けインターネット回線がサイバー攻撃を受け、富士通は何とこのことに8ヶ月も気が付かなかった。この間、企業や政府関連の多くの情報が流出した可能性がある。(今朝の新聞から)ゆえに我思う、国民の情報を扱うマイナンバーのシステムこそ、「富士通」を起用したことは間違いではなかっ...マイナシステム、富士通でよかったのか

  • 吹田市教委、国歌暗記度を調査

    吹田市の教育委員会が一人の自民党市議の要請で、吹田市の全小中学校生徒の「君が代」の歌詞の暗記度を調査したという。今年で5回目で、各校各学年ごとに暗記している生徒数を調査・報告させるというもの。最初の1回は市議会で報告された。国は国歌斉唱は国民の義務ではないとするが、文科省は学習指導要領で「歌えるように指導する」とし、特に大阪府では、大阪維新の会が議会の過半数を占めた2011年、公立校の教職員の国歌斉唱を義務付け、従わない教職員を処分している。「君が代は千代に八千代に・・・」の思想を押し付けるのは教育基本法に抵触し、ブログで「闘う保守」を自任する市会議員の求めに応じ、生徒の君が代暗記度を調査した吹田市教育委員会の「右傾化」も甚だしい。(参考:今朝の朝日社説) 昨日の明け方もド曇りで日の出は拝めなかったが、い...吹田市教委、国歌暗記度を調査

  • 今年後半も「ご安全に」

    今日からの一年の後半は安全の日で始まる。労働安全、交通安全、家庭安全、災害からの安全など、まとめて「社会安全」と言えようか。政権は外国からの脅威への安全を謳い、防衛予算の「異次元」の増額を目論む。しかし、マイナカードの不手際のように情報の安全すら心許ないのが現実である。マイナカードの返納が急増しているという。ふと思う、2万円のクーポン(札束)で頬を張られて登録した人が返納した場合、クーポンの返納は必要ないのだろうか。 さて先月のウォーキングは一万歩超の日が11日もあり、月間の平均歩数(一日当たり)は八千歩に近づいた。下は過去4年間の月別のグラフで、赤が今年である。(単位:歩/日)昨年秋に秩父三十四館音を結願し足掛け20年近くかかった日本百観音巡りを成就て一気に歩数が減ったが、今年に入り少しずつ上向いて来た...今年後半も「ご安全に」

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